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17章:シュトライザー家のお家騒動
4話:アーサーの初恋(ファウスト)
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目が覚めたとき、頭がズキリと痛んだ。硬い場所に転がされているのだろう体の痛みもある。
「兄さん!」
「ルカ?」
「良かった。兄さん大丈夫? 具合悪くない?」
心配そうに覗き込むルカが、体を起こすのを手伝ってくれた。後ろ手に縛られている以外の拘束は解かれていた。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
アリアが捕まり、縛られた後の記憶はない。だがてっきり個人的に恨みのある奴らの犯行だと思ったのだ。だからこそ、ルカがここにいることが理解できなかった。
「僕も詳しい事は分からないんだけれどね。でもきっと、家の事だと思うよ」
「家?」
「ねっ、父さん?」
ルカの視線の先、暗がりにもう一つ影があるのに気づいたファウストは、そこに静かに座るアーサーを見つけて目を丸くした。
「父上?」
「すまないな、ファウスト、ルカ。おそらくとばっちりだろう。巻き込んですまない」
高圧的に思っていた父アーサーからの素直な謝罪に、内心ファウストは驚いた。
だがルカの方はまったく驚いた様子はなく、静かに首を横に振った。
思っていた。自分の知らない何かが二人の間に……いや、アリアを含めた三人の中にある。自分だけがどこか隔てられていると。
「父上、とばっちりとはどういうことですか?」
「遺言を書き換えた事を、チャールズが知ったんだろう。実力行使に出た」
「兄上が?」
思い起こす、冷たく見下した瞳。あれに見られるのがとても怖かった。力をつけ、もう武力では勝てると分かっていても、あの目で見られると萎縮する。
「遺言を書き換えたって、どういうことなの父さん」
「ファウストにシュトライザーの家を継がせる。それに伴う遺言の変更だ」
「その話だが、正式に断りたい。俺はランバートを裏切れない。跡取りの問題をクリアできない」
こんな場面だが、都合良く転がった話にファウストはここぞと断りの意志を伝える。こうすると決めてここにきたのだから、伝えなければならないことだ。
だがルカだけは一人話に置いて行かれたのか、目をぱちくりして双方を見ている。オロオロしつつ、会話が始まりそうな二人を「待った!」と止めた。
「まず父さん! 兄さんに家を継がせるってどういうこと! ランバート義兄さんの事知ってるよね? 何でそういうことするの!」
「チャールズに家を残したくないからだ」
「いや、子供じゃないんだから。っていうか、あっちが本妻の子でしょ? そりゃ怒るでしょ!」
「怒ったからといってこれは犯罪……」
「兄さんは黙ってて!」
「はい」
こういうときのルカはけっこう怖い。目が一切笑っていない状況に、ファウストは大人しく口を閉じた。
「もしかして、今夜僕を含めて話したい内容って、これ?」
「そうだ」
「うむ」
「だよね……。もぉ、結婚式前日にどうしてこういう問題持ち込むのさ二人とも。僕、笑顔で結婚式したいんだけど」
「いや、このタイミングを逃したら動けないと思って」
「兄さん、相変わらず僕の都合は後でなんだね」
「……すまない」
確かに、結婚式前日にこういう家族の重い話題を当事者巻き込んでするのは配慮に欠けただろう。ランバートも「え! 別にその日じゃなくても……」と言っていた。
だが、ルカは重い溜息を吐き出した後で、パッと気分を切り替えた。
「まぁ、もういいよ。どうせ明日の結婚式は中止。それどころじゃないもんね」
「だろうな」
「うむ」
「メロディ、大丈夫かな。それだけが心配だよ」
ルカの心配そうな表情を見ると、どこか男を感じる。いつの間にかこんな顔をするようになったルカに、ファウストは寂しいような嬉しいような気持ちになった。
「それで、なんで父さんはチャールズ様に家を譲りたくないわけ? 兄さんの円満家庭を壊していいわけないでしょ?」
ルカの疑問を肯定するように、ファウストは首を縦に振った。途端に頭痛がする。殴られた部分がズキズキ痛んだ。
強く嫌な顔をしたのはアーサーだ。アーサーはルカの言葉に抵抗するように首を横に振る。その意志はあまりに強固にすら思えた。
「アレは私の子ではない」
