月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

12話:役者揃う

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 フィノーラにはマリアンヌ港の屋敷にしばらく住んでもらう事になり、ユリエルは翌日ヴィオを連れて聖ローレンス砦へと戻る事になった。途中シャスタ族の所に立ち寄ったユリエルは、思ったよりも穏やかな人々の様子に安堵した。

「よぉ、殿下。そっちの用事は無事に終わったか?」

 アルクースに連れられてきたユリエルに向かい、ファルハードは豪快な笑みを浮かべる。傍にはあの若い兵がいて、同じように穏やかに迎えてくれた。

「意外と穏やかなのですね」
「まぁな。話は済んでる、今日はここに泊まってけ。もう日が暮れるからな」
「シャスタ族の移動式住居は案外快適だよ。野宿よりは休まるし」

 ファルハードとアルクースに招かれて、ユリエル達はその夜を彼らと共に過ごす事にした。
 シャスタ族の若者は遊牧の旅もするらしく、彼らの移動式住居は確かに快適だった。招かれたファルハードの住居は大きめで、下に敷いたラグは温かく柔らかだ。
 酒と肉を焼いたもの、野菜のスープを振る舞われ、ユリエルはヴィオの紹介と、あった事をファルハードに話していた。

「なんか、大変だったんだな。にしても、殿下は少し無茶がすぎねーか?」
「でしょ? 俺もそう思うよ。今になってグリフィス将軍の苦労が分かる。殿下、こんな事続けると将軍がハゲるよ」
「あれが少し心配しすぎるだけですよ。私も二五ですよ、子供ではありません」
「立場があると、姉上が言ってた。部下を大事にするの、上に立つ人の役目」
「ヴィオの方がよほど大人だね、殿下」

 皆にこのように言われてはユリエルも立場がない。ふて腐れたような顔をするが、反論はしなかった。

「明日には出るだろ? 今回は俺もついていく」
「ここは?」
「俺がいなくたって、数日くらいどうにでもなる。危なかったら移動するように言ってあるし、アルクースがいればどこにいても見つけられる」
「そんな特殊な能力があるのかい?」

 レヴィンが疑問そうにアルクースを見る。それに、見られた当人は曖昧に笑みを浮かべた。

「精霊に聞くのさ。俺は預言者、精霊の声を聞く者だからね。仲間の場所くらいは分かる」
「便利。それ、僕にもできる?」
「うーん……難しいかな? そもそもの素質が大事だから」
「そう、残念」

 ヴィオがしょんぼりとした顔をする。
 付き合ってみると、ヴィオは実に表情の多い青年だった。基本的に子犬っぽい。通常時の言葉は拙く、表情も幼い。これといって顔のパーツが大きく動くわけではないのだが、何故か感情はとてもよく伝わる不思議な感じがあった。
 今も、まるで犬耳がしょんぼりと萎れたように折れた幻視が見えるような気がする。

「当然、俺もついていくよ。お頭だけに任せておいたら理解もしてないのに頷いて帰ってきそうだから」
「な! アルクース、少しくらい信用しろよ」
「これまでがこれまでだからね、信用ならない。作戦忘れて帰ってこられたら大変だもん」

 これにはファルハードも言葉を飲みこむしかない様子で、物言いたげにこらえている。そんな二人を見て、ユリエルとレヴィンは笑った。

「相変わらずなんだね、あの二人は」
「それでバランスが取れているのであれば、平和な事ですよ」

 何とも楽しいメンバーが加わり、この日ばかりはユリエルも楽しく酒を飲み、大いに笑い、語らったのだった。

 その夜、ユリエルは一人涼もうと寝床を出た。とは言っても、皆が寝ている場所が見える所にいる。夜の風が心地よく、火照った体を冷ましてくれた。
 その時、ふと近づく足音が背後でした。しっかりとした歩みだが、ゆっくりと近づいてくる。気配も消していないから、すぐに誰か分かった。

「一人で動くのは危ないと、レヴィンは言っていたよ殿下」
「少し涼みに出たのですよ。貴方は眠れないのですか、ヴィオ」

 近づいて頷いたヴィオは、その場に立ったまま困った顔をする。ユリエルは笑って隣へと招き、座るように促した。

「何か、私に話があるのではありませんか?」

 しばらく同じように風に吹かれていたヴィオを、ユリエルは促す。雰囲気がいつもの頼りないものではなく、年相応の大人びたものになっていた。

「殿下に、お願いがあります。復讐が終わったら、姉上を陸に返してあげたい。手を、貸していただけますか?」

 あまりにギャップのある静かな言葉に、ユリエルも多少戸惑う。それでも顔には出さず、ヴィオを見た。

「姉上は本来、海賊なんてできる人じゃない。今は同じ境遇の仲間の為に無理をしていると思う。復讐が終われば、姉上が船にいる理由はなくなるから、陸に返したい。でも、僕達には何のつてもないから」

