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結婚願望って何?って言ってた私が
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自他ともに認める仕事人間の私。大学院まで実験に明け暮れ、研究者として残る道が厳しかったため、一番条件の良かった食品会社に就職した。そこで栄養食品の開発一筋、先輩社員の中には、可愛げのない私の邪魔をする人もいたが、どうにかくぐり抜け、ダイエットや筋肉増強など、多くの人の欲望を解決しそうな商品を何個か開発した。治験モニターの試験結果の数値は、私の努力を裏切らなかった。私は一度も恋愛をしたことは無く、私の貯金の残高が、私を結婚願望から遠ざけていた。
私の開発した商品が、過去最高の売り上げを記録した時、会社で祝賀パーティーが開かれた。
「金一封かボーナスで反映してくれれば良いのに。」
直前まで着ていた白衣を脱いでドレスを着用しパーティーに参加している私が、部下にこぼす。
「会社としたら、我々開発チームを労うというより、会社の実績を社外にアピールするのが目的ですから。」
同じようにドレスに5分で着替えた部下が、冷ややかに答える。
パーティーでは、まず社長の挨拶で、今回の商品を賞賛していた。続いて開発チーム長が、社長のお褒めの言葉へのお礼の言葉を述べていた。
「お礼って、社員全員で、私たちに言えって言いたい。」
「確かに。まず社長から順に、我々にひざまずいて涙流して感謝しろって。」
私と部下がこそこそ話す。
乾杯が、副社長である社長の息子によって発せられる。
「こんな上場企業で同族経営ってどうなの?」
「家族でやってる中小企業かって。」
自分が働いている会社の上層部に詳しくない私と部下が、好きなことを言いながらビールを飲んでいると、
「君が開発者だって?ありがとうございます。この会社の救世主だね。社員全員に代わってお礼申し上げます。」
と、声をかけてきたのは、先ほど乾杯の発声をした副社長だ。
「あ、いえ、私だけではありません。優秀な部下たちがいないと、とても他社より良い商品は開発できませんでした。」
と、私はあわてて答える。
「そうか、部下たちね。さっき壇上に立った開発チーム長は、いなくても困らなかったのかな?」
副社長は、魅力的な笑顔で、イタズラっぽく言ったので、
「あー、その件に関しましてはノーコメントでも良ろしいですか?」
と答えてみたら、
「ちょっと、君の部下を、金屏風の前に集めてくれる?」
と副社長が指示。部下たちをパーティー会場の壇上に並ばせ、
「こちらの方々が、今回の製品の開発チームのメンバーです。」
と副社長は、メンバー各自に名前を言わせて、会場の皆に拍手を促した。
パーティー以降、副社長は私に何かとつきまとい、連れ回した。海外出張に同伴させ、栄養食品で世界一の売上げを誇る企業の開発者との交流、栄養学で最先端の論文を発表した学者との意見交換などなど。私はハンサムでクールで行動力のある彼を好きになった。彼が、
「入社前から君に興味があった。君を好条件で迎えるよう人事に指示したのは僕だよ。」
と囁きながらスキンシップを増やして来られたら、もう愛し合うしか無いだろう。彼はエコノミー雑誌や業界雑誌で度々特集を組まれるような人だったので、私とのデートはネットで詳細に晒された。恥ずかしかったが、まあお互い独り身だし、困ることではない。
しばらく甘い時期が続き、そろそろプロポーズされるかな、と思った頃、突然振られた。
「ごめんね、他の人を好きになってしまって。君のことが好きなことには変わりないけど、もっと好きな人ができた。二股はしたくないから、君とは別れたい。」
彼と別れてから、私はこれまで通り製品開発チームで、次なる開発に没頭、できなかった。部下たちの心配してくれている視線が痛い。かと言って、チームの外では、あからさまな蔑みの視線を浴びた。おそらく妬まれていたのだな。御曹司の寵愛も、開発部での私の実績も。
別に彼に執着してはいない。しかし、今、彼が好きな人が気になって仕方ない。自分が振られた理由は何だ?転職するか?あっさり別れた私は可愛げが無さすぎた?もっとすごい商品を作って私が社長をめざす?もう一度やり直したいと懇願したら別れなくて済んだのか?御曹司なんぞを好きになるんじゃなかった。御曹司絶滅しろ。
