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星の祝福をあなたに
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思えば何もない人生だった。幼いころから入院と退院の繰り返し、やっと学校へ行けるようになった。やっと外へ出られるようになった。そう思ったのも束の間。気づけばまた病院のベットの上へ後戻りしている。思い出のような思い出などは当然ない。記憶に残っているものと言えば病室の白い天井と窓から見える星空だけだ。星空も自宅の近くの自然公園まで行けばもっと多くの星々をより鮮明に目にすることができるのだろう。ただ僕にそんな自由はない。あったとしてもそれができるような力は僕にはもう無かった。
いつからだろうか、そんな何も無く、何も出来ない、ただ生きている人生を受け入れてしまっている自分がいた。諦めてしまったという方が正しいのかもしれない。「あなたは病気なのだから仕方ない」「生きているだけでありがたい」といった言葉を受け入れ続けいつしかそういうものだと割り切るようになってしまった。最初からあれがしたい、これがしたいとやりたいことがなかった訳では無い。遊園地、水族館、プール、海、山とあげればキリがない程行きたい場所はあった。サッカーがしたい、かけっこがしたい、ドッヂボールがしたい、とやりたいことも沢山あった。けれどその想いは全て心の中にしまい込んで果てには消えてしまった。当時まだ幼い少年だったとはいえ、周りのおかげで自分が生きていることは理解していたし、これ以上迷惑をかけるべきではないというのも理解していた。あの年齢にしては物分りのいい利口な子供だったと思う。ただ子供らしさというものはその時にはもう失っていたのだろう。そうして同時に夢、希望、果てには自分自身の想いも何もかも失ってしまったのだろう。
ある時を境に僕はもう何も感じなくなっていった。あんなに辛かったリハビリも、薬の副作用による苦しみも、何も出来ずただベットの上にいる空虚な日々も。全て何も感じなかった。それでも人間の本能なのか、あるいはまだ残っていた自分自身の感情からか。定期的にこの生きているようで死んでいる日々が嫌になり辛くなり、そして明日花びらを散らす桜のように、赤く色付く紅葉のように、自分自身の命がすっと散ってしまうかのように感じられた。今この瞬間だってこのような感情が脳内で渦を巻いている。いつもならば数時間、長くても1日2日経てばこのような感情は消え何も感じなくなるのだが今回はわけが違った。というのも昨日でほとんど全ての治療が打ち切られたからだ。これ以上治療を続けていたところで治る見込みがない。その上このままだと病そのものの進行と治療の副作用により身体が傷つき続けるだけ。現在の治療法より効果的な方法が見つからない以上、治療は再開しないとの事らしい。治療を打ち切ったからと言って直ぐに死んでしまう訳では無い。ただこの常人にとって耐え難い苦痛を伴う治療によって生きながらえていたのもまた事実だ。そんな状況も相まってこのような状況が続いているのだろう。
数日たって僕は自宅へ戻ることになった。治療も行わないのに入院し続ける意味はないので至極当然なのだが、いままでとは違う理由での自宅への帰還であるゆえにどうしても前向きではいられなかった。いままでは前向きだったのかと問われると何も言い返せない部分はある。ただ今回の退院が異質なものであることは明確なのだからしょうがない。
退院して数日が立つと徐々に自宅での生活にも慣れてきた。とはいうもののできることはほとんどないので入院中とやっていることはさして変わらない。さらに数日すれば身体にも如実に変化が現れた。元から対して体力はなかったがちょっとした行動で息を切らしてしまうくらいには体力は落ちてしまった。常に身体が重いように感じ何をするのも大変だった。治療を中断したのだから当然といえば当然だ。とはいえ自分が確実に死に近づいていることを実感し、感じたことのない感情を抱いているのは間違いない。
