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第一章 遭遇
第十五話 北都へ
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ん、なんだ? 体が前後に揺さぶられた。いや、床が大きく揺れているのか。僕はその揺れで目を覚ました。
とても悲しい夢を見ていた気がする。胸が締めつけられるように苦しかった。
ゆっくりと上半身を起こす。狭くて細長い部屋に多くの人達が詰め込まれていた。
「ここはどこだ……。ああ、そうか列車か」
いったいどのくらい寝ていたのだろう。しかしやけに車内がざわついているな。
半分ほどの乗客が立ちあがって壁に張りついていた。後から見ると滑稽な姿だった。車両の壁に等間隔で設置されている小窓から外を見ているのだろう。何やら、うわ言のように呟いていた。
床に座っている乗客もおかしかった。頭を抱え込んで体を震わせて呻く者。我が子を胸に抱きしめ、固く目を瞑る母親。眠りにつく前とは明らかに異なる雰囲気だ。
なんだよ、嫌な予感しかしないな。外を確認しようと立ち上がり、近くの窓へと近づく。すでにエリカと秀人が外の様子を窺っていた。
「おい、何が起きているんだ。いまどの辺りだ」
「ああ、翔くん。よくこんな状況で寝ていられたね」
「だからどんな状況だよ」
「今は旭日前線基地の近くだよ。どうやら基地がシェイドに襲われているらしい」
「まじか、またかよ……」
「いまのところ、重火器類でなんとか応戦できているみたい」
「ほんとに今日はどんな厄日だっていうんだよ」
外の暗闇に赤い閃光が時折走る。その都度、列車がわずかに振動する。
ドーンと一際大きな音。列車が強く軋んだ。
「うわっ、眩しい」
「あれは……。閃光弾だね」
上空で炸裂した砲弾が周囲を明るく照らした。
「なんて数だ」
「レベルも脅威度もそれほど高くないのが僅かな救いかな」
闇のなかで蠢めくシェイド。暗すぎてよくわからなかったが、上空から照らすことで全貌が掴めた。
背中に黒の縞模様。根元から三本に分かれた尻尾。巨大な二足歩行の動物だった。それらが視界を埋め尽くしていた。
「なんかクーをデカくしたような感じだな。い、痛っ!」
クーが胸元に噛みついたようだ。こちらを非難がましく見上げていた。
「そうだよな。クーとは全然違うな。クーはあんなグロテスクじゃないし黒くもない。可愛い相棒だ」
そう言ってクーの頭を撫でようとしたが、また噛まれてしまった。どうしよう機嫌がどんどん悪化していく。
轟音と振動が激しくなる。位置が明らかとなった的に対し次々と砲撃が着弾していく。
暫くすると砲弾が鳴り止んだ。砲撃していた地点に左右から赤い光が集まっていく。二十は超えそうだ。列車側からも、幾つか光が飛んで行った。
「もしかして、あの光はセイビーか」
「そう。あれはセイビーの手足についているノズルの光だよ」
「凄い数だな」
「多分、大隊を一つ丸々投入しているんじゃないかな」
どうやら、彼らは仕留め損なったシェイドを掃討しに行ったようだ。窓の外で無数の赤い光が闇夜に軌跡を描く。
「くそー、こんなに暗いと画像が残らない。暗視機能もつけてくれれば良いのに」
この状況で何を呑気なことを言っているんだ。呆れてしまった。
「おい、エリカ。おまえ、ほんとうに大丈夫か?」
僕はギョッとした。エリカが血走った瞳で外を凝視していたのだ。
「自分が、無力で、歯がゆい」
彼女は窓から視点をずらさない。拳を強く握りしめ、そう吐露した。
「この窮地で何も役に立てないのは俺も同じだよ」
数分ほどすると、赤い光点の集合が先ほどと逆に散開した。
列車が再び軋みだした。
「また始まったな」
「今度は、別の場所だね。あそこにも群れがいるんだろうね」
幾重もの閃光が一か所に集中する。
「今はただ、徹さんの、セイビーの無事を祈ろうぜ」
