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11章:暗府団長刺傷事件
7話:憎悪の果て
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事件発生から二週間がたった。ランバートはゼロスとネイサンを連れて、スノーネルの地にいた。
ここの港町で一艘の密航船が捕まったのだ。
その中に一人の女がいた。波打つような赤茶色の髪に、深い緑色の瞳をした、キツい顔立ちの美女だった。
「ようやく見つけました、シスター、メアリー・ホワイト。いえ、レベッカ・キャラハンさん」
彼女は僅かに顔を上げると、赤い唇をニッと上げた。
「人違いではありませんの? 騎士さん」
「いいえ、間違えていませんよ」
「私、シスターになった覚えはありませんのよ?」
「そうでしょうね。貴方がシスターだなんて、考えただけでゾッとする。神に仕える女性は清らかでなければなりませんしね」
ランバートの瞳はゾッとするほど冷たく、口元は綺麗な笑みが浮かんでいる。それは、絶対に許さないという気持ちそのままだった。
ランバートの後ろに控えているゼロスとネイサンもまた、同じような鋭い気配のままだった。
それでもレベッカはまったく悪びれる様子がない。むしろ堂々と優雅ですらあった。
「貴方はシスターを名乗り、純粋な兄弟に殺人を唆し、四人の娼婦を殺した」
「知りませんわ」
「いいえ、貴方がやったんです」
ランバートは懐から一枚の似せ絵を出した。そこには目の前の女性によく似た女性の、修道女姿が描かれていた。
それを見るレベッカの表情は変わらない。まるで笑顔の仮面を貼り付けたようだった。
「これは、事件の重要参考人の少年から証言を得て書いた似せ絵です。流石にほぼ一緒に生活していた彼は彼女の顔を克明に覚えていました。黒子の位置まで。この似せ絵を娼婦達に見せたところ、声をかけてきた不審なシスターだと証言が多く出ました」
「他人のそら似ではありませんの?」
「そうはならないんだよ、おばさん」
後ろに控えていたネイサンが、とても穏やかに笑っている。だがこの人の場合、口の端を上げて笑えば笑うほど危険だ。ぶち切れている可能性が高い。
ネイサンの「おばさん」という呼び名に、レベッカは片眉を上げる。余程気にくわなかったのか初めて口元を歪めた。
だがネイサンはその顔を見下ろし、意地悪に笑った。
「いい顔だね、醜くて」
「私が醜いですって!」
「貴方が利用した子達よりも、余程ね」
「訂正なさい!」
「下らないな。さて、これが何か分かるかな?」
ネイサンが出したのは例の遺書だ。それを目にしたレベッカは再び口元に笑みを取りもどした。
「罪を告白した遺書、と読めますわね」
「そうだね。けれどこれは偽装だろ? おばさんの」
「おばさんではありませんわ!」
「知ってるかな? あの双子、どちらも文字が書けないし読めないんだよね」
「……え?」
緑色の瞳が大きく見開かれる。口元はワナワナと震えている。それでも、下手な笑みを浮かべようとしていた。
「字が読めないなんて、そんなの嘘……。だって、王都に入った時に書類!」
「それに必要な文字だけ書けるように練習したそうだよ。実際ノアはこれに何が書いてあるか分からなかった。念のために彼らが王都に入って来た時に書いた書類の文字とも比較したけれど、全然一致しない。彼らの文字は歪で、線が震えていて、文字の大きさも不揃い。とてもこんな流暢には書けない。そんな人物が文章を書く事は、不可能だ」
次いでネイサンが出したのは過去の調書から持って来たとある書類。過去の事件の時に押収したレベッカの手紙。そこに書かれた文字と遺書の文字はどう見ても同一人物が書いたと言えるものだった。
「さて、この遺書は誰が書いたものだろうね?」
にっこりと、満面の笑みを浮かべるネイサンを前にして、レベッカはしばらく俯いて震えていた。だがすぐにピタリと動きが止まって、挑むような瞳でこちらを睨み上げた。
「本当に忌々しいですわね、駄犬が」
開き直ったレベッカの、それは低く憎しみに満ちた声だ。もう隠す気も無い。そういう態度に、三人は目を釣り上げていた。
「そうね、それを書いたのは私よ」
「どうして何も知らずに過ごしていたノアとレイを巻き込んだんだ」
「だって、あの男にそっくりだったんですもの。許せないでしょ? 私の人生を滅茶苦茶にしたあいつが生きてるみたいで、腸が煮えくりかえる思いだったわ」
その言いようにランバートは目を釣り上げ、強く唇を引き結んだ。