人間、死を目前にすると少なからず後悔のようなものが生まれてくるらしい。最期に星空が見たいそう思ってしまったのだ。周りに光がなお居場所で星明りに照らされて星を眺めたい。そんなちっぽけな願いだった。ただその願いを叶えることはもうできないだろう。何せこの身体だ。星空を見るどころか外に出ることさえ難しい状況だ。叶わないと割り切りたくてもこの想いが心から消えることはなかった。ならばいっそのこと何も考えずにその欲望のままに、心の赴くままに行動してしまおうと、そう考えた。どうせすぐに死んでしまうのだ。最期に多少無理をしたところで変わらない。そう結論付けた。
実行するのは早いほうがいいと思って、その日の夜行動することにした。その気になればそれを叶えられるタイミングはいくらでもあった。そうして僕は家を出た。痛み止めなど多くの薬を飲んだからしばらくは何とかなるだろう。あとは気力との勝負だ。目指す場所は決まっている。自宅から近い場所にある自然公園だ。一歩、一歩少しづつ歩みを進める。今までできなかったこの体験に、初めて自分の人生に意味があるように思えてきた。そしてまた一歩、一歩と歩みを進めていきしばらくすれば自然公園にたどり着いていた。
公園にたどりつくことが目的ではない。目的は星空を見ることだ。僕は少し休んだ後、次の目的地へと歩みを進めた。自然公園の中には周りを木々に囲まれた広場がある。そこならばきれいな星空を見るというこの願いを叶えることができるだろう。このままいけば心残りなく死ぬことができるそう思った。
ところがそう都合よくいかないのが僕の人生だった。異変が起きたのは広場への道中、森の道に差し掛かった時だった。それまで感じていなかった身体の痛みが突如として襲ってきたのだ。そもそも出歩けているのが奇跡といえる身体なので特別おかしいことではないのだがここまで来てというのが率直な感想だ。それでも僕は自分の体に鞭を打って歩みを進めた。ここまで来た以上引き下がることは出来ない。そうしてまた一歩、さらに一歩と歩みを進めていく。一歩踏み込むごとに耐え難い痛みが襲ってくる。正直もう無理だと割り切りたい気持ちもないわけではない。実際今までの人生はそうしてきた。なのにどうして前に進み続けるのか。結局のところ意地を張っているだけなのだ。病がゆえに何も成しえないという運命に抗いたいだけなのだ。そんなちっぽけな意地だけで身体を動かしている。とはいえそんな意地だけで身体を動かし続けられるほど身体に余裕がないことも事実だ。歩みは徐々に遅くなりついには座り込んでしまった。それでも最初で最後のこのちっぽけな意地を張り続けるために僕は立ち上がった。そうしてまた一歩、また一歩と歩みを進めていく。そしてまたしばらく歩いたのちについに広場へたどり着いた。
広場にたどり着くや否や僕は近くにあった桜の木にもたれかかった。もはや立っているだけの気力はなかった。ただもう十分だった。もうここから動く必要はない。ここに座って満点の星空を眺めていればいいのだ。
しばらくすると徐々に眠気が襲ってきた。疲れからなのかはたまた別の要因か。ただ眠ってしまうのにはまだ早い。もう少しだけ、あと少しだけこの星空を堪能したい。そうして眠気に抗いながら星空を見つめ続けるのだった。
ふと視線をおろすと広場の中央の木の下に一人の少女が見えた。いくら出入りの制限のないこの自然公園でもこの時間にこの場所を訪れる人間はそういない。少女となればなおさらだ。僕はその少女が気になってしまった。どうせこれっきりの関係だと割り切って、その少女に、話しかけることにした。少し体を休めたからか多少ならば動くこともできそうだった。僕は立ち上がりその少女のもとへ歩み寄る。しばらく歩いたところで少女のほうがこちらに気づいたようだった。
「少年、こんな時間にこんなところで何をしてるんだい?」
そういうと少女は振り返りこちらに微笑みかけてきた。
「それはこっちのセリフでもありますよ。あなたこそ何をしてるんですか?」
「なんとなく星を見たくなってね。君もそうだろう少年」
