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第一章
第3話 生きるために必要なもの
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ゾンビ――今はまだ〝ゾンビもどき〟と呼称しておくが、まだわからないことが多い。現状では両親の二人を壊しただけだが、そもそも何が目的で襲って来たのかが不明だ。まぁ、そこに関してはいわゆる普通のゾンビも同じことが言えるのだが、大前提としてゾンビは死んでいる。故に栄養補給をする必要が無いのに、生きている人間を捕食するというのが腑に落ちない。個人的に有力な説としては、ゾンビが同じ人間というのを認識した瞬間に殺人衝動が湧き上がり、体の中で最も鋭利な部分――つまり、歯で噛み付く、と。噛み付きが原始的な攻撃という意味では、思考停止しているゾンビの行動として理に適っているが、現状ではどういう経緯でゾンビもどきに成るのかわからないし、噛み付く仕草を見る前に壊してしまったから、捕食しようとしていたのかもわからない。殺す気だったのは間違いないだろうが……今はまだサンプルが少な過ぎる。このままこの家に居ても当分は生きていけるだろうが、長続きはしない。外の状況も知らなければならないし、生きているのが俺だけじゃないならどこかでコミュニティが形成される前に行動するべきだな。
元よりいくつか目を付けていたのだが、うちの近くには拠点になりそうな場所が五か所ある。生きている者が俺のように事前に準備をしていなければ、まずは食糧確保と武器の入手を第一に考えるはずだ。
「さて――行くか」
バックパックにフットバッグ、それに今し方組み立て終わった改造モデルガンをベルトにつけたホルスターに差し込み、金属バットを片手に持てば準備完了だ。
様子を窺いながら外に出た。
冷たい空気を感じつつ、周囲を見回すが人ひとり見当たらない。二階の窓から外を見た時には気が付けなかったが、地面や家の壁、車に至るまで所々に血の痕が付いている。すでにひと騒動あった後って感じだな。どうやら俺は後発組らしいが、この辺りは住宅街だから仮にゾンビもどきが居たとしても、予想が正しければ視界に入らない限り襲ってくることは無いだろう。
向かうのは日用雑貨も売っている二階建てのスーパー。出入り口は三か所で、二つが自動ドアのガラス扉だが、商品棚などで塞げばゾンビもどきの侵入も防げるはずだ。問題はすでに塞がっていたらどうするかってことだが、その場合の手も事前に考えてある。
ここでいくつかのものを買い揃えるつもりだったから開いていないと困るのだが――杞憂だった。入口が開いている、というか自動ドアのガラスがバキバキに割られていて扉の体を成していない。
ガラスを踏むたびに音が鳴るが、見立てではゾンビもどきは音に反応しないから足音には気遣わなくていいはずだ。中に這入れば、想像していたよりも荒れていない。
「血の痕はある……当然、死体もあるか」
視界に捉えているのは五体。そのうち二つは頭が潰れていて、三つは血塗れで引き裂かれたような傷がある。噛み千切られたように見えなくも無い。が、だとすると噛まれてもゾンビもどきにならない? 経口感染でも無ければ血液感染でも、空気感染ですらないとすると、いよいよ何が原因でゾンビもどきになるのかわからないな。
――パキッ
物音がして、バットを強く握り締めた。外で遭遇しなかった分、室内で遭う可能性が高いと思っていたが、やはりか。数によっては戦わない選択肢もあるが……居たのは老人のゾンビもどきが一匹だけ。年齢や性別によって個体差があるのかも知りたいところだが、今はこの施設の奪還という名目がある。
「…………」
何やら視線を感じるが――防犯カメラか?