「言い過ぎだよ。いくら望まない結婚だって、子供つくったんでしょ? 多少……」
「アレは私の子ではない。私の血など一滴も流れてはいない」
「……それ、どういうこと?」
ルカの表情が凍り付く。だがファウストは沈黙した。父の言い振りで、そういうことだと分かっていた。何よりチャールズには、アーサーに似た部分がどこにもないのだ。
アーサーは深い息を吐き出す。そして、昔を懐かしむような目を二人に向けた。
「言葉の通りだ。あいつは私の子ではない」
「正妻の子だよね?」
「それは間違いない」
「……誰の?」
「当時うちで働いていた執事見習いの若い男だ」
「不貞があったってこと?」
「そもそも、知らない間に親が勝手に結婚させた相手だ。政略結婚以前の問題だ。見ず知らず、好みも趣味も合わない相手など受け入れる事はできない。何よりその時には、私には愛する妻がいたのだから」
アーサーの言う「妻」はいつもシュトライザーの正妻ではなく三人の母、マリアを指す。そして母の話をするとき、アーサーは懐かしく穏やかで、苦しくて悲しい顔をするのだ。
「……父上、何故母はそんなにも愛されていたのに、正妻になれなかったんだ。どうして、死ななければならなかったんだ。あの事件は物取りの犯行だと言われたが、犯人は誰なんだ。俺は……何も知らない」
欠落している記憶がある。
ランバートに言われて、気にはしていた。けれど、そもそも何を忘れているかも曖昧なので難しかった。思い出せそうな気もしたが、途端にモヤモヤと霞がかってしまう。思い出すことを恐れているのだと感じた。
エリオットを頼ろうかとも思ったが、行動には移せなかった。怖かったのだ、知らない扉を開ける事が。
父はしばし考えて、頷く。そうしてぽつりぽつりと、二人のなれそめを話してくれた。
▼アーサー
十代の中頃、アーサーは親友のジョシュアと二人で社交界に出る事が多かった。
煌びやかな世界に身を置きながらも、アーサーは気を張って周囲の様子をうかがい、会話を交わす事を目的としていた。色んな話を聞いておくことが自身の仕事に役立つことを知っていたからだ。
「アーサーは真面目だな」
隣にいるジョシュアはシャンパングラスを片手に笑っている。この男は見た目も空気も華やかだ。本性は真っ黒なのだが。
「女の子と遊んだり、踊ったりすればいいのに」
「必要ない」
「頑固」
「お前は軟派すぎる」
「そう? 最近はけっこう絞ったんだよ」
キラキラと笑顔が輝いて見えるとか、どんな技を使っているんだか。そしてそれを無駄に向けてくるな。アーサーは溜息をついた。
その時、会場が一際華やいだ。そこへと視線を向けると、理由は簡単に分かった。
会場の入口に立った女性が、とても華やかに周囲に手を振る。強い月のような金髪に、宵の夜空を思わせる青い瞳。目鼻立ちが良く、肌は白く。王都貴族の間で彼女を知らない者はもぐりだと言われるくらい有名な女性だ。
「シルヴィア」
ジョシュアが凭れていた壁際から離れ、グラスを一つ持って近づいていく。それにアーサーもついていった。
「あら、ジョシュア。今日もいい男ね」
「君の美しさには敵わないよ」
「当然よ」
自信に満ちた表情も彼女の美しさだろう。シルヴィアという女性は自身の美しさを疑わない。勿論努力もしている。磨き上げたダイヤモンドのように、強く輝き続けている。
ジョシュアとシルヴィアは社交界で幾度となく会い、なんだかんだと仲がいい。おそらくジョシュアはシルヴィアを好いているだろう。そしてシルヴィアも悪くはないと思う。
だが、アーサーの目を引いたのはシルヴィアではなく、その後ろに控えている見たことのない女性だった。
一目で惹かれた。長く真っ直ぐな黒髪に、大きな黒い瞳。肌は白く、化粧も薄いがそれが似合っている。白いドレスはクラシカルだが、彼女の清廉で上品な美しさを引き立てているように見える。
アーサーの視線に彼女も気づいただろう。目があって、ぽっと白い頬が染まった。
「あら、アーサーお目が高いわね」
「そういえば、そちらの彼女は誰かな?」
言葉を交わすではない二人の視線のやり取りに、シルヴィアは気づいたらしい。ニッと笑ってアーサーを見る。ジョシュアも黒髪の女性に気づいて、シルヴィアに声をかけた。
「彼女はマリア・マクファーレン。マクファーレン領のお姫様で、私の親友よ。一年くらいの予定で私の家に遊びにきているの」
