恋愛騎士物語4~孤独な騎士のヴァージンロード~

凪瀬夜霧

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8章:ジェームダルから愛をこめて

2話:夫婦の時間(ダン)

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 一年が終わろうとしている中、ダンはアルブレヒトに呼び出されていた。

「ダンクラート、お前イシュナとはどうなのです?」
「……え?」

 仕事の話だと思っていたら、まったく違う話題に目を丸くする。その先でアルブレヒトは盛大な溜息をついた。

「上手くいっていないのですか?」
「いや、そんな事はないと思うけど……」
「ですが、イシュナは何か悩んでいるみたいですよ」

 思い当たる事は、ある。そして原因はダンなのだ。

「彼女には子供達の相手をしてもらっていますから、よく話をするのですが。なんでも、夜の時間が少ないとか」
「ぐはぁ!」

 なんて話を王様にしてるんだ彼女は!!

 顔を真っ赤にしたダンに、アルブレヒトは溜息をつく。そして、トントンと机を叩くのだ。

「何か、問題がありましたか?」
「いや、そんなんはねぇよ! でも、あの……」
「どうしました?」
「……俺にはちと、上等過ぎるというか」
「はぁ?」

 分からないという顔をするアルブレヒトに、ダンは軽く頭をかいた。

「俺には学もなければ、育ちも良くねぇ。がさつで、デリカシーなくて、見た目だっていいわけじゃねぇよ」
「彼女だってわりとがさつでデリカシーないですよ?」
「それ、本人言うとグーパンチだぞ」

 気の強い嫁は相変わらず腕っ節も強い。「腕が鈍る」と言って休日、ダンに修練の相手をさせているくらいだ。

 アルブレヒトは困った顔をしている。行儀悪く肘をついて、考えているようだ。

「彼女はそんなこと、気にしないと思いますけれど。むしろ気が楽だと考えていると思いますよ」

 確かに、何の気兼ねもないようすだ。自由に伸び伸びしている感じはある。
 日常生活はいたって順調で、互いに気づいた所に手が届く。ずっと昔から一緒にいたような具合のよさだ。
 だが夜となると手が出ない。ダンはこれまで商売の女性とは関係があったが、特定の誰かと決めた事はない。健全な男として溜まるものは溜まるし、発散したい時もある。体を動かせば発散されるなんて爽やかな男ではなかった。
 そして恋人を作らなかったのは、奔放な自分が特定の女性だけを愛して夜を共にする決心が付かなかったのだ。あちこち行って置き去りにする事だってあるだろうし、その間待たせるのも忍びなく思っていた。

 イシュクイナと結婚した時、彼女を幸せにするという覚悟はしたし、二人の生活がどんなものかと楽しみにもした。そして今も幸せだ。
 だが子供とか、夜の生活となると、本当にそこに責任が持てるのかが自信がない。自分が大人になりきれていない気がしてならない。
 金だけ払えばいいわけじゃない。子供となれば愛情注いで大事にしてやらなければならないし、妻であるイシュクイナも大事にしてやらなければ。そこに仕事も……自分のキャパはそんなにあるのか疑問だ。

「夫婦の立ち入った事に私があれこれ言うのは、違うとは思っています。けれどイシュナも悩んでいるみたいですよ。夜が少なすぎる。貴方が疲れているなら無理にとは言えないし、生活は楽しいけれどと」
「面目ない。俺が……甲斐性無しなんだろうが」
「まったくです、贅沢者。早く覚悟決めて子の一人でも見せてください。愛する者が側にいるだけで贅沢なんですよ」

 そう言ったアルブレヒトの表情は、とても寂しそうだった。

 今でも毎日欠かさず、中庭の墓に通っている。どんなに忙しくても、早朝でも、深夜でも。寒い日でも必ず行って、三十分ほど墓の隣に腰を下ろしている。
 親しい人にだけ、この人は「愛していたのでしょう」と苦笑して言う。とても甘く、切なく。

「ということで、イシュナは今日休みにしました。お前もこれで帰りなさい」
「なぬ!」
「ちゃんと夫婦の時間を作って、彼女の憂いを断ってきなさい。あと、新年三日は城も休みなのでお前も登城しなくて結構ですよ」
「うおぉ、マジか……」

 今頃どんな顔をして彼女は待っているだろうか。案外普通か? それともちょっと違うだろうか。
 万事セッティングされたような休暇に、ダンは妙な緊張のまま家に帰る事になった。


 二人の家は王都の中心街、城に近い場所にある。何かあった時にすぐ駆けつける事ができるように。
 白い外壁に青い屋根の家は瀟洒だ。家の中もそこそこ大きく、芝の庭も完備している。室内に調度品はないが、敷かれているラグなどはふわりとしている。
 全部イシュクイナが整えたもので、嫌味がない。飾る贅沢の意味が分からないダンの気持ちを汲んでくれた結果だった。

