恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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7章:邪神教連続誘拐殺人事件

四話:死神の正体(ファウスト)

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 ゼロスからの連絡で、教会は騒動となった。

「被害者はイリーナ。四日前から行方不明になっていた孤児院の子です。年齢は十二歳」
「昨日の今日で死体が二つ。明日には三つになってるぞ」

 憎たらしくて仕方がない。それでなくてもランバートの様子が気になるし、そもそもの原因を作った奴等だ。これで腹が立たないはずがない。

「ここから逃げて行ったという白衣の人物については、何か分かるか?」
「ほぼ分からないままです。武器は幅広のダガーが二本、素早く身のこなしがよく、鍛錬されています」

 一番接近したレイバンの報告だが、この人物については分からない。ただこの場にいたのだから、何かしら関わりがあるのだろう。

「まったく、こんな時に色々と面倒な事を起こしやがって。そんなに俺に恨みがあるのか」

 思わずゼロスやレイバンを前に愚痴ってしまうくらいには余裕がない。これで明日には人と会うのだ、正直キャパオーバーだ。

「ランバートの様子、そんなに良くないのですか?」

 ゼロスが真剣に心配している。こいつはクラウルを通して状況をある程度知っているのだろう。
 ランバートにもこんなに心配してくれる友人ができた。その存在がやさぐれた気持ちを少しばかし癒やしてくれる。

「本人はまったく変わらずにいるんだけれどな」
「……ファウスト様」
「どうした?」
「今回の一件、俺達に任せてもらえませんか?」
「ん?」

 それはどういうことか。ファウストが首を傾げるとゼロスが真っ直ぐにこちらを見る。芯の強いこの目に、クラウルは惚れたのだろうか。

「ファウスト様は出来るだけ、ランバートの側にいてやって下さい。事件は他の先輩達や他の部署とも連携できますが、ランバートの事は貴方でなければできません。ランバートを、お願いします」

 深々と頭を下げたゼロスの後ろで、レイバンやハリーも頭を下げる。
 部下はいつの間にか育つものだ。それを、強く感じた。

「……俺もサポートにつくし、報告は必ずしろ。無理は駄目だ。それでもいいか?」
「! はい!」

 勢いよく顔を上げたゼロスに、いつものメンバーを集めて明日の十時に集まるよう伝えた。教会の協力者と明日、その時間に会う予定なのだ。


 コーネリウスからは、それぞれ私服で時間をずらしてとある教会にくるようにと指定があった。招く人間はファウストとシウス、クラウル。そして共に捜査をする少数の人員だった。

 約束の時間に指定された教会に行くと、既にシウスやクラウル、他にもゼロス達が礼拝用の椅子に腰を下ろしていた。
 小さく古い教会だが、ここは神父不在のはずだ。手入れはされているし、無人でも地域の者が安息日には集まって祈りを捧げているから普段から小綺麗ではある。だが今日はその祭壇に、朝に摘んだばかりの花が活けられていた。

「ファウスト」
「あぁ」

 前列の通路側、クラウルの隣りに腰を下ろしたファウストはこれからを考えていた。教会の、しかも特務機関。いったいどんな人物が現れるのか想像もできない。

 だがそこに現れたのは、予想しているのとはまた違った雰囲気の青年だった。
 薄い、金に近いくらいの茶の髪を長めのボブにした、眼鏡の青年だった。少し大きな、綺麗な緑色の目をしている。整った、少し幼さの残る顔立ち。色が白く、対照的な神父服の黒が際立って見える小柄な人物だった。

 彼は皆の前に出ると、とても柔らかい笑顔でニッコリと微笑んでみせる。誰からも警戒されない、朗らかなものだった。

「皆さん、お時間取らせて申し訳ありません。組織的な事情によって目立つのが厳禁でして」

 ふわっと、どこか幼さも残る声音だ。語り口も柔らかく、安心させる。子供などは特に好むだろう声だ。
 こんな人物が、教会の特務機関なのか? いや、こういう人物だからいいのだろう。暗府だって厳ついのはクラウルくらいなもので、他は比較的普通な人物だ。

 だが僅かにゼロスが腰を浮かせる。そして鋭い瞳で目の前の人物を睨み付けた。

「あんた、ランバートに声をかけた」
「え?」

 ボリスやチェスターも頷いている。異変が起こったあの日、ランバートに声をかけたという人物が目の前の彼なのか。
 彼は困ったように笑っている。何とも言えないバツの悪い様子だ。

