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2杯目 2年目の夏
3 蝉しぐれと熱情
しおりを挟む放課後の図書室。
柔らかな午後の光が窓から差し込み、机の上には開いた本とノートが静かに並んでいた。
僕は一冊の小説をゆっくり閉じ、そっと返却用のカゴに置く。
背中越しに、窓の外では蝉の声が盛んに響きわたり、夏の夕暮れを告げている。
「じゃあ、ちょっと寄り道してくね」と入野さんがさっと立ち上がり、鞄を肩にかけた。
彼女の声はいつもの明るさを少し抑え、どこかいつもと違って見えた。
「うん、気をつけて」と僕は答え、目を戻す。
が、なぜかその背中が気になって、思わず窓の外の空を見上げた。
空はどんよりとした夏の夕暮れ。
蝉の合唱が続き、窓の外では遠くで通り雨が近づいている気配を感じる。
入野さんが歩き出す音が遠ざかる廊下。
なぜか、僕は彼女の後ろ姿を追いかけるように歩き出していた。
僕は何をしているんだ!?と思いながらも、入野さんのことが気になっていた。
廊下の角を曲がると、音楽室の重い扉が見えた。
扉の隙間から、ピアノの音が漏れている。
強く、激しく、感情が揺さぶられるような旋律。
それは、ベートーベンの「熱情ソナタ」だとすぐに分かった。
僕は思わず足を止めた。
誰もいない廊下に、熱を帯びた音だけが響いている。
暑い夏の夕暮れ、蝉しぐれの喧騒から一転、ここだけ静かで緊張感に満ちていた。
やがて音が途切れ、扉がゆっくり開く。
入野さんが息を整えながら顔を出した。
「あれ? 平岡っち、聞いてたの?」
し、しまったぁー!? 見つかってしまった。は、恥ずかしい……。
「う、うん……。なんだか、気になって……。」
僕は俯きながら答えた。
彼女のピアノの演奏から伝わる熱情と繊細さに圧倒されていた。
入野さんは笑みを浮かべて、音楽室の中に戻っていく。
僕はそのまま廊下に腰を下ろし、もう一度聞きたくなって耳を澄ませた。
廊下に響くピアノの余韻。
彼女の心の内を少しだけ垣間見たような、不思議な感覚が胸に残った。
「入りなよ! 聞いてって!」
入野さんに手を引っ張られ、音楽室に。
音楽室の中は、空気が少しひんやりとしていた。
入野さんはすぐにピアノの前に座り、鍵盤に手を伸ばす。
「ちゃんと弾けるようになりたいんだ、これ。」
そう言って、また「熱情ソナタ」の冒頭を弾き始めた。
指先は迷いなく、時に力強く、時に繊細に鍵盤を叩く。
ペダルを踏む足のリズム、少しミスして顔をしかめる一瞬の表情。
僕は言葉を忘れて見つめていた。
窓の外は夕焼けで赤く染まっていた。
それも相まってピアノを弾く姿の入野さんがとてもきれいに見えた。
今までもそう思ったことはあるけど、それとは違うきれいだ。
静かな音楽室に、ピアノの熱い旋律が満ちていく。
演奏が終わると、入野さんはゆっくり振り返り、息を切らしながら言った。
「ベートーベンってさ、言葉使わずに全部ぶつけてくる感じがするよね。」
僕はしばらく黙っていたが、やがて小さくつぶやく。
「……なんか、入野さんもそういうとこ、あるかも。」
一瞬の沈黙。
「それ、どういう意味?」
入野さんはからかうように笑う。
僕は照れて目を逸らした。
けれど、入野さんのまた違う一面が見れて、僕は、なぜか、嬉しかった。
「やっばー!! もう暗くなってんじゃん! 平岡っち、一緒に帰ろ!」
僕はコクリと頷いた。
音楽室の扉をそっと閉めて、僕と入野さんは廊下に出た。
夕暮れはすっかり深くなり、窓の外の空は藍色に染まっていた。
廊下の蛍光灯がぼんやり灯り、影が長く伸びる。
入野さんは少し肩をすくめて言った。
「なんかピアノってね、自分の中にあるぐちゃぐちゃを、ちょっとだけ片づけられる気がするんだよねー。」
僕はそれを聞き、ぽつりと答える。
「それはちょっと分かるかも。小説も、似たとこある。」
2人はしばらく沈黙したまま、家路へとゆっくり歩き出す。
言葉は少なくても、互いに頷き合い、その沈黙は心地よかった。
夏の蝉しぐれが遠くで鳴り響き、夜の空気がひんやりと包み込む。
ふと見上げると、星が1つ、2つ、輝きはじめていた。
2人の距離は少しだけ近づいている、そんな気がした。
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