まぁ、いい。今は目の前のゾンビもどきに集中しよう。問題はどうやって殺すかだな。もちろんバットで頭を叩き割るつもりだが、後ろから一撃でとなると中々難しい。イメージトレーニングは腐るほどやってきたから、今更悩んでも仕方がない。
小走りで後ろから近付いて、振り上げたバットを脳天目掛けて振り下ろした。
「っ――」
思ったよりも腕に衝撃が走って痺れが残る。倒れたゾンビもどきは一撃では脳を破壊できなかったのか、こちらに気が付いてすぐに起き上がろうと膝立ちになったところで、スイングするように顔面目掛けてバットを振り抜いた。
「よし。まぁ、一匹ならこんなもんか」
人の体の中で最も硬い骨が頭蓋骨だと聞く。死んでいるせいもあって多少弱くなっている可能性もあるが、それでも一発では足りないということがわかった。まぁ、狙いどころの問題かもしれないが。
とりあえず店内を見回ってみたが、他にゾンビもどきは居なかった。二階へと続くエスカレーターは稼働しておらず、エレベーターも動いていない。しかし、明かりは点いているから電気の供給が途絶えているわけではないのだろう。二階に向かう――よりも先に、監視カメラの映像を見られる裏側に行くか。
そう思って従業員入口に足を向けたとき、店内アナウンスの音が流れ始めた。
「――人間なら武器を捨てて手を挙げろ」
震えている男の声、あまり若くは無さそうだ。
言われた通りに監視カメラに向かって手を挙げたがバットは捨てない。というか、武器を全部捨てていたら大分時間が掛かる。
「人間だが武器は捨てない! そっちこそ人間なら姿を見せろ!」
アナウンスを使うのは良い手だが、こっちの声って聞こえるんだっけ? とりあえず手招きしておくか。
時間にして約一分、監視カメラに向かって攻撃の意志が無いと示していると従業員出入り口のほうから音が聞こえた。
「人間か!?」
「人間だよ。つーか、監視カメラで見ていたんだろ?」
「見ていた。だが……あんな風に人を殺せる者を、人間だとは思えない」
「ああ、そうか。あんたにはあれが人間に見えるんだな。なら、どうして隠れていた?」
問い掛けながら近付いてくる足音のほうに視線を向ければ、四十代くらいの小太りの男性がゴルフクラブを強く握り締めていた。武器のチョイスとしてはイマイチだな。使い方次第ではすぐに折れ曲がってしまうだろう。
「隠れていたわけじゃない。様子を――そう、様子を窺っていただけだ!」
大方、誰かが襲われているところを見て、このスーパーに逃げ込んだってところか? 生き残るために臆病であることは大事だが、粋がるのは無駄なことだ。
「……まぁいい。このスーパーにはあなた以外にも誰かいますか?」
「いや、俺以外には誰も見ていないが……」
この男がエスカレーターとエレベーターを停止させたとは思えない。ゾンビもどきも階段は訳無く上がってくるが、通る道がわかっていれば防ぎようはある。少なくとも、それだけのことを理解している者がいるはずだ。男のことは放っておいて、二階へ向かおう。
停まっているエスカレーターを上っていけばロープが張られていた。ゾンビもどきを止めるには足りないだろうが時間稼ぎにはなる、良い考えだ。そのロープを潜って二階に踏み込むと、早速お出迎えが来た。
「あなたは――人間よね?」
「ああ、間違いなく」
ジャージ姿で傘を構える可愛い娘が一人。服装のせいで残念さが増しているが、動き易さ重視で良い。見た目から推察するに同い年くらいか。
「……そっちは二人?」
その問いに振り返れば小太りの男が付いて来ていた。
「いや、個々で別々だ。さっきそこであった他人だよ。アナウンス聞いてなかったか? アナウンスしていた方と、されていた方だ」
立てた親指を差して教えると、納得したように傘を下げた。
「わかったわ。こっちは私以外に三人いる。自己紹介とかはしていないけど、会う?」
「会おう」
二十五歳前後の金髪の軽薄そうな男が一人、乱れたスーツ姿の女性が一人、頭を抱えて深呼吸を繰り返す白髪の老人が一人。それぞれ、何が起きているのか頭の中で整理しようと苛立っている感じだ。冷静なのは一人だけ。
「ロープは誰の案だ?」
「私。急ごしらえだけど、役に立つかと思って。あなたは……随分と準備が良いようだけど?」
