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序章 綴言の約束
2 別れと出会い
しおりを挟むあれから数年後のことである。
ルカは祖父の寝床のそばに膝をつき、細い手で祖父の冷たくなりかけた手を優しく握った。
かつてその手は力強く、彼に無限の物語を紡ぐ術を授けてくれたのだ。
今はもう温もりを失い、かすかな冷たさが指先に伝わる。
祖父の深い呼吸は静かに、ゆっくりとその間隔を長くし、やがて完全に止まった。
その瞬間、ルカの胸に大きな穴が開いたように感じられ、涙がこぼれ落ちた。
声にならない嗚咽がこみ上げ、彼はその場にうずくまった。
「じいちゃん……。」
その一言が、長い時間の重みを一瞬にして凝縮した。
幼い頃、祖父が語ってくれた言葉が耳に蘇る。
『綴言の力は、言葉が世界を織りなす糸じゃ。お前の中にも、その力はある。』
ルカは涙を拭い、祖父の遺した日記を見つめた。
その古びた革表紙は、まるで祖父の魂の一部のように感じられた。
「僕がこの力を使って、じいちゃんの物語を、みんなの物語を、もう一度紡ぎ直すよ。」
部屋の中には祖父の声も息遣いももうなかったが、
その教えと温もりは、確かにルカの胸の奥で生き続けていた。
外の風が窓を優しく揺らし、遠くで鳥の鳴き声が響く。
祖父との別れは悲しみで満ちていたけれど、
ルカの瞳は、未来へ向かう強い意志の光で満たされていた。
——それから数年後、僕は16歳になった。
僕は今日も一人、あの書斎の前を通り過ぎる。
扉は固く閉じられていたはずだった。鍵もかかったまま。
けれど、その隙間から、かすかに風が吹いていた。紙の匂い。インクの香り。
そして——声。
低く、誰かが語っていた。
それはルカの知る祖父の声ではない。けれど、懐かしさの影だけが、確かにそこにあった。
心臓が早鐘を打つ。足は止まらない。理屈より先に、心が応えていた。
怖い。でも、聞き逃してはいけない。
——ルカ。
名前を呼ばれた気がして、彼は扉に手をかける。
中は真っ暗だった。けれど、目が慣れるより先に、“言葉”が彼を包んだ。
棚の奥。開かれるはずのない鞄。風に翻るページ。
ひとつ、だけ。名もない布張りの本が、床にぽつんと落ちていた。
震える手でそれを拾う。心の奥で、何かがざわめく。
——やっと来たか、語り手よ。
ページの中から声がする。白紙のはずなのに、読める。
文字にならないのに、意味がわかる。
まるで夢の中にいるみたいだった。
けれど、夢はこんなに重くない。指先がページに沈んでいく。
彼は叫ぼうとした。けれど声は出なかった。
足元がぐらりと傾く。床が、空が、本の中に吸い込まれていく。
——落ちる。
祖父の書斎も、過ぎたあの日々も、自分が“誰だったか”さえ遠ざかる。
ルカは語りの渦に呑まれ、物語牢獄へ堕ちていった。
足元の感覚が、ない。
目を開けているはずなのに、視界は墨に沈んでいた。
音もなく、重さもなく、ただ名前だけが残っていた。
ルカ。
呼ばれたはずなのに、それは“誰かの記憶”のようにぼんやりとしていた。
やがて、風が吹いた。
——風、ではない。ページが捲られるような音。無数の紙が空を泳ぐような気配。
ルカは気づく。
自分は“本の中”にいる。
あるいは、“語られかけた世界”の中。
闇の奥に、うごめく何かがいた。
それは、蛇だった。
けれど、生きた肉ではなく、骨と記憶でできていた。
長大な骨の体は、空中を浮遊しているようで、うねるたびに、空間にヒビが入り、そこから『物語の断片』がこぼれ落ちていく。ところどころに残る鱗は、色を持たず、白紙のように透けていた。
頭部には欠けた冠。体には無数の文字が刻まれている。
けれど、その文は途中で途切れ、意味をなさなかった。
蛇神——かつて、そう呼ばれた存在。
いまはただ、未完の名をもって生き残った語られそこねの残骸。
「……キミ……きみ……」
「ことばを……持ってる……か……? きみは……さいごまで……語れる……?」
その声は直接頭の奥に響いた。喉からではなく、祈りのように。
けれど、祈りにはならなかった。
音節が壊れ、意味が千切れ、声が涙のように滴っていく。
ルカはひとつ、震えながら息を吸った。
「……君の名は……?」
蛇は、沈黙する。
だが次の瞬間、闇の天蓋が裂け、無数の言葉が嵐のように舞い落ちた。
「わたしは……ハー……ハー……リ……」
「ハーリィ?」
ルカがその名を呼んだとき、蛇神の片目が静かに開いた。
骨の奥に宿る、神の火。
そして、その火が、かすかに震えて言った。
「……語って……ほしい……わたしを……わたしの……さいごまで……」
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