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3章:雲外蒼天
5話:真実・後編
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▼レヴィン
森の中を進んでいたレヴィンは、突如その足を止めた。研ぎ澄まされた感覚が僅かな違和感を伝えてくる。立ち止まり、その場で更に周囲を探るレヴィンにファルハードが声をかけた。
「レヴィン将軍?」
「先に行け。目的を忘れるな」
レヴィンの緊迫した声にファルハードは素直に頷く。そして、目的に向かって走り抜けていく。レヴィンだけが行く先を変えて走り出した。そしてその先に、一人の青年の姿があった。
年は二十歳そこそこだろうか。小柄な青年だ。緑色の大きな猫のような目が特徴的に見える。だが、その腰に下がっている物は友好的には見えなかった。
「タニスの密偵かな?」
「そちらは、ルルエの暗殺者かな?」
「何かその言われ方気に入らないな。一応、ヨハンって名前があるんだけど」
腰に手を当てて子供っぽく膨れるヨハンを見て、レヴィンは呆れたように苦笑する。
「僕が名乗ったんだから、そっちも名乗りなよ。お墓に名前が無いのは寂しいでしょ」
「中身が子供だね。まぁ、いいけれど。タニス国将、レヴィン・ミレット」
互いに名乗り、二人は改めて向き合った。ヨハンは腰に差した大きなダガーを二本手に取って逆手に持つ。そして、初動なしに一気にレヴィンとの間合いを詰めた。
レヴィンの剣はそれを寸前で止めた。剣を抜く手にこれほどの速度と力を要した事はないだろう。一瞬で懐に入ったヨハンのダガーは間違いなく、レヴィンの首を狙っていた。
だが、ヨハンの攻撃はこれで終わらない。もう一本のダガーが脇からレヴィンに切り込む。これに、レヴィンは忍ばせていた短剣で受け止めた。
「やるね、あんた」
「死ねないんでね」
「それはお互い様だね」
剣のぶつかる音がする。間合いを互いにとりながら、彼らは正面から伺うように相手を見た。互いに猫のように瞳孔が細くなっている。殺し合う人間の目だ。
レヴィンが前に出るのと同時にヨハンも前に踏み込む。レヴィンも剣を逆手に持っていた。剣のぶつかる激しい音。睨み付けるその視線に笑みが浮かんだ。ドキドキと同時にワクワクする。薄く傷を負っても痛みなど感じていなかった。
「いいね、楽しいよ!」
「あぁ、楽しいよ。楽しいだけならこのまま続けたいけれど、俺は勝たなきゃならないんでね」
こいつにここを突破されるわけにはいかない。砦でシリルが待っている。危ない橋を渡ると、あの子は泣くかもしれない。でも、この場は捨て身でも倒さなければ。こいつはシリルにとって脅威になる。
ヨハンのダガーは一般的な物よりも反りが強く刀身が長く頑丈だ。瞬足と合わせて手が悪い。まずは動きを止めるのが先だろう。レヴィンも瞬足で柔軟だったが、彼よりも長身で武器が重い。縦横無尽に動く相手に対しては不利だ。
厄介な相手に当たった。
そう思うばかりでは止める事はできない。レヴィンは動き出した。手元を隠しながらヨハンに攻撃を仕掛けつつ罠を放つ。深追いはせず、間合いに気を付けて踏み込まない。待っているのだ、彼が焦れて間合いを詰めるのを。
「いい加減踏み込みなよ!」
苛々した口調で焦れているのが分かった。激しいぶつかりを避けているから楽しくないのだろう。そういう子供っぽい所があって助かった。レヴィンは内心ほくそ笑む。そして、最も得意とする武器を強く意識した。タイミングは、一瞬だ。
イライラが募ったようにヨハンが強く地を蹴った。今まで以上に早いスピードで懐に入りこまれたレヴィンにダガーが迫る。一本は受け止めた。だが、他にも気を取られていた事と予想以上のスピードに脇が甘くなった。
掠めるようにダガーの切っ先が脇を裂く。痛みが熱のように伝わって痛覚を即座に麻痺させる。だが、レヴィンは薄く笑ってさえいた。
「何笑ってんのさ? おかしくなった?」
「いや、違うよ。やっと、捕まえたから」
ヨハンは猫のような目を丸くして止めの一撃を振り上げようとした。だが、その手は動かない。手だけじゃない。足も、腕も動かない。無理に動かそうとした部分から薄く血が滲んだ。
