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18章:お嬢様の恋愛事情
8話:縛りたい? 縛られたい?(ウルバス)
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馴染みだった温泉宿は宿こそ閉めたけれど、暮らす老夫婦の暖かさは何一つ変わっていなかった。
事情を話すと直ぐに招き入れてくれて、簡単だけれどと部屋を用意して自分たちの食卓に招いてくれた。暖かな味のする素朴な食事は口に合って、始まりの暗さなど感じないほっこりとした食卓だった。
食事を終えた段階で、ランバートは報告に一度王都に戻ると言って出た。馬での往復だから、おそらく報告含めて二時間もかからないだろう。
彼が出たのを合図に、ウルバスはアリアを誘って宛がわれた部屋へと向かった。
室内は簡素だが居心地のいい木造で、家具は意外とどっしりしている。ウルバスはベッドへと近づき、本当は自死の為に持ってきた手錠をベッドヘッドへとはめ、もう片方を自分の腕につけた。
「あの、ウルバスさん!」
「ダメだよ、アリアちゃん。俺、自分をとことん信用できない。だからこれは保険。鍵は君が持っていて」
言って、ウルバスは鍵を床に滑らせてアリアへと渡す。それを持ったアリアは不安そうな顔で離れた椅子に腰を下ろした。
「さて、何から話そうかな。沢山ありすぎて正直迷うけれど」
「あの、無理には……」
「聞かないと後悔するのは君だから聞きなさい。そして、やっぱり俺みたいなのの側に居られないと思ったら、そのままドアを出てランバートに鍵を渡して。俺は、君に関わらないようにするから」
とても悲しそうに、長い睫が伏せ気味になる。その顔、嫌いだな。とても悲しそうで。
「さて、まずは…………父の話からしようかな。とは言っても、俺も日記でしか知らないけれどね」
一緒に住んでいる、一応父親だ。けれど接点があまりに少なくて、その人となりを知らない。唯一それを知る事ができたのは、父がつけていた日記と乳母、メイドの話だけだった。
「俺の父という人はね、最初は穏やかな人だったみたい。神経質な部分はあったらしいんだけれどね。成人してすぐ隣の領から奥さんをもらって、男の子を授かった。父に似た金髪碧眼の子だったみたい」
この頃の事を乳母は涙ながらに話してくれた。愛想のいい、よく笑う男の子だったと。
けれど悲劇は突然だった。
「けれどその子は一歳と少しで亡くなった。誤って階段から落ちたみたいで、父はとても落ち込んで……狂った」
ここからは父の日記にあった記録だ。読むだけで病むような、痛みと狂気を感じるものだった。
「父は生涯八人の奥さんを娶って、ひたすら子を産ませようとした。死んだ男の子を求めたらしいんだ」
「求めたって……亡くなられたのですよね?」
「そう。死んだ男の子に似た男の子を求めて最初の奥さんを閉じ込めた。その人は二人目に女の子を産んで、三人目を身ごもっている間に亡くなったみたい。二人目は父の異様な執着と監禁生活に病んで亡くなった。三人目も同じ。四人目と五人目は女の子を産んだみたいだけれど、それが限界。高い塔の上に監禁された状態じゃ長生きはできなかったんだ。しかも子供も取り上げられている」
「その子は、どうしたのですか?」
「……分からないんだ。父は女の子に興味を示さなかったから」
父の日記は、もっと無機質に記録されていた。なぜなら父が書いていたのは日々を綴る日記ではなく、閉じ込めた妻達の様子を書いた観察日記だったから。
父は医者としての勉強もしていたようで、子は全部自分で取り上げている。途中の診察も、薬の投与も全部自分がして、記録をつけていた。
「また失敗した」「順調」の言葉が多い印象だった。投与した薬は精神的な物が多いらしい。
「流石におかしいと領民が噂し始めた頃、六人目の奥さんとの間に出来たのが俺だった」
日記には「ようやく男の子が生まれた!」と、それは嬉しそうな父の言葉が殴り書きされていた。「あの子が戻ってきた」「元気な男の子だ」と。
だがその歓喜は半年も続かなかった。
「でも俺は、出来損ないだった。母と同じ鳶色の髪に、緑色の瞳。父の求めた自分そっくりな子供ではなかった」
「そんな! 酷いです……」
アリアの目に非難めいた光が宿る。それがちょっと嬉しいくらいには、父の失望は悲しみだった。
「父はますます俺の母に執着したみたい。閉じ込めたのがダメなんだと、夜な夜な母に首輪と縄をつけて庭を散歩させたり、栄養のある食事を食べさせたり、綺麗な服を贈ったり。一方の俺は父に失望されて乳母に丸投げされて育った。祖父は家を継ぐ息子が確保できたから何も言わなかったけれど、父を止める事もしなかった」
母の世話をしていたメイドに、何度か花を摘んで手渡した。あの時は本当に母は重い病気で移るから会えないんだと信じていた。せめてお見舞いにと、花を渡したのだ。
メイドはとても嬉しそうに笑って、「必ず渡しますね」と言ってくれていたけれど……今にして思えば本当に渡っていたのだろうか?
