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29 セオドア(1)

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 自分が生まれた時のことなど、何も知らなかった。

 特殊な環境で育てられて、子供の頃から人殺しをさせられていた。

 気付いたらそんな環境だったから、そんなものだと思っていた。

 そして、さっさとどこかで野垂れ死ぬものだと思っていた。

 その日は、とある子供を救出するために俺も駆り出されていた。

 それがカーティスのことで、俺が12歳、カーティスが14歳の時のことだ。

 カーティスは、森に程近い公爵家の別荘に監禁されていた。

 脱出させる際に、カーティスを庇って怪我を負い、使い捨ての捨て駒の俺は、そこに置き去りにされていた。

 上半身を縦に裂かれた痛みに、意識は朦朧として、そんな時に、木々がガサガサと揺れたかと思うと、ひょっこりと顔を見せたのはフィルマだった。

 フィルマは、俺をジッと見てから、一度いなくなった。

 動けないなりに、発見されにくい場所に隠れたつもりだったのに、あんな子供に見つかってと、その時は思っていた。

 すぐに誰かを呼ばれて、俺は捕えられると思っていたが、また戻ってきたフィルマは一人だった。

「────っ!!!!」

 血に染まった服をめくったかと思うと、フィルマは俺の口に布を押し込んで、さらに傷口に布を押し当ててきた。

 その激痛に、叫び声を上げたくなったが、布を噛み締めて耐える。

 フィルマが戻ってきた時、色々な物を抱えていた。

 俺の口から布を一度取り出して、その一つ一つを俺に確認させるように見せた。

 最初から、俺を一人でどうにかするつもりだったようだ。

「酷いケガ。熱も出るから、これはちゃんとした薬。こっちは化膿止めで、こっちは熱冷ましと思うけど、おばあちゃんから教えてもらっただけで、文字はいっぱい読めない。あってるかな。おにいちゃん、読める?」

「ああ……間違ってはいない……お前みたいなのが……薬なんか買えないだろ……どうしたんだ……」

「盗ってきた」

 傷の手当てに使った清潔な布を用意するのも大変だっただろうに。

「いろんな人が、いろんな所でたくさん死んでて、今はお屋敷が大変なことになってるから、たくさん持ってこれた。飲み合わせと食べ合わせも、おばあちゃんから教えてもらっているから、大丈夫」

