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2杯目 2年目の夏
9 塾と小説と
しおりを挟む夏の朝。
僕は目覚まし時計が鳴るよりも早く、自然と目が覚めてしまった。
まだ薄明るい空の下、家を出て近くの公園へと向かう。
公園には、すでに朝の散歩をする老夫婦や、ラジオ体操に勤しむ人々の姿があった。
高い木々の間から差し込む朝日は、地面にまだらな光の模様を描いている。
ジージー……。
耳に飛び込んでくる蝉の声は、この季節特有のBGMだ。
青々とした木々の葉が風に揺れ、さらさらと涼やかな音を立てる。
遠くからは、ブランコを漕ぐ子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
僕は、深く息を吸い込んだ。
ひんやりとした空気が肺いっぱいに広がり、体の内側からシャキッとするような感覚に包まれる。
いつもはどこか気だるさを感じていた夏だが、この朝の公園の空気は、特別な清々しさがあった。
「小説のインスピレーション、か……。」
福田先輩の物語の余韻が頭をよぎる。
僕は、視線をゆっくりと周囲へと巡らせた。視覚、聴覚、嗅覚。
全身で夏の空気を感じ取ろうと意識する。
公園の中央にある広場の隅のベンチに腰を下ろす。
カバンから、いつものように使い込んだノートと、最近持ち歩くようになったスケッチブックを取り出した。
ノートには、普段から思いついた言葉や風景の描写、キャラクターのセリフなどを走り書きしている。
スケッチブックには、文字だけじゃなく視覚的なイメージを留めておきたい時に簡単な絵を描いたり、色合いのメモを残したりする。
目の前には、朝露に濡れた滑り台がキラキラと光っていた。
ブランコが風に揺れ、シーソーは静かに佇んでいる。
ノートのページをめくり、サラサラとペンを走らせる。
「蝉の声の描写は……もっと具体的に。『耳に膜が張ったように、音の全てが蝉の声に上書きされる』とか?」
スケッチブックには、公園の木々の緑の色合いを、簡単なグラデーションで表現してみた。
その時、近くで幼い子供たちの声が聞こえた。
「あー!おねえちゃんの水鉄砲、とまっちゃった!」
「もー!ほら、貸してごらん?」
小さな姉弟が、楽しそうに水鉄砲で遊んでいる。弟が困ったような顔で姉を見上げ、姉が少し得意げな顔で水鉄砲を受け取る。微笑ましい光景に、周祥は思わず口元を緩めた。
「…兄弟の会話、日常感が出るな。小説にも取り入れられそうだ。」
ペンを止め、その光景を目に焼き付けた。
午後の日差しは、朝とは打って変わって強く、容赦なくアスファルトを照りつける。
僕は、涼を求めて街中の小さなカフェへと足を向けた。
冷房の効いた店内は、外の喧騒を忘れさせてくれる。
窓際の席に座り、キンキンに冷えたアイスコーヒーを一口。
喉をひんやりとした液体が通り過ぎていく感覚が心地よい。
窓の外をぼんやりと眺める。
学生らしきグループが笑いながら通り過ぎていく。楽しそうな会話が、微かに耳に届く。
「今年の夏祭り、浴衣どれにする?」
「絶対あれがいい!花火見に行こうね!」
浴衣姿の若い女の子たちが、楽しげに話しているのが目に入った。
彼女たちの笑顔は、夏の陽射しよりも眩しい。
夏祭り――。
僕には、これといった夏の思い出がなかった。
転校ばかりで、地域に根差したイベントに参加する機会も少なかった。
「夏祭りか……。」
去年の夏、家の近所で小さな祭りがあったはずだ。
だが、結局一人で行く気になれず、部屋の窓から打ち上がる花火を眺めていたことを思い出す。
孤独な少年が、夏祭りの夜に特別な出会いをする物語。そんなアイデアが、ふと頭に浮かんだ。
カフェの賑やかな雰囲気、人々の楽しそうな声、そして夏の思い出。
これら全てが、僕の小説へのインスピレーションとなっていた。
カフェを出て、強い日差しの中を家へと向かう。
すっかりと頭の中は、先ほど思いついた小説のアイデアでいっぱいだ。
「夏祭り……花火大会……浴衣……。」
ブツブツと呟きながら、信号のない横断歩道を渡ろうとした、その時だった。
「あれ~! 平岡っちじゃん!」
聞き覚えのある、元気な声。
思わずそちらを見上げると、そこに立っていたのは、入野さんだった。
彼女は、黒のショートパンツに、白のTシャツというラフな格好で、片手にコンビニのビニール袋を提げていた。額には、うっすらと汗がにじんでいる。
「入野……さん。」
