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アグネス
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「どうしてこんなことになったんだろ・・」
自分が情けなくて涙も出ない。胸の火傷がヒリヒリして痛い。
「あの男に付いて行きさえしなければ・・」
あの男の言ったことを思い出す。
「違う、自分がバカだった、無知で、軽率すぎた、」
手頃な剣かナイフを部屋の中で探してみる。しかし、刃物の類は見当たらない。
「そりゃそうだ、公爵を狙う者がここに潜り込むことありそうだし、」
ため息をついて今度は長い紐を探す。無いなら、服を割いて紐にして。でもどこに括り付ける?手頃な梁も見当たらない。そもそも身体を動かす気力さえ湧かない。
「アグネス、居るか?」
微かな声が聞こえた気がした。声の方向に目だけ動かすと、窓の外から、
「アグネス、居るんなら、ここの鍵を開けてくれ。」
と、よく知る声が自分に話しかけている。ヨロヨロと窓まで歩き、カーテンを開けると、ここエスドート王国まで同行してくれた、我がフォルスフッド王国国王の通訳アレクサンデルだった。急いで窓の鍵を開けた。
「ああ、アグネス、大丈夫か?いえ、大丈夫ではないですよね、ローザン男爵令嬢。動けますか?とにかく、ここから出ますよ。」
言われるがまま、アグネスはアレクサンデルに抱き抱えられながら、ルクソル公爵邸のハーレム棟の窓から脱出した。
ルクソル公爵邸の門は、物々しい警備の者たちが開けてくれた。
「これ渡してます。」
と、アレクサンデルがお金を意味するハンドサインを作ってみせた。『あれ?この人、国王の通訳なのに、庶民のハンドサインを知ってるなんて。あ、通訳だから?ま、どうでも良いわ。』
ルクソル公爵邸敷地内から無事に出ると、アレクサンデルはホーっと大きなため息を吐いた。
「男爵令嬢、もう大丈夫だと思います。あ、あそこで馬車が借りられます。すぐに宿屋に帰りましょう。」
と、馬車も借りられる商会へ進もうとしたが、
「帰りたくない!お願い!私のことは放っておいて!みんなには、上手く言って!」
と、視界に入った大きな川の方へふらふら歩いていく。
「アグネス!」
アレクサンデルは、アグネスを抱きしめて、
「大丈夫、あなたは酷い目に遭いましたが、もう大丈夫です。あなたは、ごめんなさい、私が付いていながら、ごめん、ごめんよ。俺が見失ったばかりに。」
と必死で慰めた。
アレクサンデルは、なんとかアグネスを貸し馬車に押し込め、馬車を宿屋に向かわせた。馬車の中でも、静かに泣くアグネスを抱きしめて、
「あなたは事故に遭ったのです。でも、こうして無事です。」
と言い続けた。
「もう、誰にも会いたくない。」
「そうですよね、あなたの身に起きたことは聞きました。」
「知ってるの?!みんなも?!」
「いえ、私だけです。あっちの通訳に教えてもらえました。あなたを取り戻すのも、その通訳に手伝ってもらいました。」
「これで?」
とお金のハンドサインをやってみせた。
「高くつきました。」
と、アレクサンデルが微笑んだのは、アグネスが少しいつもの調子を取り戻してきたからだ。
「お願い、誰にも言わないで。」
「承知しました、男爵令嬢。地獄で拷問にかけられても、口を割りません。誓います。」
と、真剣な口調で言った。
アレクサンデルが一生懸命に慰めた甲斐があって、アグネスを宿屋のアグネスの部屋に連れ帰ることが出来た。
「男爵令嬢、すぐに、お茶とお菓子をお持ちします。」
「待って、一人にしないで。」
アグネスがアレクサンデルにしがみつき、震え出した。
「ごめん、半日前までいた部屋に戻ると、また、」
と声も震えている。