「まぁ、備えあれば憂いなしってやつだ。いつからここに?」
「昨日の夜から。流星が降り注いで――世界がこうなってから逃げてきたの。三人は私より先にここに居た」
「下にあった死体は? すでにあったのか?」
「あった、と思うけど……わからない。少なくとも私はやってない」
聞きたいことも知りたいことも色々とあるが、夜になる前に必要なものを揃えてこの場から去るつもりだったから……どうするかな。
時間的には一時間以内に出れば、まだ明るいうちに別の候補施設に辿り着くことはできるが、まともに話せる相手がいるのなら情報収集もしておきたいところだ。未だわからないことが多い状態で動き回るのは得策ではない、か。
「この場に蓄えは?」
「蓄え……食べる物なら一階に」
二階にあるのは服や日用雑貨だけで、一階には俺が壊したゾンビもどきが居たから食料を取りに行けなかったってことだな。
「今なら平気だから必要なものを取りに行くか。何人かに手伝ってもらいたいが……動けそうなのはキミだけだな。えっと……」
「あ、渕々那奈、二十歳です」
「戎崎零士、二十一歳。よろしく渕々さん。手伝ってくれるか?」
「……はい」
警戒されてるな。まぁ当然と言えば当然か。血の付いたバットを持った男なんて普通に怪しいもんだ。
ともかく近くにあったバッグ売り場からボストンバッグを手に取って渕々さんに手渡し、一階へと下りた。
「水を人数の倍、食べ物は――生ものは無し。缶詰よりも、賞味期限が大丈夫ならパンが良いな。食べやすいし汚れない。あとは歯ブラシ一式」
「こんな状況で歯ブラシ、必要ですか?」
「こんな状況だからこそ必要なんだ。衛生を保つ。それが生きるための第一歩だ。俺の分はあるから大丈夫だ」
必要なものを揃えて二階へ戻り際、抱えていた飲み物の缶を至る所に並べて置いた。
二階で待機していた四人に水と食料を配り終える頃には日が落ちて夜を迎えた――。
俺は一人でエスカレーターの前に座り込み、パンを齧っていると躊躇いがちに近付いてきた渕々さんが隣に腰を下ろした。
「聞きたいことがあります」
「こっちもだ。お先にどうぞ」
「じゃあ……あれは、なんですか?」
「正確にはわからないが、ゾンビ――のようななにか、だな。俺は今のところゾンビもどきと呼んでいるが、問題は何を以てしてゾンビとするか、まだわかっていないことだ」
「ゾンビもどき、ですか。……殺したんですか?」
「三匹。殺した、壊した。言い方は色々あるだろうが罪悪感を覚えるくらいなら動く人形を壊した、くらいに考えるんだな。そっちは? 殺したのか?」
問い掛けながら横顔を覗き見ると、下唇を噛み締めて目を伏せていた。
「……わかりません。襲ってきた両親を蹴り倒しはしましたけど、たぶん殺してはいないと思います」
「蹴り倒したのか。ん? ……渕々? ってあれか。空手道場の?」
「そうですそうです。そこの一人娘です」
冷静さを持ち合わせている空手家娘か。道理で対応が良いわけだ。
「今度はこちらから訊きたい。俺は昨夜の流星が落ちた時刻に眠っていて何が起きたのか知らないんだ。いったい何が起きた?」
「あの時――空から落ちてきた流星は地球に当たる直前で霧散して、次の瞬間には家が揺れるほどの強風が吹きました。その後からだったと思います……ああなってしまったのは」
流星が落ちていないのは予想通りだが霧散したとなると大気圏突入で燃え尽きた? 要は大量の小隕石が落ちてきたってことだから、過去の隕石落下を考えるとそれも十分に有り得る。しかし、話を整理すると、流星群が霧散して風が吹きゾンビになった、と。いったいどことどこが繋がっているんだ? 隕石とゾンビ――宇宙の粒子が人体に影響した、とかか? だとすれば空気感染ということになるが、それなら俺たちが無事でいる理屈に合わない。粒子なのかウイルスなのかわからないが、少なくとも人が死ぬほど強力だということはわかっている。そうなると……やはり、事前に用意していたプランαに沿って行動するべきだな。
「まぁ、大体のことは見当が付いた。俺は――」
言い掛けたところで、一階に並べていた缶が倒れる音がした。
「今のは?」