こちらの問いかけに少女はさも当然のようにそう答える。ただその問いかけに答えることはできずそのまま座り込んでしまう。
「少年、どうしたんだい?大丈夫かい?」
「少し疲れすぎたみたいです。無理をしすぎたみたいで」
ここにたどり着くだけでも残っている力をすべて出し切ってしまったのだ。立ち話をする余力など残っていなかった。ただ惰性でその命を繋いでいるだけだった。
「しょうがない。少年、こっちへおいで」
そういうと少女は自分の太ももを叩きながらこちらへ来るように促していた。
「いやどういうことですか……」
「疲れているようだからね。膝枕でもしてあげようかと思って。」
よくわからなかった。そもそも脳みそが働いてないに等しいのにさらに訳の分からないことを言われて脳みそが完全停止してしまった。
「何をしているんだい。早くこっちに来なよ」
もう一度そう促され考えるのが嫌になった僕は素直に従うことにした。どうせ何を言っても無駄だと思った。
「うんうん、いい子だ。ところで少年、本当のところどういう理由でここに来たんだい?」
「別に星を見に来ただけです。それ以上でもそれ以下でもないです」
「それじゃあなんで君はそんなに死にそうな顔をしているんだい?とても普通の人には見えないよ」
どうやら僕の状態はそれほどまでにひどいらしい。まあそう見えるのは当然だろう。死にかけの体を無理に動かしてここまで生きているのだ。実際僕にはもう少女の顔がわからない。眼が霞んでしまってよく見えないのだ。少女の声はまだ聞こえる。まだしゃべることはできそうだ。この状況から自分はもう長くないことを悟った僕は少女にすべてを話すことにした。
「実は僕、もうすぐ死ぬんです。二日後とか三日後とかじゃなくてあと数十分もすれば死ぬんだと思います。ちょっと前まで入院していたんですけど治療も打ち切られました。」
細々と語る僕の話を少女は特に驚くでもなくただ静かに聞いている。
「僕人生で何かをした記憶がないんです。覚えていることは先の見えないリハビリと、病室から見える星空だけでした。その星空もそんなに印象深いものじゃなかったんです。今日になって一気に体調が悪くなったんです。それで今になって死ぬのが怖くなって。そして……」
そこまで語って声に詰まった。声を出せなかった。しゃべりたいことは多くあるのに、もはや声も出せないようだった。
「少年?どうしたんだい?もしかしてもうしゃべることもできないのかい?」
さすがにこの様子には少女も困惑しているようだった。ただしばらくして少女はこの状況を受け入れたのか一言また一言と言葉を紡ぎ始めた。
「少年、確かになにもできなかったのかもしれない。その身を蝕む病に打ち勝つことはできなったかもしれない。でも少年、君は抗い続けた。受け入れたような顔をして。あきらめたような顔をして。運命に抗い続けた。だからこそ少年。君はここにいるんだろ?」
そうなのだろうか。そうなのかもしれない。本当は僕は自分の運命を。いずれ訪れうる未来に。抗いたかったのかもしれない。
「少年、君はよく頑張った。一人でよく頑張ってきたね。でももう十分だよ。これ以上苦しむ必要はない。この星空の下で。この美しい景色の中で安らかに眠るといい。」
そういいながら僕の頭をなで始めた。抗うために生きてきた。もう十分抗ってきた。これ以上抗い続けて何になるのか。いやもう十分だろう。こんなに美しい星空を見ることができたのだから。幸いなことに自分を認めてくれる少女もいる。やり切ったのだ。そうかんがえると清々しい気分になってきた。少女を見上げると彼女は微笑んでくれたような気がした。それに安心した僕は永久の眠りについた。
「少年、君はもう眠ってしまったんだね」
私は穏やかな顔で永久の眠りについた少年を見つめながらそうつぶやく。誰かが指摘しなければ彼はただ眠っているように見えるだろう。それほどまでに穏やかで優しい顔をしていた。
実は少年はとっくに死んでいた。少年は認識していないようだったが少年があの桜の木にたどり着いた時点で彼はもう死んでいた。そうでなければ私と会話をすることどころか、私を認識することすらできない。