「わかります、現実に戻されますよね。でもあなたは大丈夫です。すぐ立ち直れます。今までよりもっともっと美しく輝きます。」
と、また慰め続けた。
しばらくすると、アグネスの震えが止まって来た。アレクサンデルは若くて魅力たっぷりの女性と二人きりで居ることに落ち着かなくなり、
「お茶と何か食べるものを頼んできます。」
と言って、部屋の外に出たが、やっぱり心配ですぐに戻った。
「あの、男爵令嬢。苦しい時、誰かと話すと少し落ち着きます。男爵家のどなたかをお呼びしますね。」
「あなたが良い。さっきまで死ぬことしか考えてなかったのに、あなたのおかげで落ち着いてきた。なんでも良いから、あなたの話をして。」
とアグネスが言った。アレクサンデルは遠い目をして覚悟を決めた。
「わかりました。」
アレクサンデルは、運ばれて来たお茶を飲みながら、
「私は、ルカム王国の貧しい炭鉱夫の家に生まれました。」
「?!」
「兄も私も、もの心つくかつかないかっていう歳から父と炭鉱で働きました。父が炭鉱の爆発で死んだ頃から、その炭鉱から石炭は出なくなっていて、村全体が食いつめて、私が15歳になった日に母が、兄と二人で国を出て、フォルスフッド王国のローザン領を目指せと言ったのです。ローザン領なら、仕事をもらえるらしいから、生活できるようになったら自分を迎えに来いと。それで兄と二人、生まれた村を脱出して、あともう少しで国境越えてフォルスフッド王国ローザン領、という時に、私たちはルカム王国の国境警備隊に見つかり、兄は殴り殺されました。私はスパイ養成所に送られて、フォルスフッド語とエスドート語を教え込まれ通訳となり、エスドート王国が、ルカム王国とフォルスフッド王国とを、戦わせる手伝いをしました。」
アグネスは驚きすぎて、口を開けて何か話そうとするが、何も言葉が出て来ない。
「戦争が始まると私は用済み。人質にされていたはずの母がとっくに殺されていたことを知らされ、自暴自棄になりました。ルカム王国の前線に送られ、餓死寸前で、フォルスフッド王国の捕虜にされました。」
「あ」
アグネスの中でいろいろな記憶が繋がった。親友エレオノーラの婚約者フレデリクは、フォルスフッド王国の筆頭公爵だったのに、戦争を止めようと奔走して、戦争推進者の元王弟殿下エルンストに嫌われ、公爵位を剥奪され、前線に送られて、
「フレデリクさんね?」
「そう、前線でフレデリクに捕まって捕虜になった。フォルスフッド王国の前線隊長フレデリクは、腹がへりすぎて動けなくなってたルカム王国の一兵卒の俺に、水飲ましてパン食わせて、暖かいスープまで飲ませてくれたから、途端に俺はフォルスフッドに寝返ったってわけ。で、フレデリクが、両方の国が滅びるしかない戦争を終わらせるのを、俺もせっせと手伝ったら、俺は今や、フォルスフッド王国新国王フレデリクの通訳に相成りました。」
と、苦々しい顔で言った。
「あなたがそんなに自分を悪く言ったって、私、騙されないわよ。フレデリクさんとエレオノーラにクーデターの大筋は聞いてるから。フレデリクさんは亡くなったルカムの通訳のおかげで、戦争を終わらせることができたって言ってたわ。その通訳ってあなたのことでしょ?生きていたのね。しかも今フレデリクさんの通訳だなんて、よほど信頼されてるんだわ。」
「俺が、フレデリクさんに心酔したんだよ。あんな人初めて会った、だから復讐することしか頭に無かった俺が、素性を隠してまでフレデリクにお仕えしてるんだ。それなのにフレデリクに任されたお前に傷をつけた。本当に、どう詫びて良いか、」
「あなたのせいじゃない、私があの場所から抜け出たんだから。もう私に起きたことは忘れて。私も頑張って忘れるから。」