声を潜めて訊いてくる渕々さんに身を屈めるよう指示を出してバッグの中から双眼鏡を取り出した。
「警戒のために置いておいたのが役に立ったな」
二階から一階を見下ろしてもいいが、もしゾンビもどきの視界にこちらの姿が映ったら面倒なことになる。だから、双眼鏡で覗き見る先は店内では無く窓から見える外だ。
「……見えますか?」
「ああ、よく見える。昼間にはまったく居なかったゾンビもどきがそこら中を歩き回っている」
「夜なのに?」
「夜だから、だろうな。奴らは眼球が黒く染まっている。おそらくは暗闇で動くためのものだろうが、逆に言えば昼間は日の光が眩しくて出歩けないってことだ。朗報だな」
「朗報、ですか……戎崎さんはここを出ていくんですか?」
「明日の朝には出ていく予定だ。行くべきところがある」
ゾンビもどきの動きに規則性や統一性が無いかと双眼鏡を覗いていると、横で深呼吸をする渕々さんに気が付いた。どうしたのかと視線を向ければ、真っ直ぐに見詰めてくる瞳と目が合った。
「私も、連れて行ってください」
「……それがどういう意味かわかっているか? 奴らを殺すんだぞ? 人間に見えるあれを壊して進んでいくんだ。その覚悟があるか?」
「あります」
目を逸らすことなく間を置かず答えた姿に溜め息が漏れた。
「口でならどうとでも言える。明日の朝までよく考えてからもう一度答えを出すんだな。今日は俺が見張ってるから休んでおけ」
「……わかりました」
今の状況で決めてしまうのは早計過ぎる。彼女も――俺も。
混沌で満たされたこの世界で生きるために必要なものは多い。
水や食べ物は当然として、戦うための武器と意志、渕々さんに言ったように衛生を保つことも必須になる。しかし、何よりも大事なのは仲間の存在だ。
信頼できる仲間が居るのか否か、それだけで生存率は大きく変わる。生きるための術は知っている。だから、あとは――
元よりいくつか目を付けていたのだが、うちの近くには拠点になりそうな場所が五か所ある。生きている者が俺のように事前に準備をしていなければ、まずは食糧確保と武器の入手を第一に考えるはずだ。
「さて――行くか」
バックパックにフットバッグ、それに今し方組み立て終わった改造モデルガンをベルトにつけたホルスターに差し込み、金属バットを片手に持てば準備完了だ。
様子を窺いながら外に出た。
冷たい空気を感じつつ、周囲を見回すが人ひとり見当たらない。二階の窓から外を見た時には気が付けなかったが、地面や家の壁、車に至るまで所々に血の痕が付いている。すでにひと騒動あった後って感じだな。どうやら俺は後発組らしいが、この辺りは住宅街だから仮にゾンビもどきが居たとしても、予想が正しければ視界に入らない限り襲ってくることは無いだろう。
向かうのは日用雑貨も売っている二階建てのスーパー。出入り口は三か所で、二つが自動ドアのガラス扉だが、商品棚などで塞げばゾンビもどきの侵入も防げるはずだ。問題はすでに塞がっていたらどうするかってことだが、その場合の手も事前に考えてある。
ここでいくつかのものを買い揃えるつもりだったから開いていないと困るのだが――杞憂だった。入口が開いている、というか自動ドアのガラスがバキバキに割られていて扉の体を成していない。
ガラスを踏むたびに音が鳴るが、見立てではゾンビもどきは音に反応しないから足音には気遣わなくていいはずだ。中に這入れば、想像していたよりも荒れていない。
「血の痕はある……当然、死体もあるか」
視界に捉えているのは五体。そのうち二つは頭が潰れていて、三つは血塗れで引き裂かれたような傷がある。噛み千切られたように見えなくも無い。が、だとすると噛まれてもゾンビもどきにならない? 経口感染でも無ければ血液感染でも、空気感染ですらないとすると、いよいよ何が原因でゾンビもどきになるのかわからないな。
――パキッ
物音がして、バットを強く握り締めた。外で遭遇しなかった分、室内で遭う可能性が高いと思っていたが、やはりか。数によっては戦わない選択肢もあるが……居たのは老人のゾンビもどきが一匹だけ。年齢や性別によって個体差があるのかも知りたいところだが、今はこの施設の奪還という名目がある。
「…………」
何やら視線を感じるが――防犯カメラか?