この女の行方をあちこちから集めている間、ノアは食事を完全に断ってしまった。無理矢理食べさせても吐き戻して、拘束を解いたら自殺を図るを繰り返している。生命維持に必要なギリギリの食事をさせるので精一杯だ。
なのに瞳だけがギラギラと強く光っていて、呟く言葉も「許さない」「殺してやる」といった憎しみに染まったものになってしまった。
もしもこの女に会わずに王都を離れ田舎に移住していたら、二人は貧しくてもこんなに辛い生き方はしなかったんじゃないか? 二人だけの兄弟、互いを大切にしていけたんじゃないか。
そう思うと、彼らに長い時間をかけて憎しみを植え付け殺したレベッカを許す気にはなれない。
しかも、こんな理由だ。
「あの男が悪いのよ。黙って金だけ稼いでいればよかったのに、猟奇殺人なんて起こして。しかも私が悪いみたいに書き立てられて。おかげで私はあの男以上の悪妻と言われて叩き出されて! 実家からも『お前みたいな悪女はこの家の娘ではない!』とか言って。金の為に私を売ったくせに!」
吐き捨てるレベッカの顔はどんどん鋭さと醜さが増していく。まるで悪魔だ。人はこんなにも心を歪ませるのか。
「どうして、クラウル様を殺すよう唆したんだ」
渇いた声でゼロスが問う。今まで我慢してきた声は震えていた。
そんなゼロスを見るレベッカの目が爛々と光る。笑みを浮かべているはずなのに、とても醜い。
「だって、あの男が私を悪女だと記者に言いふらしたのよ?」
「……は?」
意味が分からず、思わず三人はぽかんと顔を見合わせた。
何の事を言っているのか分からない。
だがレベッカは確信があるような顔をする。そう思い込み、既に真実は見えていないのだろうが。
「私の事調べて、それを記者に流したのよ。だってあの男、最初から私の事嫌っていたもの。そうでなければ誰が私と他の男との話なんか漏らすのよ」
これにはゼロスすらも意味が分からないとポカンと口を開けてレベッカを見るしかなかった。
例え個人的な感情があったとしても、言いたい事があったとしても、被害者や加害者、その家族の情報を外に漏らすことはならない。ましてや相手はクラウルだ。絶対にあり得ない。
当時出回った新聞などの記事も読んだが、随分詳しく……多分当人達しか知り得ない赤裸々な事まで書いてあった。記者に情報を売ったのは彼女の元愛人達だろう。
コイツはその全てがクラウルだと思い込んで……いや、違うのか。自らの非は絶対に認めず、自分だけが可愛く、反省をせず、自分以外の全てを下に見ている。全ては身から出た錆だというのに、それすらも認められないのか。
力が抜けていくようだった。こういう相手に罪を問う事こそ、労力に見合わない事はない。どれだけこちらが正論を述べても、事実を突きつけても、責め立てても、この女はそれを理解しないし認めない。都合のいいものだけを拾って、都合の悪いものは全て他人のせいにするんだ。
「娼婦は、どうして殺した」
「腹が立ったからよ? どうせ誰も見向きもしないし、消えたって構わないでしょ? 誰か探すと面倒だから、面倒のない人を選んだだけ。別に娼婦じゃなくてもよかったわ」
「……もう、いい。ランバート、連行しよう。時間の無駄だよ」
怖い顔のまま溜息をついたネイサンが疲れ切った顔で言う。それに、ランバートも頷いて呆然としたままのゼロスの肩を叩いた。
レベッカを護送用の馬車に乗せて走り出してすぐ、突如黒い雲が立ちこめて激しい雷が鳴り出す。打ち付ける様な激しい雨が降り出し、辺りは騒々しい雨音に包まれた。
「なんなんだこの雨!」
「これじゃ予定地まで行けない。ランバート、スノーネルの砦に避難しよう」
「仕方がない」
護送の先頭を単騎で進んでいたランバートとゼロスは激しい雨に痛みすら感じ、急遽予定を変更することをネイサンに伝え了承を得た。他の隊員に先にスノーネルの砦へと向かって貰う。
正直言えばあの砦はあまり好きじゃない。なぜならあそこで、ハリー共々攫われた苦い思い出があるのだ。そしておそらくネイサンも嫌な思い出があるのだろう。一瞬困った顔をしたのだから。
何にしても肌に痛いくらいの雨では危険だ。一行はスノーネル砦へと向かい程なく迎え入れられた。
当時の砦は火事で損傷したため、修繕と立て直しを未だにしている。それでも砦としては機能していて、任されている恰幅のいい、チリチリ髪の責任者が迎えてくれた。
「突然の雨で大変でしたな! さぁ、すぐにこちらへ!」
「すみません、突然の事で」
