お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌

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せっかくのお出かけだったのに

 メルさんがおすすめしてくれたお店で、お腹いっぱいになってしまうのは必然のことだった。

 メニューのどれを見ても美味しそうで、結局一つに絞れなくて三種類のスイーツを頼んだ。

 メルさんはコーヒー一杯で、私が食べる様子をニコニコしながらずっと眺めていたけど、何がそんなに面白かったのかな。

 あっ……

 もしかして、顔に何か付いてる?

 生クリーム?

 ナプキンで口を押さえてみたけど、不安だ。

「あの、ちょっとだけ席を外します」

 椅子から立ち上がる。

 私が向かう場所を察したのか、メルさんは“ここで待ってるよ”と声をかけてくれた。

 目指す場所は、お店の奥まったところにある。

 そこの入り口から左手に入るとパウダールームがあった。

 鏡を見ようと数歩進むと、

「よぉ、アシーナ。伯爵様と上手くやっているようだな」

 突然背後から声をかけられて、体がびくりと強張った。

 振り向くと、予想の中でも最悪な人物がそこにいた。

 義理伯父の息子だ。

 数年ぶりに会う。

 私の後をつけていたのか、偶然見つけたのか、まさか女子トイレに入り込んでくるなんて。

 だらしなく伸ばしっぱなしになった髪が逆に女性に見えたのか、この男は身長も低いから、外套を着ていれば後ろ姿だけならわからないかもしれない。

「なぁ、アシーナ。俺たちはいまだに悲しんでいるんだ。お前のせいで、大好きな叔母が死んで」

 義母の甥が、目を赤く充血させて、近づいてきていた。

 お酒をかなり飲んでいるようだ。

 逃げないとと思うのに、足が動かない。

 大丈夫だと思っていたのに、恐怖に体がすくむ。

 お父様達が亡くなった直後は、義理の伯父一家は親身になるふりを装っていた。

 義母の死を一緒に悲しんでくれて、だから信用していた。

 でも、しだいに何をするにも許可がいるようになって、義母が死んだのは私のせいだと責められ、外出することも学校に行くこともできなくなって、私が塞ぎ込んでいるって、嘘までつかれて……

「お前のせいで、お前の母親は死んだんだよな?叔母も死なせたんだよな?俺たちの大切な家族を、お前が奪ったんだよな?俺たちは可哀想だよなぁ?」

 違うとわかっているのに、体が動かなくなる。

「それになぁ、アシーナ。お前のせいで、親父はブタ箱に入れられ死ぬまで奴隷扱いだ。その後、俺たちがどれだけ苦労したと思ってるんだ?」

 逆恨みもいいところだ。

 法廷で父親に逆らえなくて仕方なくって、嘘泣きまでしていたくせに。

 それを頭でちゃんと理解しているのに、ガタガタと恐怖で体が震える。

 声が、出ない。

 声を上げれば、お店にいる誰かがすぐに来てくれるのに、ひりついた喉が、声を出すことを拒んでいる。

 悲鳴を上げれば殴られた記憶が脳裏を占めて、それが無意識に見えない鎖で私を縛り上げる。

「お前だけにいい思いなんかさせるはずないだろ。なぁ、伯爵夫人様よぉ。腹ボテになった不倫女なんかどうなると思う?すぐにポイだろ」

 何をするつもりなのか、それが想像できて、バクバクと心臓が鳴り響き、浅い呼吸を何度も繰り返す。

 男が、さらに近付いてくる。

 嫌だ。怖い。頭の中で、その二つの言葉がずっと繰り返される。

 指先が触れる直前、助けてと願ったら、風が吹くように、目の前にいた男が真横に吹っ飛んでいった。

 私は右目の視力はほとんどない。

 だから、右側から人が来ても気付くのが遅れるから、本当に突然男が吹っ飛んでいったようにしか見えなかった。

 右側にある入り口に体ごと顔を向けると、まさに鬼の形相のメルさんが、殴りつけた拳を解いて、手を軽く振っているところだった。

「アシーナに触るな。穢らわしい」

 それからさらに大股で近付いて行き、床に伸びる男の胸ぐらを掴んで、底冷えのする声で囁く。

「アシーナの悲しみと罪悪感につけ込んで、アシーナの人生を滅茶苦茶にしたこと、赦されると思うなよ。彼女を辛い目に遭わせて、今再び、アシーナの前に現れたことを後悔させてやる。後でお前の右目をもらいに行くからな」

 体を離したところで、騒ぎを聞きつけた警備隊が駆けつけた。

「女子トイレに侵入した不審者だ。後で行くから、今は牢屋にぶち込んどいてくれ。逃せば、クラム伯爵家が責任を問う」

 男は、警備隊に拘束されると、喋る間も与えられずにすぐに連行されていった。

 あの男の姿が見えなくなってから、やっと私は緊張から解き放たれた。

「帰ろう、アシーナ。怖い思いをさせてごめん」

 メルさんのせいではないと言おうとする前に、ひょいと私を抱え上げたメルさんは、スタスタとお店の外に歩いていく。

 横抱きにされるとメルさんの顔がすぐ近くにあって、それに、いろんな人がいろんな表情で私達を見てて、恥ずかしくなって顔を手で覆っていた。

「私、重いのに、ごめんなさい、足が、動かなくて」

「君が重いだなんて、そんなことはない!僕は毎日重たい土を運んでいる。それに比べたら、君は木の葉のようだよ。領地で言ったことを気にしているのなら何度でも謝罪する。君が健康を取り戻したという意味で、ふっくらしたと言ったつもりだったんだ。君は今でも、もっと太っていいくらいだ。大丈夫。すぐそこに馬車が待ってるから」

 メルさんが言った通り、お店から出ると、すぐそばの通りに乗ってきた馬車が停まっていた。






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