「初めまして、マリアと申します。王都で勉強を兼ねて、シルヴィアの家にお世話になっています」
丁寧に頭を下げたマリアに対し、ジョシュアはニコニコと笑って手を差し出した。
「初めまして、ジョシュア・ヒッテルスバッハです。シルヴィアの友人は疲れない?」
「ジョシュ!」
「とても楽しいですわよ? シルヴィアから学ぶことが沢山あって、こうして呼んで貰えてとても嬉しいわ」
まったくもって裏の無い笑顔にシルヴィアは照れた顔をし、ジョシュアは苦笑する。
そうしている間に、彼女の目が真っ直ぐにアーサーへと向いた。
「初めまして、アーサー・シュトライザーです」
「初めまして」
少し、緊張していた。そしてそれは彼女もだろうと分かった。ジョシュアに対するものとは少し違う空気に、胸の奥がトクンと音を立てた気がした。
「……ねぇ、ジョシュア。一曲踊らない?」
「いいね、シルヴィア。一曲と言わず何曲でも」
「そういうことだから、アーサー。マリアのお相手お願いね!」
「え! ちょ……シルヴィア!」
「勝手に……」
そう言っている間にも二人は手を取って人々の中に紛れてしまう。まぁ、紛れると言ってもあの二人は決して他と同化はできない。生まれ持ったものが二人を浮き上がらせている。
残されたアーサーは隣のマリアを見る。マリアもアーサーを見て、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「あの……良ければ庭にでないか? ここの庭は綺麗で、開放しているから」
「あっ、はい」
白くほっそりとしたマリアの手を取って、アーサーは庭へと出る。夜風が心地よく吹き込む庭にはこの屋敷の庭師が丹精込めて作った自慢の庭と花々が美しくある。
「綺麗」
感嘆めいた声がマリアから漏れ、アーサーも頷く。用意されたテーブルセットに座ると、二人で何でもない会話をした。
何が好きか、趣味は何か。そんな、初対面の二人らしい可愛らしい話だ。
アーサーが馬が好きだと言うと、マリアはパッと表情を明るくして「私もです」と言って、馬の好きな部分をあれこれ早口に話す。つぶらな瞳や、愛情を示してくれる甘える行為、高い体温。何より乗った時に世界が広くなった気になると言う彼女に、アーサーは何度も頷いた。
料理もするという彼女に好きな料理を伝えると、「今度作りましょうか?」と言ってくれた。嬉しくて頷いたら、彼女も照れたように笑う。
花を愛でる事、穏やかな時間、読書や音楽、散歩の時間が好きな事。共通する事柄も多くて、話していて飽きる事はない。
「今度、室内楽のコンサートがあるのだが。一緒に行かないか?」
誘ってみたら、マリアは驚いたように目を丸くして、そして控えめな笑みで頷いてくれる。次の約束を取り付けたことにアーサーの心は浮き立った。
その後、二人は何度となく逢瀬の約束を重ねた。室内楽を楽しんで、ディナーやランチに誘って。マリアは散歩のお誘いをしてくれた。絵を描くのが好きらしく、写生に行きたいと言って。
公園での穏やかな時間は、心を柔らかく暖かなものにしてくれた。会話らしい会話などなくても、側にいて、彼女を見て、彼女の視線の先を共有するように見つめて。それだけで十分に思えた。
出会いから二ヶ月後、アーサーはマリアへ交際の申し込みをした。付き合いは短いが、この胸にある感情と感じる暖かさは本物だと思えた。
マリアも驚きながら、頷いてくれた。
手を繋いで歩く道はどれも幸せだった。隣にいる彼女と、老いて死ぬまで共にあるのだと疑いはしなかった。
楽観的だった。幼かった。甘かった。
自身の生まれた家が醜悪なものであるのだと、長い歴史と傲りが凝り固まっていると、傲慢な人間達がこの純粋で美しい心を踏みにじるのだと、この時アーサーは知らなかった。
知っていたらきっと、最初から手など伸ばさなかった。今でもアーサーは思う。もしこの時に戻れるならば、若い自分を捕まえてとくとくと別れを迫るだろうと。それが、マリアの幸せの為なんだと。
▼ファウスト
ゆっくりとした語り口調で聞く、二人の馴れ初め。初めて聞いたはずのそれは、どこかに引っかかっている。
『ファウスト、母様は出会った時から美しかったんだぞ』
「?」
不意に頭の中をよぎった声は、まだ若い男の声だった。優しく柔らかく、幸せに満ちた声。ファウストはそれを、幸せな気持ちで聞いていたはずだ。なのにこみ上げるのは切なさと悲しみで、不安が胸を埋めていく。
これは、いつ聞いたものだろう。誰が話していた?