それは、目に見えるかどうかというほど細いワイヤーだった。レヴィンの手首につけたブレスレットに仕込んだそれが、ヨハンの動きを完全に封じていた。
「さぁ、捕まえた。もうここから一歩だって動けはしない」
絡みつけたワイヤーはそう簡単には取れない。レヴィンはそれを思いきり振り回した。予想通り、ヨハンの体はとても軽い。小さな体が飛んでいき、木にぶつかって派手な音を立てる。体を丸めて衝撃を軽くしたようだが、それでも地面に転がって気を失っていた。
レヴィンはヨハンの体をワイヤーで縛り、傍の木に括りつけた。殺す事も考えたが、それよりも先行しているファルハード達と合流する事を優先したのだ。
斬られた脇腹からは血が止まらない。布を当て、強く抑え込むが動き回るから意味がない。スピードを優先したから重い装備はつけなかった。布の服の下に着たチェーンメールがなかったらさすがに致命傷だっただろう。
ふと、戦場に目が行った。タニスの前線は目的地付近まで引きあがっている。作戦は順調に進んでいるだろう。ならば、レヴィンもここで倒れるわけにはいかない。フラフラとしながら、それでもレヴィンは森の中を駆けた。
◆◇◆
▼ユリエル
高らかと笛の音が鳴った。それを合図にしたように、騎馬隊はそれと悟られぬように後方へと下がり始めた。決して相手に何かを感じさせないように、劣勢とみせかけて。
だがその中で一人、下がる事の出来ない者がいた。ユリエルだけはガレスの執拗な攻撃を受けて下がれずにいた。
これは、どうにかしなければいけない。そう思うものの背を見せれば間違いなく突いてくるだろう相手を前に馬首を返す事もできない。
その時、戦場を黒い影が走った。突き上げるその槍を大剣が弾く。そして、ユリエルとガレスの間に堂々と割って入った。
「グリフィス」
「遅くなって申し訳ありません、陛下」
ガレスを睨み付けたままだが、声は穏やかなものだった。そして、グリフィスを前にしたガレスは燃える様な瞳を向けていた。
戦う事が好きな若い騎士なのだろう。圧倒的な貫禄と圧迫感のあるグリフィスを前に、普通は戦意を失うものだ。だがガレスは嬉しそうにしている。戦いたくてウズウズしているようだ。
「会えて光栄です、グリフィス将軍! 俺はルルエのガレスという者。是非とも、決闘を申し込みたい!」
熱意がそのまま口を突いたようなガレスの言葉は、場違いにも思える。
だが、グリフィスは曖昧な笑みを浮かべたままユリエルへと近づき、ユリエルの馬の腹を軽く蹴った。
「グリフィス!」
「御下がりください、陛下」
そう言うと、グリフィスも馬首を返して本陣へと引き返していく。ユリエルもまたガレスが呆気に取られている隙に本陣へ向かって駆けだした。
だが、やはり出遅れている。既に次の作戦へと移行が進んでいる。このままでは敵への罠に飛び込みかねない。
「陛下は脇の森へと御下がりください」
「お前は」
「こいつは度胸のある馬です。このまま突っ切ります」
戦場においてグリフィスほどに信頼できる相手はいない。ユリエルは静かに頷き、神域の森へと馬首を向けて走り抜けていった。
◆◇◆
▼ルーカス
どこかおかしい。
そう感じて、ルーカスは戦場を真っ直ぐに駆けた。そして、今まさに逃げた将を追おうとしているガレスを見つけたのだ。
「追うな!」
「へ?」
突然の怒声に我に返った様子のガレスはビクリと肩を震わせて止まった。それに、ルーカスはとりあえず安堵する。
「陛下!」
「これ以上踏み込むな! 何かあるぞ」
一度馬を止め、ルーカスはその場で声を張り上げた。
「追うな! 後退しろ!」
おそらく先陣までは届かないし、何か仕掛けられているなら手遅れかもしれない。だが、声を上げずにはいられない。
砦から戦場を見ていて突如前線が下がり始めた。戦っている当人は気付かない程自然に、少しずつ。だが戦っていない者からするとこれほど不自然な事はなかった。タニス軍は負けてなどいないし、劣勢にも立たされていない。ならば、何かあると考えるのが普通だ。
「陛下、白馬の方がタニス王だ」
