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第一章
幕間 議会にて 2
しおりを挟むリカルド二世の声音は、始終平坦だった。ゲオルグ殿下とは異なり同情の欠片すら無い。
再び、ガリオンが小さく悲鳴を上げた。
有能で知れるクラウディ親子ではあったが、バルバトスに比べその後継者には足らぬ所が多い。
父親は何食わぬ顔でリカルド二世を見上げていたが、ガリオンの顔は蒼白だった。
そしてそれも弟を案じてのものではけしてない。国王の御前である事も忘れて、ルークへの恨み言を吐き出すその顔は、ひどく醜い。
隣でうろたえる息子などまるで居ないものと、バルバトスはリカルド二世にも負けぬ事務的な口調で問い掛ける。
「陛下」
手を上げれば、シリウスの指名を受ける。
「貴族院法の適応はどうなりましょう」
ざわり、沸くのは貴族院だけでは無い。
「七条と十二条の項に抵触するかと思いますが」
貴族院法というのは、そのまま貴族院に対する法律である。その七条は院籍に入る為の規約であり、十二条は違反者に対する罰則を記したものだ。
すなわちバルバトスは、自身およびガリオンへの罰を問うているのである。
これを聞いてバルバトスを囲むようにかけていた者の体が、中心から遠のいた。災いに関わりたくない、と如実に語る動作だった。
ガリオンは驚愕に染まった声で「父上」と呼ばわったが、バルバトスは視線の一つもくれない。
「此度の件は、私の監督不行届きにございます。どうぞ、如何様にもご処分を」
今まで感情を消し去っていた声音が、一変する。
苦しげに、搾り出すように。皺を刻んだ両の手を懺悔でもするように握り締め、唇をかみ締めるその姿は、痛々しい程。
けして言い訳などしない。
その潔さが、周りに抱かせるのは同情心だ。
「畏れながら、陛下」
次にシリウスの指名を受けて声を上げたのは、貴族院の長だ。禿げ上がった頭頂部を隠す為だけに、王の御前でも帽子を被ったままである。黒を白とは言えない生真面目な、年を追う事に意固地になっていくような老人であったが、バルバトスの台頭と共にその気質はなりを潜め、今や柔和で穏やかな老人でしかない。彼はバルバトスの何よりの味方だった。
「クラウディ伯爵は、今や我が国に無くてはならぬお方でいらっしゃる。彼の今までの功績や貢献をご考慮頂きたい」
「それならば礼法に則り、二等領地の没収では無く三等領地の没収、罰金は12000ゼルではなく5000ゼルに。退籍と降爵を除外し、二年の休職程度が適当かと」
「該当するのは、除爵では?」
「休職では外交が滞る」
挙手を忘れて意見が飛び交うのは会議の常である。シリウスの指名も間に合わず、丁寧だが野次も飛ぶ。
「確かに、」
それでもリカルド二世が口を開けば、水を打ったように静まる。
「今やクラウディ伯爵は我が国に無くてはならない」
貴族院長の言葉をなぞり、双眸を眇め、
「それでも法は曲げられぬ」
感情を欠落した声は、宣言する。
「ゆえに、礼法は十一条を適用する」
瞬間、室内は悲嘆と感嘆に暮れる。
リカルド二世はバルバトスが頭を垂れるのを待って、宰相の名を呼ばわった。
シリウスは立ち上がり、室内が静まるのを待って口を開いた。
「バルバトス・クラウディは貴族院法七条、十二条に該当、礼法十一条を適用するものとする。バルバトス・クラウディは二日の内に、これを呈示するよう厳命致します」
「――承りまして」
「ルーク・クラウディにおいては、【エンナ】に基づき【三戒】を適用。ただしウージ交渉終了後に布告するものとし、身柄は宰相府で預かる事とする」
異議は上がらない。
「これを以って、議会の終了と致します」
礼法十一条の適用。
それを喜んだものは、貴族院に多かった。こと、ガリオンはそうだった。
礼法とは例外法とも呼ばれ、罪人の功績等によってその罪を憂慮するものである。
従って民には縁の無い法令ではある。
富と血筋を重んじる貴族社会にあって、当然のように出来上がった、貴族を守るためだけの、例外の法律――その中の十一条は、罰をあって無いものとする。
罪の内容を全く考慮しない、罰。それが礼法十一条が示す刑だ。刑を決めるのは、王でも、裁判官でも、無い。罪人自身が『刑』と決めた事が、『刑』となる。罰金を1ゼル払う、二日休職する、という程度のものでも問題ない、完全に本人次第の刑罰だ。
その特殊さゆえに、王のみが発令する事を許される。
だからこそガリオンは喜び、バルバトスは、単純に喜色を浮かべる息子を胸の内で恥じていた。
ガリオンの外交官としての才は、認める。ただし、それだけだ。
人を篭絡する手段に長けていても、自身がそうされている事には気づけもしない愚鈍さ。
クラウディ家の外交術の全ては、呼吸である。巧みな話術は手段でしかなく、決め手は常に呼吸なのである。相手の呼吸、すなわちテンポに合わせて、演出するだけ。相手の不快を取り除くだけで、人の心は簡単に掴める。
そうしてそれを応用する事で、黒を白と見せる事も、否を応と言わせる事も出来るのだ。
バルバトスは己から罪を問う事で、議場の中のテンポを奪った筈だった。そうして適した演出をする事で、罪を無に変じさせるつもりだった。程良い演出の後は己が何を言うまでもなく、周りが勝手にかたを付ける。
どこまで罰を軽減出来るか、見物だとすら思っていたのに。
礼法十一条の適用は、バルバトスにとって最悪に近い。
確かに、1ゼルの罰金を払えばそれで『刑』は済む。
けれど世間の知るバルバトス・クラウディは、私心なく義を重んじ国に尽くす忠臣であり、清廉潔白なる人物なのだ。
生まれにも過去にも染みの一つも無い。問題があるとすれば、息子に対する対応だけであろう。
愛妾の忘れ形見である次男ルークに対する溺愛がルークの放蕩を呼び、その放蕩の後始末に金を惜しまない。ルークを守る為ならば何も厭わぬ姿を、衆目に晒してきた。
だからこそ。
バルバトス・クラウディという人間は、甘やかした息子の犯した罪を1ゼルで贖おうとはしない。罰が軽ければ軽いほど、良心に呵責を持たずにはいられない。与えられた罰が重くとも、更に重い枷を嵌めようとするであろうし、軽ければ、自戒の念で今まで以上に国に尽くそうと尽力するであろう。
そうしてクラウディ家の名は、計らずとも高まる。
バルバトス・クラウディとしてどこまで重い罰を受けるのが適当か――分かっているからこそ、リカルド二世を憎らしく思う。
爵位の返上、領地の返上、息子に全てを譲っての辞職――そうするであろう、バルバトス・クラウディが、どうあれば逃げ切れよう。
ガリオンでは国の外交を担いきれないのは、リカルド二世陛下も知る所だ。けしてバルバトス・クラウディを政から締め出したいわけでは無い。
翼をもぎ取るわけでも、飛ぶ空を奪うわけでもない。したいのは、籠に閉じ込める事だろう。
「何故」
呟いても、答えはどこにも無い。
「どうかなされましたか、父上?」
応えるガリオンが、答えを持つ筈も無い。
「いや、」
訝しげに見つめてくるガリオンに頭を振って、バルバトスはため息を吐き出した。
長い吐息に二の句を遮られたガリオンは、ただ父親を見つめるのみ。
その夜、様変わりした息子が実家を訪れるまで――バルバトスに、答えは出なかった。
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