 複雑な表情でそう告げるヴィオは、少し悔しそうにも見えた。本来なら自分達だけでそうしたいのだろう。けれど彼らはその境遇から、陸に頼れる人がいない。女性であるフィノーラを残すとなれば家の手配ばかりではなく、身辺においても気を回さなければならないのだろう。
 ユリエルは穏やかに笑い、一つ確かに頷いた。

「私にできる事であれば、喜んで」
「有難う。その分、僕は頑張って働くから」
「命あっての物種です。無理をして命を落としては私がフィノーラに恨まれます。危ないと思ったら撤退する事も考えてください」
「うん、わかった。殿下は、優しいね」

 邪気の無い子供のような笑みでそんな事を言うものだから、ユリエルは目を丸くした。きっとユリエルを知る者がこれを聞いたら、全員が否定するだろう。

「私は優しくなどありませんよ」
「僕やファルハードみたいな境遇の人にも、気を配ってくれる。死なないでほしいって、言ってくれる。殿下は優しい」
「調子が狂いますね、お前は」

 ふわりと微笑む幼子のような表情にユリエルは困ってしまう。なんと言っていいか、分からなかった。

「優秀な部下を持てば、それだけ私は広い視野と力を得ます。そういう者を大事にするのは当然ですよ」
「人間だから、利益は考える。それでも、人を大事にしない奴は多い。殿下は身分に関わらず、大事にしようとしてくれる。だから、力になるのが苦じゃない」
「ヴィオ、お前はもう少し人の腹を探りなさい。心配になります」

 自分より少し長身のヴィオの頭をポンポンと撫でると、心地よさそうに目を細める。意外と懐かれたようだった。

「まぁ、その話はいいでしょう。ヴィオ、フィノーラの件は分かりました。ただし、説得はお前たちがするのですよ」
「分かってる。姉上にちゃんと、皆で話をするよ」
「よろしい。それでは、今日はもう寝なさい。明日も夜更かしになりますよ」

 言って立ち上がると、ヴィオも一緒に立ち上がる。そして連れだって寝所へと戻っていった。

◆◇◆

 翌日の夜、ユリエル一行は聖ローレンス砦へと帰還した。だが、砦へは行かず真っ直ぐにクレメンスの屋敷へと向かった。
 そこには既にグリフィス、クレメンス、シリルの三人がいて、入ってきた人たちを複雑な表情で出迎えた。

「随分と賑やかですね、殿下。当初の予定よりも人が多いようで」

 クレメンスは入ってきたファルハードとアルクースを見ている。その目は完全に値踏みの目だ。そんな出迎えを受けたものだから、二人もどうしたらいいのかという様子で戸惑っている。

「クレメンス、悪い癖ですよ」
「おや、これは失礼お客人。悪意があるわけではないよ。私の悪癖だ、許してくれ」
「あぁ、いや」

 なんて言えばいいのか、という様子でファルハードは頭をかく。いちいち芝居がかったような言い回しをするのはクレメンスの面倒なところだ。

「殿下、お怪我は」
「大したことはありません」
「大したことではない? ということは、無傷ではないのですね」

 心配して近づいてきたはずのグリフィスが、今一番ユリエルを睨み殺す勢いだ。元々彼には了承しきれていない行軍だっただけに怒りが深そうで、ユリエルは肩を竦める。

「ごめんなさい。僕が、傷つけた。殿下と力試しして、抑えられなかった」

 へにょんと眉を下げ、申し訳なさそうにすごすごと前に出たヴィオが小さな声で謝る。これにはグリフィスも驚いたようで、ついでにどうしていいかも分からないようで、それ以上の咎めもなくあたふたした。