 家に戻るといい匂いがして、キッチンから髪を上げ、エプロンをつけたイシュクイナが顔を出す。そして、もの凄く曖昧に笑うのだ。

「おかえり」
「いい匂いだな」
「今日は思わぬ休みで、パイを焼いたのよ」
「おっ、美味そう」

 魚のパイが好きだと言ったら、イシュクイナは勉強して作ってくれた。時間があるときしか作れないけれど、と言いながら。
 着替えたり何なりをしてイシュクイナの元に向かうと、やっぱり困った笑みで迎えてくれた。

「さて、旦那様。とても恥ずかしい休暇を貰ったわけだけれど」
「だな」

 溜息をついたイシュクイナは、正面ではなく隣に座る。

「イシュナ、甲斐性無しで悪かった」
「いいわよ、今更だし。私の旦那は奥手さんなんだもの」
「悪かったって。俺も……色々考えてたんだよ」

 頭をかいたダンに、イシュクイナはクスクス笑う。その後で、ちょっと真面目な顔をした。

「私は夜の経験なんてないし、正直そっちはとても疎いわ。アンタを満足させられない、至らない妻だけど」
「違う! そういう事じゃないんだよ!」

 急いで彼女の言葉を否定したダンは、更に頭をガシガシかいた。女性の彼女に、なんて事を言わせてしまったんだ。

「悪かった。そういうので悩んでたんじゃないんだ。俺は……俺の不甲斐なさなんだよ。お前相手にすると、ビビっちまう自分がいる。俺みたいなのがこんな上等な嫁、抱いていいのかって」

 本当に格好悪いが、それも今更だ。帰る道すがら、ちゃんと自分の事を話そうと思ってきたのだから。

「俺が生まれたのは、こっから離れた国境の田舎町の商人の家で、裕福とは言えなくても食うに困る事はなかった」

 話し始めたダンに、イシュクイナは真剣な顔で聞いている。少なくとも、こんな面白くもない身の上話を聞いてくれるらしい。

「チビの頃から他よりもガタイが良くて、あっという間にガキ大将みたいになった。腕っ節が強いばかりで、大した勉強が出来るわけでもない……計算は速かったか。商人の親父から拳骨されながら教えられたからな」

 キフラスが五つ下。いつの間にか地域のガキ大将だった。曲がった事は嫌いだし、間違ってると思えばその通りに口にする、直球なクソガキだった。

「そのうちベリアンスやレーティス、教会のガキだったチェルルやリオガン、ハクインとも親しくなって、チビの頃からずっとつるんでいた」

 悪い事も、大事にならない程度にした。全員たんこぶ作って涙目になるくらいの事だ。教会のガキが苛められればそのグループと喧嘩して、ボロボロになって帰ってきたりした。

「俺達の住んでた場所ってのは、国境の中でも酷くてな。夜盗は我が物顔だし、遊牧民も攻めてくるし、最終的には他国の軍が攻めてくる。町はその度に荒らされまくって、死人がわんさか出た」
「国の軍は何をしていたの?」
「俺達が荒らされ殺されてるのを見ながら、悠々と出陣の準備をしてるのさ。俺達の町より後ろに砦がある。俺達はいい餌で、その餌に食らいついている間に出兵と、そんないいご身分だ」
「最低だわ」
「まぁ、それでも昔よかいいらしいぜ、親父達の話だと」

 何十日も来てくれないことも多かったらしい。

 イシュクイナは眉根を寄せて、納得いかない顔をしている。彼女もまた正義感の強い女性だから、こういった事は嫌いなのだろう。

「ベリアンスの親父さんが、国から派遣された騎士だったんだ。たった一人……まぁ、左遷だな。でも真っ当な人で、俺達に自警手段として剣術や武術を教えてくれた。そうしてみっちり仕込まれた俺達は、国を頼りにする事をやめて自警団を結成したんだ」

 それが、辺境義勇兵の始まり。最初は十数名だった勇士が、徐々に増えていった。みんな、十代、二十代の若者だった。

「俺達が何とか頑張って、夜盗は追っ払う事ができた。でも、遊牧民とかになるとなかなか勝てなくて、怪我人なんかを助け出すのが精々になった。悔しくて、更に頑張って強くなって、そのうち得意分野が分かれてそれぞれにその道を究めるようになって、ようやく遊牧民からも守れる様になっていった」

 彼らは物が欲しいんであって、人を殺す事は目的ではなかった。綺麗な女性は戦利品だったから、そういう人は隠して。貧乏な家は襲わない、だから店や屋敷を重点的に守る。こういう事に気付いて作戦を練るのが、レーティスの役目。
 ダンは、ひたすら戦っていた。