「俺が五歳の時……綺麗な晴れた日、だったな。乳母と花を摘んで、母のお見舞いにって言っていた。塔の見える花畑から戻ろうとしたとき、不意に暗くなって……乳母が俺を引き寄せた。その目の前に、母が落ちてきたんだ」
「!」
アリアが顔を青くして、口元に手を置く。聞きたくないと言わんばかりのその顔が正解なんだと分かる。けれどあの時、ウルバスは何が起こったのか分からなかったんだ。
ただ目の前に人が落ちてきた。その無残な光景を恐れたり、悲しんだりするには、まだ何かが足りなかった。
「訳が分からなかったし、落ちてきたのが母だとは分からなかった」
「あの、分からなかったんですか?」
「うん。俺、会ったことがなかったからね。それが、母を見た最初で最後だった」
アリアの目に涙が浮かんで、ふるふると震える。この手が届けば、きっと今すぐ抱き寄せただろう。それに、泣くことはないのだ。ウルバスからしたら顔も名前も知らない女性が死んだだけ。ただそれだけの感情しかなかったのだ。
「辛い思いを……」
「大丈夫。正直幼くて意味が分からなかったから。その日の夜に同じ場所から父が自殺したけれど、それも俺には実感のないものだった。父も母も、俺には接点の少ない同居人でしかなかったんだ」
本当に、そのくらいの感覚だった。乳母が悲鳴を上げて倒れたり、メイドが涙を流して「可哀想に」とウルバスを抱きしめたけれど、ウルバス本人は何の感情も浮かばないものだった。
多分そうして亡くなったのが乳母だったり、メイドだったら涙の一つも流れただろう。心に痛みくらいはあったのだろう。
でもその時のウルバスは周囲が涙する姿を、一歩引いた場所から見ているばかりだった。
「その後は祖父に育てられたけれど、これも家族とは違った。教育はしたけれど、他は何をしているのか分からなかった。食事も一緒にしたけれどこれも、テーブルマナーの教育だから嫌だったな。粗相をすると鞭で手を叩かれてね」
今でも薄らだが、手に甲にその時の跡が残っている。よく見なければ分からないくらいだけれど。祖父が死んだ後もしばらくは、誰かと食事をするのが怖かったのを覚えている。
「祖父も死んで、色んなものが浮き彫りになって、とうとう頼る人が居なくなった俺の所に来てくれたのが、祖父の弟の息子のアルジャーノンおじさんだった」
ウルバスの目に、優しく柔らかな笑みが戻った。ウルバスの世界に光が差したのは、この人物のおかげだったのだ。
「おじさんが俺を引き取って、領地管理をしてくれた。のびのびと遊ぶ事をいいことだと言ってくれたし、人と関わる事の大事さを教えてくれた。自分で船を操って釣りをする人で、俺に操船を教えてくれた人。槍や剣も、才能があると思えば先生をつけてくれて、俺の話を楽しそうに聞いてくれる人だった」
思えばあの日々がなかったら、自分はどんな人間になったのだろう。想像すると、とても怖い。父のような人と関わる事を嫌う人になったのだろうか。
何にしてもこの時代、ウルバスは普通の子供だった。
「奥さんとは死別していたけれど三人娘がいて、俺には一気に二人の姉と妹が一人できた。クタクタになるほど遊んで、時々勉強もして過ごした十年だったよ」
「素敵な人達だったんですね」
「勿論! 俺にとって楽しい、幸せな時間だったよ」
色んな事に気づかなければ、だけれどね。
「あの、そんないい人達が側にいたのならどうして、ウルバスさんは騎士団に来たのですか? 何か、あったんですか?」
アリアが遠慮がちに聞いてくる。それに、ウルバスは苦笑するしかなかった。
「……十五歳の時に、おじさんから父と、祖母の日記を渡された。見せていい内容か分からないけれど、遺品であるのは確かだから。いい物ではないからこれをどうするかは俺に任せるって」
「読んだんですか?」
「……うん。それで俺は、自分の本性を知った、かな」
惹かれたんだ、驚くくらい。ほの暗い父の思いに底の方が揺らいだ。愛する人と自分だけの世界。相手にとって自分だけが世界の全てになる。そんな、暗く陰湿で卑怯で卑劣な父の思いに、共感してしまった。