「リーダー、ちょっと休まれてはいかがですか?」
部下が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「リーダーの有休、溜まりまくってるでしょ?って私が言うなって話ですけど。」
そういう部下は、開発チーム内で恋愛中だ。
「そうね。自分探しの旅にでも行くか。でも今、自分探しは嫌だ、自己嫌悪の暴風雨に揉まれてしまう。」
部下が人事に相談したらしく、私は『お客様の声部』に移動になった。新しくできた部で、部長と私の二人だけ。部長は短髪メガネの若い男性だ。
「これまで、お客様の声は、マーケティング部や商品管理部がそれぞれ集めていたのですが、これからはここに一元化して、各部署に役立ててもらいます。」
と部長から部の説明を受ける。
「では、コールセンターにかかってきた電話の内容や、商品アンケートの結果を各部署に公開すれば良いですかね。AIによるまとめも一緒に。」
「そうですね。他にも思いついた事もいろいろやってみましょう。」
部長と二人で、試しにアンケートを読んでいく。
「面白いですね。これ、私が開発したダイエット目的健康食品のアンケートなんですけど『頭痛も取れました、御社のおかげです、ありがとう』って、そんな効能無いのに。」
部長は、商品の成分とアンケートを読んで、
「でもこの方はそう感じたんですね。ダイエットに成功して何かの頭痛の種が無くなったという可能性も否定できないですね。」
「ではこれは?筋肉増強プロテイン食品のアンケートに、『目も良くなった』ですけど。」
「外で運動するようになって、スマホゲームの時間が減ったとか?」
これまでの私は、条件を同じにした治験データを参考にしてきたので、アンケートの最後の、購入者の書いた文章は新鮮だった。風が吹けば桶屋が儲かるの世界?いやいやただの勘違い?しかし、こう感じて書いた人は確かに存在するのだ。私はそこから考えられる仮説を、すぐに古巣の開発部に伝えた。古巣の元部下からもすぐに反応があり、商品チェック部に居ながら、商品開発部の仕事をするようになった。
「今度、ここの施設を視察に行きませんか?」
部長が我が社のホームページに載っている関連施設を指しながら、私に聞いた。
「そこは、我が社が一部出資している、介護付きの施設ですね。」
「そうです。商品アンケートは、昔はハガキでしたが、今はネットに書き込んでもらっています。お年寄りの意見は少ないですから。」
「その施設の職員からのデータはありますが、確かに、本人からの回答は70歳くらいまでですね。」
そうだ、治験のデータは80歳代90歳代とあるが、商品購入者の年代分布とアンケート回答者の年代分布には乖離がある。
部長と二人で施設に出向き、
「日頃、我が社の製品をお試しくださり、ありがとうございます。今後の開発の参考にさせていただきたいので、ぜひ皆様のご意見をお聞かせください。」
と、私が挨拶すると、皆さんが我れ先にと喋り出す。
「この健康食品を食べると元気になる。」
「私はこっちの健康食品を食べて、ボケも少し治ってきた気がするの。」
「私はおたくの健康食品で、かえって健康を損ねた。」
「私は、健康食品など一切食べない。信用しない。」
「生鮮食料品をいただくのが健康の秘訣よ。」
「もう健康には戻れないから、毎日笑っていられるようなのを作って。」
「孫が可愛くてね、この商品を送ってくれたの。」
「気力が湧いてくるような物があれば、高くても買う。」
「この施設の職員の態度が悪すぎる。この商品の感想を聞かせろって、言い方が気に入らんので答えなかった。」
「ねえ、どうにかして若返えらせてよ。」
アンケートには無い、生の声が集まった。アンケートほど罵詈雑言は無かった。顔を見て話すって、すごいな。
帰りに、施設利用者に新しいサンプルを配る。先ほどの健康食品反対派の方々もきっちり受け取っていた。職員が言うには、私たちがご意見を伺っただけで、皆、元気が良くなり、健康度合いもアップしたように見えるとのことだ。
「アンケートの文章を読むのも新鮮でしたが、生の声には参りました。」