「いや、できれば早く膿を出した方が良いんじゃないか?俺も前線でフレデリクに身の上話をして,ずいぶん頭が整理できて、自分の状況がよくわかったんだ。俺はお前の災難をもう全部知ってるから、お前、ここで自分に起きたこと口に出して話してみなよ。自分の口から出た話を自分の耳で聞いたら、今、お前の頭ん中でぐるぐる回ってることが、どんだけくだらないか、わかるから。」
アグネスは今、頭の中で勢いよく回っている場面の数々の、ことの起こりから思い出そうとした。
「戦争前から、親友のエレオノーラの助けで、商売が上手く行きだしたの。それまで何をやっても上手くいかないローザン領だったのに、ヒット商品が何個も出て。戦時中は大変だったけど、戦争が終わると以前よりさらに儲かって、満を持して今回エスドート王国に市場開拓に打って出たの。フレデリクさんが『アレクサンデルを連れて行くと良い』って言ってくれて、あなたがついて来てくれて、どんどん商談がまとまって、浮かれちゃってた。商談相手の一人が気さくなおじ様で、あの商談会場から、そのおじ様とこっそり抜け出して、おしゃれなお店をあちこち案内してもらったの。新たな商品のアイデアがいっぱい湧いたわ。歩きすぎて喉が渇いてちょっと休憩って飲食店に入って、少しお酒を飲んだりしてた時、あの、外務副大臣のルクソル公爵令息が、通訳を連れて話しかけてきた。私は『外務副大臣と繋がったらますます商売繁盛だわ』と思いながら話してたんだけど、そのうち『私の妻になってくれ』と、熱心に口説いて来たの。本当にバカだったわ、私。好みのタイプでも無いし、なんであんな薄っぺらい男に、と思うけど、口説き文句が気持ちよかったのよ。薄っぺらい分、女を喜ばせる典型的で完璧な口説き文句でさ。つい、『私も公爵夫人になれるわ、しかも超大国エスドートの。』ってね。私、公爵夫人なんて憧れたこと無いのよ。それとも、やっぱり私も憧れてたのかな。
それで、プロポーズにOKしたら、すぐに役所みたいなところに連れて行かれて、いきなり『焼きごて』を押されて、痛くて暴れて、結婚届を出しに来たのじゃなかったのかって、怒りながら通訳させると、『お前、頭おかしいのか?俺がお前らを正妻にするわけ無いだろ?俺はエスドート王国の公爵嫡男だぞ?お前はフォルスフッドの田舎者、俺に囲われて、涙を流して喜ぶところだろ?』とあの軽薄男の言ったことを通訳された。『通訳してもらっても全然通じない!何?その理屈?それで、この焼き印は何?』と怒鳴ると『その焼き印は、我が家の家名が装飾文字で書いてある。お前が孕んだ時、他所の子だったら面倒だからな。胸に家名の焼き印があったら、さすがにお前も他で遊べないだろ?家名なのは、我が家の所有という意味だが、俺の専属にしてやる。焼き印が胸のそこに押されてると、結構そそられるんだ。良いデザインだよな。今は焼けただれてて見るのも気持ち悪いけど、しばらくしたら火傷が落ち着いて、良い感じになるんだよ。そしたら、情けをかけてやるから、それまでに、上手に俺に奉仕できるよう、先輩たちに、いろいろ教えてもらっとけ。いじめられないようにしろよ、お前、いろいろ勘違いしてるから。』と。」
とアグネスは言いながら、また絶望した。
「全然大丈夫じゃないわ。あなたと比べたら、くっだらない話だけど、この先のこと考えたら。」
「大丈夫だ!くだらない男に、ほんのちょっと怪我させられただけだ!お前ほどの女が、あんな奴に傷つけられるはずが無いんだ!」
アレクサンデルが吠えた。既に知っていたことだが、改めてアグネスの口から聞くと、はらわたが煮えくりかえってきたのだ。
「怪我って、これよ?あなたは悲惨な目にあってきたけど、これからは輝かしい未来が待ってる国王の通訳よ。見た目もどこかの王子ってくらいかっこよくて。私はくだらない奴に一生消えない女奴隷の焼き印をつけられて、これから一生結婚どころか恋愛もできない恥ずかしい存在に成り果てたわ。」