僕にはそれしか言えなかった。
暫くすると砲撃音や暗闇に走る光が小さくなっていった。
「どうやら、戦闘地帯を抜けたようだね」
「何事も無くて良かったよ」
「ここまで来れば、あと少しで北都だよ」
「おお、とうとう着くのか」
乗客たちも窓から離れ、床に座りだした。その表情には安堵が広がっていた。安全が保障された街への避難。ここにきてやっと、それが現実味を帯びてきたからであった。
約一時間後、列車はゆっくりと減速し、停止した。
「お、着いたのか? それにしては……」
「真っ暗」
エリカも怪訝そうだ。
「だよな。都市っていう位だから、もっと明るいんじゃないのか?」
「ううん。どうも、都市の外で停車しているみたいだいだね」
なぜ北都に入らないのか。周りの乗客がざわつき始める。そんな車内に女性のアナウンスが流れた。あんなのあったっけ。天井を見あげるとスピーカーがついていた。
『乗客の皆様にご連絡いたします。大変ご不便をお掛けすることになり誠に恐縮ですが、当列車は北都外周エリアにて夜が明けるまで一時待機することになります』
「は! なんでだよ」
「いいから、翔くん、静かに」
『明朝、担当部署にて入都に係る審査を受けて頂きます。審査の結果に基づき、皆さまの処遇が決まりますのでご了承願います。寒い車内でお過ごしになるのはお体に触るでしょうし、空腹の方もいらっしゃるかと存じます。これから係員によって小型ストーブと食事の配給をいたします。また、体調が悪い方がいらっしゃいましたら、軍医が診て周りますので係員にご申告ください。簡易トイレも車両間に設置します。それでは、もう暫くの間、御辛抱賜りますようお願いいたします』
そう締めくくってアナウンスが途切れた。処遇に納得のいかない乗客から、ふざけるなという罵声や不満が漏れだす。当然だよな。皆、故郷の街からここまでの間、いつシェイドに襲われるかという恐怖に常時さらされてきたのだ。
もう我慢の限界だった。乗客の一部は放送を無視した。徒歩ででも北都に駆け込もうと列車の扉へと駆け寄る。こじ開けて列車の外へと出ようとしたのだ。しかし、乗客が扉を開けるよりも早く外から扉が開かれた。
格好のチャンスだったが、外へ飛び出そうとした人達は扉の前で固まってしまった。
「おいおい……。そりゃないだろ」
列車の外から車内に向かって無数の銃口が向いていた。列車を囲むようにして整列する、兵士。カーキ色の軍用外套とヘルメット、そして黒色の防毒マスクを着用している。
彼らは皆、その手に自動小銃を携えていた。緊迫する雰囲気に息がつまる。
『皆様、落ち着いてください。明朝までのご辛抱です』
タイミングよく車内アナウンスが再び流れる。
『ここは、すでに北都の防衛圏内です。シェイドに襲われることはございませんので、ご安心ください。無断で列車外へ降車されますと、都市治安維持条例に基づき強制排除の対象となります。くれぐれも列車外へ飛び出ないようにしてください』
「なんか、手慣れているな」
「多分、北都に避難民を受け入れる際には良く起きる騒動なんだろうね」
対応はすでにマニュアル化されているようだ。怒りの矛先を無くし苛立つ乗客。幸いにも条例の真偽を確かめるべく、無謀な挑戦をするような愚か者はいなかった。
程なくして、大きなカートとともに数人の若い女性係員が乗り込んで来た。兵士が一緒なのは係員を乗客から警護するのが目的なのだろう
「おい、エリカ。口元っ!」
「あ……」
エリカは恥ずかしそうに口元を拭う。銀色のカートから食欲をそそる匂いが広がっていた。
「皆さま、大変お待たせいたしました。これから、お食事とお飲み物をご提供いたします」
どうせ大したものじゃないだろうが。久しぶりの飯はありがたい。
「料理は三種類のプレートから一つお選び頂けます。肉の料理は二種類。牛肉か羊肉となります」
に、肉だと! しかも選べるのか。
「魚は白身魚のムニエルです」
む、ムニエルってなんだよ!
