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ジャリっと、背後から足音が聞こえた。
「あ!おそろいの人!」
エルーシアが東の大陸語で誰かに話しかけたから、その声に促されるように、背後を振り返った。
涙で滲んだ視界に映ったのは、大きな人影だった。
その人はしゃがんでエルーシアと目線を合わせると、優しげに笑いかけていた。
信じられないものを見た。
やっぱりこれは幻なんだと思った。
「エルーシアのママと話がしたいから、連れて行ってもいいか?」
「うん。おばちゃまとお留守番してる」
「いい子だな。お姫さまにどうぞ。今度は落とすなよ」
エルーシアの小さな手に、お花が渡された。
小さな手で持てる、赤い花を中心とした小さなブーケだった。
「ありがとう!でも、約束。ママ、男の人が怖いの。怖がらせちゃダメなの。優しくして。約束ね?」
「わかった。約束する」
エルーシアの優しい言葉は嬉しいけど、またここでも私の意思なんか関係なく、私の約束を勝手にされていた。
エルーシアが家の中へと駆けて行って、その小さな背中を見送ると、今度は立ち上がった人を見上げた。
「ちょっといいか?」
その人に向けた視線には、私に尋ねるのがどうして最後なのと、抗議の意味をこめていた。
「よくない!三年も何をしていたのかちゃんと説明してくれないと、目の前にいるって信じられない!」
セオドアは、地面にペタンと座る私の前に再びしゃがんだ。
「こっちの大陸に渡る船がなかったんだ。だだっ広い海を眺めてしばらく途方に暮れていた」
「私のことを勝手に決めたりするから!娘の方から手懐けようとするのは卑怯だと思う」
言いたいことは、もちろんたくさんあった。
「ああ。そうだな。そうじゃなくて、ちょっと不安で……他の奴と結婚してたら、邪魔できないから」
「するわけない!」
「14年前みたいに、俺のことなんかすぐに忘れてるんじゃないかと思ったし」
そんな自信なさそうに言ったって、やっぱり悪いのはセオドアだ。
「嘘ついたでしょ!?その後もセオドアが何も言わないから!!その時だって、半年くらいはずっと思い出しては寂しくて泣いてた!!一生懸命に思い出さないようにしてたのだから」
「それは……悪かった……」
だから、私の前でそんな落ち込んでいるような表情を見せても、怒りがいっぱいになるだけだった。
「やっとこっちに向かう船を見つけて、その船の厨房で下働きをしていた。甲板を磨いたりもしたな」
そういえば、セオドアはとても日焼けしていた。
「暑いのは……大丈夫だった?」
怒っているはずなのに、思わず聞いてしまって……
「大丈夫だ。慣れた」
その、怒りを向けているはずの相手は、一度私に笑いかけてから話を続けた。
その表情の変化に、やっぱりこれは幻なんだって、また疑いかけた。
「船の中で西大陸の言葉を覚えて、この国に入って、日雇いの仕事をしながらフィルマを探していた。それが、半年前で、今日、やっと見つけた」
この広い大陸の中で、よく半年で見つけてくれたなとは思う。
「船に乗るまでは、どうしていたの?」
「しばらくは、ずっと戦場にいた」
それから、少しだけ何かを考えるように黙った。
「ずっと、良い状況ではなかった。カーティスがだんだん追い詰められていったのは、そばにいてわかった。ある時、カーティスから銃口を向けられた。銃はわかるだろ?こっちの方がはるかに良いものが揃ってる」
コクンと、頷く。
銃は普通に生活している分には縁がないけど、それがどんな物かは知っている。
「向こうに流入したものなんか、旧式でかなり精度が悪いのに、俺に向けて容赦なく撃ってきて、弾が俺を掠めていった。それで、尋ねられたんだ。今、誰を想ったかって。俺にはお前は必要ないから誰かを想ったのなら、どうにかしてそこへ向かえと。さすがに二度目は死んだと思って……それで、戦場を離れた。カーティスの戦死は、向こうの大陸を離れる前に知った」
それを言いながら、今度は寂しそうに笑っていた。
「死ぬと思った時、お前の顔しか浮かんでこなかった。フィルマに会いたいと思った。俺の人生で唯一、大事にしたいと思った子なんだ。今は、どうやらさらに増えたみたいだが」
「私を、置き去りにしたくせに」
あの時のことを思い出して何度も泣いた夜は、絶対に無かったことにはしてあげない。