「あーぁ、グリフィス将軍が子犬くんを泣かせた。弱い者虐めは駄目だよ?」
「誰が弱い者虐めだ! まったく、お前らは」

 そういうばかりでそれ以上はなく、グリフィスはしょげるヴィオの頭を一つ撫でて引き下がっていった。

「レヴィンさんは、怪我はありませんか?」

 とても心配そうに近づいてきたシリルが、その手を取って問いかけている。遠慮がちに、でも手は離さずに言うシリルに、レヴィンは戸惑いながらもやんわりと笑って言った。

「大丈夫。今回は殿下が大活躍で、俺は何もしていないから」
「本当に?」
「あぁ、本当だよ。さぁ、座ろうか。今夜の話は長いよ」

 空いている長椅子にシリルを誘いちゃっかり隣に座ったレヴィンを確認し、ユリエルはまず新旧のメンバーを紹介するところから始めた。

「さて、まずは新しい者の紹介ですね。右から、シャスタ族のファルハードとアルクース」

 二人は軽く前に出て名乗る。それに眉を上げたのはグリフィスだった。

「シャスタ族?」

 グリフィスの黒い瞳が二人を捕える。特にファルハードを見て、その表情は複雑になった。当然だろう、彼も加害者なのだから。

「ファルハード、言いたい事があれば今のうちに言っておきなさい。なんなら決闘でもなんでもしていい。グリフィスも、受けないわけにはゆかないでしょう」

 ユリエルの表情は真剣なものだった。これからは仲間として、同じ戦場に立つことになる。仲間内での確執なんてのが一番厄介だ。それなら最初のうちに話をつけてもらう方がいい。
 それに、ファルハードの性格ならば一度スッキリさせてしまえば後は切り替えるだろうと思っている。
 だが、ファルハードはジッとグリフィスを見て、その後で首を横に振った。

「言いたい事が無いわけじゃない。過去がどうでもいいなんて言わない。だけど、俺の私怨で一族の未来を暗くするような事は、できねぇ」

 燃える様な赤い瞳には、不思議と憎しみなどの負の感情がない。それにユリエルは驚いていた。

「ユリエル殿下に一族の未来を託し、大事な者を背負って貰った。そん時に、決めたんだ。俺個人の恨みはまず置いておく。そんで、やれるだけの事を全部やろうってな。アルクースも、異論ないだろ?」
「ないね。そしてお頭、あんたの成長にちょっと泣きそうだよ。やっとお頭っぽくなってきたね」
「なっ! 俺だって考える事があるんだぞ」
「うんうん、分かったよ。よしよし」
「よしよしすんな!」

 頭一つは長身のファルハードの頭を腕を伸ばして撫でるアルクースに、ファルハードはやっぱり怒ったり赤くなったりだ。けれどユリエルの目には、ちょっと泣きそうなアルクースの照れた顔が見えていた。

「すまない、ファルハード殿、アルクース殿。貴殿らの言い分は後で個人的に聞く。今は」
「だから、いいんだよ。もう五年だ、いい加減そこから歩き出さないとどうにもならん。それに、案外いい人っぽいしな。まっ、敵としては会いたかない」

 素直な感想を述べ、双方は歩み寄ってがっちりと握手をする。これに、ユリエルは安堵した。

「続いて、海賊バルカロールの副船長のヴィオです」

 前に出たヴィオは、なんだか落ち着かない様子で見回す。ちょこんと頭を下げ、やっぱり拙い様子で声を上げた。

「ヴィオ・マコーリーです。姉の名代できました。今後、よろしくお願いします」

 この様子にはグリフィスやクレメンスばかりではなく、シリルまでもが戸惑った表情で目を見合わせる。やはり、見た目に対して幼く感じたのだろう。

「ファルハード、アルクース、ヴィオ、うちの大事な仲間を紹介します。まずは」

 言いかけた時、遠慮がちに扉がノックされた。クレメンスが出て扉を開けると、手伝いの女性が困った様子で扉の外に立っていた。

「あの、お客様がいらしていて」
「客?」

 クレメンスは訝しんでユリエル達を見た。だが、今日の客人は事前に知らせておいた彼らだけ。他には予定にない。

「どんな人だ?」
「あの、それが」

 言うよりも前に、階段を登る音がしはじめる。それに全員が警戒した。剣に手をかける者、庇う者、それぞれだ。
 やがて、ランプの明かりがゆっくりと闇を照らしながら上がってくるのが皆の目に見えた。その人物を見て、知っている者は皆呆気に取られた。

「ロアール!」
「よっ、殿下。何やら賑やかだな。俺も混ぜてくれや」

 近づいてきた男は軽い様子で笑い、使用人の女性の上からヒョイと顔を出して室内を覗き込んだ。
 明るいオレンジ色の髪を一括りにした無精ひげのある男だ。年は三十代前半で、意外と長身でしっかりした体つきをしている。瞳も髪と同じく明るいオレンジ色だ。