「なーに、大した事ではありませんぞ! 地下牢の準備もしましたので……」
責任者の男がそこまで言った所で、突如空気をつんざくような悲鳴が馬車の方から起こる。その直後、赤いドレスが目の前を全速力で通り抜けていく。
「な!」
あまりに一瞬で、しかもあり得ない事に驚いて見ると、彼女を捕らえていた隊員が手を押さえている。そこから控えめだが血が流れ落ちていた。
「追うぞ!」
「お待ち下さい、あちらは危険です! 老朽化と火事で床が脆くなった見張り櫓があって!」
「気を付ける! 追うぞ!」
ネイサン、ランバート、ゼロスがレベッカを追いかけるが、どういうわけか追いつけない。強い向かい風が吹いてきて足がもつれてしまう。なのにレベッカはグングンと進んで行くのだ。
「どうなってるんだ!」
「分かるか!」
本当にどうなっている。こんな……何かの力が働いているとしか思えない。
「いやぁぁ! 来ないで! 汚らわしい!」
レベッカはしきりに足元を払うような動きをしながらどんどん物見櫓へと向かっていく。一人芝居にしては妙なリアリティーのある動きだ。まるで足元にある何かを振り払うようなのだ。
「何が起こってる……」
「分からない……」
背が、ゾクゾクと冷たくなる。何か、狂っているように思える。狂った女が今更どう狂おうが知った事はないが、これは……
進入禁止のロープを越え、錆びた音をさせて扉を開けた女が建物の中に駆け込む。しきりに周囲を気にしている。他にも行き場所がありそうなのに、まるで逃げ道がそこしかないような動きだ。
「まずい……早く確保しよう!」
どうにか建物に辿り着き、ドアを開けて建物の中に駆け込んだ。その時、ふと低い……だが知っているような声が確かに聞こえたのだ。
『危ない……止まって』
「え?」
その声に気を取られ、ランバートもゼロスも、そしてネイサンも足を止めた。その目の前に、赤い塊が落ちてきたのだ。
何とも言えない音がした。ドンッという衝突音にしては水っぽく、グチャリという音が混じったような音。高い場所から水袋を落としたように広がっているそれは、真っ赤だった。
「な……」
呆気に取られ、目の前の光景を処理しきれないまでもランバートは上を見た。脆くなっていた床が抜けたらしい穴が空いている。が、ランバートが見たのはそれだけではない。その穴から下を見て笑みを浮かべた、双子の顔が一瞬だが見えた気がした。
「……即死、かな」
「見る影もない」
呆然と立ち尽くしているランバートの側で膝をついて現場検証をしているネイサンが、あまりの惨状に一瞬眉根を寄せる。ゼロスもまた、同じだった。
自慢の顔は見る影もなく潰れていた。元々床には崩れたのだろう大きめの石などが転がっていた。それで、頭を激しく損傷したのだ。
「結局、犯人死亡につき事件は幕引き。自供が取れただけまし、か」
そう呟いたネイサンは両手で自分の腕を寒そうに摩る。ゼロスも同じように寒そうに、この場から早く立ち去りたい素振りを見せている。ランバートもまた、ずっと鳥肌がやまないのだ。
一端外に出ようということになり櫓を出ると、さっきの嵐はまるで最初からなかったかのように雲が切れて青空が覗き、太陽の光が地に降り注いでいた。
夜になり、スノーネル砦は落ち着いた。
彼女の手枷のロープを持っていた隊員は、降りた直後に風が吹き、強い痛みを感じて手を離してしまった。そこで、レベッカは悲鳴を上げて逃げ出した。
その隊員の手の甲は確かに大きく切れていたが、幸いすぐに血も止まって縫う必要もないものだった。
砦の医師は「かまいたち」という言葉を口にした。そしてランバート達も、それ以外の適当な言葉を知らなかった。
レベッカの事件は事故という処理になった。雷に驚き錯乱状態になった彼女が、たまたま老朽化した物見櫓へと侵入、二階の床を踏み抜いた。
調書はこれでいいし、現場に居合わせなかった者は多少の疑問もあるが概ね納得をした。
だがあの現場を見たゼロスやネイサン、ランバートはとてもこれを素直に納得はできなかった。
夜になり、ランバートはゼロスと共に例の物見櫓へと足を向けた。行くべきかは迷ったが、何となく引き寄せられた感じだった。そしてもう一つ、妙な確信があった。
櫓の中には決して入らない。だが建物が見える位置にネイサンもいた。そしてこちらを振り向いて、苦笑してみせた。
「やっぱり来たのかい?」
「やはり、予感がありましたか?」
「ってか、最初から俺達が呼ばれた感じがしたんだよ。この事件に深く関わった奴等だけ、まるで結末を見せる様な感じが」
ランバートの溜息交じりの言葉に、その場の全員が苦笑して頷いた。