慌てた様子でガレスが告げる言葉を、ルーカスは受け止めた。視線の先に美しい白馬と、それに乗る人物が見える。戦場にあって戦の女神のような後姿。それはいっそ、神々しさすらある。
ルーカスは馬の腹を蹴って白馬を追った。敵陣に何かあるにしても、警戒していればコントロールはできる。何より自国の王が未だ安全圏にいないのに罠を発動させる奴はいないだろう。
白馬は徐々に神域の森へと向かっていく。森の中は安全なのだろう。ルーカスも迷わずそこへと馬を走らせていく。その後方で、眩しいくらいの閃光と爆音が響いた。
「!」
音と光に驚いたルーカスの馬は嘶いて暴れる。だが、ルーカスの馬術はその程度では落馬などしない。手綱を操り、馬を落ち着かせる。
だが同じ事を全ての兵に期待する事は出来ない。戦場を振り向いたルーカスはそこで、地獄を見た。
落馬したルルエの兵は地に転がり、それでも態勢を整えようとしている。だがその者達の上から、雨のような矢が降り注いだ。
「閃光弾と爆竹を自陣に仕掛けていたのか。前線を上げたのは、その為か」
爆竹と閃光の収まった戦場は落馬者で溢れている。こうなると歩兵が一気に力を持つ。後方に下がっていたらしい歩兵部隊が一気に戦場に流れ込んでいく。更に大型攻城兵器も進軍を開始している。雲梯に、破城槌、大砲。
これはもう、色が変わった。旗色の悪い戦場でどれだけ粘っても勝ちはない。早々に引き返して立て直すのが上策だろう。攻城兵器まで出してきたとなれば砦に立てこもるのは賢いとは言えない。辛いが、捨てるしかない。
ルーカスはこのまま森を突っ切って自陣へと向かおうとした。だがその先に、追っていた白馬を見つけた。
タニス王、ユリエル。遠く後姿だけの彼へ向かい、ルーカスは馬を走らせ剣に力を込めた。そして、一直線に突っ切る。
白馬の青年もそれに気づいたようだ。急いで馬首を返し、剣を構える。二人は真正面から強くぶつかった。
「!」
正面から白馬の青年を見たルーカスは、何もかもが止まったように思えた。目を見開いて、息をするのも忘れてその顔を見る。強いジェードの瞳、清廉な顔立ち。髪の色も、纏う空気も違うが間違えるはずがない。彼は間違いなく、心より愛した人なのだから。
青年もまた、ジェードの瞳を見開いて顔色を失くしている。互いに衝撃は同じように感じられた。
「エトワール……」
震えた声が問うてくる。これはもう、確信だ。この名を知るのは本当に親しい者だけ。幼馴染たち以外では、彼しかいない。
「リューヌ」
柔らかな声で名を呼ぶと、青年もまた震えた。引きつった表情のまま苦しそうに震えている。
ルーカスは馬を離し、剣を納めた。戦場であっても愛した人に剣を向ける事はできなかった。
「どうして、貴方がここに……」
「王が戦場に立たずに玉座にふんぞり返る訳にも行かないだろ。違うか、ユリエル王」
「!」
彼の表情が苦しげに歪む。こんな顔をさせたくはない。彼にはいつも、笑っていてもらいたいのに。
ユリエルもまた剣を引いた。それにルーカスも安堵する。少なくとも互いを知った今、殺し合いになる事はないということだ。
「タニスの王だったのだな、リューヌ」
「貴方こそ、ルルエの王だとは知らなかった……エトワール」
今にも泣きだしそうな瞳だ。それでも、声は真っ直ぐに向かってくる。その声音は胸に刺さる。ただ、真実を知った今でも胸の奥は温かい。憎むべき相手を前にしているとは思えないほど、心は凪いでいる。
だがその時、自陣から予想していない爆音が響いた。ルーカスは厳しい視線を向ける。上がる煙の位置からして、武器庫だ。
「武器庫を爆破したか。そうなると、次は……」
続けざまにもう一つ爆音が響く。予想はできた。兵糧をやられたのだろう。
ユリエルは必死に踏みとどまっているように見えた。でもその顔に、もう戦意は見えない。それはルーカスも同じだ。どんな理由でも、彼を手にかける自分の姿を思い描けない。
やがて、退陣の太鼓が鳴り始める。キアが良い判断をした。ルーカスはもう一度ユリエルを見て、力なく笑った。
「引かせてもらう。黙って、見逃してくれるだろうか?」
これから、どう戦って行けばいい? 自分に問うてもルーカスは答えが出ない。愛した人を前に、彼を手にかけるのか? 戦場で倒れる彼を、見る事ができるのか?