恐る恐るアーサーを見る。その心は僅かだが、揺らいでいるように思えた。
その時、ドアの鍵が開く音がして暗がりにランプの明かりが灯る。そうして顔を出した男を見ても、ファウストはまったく覚えがなかった。
「やっとお目覚めか、軍神様」
「誰だ?」
頬に大きな刀傷のある男は、ファウストを見てニッと笑う。背が高く、見合うだけの肩幅もある。傭兵か、元兵士か……どちらにしても戦う事を仕事にしている体格だ。
「まぁ、覚えがないだろうよ。俺はアンタを覚えてるぜ。えらくおっかなかったからな」
「?」
「西では世話になったな、軍神さんよ」
「!」
男の一言で、ファウストはなんとなくだが理解した。この男はルースの乱の残党で、式場を襲ったのもまた西の残党だったのではと。
睨み付けると男は大げさに肩をすくめてみせる。それは、芝居がかった見えた。
「俺に恨みがあるなら俺だけでいいだろ! ルカや父上は!」
「おっと! 俺は別にお前さんに恨みなんざねーよ。むしろ感謝してるくらいだ」
「感謝、だと?」
「あんたらがルースを潰してくれたおかげで、ちっちゃい組織のボスだった俺にもチャンスが巡ってきた。路頭に迷った奴らを寄せ集めて、金で何でもやりはじめたらこれが儲かるのなんの! おかげで、これまでで一番楽な暮らしが出来てるってわけだ」
男の言葉に嘘はなさそうだ。それと同時に、ゲスであるのも分かった。
「アンタらをここに閉じ込めたのも、アリアとかいう女を捕らえた後に殺すよう言ってきたのも、式場に火を付けたのも依頼主のご希望さ。この場所の提供も依頼主だぜ? 太っ腹だよな、お貴族様ってのは」
「アリアを、殺した?」
途端、背に冷たいものが流れてファウストは絶句した。それはルカも同じで、震えている。ただアーサーだけが落ち着いていた。
男はニッと笑う。そして、とても簡単な種明かしのようにファウストを見た。
「まぁ、そっちは失敗したがな。依頼主にとっては子の産めない女の事なんて捨て置けるってわけだ。体も弱いんだろ? 放っておいても長生きしないだろうよ」
失敗と聞いて、ほっとする。自分の状況は何一つ変わらないが、アリアが無事である事は一つ安心できることだった。
「アンタらの事もしばらくは生かしておけってよ。何でも準備が出来ないと殺せないそうだ。良かったな、ゆっくり親子のお別れができるってもんだ」
大いに笑った男はひとしきり笑い終わると、鋭い視線をルカへと向ける。そして、顎をしゃくってこっちにと促す。
躊躇ったが、ファウストもアーサーも頷いた。この男は粗雑だろうが、依頼主からの命令には従うのだろう。そうしなければ金が手に入らないからだろうが、一定の信頼はしていい。
ルカが前に出ると、男は小型のナイフを取り出しておもむろにルカを縛る縄を切った。両手が自由になったルカは目をぱちくりして男を見る。その前で、男はトレーに乗せた硬そうなパンと水をルカへと渡した。
「流石にそっちの二人に暴れられちゃ敵わんからな、お前が飯の世話しろ」
「……え?」
「世話だよ! あと、余計な事したら命令違反だがぶっ殺すからな」
そう言うと男は出て行って、鍵のかかった音がした。
静かになった室内に、三人分のパンと水を持ったルカが立ち尽くす。そして困った顔をする彼に、アーサーとファウストは首を横に振った。
「しばらくは大丈夫だ、従おう」
「けれど父さん」
「ルカ、あいつはまだ動かない。何かをするにしても、今じゃない」
「兄さんまで……分かったよ」
今すぐにでもここを抜け出したい様子のルカだが、あまりに状況が掴めない今は逆に危険だ。テロリストの残党ともなれば敵の数が把握できない。場所も分からず、武器もない。
アーサーは多少戦えるだろうが、ルカはまったくだ。そこを庇いながらとなれば、今動くのは得策では無い。
幸いあちらはまだ動く気はないのだろう。その間に、ランバート達が何かアクションを起こしていてくれれば。
思うと、辛い思いもこみ上げる。今頃、心配しているだろう。辛い思いをさせているかもしれない。こんなお家騒動に巻き込んで……
できるだけ早く、ここから出なければ。ファウストの中で焦りが大きくなっていった。
「兄さん!」
「ルカ?」
「良かった。兄さん大丈夫? 具合悪くない?」