「そんなことない、お前は才能があって、美しくて、魅力たっぷりで。たとえお前であっても、おとしめるのは許さない。お前は、俺の憧れのお姫様なんだ。ローザン領の男爵令嬢アグネス様。」
と、アグネスの手を取ってひざまづいて、アグネスの顔を必死な顔で見上げた。
「じゃあ、この焼き印を見ても、妻にできる男がどこかに居るとでも?」
アグネスは、ドレスをはだけ、焼き印の上に貼られた火傷の当て布を外しながら、
「お前は、この焼き印を見ながら、私を抱けるとでも?」
怯むアレクサンデルを見下ろしながら、
「ほらね、」
と、身体を返して、はだけたドレスを直そうとするアグネスに、
「俺を煽るなよ、俺、お前に煽られたら」
と悲鳴のような声を出しながら、アグネスの口から胸から、むさぼり始めた。
「痛かっただろ?俺、実は、経験無くて。上手くできなくてごめん。」
アグネスとアレクサンデルは、お互いの頬を撫でながらボソボソ話す。
「そっか。あなたの人生、それどころじゃなかったものね。私こそ、こんな役をさせてごめんね。エスドート語が読める男でも、私のこと抱けるってわかってホッとしたよ。エスドート語わかんない男ならどうってことないよね。」
「お前!」
「何?!」
「いや、なんでもない。ルカムの元スパイには何も言えない。」
「言ってみてよ。」
「他の男に抱かれるのか?」
「いや、そんなこと今考えられないよ、可能かどうかの話。」
「他の男にお前を取られたくない。」
「あれ?いきなり私は所有物?」
「だって嫌だよお。」
「ははは。」
「夢見せてくれよ。あの時ローザン領に密入国成功して、ローザン領で兄貴となんとか生活できるようになって、おふくろ呼び寄せて、そのうちお屋敷に出入りするまで出世して、アグネスお嬢様と恋に落ちて、俺は今、憧れのアグネスお嬢様と隠れて抱きあってるんだ。」
「仮定が長いねえ。」
「ああ、今この状況に無理があり過ぎるからな。それで夢の続き。ローザン男爵様に見つかって、俺は殺されかけるんだけど、アグネスお嬢様は『俺と結婚させてくれないなら駆け落ちします』って男爵様を脅すんだよ。男爵様は泣く泣く、『二人でどこにでも行け。哀れに思って雇ってやったのに、このルカムの裏切り者。娘ははじめから一人しかいないと思うことにする。』と言うんだ。」
「面白い夢だね。でも私の姉は、生まれて3日で死んだんだよ。」
「そうだったのか?あの、いろんな意味でほんとすみません。」
「姉が生まれた頃、とても苦しい時期だったらしくて、男爵夫妻ですら、食べるものに困ってて、領民なんて悲惨でどんどん他の領地に逃げ出してたらしい。父も母も第一子が生後3日で死んでしまって、いつまでも泣いてたって。」
「そうか。でも、俺ら、生まれた土地から逃げ出しても殺されたから、領地を移れるってのは羨ましいけどな。」
「そうなんだね。私が生まれた頃には、天気は安定、天災も起きず、治安改善、盗みに入る悪人の拠点も一掃できてて、私はこのようにスクスク育ちました。いつも親に、『元気に育ってくれよ。お姉ちゃんの分も。』と言われ続けたなぁ。」
「そうだったのか。お前は後継ぎか?」
「そうなの。そのあと、ルカムから逃れてきたスーパー才女のエーファが私のお姉ちゃんになってくれて、可愛がってくれた。」
「エーファさんも知ってる。ヴィーレさんの奥さんだろ?」
「そう。エーファはずっと自分のことより私を大切にしてくれて・・・やっぱり私、死ななくて良かった。ありがとう、アレクサンデル、私を助けてくれて。」
「そりゃ助けるよ、俺の憧れの姫様なんだから。」
「ふふ、ねえ、アレクサンデルって良い名前だね。」
「おふくろが、こりに凝って付けた名前なんだ。子供の頃はよくからかわれたよ。」
「囚われた姫を助ける騎士にぴったりの名前だと思う。」
と言いながらアグネスは、ふと思いつく。