「もう、どこにも行かないから、お前のそばにいてもいいか?」
「そんなの、ダメって言えるわけないのにズルイ!!嘘つき!!」
「悪かった。もう、二度と嘘はつかない。誓う」
これ以上怒る言葉なんかたいしてなくて、うーっと、言葉にならない言葉を呻くしかなかった。
怒る以上に、嬉しくてたまらない。
セオドアが帰ってきてくれて、今、目の前にいるということがどれだけの奇跡か。
「俺は、またお前に救われた。膝を抱えて海を眺めていた時に、俺を始末するための追っ手が来た。けど、そいつが俺の横に座って言ったんだ。自分の妹は、フィルマに救われたと」
何のことかと、首を傾げる。
「お前、自分の妹を、ナデージュの脱出を助けただろ?」
それには覚えがある。
「王女の侍女がそいつの妹だったんだ。その時、妊娠もしていて国に帰って無事に出産したそうだ。だから、このまま大陸からも離れるのなら、何もしないと言われた。フィルマと子供に会いに行こうとしている時に、俺はもう、誰かの命を奪いたくなかったから、正直助かった。そいつに西大陸行きの船に乗る手助けまでしてもらったよ。お前の妹が、俺の船賃まで用意していたんだ。驚くだろ?」
そこにナデージュまで関わっていたのかと、確かに驚きはあった。
「お前は、いろんな奴の意味になっていた。もちろん、俺にとっても」
そこで言葉を止めたセオドアは、不安そうに私の表情を窺うように見た。
「俺は、お前のことを愛していると言ってもいいのか?」
「それって、聞くものなの?」
すごく大切で嬉しい言葉のはずなのに、そんなことを聞かれて、喜んでいいのかどうなのかわからなくなる。
「三年も妻子をほったらかした男の言うことじゃないだろ。まともな結婚でもなかったし、今さら父親面も……」
「エルーシアは、セオドアのことをすぐに好きになったって言ってた」
「そうか……」
そこは、嬉しそうにしていた。
さっき話していた二人の様子は、初対面とは思えないくらい親しげなものだった。
「その資格ができたら、ちゃんと言う」
「うん」
資格とは、セオドアがどうするつもりかはわからないけど、これからずっと一緒にいてくれるのなら、言葉よりもそれが嬉しい。
「人んちの庭先での痴話喧嘩は終わったのかい?」
声の方を向くと、エルーシアと並んでレーニシュ夫人が立っていた。
セオドアが手を差し出したから、その手を取って、立ち上がる。
「おばちゃま、チワ喧嘩って、何?」
「夫婦でする喧嘩さ。犬も食わないってね」
「夫婦?夫婦って?結婚してるってこと?」
エルーシアが、夫人と私達を交互に見ている。
首をブンブンと振って、そのたびにクルンとした銀色の髪が振り回されていた。
忙しく動き回っていた頭の動きは、最後にセオドアに視線を向けたところで止まった。
「パパなの?パパ帰ってきた!」
エルーシアは、目をまん丸に見開いて、両足を開いて両手をあげて、よくわからない体勢になった。
全身で嬉しいと表現しているのはわかる。
「名ばかりの旦那に言っておくけど、フィルマは子持ちでもモテるからね。生半可な謝罪なら、愛想尽かされてよその男の所に行ってしまうよ。それと、あたしはまだあんたの事を許してはないからね」
ふんっと、夫人は不機嫌な様子でセオドアに言い放った。
でもすぐにエルーシアの嬉しそうにしている顔を見ると、たちまち雰囲気を和らげていた。
「まぁ、いいさ。しばらくは様子を見てやるよ。ところであんたは、正規の手続きで入国したのかい?」
「いや」
「息子に相談するから、余計なことを考えるんじゃないよ。フィルマのそばにいたいなら大人しくしときな。エルーシアや、あんたのパパを家の中に案内しておやり」
「わかった、おばちゃま。パパこっちだよ!」
夫人はそれを伝えるとさっさと母屋の方に行ってしまい、当たり前のようにセオドアの手を引いたエルーシアは、早く早くとグイグイと引っ張って同じく母屋の中に連れて行こうとしたものだから、私も慌てて後を追っていた。
応接間で、私達家族三人と夫人で待つこと数十分。
夫人に呼び出されて応接間に入ってきたバナードさんは、母がいつも世話になっているねと私に声をかけてくれてから、セオドアを見た。
そして、いつもの生真面目な顔で言った。
「なるほど。では、君は騙されて船に乗せられて、半年間監禁されたうえに、見知らぬ港に放置されたんだな」