「こんな事、あるんだな。アルブレヒト様の話を聞いても俺は、いまいち幽霊とかは信じてなかったのですが……流石に今回ばかりは」
ゼロスが櫓を眺めながら呟く。そしてやはり、腕を摩った。
「俺はあると思っているよ。こんな仕事が長いとね、たまに感じるんだ。因果応報というのかな」
ネイサンは意外にもこういう事を信じるらしく、神妙な面持ちで呟く。
そういうランバートも、盲信したりはしないが信じてはいる。世の中、目に見えない何かがあるのかもしれない。というくらいには信じている。
「恨みを買えばその分、何かが返ってくる。仕事柄、極悪人の相手が多いけれど……大抵、死に様は惨かったりするよ」
そう言いながら、ネイサンは困ったように眉根を寄せて笑う。なんがか自嘲気味な笑みが心に残る。
「俺も気を付けないとな。相当恨みは買っているから、いつ引っ張られるか分からないし」
「止めてくださいよ」
「ゼロス、クラウル様も気を付けないとね。あの人も相当他人の恨みを買っている。今回は完全な被害妄想だけどこんな事になった。あの人も気を付けておかないと、生きてる奴からも死んでる奴からも手ぐすね引かれてるかもしれない」
「止めてください、先輩。怒りますよ」
ギッと睨み付けたゼロスは、もう揺らがないのだろう。事件当初の危うさはすっかり消えていた。
「あの双子、これでよかったんでしょうかね」
ふと沸き上がる悲しみは、憐れみだろうか。確かにあの瞬間、聞こえた声はノアだった。あの時暗がりに見えた二人は、見間違いだったのだろうか。
「ノア、亡くなったのでしょうか」
「え?」
「だって、あの時俺達に『危ない。止まって』と言ったのは確かにノアの声だったんです。それに床の抜けた穴からこちらを見下ろしていたのは、ノアとレイだと……」
「え? え!」
「ちょっと待ってランバート! 何の話をしているんだい?」
「え?」
目を丸くして一歩引いたゼロスと、青い顔をしたネイサン。その様子にランバートの方が戸惑ってしまった。
「まず、声ってなに?」
「櫓に飛び込んだ時に、声が聞こえたんです。もしもあそこで止まっていなかったら、落ちてくる彼女に巻き込まれて……え?」
「おい、声なんて聞いてないぞ!」
「……え!」
でも、確かに二人も足を止めた。だから……
「じゃあ、どうして二人は足を止めたんだよ!」
「先頭のお前が止まったからだよ! そしたら妙な軋む音がして、それで」
「俺もゼロスと同じだよ。君が止まったから何かあったのかと止まった。そうしたら直後に人が落ちてきた」
「えぇ……」
では、声が聞こえたのはランバートだけ? どうしてそんな……
「もしかしてレベッカが落ちてきた直後上を見ていたのって、二人が見えていたのかい?」
「気のせいかもしれませんが……見えた気が……」
「やめろ! 怖いぞお前!」
普段はこんな事信じないから夜の墓地もへっちゃらなゼロスでも、流石にこんな状況に巻き込まれた直後では多少信じるらしい。もう一歩ランバートから距離を置いた。
「……君はレイを見つけた人で、ノアに親身で同情して、レイを綺麗にしてくれたからじゃないかな?」
ネイサンは苦笑して呟く。そして、ポンポンと背中を叩いた。
「それにしても、ノアはまだ生きている筈なんだけれどね。少なくとも俺達が王都を出た時にはまだ。まぁ、もう危なそうではあったけれど」
「これで戻って彼が死んでいたら、ほぼ確定だ」
「うぅ」と唸るゼロスと、からかう様に笑うネイサン。そんな二人を置いて、ランバートは櫓の側へと近づいて手を合わせた。
王都に到着すると、エリオットが真っ先に近づいてきてランバートに頭を下げた。
ノアが、死んだそうだ。
猿轡をどうにか自分で外し、舌をかみ切ったらしい。
丁度五日前。レベッカの事故があった時だった。
「二人の遺体は火葬して、無縁者の墓に収める事になると思いますが」
「……あの、俺が預かってもいいでしょうか?」
「ランバート?」
「……スノーネルの母親の墓に、合葬します。会いたいでしょうし」
道中ずっと考えていた。結局、助けてはやれなかった。調べたら彼らの故郷はスノーネルの街から十分程度の村だった。そこに母親の墓もあるという。
何もしてはやれなかったが、このくらいはしてやれる。そう、思うのだ。
「……シウス達にも相談してみましょう」
「はい」
エリオットは困った顔をしたが、許してくれるのか笑みを見せる。
事件の真相は明らかとなったものの、犯人は事故死。これが人の世の判決。