「ねえ、エスドート王国とルクソル公爵家に仕返ししたいって言ったら、助けてくれる?くれるよね?私、憧れの姫様だし。」
自分が情けなくて涙も出ない。胸の火傷がヒリヒリして痛い。
「あの男に付いて行きさえしなければ・・」
あの男の言ったことを思い出す。
「違う、自分がバカだった、無知で、軽率すぎた、」
手頃な剣かナイフを部屋の中で探してみる。しかし、刃物の類は見当たらない。
「そりゃそうだ、公爵を狙う者がここに潜り込むことありそうだし、」
ため息をついて今度は長い紐を探す。無いなら、服を割いて紐にして。でもどこに括り付ける?手頃な梁も見当たらない。そもそも身体を動かす気力さえ湧かない。
「アグネス、居るか?」
微かな声が聞こえた気がした。声の方向に目だけ動かすと、窓の外から、
「アグネス、居るんなら、ここの鍵を開けてくれ。」
と、よく知る声が自分に話しかけている。ヨロヨロと窓まで歩き、カーテンを開けると、ここエスドート王国まで同行してくれた、我がフォルスフッド王国国王の通訳アレクサンデルだった。急いで窓の鍵を開けた。
「ああ、アグネス、大丈夫か?いえ、大丈夫ではないですよね、ローザン男爵令嬢。動けますか?とにかく、ここから出ますよ。」
言われるがまま、アグネスはアレクサンデルに抱き抱えられながら、ルクソル公爵邸のハーレム棟の窓から脱出した。
ルクソル公爵邸の門は、物々しい警備の者たちが開けてくれた。
「これ渡してます。」
と、アレクサンデルがお金を意味するハンドサインを作ってみせた。『あれ?この人、国王の通訳なのに、庶民のハンドサインを知ってるなんて。あ、通訳だから?ま、どうでも良いわ。』
ルクソル公爵邸敷地内から無事に出ると、アレクサンデルはホーっと大きなため息を吐いた。
「男爵令嬢、もう大丈夫だと思います。あ、あそこで馬車が借りられます。すぐに宿屋に帰りましょう。」
と、馬車も借りられる商会へ進もうとしたが、
「帰りたくない!お願い!私のことは放っておいて!みんなには、上手く言って!」
と、視界に入った大きな川の方へふらふら歩いていく。
「アグネス!」
アレクサンデルは、アグネスを抱きしめて、
「大丈夫、あなたは酷い目に遭いましたが、もう大丈夫です。あなたは、ごめんなさい、私が付いていながら、ごめん、ごめんよ。俺が見失ったばかりに。」
と必死で慰めた。
アレクサンデルは、なんとかアグネスを貸し馬車に押し込め、馬車を宿屋に向かわせた。馬車の中でも、静かに泣くアグネスを抱きしめて、
「あなたは事故に遭ったのです。でも、こうして無事です。」
と言い続けた。
「もう、誰にも会いたくない。」
「そうですよね、あなたの身に起きたことは聞きました。」
「知ってるの?!みんなも?!」
「いえ、私だけです。あっちの通訳に教えてもらえました。あなたを取り戻すのも、その通訳に手伝ってもらいました。」
「これで?」
とお金のハンドサインをやってみせた。
「高くつきました。」
と、アレクサンデルが微笑んだのは、アグネスが少しいつもの調子を取り戻してきたからだ。
「お願い、誰にも言わないで。」
「承知しました、男爵令嬢。地獄で拷問にかけられても、口を割りません。誓います。」
と、真剣な口調で言った。
アレクサンデルが一生懸命に慰めた甲斐があって、アグネスを宿屋のアグネスの部屋に連れ帰ることが出来た。
「男爵令嬢、すぐに、お茶とお菓子をお持ちします。」
「待って、一人にしないで。」
アグネスがアレクサンデルにしがみつき、震え出した。
「ごめん、半日前までいた部屋に戻ると、また、」
と声も震えている。
「わかります、現実に戻されますよね。でもあなたは大丈夫です。すぐ立ち直れます。今までよりもっともっと美しく輝きます。」
と、また慰め続けた。
しばらくすると、アグネスの震えが止まって来た。アレクサンデルは若くて魅力たっぷりの女性と二人きりで居ることに落ち着かなくなり、