海軍所属、立派な地位の中佐は勝手に喋っていた。
つまり、そういうことにするみたいだ。
「しばらく彷徨い、やっと探し当てた妻の家、つまり母の家の前で倒れていたところを保護したと。わかった。そう、治安警察に伝える。移民申請もしておこう。これから三ヶ月ほどは監視がつくことになるから、その間の揉め事は全力で回避するように。困ったことがあれがすぐに私に言ってくれ。対処する。では、私はこれで」
「ありがとうございます。バナードさん」
バナードさんは私に微笑むと、お幸せにと告げて速やかにお仕事に戻っていった。
「さぁ、これで面倒なことは片付きそうだね。あたしは部屋で休むとするよ。フィルマ、あんたの旦那の部屋はあんたと一緒か隣の空き部屋を好きに使いな」
「はい。ありがとうございます」
夫人の退室を扉のところで見送って、パタンと閉まると、ソファーからピョンと飛び降りたエルーシアが、セオドアの正面に立った。
「パパ、抱っこして」
両手をあげて、満面の笑みで催促している。
愛しむような微笑みを浮かべたセオドアは、ごく自然な動作で娘を抱き上げる。
たったそれだけで、胸がいっぱいになった。
「ママ、泣いてる。大丈夫?」
セオドアごと近付いてきた小さな手が、私の頭に伸びてきてポンポンと撫でてくる。
今日はずっと涙腺が緩みっぱなしで、自分で上手く制御できそうにない。
「ママは大丈夫。パパが帰ってきて嬉しいの。ありがとう、エルーシア」
それを伝えると、えへへと、エルーシアも嬉しそうに笑っていた。
「セオドア」
これだけは絶対に言いたかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
やっと言えて、やっと聞けたのだと、エルーシアの幸せそうな顔がさらにその言葉を尊いものにしていた。
完。
─────────────────
これで、完結となります。最後まで読んでいただきありがとうございました!エールもたくさん送っていただき、ありがとうございました。
「あ!おそろいの人!」
エルーシアが東の大陸語で誰かに話しかけたから、その声に促されるように、背後を振り返った。
涙で滲んだ視界に映ったのは、大きな人影だった。
その人はしゃがんでエルーシアと目線を合わせると、優しげに笑いかけていた。
信じられないものを見た。
やっぱりこれは幻なんだと思った。
「エルーシアのママと話がしたいから、連れて行ってもいいか?」
「うん。おばちゃまとお留守番してる」
「いい子だな。お姫さまにどうぞ。今度は落とすなよ」
エルーシアの小さな手に、お花が渡された。
小さな手で持てる、赤い花を中心とした小さなブーケだった。
「ありがとう!でも、約束。ママ、男の人が怖いの。怖がらせちゃダメなの。優しくして。約束ね?」
「わかった。約束する」
エルーシアの優しい言葉は嬉しいけど、またここでも私の意思なんか関係なく、私の約束を勝手にされていた。
エルーシアが家の中へと駆けて行って、その小さな背中を見送ると、今度は立ち上がった人を見上げた。
「ちょっといいか?」
その人に向けた視線には、私に尋ねるのがどうして最後なのと、抗議の意味をこめていた。
「よくない!三年も何をしていたのかちゃんと説明してくれないと、目の前にいるって信じられない!」
セオドアは、地面にペタンと座る私の前に再びしゃがんだ。
「こっちの大陸に渡る船がなかったんだ。だだっ広い海を眺めてしばらく途方に暮れていた」
「私のことを勝手に決めたりするから!娘の方から手懐けようとするのは卑怯だと思う」
言いたいことは、もちろんたくさんあった。
「ああ。そうだな。そうじゃなくて、ちょっと不安で……他の奴と結婚してたら、邪魔できないから」
「するわけない!」
「14年前みたいに、俺のことなんかすぐに忘れてるんじゃないかと思ったし」
そんな自信なさそうに言ったって、やっぱり悪いのはセオドアだ。
「嘘ついたでしょ!?その後もセオドアが何も言わないから!!その時だって、半年くらいはずっと思い出しては寂しくて泣いてた!!一生懸命に思い出さないようにしてたのだから」
「それは……悪かった……」
だから、私の前でそんな落ち込んでいるような表情を見せても、怒りがいっぱいになるだけだった。