「お選び頂いた料理に塩おにぎりが二つと豚汁が付きます。お飲み物は緑茶かオレンジジュース、もしくはお水となります」
車内がざわつく。そりゃそうだ。こんな豪勢なメニュー、故郷の街では聞いたことがないぞ。
女性搭乗員が乗客のリクエストに応じて次々と食事を配給していく。
牛肉のプレートは霜が適度に降られたステーキ。箸で食べやすいように切り分けられている。その上に玉ねぎと赤ワイン仕立てのソースがふんだんに掛けられている。付け合わせはニンジンのグラッセとマッシュポテト。
羊肉のプレートはハーブとスパイスたっぷりの骨付き羊のステーキ。付け合わせは牛肉と同じだ。
魚のプレートはヒメマスとホタテのムニエルでバターとハーブの香りが食欲をそそる。
「ど、ど、ど、どうしよう」
僕は軍用列車に乗って以来一番のパニックに陥っていた。
「こんなご馳走、見たこともないぞ。牛肉も羊肉も食べたことない。でも、魚も美味そうだ」
「選ぶの難しいよね」
「駄目だ……。俺には決められない」
究極の選択ともいえる状況に苦悩する。
「わたし、全部食べたい。三人で、シェアしよ」
「そ、それだ!」
エリカの提案は、まさに天啓。異論があるはずもない。三人はそれぞれ違う料理を注文し、三等分して分け合うことにした。
寒さと空腹のなか故郷でも食べたことのない暖かなご馳走。ボリューム感も満点だった。乗客は無言で食事にかぶりつき始める。
「あー早く、こっちに来ないかな。待ち遠しい」
「暴徒化すると手がつけられない大人を優先しているみたいだね」
「老人や子供のような弱者は、後回しか」
「なんか、やり方が姑息だな」
「でも、その目論見は成功しているようだね……」
腹が満たされるにつれ、先程までの暴発寸前だった苛立ちや不満が一気に解消された。現金なものだ。毎日このようなご馳走にありつけるのなら暫くここに泊まろうか。そう言いだす大人たちもいた。
「あぁ、暖かくて、安らぐ……」
熱々の豚汁に口をつけ、秀人はしみじみとそう呟く。皆の気持ちを代弁していた。
「そうだな。なんか生きているって感じがする」
空腹の胃に素晴らしい出来栄えの料理が沁みわたる。恐怖が遠ざかったという安堵感もある。僕は目を拭う。気づかないうちに涙が出ていた。乗客たちも、あちこちで鼻をすすっていた。今日一番の至福の時を、僕らはゆっくりと噛みしめた。
「はぁ、美味い……。しかし、この食器なんかやけに軽くないか」
プレートを片手に僕は首を傾げる。通常この大きさだと片手で持てる重さではないはずだ。スプーンも、箸も軽い。そして全てが薄く緑がかった白い食器だった。
「そうだね。ガラスでも陶器でもないよね」
「だよなー。力を籠めると僅かに歪むけど、すぐ元に戻るんだよな」
「あっ! それより翔くん、クーちゃんが!」
円らな瞳が抗議の視線で、こちらを射抜いていた。あ、やべっ。
「ご、ごめん! クーのことすっかり忘れてた」
二本の尻尾は完全に逆立っている。まずいな怒らせたのは今日何回目だろう。
「悪かったって、だからそんな目でこっちを見るなよ!」
慌てて残っていた豚汁を全てクーに渡した。もう少し食べたかったがここは諦めよう。クーは嬉々としてそれを舐め始めた。おお、尻尾が柔らかく揺れはじめた。良かった。どうやら機嫌は直ったようだ。
「クーちゃんってほんと変わっているよね。僕、すごく興味あるな」
エゾリスのフォルムをしているが、明らかに異質な動物。知識欲の塊の秀人の琴線に触れたようだ。
クーはその言葉にビクッと体を震わせる。顔を上げると牙を剥いて秀人を威嚇した。
「おいヒデ止めろよ。せっかく機嫌が直ったんだから」
「わ、わかったよ。また今度にするよ」
食事を終えた頃。係員が車内にふたたび顔をだす。料理を片付け毛布を配給し始めた。乗客一人あたり二枚の毛布。どうやら一枚は床に敷き、もう一方を掛け布団に使えということのようだ。
「なぁ、ヒデ。あの兵士が中央に置いた丸いのは何だ?」
「あれは北都でよく使用されるポータブルエアコンだよ」
「なんだそれ?」
「達磨ストーブのような煙は出ないから煙突も必要ないんだ。小型だけど部屋全体を好きな温度に調節できるらしいよ」