「お茶と何か食べるものを頼んできます。」
と言って、部屋の外に出たが、やっぱり心配ですぐに戻った。
「あの、男爵令嬢。苦しい時、誰かと話すと少し落ち着きます。男爵家のどなたかをお呼びしますね。」
「あなたが良い。さっきまで死ぬことしか考えてなかったのに、あなたのおかげで落ち着いてきた。なんでも良いから、あなたの話をして。」
とアグネスが言った。アレクサンデルは遠い目をして覚悟を決めた。
「わかりました。」
アレクサンデルは、運ばれて来たお茶を飲みながら、
「私は、ルカム王国の貧しい炭鉱夫の家に生まれました。」
「?!」
「兄も私も、もの心つくかつかないかっていう歳から父と炭鉱で働きました。父が炭鉱の爆発で死んだ頃から、その炭鉱から石炭は出なくなっていて、村全体が食いつめて、私が15歳になった日に母が、兄と二人で国を出て、フォルスフッド王国のローザン領を目指せと言ったのです。ローザン領なら、仕事をもらえるらしいから、生活できるようになったら自分を迎えに来いと。それで兄と二人、生まれた村を脱出して、あともう少しで国境越えてフォルスフッド王国ローザン領、という時に、私たちはルカム王国の国境警備隊に見つかり、兄は殴り殺されました。私はスパイ養成所に送られて、フォルスフッド語とエスドート語を教え込まれ通訳となり、エスドート王国が、ルカム王国とフォルスフッド王国とを、戦わせる手伝いをしました。」
アグネスは驚きすぎて、口を開けて何か話そうとするが、何も言葉が出て来ない。
「戦争が始まると私は用済み。人質にされていたはずの母がとっくに殺されていたことを知らされ、自暴自棄になりました。ルカム王国の前線に送られ、餓死寸前で、フォルスフッド王国の捕虜にされました。」
「あ」
アグネスの中でいろいろな記憶が繋がった。親友エレオノーラの婚約者フレデリクは、フォルスフッド王国の筆頭公爵だったのに、戦争を止めようと奔走して、戦争推進者の元王弟殿下エルンストに嫌われ、公爵位を剥奪され、前線に送られて、
「フレデリクさんね?」
「そう、前線でフレデリクに捕まって捕虜になった。フォルスフッド王国の前線隊長フレデリクは、腹がへりすぎて動けなくなってたルカム王国の一兵卒の俺に、水飲ましてパン食わせて、暖かいスープまで飲ませてくれたから、途端に俺はフォルスフッドに寝返ったってわけ。で、フレデリクが、両方の国が滅びるしかない戦争を終わらせるのを、俺もせっせと手伝ったら、俺は今や、フォルスフッド王国新国王フレデリクの通訳に相成りました。」
と、苦々しい顔で言った。
「あなたがそんなに自分を悪く言ったって、私、騙されないわよ。フレデリクさんとエレオノーラにクーデターの大筋は聞いてるから。フレデリクさんは亡くなったルカムの通訳のおかげで、戦争を終わらせることができたって言ってたわ。その通訳ってあなたのことでしょ?生きていたのね。しかも今フレデリクさんの通訳だなんて、よほど信頼されてるんだわ。」
「俺が、フレデリクさんに心酔したんだよ。あんな人初めて会った、だから復讐することしか頭に無かった俺が、素性を隠してまでフレデリクにお仕えしてるんだ。それなのにフレデリクに任されたお前に傷をつけた。本当に、どう詫びて良いか、」
「あなたのせいじゃない、私があの場所から抜け出たんだから。もう私に起きたことは忘れて。私も頑張って忘れるから。」
「いや、できれば早く膿を出した方が良いんじゃないか?俺も前線でフレデリクに身の上話をして,ずいぶん頭が整理できて、自分の状況がよくわかったんだ。俺はお前の災難をもう全部知ってるから、お前、ここで自分に起きたこと口に出して話してみなよ。自分の口から出た話を自分の耳で聞いたら、今、お前の頭ん中でぐるぐる回ってることが、どんだけくだらないか、わかるから。」
