恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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1章:ラブ・シンドローム?

6話:医者の不養生(エリオット)

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 ハムレットが担ぎ込まれて二週間。状態は安定していて、痛みも軽減されて痛み止めを打たなくても眠れるようになった。本人が医者だからか、状況を説明すると率先して行動やリハビリ、食事に気を使ってくれる。動きたがりの多い騎士団でこんなに手の掛からない患者も珍しい。
 更に側についているチェルルが積極的に看護をしてくれているおかげで、現在エリオットが出来る事は日々の問診や検査などだ。
 おそらく、来週辺りには実家であるヒッテルスバッハ家へと移れるだろう。

「はぁ……」

 医務室のソファーにどっかりと腰を下ろしたエリオットは、そのまま背もたれに凭りかかる。そして、疲れたように息をついた。
 最近、少し疲れているように感じる。騎士団内部でも体調を崩す隊員が多いから、それが原因かもしれない。
 ただ、リカルドが内科医としてそのほとんどを診察し、薬を処方している。

 彼がきてくれて助かった。外科が専門のエリオットではこの状況を冷静に捌ききる事は難しかった。他にも職員はいて、それぞれ動いてくれているがそれでも今は忙しそうだ。
 リカルドはとても冷静で、判断も速い。同じ師匠を持つ弟弟子になるのだが、エリオットとはタイプが違う。大人だ。

「少し疲れたんでしょうかね」

 戦争で傷ついた隊員も徐々に復帰し始めている。ベリアンスはリハビリとマッサージが主で、今は措置はいらない。懸念していたハムレットが手を離れれば、久しぶりに気が抜ける。

 重い体が求めるようにソファーを滑り、くたんっとだらしなく横になった。そうするとちょっと眠たくて、エリオットはそのまま目を閉じた。


 誰かの声がして、目が覚めた。まだぼんやりしている先に、白い髪と整った顔が見える。

「大丈夫ですか、エリオット先生」
「……リカルド先生?」

 揺り起こされていたのだろう、肩に手がかかっている。起き上がると、少し体が重いように思えた。

「すみません、ちょっとうたた寝を」
「ちょっとではありません」

 そう言うと素早く、リカルドはエリオットの額に触れ、次に首筋に触れた。

「少し熱いですね。体温計です」
「あの、大丈夫……」
「それは貴方が判断する事ではありません」

 一睨みされ、次には体温計を咥えさせられる。しかも「大人しくしなければ直腸ですよ」とまで言われた。
 大人しく体温を測っている間に脈を取られ、首筋を触られている。

「……三七度九分。風邪です。エリオット先生は熱が下がるまで自室で休んでください」
「え! でも、私も仕事……」
「医者の不養生です。貴方も遠征に行き、休みなく働いていたのですから不思議ではありません」

 それでもハムレットの事などがあるし、体調を崩している隊員は多い。その全部をリカルドに負わせてしまうわけにはいかない。
 けれど睨む瞳はとても強かった。

「いいですか、貴方がウロウロすると余計に隊内に風邪を蔓延させます。ハムレットさんは後は経過措置、ベリアンスさんはリハビリ、他は回復してきた隊員もいます。このくらい、私一人でどうとでもなります」
「それは……」
「普段から仕事をしすぎているのです。私の仕事まで取る勢いです。こんな時くらい大人しくしてください」
「でも……」
「ドクターストップです」

 医者が医者にストップをかけられるという、なんとも情けない現状にエリオットはグッと息を飲んだ。


▼オスカル

 エリオットが体調を崩してドクターストップがかかったと聞いて、驚いて部屋に行ってみた。今までこんな事はなかったから。

「エリオット」

 ノックも忘れて部屋に入ったオスカルは、その場で思わず固まった。
 柔らかく着心地のいい寝間着姿にクッションを背に、エリオットは未だに何やら読んだり書いたりしている。多分、他の仕事がないからと遠征時の報告書を纏めている。それを見られて、彼はビクリと肩を震わせた。