少年のことを知ったのも今さっきではない。彼がもっと幼くもっと弱かった時からずっと見てきたから。少年が常人には耐え難い苦痛に抗い、残酷な己が運命に逆らい、そして生き抜いた。そのすべてを私は見ていた。私が少年の前に姿を見せようと思ったのも、自ら少年をねぎらおうと思ったのもすべて少年の、星のように輝く少年の姿を見てきたからだ。できることなら少年には生きてほしかった。苦痛に打ち勝ち、運命をはねのける少年の姿を見たかった。でもそれはかなわなかった。現実に干渉できない以上、私が少年のためにできることは少年を認め、ねぎらうことしかできなかった。
「少年、君は自分の人生に何を見たんだい……」
少年の頭をなでながら私の膝の上で眠る少年を見つめる。やはり死んでいるとは思えない顔をしている。
「少年今日は3/22だ。少年、今日の星言葉を知っているかい?」
当たり前だが少年が返事をすることはない。星空にあこがれをいだいていた少年なら知っていたかもしれないがそれを知る術はもうない。
「星の名前はアルフェラッツ。星言葉は『実を結ぶ美しき夢』だよ」
少年は何を夢見ていたのだろうか。その身を蝕む病からの解放か、はたまた辛く耐えがたい苦しみの日々からの解放か。はたまた夢を見ることすら叶わないほど少年は追い込まれていたのかもしれない。
そしてすべてから解放された今、少年は何を夢見ているのだろうか。今度こそ少年は自由を手にすることができるのだろうか。
「少年、私は君が今何を夢見ているか、何を望んでいるのかわからない。でも少年、君が歩むこの先の道を、その未来が明るいものであることを祈っているよ。」
私はそういうと少年を木の根元に寝かせる。そして近くに生えていた珍しい花を少年に供えた。
「その花は雪割一華。春の妖精とも呼ばれる花だよ。花言葉は幸せになる。この花のように力強く生きていけることを祈っているよ。」
そう告げると私は立ち上がり少年に背を向ける。その場を離れようとして、ただ足を止めて振り返る。相変わらず少年は穏やかに眠っていた。
それを見て私は無意識のうちに微笑んでいた。
そうして私は本当にその場を離れる。次に少年に逢うのはいつになるだろうか。願わくばしばらくは会いたくないものだ。少年のこの先に星の導きがあるように。少年の未来が輝く星々に照らされていますように。星々の加護が少年にあらんことを。
「星々の祝福があなたにあらんことを。そして少年……さようなら」
いつからだろうか、そんな何も無く、何も出来ない、ただ生きている人生を受け入れてしまっている自分がいた。諦めてしまったという方が正しいのかもしれない。「あなたは病気なのだから仕方ない」「生きているだけでありがたい」といった言葉を受け入れ続けいつしかそういうものだと割り切るようになってしまった。最初からあれがしたい、これがしたいとやりたいことがなかった訳では無い。遊園地、水族館、プール、海、山とあげればキリがない程行きたい場所はあった。サッカーがしたい、かけっこがしたい、ドッヂボールがしたい、とやりたいことも沢山あった。けれどその想いは全て心の中にしまい込んで果てには消えてしまった。当時まだ幼い少年だったとはいえ、周りのおかげで自分が生きていることは理解していたし、これ以上迷惑をかけるべきではないというのも理解していた。あの年齢にしては物分りのいい利口な子供だったと思う。ただ子供らしさというものはその時にはもう失っていたのだろう。そうして同時に夢、希望、果てには自分自身の想いも何もかも失ってしまったのだろう。