果たしてあの女の死後がどうなったのか。それは生者であるランバート達には、あずかり知らぬものとなった。
ここの港町で一艘の密航船が捕まったのだ。
その中に一人の女がいた。波打つような赤茶色の髪に、深い緑色の瞳をした、キツい顔立ちの美女だった。
「ようやく見つけました、シスター、メアリー・ホワイト。いえ、レベッカ・キャラハンさん」
彼女は僅かに顔を上げると、赤い唇をニッと上げた。
「人違いではありませんの? 騎士さん」
「いいえ、間違えていませんよ」
「私、シスターになった覚えはありませんのよ?」
「そうでしょうね。貴方がシスターだなんて、考えただけでゾッとする。神に仕える女性は清らかでなければなりませんしね」
ランバートの瞳はゾッとするほど冷たく、口元は綺麗な笑みが浮かんでいる。それは、絶対に許さないという気持ちそのままだった。
ランバートの後ろに控えているゼロスとネイサンもまた、同じような鋭い気配のままだった。
それでもレベッカはまったく悪びれる様子がない。むしろ堂々と優雅ですらあった。
「貴方はシスターを名乗り、純粋な兄弟に殺人を唆し、四人の娼婦を殺した」
「知りませんわ」
「いいえ、貴方がやったんです」
ランバートは懐から一枚の似せ絵を出した。そこには目の前の女性によく似た女性の、修道女姿が描かれていた。
それを見るレベッカの表情は変わらない。まるで笑顔の仮面を貼り付けたようだった。
「これは、事件の重要参考人の少年から証言を得て書いた似せ絵です。流石にほぼ一緒に生活していた彼は彼女の顔を克明に覚えていました。黒子の位置まで。この似せ絵を娼婦達に見せたところ、声をかけてきた不審なシスターだと証言が多く出ました」
「他人のそら似ではありませんの?」
「そうはならないんだよ、おばさん」
後ろに控えていたネイサンが、とても穏やかに笑っている。だがこの人の場合、口の端を上げて笑えば笑うほど危険だ。ぶち切れている可能性が高い。
ネイサンの「おばさん」という呼び名に、レベッカは片眉を上げる。余程気にくわなかったのか初めて口元を歪めた。
だがネイサンはその顔を見下ろし、意地悪に笑った。
「いい顔だね、醜くて」
「私が醜いですって!」
「貴方が利用した子達よりも、余程ね」
「訂正なさい!」
「下らないな。さて、これが何か分かるかな?」
ネイサンが出したのは例の遺書だ。それを目にしたレベッカは再び口元に笑みを取りもどした。
「罪を告白した遺書、と読めますわね」
「そうだね。けれどこれは偽装だろ? おばさんの」
「おばさんではありませんわ!」
「知ってるかな? あの双子、どちらも文字が書けないし読めないんだよね」
「……え?」
緑色の瞳が大きく見開かれる。口元はワナワナと震えている。それでも、下手な笑みを浮かべようとしていた。
「字が読めないなんて、そんなの嘘……。だって、王都に入った時に書類!」
「それに必要な文字だけ書けるように練習したそうだよ。実際ノアはこれに何が書いてあるか分からなかった。念のために彼らが王都に入って来た時に書いた書類の文字とも比較したけれど、全然一致しない。彼らの文字は歪で、線が震えていて、文字の大きさも不揃い。とてもこんな流暢には書けない。そんな人物が文章を書く事は、不可能だ」
次いでネイサンが出したのは過去の調書から持って来たとある書類。過去の事件の時に押収したレベッカの手紙。そこに書かれた文字と遺書の文字はどう見ても同一人物が書いたと言えるものだった。
「さて、この遺書は誰が書いたものだろうね?」
にっこりと、満面の笑みを浮かべるネイサンを前にして、レベッカはしばらく俯いて震えていた。だがすぐにピタリと動きが止まって、挑むような瞳でこちらを睨み上げた。
「本当に忌々しいですわね、駄犬が」
開き直ったレベッカの、それは低く憎しみに満ちた声だ。もう隠す気も無い。そういう態度に、三人は目を釣り上げていた。
「そうね、それを書いたのは私よ」
「どうして何も知らずに過ごしていたノアとレイを巻き込んだんだ」
「だって、あの男にそっくりだったんですもの。許せないでしょ? 私の人生を滅茶苦茶にしたあいつが生きてるみたいで、腸が煮えくりかえる思いだったわ」
その言いようにランバートは目を釣り上げ、強く唇を引き結んだ。
この女の行方をあちこちから集めている間、ノアは食事を完全に断ってしまった。無理矢理食べさせても吐き戻して、拘束を解いたら自殺を図るを繰り返している。生命維持に必要なギリギリの食事をさせるので精一杯だ。