心配そうに覗き込むルカが、体を起こすのを手伝ってくれた。後ろ手に縛られている以外の拘束は解かれていた。
「どうしてお前がここにいるんだ?」
アリアが捕まり、縛られた後の記憶はない。だがてっきり個人的に恨みのある奴らの犯行だと思ったのだ。だからこそ、ルカがここにいることが理解できなかった。
「僕も詳しい事は分からないんだけれどね。でもきっと、家の事だと思うよ」
「家?」
「ねっ、父さん?」
ルカの視線の先、暗がりにもう一つ影があるのに気づいたファウストは、そこに静かに座るアーサーを見つけて目を丸くした。
「父上?」
「すまないな、ファウスト、ルカ。おそらくとばっちりだろう。巻き込んですまない」
高圧的に思っていた父アーサーからの素直な謝罪に、内心ファウストは驚いた。
だがルカの方はまったく驚いた様子はなく、静かに首を横に振った。
思っていた。自分の知らない何かが二人の間に……いや、アリアを含めた三人の中にある。自分だけがどこか隔てられていると。
「父上、とばっちりとはどういうことですか?」
「遺言を書き換えた事を、チャールズが知ったんだろう。実力行使に出た」
「兄上が?」
思い起こす、冷たく見下した瞳。あれに見られるのがとても怖かった。力をつけ、もう武力では勝てると分かっていても、あの目で見られると萎縮する。
「遺言を書き換えたって、どういうことなの父さん」
「ファウストにシュトライザーの家を継がせる。それに伴う遺言の変更だ」
「その話だが、正式に断りたい。俺はランバートを裏切れない。跡取りの問題をクリアできない」
こんな場面だが、都合良く転がった話にファウストはここぞと断りの意志を伝える。こうすると決めてここにきたのだから、伝えなければならないことだ。
だがルカだけは一人話に置いて行かれたのか、目をぱちくりして双方を見ている。オロオロしつつ、会話が始まりそうな二人を「待った!」と止めた。
「まず父さん! 兄さんに家を継がせるってどういうこと! ランバート義兄さんの事知ってるよね? 何でそういうことするの!」
「チャールズに家を残したくないからだ」
「いや、子供じゃないんだから。っていうか、あっちが本妻の子でしょ? そりゃ怒るでしょ!」
「怒ったからといってこれは犯罪……」
「兄さんは黙ってて!」
「はい」
こういうときのルカはけっこう怖い。目が一切笑っていない状況に、ファウストは大人しく口を閉じた。
「もしかして、今夜僕を含めて話したい内容って、これ?」
「そうだ」
「うむ」
「だよね……。もぉ、結婚式前日にどうしてこういう問題持ち込むのさ二人とも。僕、笑顔で結婚式したいんだけど」
「いや、このタイミングを逃したら動けないと思って」
「兄さん、相変わらず僕の都合は後でなんだね」
「……すまない」
確かに、結婚式前日にこういう家族の重い話題を当事者巻き込んでするのは配慮に欠けただろう。ランバートも「え! 別にその日じゃなくても……」と言っていた。
だが、ルカは重い溜息を吐き出した後で、パッと気分を切り替えた。
「まぁ、もういいよ。どうせ明日の結婚式は中止。それどころじゃないもんね」
「だろうな」
「うむ」
「メロディ、大丈夫かな。それだけが心配だよ」
ルカの心配そうな表情を見ると、どこか男を感じる。いつの間にかこんな顔をするようになったルカに、ファウストは寂しいような嬉しいような気持ちになった。
「それで、なんで父さんはチャールズ様に家を譲りたくないわけ? 兄さんの円満家庭を壊していいわけないでしょ?」
ルカの疑問を肯定するように、ファウストは首を縦に振った。途端に頭痛がする。殴られた部分がズキズキ痛んだ。
強く嫌な顔をしたのはアーサーだ。アーサーはルカの言葉に抵抗するように首を横に振る。その意志はあまりに強固にすら思えた。
「アレは私の子ではない」
「言い過ぎだよ。いくら望まない結婚だって、子供つくったんでしょ? 多少……」
「アレは私の子ではない。私の血など一滴も流れてはいない」
「……それ、どういうこと?」
ルカの表情が凍り付く。だがファウストは沈黙した。父の言い振りで、そういうことだと分かっていた。何よりチャールズには、アーサーに似た部分がどこにもないのだ。