ある時を境に僕はもう何も感じなくなっていった。あんなに辛かったリハビリも、薬の副作用による苦しみも、何も出来ずただベットの上にいる空虚な日々も。全て何も感じなかった。それでも人間の本能なのか、あるいはまだ残っていた自分自身の感情からか。定期的にこの生きているようで死んでいる日々が嫌になり辛くなり、そして明日花びらを散らす桜のように、赤く色付く紅葉のように、自分自身の命がすっと散ってしまうかのように感じられた。今この瞬間だってこのような感情が脳内で渦を巻いている。いつもならば数時間、長くても1日2日経てばこのような感情は消え何も感じなくなるのだが今回はわけが違った。というのも昨日でほとんど全ての治療が打ち切られたからだ。これ以上治療を続けていたところで治る見込みがない。その上このままだと病そのものの進行と治療の副作用により身体が傷つき続けるだけ。現在の治療法より効果的な方法が見つからない以上、治療は再開しないとの事らしい。治療を打ち切ったからと言って直ぐに死んでしまう訳では無い。ただこの常人にとって耐え難い苦痛を伴う治療によって生きながらえていたのもまた事実だ。そんな状況も相まってこのような状況が続いているのだろう。
数日たって僕は自宅へ戻ることになった。治療も行わないのに入院し続ける意味はないので至極当然なのだが、いままでとは違う理由での自宅への帰還であるゆえにどうしても前向きではいられなかった。いままでは前向きだったのかと問われると何も言い返せない部分はある。ただ今回の退院が異質なものであることは明確なのだからしょうがない。
退院して数日が立つと徐々に自宅での生活にも慣れてきた。とはいうもののできることはほとんどないので入院中とやっていることはさして変わらない。さらに数日すれば身体にも如実に変化が現れた。元から対して体力はなかったがちょっとした行動で息を切らしてしまうくらいには体力は落ちてしまった。常に身体が重いように感じ何をするのも大変だった。治療を中断したのだから当然といえば当然だ。とはいえ自分が確実に死に近づいていることを実感し、感じたことのない感情を抱いているのは間違いない。
人間、死を目前にすると少なからず後悔のようなものが生まれてくるらしい。最期に星空が見たいそう思ってしまったのだ。周りに光がなお居場所で星明りに照らされて星を眺めたい。そんなちっぽけな願いだった。ただその願いを叶えることはもうできないだろう。何せこの身体だ。星空を見るどころか外に出ることさえ難しい状況だ。叶わないと割り切りたくてもこの想いが心から消えることはなかった。ならばいっそのこと何も考えずにその欲望のままに、心の赴くままに行動してしまおうと、そう考えた。どうせすぐに死んでしまうのだ。最期に多少無理をしたところで変わらない。そう結論付けた。
実行するのは早いほうがいいと思って、その日の夜行動することにした。その気になればそれを叶えられるタイミングはいくらでもあった。そうして僕は家を出た。痛み止めなど多くの薬を飲んだからしばらくは何とかなるだろう。あとは気力との勝負だ。目指す場所は決まっている。自宅から近い場所にある自然公園だ。一歩、一歩少しづつ歩みを進める。今までできなかったこの体験に、初めて自分の人生に意味があるように思えてきた。そしてまた一歩、一歩と歩みを進めていきしばらくすれば自然公園にたどり着いていた。
公園にたどりつくことが目的ではない。目的は星空を見ることだ。僕は少し休んだ後、次の目的地へと歩みを進めた。自然公園の中には周りを木々に囲まれた広場がある。そこならばきれいな星空を見るというこの願いを叶えることができるだろう。このままいけば心残りなく死ぬことができるそう思った。
ところがそう都合よくいかないのが僕の人生だった。異変が起きたのは広場への道中、森の道に差し掛かった時だった。それまで感じていなかった身体の痛みが突如として襲ってきたのだ。そもそも出歩けているのが奇跡といえる身体なので特別おかしいことではないのだがここまで来てというのが率直な感想だ。それでも僕は自分の体に鞭を打って歩みを進めた。ここまで来た以上引き下がることは出来ない。そうしてまた一歩、さらに一歩と歩みを進めていく。一歩踏み込むごとに耐え難い痛みが襲ってくる。正直もう無理だと割り切りたい気持ちもないわけではない。実際今までの人生はそうしてきた。なのにどうして前に進み続けるのか。結局のところ意地を張っているだけなのだ。病がゆえに何も成しえないという運命に抗いたいだけなのだ。そんなちっぽけな意地だけで身体を動かしている。とはいえそんな意地だけで身体を動かし続けられるほど身体に余裕がないことも事実だ。歩みは徐々に遅くなりついには座り込んでしまった。それでも最初で最後のこのちっぽけな意地を張り続けるために僕は立ち上がった。そうしてまた一歩、また一歩と歩みを進めていく。そしてまたしばらく歩いたのちについに広場へたどり着いた。