「だが他国の軍隊が攻めて来た時は、どうにもならなかった。必至に持ちこたえるのが精々で、砦からの騎士も暫くして尻尾巻いて逃げやがって、もうダメだと本気で思ったんだ。そん時さ、アルブレヒト様率いる本隊が来てくれたのは」

 もうここで死ぬんだと思った。全員ボロボロだった。そこに差した光はあまりに強くて、眩しくて神々しかった。

「本軍は瞬く間に他軍を打ちのめしてくれた。そして、俺達みたいな貧乏人にアルブレヒト様は手を差し伸べてくれて、分け隔て無く接してくれた。本当に、びっくりだぜ。そこらの一般兵ですら、俺等の事下に見てたってのにな」

 『よく頑張ってくれました。貴方達が、この町を守ったのですよ』
 そう言って手を差し伸べた人の神々しさったらなかった。不意打ちで、ちょっと泣けた。

「そっから町の復旧やらなにやらして、あっという間に年月がたって。ようやく整った頃、俺達はあの人の私軍という形で召し抱えられた。そっからまた、がむしゃらに。俺達もようやく強くなったってくらいに、例の事件があって俺は片目を失い、主も失い、仲間も失った」

 強くなったと思い込んでいたのかもしれない。大きな闇に一人の人間が出来る事はほんの僅かなんだと思い知った。悔しくて、何より自分が許せなかった。

「片目の感覚取りもどしたり、情報拾いながらあちこち転々としたりで、ラン・カレイユまで行って。んで、お前にも知り合った」

 単純に、通りかかっただけだった。ただ自分の国の軍人が力のない教会を襲っているのを見て、無性に子供時代の悔しさや憤りを思いだしたのだ。
 その頃ダンは『ダンクラート』という名前を捨てた幽霊で、もし自国の奴に知られても白を切るつもりでいた。当然、逃す気もなかったが。
 教会を守ったついでに村からも奴等を撤退させて、やれやれという所にイシュクイナ率いる近衛騎士団と女官騎士団がきてくれた。
 正直、助かった。ダンは助ける事は出来ても、その後のケアはできない。知識も力もない。だから「後はお前等で頑張れ」としか言いようがなかったのだ。

「あの夜は、沢山話したわね」
「そうだな。俺は話せない事が多かったが」
「今になってみれば、当然よね」

 苦笑したイシュクイナの視線が柔らかい。あの夜、下らない事から己の信念まで互いに話して、こいつとは近い感覚があると思った。いい友人になれると思った。
 だからこそ、囚われたと聞いて心配もしたし、再会の時には安堵もあった。

 ただ、恋情というものを置き去りにしたまま夫婦になってしまったのだ。

「俺はあの時、お前とは酒を飲み交わしながら朝まで話ができる、そんな友人めいたものを感じていた」
「奇遇ね、私もよ」
「友人というならむしろお前とはジジイやババアになっても付き合って行けると思ってる。一緒にいて心地よくて、戦場だって頼もしい」
「そうね」
「……でも、夫婦ってならまた形が変わってくる。俺が、恋情ってものを知らないままだったんだ。女と過ごす夜は知ってても、日常を共に、夫として寄り添う術は知らないままだ」

 そう、結論づけた。帰り道、夜の生活が淡泊で少ない理由を考えていて、ふと思ったのだ。いい女で、料理も美味くて申し分もないけれど、これは恋情なのかと。友情の延長線のような感覚は心地いいが、このままでいいのかと。
 良くないから、イシュクイナにこんな悩みが生まれたんだろうけれど。

「イシュナ、国も大分落ち着いてきた。キフラスも気を使ってか、地方仕事を積極的にしてくれている」
「そうね」
「だから、その……デートから、始めないか?」
「……え?」

 思ってもみない言葉だったのか、イシュクイナはパチパチと瞬きをしてダンを見ている。宝石みたいな明るい青い瞳が、こっちをジッと見るのだ。

「恋愛、したい。お前を愛せる自信はあるし、今も側にいて心地よくてたまらん。だから、自覚と時間が必要なんだと思う。一緒に何でも無い買い物を楽しんだり、街で買い食いしたり」
「確かにデートだけど……」
「……嫌、か?」

 嫌と、言われてしまったらどうしようか。随分失礼な奴なのは分かっているだけにドキドキだ。

「ケーキ、食べたい。王都中央通りの」
「!」

 こちらを見るイシュクイナが、少し恥ずかしそうな顔をしてダンを見た。

「あそこのケーキ、美味しいのよ。買ってきて、今日は夜にお茶にしましょう」
「おう!」

 思わず立ち上がったダンを笑ったイシュクイナも立ち上がり、手を差し伸べてくる。その手を取って、まだ明るい雪道を二人で歩く背はもうとっくに、夫婦の距離になっていた。
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