月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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1章:落日の王都

8話:エトワール

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 リューヌの背が夜に消えていくのを見送った後で、エトワールは立ち上がる。その足が向く先は、この国の王城だった。
 かつては王の居城だったここも、既にその主を失っている。固く閉じた門扉を守る兵は、ゆっくりとこちらへ近づいてくる人影を見て身を硬くした。

「何者だ! ここより先は許可なく通す事は出来ぬ!」

 警告の言葉を発した兵士は、だが松明の明かりに照らされた青年を見て顔を青くした。手にした槍を落としてしまいそうなほど委縮したのだ。

「へっ、陛下!」
「お勤めご苦労」

 穏やかに言ったエトワールは、今にも卒倒してしまいそうな兵士の肩を軽く叩く。そして、穏やかな笑みを浮かべた。

「申し訳ありません! 貴方様とは知らず」
「まぁ、こんな格好だしな。夜なのだから仕方のないことだ。それに、お前のように熱心な兵が守る城ならば、俺も安心して眠れるというものだ」

 思いがけず貰った激励の言葉に頬を紅潮させ、兵士は大きく敬礼をする。門扉が開いて、エトワールは通された城を見上げた。

「美しいな」

 綺麗なシンメトリーの表は白い壁面に青い尖塔を持つ美しい城だ。庭も手入れされ、綺麗な石畳が続いている。だがやはり、その所々には戦の跡が残っていた。
 そのままエトワールは城の中へと入り、王の執務室を訪ねた。すると、中からこれまた見目のいい若者が顔を出した。

「遅かったね、ルーカス。キエフ港に到着したのは、確か昼だったと聞いているけれど?」

 多少咎める様子のある若者に、エトワールことルーカス・ラドクリフは苦笑した。

「そう煩く言わないでくれ、ジョシュ。この目でゆっくりと王都を見たかったんだ。この国は美しいな」

 そう言って室内へと入ったルーカスに溜息をつきつつも、若者は扉を閉めてソファーの一つに腰を下ろした。
 ルーカスは窓際に立ち、そこから街を見下ろしている。その瞳は、さっきまでリューヌに向けられていたほど柔らかくはない。静かで厳しい、王の目をしていた。
 彼こそが若きルルエ新王。戴冠から一年と経っていない、まだ無名とも言える王だった。

「街には大した被害は出ていないな」
「あぁ、予定通りだよ」

 そう答える若者もまた、ルルエ国内では有名な人物だ。
 ジョシュ・アハル将軍。ルルエ国第一騎士団を預かる有能な人物であると同時に、ルーカスの従兄弟にあたる。背に落ちる鳶色の髪と端整な顔立ちは、常に女性の憧れの的だ。

 しばらく夜景を楽しんだルーカスは、ジョシュの正面に座る。そして、暗い顔で口を開いた。

「現状を聞こう」

 ジョシュも真剣な顔になり、現在把握している限りのことを説明し始めた。

「城を守っていた兵の抵抗が意外と強く、想定以上の者を斬る事になった。生き残った者は城の地下牢へと入れてある。けれど、時間を取られたせいで重要な書類や手紙は灰となり、城を取り仕切っていただろう者達にも逃げられてしまったよ」
「相手も必死だ、当然といえば当然だろう」

 だが、随分と手際のいい者がいたものだ。攻めたててから三時間程度で落ちたと聞いている。その間に城の者を逃がし、書類や手紙を集めて燃やしたか。

「タニス王は何か喋ったか?」
「いいや。近年では王としての力も落ちたと聞いていたけれど、そう簡単な人でもない。尋問はしているけれど、何一つ話そうとはしないよ」
「そうか……」

 これも想定外だ。元々、王は殺さずに捕えるつもりではいた。だが、王としての力も落ちた者ならば胆力も落ちただろうと考えていた。だから簡単に口を割らせることも可能かと思っていたが……そう簡単ではないらしい。

「王太子と、弟王子の行方は分かったか?」
「そちらも分からずじまいかな。王太子の方は城を落とすよりも前に他の砦へ出向していると噂に聞いたよ」
「王太子を王都から出したというのか?」

 ルーカスは怪訝な顔をした。あまり聞かない話だ。だがジョシュの方は苦笑するばかりだった。

「どうやら不遇の王太子だったようだよ、ユリエル王太子というのは。今回も左遷だったとか」
「……そうか」

 それでふと、ルーカスは自身の王太子時代に聞いた噂を思い出した。
 弟王子のほうが王妃の位が上だ。そんな理由で、国の剣となり盾となっている王太子は冷遇されている。聞いた当初はなんと馬鹿らしいかと思ったものだ。まさかそれが、未だに続いていたとは。

「お前はその王太子に、会ったことはあるか?」
「残念ながら顔を合わせた事はないよ。戦場でぶつかった事はあるから、なんとなく人柄は分かる気がするけれどね」
「どんなだ?」
「簡単に言うと、狡猾で抜け目ない。ただ、兵士を大事に扱っている。無暗に突撃するようなアホではないよ。こちらの穴を的確についてくるからやりづらい相手だった」