なのに瞳だけがギラギラと強く光っていて、呟く言葉も「許さない」「殺してやる」といった憎しみに染まったものになってしまった。
もしもこの女に会わずに王都を離れ田舎に移住していたら、二人は貧しくてもこんなに辛い生き方はしなかったんじゃないか? 二人だけの兄弟、互いを大切にしていけたんじゃないか。
そう思うと、彼らに長い時間をかけて憎しみを植え付け殺したレベッカを許す気にはなれない。
しかも、こんな理由だ。
「あの男が悪いのよ。黙って金だけ稼いでいればよかったのに、猟奇殺人なんて起こして。しかも私が悪いみたいに書き立てられて。おかげで私はあの男以上の悪妻と言われて叩き出されて! 実家からも『お前みたいな悪女はこの家の娘ではない!』とか言って。金の為に私を売ったくせに!」
吐き捨てるレベッカの顔はどんどん鋭さと醜さが増していく。まるで悪魔だ。人はこんなにも心を歪ませるのか。
「どうして、クラウル様を殺すよう唆したんだ」
渇いた声でゼロスが問う。今まで我慢してきた声は震えていた。
そんなゼロスを見るレベッカの目が爛々と光る。笑みを浮かべているはずなのに、とても醜い。
「だって、あの男が私を悪女だと記者に言いふらしたのよ?」
「……は?」
意味が分からず、思わず三人はぽかんと顔を見合わせた。
何の事を言っているのか分からない。
だがレベッカは確信があるような顔をする。そう思い込み、既に真実は見えていないのだろうが。
「私の事調べて、それを記者に流したのよ。だってあの男、最初から私の事嫌っていたもの。そうでなければ誰が私と他の男との話なんか漏らすのよ」
これにはゼロスすらも意味が分からないとポカンと口を開けてレベッカを見るしかなかった。
例え個人的な感情があったとしても、言いたい事があったとしても、被害者や加害者、その家族の情報を外に漏らすことはならない。ましてや相手はクラウルだ。絶対にあり得ない。
当時出回った新聞などの記事も読んだが、随分詳しく……多分当人達しか知り得ない赤裸々な事まで書いてあった。記者に情報を売ったのは彼女の元愛人達だろう。
コイツはその全てがクラウルだと思い込んで……いや、違うのか。自らの非は絶対に認めず、自分だけが可愛く、反省をせず、自分以外の全てを下に見ている。全ては身から出た錆だというのに、それすらも認められないのか。
力が抜けていくようだった。こういう相手に罪を問う事こそ、労力に見合わない事はない。どれだけこちらが正論を述べても、事実を突きつけても、責め立てても、この女はそれを理解しないし認めない。都合のいいものだけを拾って、都合の悪いものは全て他人のせいにするんだ。
「娼婦は、どうして殺した」
「腹が立ったからよ? どうせ誰も見向きもしないし、消えたって構わないでしょ? 誰か探すと面倒だから、面倒のない人を選んだだけ。別に娼婦じゃなくてもよかったわ」
「……もう、いい。ランバート、連行しよう。時間の無駄だよ」
怖い顔のまま溜息をついたネイサンが疲れ切った顔で言う。それに、ランバートも頷いて呆然としたままのゼロスの肩を叩いた。
レベッカを護送用の馬車に乗せて走り出してすぐ、突如黒い雲が立ちこめて激しい雷が鳴り出す。打ち付ける様な激しい雨が降り出し、辺りは騒々しい雨音に包まれた。
「なんなんだこの雨!」
「これじゃ予定地まで行けない。ランバート、スノーネルの砦に避難しよう」
「仕方がない」
護送の先頭を単騎で進んでいたランバートとゼロスは激しい雨に痛みすら感じ、急遽予定を変更することをネイサンに伝え了承を得た。他の隊員に先にスノーネルの砦へと向かって貰う。
正直言えばあの砦はあまり好きじゃない。なぜならあそこで、ハリー共々攫われた苦い思い出があるのだ。そしておそらくネイサンも嫌な思い出があるのだろう。一瞬困った顔をしたのだから。
何にしても肌に痛いくらいの雨では危険だ。一行はスノーネル砦へと向かい程なく迎え入れられた。
当時の砦は火事で損傷したため、修繕と立て直しを未だにしている。それでも砦としては機能していて、任されている恰幅のいい、チリチリ髪の責任者が迎えてくれた。
「突然の雨で大変でしたな! さぁ、すぐにこちらへ!」
「すみません、突然の事で」
「なーに、大した事ではありませんぞ! 地下牢の準備もしましたので……」
責任者の男がそこまで言った所で、突如空気をつんざくような悲鳴が馬車の方から起こる。その直後、赤いドレスが目の前を全速力で通り抜けていく。
「な!」
あまりに一瞬で、しかもあり得ない事に驚いて見ると、彼女を捕らえていた隊員が手を押さえている。そこから控えめだが血が流れ落ちていた。