 いや、こんなガキの大丈夫ほど信用できないものはないだろ。

「これは、西の大陸から商人さんが持ってきたって言ってた。これも盗ってきた。傷口に貼ると、治りをよくしてくれるって。使ってみてもいい?」

 フィルマは傷口を覆えるほどの大きなシートのようなものを広げてみせた。

「……好きにしろ」

 このまま放置していたら、今日明日にでも取り返しのつかないことになって、さらに数日で死ぬだろうとは思っていた。

 だから、何をしても一緒だと。

 フィルマは再び口に布を押し込んでくると、容赦なく胸腹部にそれを貼り付けて、俺を悶絶させていた。

 貼り付けられた直後は随分と酷い痛みがあって、意識が一瞬飛んだ。

 脂汗を垂れ流しにして、呻き声を布を噛み締めて耐える。

 傷は浅くて内臓は傷ついてなかったが、とにかく斬り裂かれた範囲が左半身の胸から腰に渡っていたから。

 最初の夜は朦朧としていて、よく覚えていない。

 手を握られて、ヒンヤリとしたものでずっと首や脇を拭われて、時折り湿ったものが口にあてられていたのはなんとなく記憶にはあった。

 辛いのはその日だけだった。

 翌日になれば痛みは激減していた。

 体は言うことを聞かないが、意識はハッキリしていた。

 だから、気付いたことがあった。

「……お前、大丈夫なのか?」

 フィルマの顔には殴られた痕があった。

「大丈夫。平気。いつものことだから」

「お前は、そんな目に遭ってるのに、なんで人を助けようと思うんだ?」

 フィルマは、死んだような目をしている。

 死にかけの俺よりも酷いツラをしていた。

 ずっと俺はフードを深く被ったままで、フィルマに顔を見せなかった。

 フィルマも俺の素顔を知ろうとはしなかった。

 名前を名乗らず、俺にも聞こうとはしない。

「顔の形が変わったら困るとかで、手加減はされてる。何かをしてもしなくても、どうせ殴られるの。それなら、何か意味を……誰かの意味になりたくて……」

 もうそれ以上しゃべりたくはないと、俺の口の中にドロドロしたものが乗ったスプーンを突っ込んできた。

 怪我人を助けるつもりなら、もっと優しくしろと言いたい。

 俺の口の中に入れられたものは、多分、パン粥らしきものだ。

 柔らかくして食べやすくしたのだろう。

 味は不味い。

 泥よりはマシなレベルだ。

 何かがかろうじて食べられる味にしてくれていた。

 指先すら動かせない俺の口に、フィルマはスプーンを運び続ける。

「おばあちゃんに教えてもらった、栄養のある野草を混ぜてる。オオバもあったから少し入れたよ。血を作ってくれるって、おばあちゃん言ってた。美味しくないのはどうしようもできない」

 食べる物があるだけマシだ。

 文句なんか言うわけがない。

 ただ、ヤバいものが混ざってないかは心配で仕方がなかった。

「木箱の中から、あなたがあのおにいちゃんを庇って怪我をしたのを見てた」

 食事が終わると、俺の周りに虫除けだと草を並べながら喋りかけてきた。

 だから、追ってこれたのか。

 あの場で唯一生きていたのがこいつになる。

「それが、俺の役割だからだ」

 そういえば、他に子供はいなかったな。

「じゃあ、あなたはちゃんと誰かの意味になれたんだね」

「意味?」

 俺が問いかけても、フィルマはぼんやりとした様子で何かを考えていて、返事をしなかった。



 思えば、公爵家に連れてこられてから母親のことを聞かされたのなら、幼いなりにこの時からすでに色々と傷付いていたはずだ。

 自分を捨てた母親のことを考えていたのかもしれない。



 フィルマは最初の日から、夜は俺のそばを離れなかった。

 二日目は、熱が出た俺のそばにピッタリとくっついて寝て。

 抱き枕かヌイグルミと勘違いしているんじゃないかと思えるくらい、俺の腰あたりににしがみついて寝ていた。

 俺が動けないのをいいことに、安心しきって遠慮なく涎を付けてくれて、人肌を求めるように腹のあたりに手を突っ込んでくる。

 それ以上左に手が動かされると、傷の部分に到達して激痛を生むんじゃないかとヒヤヒヤしていた。

 拷問訓練より俺を怯えさせた。

 熱があるのに寒くて体が震えて、フィルマの体温が、どこかにいってしまいそうな俺の意識を引き戻す。

 これはいったい、何なんだ。

 懐かれているのか?

 俺はなんでこんな所で、一枚の毛布を共有して、こんな自分よりも幼い子供と一緒に寝ているんだ。

 フィルマはお気に入りの毛布だと、俺のところにそれを持ってきて、自分も一緒に包まっていた。

 毛布に触れる時、フィルマはほんの少しだけ幸せそうな顔を見せた。

 本当にお気に入りのものを、汚れるのも構わずにここに持ってきたようだ。

 俺の何がそんなに気に入ったのか。

 何もしていないだろ。むしろ、してもらって。

 逆か。

 何もできないから安心しているのか。

 木々の隙間から、夜空を見上げる。

 まだしばらく雨が降りそうにないのは幸いだった。

 訓練を受けていた頃も、こんなふうに地面に雑魚寝することが多かった。

 いつも警戒しなければならず、周りを気遣ったことなんかないのに。

「おばあちゃん……会いたい……」

 フィルマはいつも寝言で言っていた。

 寝ながら涙をボロボロこぼしていた。

 袖で涙を拭いてやる。

 涙を拭いて、毛布で背中までをしっかりと覆ってあげて、なんで俺は、こんなにこの子供を気遣っているんだと、自問自答した。

 生まれた時から親の存在を知らないし、俺は男だが、これが母性というやつに近い感情なのではないか。

 親鳥が雛鳥を庇護したくなるようなものか。

 今現在、下の世話までされているのは俺の方なのに。

「いったい、何なんだ……これは……」

 その声に反応したようにフィルマは身じろぎをして、スリスリと俺に額を擦り付けていた。






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