「あ……オスカル?」
「なに、してるの?」

 こみ上げたのは心配からの怒りだったのかもしれない。明らかにバツの悪いエリオットへカツカツと近づいたオスカルはペンを置かせ、半ば乱暴にベッドに担ぎ上げた。

「ちょっと!」
「ちょっとじゃない! 何してるの!」
「あの、だって……っ!」

 ドサリと降ろしたエリオットの顔を覗き込む。瞳は潤み目元はほんのりと赤い。触れた肌は熱くて、間違いなく風邪を疑わせた。

「ドクターストップの意味を君はいつも他の隊員に説いているのに、自分は無視?」
「あの、でもあまり体調悪くないし……」
「そんな目をしてなに言ってるの! 風邪は万病の元なんでしょ!」

 けっこう本気で怒っているかもしれない。普段、体調なんて崩さないから怖いのかもしれない。悪化したら……そう思ったら、背筋がゾクッとした。

「いいから寝てて。仕事する元気があるなら食べられるでしょ?」
「……はい」

 シュンとしたエリオットを部屋に残し、オスカルは食事を取りにいく。消化にいいものをお願いして、自分の分もトレーに乗せて。そうして部屋に戻ったら、エリオットはぐったりとベッドに仰向けに倒れていた。

「エリオット!」

 側に寄って、額に触れて意外な熱さに驚いた。息も苦しそうで、肌もさっきより上気して汗をかいている。

「薬! あぁ、でもその前に食べさせないと!」

 弟達の看病くらいはしたけれど、気持ちが全然違う。苦しそうで、どうにか楽にしてあげたくてたまらない。まずは熱を下げてあげないといけないんだろうけれど、薬は胃に負担があるから食後とリカルドに言われている。

「エリオット、暑い……よね?」

 こんなに汗ばんでいるんだから。
 思ったけれど、エリオットは意外にも小さな声で「寒い」と伝えてくる。よくよく見たら微かに震えている。

 迷いはしない。オスカルは隣に入り込み、布団をかけてエリオットを抱き込んだ。

「風邪……うつ……」
「いいよ、うつして。それでエリオットが楽になるなら、構わない」

 身じろいだエリオットを抱き寄せて、オスカルはそればかりを思ってしまう。こんなエリオットを見た事がないから色々とたまらなかった。

 それから三〇分もそうしていただろうか。エリオットは腕の中で苦しそうにしながらも眠った。
 そっと起きて、自分の分をとりあえず食べて、エリオットの分はアルフォンスにお願いしてスープにしてもらった。あの状態じゃ、きっと食べられないから。
 アルフォンスは小さな鍋を貸してくれて、それにスープを入れてくれた。これなら起きた時、暖炉の火で温めれば食べられるからと。

 桶に湯を張って、タオルを持ってまたエリオットの部屋に。そうして、汗で濡れた体を拭った。

「元気になってね」

 張り付いた髪を撫でると、意外としっとりとしている。ぬるま湯で浸したタオルで拭って、冷たいタオルを額に乗せて。こういう時、どうするのが一番なんだろうか。

「もぉ、こんなんじゃダメだろ僕」

 こんな事、きっとこれからいくらでもあるのに。なんだか情けなくて俯いてしまうと、不意に熱い手が頬に触れた。

「オス、カル」
「どうしたの?」
「悲しそうな、顔してます」
「……情けなくなってただけ。エリオットのせいじゃないよ」

 言ったのに、頬に触れる手はずっと気遣わしい感じだ。その手にそっと手を重ねて、頬を寄せた。

「ごめんね、情けないよ。エリオットがどうしたら楽になるか、分からないんだ」

 ちょっとだけ泣きそうだ。エリオットだったら、ランバートだったら、もっと上手に察してやれる。ファウストだってもっと上手く看病してた。あいつの妹が病気がちだったとかで、慣れていると。

