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試練の時
私とメルさんが並んで座席に座ると、馬車が屋敷に向けて動き出す。
私はうつむいて、膝の上で両手を握り締めていた。
自分の中にある恐怖心と悔しさを落ち着かせる。
「アシーナ、手が傷付くから、少しだけ力を抜いてくれないかな」
手のひらに食い込む爪を心配してくれたのか、白くなるほど力を入れていた両手を開いて、膝の上に置いた。
「私……また言われっぱなしで、やられっぱなしで……何も言い返せないし、やり返せないし……足がすくんで」
「怖いのは当たり前だ。君はずっと洗脳下に置かれて、恐怖を植え付けられて、精神的に抵抗できないようにされていたのだから。無理に立ち向かう必要はない。怖がっていい。それが情けなくないって、君が僕に言ってくれたことだ。君はもう十分に怖いことと闘った。君が一人でこれ以上頑張らなくていいんだ。君の自由と権利と穏やかな日々は僕が守るよ。僕が守るから。僕からも守るから……」
膝に乗せた手はまだ、震えていた。
手だけじゃない。
でも、恐怖で震える体にメルさんのジャケットがかけられると、その上から抱きしめられる。
「不快だったら言って。君が怖がること、嫌がることは少しでもしたくはない」
不快どころか、トクントクンと、自分のものではない心音が聞こえると、不思議と心地よい。
寄りかかれる存在がいるということを、私に教えてくれている。
そのまま真っ直ぐに屋敷に戻ると、すぐにリゼに引き渡され、お風呂に連れて行かれて、エスメさんの手によって天国へと導かれることとなった。
「はふぁ~」
変な声を出す私を、遠慮なくふふっと笑ってくれるから、エスメさんにされるがままゆったりとくつろぐ時間を過ごせていた。
それから、夕食時のメルさんもことさら優しかったと思う。
だから、怖かった記憶は時間が過ぎる毎に、すぐに薄れていった。
いつまでも恐怖に怯えることはなく、むしろ、思ってもみなかった大胆な自分の行動に驚いたのは夜のことだ。
「君は今日、怖い思いをした。だから、今晩は君こそキティと一緒に寝た方がいいと思うんだ」
就寝時間になって、私の部屋を訪れたメルさんが言った。
昨夜のメルさんは、キティを部屋に迎えに来て、離れたあの寝室へと連れて行った。
「私は大丈夫です。メルキオールさんの症状がやっと落ち着いてきているのに、また怖い夢を見たら、そっちの方が嫌です」
「僕は平気だ」
メルさんは譲りそうになかった。
それならばと、
「では、一緒に寝ましょう」
「え?」
何を言っているんだと、ポカンと口を開けて私を見ている。
自分で言うのも恥ずかしいことではあったのだけど、
「伯爵夫妻用の寝室のベッドは大きいです。キティを真ん中にして、その両サイドで私達は眠ったらいいのではないでしょうか?」
「いや、でも……」
「大丈夫です。私はメルキオールさんを信頼していますから」
私相手にメルキオールさんが何かをするとは考えられない。
「それもなんだか……いや、その通りだ。君の信頼に足る僕であるよ。君がいいと言うのなら、お願いする。キティ、今晩もよろしくね。それから、君のご主人様を守ってくれ」
抱き上げられてみょ~んと伸びているキティに、神妙な顔でメルさんが話しかけている。
ほんのちょっとだけドキドキしていたのだけど、そのまま二人と一匹で隣の寝室に移動し、ベッドに入ってしまえば、拍子抜けするほど何もないものだった。
それは当たり前のことなのだけど。
「おやすみ、アシーナ」
パッと灯りが消されると、急な暗闇に何も見えなくなる。
向こう側の端でメルさんが横になる気配がわかると、私も同じように横になった。
「おやすみなさい。メルキオールさん」
少し前まで暗闇は怖かった。
でも今は、メルさんの気配が感じられるのは安心するし、キティが私の肩のあたりにピッタリくっついてくれたので、怖いことなんか何も思い出さずに眠ることができた。
キティがいつの間にかメルさんの胸の上で寝ていて、うなされているメルさんを大急ぎで起こしたのは、熟睡から目覚めた朝のことであった。