 ジョシュが思い返すように苦笑する。仕事に対してこのような弱気とも取れる発言をするのは、実は珍しい事だった。

「戦いたくない相手か?」
「正直に言えばね。全力で向かってくる感じがある。逃げを許さない鋭さもある。そして、こちらの盲点を的確についてくる」
「お前がそこまで言うなら気を付けよう」

 会った事のない王太子はどんな人物か。ルーカスは興味を引かれた。城の中で冷遇を受け、戦場では冷静な戦いを仕掛ける。王太子でありながら軍籍に長らく身を置く人物とは、どんな者なのか。

「手を組むなら、弟王子の方が御し易いと思うよ」
「どちらがいいかは会ってみないと分からない。こちらの目的は二国の統一。その方法は、国を攻め落とすばかりではないからな」

 そう、戦争だけが国を繋ぐものではない。ないのだが、現状ルーカスはこの方法しか取れなかった。

 ルーカスはまだ若い。そして、それ以上に狐が煩かった。特に神の名を騙る者どもが騒がしい。そしてとうとう、神の名の元にあるべき国の形を取り戻すと信者にまで奮起を呼びかけようとした。
 さすがにそうなると、国民のほぼ全てが信仰する神の呼びかけに等しくなる。罪のない民まで巻き込んでの戦争など冗談ではない。結果、時間をかけてこのような方法で王都を占拠した。これで、あの者共も少しは満足だろう。

「話し合い、両国の関係を正常化する。それは確かに理想的ではあるけれど、果たして聞く耳を持つかどうか」
「持たせてみせるさ。それをするのが、王の務めだ」

 これ以上無用の血を流す事は避けたい。だからこそ、王太子と弟王子を捕え話しがしたい。現王には申し訳ないが、国内を鎮めるための生贄となってもらう。

「頭の痛い話だな。ジョシュ、引き続き王太子の行方を追ってくれ。どこにいるか分かれば、そこに兵を送る」
「了解」

 静かに言ったジョシュは、この道の困難さを思って溜息をついた。

 ルーカスは再び外へと目を向ける。そこからは、穏やかな月が見えている。その月を見ていると、ふと先程のリューヌを思い出した。自然と波立つ気持ちが凪いで、穏やかになっていく。触れた手の感触まで覚えているようだ。

「何やらご機嫌だね」

 自然と笑みを浮かべていたルーカスを見て、ジョシュは不思議そうに問いかける。それに、ルーカスは穏やかな笑みを浮かべ、更にリューヌを思い出して幸せそうに瞳を緩めた。

「双子星に会ったよ」
「え!」

 思いがけない言葉だったのか、ジョシュが勢いよく立ち上がる。そして途端にソワソワし始めた。
 それというのもルーカスは女の気配が一切ない。今年で二十六、そろそろ結婚も考えなければならないのだが、まったくその気がない。他に兄弟もないせいか、周囲はとても気にしているのだ。

「その双子星は一体どこへ? もしや、タニスの人かい? だとしたら早くこの国を落としてしまわないと。ルーカス、名は聞いているんだろうね。どこに住んでいるんだい?」
「まぁ、落ち着けよ」

 焦り取り乱すジョシュの様子を面白がるように、ルーカスは声を上げて笑った。そして、気の毒な従兄弟に種明かしをした。

「詩人を縛るような不粋は嫌われるぞ」
「詩人……なのかい?」

 途端、ジョシュは沈んだ顔をする。彼も詩人がどういった存在か理解している。世を捨てた者が結婚など、考えるはずがない。勿論旅暮らしだ、所在を掴むことも難しいだろう。

「……いや、それでも何とか説得してみなければ。特徴を教えてくれれば探させて……」
「彼はとても美しい月よりの使者のようだ。俺はあれほどに美しく、心穏やかにしてくれる相手に今まで出会ったことがない」
「……彼?」
「あぁ、彼だよ」

 面白そうな笑い声に、ジョシュはがっくりと肩を落とす。そして、何とも恨めしい目でルーカスを睨み付けた。

「貴方の双子星は男だとでも言うのかい?」
「そのようだ。だがこれは確信だ、彼が俺の双子星。願っても手に入らない、遠くに見るより他にない星さ」

 だが、もし叶うならば手元に置きたいとは思った。引き止める事もできなかったが、今ここにきて何故強引にでも手を取らなかったのかと、後悔し始めている。

「美しいリューヌは、そう簡単に手に入らない。だが、そうだな……。俺がこの国を一つにできた時には、改めて探してみようか」

 彼はタニスの民。世を捨てたとは言え、ルルエ国王である自分を受け入れてくれるとは思えない。平和に二国を統一した後だ。

「何故この時期に、このような場所に詩人がいたんだい?」
「ここが故郷らしい。不穏な噂を聞きつけて、望郷の思いにかられたそうだ」
「詩人が?」

 どこか不思議そうにジョシュは首を傾げるが、ルーカスはそうは思わなかった。詩人もまた人。誰かの心を動かす詩を伝える彼らの心は実に繊細で、豊かだと思う。いくら世を捨てたとて、初めから詩人であったわけではない。望郷の思いくらいはわくだろう。