これまでの常識とあまりにかけ離れていた暖房器具だった。確かに室内はすぐに暖かくなった。やはり、北都の文明は僕らの街とはかけ離れているようだ。
「実はこれもSコアから発明された生活器具の一つなんだ――」
秀人が何か解説しているがよくわからない。というか、もう寝たかった。横になり毛布に身を包む。寝る前に周りの状況を確認する。秀人は座ってまだ何かぶつぶつと言っていた。横になっていたエリカと目が合った。強い眼差でこっちを見つめていた。
「どうした?」
不審に思って声をかけたが何でもないと返された。よくわからないけど、まあいいか。僕は毛布を頭に被る。普段使っていた毛布とは肌触りが別物だった。満腹感と心地よい暖かさに包まれる。疲れていたこともあって、僕はすぐに意識を手放した。
「私の、大事な、最後の家族。絶対、守る。あの時の約束――」
エリカのその誓いは、僕の耳にはすでに届いていなかった。
とても悲しい夢を見ていた気がする。胸が締めつけられるように苦しかった。
ゆっくりと上半身を起こす。狭くて細長い部屋に多くの人達が詰め込まれていた。
「ここはどこだ……。ああ、そうか列車か」
いったいどのくらい寝ていたのだろう。しかしやけに車内がざわついているな。
半分ほどの乗客が立ちあがって壁に張りついていた。後から見ると滑稽な姿だった。車両の壁に等間隔で設置されている小窓から外を見ているのだろう。何やら、うわ言のように呟いていた。
床に座っている乗客もおかしかった。頭を抱え込んで体を震わせて呻く者。我が子を胸に抱きしめ、固く目を瞑る母親。眠りにつく前とは明らかに異なる雰囲気だ。
なんだよ、嫌な予感しかしないな。外を確認しようと立ち上がり、近くの窓へと近づく。すでにエリカと秀人が外の様子を窺っていた。
「おい、何が起きているんだ。いまどの辺りだ」
「ああ、翔くん。よくこんな状況で寝ていられたね」
「だからどんな状況だよ」
「今は旭日前線基地の近くだよ。どうやら基地がシェイドに襲われているらしい」
「まじか、またかよ……」
「いまのところ、重火器類でなんとか応戦できているみたい」
「ほんとに今日はどんな厄日だっていうんだよ」
外の暗闇に赤い閃光が時折走る。その都度、列車がわずかに振動する。
ドーンと一際大きな音。列車が強く軋んだ。
「うわっ、眩しい」
「あれは……。閃光弾だね」
上空で炸裂した砲弾が周囲を明るく照らした。
「なんて数だ」
「レベルも脅威度もそれほど高くないのが僅かな救いかな」
闇のなかで蠢めくシェイド。暗すぎてよくわからなかったが、上空から照らすことで全貌が掴めた。
背中に黒の縞模様。根元から三本に分かれた尻尾。巨大な二足歩行の動物だった。それらが視界を埋め尽くしていた。
「なんかクーをデカくしたような感じだな。い、痛っ!」
クーが胸元に噛みついたようだ。こちらを非難がましく見上げていた。
「そうだよな。クーとは全然違うな。クーはあんなグロテスクじゃないし黒くもない。可愛い相棒だ」
そう言ってクーの頭を撫でようとしたが、また噛まれてしまった。どうしよう機嫌がどんどん悪化していく。
轟音と振動が激しくなる。位置が明らかとなった的に対し次々と砲撃が着弾していく。
暫くすると砲弾が鳴り止んだ。砲撃していた地点に左右から赤い光が集まっていく。二十は超えそうだ。列車側からも、幾つか光が飛んで行った。
「もしかして、あの光はセイビーか」
「そう。あれはセイビーの手足についているノズルの光だよ」
「凄い数だな」
「多分、大隊を一つ丸々投入しているんじゃないかな」
どうやら、彼らは仕留め損なったシェイドを掃討しに行ったようだ。窓の外で無数の赤い光が闇夜に軌跡を描く。
「くそー、こんなに暗いと画像が残らない。暗視機能もつけてくれれば良いのに」
この状況で何を呑気なことを言っているんだ。呆れてしまった。
「おい、エリカ。おまえ、ほんとうに大丈夫か?」
僕はギョッとした。エリカが血走った瞳で外を凝視していたのだ。
「自分が、無力で、歯がゆい」
彼女は窓から視点をずらさない。拳を強く握りしめ、そう吐露した。
「この窮地で何も役に立てないのは俺も同じだよ」
数分ほどすると、赤い光点の集合が先ほどと逆に散開した。