答えなどでない。そう簡単なものではない。ただ救いだったのは、同じようにユリエルが感じていると思えた事。彼もまた、ルーカスと戦う事を躊躇っている事だった。
ルルエの兵が退陣を開始する。去る者を、タニス軍は追わなかった。おそらくそのように示し合わせていたのだろう。ルーカスはユリエルが追わない事を信じて、無事に戦場を離脱していった。
森の中を進んでいたレヴィンは、突如その足を止めた。研ぎ澄まされた感覚が僅かな違和感を伝えてくる。立ち止まり、その場で更に周囲を探るレヴィンにファルハードが声をかけた。
「レヴィン将軍?」
「先に行け。目的を忘れるな」
レヴィンの緊迫した声にファルハードは素直に頷く。そして、目的に向かって走り抜けていく。レヴィンだけが行く先を変えて走り出した。そしてその先に、一人の青年の姿があった。
年は二十歳そこそこだろうか。小柄な青年だ。緑色の大きな猫のような目が特徴的に見える。だが、その腰に下がっている物は友好的には見えなかった。
「タニスの密偵かな?」
「そちらは、ルルエの暗殺者かな?」
「何かその言われ方気に入らないな。一応、ヨハンって名前があるんだけど」
腰に手を当てて子供っぽく膨れるヨハンを見て、レヴィンは呆れたように苦笑する。
「僕が名乗ったんだから、そっちも名乗りなよ。お墓に名前が無いのは寂しいでしょ」
「中身が子供だね。まぁ、いいけれど。タニス国将、レヴィン・ミレット」
互いに名乗り、二人は改めて向き合った。ヨハンは腰に差した大きなダガーを二本手に取って逆手に持つ。そして、初動なしに一気にレヴィンとの間合いを詰めた。
レヴィンの剣はそれを寸前で止めた。剣を抜く手にこれほどの速度と力を要した事はないだろう。一瞬で懐に入ったヨハンのダガーは間違いなく、レヴィンの首を狙っていた。
だが、ヨハンの攻撃はこれで終わらない。もう一本のダガーが脇からレヴィンに切り込む。これに、レヴィンは忍ばせていた短剣で受け止めた。
「やるね、あんた」
「死ねないんでね」
「それはお互い様だね」
剣のぶつかる音がする。間合いを互いにとりながら、彼らは正面から伺うように相手を見た。互いに猫のように瞳孔が細くなっている。殺し合う人間の目だ。
レヴィンが前に出るのと同時にヨハンも前に踏み込む。レヴィンも剣を逆手に持っていた。剣のぶつかる激しい音。睨み付けるその視線に笑みが浮かんだ。ドキドキと同時にワクワクする。薄く傷を負っても痛みなど感じていなかった。
「いいね、楽しいよ!」
「あぁ、楽しいよ。楽しいだけならこのまま続けたいけれど、俺は勝たなきゃならないんでね」
こいつにここを突破されるわけにはいかない。砦でシリルが待っている。危ない橋を渡ると、あの子は泣くかもしれない。でも、この場は捨て身でも倒さなければ。こいつはシリルにとって脅威になる。
ヨハンのダガーは一般的な物よりも反りが強く刀身が長く頑丈だ。瞬足と合わせて手が悪い。まずは動きを止めるのが先だろう。レヴィンも瞬足で柔軟だったが、彼よりも長身で武器が重い。縦横無尽に動く相手に対しては不利だ。
厄介な相手に当たった。
そう思うばかりでは止める事はできない。レヴィンは動き出した。手元を隠しながらヨハンに攻撃を仕掛けつつ罠を放つ。深追いはせず、間合いに気を付けて踏み込まない。待っているのだ、彼が焦れて間合いを詰めるのを。
「いい加減踏み込みなよ!」
苛々した口調で焦れているのが分かった。激しいぶつかりを避けているから楽しくないのだろう。そういう子供っぽい所があって助かった。レヴィンは内心ほくそ笑む。そして、最も得意とする武器を強く意識した。タイミングは、一瞬だ。
