月は夜に抱かれて

凪瀬夜霧

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2章:王の胎動

21話:鎮魂

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 その日の夜、治療を終えたユリエルは王都の端にあるグリフィスの屋敷にいた。黒い服を着たユリエルは右の腕を吊ったまま、自由になる手に白い花を持ち、棺へと手向ける。その棺にはジョシュが綺麗な姿で横たわっていた。

 あの後、城は大変なことになった。幽閉された王を助けに行った兵は、そこで息絶えた王の亡骸を見つけた。王都奪還に湧く民たちは一転、悲しみに暮れたのだ。
 今の王都は死んだように静かだ。王の為に喪に服すようにと、ユリエルが皆に声をかけたからだ。

 そして今、王の葬儀の準備を信頼できる者に任せたユリエルはジョシュの葬儀を取り仕切っている。体を清め、水と僅かな食べ物を捧げ、棺に花を添え、その手にコインを握らせる。急な事だったがどうにかなった。

「祖国を思い、最後まで戦った者に神の導きがあらんことを」

 数人のルルエの将が代表して呼ばれ、手に縄をかけたまま祈りを捧げる。最後の別れを終えると棺は閉じられ、グリフィスやクレメンス、レヴィンに担がれて屋敷を後にした。
 向かったのは破城槌が破壊した城壁の一部。そこを通った一行は海の見える静かな丘を目指した。そこからは広がる海が見えている。ルルエに通じる海が。

「よぉ、掘っといたぜ」

 ファルハードとアルクースがその場所に穴を掘っていてくれた。そこに棺を下ろし、皆は手でそこに土をかけていく。そうして全てが埋まると、名の無い碑をそこに降ろした。

「後味悪いよな、やっぱ」

 手を合わせたファルハードの言葉は、皆の心にそのまま落ちる。全員、浮いた顔などどこにもない。あるのは暗いものばかりだ。

「なんかさ、勝ったぞ! っていう高揚感みたいなのがあるもんだと思ってたんだけど。変な感じ、全然ない」
「戦なんてものはそういうものです。高揚感なんてものは戦っている間だけ。残るのは後味の悪さと、罪の重さですよ」

 最後まで手を合わせていたユリエルが静かに言い、立ち上がった。

「グリフィス、亡くなった者の方は準備できていますか?」
「えぇ、滞りなく」
「では、このまま行きましょう」

 ユリエルは立ち上がり、そのまま本陣を置いた場所へと向かった。

 そこにはこの戦いで亡くなった者が、国に関わりなく寝かされていた。全ての者に聖水がかけられ、手にコインを握らせ、花が一輪手向けられている。その傍には木とロープで組んだ簡単な櫓のような物があった。

「始めましょう」

 二人一組で全ての者を櫓へと運び込む。そして全てが納まると、ユリエルは松明の炎をその櫓へと移した。
 燃え上がる炎が夜の闇を赤く照らし出す。それを前に神への言葉を皆が唱えながら、冥福を祈った。

◆◇◆

▼ルーカス

 その様子は沖にいたルーカスの目にも見えていた。
 自然と涙が頬を伝い落ちる。ルーカスには分かっていた。ジョシュは死んだのだと。

「陛下……」
「皆、黙祷を。死んだ全ての者の冥福を祈ろう」

 低く言い、瞳を閉じる。その時ふわりと吹いた風が、黒い髪を撫でていった。同時に、聞きなれた笑い声を乗せて。

「!」

 急いで辺りを見回すも、そこに姿はない。あるのは美しい星の空ばかりだ。

「……国へ戻る。今後の事を話し合わなければならない」

 そう言ったルーカスの心には憎しみがあった。だがそれ以上に、自分に向ける怒りがあった。
 今はまだ、冷静な考えはできない。憎しみのままに戦う事こそがジョシュを悲しませると理解している。ただ、頭で考える以上に心が痛い。この痛みを理性で抑えられるまでは、何かを決める事はできない。
 静かな海に浮かぶ船はゆっくりと、ルルエ王国を目指して進みだしていった。

◆◇◆

▼ユリエル

 その夜、全ての葬送を終えたユリエルは寝付けずに玉座の間にいた。そこには沢山の蝋燭が燭台に灯され、棺が一つ置かれていた。
 棺の中に眠る父王は身を清められ、衣服も整えられて眠っている。不思議と、険しさも何もない穏やかな表情だった。
 もう三十分程棺の隣に腰を下ろしてその姿を見ているが、ユリエルにはこれといった感情が起こらなかった。流石に涙の一つも流れるかと思ったのだが、そうはならない。随分冷たい息子になっていたようで苦笑が漏れる。
 ふと、暗い廊下から足音がした。とても静かなその音は相手を確かめるまでもない。やがて蝋燭の明かりに照らされて赤い髪が揺れた。

「あんま夜更かしすると傷に障るよ、殿下」

 腰に手を当て苦笑したレヴィンは、傍の献花台から花を一本抜き取り棺の中へと放り込んだ。

「寝室に行ってもいなかったから、ここかなって」
「私に用でしたか?」
「まぁ。最後の言葉くらい話そうかと思って」

 そう言ったレヴィンは複雑な顔をする。今のユリエルよりもずっと、人間らしい表情だ。

「別に構いませんよ。恨み言でしょうから」
「すまないって、言ってたよ」

 それは少し意外で、ユリエルは顔を上げる。レヴィンはどういった顔をしていいのか戸惑った様子で、それでも口元に笑みを浮かべた。

「そんなに意外?」
「私の事など気にもかけていないと思っていたもので」
「気にはしてたんじゃない? 愛情ではなくても、後悔はしてたとか。申し訳ないって、思っていたとかさ」