「追うぞ!」
「お待ち下さい、あちらは危険です! 老朽化と火事で床が脆くなった見張り櫓があって!」
「気を付ける! 追うぞ!」
ネイサン、ランバート、ゼロスがレベッカを追いかけるが、どういうわけか追いつけない。強い向かい風が吹いてきて足がもつれてしまう。なのにレベッカはグングンと進んで行くのだ。
「どうなってるんだ!」
「分かるか!」
本当にどうなっている。こんな……何かの力が働いているとしか思えない。
「いやぁぁ! 来ないで! 汚らわしい!」
レベッカはしきりに足元を払うような動きをしながらどんどん物見櫓へと向かっていく。一人芝居にしては妙なリアリティーのある動きだ。まるで足元にある何かを振り払うようなのだ。
「何が起こってる……」
「分からない……」
背が、ゾクゾクと冷たくなる。何か、狂っているように思える。狂った女が今更どう狂おうが知った事はないが、これは……
進入禁止のロープを越え、錆びた音をさせて扉を開けた女が建物の中に駆け込む。しきりに周囲を気にしている。他にも行き場所がありそうなのに、まるで逃げ道がそこしかないような動きだ。
「まずい……早く確保しよう!」
どうにか建物に辿り着き、ドアを開けて建物の中に駆け込んだ。その時、ふと低い……だが知っているような声が確かに聞こえたのだ。
『危ない……止まって』
「え?」
その声に気を取られ、ランバートもゼロスも、そしてネイサンも足を止めた。その目の前に、赤い塊が落ちてきたのだ。
何とも言えない音がした。ドンッという衝突音にしては水っぽく、グチャリという音が混じったような音。高い場所から水袋を落としたように広がっているそれは、真っ赤だった。
「な……」
呆気に取られ、目の前の光景を処理しきれないまでもランバートは上を見た。脆くなっていた床が抜けたらしい穴が空いている。が、ランバートが見たのはそれだけではない。その穴から下を見て笑みを浮かべた、双子の顔が一瞬だが見えた気がした。
「……即死、かな」
「見る影もない」
呆然と立ち尽くしているランバートの側で膝をついて現場検証をしているネイサンが、あまりの惨状に一瞬眉根を寄せる。ゼロスもまた、同じだった。
自慢の顔は見る影もなく潰れていた。元々床には崩れたのだろう大きめの石などが転がっていた。それで、頭を激しく損傷したのだ。
「結局、犯人死亡につき事件は幕引き。自供が取れただけまし、か」
そう呟いたネイサンは両手で自分の腕を寒そうに摩る。ゼロスも同じように寒そうに、この場から早く立ち去りたい素振りを見せている。ランバートもまた、ずっと鳥肌がやまないのだ。
一端外に出ようということになり櫓を出ると、さっきの嵐はまるで最初からなかったかのように雲が切れて青空が覗き、太陽の光が地に降り注いでいた。
夜になり、スノーネル砦は落ち着いた。
彼女の手枷のロープを持っていた隊員は、降りた直後に風が吹き、強い痛みを感じて手を離してしまった。そこで、レベッカは悲鳴を上げて逃げ出した。
その隊員の手の甲は確かに大きく切れていたが、幸いすぐに血も止まって縫う必要もないものだった。
砦の医師は「かまいたち」という言葉を口にした。そしてランバート達も、それ以外の適当な言葉を知らなかった。
レベッカの事件は事故という処理になった。雷に驚き錯乱状態になった彼女が、たまたま老朽化した物見櫓へと侵入、二階の床を踏み抜いた。
調書はこれでいいし、現場に居合わせなかった者は多少の疑問もあるが概ね納得をした。
だがあの現場を見たゼロスやネイサン、ランバートはとてもこれを素直に納得はできなかった。
夜になり、ランバートはゼロスと共に例の物見櫓へと足を向けた。行くべきかは迷ったが、何となく引き寄せられた感じだった。そしてもう一つ、妙な確信があった。
櫓の中には決して入らない。だが建物が見える位置にネイサンもいた。そしてこちらを振り向いて、苦笑してみせた。
「やっぱり来たのかい?」
「やはり、予感がありましたか?」
「ってか、最初から俺達が呼ばれた感じがしたんだよ。この事件に深く関わった奴等だけ、まるで結末を見せる様な感じが」
ランバートの溜息交じりの言葉に、その場の全員が苦笑して頷いた。
「こんな事、あるんだな。アルブレヒト様の話を聞いても俺は、いまいち幽霊とかは信じてなかったのですが……流石に今回ばかりは」
ゼロスが櫓を眺めながら呟く。そしてやはり、腕を摩った。
「俺はあると思っているよ。こんな仕事が長いとね、たまに感じるんだ。因果応報というのかな」