「やっとこっちに向かう船を見つけて、その船の厨房で下働きをしていた。甲板を磨いたりもしたな」
そういえば、セオドアはとても日焼けしていた。
「暑いのは……大丈夫だった?」
怒っているはずなのに、思わず聞いてしまって……
「大丈夫だ。慣れた」
その、怒りを向けているはずの相手は、一度私に笑いかけてから話を続けた。
その表情の変化に、やっぱりこれは幻なんだって、また疑いかけた。
「船の中で西大陸の言葉を覚えて、この国に入って、日雇いの仕事をしながらフィルマを探していた。それが、半年前で、今日、やっと見つけた」
この広い大陸の中で、よく半年で見つけてくれたなとは思う。
「船に乗るまでは、どうしていたの?」
「しばらくは、ずっと戦場にいた」
それから、少しだけ何かを考えるように黙った。
「ずっと、良い状況ではなかった。カーティスがだんだん追い詰められていったのは、そばにいてわかった。ある時、カーティスから銃口を向けられた。銃はわかるだろ?こっちの方がはるかに良いものが揃ってる」
コクンと、頷く。
銃は普通に生活している分には縁がないけど、それがどんな物かは知っている。
「向こうに流入したものなんか、旧式でかなり精度が悪いのに、俺に向けて容赦なく撃ってきて、弾が俺を掠めていった。それで、尋ねられたんだ。今、誰を想ったかって。俺にはお前は必要ないから誰かを想ったのなら、どうにかしてそこへ向かえと。さすがに二度目は死んだと思って……それで、戦場を離れた。カーティスの戦死は、向こうの大陸を離れる前に知った」
それを言いながら、今度は寂しそうに笑っていた。
「死ぬと思った時、お前の顔しか浮かんでこなかった。フィルマに会いたいと思った。俺の人生で唯一、大事にしたいと思った子なんだ。今は、どうやらさらに増えたみたいだが」
「私を、置き去りにしたくせに」
あの時のことを思い出して何度も泣いた夜は、絶対に無かったことにはしてあげない。
「もう、どこにも行かないから、お前のそばにいてもいいか?」
「そんなの、ダメって言えるわけないのにズルイ!!嘘つき!!」
「悪かった。もう、二度と嘘はつかない。誓う」
これ以上怒る言葉なんかたいしてなくて、うーっと、言葉にならない言葉を呻くしかなかった。
怒る以上に、嬉しくてたまらない。
セオドアが帰ってきてくれて、今、目の前にいるということがどれだけの奇跡か。
「俺は、またお前に救われた。膝を抱えて海を眺めていた時に、俺を始末するための追っ手が来た。けど、そいつが俺の横に座って言ったんだ。自分の妹は、フィルマに救われたと」
何のことかと、首を傾げる。
「お前、自分の妹を、ナデージュの脱出を助けただろ?」
それには覚えがある。
「王女の侍女がそいつの妹だったんだ。その時、妊娠もしていて国に帰って無事に出産したそうだ。だから、このまま大陸からも離れるのなら、何もしないと言われた。フィルマと子供に会いに行こうとしている時に、俺はもう、誰かの命を奪いたくなかったから、正直助かった。そいつに西大陸行きの船に乗る手助けまでしてもらったよ。お前の妹が、俺の船賃まで用意していたんだ。驚くだろ?」
そこにナデージュまで関わっていたのかと、確かに驚きはあった。
「お前は、いろんな奴の意味になっていた。もちろん、俺にとっても」
そこで言葉を止めたセオドアは、不安そうに私の表情を窺うように見た。
「俺は、お前のことを愛していると言ってもいいのか?」
「それって、聞くものなの?」
すごく大切で嬉しい言葉のはずなのに、そんなことを聞かれて、喜んでいいのかどうなのかわからなくなる。
「三年も妻子をほったらかした男の言うことじゃないだろ。まともな結婚でもなかったし、今さら父親面も……」
「エルーシアは、セオドアのことをすぐに好きになったって言ってた」
「そうか……」
そこは、嬉しそうにしていた。
さっき話していた二人の様子は、初対面とは思えないくらい親しげなものだった。
「その資格ができたら、ちゃんと言う」
「うん」
資格とは、セオドアがどうするつもりかはわからないけど、これからずっと一緒にいてくれるのなら、言葉よりもそれが嬉しい。
「人んちの庭先での痴話喧嘩は終わったのかい?」
声の方を向くと、エルーシアと並んでレーニシュ夫人が立っていた。
セオドアが手を差し出したから、その手を取って、立ち上がる。