アーサーは深い息を吐き出す。そして、昔を懐かしむような目を二人に向けた。
「言葉の通りだ。あいつは私の子ではない」
「正妻の子だよね?」
「それは間違いない」
「……誰の?」
「当時うちで働いていた執事見習いの若い男だ」
「不貞があったってこと?」
「そもそも、知らない間に親が勝手に結婚させた相手だ。政略結婚以前の問題だ。見ず知らず、好みも趣味も合わない相手など受け入れる事はできない。何よりその時には、私には愛する妻がいたのだから」
アーサーの言う「妻」はいつもシュトライザーの正妻ではなく三人の母、マリアを指す。そして母の話をするとき、アーサーは懐かしく穏やかで、苦しくて悲しい顔をするのだ。
「……父上、何故母はそんなにも愛されていたのに、正妻になれなかったんだ。どうして、死ななければならなかったんだ。あの事件は物取りの犯行だと言われたが、犯人は誰なんだ。俺は……何も知らない」
欠落している記憶がある。
ランバートに言われて、気にはしていた。けれど、そもそも何を忘れているかも曖昧なので難しかった。思い出せそうな気もしたが、途端にモヤモヤと霞がかってしまう。思い出すことを恐れているのだと感じた。
エリオットを頼ろうかとも思ったが、行動には移せなかった。怖かったのだ、知らない扉を開ける事が。
父はしばし考えて、頷く。そうしてぽつりぽつりと、二人のなれそめを話してくれた。
▼アーサー
十代の中頃、アーサーは親友のジョシュアと二人で社交界に出る事が多かった。
煌びやかな世界に身を置きながらも、アーサーは気を張って周囲の様子をうかがい、会話を交わす事を目的としていた。色んな話を聞いておくことが自身の仕事に役立つことを知っていたからだ。
「アーサーは真面目だな」
隣にいるジョシュアはシャンパングラスを片手に笑っている。この男は見た目も空気も華やかだ。本性は真っ黒なのだが。
「女の子と遊んだり、踊ったりすればいいのに」
「必要ない」
「頑固」
「お前は軟派すぎる」
「そう? 最近はけっこう絞ったんだよ」
キラキラと笑顔が輝いて見えるとか、どんな技を使っているんだか。そしてそれを無駄に向けてくるな。アーサーは溜息をついた。
その時、会場が一際華やいだ。そこへと視線を向けると、理由は簡単に分かった。
会場の入口に立った女性が、とても華やかに周囲に手を振る。強い月のような金髪に、宵の夜空を思わせる青い瞳。目鼻立ちが良く、肌は白く。王都貴族の間で彼女を知らない者はもぐりだと言われるくらい有名な女性だ。
「シルヴィア」
ジョシュアが凭れていた壁際から離れ、グラスを一つ持って近づいていく。それにアーサーもついていった。
「あら、ジョシュア。今日もいい男ね」
「君の美しさには敵わないよ」
「当然よ」
自信に満ちた表情も彼女の美しさだろう。シルヴィアという女性は自身の美しさを疑わない。勿論努力もしている。磨き上げたダイヤモンドのように、強く輝き続けている。
ジョシュアとシルヴィアは社交界で幾度となく会い、なんだかんだと仲がいい。おそらくジョシュアはシルヴィアを好いているだろう。そしてシルヴィアも悪くはないと思う。
だが、アーサーの目を引いたのはシルヴィアではなく、その後ろに控えている見たことのない女性だった。
一目で惹かれた。長く真っ直ぐな黒髪に、大きな黒い瞳。肌は白く、化粧も薄いがそれが似合っている。白いドレスはクラシカルだが、彼女の清廉で上品な美しさを引き立てているように見える。
アーサーの視線に彼女も気づいただろう。目があって、ぽっと白い頬が染まった。
「あら、アーサーお目が高いわね」
「そういえば、そちらの彼女は誰かな?」
言葉を交わすではない二人の視線のやり取りに、シルヴィアは気づいたらしい。ニッと笑ってアーサーを見る。ジョシュアも黒髪の女性に気づいて、シルヴィアに声をかけた。
「彼女はマリア・マクファーレン。マクファーレン領のお姫様で、私の親友よ。一年くらいの予定で私の家に遊びにきているの」
「初めまして、マリアと申します。王都で勉強を兼ねて、シルヴィアの家にお世話になっています」
丁寧に頭を下げたマリアに対し、ジョシュアはニコニコと笑って手を差し出した。
「初めまして、ジョシュア・ヒッテルスバッハです。シルヴィアの友人は疲れない?」