列車が再び軋みだした。
「また始まったな」
「今度は、別の場所だね。あそこにも群れがいるんだろうね」
幾重もの閃光が一か所に集中する。
「今はただ、徹さんの、セイビーの無事を祈ろうぜ」
僕にはそれしか言えなかった。
暫くすると砲撃音や暗闇に走る光が小さくなっていった。
「どうやら、戦闘地帯を抜けたようだね」
「何事も無くて良かったよ」
「ここまで来れば、あと少しで北都だよ」
「おお、とうとう着くのか」
乗客たちも窓から離れ、床に座りだした。その表情には安堵が広がっていた。安全が保障された街への避難。ここにきてやっと、それが現実味を帯びてきたからであった。
約一時間後、列車はゆっくりと減速し、停止した。
「お、着いたのか? それにしては……」
「真っ暗」
エリカも怪訝そうだ。
「だよな。都市っていう位だから、もっと明るいんじゃないのか?」
「ううん。どうも、都市の外で停車しているみたいだいだね」
なぜ北都に入らないのか。周りの乗客がざわつき始める。そんな車内に女性のアナウンスが流れた。あんなのあったっけ。天井を見あげるとスピーカーがついていた。
『乗客の皆様にご連絡いたします。大変ご不便をお掛けすることになり誠に恐縮ですが、当列車は北都外周エリアにて夜が明けるまで一時待機することになります』
「は! なんでだよ」
「いいから、翔くん、静かに」
『明朝、担当部署にて入都に係る審査を受けて頂きます。審査の結果に基づき、皆さまの処遇が決まりますのでご了承願います。寒い車内でお過ごしになるのはお体に触るでしょうし、空腹の方もいらっしゃるかと存じます。これから係員によって小型ストーブと食事の配給をいたします。また、体調が悪い方がいらっしゃいましたら、軍医が診て周りますので係員にご申告ください。簡易トイレも車両間に設置します。それでは、もう暫くの間、御辛抱賜りますようお願いいたします』
そう締めくくってアナウンスが途切れた。処遇に納得のいかない乗客から、ふざけるなという罵声や不満が漏れだす。当然だよな。皆、故郷の街からここまでの間、いつシェイドに襲われるかという恐怖に常時さらされてきたのだ。
もう我慢の限界だった。乗客の一部は放送を無視した。徒歩ででも北都に駆け込もうと列車の扉へと駆け寄る。こじ開けて列車の外へと出ようとしたのだ。しかし、乗客が扉を開けるよりも早く外から扉が開かれた。
格好のチャンスだったが、外へ飛び出そうとした人達は扉の前で固まってしまった。
「おいおい……。そりゃないだろ」
列車の外から車内に向かって無数の銃口が向いていた。列車を囲むようにして整列する、兵士。カーキ色の軍用外套とヘルメット、そして黒色の防毒マスクを着用している。
彼らは皆、その手に自動小銃を携えていた。緊迫する雰囲気に息がつまる。
『皆様、落ち着いてください。明朝までのご辛抱です』
タイミングよく車内アナウンスが再び流れる。
『ここは、すでに北都の防衛圏内です。シェイドに襲われることはございませんので、ご安心ください。無断で列車外へ降車されますと、都市治安維持条例に基づき強制排除の対象となります。くれぐれも列車外へ飛び出ないようにしてください』
「なんか、手慣れているな」
「多分、北都に避難民を受け入れる際には良く起きる騒動なんだろうね」
対応はすでにマニュアル化されているようだ。怒りの矛先を無くし苛立つ乗客。幸いにも条例の真偽を確かめるべく、無謀な挑戦をするような愚か者はいなかった。
程なくして、大きなカートとともに数人の若い女性係員が乗り込んで来た。兵士が一緒なのは係員を乗客から警護するのが目的なのだろう
「おい、エリカ。口元っ!」
「あ……」
エリカは恥ずかしそうに口元を拭う。銀色のカートから食欲をそそる匂いが広がっていた。
「皆さま、大変お待たせいたしました。これから、お食事とお飲み物をご提供いたします」
どうせ大したものじゃないだろうが。久しぶりの飯はありがたい。
「料理は三種類のプレートから一つお選び頂けます。肉の料理は二種類。牛肉か羊肉となります」
に、肉だと! しかも選べるのか。
「魚は白身魚のムニエルです」
む、ムニエルってなんだよ!