会社へ戻る車の中で言うと、部長は社名の書かれた車を運転しながら、
「私もです。とても勉強になりました。」
社に戻り、私が今日集めたお客様の声を入力している横で、部長は新たに、健康教室を開く企画を考えた。
「各地で各年代をターゲットにした健康教室で、皆様の健康へのアドバイスをし、商品開発のヒントをもらうのは、どうでしょう。」
部長が、私に聞いた。
「反応が怖いですが、やってみたいです。」
部長と二人で各地を回り、公民館で中高年、会社で会社員、保健所で妊婦など、さまざまな人の声を聞いて回った。
「今までの私は、人の身体を、数値でしか知らなかったように思います。」
と、部長に言うと、
「私もです。ずっと研究室にこもっていたので、人の生の声がこんなに参考になるとは思わなかった。」
「そうなんですね。研究室とは会社の?」
「いえ、大学のです。あなたの院時代の論文を兄に紹介したのは私です。」
え?私は部長を凝視した。
「弟?副社長の?」
「はい。私はずっとこの会社に誘われていましたが、営利目的の研究を嫌って、ずっと拒んで来ました。あなたの論文には注目していましたので、兄が私に誰か有望株はいないかと聞いてきた時、あなたを採用すると会社の利益になるだろうと兄に言いました。」
私の心の中はもう暴風雨どころでは無い。お前もか!お前も御曹司だったんかーい!
「あなたは、それで、えっと、いつ入社されたのですか?」
「兄があなたと別れたことを聞いた時です。兄があなたとお付き合いをしたこと、別れたことに少し責任を感じ、この部を作ってみました。あなたを元気にするための実験でしたが、結果的に私が実験成果を得ました。黙っていてすみません。私は大学に戻ります。」
『お客様の声部』はコールセンターの上部組織となり、私は商品開発部に戻った。私はお客様の声を開発に反映させ、またヒット商品ができた。
「リーダー、前のような爆発的なヒットではありませんが、これは長く愛される商品になると思います。」
と、部下が言った。
「あなたは、副社長の弟さんがどこにいるか知ってる?」
「誰ですか、それ。」
私は副社長に振られた時のショックからは完全に立ち直っていたが、寂しい気持ちというものを生まれて初めて経験していた。今回の商品のアンケート結果について、商品チェック部の部長と話がしたかった。話せなくても顔を見るだけでも良い。
私はどうして良いかわからず、副社長に連絡してみた。
「ご無沙汰しています。」
「やあ、久しぶり。あ、僕が婚約したことを聞いたのかな。」
「え?ご結婚されるのですか?」
「恥ずかしながら、相手は20歳のアイドルタレントなんだけど。」
おお、それは少し、いや、かなり恥ずかしかろう。
「おめでとうございます。それで、弟さんのことなんですけど。」
「あ、弟ね、あっという間に姿を消したね。この会社に全く興味は無かったみたいで、君にだけ興味があったようだ。」
「弟さんの大学はどこですか?そもそも下のお名前すら存じ上げず。」
実は、私は部長の名前も知らなかった。苗字は社長や副社長の苗字と異なっており、よくある苗字だったので、片っ端から検索をかけても、彼を見つけられなかったのだ。
「ああ、ドイツの大学ね、」
そもそも日本の大学でも無かったのか。
「弟は、父の隠し子でね、母は存在を知らないんだ。私が君と別れた時、少し会社を手伝わせて欲しいと、弟に頼まれた。」
私は、ドイツの大学にいる副社長の弟のことを調べた。生化学の世界で、何本か論文が認められた研究者だった。論文の中身は、大胆な仮説としっかりした検証が、読みやすくまとめられていた。しかし直近の論文だけは、今までと趣きが異なり、データだけではない、感覚に良い作用を与える働きかけを模索するものだった。私は、大学のホームページに書いてある連絡先にメールを送ってみた。すぐ連絡が取れたので、新商品の内容と購入者のアンケート内容を伝えた。
副社長の結婚式の朝、私は副社長の弟さんと一緒に、副社長夫妻にお祝いを言っていた。
「君たち、付き合ってる?」
副社長が嬉しそうに、弟と私を見た。
「そんなわけないでしょう。」
弟が私を横目で見て、私と目が合うとすぐ逸らした。