「ジョシュ!」
「とても楽しいですわよ? シルヴィアから学ぶことが沢山あって、こうして呼んで貰えてとても嬉しいわ」
まったくもって裏の無い笑顔にシルヴィアは照れた顔をし、ジョシュアは苦笑する。
そうしている間に、彼女の目が真っ直ぐにアーサーへと向いた。
「初めまして、アーサー・シュトライザーです」
「初めまして」
少し、緊張していた。そしてそれは彼女もだろうと分かった。ジョシュアに対するものとは少し違う空気に、胸の奥がトクンと音を立てた気がした。
「……ねぇ、ジョシュア。一曲踊らない?」
「いいね、シルヴィア。一曲と言わず何曲でも」
「そういうことだから、アーサー。マリアのお相手お願いね!」
「え! ちょ……シルヴィア!」
「勝手に……」
そう言っている間にも二人は手を取って人々の中に紛れてしまう。まぁ、紛れると言ってもあの二人は決して他と同化はできない。生まれ持ったものが二人を浮き上がらせている。
残されたアーサーは隣のマリアを見る。マリアもアーサーを見て、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「あの……良ければ庭にでないか? ここの庭は綺麗で、開放しているから」
「あっ、はい」
白くほっそりとしたマリアの手を取って、アーサーは庭へと出る。夜風が心地よく吹き込む庭にはこの屋敷の庭師が丹精込めて作った自慢の庭と花々が美しくある。
「綺麗」
感嘆めいた声がマリアから漏れ、アーサーも頷く。用意されたテーブルセットに座ると、二人で何でもない会話をした。
何が好きか、趣味は何か。そんな、初対面の二人らしい可愛らしい話だ。
アーサーが馬が好きだと言うと、マリアはパッと表情を明るくして「私もです」と言って、馬の好きな部分をあれこれ早口に話す。つぶらな瞳や、愛情を示してくれる甘える行為、高い体温。何より乗った時に世界が広くなった気になると言う彼女に、アーサーは何度も頷いた。
料理もするという彼女に好きな料理を伝えると、「今度作りましょうか?」と言ってくれた。嬉しくて頷いたら、彼女も照れたように笑う。
花を愛でる事、穏やかな時間、読書や音楽、散歩の時間が好きな事。共通する事柄も多くて、話していて飽きる事はない。
「今度、室内楽のコンサートがあるのだが。一緒に行かないか?」
誘ってみたら、マリアは驚いたように目を丸くして、そして控えめな笑みで頷いてくれる。次の約束を取り付けたことにアーサーの心は浮き立った。
その後、二人は何度となく逢瀬の約束を重ねた。室内楽を楽しんで、ディナーやランチに誘って。マリアは散歩のお誘いをしてくれた。絵を描くのが好きらしく、写生に行きたいと言って。
公園での穏やかな時間は、心を柔らかく暖かなものにしてくれた。会話らしい会話などなくても、側にいて、彼女を見て、彼女の視線の先を共有するように見つめて。それだけで十分に思えた。
出会いから二ヶ月後、アーサーはマリアへ交際の申し込みをした。付き合いは短いが、この胸にある感情と感じる暖かさは本物だと思えた。
マリアも驚きながら、頷いてくれた。
手を繋いで歩く道はどれも幸せだった。隣にいる彼女と、老いて死ぬまで共にあるのだと疑いはしなかった。
楽観的だった。幼かった。甘かった。
自身の生まれた家が醜悪なものであるのだと、長い歴史と傲りが凝り固まっていると、傲慢な人間達がこの純粋で美しい心を踏みにじるのだと、この時アーサーは知らなかった。
知っていたらきっと、最初から手など伸ばさなかった。今でもアーサーは思う。もしこの時に戻れるならば、若い自分を捕まえてとくとくと別れを迫るだろうと。それが、マリアの幸せの為なんだと。
▼ファウスト
ゆっくりとした語り口調で聞く、二人の馴れ初め。初めて聞いたはずのそれは、どこかに引っかかっている。
『ファウスト、母様は出会った時から美しかったんだぞ』
「?」
不意に頭の中をよぎった声は、まだ若い男の声だった。優しく柔らかく、幸せに満ちた声。ファウストはそれを、幸せな気持ちで聞いていたはずだ。なのにこみ上げるのは切なさと悲しみで、不安が胸を埋めていく。
これは、いつ聞いたものだろう。誰が話していた?