イライラが募ったようにヨハンが強く地を蹴った。今まで以上に早いスピードで懐に入りこまれたレヴィンにダガーが迫る。一本は受け止めた。だが、他にも気を取られていた事と予想以上のスピードに脇が甘くなった。
掠めるようにダガーの切っ先が脇を裂く。痛みが熱のように伝わって痛覚を即座に麻痺させる。だが、レヴィンは薄く笑ってさえいた。
「何笑ってんのさ? おかしくなった?」
「いや、違うよ。やっと、捕まえたから」
ヨハンは猫のような目を丸くして止めの一撃を振り上げようとした。だが、その手は動かない。手だけじゃない。足も、腕も動かない。無理に動かそうとした部分から薄く血が滲んだ。
それは、目に見えるかどうかというほど細いワイヤーだった。レヴィンの手首につけたブレスレットに仕込んだそれが、ヨハンの動きを完全に封じていた。
「さぁ、捕まえた。もうここから一歩だって動けはしない」
絡みつけたワイヤーはそう簡単には取れない。レヴィンはそれを思いきり振り回した。予想通り、ヨハンの体はとても軽い。小さな体が飛んでいき、木にぶつかって派手な音を立てる。体を丸めて衝撃を軽くしたようだが、それでも地面に転がって気を失っていた。
レヴィンはヨハンの体をワイヤーで縛り、傍の木に括りつけた。殺す事も考えたが、それよりも先行しているファルハード達と合流する事を優先したのだ。
斬られた脇腹からは血が止まらない。布を当て、強く抑え込むが動き回るから意味がない。スピードを優先したから重い装備はつけなかった。布の服の下に着たチェーンメールがなかったらさすがに致命傷だっただろう。
ふと、戦場に目が行った。タニスの前線は目的地付近まで引きあがっている。作戦は順調に進んでいるだろう。ならば、レヴィンもここで倒れるわけにはいかない。フラフラとしながら、それでもレヴィンは森の中を駆けた。
◆◇◆
▼ユリエル
高らかと笛の音が鳴った。それを合図にしたように、騎馬隊はそれと悟られぬように後方へと下がり始めた。決して相手に何かを感じさせないように、劣勢とみせかけて。
だがその中で一人、下がる事の出来ない者がいた。ユリエルだけはガレスの執拗な攻撃を受けて下がれずにいた。
これは、どうにかしなければいけない。そう思うものの背を見せれば間違いなく突いてくるだろう相手を前に馬首を返す事もできない。
その時、戦場を黒い影が走った。突き上げるその槍を大剣が弾く。そして、ユリエルとガレスの間に堂々と割って入った。
「グリフィス」
「遅くなって申し訳ありません、陛下」
ガレスを睨み付けたままだが、声は穏やかなものだった。そして、グリフィスを前にしたガレスは燃える様な瞳を向けていた。
戦う事が好きな若い騎士なのだろう。圧倒的な貫禄と圧迫感のあるグリフィスを前に、普通は戦意を失うものだ。だがガレスは嬉しそうにしている。戦いたくてウズウズしているようだ。
「会えて光栄です、グリフィス将軍! 俺はルルエのガレスという者。是非とも、決闘を申し込みたい!」
熱意がそのまま口を突いたようなガレスの言葉は、場違いにも思える。
だが、グリフィスは曖昧な笑みを浮かべたままユリエルへと近づき、ユリエルの馬の腹を軽く蹴った。
「グリフィス!」
「御下がりください、陛下」
そう言うと、グリフィスも馬首を返して本陣へと引き返していく。ユリエルもまたガレスが呆気に取られている隙に本陣へ向かって駆けだした。