「そう、ですね」
「一体、どういう関係なんだ。あの日からあいつ、体調崩してるんだぞ」
「……申し訳ありま、わぁぁ!」

 ゼロスの強い声音に辛そうな顔をした彼が思いきり頭を下げる。だが場所が悪い。勢いすらついた深いお辞儀の先には木製の祭壇だ。
 ゴチンッと音がしそうなくらい額をぶつけ、かけていた丸い眼鏡が落ちる。それと一緒に、何かがコロコロと……

「へ? うわぁぁぁ!!」
「目! 目が落ちた!!」

 前列二列目の通路側に座っていたハリーとチェスターが、足元に転がってきた丸い玉を見て声を上げて互いに抱きついた。
 それは、確かに目だった。綺麗な緑色の虹彩の目玉がジッと、二人を見上げているのだ。

「あぁ、すいません! 今日はどうにも具合が悪くて、落ちちゃいました」

 慌てて眼鏡を拾い降りて来た人の右目が閉じて落ちくぼむ。それにも二人はギャーギャー言っている。だが、おそらく全員が言葉がなかった。もの凄く朗らかな声音で、見た目はかなり異様だった。

 彼は転がった義眼を拾い上げ、丁寧に拭いて何事もなかったかのように右目にはめ込む。今回も収まりが悪いのか、僅かに首を傾げながらだ。

「えっと、驚かせてすみません。これ、義眼なのでご心配なく。本物じゃないですよ」
「それは分かります!」
「あはは、ごめんなさい。えっと……まずは自己紹介しますね」

 今度はぶつからないように祭壇の前に立った人がやんわりとした表情を浮かべる。
 だがファウストやクラウルはその仕草に相手の実力を見た。
 片目では、距離感が掴めない。当然それは動きに出る。視野も狭いのに、彼はまったくそれを感じさせない。動きも洗練されて、まったく隙が無いのだ。

「僕の名は、オーウェン・アイゼンシュタインと申します。あの、婿養子なんですけれどね。元の名は、オーウェン・ヒッテルスバッハです」
「……え?」

 ほぼ全員、ファウストすらもすぐには理解が出来なかった。
 コーネリウスの義理の息子であり、ヒッテルスバッハを名乗る。だがランバートの兄弟ではない。ならば……

「ランバートが、お世話になっています。僕は彼の従兄弟にあたります。まぁ、とある事情で彼は僕を知りませんが」
「!」

 右目を失った、ランバートの従兄弟。ならば昨日ジョシュアが言っていたもう一人の被害者か!

 思わず空気が尖る。昨日考えた疑惑が当たっていて、彼がその当人であるならば、つまりこいつが……

 ギリッと奥歯を噛み締める。理性では分かっているつもりだった。けれどいざ目の前にすると、感情が前に立つ。
 それを理解しているのか、オーウェンは一度ファウストに視線を向けると、申し訳なく一つ頭を下げた。

「色々とありますが、まずは大事な話をさせてください。一昨日、昨日と犠牲者が出ています。これ以上、邪神などというものに人の命を取られてはいけません」

 オーウェンからそう言われてしまうと、一度は引き下がるしかない。ランバートの事を問いただしたいが、それはまた後でだ。

「昨日、義父様からも状況を聞きました。最初の犠牲者の他に三人、行方が分からないそうですね? 昨夜の犠牲者は、その中の一人ですか?」
「あぁ、そうだ」
「では、残り二人。その二人のうちの一人は、既に亡くなっているでしょう」
「な!」

 淡々としても聞こえるオーウェンの言葉に、シウスが目を見張る。他の者も険しい表情で彼を見た。

「攫って監禁し、生け贄と決まれば早いのです。最初にお腹いっぱい食事を食べさせ、次の日には薬で眠らせてから吊し、足首に筒状の金属を動脈まで打ち込むのです。そうすると早く血が抜けます。血液は上から下へと下がりますし、金属の筒は滑らかに血液を外へと出しますので……眠っている間、ごく短時間で亡くなります。その後、筒から血が出なくなるまで抜かれ続けるのです」

 ゾクリとする光景だ。吊されて、眠っている間に全身の血液を抜かれて死ぬなんて。きっと、自分が死んだ事も分からないままなのだろう。まだ幼い子が、どうしてこんなのを理解できるのか。