「知ってんのが四人に、知らん身内が一人、まったく知らんのが三人か。こりゃ、まずい話の最中かな?」
「お前はしっかりそこに首を突っ込みましたよ、ロアール。入りなさい、こうなればお前も共犯です」
「んじゃ、お邪魔しようか」

 部屋に入った男は外套を取り、持っていた荷物を隅に降ろす。意外と重たい音に彼を知らない面々は目を丸くした。

「随分な大荷物だね?」
「あぁ、薬やら医療器具やらだ。俺は軍医だからな」
「ロアール・メイリー軍医だ。この人を知らないとは、お前は潜りかレヴィン」

 グリフィスが溜息まじりに言うのに、レヴィンは「お世話になってないからね」と反論している。
 意外な客人に頭を抱えたユリエルは、どこまで話したかを思い出そうと額に指を当てている。その様子にヴィオが気づかわしげに頭を撫でて、他の面々が目を丸くした。

「まずは紹介します。右側からグリフィス、クレメンス。こちら二人は軍人です。そして、弟のシリル」

 紹介に預かった三人はそれぞれ軽く会釈をする。それに、新メンバーの三人も会釈を返した。

「そして、突然入ってきたこいつはロアール・メイリー。軍医をしていますが、元は第一部隊の隊長をしていた騎士です」

 ニコニコと機嫌よくしているロアールに、彼を知らない者はどう扱っていいのか分からない顔をする。なんというか、妙な貫禄がある。

「ロアール、お前はラインバールにいたはずです。持ち場を離れましたね」
「あそこは今落ち着いてら。俺が必要なのは前線だろ? それなら、殿下の傍がいいかと思ってな。弟には言ってあるし、兵隊は連れてきてない。俺一人だ」
「余計に危険です。まったく、単独行動はしないでください」
「いや、それは殿下も同じだからね?」

 自分の事は棚に上げて言うユリエルに、すかさずレヴィンがツッコむ。この旅で、なんだかこのような関係が出来上がってきた。

「んで、そこの赤毛は何となく話を聞いてると思うが、他の三人は誰だ?」

 ロアールがそんな事を言うものだから、改めてレヴィンを含め、自己紹介のやり直しをする事となったのである。

 さて、全員が納得して落ち着いて、ようやく話が前に進みそうだ。ユリエルは重い溜息をつき、視線をクレメンスへと向ける。

「留守中の様子に変化は?」
「悪い報告が。敵はキエフ港の防備を固め始めました。本国に連絡し、大型軍船の配備も準備しているとか」

 やはりマリアンヌ港に出向いた事がバレたのだろう。密偵からの連絡がないとなれば、当然そこを疑ったはずだ。明確な狙いはわからずとも海上に関わる何かを指示したと踏んで、そこを固めたに違いない。
 ユリエルは考え込む仕草をする。こうなっては長期戦覚悟だ。

「まだ、ルルエの軍船はこないよ」

 どこか拙い言葉が聞こえ、ユリエルは弾かれたようにそちらを向く。ヴィオがにっこりと笑って頷いた。

「潮は今、ルルエからタニスに向かう方向に強いから、逆は時間がかかる。多分まだ、国についてない。でも、ルルエの国内には入ったかも。大型軍船なら出港までに準備もかかる。数日、出られない」
「まだこちらに向かっていないということですね」

 ユリエルの問いに、ヴィオは確かに頷いた。
 でも結局は時間の問題だ。タニスの軍船はキエフ港にあり、その全てが敵の手に落ちている。マリアンヌ港にもあるがどれも中型船。海戦が得意なルルエ海軍の大型船を相手に渡り歩くことは難しいだろう。

「陸戦ならばこちらにも勝機がありましょうが、戦力的には五分。既に各砦へ開戦の準備はさせていますが、これ以上敵の戦力が上がれば勝機が見えなくなってきます」
「大型軍船となりゃ大砲の威力もけっこうだしな。どうする、殿下」

 こうなれば、陸からキエフ港を落とすしかない。既に敵地となっている場所に乗り込むのは危険が伴うが、海上からの補給を絶たないことにはどうにもならない。最悪挟み撃ちだってありえる。
 ユリエルがゆっくりと陸からの攻撃を口にしようとした時、また違う場所から声が上がった。

「ルルエの大型軍船だけなら、マリアンヌで止められるよ?」

 それは思ってもみない言葉だった。提案したヴィオが、にっこりと剣の無い表情で笑みを浮かべた。
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