アグネスは今、頭の中で勢いよく回っている場面の数々の、ことの起こりから思い出そうとした。
「戦争前から、親友のエレオノーラの助けで、商売が上手く行きだしたの。それまで何をやっても上手くいかないローザン領だったのに、ヒット商品が何個も出て。戦時中は大変だったけど、戦争が終わると以前よりさらに儲かって、満を持して今回エスドート王国に市場開拓に打って出たの。フレデリクさんが『アレクサンデルを連れて行くと良い』って言ってくれて、あなたがついて来てくれて、どんどん商談がまとまって、浮かれちゃってた。商談相手の一人が気さくなおじ様で、あの商談会場から、そのおじ様とこっそり抜け出して、おしゃれなお店をあちこち案内してもらったの。新たな商品のアイデアがいっぱい湧いたわ。歩きすぎて喉が渇いてちょっと休憩って飲食店に入って、少しお酒を飲んだりしてた時、あの、外務副大臣のルクソル公爵令息が、通訳を連れて話しかけてきた。私は『外務副大臣と繋がったらますます商売繁盛だわ』と思いながら話してたんだけど、そのうち『私の妻になってくれ』と、熱心に口説いて来たの。本当にバカだったわ、私。好みのタイプでも無いし、なんであんな薄っぺらい男に、と思うけど、口説き文句が気持ちよかったのよ。薄っぺらい分、女を喜ばせる典型的で完璧な口説き文句でさ。つい、『私も公爵夫人になれるわ、しかも超大国エスドートの。』ってね。私、公爵夫人なんて憧れたこと無いのよ。それとも、やっぱり私も憧れてたのかな。
それで、プロポーズにOKしたら、すぐに役所みたいなところに連れて行かれて、いきなり『焼きごて』を押されて、痛くて暴れて、結婚届を出しに来たのじゃなかったのかって、怒りながら通訳させると、『お前、頭おかしいのか?俺がお前らを正妻にするわけ無いだろ?俺はエスドート王国の公爵嫡男だぞ?お前はフォルスフッドの田舎者、俺に囲われて、涙を流して喜ぶところだろ?』とあの軽薄男の言ったことを通訳された。『通訳してもらっても全然通じない!何?その理屈?それで、この焼き印は何?』と怒鳴ると『その焼き印は、我が家の家名が装飾文字で書いてある。お前が孕んだ時、他所の子だったら面倒だからな。胸に家名の焼き印があったら、さすがにお前も他で遊べないだろ?家名なのは、我が家の所有という意味だが、俺の専属にしてやる。焼き印が胸のそこに押されてると、結構そそられるんだ。良いデザインだよな。今は焼けただれてて見るのも気持ち悪いけど、しばらくしたら火傷が落ち着いて、良い感じになるんだよ。そしたら、情けをかけてやるから、それまでに、上手に俺に奉仕できるよう、先輩たちに、いろいろ教えてもらっとけ。いじめられないようにしろよ、お前、いろいろ勘違いしてるから。』と。」
とアグネスは言いながら、また絶望した。
「全然大丈夫じゃないわ。あなたと比べたら、くっだらない話だけど、この先のこと考えたら。」
「大丈夫だ!くだらない男に、ほんのちょっと怪我させられただけだ!お前ほどの女が、あんな奴に傷つけられるはずが無いんだ!」
アレクサンデルが吠えた。既に知っていたことだが、改めてアグネスの口から聞くと、はらわたが煮えくりかえってきたのだ。
「怪我って、これよ?あなたは悲惨な目にあってきたけど、これからは輝かしい未来が待ってる国王の通訳よ。見た目もどこかの王子ってくらいかっこよくて。私はくだらない奴に一生消えない女奴隷の焼き印をつけられて、これから一生結婚どころか恋愛もできない恥ずかしい存在に成り果てたわ。」
「そんなことない、お前は才能があって、美しくて、魅力たっぷりで。たとえお前であっても、おとしめるのは許さない。お前は、俺の憧れのお姫様なんだ。ローザン領の男爵令嬢アグネス様。」
と、アグネスの手を取ってひざまづいて、アグネスの顔を必死な顔で見上げた。