「体の血液を抜いた後、祭壇で祈りを捧げながら彼らは心臓と右目を取り出し、邪神に捧げます。そうして儀式が終わった後で遺体を清めて衣服を着せ、死に近い場所に捨てに行くのです。ここまでが、約三日くらい。儀式は常に行われていると考えて、死体が見つかった時にはもう次の犠牲者が出ているのです」
「なんてことじゃ……」

 事は一刻を争う。それを強く認識したが、情報がない。教会周辺の巡回や警備を強化してはいるが、新たな行方不明者が出ている可能性を否定できない。

「随分、詳しいのですね」

 ゼロスが訝しむようにオーウェンを見る。疑っている……とまではいかないが、信用もしていない表情だ。彼に取ってオーウェンはランバートを傷つけた人物なのだろう。その説明が、欲しいのかもしれない。
 複雑だ、この男がなんと説明するのか。最悪、ランバートが傷つく。それは見過ごせない。
 目を丸くするオーウェンは苦笑して首を竦める。ちょっと、痛々しい様子で。

「それは、僕が元被害者だからですよ」
「被害!」
「じゃ、その右目!」

 ゼロス達に衝撃が走り、ザワザワと声が上がる。一方で、シウスやクラウルは気を尖らせていた。
 だが、当のオーウェンはヘラッとした締まりのない顔で笑うのだ。

「いやぁ、本当に災難でした。伯父さんであるジョシュア様についてラン・カレイユに行ったら、まさか攫われてしまうなんて」
「……ランバートは、一緒じゃなかったのですか?」
「違いますよ。ランバートは小さな時からいい子ですから、周囲の言う事をよく聞いていました。滞在先の屋敷でいい子にしていました。僕だけが少し屋敷を離れた隙に攫われたのです」

 庇った。それにホッとしながら、同時にファウストの中で焦りや怒りが下がった。少なくとも、オーウェンに向けるものではない。昨日から冷静になれなかった感情が、落ちて行くように思う。

「どうして攫われて、無事だったのですか?」
「僕が生け贄の資格を失ったから。つまり、清い魂ではないと判明したからです」
「それは……」
「……彼らが処女童貞を見極めるには何を手がかりとすると思いますか?」

 オーウェンの静かな声に、周囲は顔を見合わせて首を傾げている。ファウストはシウスを見るが、彼も首を傾げている。
 でも確かにおかしな事だ。どうしてそれを確かめられる。自己申告なんて信じはしないだろう。

「女性は膜があれば処女と証明されます。そして男性は、精通がなければ童貞です」
「……」

 言葉がないが、確かにそうだろうな。シウスは下世話な話にほんの少し顔を俯けている。他も、何とも言いがたいようだ。
 そんな空気を笑い飛ばしたのも、やはりオーウェンだった。

「僕は当時十二歳で、ギリギリでした。というか、興味も無くて無知でして。でも、体は必死に生き延びようと振り絞ったんでしょうね。もの凄く恥ずかしくて滑稽でたまらなかったですよ」
「あの、もういいです!!」
「あれ、そうですか?」

 流石に赤裸々で、ゼロスが焦って止めたのをコテンと首を傾げて笑う。これは、狐だ。義理の父であるコーネリウスの影響か、はたまた伯父のジョシュアの影響か。

「まぁ、そういう事で資格のない生け贄を、彼らは森で処分しようとしたんです。儀式を行う建物と敷地は神聖な場所なので、生け贄以外の血を流す事は厳禁だったのでしょう。おかげで外に出られた僕は右目を失うも逃げ出して、猟師に助けられました。おかげで、儀式や奴等のやり口を知っているのです」
「では、ランバートがアンタを知らない理由は?」
「戻った時、幼いあの子が血みどろの僕を見てしまったみたいで。よほどショックだったみたいなんです。熱を出して数日寝込んで、起きた時には僕の事をすっかり忘れてしまっていたんです。死んだと、思ったのかもしれません」

 辻褄は合わせられる。被害者はオーウェンだけで、ランバートは関係ない。ランバートの異変は、子供心に仲の良かった従兄弟が突然死体のようになって帰って来たのを見たショックによるもの。
 真実は全部、こいつが隠した。

「この間は思わず、懐かしさと嬉しさで声をかけてしまったんです。本当に、しくじってしまいました。彼にしたら死んだはずの人間が突然現れたのですものね。覚えていないとはいえ、混乱したでしょう。本当に、申し訳ありません」