まぁ、いい。今は目の前のゾンビもどきに集中しよう。問題はどうやって殺すかだな。もちろんバットで頭を叩き割るつもりだが、後ろから一撃でとなると中々難しい。イメージトレーニングは腐るほどやってきたから、今更悩んでも仕方がない。
小走りで後ろから近付いて、振り上げたバットを脳天目掛けて振り下ろした。
「っ――」
思ったよりも腕に衝撃が走って痺れが残る。倒れたゾンビもどきは一撃では脳を破壊できなかったのか、こちらに気が付いてすぐに起き上がろうと膝立ちになったところで、スイングするように顔面目掛けてバットを振り抜いた。
「よし。まぁ、一匹ならこんなもんか」
人の体の中で最も硬い骨が頭蓋骨だと聞く。死んでいるせいもあって多少弱くなっている可能性もあるが、それでも一発では足りないということがわかった。まぁ、狙いどころの問題かもしれないが。
とりあえず店内を見回ってみたが、他にゾンビもどきは居なかった。二階へと続くエスカレーターは稼働しておらず、エレベーターも動いていない。しかし、明かりは点いているから電気の供給が途絶えているわけではないのだろう。二階に向かう――よりも先に、監視カメラの映像を見られる裏側に行くか。
そう思って従業員入口に足を向けたとき、店内アナウンスの音が流れ始めた。
「――人間なら武器を捨てて手を挙げろ」
震えている男の声、あまり若くは無さそうだ。
言われた通りに監視カメラに向かって手を挙げたがバットは捨てない。というか、武器を全部捨てていたら大分時間が掛かる。
「人間だが武器は捨てない! そっちこそ人間なら姿を見せろ!」
アナウンスを使うのは良い手だが、こっちの声って聞こえるんだっけ? とりあえず手招きしておくか。
時間にして約一分、監視カメラに向かって攻撃の意志が無いと示していると従業員出入り口のほうから音が聞こえた。
「人間か!?」
「人間だよ。つーか、監視カメラで見ていたんだろ?」
「見ていた。だが……あんな風に人を殺せる者を、人間だとは思えない」
「ああ、そうか。あんたにはあれが人間に見えるんだな。なら、どうして隠れていた?」
問い掛けながら近付いてくる足音のほうに視線を向ければ、四十代くらいの小太りの男性がゴルフクラブを強く握り締めていた。武器のチョイスとしてはイマイチだな。使い方次第ではすぐに折れ曲がってしまうだろう。
「隠れていたわけじゃない。様子を――そう、様子を窺っていただけだ!」
大方、誰かが襲われているところを見て、このスーパーに逃げ込んだってところか? 生き残るために臆病であることは大事だが、粋がるのは無駄なことだ。
「……まぁいい。このスーパーにはあなた以外にも誰かいますか?」
「いや、俺以外には誰も見ていないが……」
この男がエスカレーターとエレベーターを停止させたとは思えない。ゾンビもどきも階段は訳無く上がってくるが、通る道がわかっていれば防ぎようはある。少なくとも、それだけのことを理解している者がいるはずだ。男のことは放っておいて、二階へ向かおう。
停まっているエスカレーターを上っていけばロープが張られていた。ゾンビもどきを止めるには足りないだろうが時間稼ぎにはなる、良い考えだ。そのロープを潜って二階に踏み込むと、早速お出迎えが来た。
「あなたは――人間よね?」
「ああ、間違いなく」
ジャージ姿で傘を構える可愛い娘が一人。服装のせいで残念さが増しているが、動き易さ重視で良い。見た目から推察するに同い年くらいか。