「じゃあ、この焼き印を見ても、妻にできる男がどこかに居るとでも?」
アグネスは、ドレスをはだけ、焼き印の上に貼られた火傷の当て布を外しながら、
「お前は、この焼き印を見ながら、私を抱けるとでも?」
怯むアレクサンデルを見下ろしながら、
「ほらね、」
と、身体を返して、はだけたドレスを直そうとするアグネスに、
「俺を煽るなよ、俺、お前に煽られたら」
と悲鳴のような声を出しながら、アグネスの口から胸から、むさぼり始めた。
「痛かっただろ?俺、実は、経験無くて。上手くできなくてごめん。」
アグネスとアレクサンデルは、お互いの頬を撫でながらボソボソ話す。
「そっか。あなたの人生、それどころじゃなかったものね。私こそ、こんな役をさせてごめんね。エスドート語が読める男でも、私のこと抱けるってわかってホッとしたよ。エスドート語わかんない男ならどうってことないよね。」
「お前!」
「何?!」
「いや、なんでもない。ルカムの元スパイには何も言えない。」
「言ってみてよ。」
「他の男に抱かれるのか?」
「いや、そんなこと今考えられないよ、可能かどうかの話。」
「他の男にお前を取られたくない。」
「あれ?いきなり私は所有物?」
「だって嫌だよお。」
「ははは。」
「夢見せてくれよ。あの時ローザン領に密入国成功して、ローザン領で兄貴となんとか生活できるようになって、おふくろ呼び寄せて、そのうちお屋敷に出入りするまで出世して、アグネスお嬢様と恋に落ちて、俺は今、憧れのアグネスお嬢様と隠れて抱きあってるんだ。」
「仮定が長いねえ。」
「ああ、今この状況に無理があり過ぎるからな。それで夢の続き。ローザン男爵様に見つかって、俺は殺されかけるんだけど、アグネスお嬢様は『俺と結婚させてくれないなら駆け落ちします』って男爵様を脅すんだよ。男爵様は泣く泣く、『二人でどこにでも行け。哀れに思って雇ってやったのに、このルカムの裏切り者。娘ははじめから一人しかいないと思うことにする。』と言うんだ。」
「面白い夢だね。でも私の姉は、生まれて3日で死んだんだよ。」
「そうだったのか?あの、いろんな意味でほんとすみません。」
「姉が生まれた頃、とても苦しい時期だったらしくて、男爵夫妻ですら、食べるものに困ってて、領民なんて悲惨でどんどん他の領地に逃げ出してたらしい。父も母も第一子が生後3日で死んでしまって、いつまでも泣いてたって。」
「そうか。でも、俺ら、生まれた土地から逃げ出しても殺されたから、領地を移れるってのは羨ましいけどな。」
「そうなんだね。私が生まれた頃には、天気は安定、天災も起きず、治安改善、盗みに入る悪人の拠点も一掃できてて、私はこのようにスクスク育ちました。いつも親に、『元気に育ってくれよ。お姉ちゃんの分も。』と言われ続けたなぁ。」
「そうだったのか。お前は後継ぎか?」
「そうなの。そのあと、ルカムから逃れてきたスーパー才女のエーファが私のお姉ちゃんになってくれて、可愛がってくれた。」
「エーファさんも知ってる。ヴィーレさんの奥さんだろ?」
「そう。エーファはずっと自分のことより私を大切にしてくれて・・・やっぱり私、死ななくて良かった。ありがとう、アレクサンデル、私を助けてくれて。」
「そりゃ助けるよ、俺の憧れの姫様なんだから。」
「ふふ、ねえ、アレクサンデルって良い名前だね。」
「おふくろが、こりに凝って付けた名前なんだ。子供の頃はよくからかわれたよ。」
「囚われた姫を助ける騎士にぴったりの名前だと思う。」
と言いながらアグネスは、ふと思いつく。
「ねえ、エスドート王国とルクソル公爵家に仕返ししたいって言ったら、助けてくれる?くれるよね?私、憧れの姫様だし。」
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