 ゼロスはまだ、疑っているようだった。他よりも情報が多いからだろう。だが、オーウェンのほうはこれ以上はないという顔をする。何を聞かれても、きっとこの路線は崩さない。

「……ゼロス、いいか?」
「……はい。オーウェンさん、失礼いたしました」
「あぁ、いえいえ! 一緒に捜査させてもらうのですから、疑いは無い方がいいですし」

 クラウルが諫め、ゼロスも頭をさげた。それに、オーウェンは笑っている。
 ある意味、強いな。苦しいだろうに、笑える。色んな感情を全部、その笑みの中に押し込んでいるのだろう。

「まぁ、そういう事情で因縁の相手でもあります。絶対に、奴等を止めて根絶やしにしたいのです。これ以上犠牲者が増えないよう、どうかお力を貸してください。よろしくお願いします」

 頭を下げたオーウェンに、その場にいた全員が頷いた。


 とりあえずの話はついた。ゼロス達とオーウェンが組み、教団のアジトを見つける事になった。他の団員はこれ以上の犠牲者が出ないように警戒を続ける事になった。流石に警戒が強まれば簡単に子供を攫えない。そこで焦った所が狙い目だという事になった。

「あの、ファウストさん。少しだけお話いいですか?」

 解散ムードの中、オーウェンがファウストに声をかける。一番最後尾にいたファウストは立ち止まり、クラウルとシウスが他の者を促して出て行く。残ったファウストに苦笑して、オーウェンは教会奥にある一室へと招いた。
 神父やシスターの休憩所、もしくは仮眠室なのだろう狭い一室に入ったファウストの背後でドアが閉まる。そして無言のまま、オーウェンは深く頭を下げていた。

「それは、どういう意味だ」
「すみません」
「……謝って、あいつの傷は消えるのか」
「っ」

 分かっている、こんな事を言っても何にもならない。こいつだってそれ以外の方法が見つからなかったのだ。こいつは、幼いなりにランバートを守ろうとしたのだろうに。

 溜息が出る。苛立つ気持ちを一緒に吐き出して、ファウストは向き直った。

「ランバートを、助けたかったのか?」
「はい」
「今も、庇ったんだな」
「……はい」

 震え、言葉に詰まる様子に溜息が出る。苛立ちの向ける先がないが、少なくとも目の前の青年に向けてはいけないのは分かっている。

「どうして、俺を呼び止めた。俺はあのまま、去ろうと思っていたんだぞ?」
「ランバートの大切な人である貴方には、話さなければいけないと思っていたのです。伯父様から話を聞いた時からずっと……でも怖くて、なかなか言えませんでした。申し訳ありません」
「言えば俺に殴られていたかもしれないぞ。今も、怒りを買うかもしれない」
「甘んじて受けるつもりです。それだけの事をしてしまいました。幼いあの子を、僕は傷つけてしまった。決して、許される事ではありません」

 もう、十分だ。今の様子だけでオーウェンの人柄は分かる。決して望まぬ相手に乱暴を働く人物じゃない。自分よりも、大事にしたい誰かを思っている。大事な人を守る為ならいくらでも泥を被る人物だ。

 もっと、憎らしい相手なら一発ぐらい殴ってもいいかと思っていた。今のランバートを思えば、それでもまだ足りないくらいなのに。

「……話を聞く。何が、あったんだ?」

 ファウストも覚悟を決めた。本来は聞いてはいけないのだろうが、今のランバートを助ける何かがあればいいと願っている。この事件を解決する、何かを求めている。
 オーウェンは頷き、適当な椅子を勧めてくれた。そうしてぽつりぽつり、幼い記憶を語ってくれた。

「ラン・カレイユ滞在が残り僅かとなって、街に遊びに行く約束をしていました。でもその日、ランバートは体調を崩してしまって中止に。翌日良くなって、そうしたら行きたいと言い出してしまったのです」

 十分ありえることだ。今でもあいつは思うように行動する事が多い。大人になって分別がついているから今は聞き分けるが、子供の頃ならそうは行かないだろう。

「そうしたら屋敷付きの御者が、案内してくれると言って。最初はランバートだけと言ったのですが、子供の失踪事件が起こっていると大人が話しているのを聞いたので、僕もついていったのです」
「……そこで、攫われたのか」

 オーウェンは静かに頷いた。

「御者の男が、信者だったのです。最初は街を案内してくれたのですが、疲れて眠ってしまったまま知らない森の中に。後は洋館に引っ張られ、地下の部屋に二人で放り込まれました」