恐る恐るアーサーを見る。その心は僅かだが、揺らいでいるように思えた。
その時、ドアの鍵が開く音がして暗がりにランプの明かりが灯る。そうして顔を出した男を見ても、ファウストはまったく覚えがなかった。
「やっとお目覚めか、軍神様」
「誰だ?」
頬に大きな刀傷のある男は、ファウストを見てニッと笑う。背が高く、見合うだけの肩幅もある。傭兵か、元兵士か……どちらにしても戦う事を仕事にしている体格だ。
「まぁ、覚えがないだろうよ。俺はアンタを覚えてるぜ。えらくおっかなかったからな」
「?」
「西では世話になったな、軍神さんよ」
「!」
男の一言で、ファウストはなんとなくだが理解した。この男はルースの乱の残党で、式場を襲ったのもまた西の残党だったのではと。
睨み付けると男は大げさに肩をすくめてみせる。それは、芝居がかった見えた。
「俺に恨みがあるなら俺だけでいいだろ! ルカや父上は!」
「おっと! 俺は別にお前さんに恨みなんざねーよ。むしろ感謝してるくらいだ」
「感謝、だと?」
「あんたらがルースを潰してくれたおかげで、ちっちゃい組織のボスだった俺にもチャンスが巡ってきた。路頭に迷った奴らを寄せ集めて、金で何でもやりはじめたらこれが儲かるのなんの! おかげで、これまでで一番楽な暮らしが出来てるってわけだ」
男の言葉に嘘はなさそうだ。それと同時に、ゲスであるのも分かった。
「アンタらをここに閉じ込めたのも、アリアとかいう女を捕らえた後に殺すよう言ってきたのも、式場に火を付けたのも依頼主のご希望さ。この場所の提供も依頼主だぜ? 太っ腹だよな、お貴族様ってのは」
「アリアを、殺した?」
途端、背に冷たいものが流れてファウストは絶句した。それはルカも同じで、震えている。ただアーサーだけが落ち着いていた。
男はニッと笑う。そして、とても簡単な種明かしのようにファウストを見た。
「まぁ、そっちは失敗したがな。依頼主にとっては子の産めない女の事なんて捨て置けるってわけだ。体も弱いんだろ? 放っておいても長生きしないだろうよ」
失敗と聞いて、ほっとする。自分の状況は何一つ変わらないが、アリアが無事である事は一つ安心できることだった。
「アンタらの事もしばらくは生かしておけってよ。何でも準備が出来ないと殺せないそうだ。良かったな、ゆっくり親子のお別れができるってもんだ」
大いに笑った男はひとしきり笑い終わると、鋭い視線をルカへと向ける。そして、顎をしゃくってこっちにと促す。
躊躇ったが、ファウストもアーサーも頷いた。この男は粗雑だろうが、依頼主からの命令には従うのだろう。そうしなければ金が手に入らないからだろうが、一定の信頼はしていい。
ルカが前に出ると、男は小型のナイフを取り出しておもむろにルカを縛る縄を切った。両手が自由になったルカは目をぱちくりして男を見る。その前で、男はトレーに乗せた硬そうなパンと水をルカへと渡した。
「流石にそっちの二人に暴れられちゃ敵わんからな、お前が飯の世話しろ」
「……え?」
「世話だよ! あと、余計な事したら命令違反だがぶっ殺すからな」
そう言うと男は出て行って、鍵のかかった音がした。
静かになった室内に、三人分のパンと水を持ったルカが立ち尽くす。そして困った顔をする彼に、アーサーとファウストは首を横に振った。
「しばらくは大丈夫だ、従おう」
「けれど父さん」
「ルカ、あいつはまだ動かない。何かをするにしても、今じゃない」
「兄さんまで……分かったよ」
今すぐにでもここを抜け出したい様子のルカだが、あまりに状況が掴めない今は逆に危険だ。テロリストの残党ともなれば敵の数が把握できない。場所も分からず、武器もない。
アーサーは多少戦えるだろうが、ルカはまったくだ。そこを庇いながらとなれば、今動くのは得策では無い。
幸いあちらはまだ動く気はないのだろう。その間に、ランバート達が何かアクションを起こしていてくれれば。
思うと、辛い思いもこみ上げる。今頃、心配しているだろう。辛い思いをさせているかもしれない。こんなお家騒動に巻き込んで……
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