「偉そうに言ったのに、こうして見守ることくらいしか……」

 伝えたら、熱に浮いた瞳が柔らかく細められる。口元には、笑みがある。

「心強い、です」
「え?」
「側にいてくれるだけで、心強い。だから、安心して。ね?」

 掠れた声で言われて、触れてくる手を握った。そして小さく「うん」と言った。

 スープを温めている間に着替えを出してエリオットの体を拭いた。しっとりと濡れた肌を拭くと少し気持ち良さそうにする。それらが終わった頃にスープが程よく温まって、器によそって食べさせ始めた。

「熱くない?」
「大丈夫ですよ」

 冷ましながらスプーンを口元に持っていくと、エリオットは少し恥ずかしそうにしながらも食べてくれる。ひな鳥みたいで可愛いなんて、言ったら怒られるだろうか。

「すみません、迷惑を」
「迷惑なんて思ってないよ。僕が腕を怪我したとき、エリオットがこうしてくれたでしょ?」

 そう言えばあの時もずっと、エリオットは泣きそうな顔をしていた。片腕が思うように動かなかった時、ずっとエリオットが側にいてくれた。

「あの時、どれほど勇気づけられたか分からないよ。リハビリを頑張ったのも、腐らずにいられたのも、エリオットが側にいたからなんだよ」

 沢山、有り難うだった。沢山、ごめんねを言いたかった。ふと、不安になって夜中に起きる時もあった。このまま腕が動かなくなる夢を何度も見たから。

 エリオットが驚いて、次にふわりと笑う。そして、オスカルの胸に頭を寄せるようにした。

「少しだけ、今の貴方の気持ちがわかりました」
「え?」
「あの時私が感じた不安を、今貴方が感じているのですね」

 静かに小さな声で言われて、目を丸くした。漠然とした今の心配を、あの時エリオットも感じていたのかと知った。

「私もね、不安でした。悪化したり、後遺症が残ったら……」
「エリオット」
「ごめんなさい。あの時、私が散々貴方に『無理をするな』って言ったのに」

 分かってもらえて、オスカルも分かった。お互い様だったんだろうと、今更笑った。

 結局エリオットはスープを半分ほど飲んで眠った。薬も飲んで、隣りにオスカルも寝転んだ。そうしてオスカルがウトウトし始める頃、身じろいだエリオットに気付いて体を起こすと、エリオットは体を小さくして震えていた。

「エリオット?」

 触れた体はとても熱くて、とても苦しそうにしている。驚いて、オロオロした。薬を飲んで四時間程度だ。

「リカルド!」

 もう深夜だったけれど、とても辛そうで見ていられない。寝間着にガウンをひっかけて、オスカルはリカルドの部屋に走っていった。


 幸い、リカルドはまだ起きていた。状況を説明すると荷物を持って部屋に来て、そのまま診察、今は点滴をして楽そうにしている。

「ごめん、パニクって」
「いえ、正しい判断でした。今流行っている風邪は咳や鼻の症状は軽度ですが、高熱が出て喉が腫れるようです。症状の出現や期間はそれぞれですが。診察したところ、扁桃腺がかなり腫れていて気道も細くなっています。熱を下げ、炎症を抑えていけば楽になってくるはずです」

 冷静にあれこれ、的確にしてもらえると安心する。実際、エリオットはさっきよりも楽にしている。

「僕、ダメだね……」
「専門ではありませんし、普段エリオット先生は体調を崩す事もないので仕方がありません。ですが、貴方の存在はとても心強いと思います」

 淡々と、だがしっかりと話すリカルドは言葉に淀みがない。表情の変化はあまりないが、リカルドは決して冷たい人物ではない。それを分かっているのか、隊員達も信頼している。まぁ、総じて医者嫌いは多いのだが。

「体調を崩す事の少ない人は、その分不安になったりします。夜に突然一人でいることに不安がこみ上げる事もあります。貴方の存在は、そういう部分を埋めてくれます。具体的な事はできなくても、側にいるだけで力になりますよ」
「そう、かな?」

 それならいいんだけれど。

 点滴を終えるとエリオットはすっかり落ち着いて眠ってしまい、リカルドも戻っていった。
 エリオットの側に寝転び、そっと手を握って眠る。そして今日の事を、じっくりと胸に刻んでいった。
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