広場にたどり着くや否や僕は近くにあった桜の木にもたれかかった。もはや立っているだけの気力はなかった。ただもう十分だった。もうここから動く必要はない。ここに座って満点の星空を眺めていればいいのだ。
しばらくすると徐々に眠気が襲ってきた。疲れからなのかはたまた別の要因か。ただ眠ってしまうのにはまだ早い。もう少しだけ、あと少しだけこの星空を堪能したい。そうして眠気に抗いながら星空を見つめ続けるのだった。
ふと視線をおろすと広場の中央の木の下に一人の少女が見えた。いくら出入りの制限のないこの自然公園でもこの時間にこの場所を訪れる人間はそういない。少女となればなおさらだ。僕はその少女が気になってしまった。どうせこれっきりの関係だと割り切って、その少女に、話しかけることにした。少し体を休めたからか多少ならば動くこともできそうだった。僕は立ち上がりその少女のもとへ歩み寄る。しばらく歩いたところで少女のほうがこちらに気づいたようだった。
「少年、こんな時間にこんなところで何をしてるんだい?」
そういうと少女は振り返りこちらに微笑みかけてきた。
「それはこっちのセリフでもありますよ。あなたこそ何をしてるんですか?」
「なんとなく星を見たくなってね。君もそうだろう少年」
こちらの問いかけに少女はさも当然のようにそう答える。ただその問いかけに答えることはできずそのまま座り込んでしまう。
「少年、どうしたんだい?大丈夫かい?」
「少し疲れすぎたみたいです。無理をしすぎたみたいで」
ここにたどり着くだけでも残っている力をすべて出し切ってしまったのだ。立ち話をする余力など残っていなかった。ただ惰性でその命を繋いでいるだけだった。
「しょうがない。少年、こっちへおいで」
そういうと少女は自分の太ももを叩きながらこちらへ来るように促していた。
「いやどういうことですか……」
「疲れているようだからね。膝枕でもしてあげようかと思って。」
よくわからなかった。そもそも脳みそが働いてないに等しいのにさらに訳の分からないことを言われて脳みそが完全停止してしまった。
「何をしているんだい。早くこっちに来なよ」
もう一度そう促され考えるのが嫌になった僕は素直に従うことにした。どうせ何を言っても無駄だと思った。
「うんうん、いい子だ。ところで少年、本当のところどういう理由でここに来たんだい?」
「別に星を見に来ただけです。それ以上でもそれ以下でもないです」
「それじゃあなんで君はそんなに死にそうな顔をしているんだい?とても普通の人には見えないよ」
どうやら僕の状態はそれほどまでにひどいらしい。まあそう見えるのは当然だろう。死にかけの体を無理に動かしてここまで生きているのだ。実際僕にはもう少女の顔がわからない。眼が霞んでしまってよく見えないのだ。少女の声はまだ聞こえる。まだしゃべることはできそうだ。この状況から自分はもう長くないことを悟った僕は少女にすべてを話すことにした。
「実は僕、もうすぐ死ぬんです。二日後とか三日後とかじゃなくてあと数十分もすれば死ぬんだと思います。ちょっと前まで入院していたんですけど治療も打ち切られました。」
細々と語る僕の話を少女は特に驚くでもなくただ静かに聞いている。
「僕人生で何かをした記憶がないんです。覚えていることは先の見えないリハビリと、病室から見える星空だけでした。その星空もそんなに印象深いものじゃなかったんです。今日になって一気に体調が悪くなったんです。それで今になって死ぬのが怖くなって。そして……」
そこまで語って声に詰まった。声を出せなかった。しゃべりたいことは多くあるのに、もはや声も出せないようだった。
「少年?どうしたんだい?もしかしてもうしゃべることもできないのかい?」
さすがにこの様子には少女も困惑しているようだった。ただしばらくして少女はこの状況を受け入れたのか一言また一言と言葉を紡ぎ始めた。