同時に祖母の日記を読んだ。監禁された女性の苦しみや悲しみ、狂いそうな程の自由への渇望、訴え、叫び。色んな感情が渦を巻いていた。そこに祖父に対する愛情なんて一欠片もなくて、ただただ憎悪だけが書き付けられていく。子を身籠もって、自分の体をかきむしって内臓全部吐き出したい程の絶望と気持ち悪さに狂っていった。
欲望を、知らない年齢ではなかった。そしてその欲望が到底人として許されない行為の先にあるのを知った気がした。
同時にそのような目に合わされる被害者の心を知った。結末は、言うまでもないものだ。
絶望を感じ、自分が怖くなった。
「根が父や祖父と同じだった。俺は好きになった人を不幸にする。この血は……呪われているんだと思った」
当時、年の近い姉の事が少し好きだった。時々、その姉を独り占めしたい気分になっていた。自分の船で彼女を連れていって、そのまま……。思うと、沸き立つような気持ちになって…………ダメだと思い直した。
自分の事を知って、猶予がない事に気づいた。大事にしてくれた、大切な人を不幸にしてしまう。焦りは日増しに強くなって、成人を機にウルバスは逃げるように実家を離れた。領地はおじさんに任せて、転々と、漠然と王都を目指していた。
その途中で、騎士団の話を聞いてここだと思った。この血を残す訳にはいかない。呪われた血はここで絶たなければいけない。その望みに、女人禁制の騎士団は都合が良かった。
「呪われた血は俺で終わりにする。それなら女人禁制の騎士団がいい。俺は騎士団に入って、多少の無茶もした。さっさと終わればいいとも思っていたんだ。けれど案外しぶとくてね、いままで生き残ってしまった。けれど幸いな事に友人以上に思う人は現れなかったし、何より俺が多少何かを思っても周囲の人間は俺よりも強いから大丈夫だって、思っていた」
命を惜しんだ事はない。むしろ若い頃は意味のある終わりが欲しかった。がむしゃらに前線で戦って……生き残った。
その頃には友人が出来て、部下が出来て、慕われる事に喜びを感じて、世話を焼くようになった。特定の相手を作らないぶん、広く色んな人と関わる事に楽しさを感じた。
いつしか自分が危険な存在だなんて忘れていた。アリアが現れるまでは。
「君と知り合って、君を知って、楽しくて…………いつの間にか好きになっていたんだね。君が楽しそうに笑うのが好きで、手紙がとても楽しみで、知りたいと思って、会うのが楽しみになっていた。君が泣いた時、腹の底が燃えるような怒りが湧いた。でも、側に居ることを望んでくれたから、触れて居られるから押さえられた」
お家騒動の時、もしもアリアも攫われていたらどうなっていたのだろう。おそらくランバートどころの話ではなかった。彼は怒りを感じながらも状況が揃うのを待てた。ウルバスは、待てる気がしない。
「君に別れを伝えられて、仕方がないと思う自分と納得のいかない自分がいて、拮抗していて、俺は怖いと思ったんだ。誰かに取られるくらいなら奪い取りたいと思う自分がいた。けれど押さえられると思ったんだ! まだ、大丈夫だと。なのに……」
「私を助けに来た時、ですか?」
アリアの問いかけに、ウルバスは静かに頷いた。
「怒りで頭が真っ白になっていたのに、あの匂いを嗅いで少しで、押さえがきかなくなった。どこかでダメだと思うのに、怒りを他人に向ける事に躊躇いがなかった。そしてそれを、君にも向けてしまった。本格的にもうダメなんだと思ったんだ。君にとって一番の脅威が、俺なんだと思った。だから」
「死のうと、したのですか?」
アリアの言葉に、ウルバスは少しして頷いた。
俯いて、まともにアリアを見る事ができなかった。繋がっているベッドに背中を預けるように座って、自嘲した。
「ごめんね、こんなんで。折角好きだって言ってくれた相手が、こんなんでがっかりでしょ?」
本当に、残念すぎると思う。折角上を向き始めた気持ちは再び下を向く。気持ちの浮き沈みが激しすぎて、ちょっと疲れてくる。
「これが、俺が君に伝えなきゃいけないと思った事の全部。あとは君が決めて。付き合いきれないと思うなら、怖いと思うなら、このままこの部屋を出て行ってランバートに手錠の鍵を渡して。俺は君に近づかないから」
断罪の瞬間を待つ気分だった。差し出した首をいつ切られるのか、その瞬間を今かと今かと怯えて過ごす。ドアを開ける音が聞こえた瞬間がとても怖い。でも一つ安心できるのは、あの焦がれるような深い欲求が今は萎えていることだった。