 そうなのだろうか。思っても、もう確かめる方法はない。この方法を取った事に躊躇いなど無いが、別れの前に聞いておけばよかった。自分の事を、どう思っていたのかを。

「殿下は、そんなにこの王様が嫌いだったの?」
「嫌い……というのは少し違います。そうですね……失望というのが、大きいのだと思います」
「失望?」

 レヴィンに問い返され、ユリエルは頷いた。
 自身の感情を冷静に振り返るという作業をあまりしてこなかった。だが思い返せば、失望という言葉が一番しっくりとくる。十五年も前に、ユリエルは父を見限ったのかもしれない。

「シリルが生まれるまでは、王は立派でした。ただシリルが生まれ、正妃の父が実権を握って宰相となり、自分と懇意だった貴族を引き入れて古い者を冷遇した事をきっかけに、私は失望したのです。かつての威厳ある父はもういないのだと」

 かつてこの国を動かしていたのは、『 オールドブラッド』と呼ばれる古い貴族の名門だった。彼らは自らの血と歴史、そして国を誇りとし、自身の利益よりも国と民を優先する思想の持ち主だった。
 その振る舞いは時に過剰で、王ですらも国の礎であるとして必要以上に敬いはしなかったほどだ。
 そんな者達が十五年前のシリル誕生から冷遇を受けて、それぞれの領地へと引っ込んだ。正妃だったエルザ妃の父は成り上がりの貴族であり、実権を欲していた。そして娘が男児を生んだ時に動き出し、あれよあれよと国の中枢に入り込んだ。
 この時に優遇された新しい貴族集団を『ニューブラッド』と呼ぶ者もいる。彼らは自身の利益や欲望を叶える事を優先し、結果国内は賄賂に汚職に不正が蔓延している。
 ユリエルが今後戦わねばならないのは、こうした者達だ。

「王の子を生んだ母が冷遇され、毒殺され、王の妃として墓にも入れない。その時に私は誓ったのです。いつかこの父を廃し、薄汚れた者を叩きだし、国を正常な状態に戻すと」
「随分、曲がったんだね」
「でしょうね。元々あまり素直な子供ではありませんでしたから。だからでしょう、シリルの素直さが私を癒したのは」

 レヴィンは意外そうな顔をする。それに、ユリエルは緩く笑みを向けた。

「あの子と、あの子の母に私は救われた。父が私を冷遇しても、あの子の母は私を大切に愛情持って接してくれた。そしてあの子も、私を慕ってくれた。これが無ければ私はとっくに暴君となり果てていましたよ」
「だからシリル様の事を大事にするんだ」

 素直に頷いたユリエルは、少しだけ申し訳なく思う。信頼していた母を亡くしたのは十二歳の時。一人で生きるには辛すぎる年齢だった。その時に心のよりどころにしたのは、シリルであり、彼の母だった。
 ふと、シリルの事を思い出したユリエルはマジマジとレヴィンを見る。そして、少し意地悪な気持ちになって真剣な表情を作った。

「レヴィン、お前はシリルとどこまで進んだのですか?」

 その言葉には流石のレヴィンもギョッとして立ち上がり、慌てた様子で顔の前で手を振る。面白いくらいに大慌てだ。

「どこまでも進んでませんよ!」
「本当の事をいいなさい、怒らないから」
「だから!」

 焦って顔色を変えるあたり、ユリエルは笑えた。そして素直に楽しげに笑った。

「ったく、人の悪い。揶揄ったんですか?」
「すみません。ただ、お前がそんなに焦るとは思わなくて。あの子も意外とやりますね」

 拗ねた猫みたいにツンとそっぽを向きながらもどっしり腰を落ち着けたレヴィンに、ユリエルは更に笑った。
 シリルの変化はすぐに分かった。本人はあまり自覚はないのだろうが、随分とレヴィンを心に留めている。心配したり、彼の事でユリエルに意見したり。それは驚きもあったけれど、どこか微笑ましく思えた。

「レヴィン、いつかの貸しを返しましょうか?」
「なにさ」
「お前が望むなら、私はシリルとの関係に口を出しません。まぁ、シリルが望むのならですが」

 紫色の瞳が丸くなる。そして次には嫌そうな顔だ。

「ご自分の弟を、こんな素性の知れない男に引き渡すので?」
「お前の素性は関係ありません。実際、シリルがこれと決めたのならば止められはしませんしね。後は二人の問題です」
「ですが」
「それとレヴィン。今回の事を罪と思わなくていいですよ」

 冷静な声にレヴィンの表情は強張る。向けるジェードの瞳はどこまでも静かで、強かった。

「私の命で動いたのです、私の罪です。お前は何も気にしなくていい」
「無理を言わないで下さいよ。んな都合のいい話、ないでしょ」

 項垂れて、呟いた言葉にユリエルは申し訳なく息をつく。確かに、都合よくはいかないだろう。事実は変わらないのだから。それでもユリエルは庇うつもりだ。少なくともレヴィン一人を差し出すつもりはない。全力で守るし、隠蔽もする。

「すみません、レヴィン。やはりお前に頼むのは酷でしたね」
「いいよ、それは。俺も納得済みで引き受けた。だからさ、気にしないでよ」

 言って、レヴィンは腰を上げる。そしてユリエルにも手を差し伸べた。

「そろそろ休まないと、本当に体に悪いよ。無理にでも布団に入らないと。それとも、ロアール医師呼ぼうか?」
「それは勘弁ですね」

 苦笑したユリエルは素直にレヴィンの手を取って立ち上がる。そして、自室へと戻る事にした。
 こうして、長い一日が終わりを迎えたのであった。
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