ネイサンは意外にもこういう事を信じるらしく、神妙な面持ちで呟く。
そういうランバートも、盲信したりはしないが信じてはいる。世の中、目に見えない何かがあるのかもしれない。というくらいには信じている。
「恨みを買えばその分、何かが返ってくる。仕事柄、極悪人の相手が多いけれど……大抵、死に様は惨かったりするよ」
そう言いながら、ネイサンは困ったように眉根を寄せて笑う。なんがか自嘲気味な笑みが心に残る。
「俺も気を付けないとな。相当恨みは買っているから、いつ引っ張られるか分からないし」
「止めてくださいよ」
「ゼロス、クラウル様も気を付けないとね。あの人も相当他人の恨みを買っている。今回は完全な被害妄想だけどこんな事になった。あの人も気を付けておかないと、生きてる奴からも死んでる奴からも手ぐすね引かれてるかもしれない」
「止めてください、先輩。怒りますよ」
ギッと睨み付けたゼロスは、もう揺らがないのだろう。事件当初の危うさはすっかり消えていた。
「あの双子、これでよかったんでしょうかね」
ふと沸き上がる悲しみは、憐れみだろうか。確かにあの瞬間、聞こえた声はノアだった。あの時暗がりに見えた二人は、見間違いだったのだろうか。
「ノア、亡くなったのでしょうか」
「え?」
「だって、あの時俺達に『危ない。止まって』と言ったのは確かにノアの声だったんです。それに床の抜けた穴からこちらを見下ろしていたのは、ノアとレイだと……」
「え? え!」
「ちょっと待ってランバート! 何の話をしているんだい?」
「え?」
目を丸くして一歩引いたゼロスと、青い顔をしたネイサン。その様子にランバートの方が戸惑ってしまった。
「まず、声ってなに?」
「櫓に飛び込んだ時に、声が聞こえたんです。もしもあそこで止まっていなかったら、落ちてくる彼女に巻き込まれて……え?」
「おい、声なんて聞いてないぞ!」
「……え!」
でも、確かに二人も足を止めた。だから……
「じゃあ、どうして二人は足を止めたんだよ!」
「先頭のお前が止まったからだよ! そしたら妙な軋む音がして、それで」
「俺もゼロスと同じだよ。君が止まったから何かあったのかと止まった。そうしたら直後に人が落ちてきた」
「えぇ……」
では、声が聞こえたのはランバートだけ? どうしてそんな……
「もしかしてレベッカが落ちてきた直後上を見ていたのって、二人が見えていたのかい?」
「気のせいかもしれませんが……見えた気が……」
「やめろ! 怖いぞお前!」
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「……君はレイを見つけた人で、ノアに親身で同情して、レイを綺麗にしてくれたからじゃないかな?」
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「それにしても、ノアはまだ生きている筈なんだけれどね。少なくとも俺達が王都を出た時にはまだ。まぁ、もう危なそうではあったけれど」
「これで戻って彼が死んでいたら、ほぼ確定だ」
「うぅ」と唸るゼロスと、からかう様に笑うネイサン。そんな二人を置いて、ランバートは櫓の側へと近づいて手を合わせた。
王都に到着すると、エリオットが真っ先に近づいてきてランバートに頭を下げた。
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猿轡をどうにか自分で外し、舌をかみ切ったらしい。
丁度五日前。レベッカの事故があった時だった。
「二人の遺体は火葬して、無縁者の墓に収める事になると思いますが」
「……あの、俺が預かってもいいでしょうか?」
「ランバート?」
「……スノーネルの母親の墓に、合葬します。会いたいでしょうし」
道中ずっと考えていた。結局、助けてはやれなかった。調べたら彼らの故郷はスノーネルの街から十分程度の村だった。そこに母親の墓もあるという。
何もしてはやれなかったが、このくらいはしてやれる。そう、思うのだ。
「……シウス達にも相談してみましょう」
「はい」
エリオットは困った顔をしたが、許してくれるのか笑みを見せる。
事件の真相は明らかとなったものの、犯人は事故死。これが人の世の判決。
果たしてあの女の死後がどうなったのか。それは生者であるランバート達には、あずかり知らぬものとなった。
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