「……そっちは二人?」
その問いに振り返れば小太りの男が付いて来ていた。
「いや、個々で別々だ。さっきそこであった他人だよ。アナウンス聞いてなかったか? アナウンスしていた方と、されていた方だ」
立てた親指を差して教えると、納得したように傘を下げた。
「わかったわ。こっちは私以外に三人いる。自己紹介とかはしていないけど、会う?」
「会おう」
二十五歳前後の金髪の軽薄そうな男が一人、乱れたスーツ姿の女性が一人、頭を抱えて深呼吸を繰り返す白髪の老人が一人。それぞれ、何が起きているのか頭の中で整理しようと苛立っている感じだ。冷静なのは一人だけ。
「ロープは誰の案だ?」
「私。急ごしらえだけど、役に立つかと思って。あなたは……随分と準備が良いようだけど?」
「まぁ、備えあれば憂いなしってやつだ。いつからここに?」
「昨日の夜から。流星が降り注いで――世界がこうなってから逃げてきたの。三人は私より先にここに居た」
「下にあった死体は? すでにあったのか?」
「あった、と思うけど……わからない。少なくとも私はやってない」
聞きたいことも知りたいことも色々とあるが、夜になる前に必要なものを揃えてこの場から去るつもりだったから……どうするかな。
時間的には一時間以内に出れば、まだ明るいうちに別の候補施設に辿り着くことはできるが、まともに話せる相手がいるのなら情報収集もしておきたいところだ。未だわからないことが多い状態で動き回るのは得策ではない、か。
「この場に蓄えは?」
「蓄え……食べる物なら一階に」
二階にあるのは服や日用雑貨だけで、一階には俺が壊したゾンビもどきが居たから食料を取りに行けなかったってことだな。
「今なら平気だから必要なものを取りに行くか。何人かに手伝ってもらいたいが……動けそうなのはキミだけだな。えっと……」
「あ、渕々那奈、二十歳です」
「戎崎零士、二十一歳。よろしく渕々さん。手伝ってくれるか?」
「……はい」
警戒されてるな。まぁ当然と言えば当然か。血の付いたバットを持った男なんて普通に怪しいもんだ。
ともかく近くにあったバッグ売り場からボストンバッグを手に取って渕々さんに手渡し、一階へと下りた。
「水を人数の倍、食べ物は――生ものは無し。缶詰よりも、賞味期限が大丈夫ならパンが良いな。食べやすいし汚れない。あとは歯ブラシ一式」
「こんな状況で歯ブラシ、必要ですか?」
「こんな状況だからこそ必要なんだ。衛生を保つ。それが生きるための第一歩だ。俺の分はあるから大丈夫だ」
必要なものを揃えて二階へ戻り際、抱えていた飲み物の缶を至る所に並べて置いた。
二階で待機していた四人に水と食料を配り終える頃には日が落ちて夜を迎えた――。
俺は一人でエスカレーターの前に座り込み、パンを齧っていると躊躇いがちに近付いてきた渕々さんが隣に腰を下ろした。
「聞きたいことがあります」
「こっちもだ。お先にどうぞ」
「じゃあ……あれは、なんですか?」
「正確にはわからないが、ゾンビ――のようななにか、だな。俺は今のところゾンビもどきと呼んでいるが、問題は何を以てしてゾンビとするか、まだわかっていないことだ」
「ゾンビもどき、ですか。……殺したんですか?」
「三匹。殺した、壊した。言い方は色々あるだろうが罪悪感を覚えるくらいなら動く人形を壊した、くらいに考えるんだな。そっちは? 殺したのか?」