だが、やはり出遅れている。既に次の作戦へと移行が進んでいる。このままでは敵への罠に飛び込みかねない。
「陛下は脇の森へと御下がりください」
「お前は」
「こいつは度胸のある馬です。このまま突っ切ります」
戦場においてグリフィスほどに信頼できる相手はいない。ユリエルは静かに頷き、神域の森へと馬首を向けて走り抜けていった。
◆◇◆
▼ルーカス
どこかおかしい。
そう感じて、ルーカスは戦場を真っ直ぐに駆けた。そして、今まさに逃げた将を追おうとしているガレスを見つけたのだ。
「追うな!」
「へ?」
突然の怒声に我に返った様子のガレスはビクリと肩を震わせて止まった。それに、ルーカスはとりあえず安堵する。
「陛下!」
「これ以上踏み込むな! 何かあるぞ」
一度馬を止め、ルーカスはその場で声を張り上げた。
「追うな! 後退しろ!」
おそらく先陣までは届かないし、何か仕掛けられているなら手遅れかもしれない。だが、声を上げずにはいられない。
砦から戦場を見ていて突如前線が下がり始めた。戦っている当人は気付かない程自然に、少しずつ。だが戦っていない者からするとこれほど不自然な事はなかった。タニス軍は負けてなどいないし、劣勢にも立たされていない。ならば、何かあると考えるのが普通だ。
「陛下、白馬の方がタニス王だ」
慌てた様子でガレスが告げる言葉を、ルーカスは受け止めた。視線の先に美しい白馬と、それに乗る人物が見える。戦場にあって戦の女神のような後姿。それはいっそ、神々しさすらある。
ルーカスは馬の腹を蹴って白馬を追った。敵陣に何かあるにしても、警戒していればコントロールはできる。何より自国の王が未だ安全圏にいないのに罠を発動させる奴はいないだろう。
白馬は徐々に神域の森へと向かっていく。森の中は安全なのだろう。ルーカスも迷わずそこへと馬を走らせていく。その後方で、眩しいくらいの閃光と爆音が響いた。
「!」
音と光に驚いたルーカスの馬は嘶いて暴れる。だが、ルーカスの馬術はその程度では落馬などしない。手綱を操り、馬を落ち着かせる。
だが同じ事を全ての兵に期待する事は出来ない。戦場を振り向いたルーカスはそこで、地獄を見た。
落馬したルルエの兵は地に転がり、それでも態勢を整えようとしている。だがその者達の上から、雨のような矢が降り注いだ。
「閃光弾と爆竹を自陣に仕掛けていたのか。前線を上げたのは、その為か」
爆竹と閃光の収まった戦場は落馬者で溢れている。こうなると歩兵が一気に力を持つ。後方に下がっていたらしい歩兵部隊が一気に戦場に流れ込んでいく。更に大型攻城兵器も進軍を開始している。雲梯に、破城槌、大砲。
これはもう、色が変わった。旗色の悪い戦場でどれだけ粘っても勝ちはない。早々に引き返して立て直すのが上策だろう。攻城兵器まで出してきたとなれば砦に立てこもるのは賢いとは言えない。辛いが、捨てるしかない。
ルーカスはこのまま森を突っ切って自陣へと向かおうとした。だがその先に、追っていた白馬を見つけた。
タニス王、ユリエル。遠く後姿だけの彼へ向かい、ルーカスは馬を走らせ剣に力を込めた。そして、一直線に突っ切る。
白馬の青年もそれに気づいたようだ。急いで馬首を返し、剣を構える。二人は真正面から強くぶつかった。
「!」
正面から白馬の青年を見たルーカスは、何もかもが止まったように思えた。目を見開いて、息をするのも忘れてその顔を見る。強いジェードの瞳、清廉な顔立ち。髪の色も、纏う空気も違うが間違えるはずがない。彼は間違いなく、心より愛した人なのだから。