「お選び頂いた料理に塩おにぎりが二つと豚汁が付きます。お飲み物は緑茶かオレンジジュース、もしくはお水となります」
車内がざわつく。そりゃそうだ。こんな豪勢なメニュー、故郷の街では聞いたことがないぞ。
女性搭乗員が乗客のリクエストに応じて次々と食事を配給していく。
牛肉のプレートは霜が適度に降られたステーキ。箸で食べやすいように切り分けられている。その上に玉ねぎと赤ワイン仕立てのソースがふんだんに掛けられている。付け合わせはニンジンのグラッセとマッシュポテト。
羊肉のプレートはハーブとスパイスたっぷりの骨付き羊のステーキ。付け合わせは牛肉と同じだ。
魚のプレートはヒメマスとホタテのムニエルでバターとハーブの香りが食欲をそそる。
「ど、ど、ど、どうしよう」
僕は軍用列車に乗って以来一番のパニックに陥っていた。
「こんなご馳走、見たこともないぞ。牛肉も羊肉も食べたことない。でも、魚も美味そうだ」
「選ぶの難しいよね」
「駄目だ……。俺には決められない」
究極の選択ともいえる状況に苦悩する。
「わたし、全部食べたい。三人で、シェアしよ」
「そ、それだ!」
エリカの提案は、まさに天啓。異論があるはずもない。三人はそれぞれ違う料理を注文し、三等分して分け合うことにした。
寒さと空腹のなか故郷でも食べたことのない暖かなご馳走。ボリューム感も満点だった。乗客は無言で食事にかぶりつき始める。
「あー早く、こっちに来ないかな。待ち遠しい」
「暴徒化すると手がつけられない大人を優先しているみたいだね」
「老人や子供のような弱者は、後回しか」
「なんか、やり方が姑息だな」
「でも、その目論見は成功しているようだね……」
腹が満たされるにつれ、先程までの暴発寸前だった苛立ちや不満が一気に解消された。現金なものだ。毎日このようなご馳走にありつけるのなら暫くここに泊まろうか。そう言いだす大人たちもいた。
「あぁ、暖かくて、安らぐ……」
熱々の豚汁に口をつけ、秀人はしみじみとそう呟く。皆の気持ちを代弁していた。
「そうだな。なんか生きているって感じがする」
空腹の胃に素晴らしい出来栄えの料理が沁みわたる。恐怖が遠ざかったという安堵感もある。僕は目を拭う。気づかないうちに涙が出ていた。乗客たちも、あちこちで鼻をすすっていた。今日一番の至福の時を、僕らはゆっくりと噛みしめた。
「はぁ、美味い……。しかし、この食器なんかやけに軽くないか」
プレートを片手に僕は首を傾げる。通常この大きさだと片手で持てる重さではないはずだ。スプーンも、箸も軽い。そして全てが薄く緑がかった白い食器だった。
「そうだね。ガラスでも陶器でもないよね」
「だよなー。力を籠めると僅かに歪むけど、すぐ元に戻るんだよな」
「あっ! それより翔くん、クーちゃんが!」
円らな瞳が抗議の視線で、こちらを射抜いていた。あ、やべっ。
「ご、ごめん! クーのことすっかり忘れてた」
二本の尻尾は完全に逆立っている。まずいな怒らせたのは今日何回目だろう。
「悪かったって、だからそんな目でこっちを見るなよ!」
慌てて残っていた豚汁を全てクーに渡した。もう少し食べたかったがここは諦めよう。クーは嬉々としてそれを舐め始めた。おお、尻尾が柔らかく揺れはじめた。良かった。どうやら機嫌は直ったようだ。
「クーちゃんってほんと変わっているよね。僕、すごく興味あるな」
エゾリスのフォルムをしているが、明らかに異質な動物。知識欲の塊の秀人の琴線に触れたようだ。
クーはその言葉にビクッと体を震わせる。顔を上げると牙を剥いて秀人を威嚇した。
「おいヒデ止めろよ。せっかく機嫌が直ったんだから」
「わ、わかったよ。また今度にするよ」
食事を終えた頃。係員が車内にふたたび顔をだす。料理を片付け毛布を配給し始めた。乗客一人あたり二枚の毛布。どうやら一枚は床に敷き、もう一方を掛け布団に使えということのようだ。
「なぁ、ヒデ。あの兵士が中央に置いた丸いのは何だ?」
「あれは北都でよく使用されるポータブルエアコンだよ」
「なんだそれ?」
「達磨ストーブのような煙は出ないから煙突も必要ないんだ。小型だけど部屋全体を好きな温度に調節できるらしいよ」
これまでの常識とあまりにかけ離れていた暖房器具だった。確かに室内はすぐに暖かくなった。やはり、北都の文明は僕らの街とはかけ離れているようだ。
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