問い掛けながら横顔を覗き見ると、下唇を噛み締めて目を伏せていた。
「……わかりません。襲ってきた両親を蹴り倒しはしましたけど、たぶん殺してはいないと思います」
「蹴り倒したのか。ん? ……渕々? ってあれか。空手道場の?」
「そうですそうです。そこの一人娘です」
冷静さを持ち合わせている空手家娘か。道理で対応が良いわけだ。
「今度はこちらから訊きたい。俺は昨夜の流星が落ちた時刻に眠っていて何が起きたのか知らないんだ。いったい何が起きた?」
「あの時――空から落ちてきた流星は地球に当たる直前で霧散して、次の瞬間には家が揺れるほどの強風が吹きました。その後からだったと思います……ああなってしまったのは」
流星が落ちていないのは予想通りだが霧散したとなると大気圏突入で燃え尽きた? 要は大量の小隕石が落ちてきたってことだから、過去の隕石落下を考えるとそれも十分に有り得る。しかし、話を整理すると、流星群が霧散して風が吹きゾンビになった、と。いったいどことどこが繋がっているんだ? 隕石とゾンビ――宇宙の粒子が人体に影響した、とかか? だとすれば空気感染ということになるが、それなら俺たちが無事でいる理屈に合わない。粒子なのかウイルスなのかわからないが、少なくとも人が死ぬほど強力だということはわかっている。そうなると……やはり、事前に用意していたプランαに沿って行動するべきだな。
「まぁ、大体のことは見当が付いた。俺は――」
言い掛けたところで、一階に並べていた缶が倒れる音がした。
「今のは?」
声を潜めて訊いてくる渕々さんに身を屈めるよう指示を出してバッグの中から双眼鏡を取り出した。
「警戒のために置いておいたのが役に立ったな」
二階から一階を見下ろしてもいいが、もしゾンビもどきの視界にこちらの姿が映ったら面倒なことになる。だから、双眼鏡で覗き見る先は店内では無く窓から見える外だ。
「……見えますか?」
「ああ、よく見える。昼間にはまったく居なかったゾンビもどきがそこら中を歩き回っている」
「夜なのに?」
「夜だから、だろうな。奴らは眼球が黒く染まっている。おそらくは暗闇で動くためのものだろうが、逆に言えば昼間は日の光が眩しくて出歩けないってことだ。朗報だな」
「朗報、ですか……戎崎さんはここを出ていくんですか?」
「明日の朝には出ていく予定だ。行くべきところがある」
ゾンビもどきの動きに規則性や統一性が無いかと双眼鏡を覗いていると、横で深呼吸をする渕々さんに気が付いた。どうしたのかと視線を向ければ、真っ直ぐに見詰めてくる瞳と目が合った。
「私も、連れて行ってください」
「……それがどういう意味かわかっているか? 奴らを殺すんだぞ? 人間に見えるあれを壊して進んでいくんだ。その覚悟があるか?」
「あります」
目を逸らすことなく間を置かず答えた姿に溜め息が漏れた。
「口でならどうとでも言える。明日の朝までよく考えてからもう一度答えを出すんだな。今日は俺が見張ってるから休んでおけ」
「……わかりました」
今の状況で決めてしまうのは早計過ぎる。彼女も――俺も。
混沌で満たされたこの世界で生きるために必要なものは多い。
水や食べ物は当然として、戦うための武器と意志、渕々さんに言ったように衛生を保つことも必須になる。しかし、何よりも大事なのは仲間の存在だ。
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