私はうつむいて、膝の上で両手を握り締めていた。
自分の中にある恐怖心と悔しさを落ち着かせる。
「アシーナ、手が傷付くから、少しだけ力を抜いてくれないかな」
手のひらに食い込む爪を心配してくれたのか、白くなるほど力を入れていた両手を開いて、膝の上に置いた。
「私……また言われっぱなしで、やられっぱなしで……何も言い返せないし、やり返せないし……足がすくんで」
「怖いのは当たり前だ。君はずっと洗脳下に置かれて、恐怖を植え付けられて、精神的に抵抗できないようにされていたのだから。無理に立ち向かう必要はない。怖がっていい。それが情けなくないって、君が僕に言ってくれたことだ。君はもう十分に怖いことと闘った。君が一人でこれ以上頑張らなくていいんだ。君の自由と権利と穏やかな日々は僕が守るよ。僕が守るから。僕からも守るから……」
膝に乗せた手はまだ、震えていた。
手だけじゃない。
でも、恐怖で震える体にメルさんのジャケットがかけられると、その上から抱きしめられる。
「不快だったら言って。君が怖がること、嫌がることは少しでもしたくはない」
不快どころか、トクントクンと、自分のものではない心音が聞こえると、不思議と心地よい。
寄りかかれる存在がいるということを、私に教えてくれている。
そのまま真っ直ぐに屋敷に戻ると、すぐにリゼに引き渡され、お風呂に連れて行かれて、エスメさんの手によって天国へと導かれることとなった。
「はふぁ~」
変な声を出す私を、遠慮なくふふっと笑ってくれるから、エスメさんにされるがままゆったりとくつろぐ時間を過ごせていた。
それから、夕食時のメルさんもことさら優しかったと思う。
だから、怖かった記憶は時間が過ぎる毎に、すぐに薄れていった。
いつまでも恐怖に怯えることはなく、むしろ、思ってもみなかった大胆な自分の行動に驚いたのは夜のことだ。
「君は今日、怖い思いをした。だから、今晩は君こそキティと一緒に寝た方がいいと思うんだ」
就寝時間になって、私の部屋を訪れたメルさんが言った。
昨夜のメルさんは、キティを部屋に迎えに来て、離れたあの寝室へと連れて行った。
「私は大丈夫です。メルキオールさんの症状がやっと落ち着いてきているのに、また怖い夢を見たら、そっちの方が嫌です」
「僕は平気だ」
メルさんは譲りそうになかった。
それならばと、
「では、一緒に寝ましょう」
「え?」
何を言っているんだと、ポカンと口を開けて私を見ている。
自分で言うのも恥ずかしいことではあったのだけど、
「伯爵夫妻用の寝室のベッドは大きいです。キティを真ん中にして、その両サイドで私達は眠ったらいいのではないでしょうか?」
「いや、でも……」
「大丈夫です。私はメルキオールさんを信頼していますから」
私相手にメルキオールさんが何かをするとは考えられない。
「それもなんだか……いや、その通りだ。君の信頼に足る僕であるよ。君がいいと言うのなら、お願いする。キティ、今晩もよろしくね。それから、君のご主人様を守ってくれ」
抱き上げられてみょ~んと伸びているキティに、神妙な顔でメルさんが話しかけている。
ほんのちょっとだけドキドキしていたのだけど、そのまま二人と一匹で隣の寝室に移動し、ベッドに入ってしまえば、拍子抜けするほど何もないものだった。
それは当たり前のことなのだけど。
「おやすみ、アシーナ」
パッと灯りが消されると、急な暗闇に何も見えなくなる。
向こう側の端でメルさんが横になる気配がわかると、私も同じように横になった。
「おやすみなさい。メルキオールさん」
少し前まで暗闇は怖かった。
でも今は、メルさんの気配が感じられるのは安心するし、キティが私の肩のあたりにピッタリくっついてくれたので、怖いことなんか何も思い出さずに眠ることができた。
キティがいつの間にかメルさんの胸の上で寝ていて、うなされているメルさんを大急ぎで起こしたのは、熟睡から目覚めた朝のことであった。
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