副社長の横に立つ、可愛い20歳のアイドルタレントさんは、赤ちゃんの時からテレビで稼いでいて、仕事歴20年。私よりよっぽど大人だった。私が副社長の元彼女であることを話の途中で察知したらしく、いかにもアイドルっぽい笑みから、感情を完全に消した微笑みにチェンジした。
弟と私は、結婚式の参列者が集まる前に式場を後にした。
「改めて、お詫びします。僕が兄の弟であることを言わないまま、あなたと一緒に仕事をしてすみませんでした。」
「そうですよ。それを知った時、本当にショックで。その上、それをぶつけたかったのに、消えてしまってずるいですよ。」
「申し訳ない。合わせる顔が無いと思って、逃げました。」
「でもあなたの直近の論文を読んで、同じ経験から同じ影響を受けたように感じて嬉しかったです。」
「ははは、研究者としては、曖昧な言い回しですね。」
「あなたの最新の論文も、少し哲学じみてましたよ。」
「ええ、思想が入ってしまい、私の論文が仲間の議論の対象になっています。仲間うちでは、科学技術の発展に哲学は必須だと言う者が増えているように感じています。」
「その母集団の数は?」
「わかりません、なんとなくです。」
二人で吹き出した。
その後は、彼と少しずつお付き合いが深まり、遠距離恋愛から遠距離結婚と進んだ。御曹司に振られて、その弟と結婚した私も、かなり恥ずかしい。なので、彼に聞いてみた。気になることはすぐ確認しないと。でも本人に確認する私ってどうなの?
「兄さんと付き合ってたことは気にならないの?」
「母集団はひとつですから。」
即答された。
私の開発した商品が、過去最高の売り上げを記録した時、会社で祝賀パーティーが開かれた。
「金一封かボーナスで反映してくれれば良いのに。」
直前まで着ていた白衣を脱いでドレスを着用しパーティーに参加している私が、部下にこぼす。
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同じようにドレスに5分で着替えた部下が、冷ややかに答える。
パーティーでは、まず社長の挨拶で、今回の商品を賞賛していた。続いて開発チーム長が、社長のお褒めの言葉へのお礼の言葉を述べていた。
「お礼って、社員全員で、私たちに言えって言いたい。」
「確かに。まず社長から順に、我々にひざまずいて涙流して感謝しろって。」
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と、声をかけてきたのは、先ほど乾杯の発声をした副社長だ。
「あ、いえ、私だけではありません。優秀な部下たちがいないと、とても他社より良い商品は開発できませんでした。」
と、私はあわてて答える。
「そうか、部下たちね。さっき壇上に立った開発チーム長は、いなくても困らなかったのかな?」
副社長は、魅力的な笑顔で、イタズラっぽく言ったので、
「あー、その件に関しましてはノーコメントでも良ろしいですか?」
と答えてみたら、
「ちょっと、君の部下を、金屏風の前に集めてくれる?」
と副社長が指示。部下たちをパーティー会場の壇上に並ばせ、
「こちらの方々が、今回の製品の開発チームのメンバーです。」
と副社長は、メンバー各自に名前を言わせて、会場の皆に拍手を促した。
パーティー以降、副社長は私に何かとつきまとい、連れ回した。海外出張に同伴させ、栄養食品で世界一の売上げを誇る企業の開発者との交流、栄養学で最先端の論文を発表した学者との意見交換などなど。私はハンサムでクールで行動力のある彼を好きになった。彼が、
「入社前から君に興味があった。君を好条件で迎えるよう人事に指示したのは僕だよ。」
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しばらく甘い時期が続き、そろそろプロポーズされるかな、と思った頃、突然振られた。
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「リーダー、ちょっと休まれてはいかがですか?」
部下が心配そうに顔を覗き込んでいた。
「リーダーの有休、溜まりまくってるでしょ?って私が言うなって話ですけど。」
そういう部下は、開発チーム内で恋愛中だ。
「そうね。自分探しの旅にでも行くか。でも今、自分探しは嫌だ、自己嫌悪の暴風雨に揉まれてしまう。」