「おばちゃま、チワ喧嘩って、何?」
「夫婦でする喧嘩さ。犬も食わないってね」
「夫婦?夫婦って?結婚してるってこと?」
エルーシアが、夫人と私達を交互に見ている。
首をブンブンと振って、そのたびにクルンとした銀色の髪が振り回されていた。
忙しく動き回っていた頭の動きは、最後にセオドアに視線を向けたところで止まった。
「パパなの?パパ帰ってきた!」
エルーシアは、目をまん丸に見開いて、両足を開いて両手をあげて、よくわからない体勢になった。
全身で嬉しいと表現しているのはわかる。
「名ばかりの旦那に言っておくけど、フィルマは子持ちでもモテるからね。生半可な謝罪なら、愛想尽かされてよその男の所に行ってしまうよ。それと、あたしはまだあんたの事を許してはないからね」
ふんっと、夫人は不機嫌な様子でセオドアに言い放った。
でもすぐにエルーシアの嬉しそうにしている顔を見ると、たちまち雰囲気を和らげていた。
「まぁ、いいさ。しばらくは様子を見てやるよ。ところであんたは、正規の手続きで入国したのかい?」
「いや」
「息子に相談するから、余計なことを考えるんじゃないよ。フィルマのそばにいたいなら大人しくしときな。エルーシアや、あんたのパパを家の中に案内しておやり」
「わかった、おばちゃま。パパこっちだよ!」
夫人はそれを伝えるとさっさと母屋の方に行ってしまい、当たり前のようにセオドアの手を引いたエルーシアは、早く早くとグイグイと引っ張って同じく母屋の中に連れて行こうとしたものだから、私も慌てて後を追っていた。
応接間で、私達家族三人と夫人で待つこと数十分。
夫人に呼び出されて応接間に入ってきたバナードさんは、母がいつも世話になっているねと私に声をかけてくれてから、セオドアを見た。
そして、いつもの生真面目な顔で言った。
「なるほど。では、君は騙されて船に乗せられて、半年間監禁されたうえに、見知らぬ港に放置されたんだな」
海軍所属、立派な地位の中佐は勝手に喋っていた。
つまり、そういうことにするみたいだ。
「しばらく彷徨い、やっと探し当てた妻の家、つまり母の家の前で倒れていたところを保護したと。わかった。そう、治安警察に伝える。移民申請もしておこう。これから三ヶ月ほどは監視がつくことになるから、その間の揉め事は全力で回避するように。困ったことがあれがすぐに私に言ってくれ。対処する。では、私はこれで」
「ありがとうございます。バナードさん」
バナードさんは私に微笑むと、お幸せにと告げて速やかにお仕事に戻っていった。
「さぁ、これで面倒なことは片付きそうだね。あたしは部屋で休むとするよ。フィルマ、あんたの旦那の部屋はあんたと一緒か隣の空き部屋を好きに使いな」
「はい。ありがとうございます」
夫人の退室を扉のところで見送って、パタンと閉まると、ソファーからピョンと飛び降りたエルーシアが、セオドアの正面に立った。
「パパ、抱っこして」
両手をあげて、満面の笑みで催促している。
愛しむような微笑みを浮かべたセオドアは、ごく自然な動作で娘を抱き上げる。
たったそれだけで、胸がいっぱいになった。
「ママ、泣いてる。大丈夫?」
セオドアごと近付いてきた小さな手が、私の頭に伸びてきてポンポンと撫でてくる。
今日はずっと涙腺が緩みっぱなしで、自分で上手く制御できそうにない。
「ママは大丈夫。パパが帰ってきて嬉しいの。ありがとう、エルーシア」
それを伝えると、えへへと、エルーシアも嬉しそうに笑っていた。
「セオドア」
これだけは絶対に言いたかった。
「おかえりなさい」
「ただいま」
やっと言えて、やっと聞けたのだと、エルーシアの幸せそうな顔がさらにその言葉を尊いものにしていた。
完。
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これで、完結となります。最後まで読んでいただきありがとうございました!エールもたくさん送っていただき、ありがとうございました。
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どうなってしまうのかと読み進めていましたが幸せになれて本当に良かった😭おめでとうおめでとうの気持ちでいっぱいです。素敵な作品をありがとうございます💕
一気に読んでしましました。面白かったです。