「人を思い、過去を思う事もあるだろう。詩人とて人だ、心が無いわけではない」
「確かにそうだが……未熟だ」
「おそらく年齢的に、俺と同じくらいだろう。若い詩人だった。もしかしたら、旅を始めて日が浅いのかもしれない」

 それならば、もしかしたら傍にいてくれるかもしれない。ふとそんな事を思ったルーカスは、すっかり心を奪われた事に苦笑する。そして、振り切るように立ちあがった。

「休むかい?」
「あぁ、そうする。部屋は適当に使う」
「王の寝室が開いているけれど?」
「冗談。そんな事をすれば、古の女王が俺を呪い殺すだろうよ」

 憎き王とその愛人の子孫。それがルルエ王家なのだから。

◆◇◆

 執務室を出て、ルーカスは奥院へと向かった。王族の私室などがある場所だ。
 そこへ向かう途中、小さな中庭を見つけた。月明かりが青白く照らし出すそこは、小さいながらも綺麗に手入れされている。
 そしてふと、そこに無名の碑を見つけた。不思議に思い近づいてみると、それは大きくはなく、あまり立派とも言えない。だが周囲は綺麗にされていて、雑草などはない。百合の花が植えられ、凛と咲いている。碑自体もとても綺麗に掃除がされ、磨かれている。

「もしや、墓標なのか?」

 だが一体、誰がこんな所に葬られているというのか。しかも無名で。王族の端にある者だとしても、あまりに酷い扱いだ。
 だが、大切にしている者がいるのだろう。そうでなければこれほど綺麗に整えられてはいない。苔もなく磨かれ、美しい花が植わっている。
 尊く、そして非業の者が眠るのだろう。だが、きっと高貴だったはずだ。この碑はそこに立つだけでこんなにも背筋が伸びる。ルーカスは静かに手を合わせ、騒がせたことを詫びた。

 その場所から周囲を見回すと、二階の一角に他の部屋とは様子の違う窓を見つけた。カーテンの色や、様子が他とは違う。
 何の気もなく自然と、ルーカスの足はその部屋へと向かっていた。


 部屋はすぐに見つかった。同じような扉が続く中で、その部屋の扉だけに百合のレリーフが施されていた。
 扉を開けて中に入ると、室内は綺麗に片付けられている。明かりを灯しても生活感があまりない。少し大きな執務机に、客人を迎えるソファーセット。少し広めのベッドには明るいアクアブルーの布団がある。窓にもコバルトの重厚なカーテンがかかっていた。
 整頓されたこの部屋から、持ち主の性格も見えるようだ。贅沢を好まず、きちんとした性格をしている。だが、一部好きな物を手元に置いて楽しんでいるのだろう。
 部屋の空気はよく入れ替えられ、掃除もされている。だが、背の低い棚の上に置かれている花瓶の百合は萎れていた。おそらく主が留守にして少し経っているのだろう。

 棚の中を見てみると、そこには綺麗なティーセットが数組置かれている。白い磁器に彩色された物が多い。そして数種類の茶葉の缶。部屋の主の趣味だろうか。
 だが、ルーカスの目を引いたのはそこではない。その棚には何故か鍵がかけられている。しかも、幾つもの銀のスプーンが置かれている。セットの数に対して明らかに多い。だがそこに、シュガーポットなどは見当たらない。

「もしかして……」

 毒を警戒していたのか?
 銀は毒に反応する。その為、王侯貴族は銀器を好む。その仮説を証明するように、無造作に置かれたスプーンはどれも黒ずんでいた。

「……! まさか、ここが?」

 ルーカスは部屋を見回す。書棚には歴史や政治、経済に関わる書籍が多い。机の中には何一つ物が残っていない。そして、常に暗殺の危険に晒されていた人物。

「ここが、王太子の部屋なのか?」

 こんなにも何もない。常に辺りを警戒し、毒殺を恐れ、自身で茶を淹れていた。それほどまでに不遇を背負ってここにいたのか。
 そう思うと、気の毒になる。きっと彼の心は、彼が好む百合のように清廉だろう。それを感じさせる雰囲気がこの部屋にはある。

 ふと、書棚の中に他とは感じの違う書籍を見つけた。それは、神話や星に関わる本。他の重厚な本に隠れるように置かれたそれを手に取ると、だいぶ読み込んだのか古くなっている。
 意外だった。そしてそこに、人間らしさを見たような気がした。
 改めて室内を見回す。ここが王太子の部屋であるなら、主が去ってかなり経っているはずだ。だが、毎日綺麗に掃除がされ、空気を入れ替えているのが分かる。この城にも、彼を慕う者がいた証だ。萎れた百合だって、精々数日しか経っていないだろう。主がいないにも関わらず、誰かが飾っていたのだ。

 ルーカスは衣服を脱いで胸元を寛げ、アクアブルーの布団をめくる。そしてそこに寝転がり、今日一日を振り返って穏やかに瞳を閉じた。
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