ココアのおいしい冬の出会いは。

御歳 逢生

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2杯目 2年目の夏

10 夏フェアと書店の一日

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夏の日差しが、まだ昇りきらない空の下、僕は家を出た。
昨日の入野さんからの頼みで、彼女のバイト先の書店で「助っ人」として働くことになったのだ。
もしかしたら一緒にシフトに入れるかもしれない、という淡い期待を抱きながら。

しかし、今日のバイトは、入野さんと同じシフトではなかった。
少しがっかりしたものの、気持ちを切り替える。
今日の僕のミッションは、夏休みの一大イベント、「夏の読書フェア」の準備だ。

書店に着くと、すでに店長と数人のスタッフが準備に取り掛かっていた。
ガラス張りの入り口からは、朝の光が店内いっぱいに差し込んでいる。

「お、平岡くん、おはよう! GW以来だね~。
 世楠ちゃんが無理言っちゃったみたいでごめんね。今日はよろしくね!」

倉本店長、GW以来だ。穏やかな笑顔で僕を迎えてくれた。

「おはようございます! いえいえ、暇でしたので。今日はよろしくお願いします!」

僕は、少し緊張しつつも、やる気に満ちた声で答えた。

店長の指示を受け、僕たちは店内の飾り付けに取り掛かる。
青や水色の涼しげな布で棚を飾り、貝殻やヒトデのオブジェを並べていく。
扇風機が首を振り、心地よい風を店内に送る。

「夏はやっぱり、爽やかな雰囲気がいいからね。
 それに、読書って涼しいところでゆっくり楽しむものだからさ。」

店長がそう言いながら、笑顔でポップを貼り付けていく。
僕は、おすすめの小説やエッセイを集めたコーナーを整え、手書きのポップを添えた。夏をテーマにした物語や、旅行記、冒険小説。自分の好きな本が、誰かの手に取られることを想像すると、胸が高鳴った。


フェアの準備が一段落したところで、店長が僕に声をかけた。

「平岡くん、午後に予定してる子供向けの朗読イベントなんだけど、ちょっとリハーサルしてみないか?」

「え、僕が、ですか!?」

予想外の言葉に、僕は思わず声を上げた。
朗読イベントがあることは知っていたが、自分が担当するとは聞いていなかった。

「うん。君、声も優しいし、物語を読むのが好きだろう?
 朗読イベント、平岡くんの声で聞きたい子もいるんじゃないかな?」

店長は、僕の小説好きを知ってのことだろうか。期待のこもった目で僕を見つめた。
少し戸惑いつつも、僕は朗読イベントで使う絵本を手に取った。
タイトルは『おおきな木の物語』。優しい絵と、心温まる物語が描かれた本だ。

店長の隣で、僕は絵本の読み聞かせを練習し始めた。
最初は声が震え、たどたどしかったが、ページをめくるごとに物語の世界に入り込み、少しずつ声に感情がこもっていく。

「……そして、木は、いつまでも、みんなを見守り続けました。」

最後のページを読み終えると、店内には静寂が広がった。

「うん、平岡くん、すごくいいよ! 物語がちゃんと伝わってくる。
 その調子で、本番も楽しんでやれば大丈夫だからね!」

店長からの励ましの言葉に、僕は大きく頷いた。
緊張はまだあるけれど、子供たちの笑顔を想像すると、少しだけ楽しみになってきた。


フェアがオープンすると、店内はたちまち賑わい始めた。
夏休みを利用した親子連れが、絵本コーナーで楽しそうに本を選んでいる。
コミックコーナーでは、制服姿の若者たちが、最新刊を手に盛り上がっていた。
いつも来店する常連のお年寄りも、文庫本を手に、ゆっくりと棚を眺めている。

僕は、店内の案内をしたり、本の場所を尋ねる客に声をかけたりしながら、接客に励んだ。

「あの、この本を探しているんですけど…。」

小さな男の子が、僕の裾を引っ張った。僕は優しく彼の目線までしゃがみ込み、探している絵本を見つけてあげた。男の子が嬉しそうに駆け出していくのを見て、心が温かくなる。

本を介して、様々な人と繋がり、彼らの人生の一端に触れることができる。
書店の仕事は、僕にとってかけがえのない経験になっていた。


夕方、朗読イベントの時間になると、子供たちが絵本コーナーの前に集まり始めた。
パイプ椅子に座った子供たちの目が、キラキラと輝いている。
僕は、深呼吸をして、朗読の席に着いた。