 それだけでも、幼い子供は恐怖だっただろう。むしろ目の前の青年の冷静さが凄いと思える。訳の分からない場所で、良くこれだけ覚えていられたものだ。

「覚えているものだな」
「ランバートがいたからです。あの子はずっと怯えて、泣いていました。だからこそ僕は、しっかりしなければと。幸い武力はからっきしでも、趣味が読書でして。記憶力とかは良かったんです。だから大人達の話すのを聞いて、すぐに彼らが良からぬ儀式をしているのを知りました」

 知る事もまた、恐怖だろう。なにせ自分が今度どうなるかを知るのだから。

「大人達は皆、十歳程度の子供は何もできないとふんで軟禁はしても、拘束はしませんでした。だから自由に動けました。木戸の隙間から外を覗いて、連れて行かれる子供を見たりもしましたし、何が行われているかも大人は隠しませんでした」
「それが、儀式の内容か」
「はい。彼らが言う『無垢な生け贄』が何かも、本を読んで知っていました。それで……」
「あいつを犯して、生け贄の資格を失わせた」

 申し訳なく、苦しそうな表情でオーウェンはただ頷いた。
 溜息が出る。こんなこと、本意ではなかっただろう。だが十二歳の子供の精一杯が、これだったんだ。知識だけを武器に助けようと必死になった方法が、兄弟のように仲の良かった相手を無理矢理犯す事だったなんて辛すぎる。
 結果、ランバートの中でこの記憶は封じられ、オーウェンは存在を消され、オーウェン自身も受け入れて罪を背負ったまま姿を消した。

「そんな事をして、殺されるとは思わなかったのか?」
「思いましたよ。それでも敷地の外には出られそうでした。彼らは神聖な敷地内で生け贄以外の血が流れるのを嫌って、野菜ばかりの食事を出すくらいでした。だから外には生きて出られる。そうしたら後は、なんとしてもランバートだけはって思っていました」

 そこまで計算に入れていたとは、驚きだ。十二歳という年齢を考えても、オーウェンはかなり頭が回る。さすがはヒッテルスバッハの家系なのだろうか。

「ですが予定外に蹴り倒されてしまって、ランバートを逃がすどころの余裕がなくなってしまって。気がついたら、助かっていたんです。この間に何があったのかは分からなくて。ランバートもこの時点で、記憶が消えてしまっていました」

 オーウェンの落ちた視線が握られた手に向けられる。ずっと、顔を上げられないまま話しているのだ。

 この男は、全部を飲み込み受け入れた。失った右目も、犯した罪も、その代償も。
 それでもまだ、ランバートを庇い、思う。本当に強い者でなければ、潰されてしまいそうだ。

 言葉のないまま、重苦しい沈黙が流れた。何かを言うべきかもしれないが、言葉がみつからない。そんなファウストへと、オーウェンが不意に柔らかな笑みを浮かべた。

「貴方の事を聞いて、僕は救われました」
「救われた?」
「はい。僕が犯してしまった罪のせいで、ランバートが誰かを好きになれなくなってしまったらどうしようと、ずっと不安に思っていました。けれど伯父様から、貴方の事を聞いたんです。本気でお付き合いをしている人ができたと。ほっとしました」

 左の目がうるうると揺れて、表情は幼い笑みを浮かべている。本当に安堵している様子に、戸惑ってしまう。器の小ささを見せられるようで、違う劣等感が擽られるのだ。

「有り難うございます、ファウストさん。ランバートを、お願いします」
「頼まれなくてもあいつの事は俺がなんとかする。それよりも、お前はこのままでいいのか? あいつに名乗り出なくてもいいのか」

 このまま一生、忘れられたままでいいのか。

 オーウェンの表情が歪み、泣き笑いのようになる。こんな時でも、笑うのだ。きっとそれが、この男が身につけた仮面なのだろう。

「会いたくないでしょ、自分を強姦した相手なんかに。それに、僕に会ってあの子は倒れてしまった。懐かしくて、嬉しくて気付いたら声をかけてしまって。後悔しています。きっと、拒絶が出たんだと思います。そんな僕が、名乗り出る事なんてできませんよ」

 笑ったまま、泣いている。そしてまた、ぺこりと頭を下げてくる。
 どれだけランバートを案じたのか。気にしていたのか。安堵したのか。会いたいのか。犯さなければならなかった罪の贖罪は、とうに済んでいるだろう。