青年もまた、ジェードの瞳を見開いて顔色を失くしている。互いに衝撃は同じように感じられた。
「エトワール……」
震えた声が問うてくる。これはもう、確信だ。この名を知るのは本当に親しい者だけ。幼馴染たち以外では、彼しかいない。
「リューヌ」
柔らかな声で名を呼ぶと、青年もまた震えた。引きつった表情のまま苦しそうに震えている。
ルーカスは馬を離し、剣を納めた。戦場であっても愛した人に剣を向ける事はできなかった。
「どうして、貴方がここに……」
「王が戦場に立たずに玉座にふんぞり返る訳にも行かないだろ。違うか、ユリエル王」
「!」
彼の表情が苦しげに歪む。こんな顔をさせたくはない。彼にはいつも、笑っていてもらいたいのに。
ユリエルもまた剣を引いた。それにルーカスも安堵する。少なくとも互いを知った今、殺し合いになる事はないということだ。
「タニスの王だったのだな、リューヌ」
「貴方こそ、ルルエの王だとは知らなかった……エトワール」
今にも泣きだしそうな瞳だ。それでも、声は真っ直ぐに向かってくる。その声音は胸に刺さる。ただ、真実を知った今でも胸の奥は温かい。憎むべき相手を前にしているとは思えないほど、心は凪いでいる。
だがその時、自陣から予想していない爆音が響いた。ルーカスは厳しい視線を向ける。上がる煙の位置からして、武器庫だ。
「武器庫を爆破したか。そうなると、次は……」
続けざまにもう一つ爆音が響く。予想はできた。兵糧をやられたのだろう。
ユリエルは必死に踏みとどまっているように見えた。でもその顔に、もう戦意は見えない。それはルーカスも同じだ。どんな理由でも、彼を手にかける自分の姿を思い描けない。
やがて、退陣の太鼓が鳴り始める。キアが良い判断をした。ルーカスはもう一度ユリエルを見て、力なく笑った。
「引かせてもらう。黙って、見逃してくれるだろうか?」
これから、どう戦って行けばいい? 自分に問うてもルーカスは答えが出ない。愛した人を前に、彼を手にかけるのか? 戦場で倒れる彼を、見る事ができるのか?
答えなどでない。そう簡単なものではない。ただ救いだったのは、同じようにユリエルが感じていると思えた事。彼もまた、ルーカスと戦う事を躊躇っている事だった。
ルルエの兵が退陣を開始する。去る者を、タニス軍は追わなかった。おそらくそのように示し合わせていたのだろう。ルーカスはユリエルが追わない事を信じて、無事に戦場を離脱していった。
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婚約破棄→王位継承権剥奪→新しい婚約発表と破局→王立学園(共学)に勤めて生徒の保護者である未亡人と致したのがバレて子種の出せない体にされる→美人局に引っかかって破産→加齢魔法で生徒を相手にしている時間帯のみ老人になり、貴族向けの魔法学院(全寮制男子校)に教授として勤める←今ここ を、全て見てきたと豪語する男爵子息。
卒業後も彼は自分が仕える伯爵家子息に付き添っては教授の元を訪れていた。
そんな彼と教授とのとある午後の話。
オメガ転生。
桜
BL
残業三昧でヘトヘトになりながらの帰宅途中。乗り合わせたバスがまさかのトンネル内の火災事故に遭ってしまう。
そして…………
気がつけば、男児の姿に…
双子の妹は、まさかの悪役令嬢?それって一家破滅フラグだよね!
破滅回避の奮闘劇の幕開けだ!!
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