「皆さん、こんにちは! 今日は、僕がお話を読みますね。」

少しだけ声が上ずる。だが、目の前の子供たちの無邪気な笑顔が、僕の緊張を解きほぐしてくれた。
絵本のページをめくり、『おおきな木の物語』を読み始める。
声のトーンを変化させ、登場人物になりきって感情を込める。
子供たちは、真剣な眼差しで僕を見つめ、物語に聞き入っている。

ある子は、大きな木の絵に指を差して笑い、またある子は、主人公の言葉に真剣な表情を浮かべる。
その一つ一つの反応が、僕にとって何よりも嬉しかった。

読み進めるうちに、僕自身も物語の世界に引き込まれていく。
言葉の一つ一つが、子供たちの心に、そして僕自身の心にも、温かい光を灯していくのを感じた。
物語を読み終えると、子供たちから大きな拍手が沸き起こった。

「お兄さん、もっと読んで!」

「面白かった!」

無邪気な声が響き渡る。
周りのスタッフや、見守っていたお客さんたちも、温かい眼差しで僕たちを見ていた。
達成感と、ほんの少しの照れくささが、僕の胸を満たした。


書店の閉店作業を終え、店を出る頃には、すっかり夜になっていた。
日中の喧騒が嘘のように、街は静けさに包まれている。
体には鉛を流し込んだような疲労感があった。
午前中の準備、午後の接客、そして朗読イベント。慣れない仕事も多く、神経を使った一日だった。

しかし、その疲れは、決して嫌なものではなかった。むしろ、心地よい充実感に満ちていた。
夏の夜風が、火照った僕の頬を優しく撫でていく。
今日一日、たくさんの本と、たくさんの人々と触れ合った。
特に、子供たちの笑顔は、僕の心に深く刻み込まれた。

(もっと、いろんな人に物語を届けたい……)

朗読イベントで感じた、言葉が人に伝わる喜び。それは、小説を書くことと、深く繋がっている。
僕は、夜空に輝く星を見上げながら、その思いを新たにした。
僕の物語は、まだ始まったばかり。
この夏は、きっと、僕にとってかけがえのないものになるだろう。


帰宅してシャワーを浴び、ベッドに倒れ込んだ瞬間、スマホがピコンッと鳴った。
疲れているはずなのに、その音に、僕の意識ははっきりと覚醒した。
入野さんからマインだ。

〈よっ!〉
〈漢気スタンプ〉

彼女らしい、元気いっぱいのスタンプに、思わず笑みがこぼれる。
〈こんばんは、入野さん。〉

すぐに既読がつき、返信が来る。
〈おつかれ!今日のバイト、どうだった?〉
〈平岡っち、なんか緊張してるかなーって、ちょっと思ってたんだけど!〉

少しだけドキッとする。まさかそこまで見透かされているとは。
〈いえ、そんなことは……。〉
〈でも、子供たちの朗読、とても楽しかったかな。〉

送信すると、すぐに既読がつく。
〈だよねだよね!やっぱ平岡っちの声、子供たちも好きそうじゃん!〉
〈私も今日、別のところでバイトしてたんだけど、平岡っちのこと、ちょっとだけ気になってたんだー!〉
〈漢気、大丈夫スタンプ〉

入野さんの「気になってた」という言葉に、僕の胸が小さく、でも確かに高鳴る。疲労で重かった体が、少しだけ軽くなるような気がした。
〈ありがとう。〉
〈入野さんがバイトに誘ってくれたおかげで、とても良い経験になったよ。〉

〈えー! なんかかしこまってるし! いーってことよ!〉
〈でもさ、平岡っちが楽しんでくれたなら、私も嬉しい!〉
〈休日も平岡っちに会えて嬉しいよん!おやすみー。〉
〈漢気、おやすみスタンプ〉


「休日も平岡っちに会えて嬉しいよん!」

その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
会えたわけじゃないのに、言葉一つでこんなにも心が温かくなるなんて。

〈おやすみ。〉

短い返信を送って、スマホを置いた。
今日一日の疲れと、入野さんの言葉が混ざり合い、心地よい眠気が僕を包み込む。

(また会えるかな……)

淡い期待を胸に、僕は静かに目を閉じた。
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