「少年、確かになにもできなかったのかもしれない。その身を蝕む病に打ち勝つことはできなったかもしれない。でも少年、君は抗い続けた。受け入れたような顔をして。あきらめたような顔をして。運命に抗い続けた。だからこそ少年。君はここにいるんだろ?」
そうなのだろうか。そうなのかもしれない。本当は僕は自分の運命を。いずれ訪れうる未来に。抗いたかったのかもしれない。
「少年、君はよく頑張った。一人でよく頑張ってきたね。でももう十分だよ。これ以上苦しむ必要はない。この星空の下で。この美しい景色の中で安らかに眠るといい。」
そういいながら僕の頭をなで始めた。抗うために生きてきた。もう十分抗ってきた。これ以上抗い続けて何になるのか。いやもう十分だろう。こんなに美しい星空を見ることができたのだから。幸いなことに自分を認めてくれる少女もいる。やり切ったのだ。そうかんがえると清々しい気分になってきた。少女を見上げると彼女は微笑んでくれたような気がした。それに安心した僕は永久の眠りについた。
「少年、君はもう眠ってしまったんだね」
私は穏やかな顔で永久の眠りについた少年を見つめながらそうつぶやく。誰かが指摘しなければ彼はただ眠っているように見えるだろう。それほどまでに穏やかで優しい顔をしていた。
実は少年はとっくに死んでいた。少年は認識していないようだったが少年があの桜の木にたどり着いた時点で彼はもう死んでいた。そうでなければ私と会話をすることどころか、私を認識することすらできない。
少年のことを知ったのも今さっきではない。彼がもっと幼くもっと弱かった時からずっと見てきたから。少年が常人には耐え難い苦痛に抗い、残酷な己が運命に逆らい、そして生き抜いた。そのすべてを私は見ていた。私が少年の前に姿を見せようと思ったのも、自ら少年をねぎらおうと思ったのもすべて少年の、星のように輝く少年の姿を見てきたからだ。できることなら少年には生きてほしかった。苦痛に打ち勝ち、運命をはねのける少年の姿を見たかった。でもそれはかなわなかった。現実に干渉できない以上、私が少年のためにできることは少年を認め、ねぎらうことしかできなかった。
「少年、君は自分の人生に何を見たんだい……」
少年の頭をなでながら私の膝の上で眠る少年を見つめる。やはり死んでいるとは思えない顔をしている。
「少年今日は3/22だ。少年、今日の星言葉を知っているかい?」
当たり前だが少年が返事をすることはない。星空にあこがれをいだいていた少年なら知っていたかもしれないがそれを知る術はもうない。
「星の名前はアルフェラッツ。星言葉は『実を結ぶ美しき夢』だよ」
少年は何を夢見ていたのだろうか。その身を蝕む病からの解放か、はたまた辛く耐えがたい苦しみの日々からの解放か。はたまた夢を見ることすら叶わないほど少年は追い込まれていたのかもしれない。
そしてすべてから解放された今、少年は何を夢見ているのだろうか。今度こそ少年は自由を手にすることができるのだろうか。
「少年、私は君が今何を夢見ているか、何を望んでいるのかわからない。でも少年、君が歩むこの先の道を、その未来が明るいものであることを祈っているよ。」
私はそういうと少年を木の根元に寝かせる。そして近くに生えていた珍しい花を少年に供えた。
「その花は雪割一華。春の妖精とも呼ばれる花だよ。花言葉は幸せになる。この花のように力強く生きていけることを祈っているよ。」
そう告げると私は立ち上がり少年に背を向ける。その場を離れようとして、ただ足を止めて振り返る。相変わらず少年は穏やかに眠っていた。
それを見て私は無意識のうちに微笑んでいた。
そうして私は本当にその場を離れる。次に少年に逢うのはいつになるだろうか。願わくばしばらくは会いたくないものだ。少年のこの先に星の導きがあるように。少年の未来が輝く星々に照らされていますように。星々の加護が少年にあらんことを。
「星々の祝福があなたにあらんことを。そして少年……さようなら」
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