部下が人事に相談したらしく、私は『お客様の声部』に移動になった。新しくできた部で、部長と私の二人だけ。部長は短髪メガネの若い男性だ。
「これまで、お客様の声は、マーケティング部や商品管理部がそれぞれ集めていたのですが、これからはここに一元化して、各部署に役立ててもらいます。」
と部長から部の説明を受ける。
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部長は、商品の成分とアンケートを読んで、
「でもこの方はそう感じたんですね。ダイエットに成功して何かの頭痛の種が無くなったという可能性も否定できないですね。」
「ではこれは?筋肉増強プロテイン食品のアンケートに、『目も良くなった』ですけど。」
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部長が我が社のホームページに載っている関連施設を指しながら、私に聞いた。
「そこは、我が社が一部出資している、介護付きの施設ですね。」
「そうです。商品アンケートは、昔はハガキでしたが、今はネットに書き込んでもらっています。お年寄りの意見は少ないですから。」
「その施設の職員からのデータはありますが、確かに、本人からの回答は70歳くらいまでですね。」
そうだ、治験のデータは80歳代90歳代とあるが、商品購入者の年代分布とアンケート回答者の年代分布には乖離がある。
部長と二人で施設に出向き、
「日頃、我が社の製品をお試しくださり、ありがとうございます。今後の開発の参考にさせていただきたいので、ぜひ皆様のご意見をお聞かせください。」
と、私が挨拶すると、皆さんが我れ先にと喋り出す。
「この健康食品を食べると元気になる。」
「私はこっちの健康食品を食べて、ボケも少し治ってきた気がするの。」
「私はおたくの健康食品で、かえって健康を損ねた。」
「私は、健康食品など一切食べない。信用しない。」
「生鮮食料品をいただくのが健康の秘訣よ。」
「もう健康には戻れないから、毎日笑っていられるようなのを作って。」
「孫が可愛くてね、この商品を送ってくれたの。」
「気力が湧いてくるような物があれば、高くても買う。」
「この施設の職員の態度が悪すぎる。この商品の感想を聞かせろって、言い方が気に入らんので答えなかった。」
「ねえ、どうにかして若返えらせてよ。」
アンケートには無い、生の声が集まった。アンケートほど罵詈雑言は無かった。顔を見て話すって、すごいな。
帰りに、施設利用者に新しいサンプルを配る。先ほどの健康食品反対派の方々もきっちり受け取っていた。職員が言うには、私たちがご意見を伺っただけで、皆、元気が良くなり、健康度合いもアップしたように見えるとのことだ。
「アンケートの文章を読むのも新鮮でしたが、生の声には参りました。」
会社へ戻る車の中で言うと、部長は社名の書かれた車を運転しながら、
「私もです。とても勉強になりました。」
社に戻り、私が今日集めたお客様の声を入力している横で、部長は新たに、健康教室を開く企画を考えた。
「各地で各年代をターゲットにした健康教室で、皆様の健康へのアドバイスをし、商品開発のヒントをもらうのは、どうでしょう。」
部長が、私に聞いた。
「反応が怖いですが、やってみたいです。」
部長と二人で各地を回り、公民館で中高年、会社で会社員、保健所で妊婦など、さまざまな人の声を聞いて回った。
「今までの私は、人の身体を、数値でしか知らなかったように思います。」
と、部長に言うと、
「私もです。ずっと研究室にこもっていたので、人の生の声がこんなに参考になるとは思わなかった。」
「そうなんですね。研究室とは会社の?」
「いえ、大学のです。あなたの院時代の論文を兄に紹介したのは私です。」
え?私は部長を凝視した。
「弟?副社長の?」
「はい。私はずっとこの会社に誘われていましたが、営利目的の研究を嫌って、ずっと拒んで来ました。あなたの論文には注目していましたので、兄が私に誰か有望株はいないかと聞いてきた時、あなたを採用すると会社の利益になるだろうと兄に言いました。」
私の心の中はもう暴風雨どころでは無い。お前もか!お前も御曹司だったんかーい!