「あの、ランバートは今どうしていますか? 体調が悪いとゼロス君が言っていましたが」
「問題無い程度のものだ。ただ俺が過保護になって、休ませているだけだ」
「そう、ですか」

 言えないだろう、こいつにだけは。当時の記憶に引きずられて、不安定になっているなんて……


 その夜、ファウストはずっと考えていた。ランバートの事、オーウェンの事、このままで本当にいいのかと。諦めたフリをするオーウェンの痛々しさを思うと、何も言えなくなる。そしてランバートも、このままでいいのか。忘れてしまったままで。

「ファウスト、どうしたんだ?」
「ん?」

 変わらない様子で近づいてくるランバートが、コツンと眉間を指で突っつきグリグリと押す。眉根が寄っているとよくやられるのだ。

「こら」
「だって、怖い顔してるからさ」
「仕方がないだろ」
「……ごめん、事件が起こってるのに俺の事でも手を煩わせて」

 辛そうに笑うランバートの表情と、日中のオーウェンの表情が重なる。そしてやっぱり、このままではいけないと思えてしまうのだ。

 側にあるランバートの腰を抱き寄せ、胸の辺りに顔を埋める。そんなファウストを、ランバートは「子供みたい」と小さく笑って頭を撫でて抱きしめてくる。
 この変わらない様子が余計に辛くて、ファウストはギュッと手を握った。

「……ねぁ、ファウスト」
「どうした?」
「……もう一度、俺の事抱いてもらえないかな?」

 沈んだ声音が染みてきて、ズキリとファウストの胸を刺す。見上げたランバートは泣き出しそうな笑みで、それが妙にオーウェンと重なった。
 誘うように落ちてくる唇が触れる。絡むような妖艶さを纏う行為は疼くものも確かにある。それでも今、これを受け入れる事はできない。
 怖いのだ、またあのように拒絶されるのが。壊れてしまいそうなランバートを見るのが。

「ランバート」
「ダメ? もう、俺とはできない?」

 笑っているのに、泣いている。綺麗な顔をしているのに、悲しくなってくる。

 抱きしめてい手をそっと降ろして、形のよい尻に触れる。少し意地悪に、後孔を意識して触れた。それだけでランバートはビクリと震えて硬くなる。明らかに、怯えている様子で。

「ランバート、無理をする必要はない」
「無理なんて!」

 言いながらも必死なのは見え見えだ。それを、ランバートも分かっている。
 抱きついたランバートは泣いているのだろう。大きく震える肩を黙って抱いていた。

「頼むよ、ファウスト。俺、こんなの嫌だ。こんな……」
「ランバート」
「無理矢理でもいいから、抱いて。俺じゃファウストの腕力にか敵わない。抵抗しても、体は快楽を知ってる。逆らいきれない、だから!」
「それに意味はあるのか?」

 ビクッと身じろいだランバートは言葉を失い、俯いた。
 そっと抱き寄せて、胸におさめたランバートの背や頭を撫でて、額にキスをする。ランバートを落ち着かせるのと一緒に、自分も落ち着こうと必死だ。そして、胸の内にある言葉を残らず伝えた。

「焦らなくていい」
「ファウストはいいのかよ。こんな……俺、このまま一生ファウストと繋がれないかもしれないんだぞ」
「それでも構わない」

 そう、構わないんだ。欲しいのは体じゃない、ランバートの存在自体に救われている。愛しく思う。体はその延長でしかない。快楽を求めて心を失うなら、性欲は捨てられる。

「お前に苦痛を強いてまで、快楽なんていらない。繋がるばかりが愛情の証じゃない」
「ファウスト」
「もし一生このままだとしても、俺がお前の側を離れる事はない。例えお前が手を離しても、俺はお前を捕まえにいく」

 ランバートの瞳からポロポロと涙が落ちるのを見てファウストは微笑み、目尻に唇を寄せて涙を拭っていく。擽ったそうにしても、拒絶はない。それに安堵した。

「何があっても、この後どんな変化があっても側にいる。俺がお前から離れる事はない。だから、恐れないでくれ。どんなお前でも、愛している」
「うん……」

 胸に顔を埋めたランバートを抱いて、ファウストは静かに目を閉じた。
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過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈ 社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。 もらった能力は“全言語理解”と“回復力”! ……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈ キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん! 出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。 最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈ 攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉ -------------------- ※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

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