まさかこんな場所で会うとは思わず、周祥は少しだけ目を丸くした。
「奇遇だねー。こんなとこで会うなんて!」
入野さんは、にこやかに笑う。その笑顔は、真夏の太陽のようだった。
「入野さんも散歩?」
「んー、まぁそんな感じ? ちょっと喉乾いたから、飲み物買いに行こうかなーって。」
入野さんは、手に提げたビニール袋を軽く振る。中には、麦茶のペットボトルが透けて見えた。
「平岡っちは?なんかぼーっとしてたけど、まさか白昼夢でも見てた?」
からかうような口調だが、その瞳は優しげに周祥を見つめている。
「いやぁ……その、小説のこと考えてて。」
僕は、少しだけ頬を赤らめた。
「へぇ! なんかいいネタ見つかった?」
入野さんは興味津々といった様子で、僕の顔を覗き込む。
僕は、カフェで思いついた夏祭りの話を、少しだけ入野さんに話してみた。
「へー! いいじゃん、それ! 平岡っちの小説、なんか読んでみたいかも。」
入野さんは、素直に感心したように頷いた。
「でもさー、平岡っちってば、夏祭りの思い出とかあんまりないんじゃないの?」
「なっ……なんで、それを。」
図星を指されて、僕はたじろぐ。
入野さんは、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
「んー? なんかそんな気がしただけー。でもさ、それならさ、これから思い出作ればよくない?」
「これから……?」
入野さんの言葉に、僕はハッとする。
「そそ!例えばさ、今年の夏祭り、一緒に行ってみるとか?」
「え……!」
突然の誘いに、僕の心臓が大きく跳ねる。胸が高鳴るのを感じた。
「なーんてね! まだ夏休み始まったばっかりだし、お互い忙しくなるだろうしね!」
入野さんは、からかうように言って、楽しそうに笑う。
僕は、その笑顔に少しだけ拍子抜けしたような、しかし安堵したような複雑な気持ちになった。
「でもさ、平岡っちがそんなに小説に熱中してるなんて、なんか意外だったなー。いいことじゃん!」
入野さんの言葉は、周祥の心にじんわりと染み込んだ。
「私もさ、将来のこと考えたら、頑張んないとなーって思ってるんだけど。」
入野さんは、少しだけ顔をしかめた。
「将来、か……。」
僕も、最近は将来について考えることが増えていた。
小説家になりたいという漠然とした夢はあったが、それを現実のものとするためには、どうすればいいのか。漠然とした不安が、常に心の奥底にあった。
「平岡っちはさ、将来何になりたいとかあるの?」
入野さんが、まっすぐに周祥の目を見つめて尋ねた。
その瞳は、まるで彼の心の奥底を見透かすかのように、真っ直ぐだった。
僕は、一瞬言葉に詰まる。
「まだ、はっきりとは……でも、小説は、書き続けたい、かな。」
「そっか! なんか平岡っちらしいね!」
入野さんは、そう言って優しく微笑んだ。
二人は、並んでしばらく歩いた。夏の夕暮れの空が、少しずつ茜色に染まっていく。
「そういえば、平岡っちは塾の夏期講習、始まったんだっけ?」
入野さんは、ふと思い出したように尋ねた。
「あーうん。昨日から始まったよ。…それに、夏期講習以外の時間は、正直、少し手持ち無沙汰なんだ。」
僕は、げんなりとした顔で答えつつ、ふと正直な気持ちが口をついた。
小説のアイデアを練る時間は楽しいが、それ以外の、ぽっかりと空いた時間が、少しだけ寂しくもあった。
塾の夏季講習で、将来のための勉強。そして、何よりも大切にしたい小説を書くこと。
僕の心の中で、二つの思いが交錯していた。
「そっか、手持ち無沙汰ね……。ねぇ、平岡っち、明日空いてる?」
入野さんは、何かを思いついたように目を輝かせた。
「空いてるけど…。」
「実はさ、またバイト、人手が足りなくて困ってて。
平岡っちが暇なら、また助っ人お願いできないかな? お願い!」
入野さんの瞳が、僕の困惑をよそにキラキラと輝く。
「いいよ。暇なのは本当だし、助けになるなら。」
「やった! 助かるー! じゃあ詳しいことはまたマインするね! またね、平岡っち!」
自宅の近くで、入野さんは手を振って別れた。
「うん! また。」
周祥は、入野さんの後ろ姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。
入野さんとの偶然の出会いは、周祥の心を再び熱くする。
夏の空の下、彼の物語は、まだ始まったばかりだ。
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