「あなたは、それで、えっと、いつ入社されたのですか?」
「兄があなたと別れたことを聞いた時です。兄があなたとお付き合いをしたこと、別れたことに少し責任を感じ、この部を作ってみました。あなたを元気にするための実験でしたが、結果的に私が実験成果を得ました。黙っていてすみません。私は大学に戻ります。」
『お客様の声部』はコールセンターの上部組織となり、私は商品開発部に戻った。私はお客様の声を開発に反映させ、またヒット商品ができた。
「リーダー、前のような爆発的なヒットではありませんが、これは長く愛される商品になると思います。」
と、部下が言った。
「あなたは、副社長の弟さんがどこにいるか知ってる?」
「誰ですか、それ。」
私は副社長に振られた時のショックからは完全に立ち直っていたが、寂しい気持ちというものを生まれて初めて経験していた。今回の商品のアンケート結果について、商品チェック部の部長と話がしたかった。話せなくても顔を見るだけでも良い。
私はどうして良いかわからず、副社長に連絡してみた。
「ご無沙汰しています。」
「やあ、久しぶり。あ、僕が婚約したことを聞いたのかな。」
「え?ご結婚されるのですか?」
「恥ずかしながら、相手は20歳のアイドルタレントなんだけど。」
おお、それは少し、いや、かなり恥ずかしかろう。
「おめでとうございます。それで、弟さんのことなんですけど。」
「あ、弟ね、あっという間に姿を消したね。この会社に全く興味は無かったみたいで、君にだけ興味があったようだ。」
「弟さんの大学はどこですか?そもそも下のお名前すら存じ上げず。」
実は、私は部長の名前も知らなかった。苗字は社長や副社長の苗字と異なっており、よくある苗字だったので、片っ端から検索をかけても、彼を見つけられなかったのだ。
「ああ、ドイツの大学ね、」
そもそも日本の大学でも無かったのか。
「弟は、父の隠し子でね、母は存在を知らないんだ。私が君と別れた時、少し会社を手伝わせて欲しいと、弟に頼まれた。」
私は、ドイツの大学にいる副社長の弟のことを調べた。生化学の世界で、何本か論文が認められた研究者だった。論文の中身は、大胆な仮説としっかりした検証が、読みやすくまとめられていた。しかし直近の論文だけは、今までと趣きが異なり、データだけではない、感覚に良い作用を与える働きかけを模索するものだった。私は、大学のホームページに書いてある連絡先にメールを送ってみた。すぐ連絡が取れたので、新商品の内容と購入者のアンケート内容を伝えた。
副社長の結婚式の朝、私は副社長の弟さんと一緒に、副社長夫妻にお祝いを言っていた。
「君たち、付き合ってる?」
副社長が嬉しそうに、弟と私を見た。
「そんなわけないでしょう。」
弟が私を横目で見て、私と目が合うとすぐ逸らした。
副社長の横に立つ、可愛い20歳のアイドルタレントさんは、赤ちゃんの時からテレビで稼いでいて、仕事歴20年。私よりよっぽど大人だった。私が副社長の元彼女であることを話の途中で察知したらしく、いかにもアイドルっぽい笑みから、感情を完全に消した微笑みにチェンジした。
弟と私は、結婚式の参列者が集まる前に式場を後にした。
「改めて、お詫びします。僕が兄の弟であることを言わないまま、あなたと一緒に仕事をしてすみませんでした。」
「そうですよ。それを知った時、本当にショックで。その上、それをぶつけたかったのに、消えてしまってずるいですよ。」
「申し訳ない。合わせる顔が無いと思って、逃げました。」
「でもあなたの直近の論文を読んで、同じ経験から同じ影響を受けたように感じて嬉しかったです。」
「ははは、研究者としては、曖昧な言い回しですね。」
「あなたの最新の論文も、少し哲学じみてましたよ。」
「ええ、思想が入ってしまい、私の論文が仲間の議論の対象になっています。仲間うちでは、科学技術の発展に哲学は必須だと言う者が増えているように感じています。」
「その母集団の数は?」
「わかりません、なんとなくです。」
二人で吹き出した。
その後は、彼と少しずつお付き合いが深まり、遠距離恋愛から遠距離結婚と進んだ。御曹司に振られて、その弟と結婚した私も、かなり恥ずかしい。なので、彼に聞いてみた。気になることはすぐ確認しないと。でも本人に確認する私ってどうなの?
「兄さんと付き合ってたことは気にならないの?」
「母集団はひとつですから。」
即答された。
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