席を立つ音がする。俯いたままアリアを見る事ができないウルバスは、不意に暖かな腕に包まれて目を丸くした。
「貴方の事が、好きです」
確かに伝えられる言葉が胸に染みていく。そうしたら、ちょっとだけ泣きたくなった。細い体に自由な片手を回して、ウルバスは胸元に額を預けた。
「私も、ウルバスさんに言わなければいけないことがあります」
「なに?」
「私は、子供は産めません。家は、ルカ兄様の子を養子に迎える事になっています」
「うん」
「夜の……男女の営みも満足には、お相手できません。それどころか発作の度に心配をかけてしまいます。旅も、とても気を遣わせてしまいます」
そんな事は分かっている。アリアの体を思えば無理なんてさせられない。
「私、ファウスト兄様やルカ兄様が羨ましかったんです。素敵な恋をして、何も不自由なく思いを伝え合えて。私も体が丈夫だったらこんな風に、普通に恋ができたんだろうかって。そんな事を考えてしまう自分がとても醜く見えて、自分が嫌いになりました」
「そんな事、思っていたの?」
ないものを持つ誰かを羨むなんて、誰もがきっと経験がある。ウルバスも幸せな同期達を祝福する一方で、彼らが眩しくて仕方がない時があった。
「貴方はとても優しくて、きっと子煩悩ないい父親になるって思ったら私……貴方の事は諦めないといけないって。私では貴方を幸せにできないし、騎士団も辞めてもらわなければならないし」
「うん」
「そんな我が儘、言えないって」
「思い詰めたんだ」
アリアは素直に頷いた。
自由な手で、ウルバスはアリアを抱きしめた。そして、ほんの少し穏やかな気持ちで笑った。この心にあるのはどうしようもない焦燥でも、壊してしまいそうな衝動でもない。ただただ静かに彼女を愛しいと思える、暖かなものだった。
「俺ね、俺の子供はいらないよ」
「はい」
「でも、子供は好きだよ」
「は……ぃ」
「……ルカくんの子なら、きっと可愛くて面白いよね」
「! はい!」
「俺も、一緒にその成長見ていていいかな?」
「も……勿論です!」
気色ばむアリアの顔を、ウルバスは久しぶりの笑みで見る事ができた。そして心にあるのもまた、表情通りの明るい気持ちだけだった。
大丈夫かもしれない。側にいたい気持ちは強くて、拒絶はきっと受け入れられないんだろうけれど、そうでないのなら……大切に、笑って、幸せって言えるようにしてあげたい。
「ねぇ、アリアちゃん」
「はい」
「キス、してもいいかな?」
少し悪戯っぽく聞いてみると、アリアは白い肌を真っ赤にした。愛らしい目がもの凄く泳いでいる。知っているよ、その顔は恥ずかしいんだよね?
抱き寄せる腕を少し強めてみると、アリアはオロオロしながらもギュッと強く目を瞑る。ちょっと口を差し出すから、可愛いよりもちょっと面白い事になっている。でもそんなところが可愛くて、ウルバスは触れるだけのキスをした。
「……え?」
「あれ? 期待したのと違った?」
「そんな事ありません!」
「ふふっ、嘘だよ」
驚いたままの彼女の唇を塞いで、くすぐるように促してみる。硬く閉じたままなのか、欲してくれるのか。戸惑いながら緩む唇を割って、怯える舌に僅かに絡ませただけで、アリアはヒクリと体を震わせて目尻から涙が落ちた。
「ふっ……はぁ……」
「ごめん、息できなかった?」
「いえ、あの……ちょっと苦しかっただけで」
「じゃあ、今度はもっとちゃんと、試してみる?」
「ふぇえ!」
苺みたいに真っ赤なアリアの腰を抱き寄せた時、見計らったようにドアがノックされてランバートが顔を見せる。そして、ギョッとした顔をした。
「あっ、あの! これは! そのぉぉ!!」
パニクったアリアが腕の中でジタジタと暴れるから、ウルバスは手を離してあげた。だからって慌てて逃げるように距離を開けるのは、ちょっと傷つくんだけれど。
「……お邪魔でしたか?」
「うん、邪魔」
もの凄くいい笑顔で言ったウルバスに、ランバートは溜息をついて向き直った。
「報告、してきました。今日はこちらに泊まるということで、許可を取ってあります」
「怒ってた?」
「怒らないわけがないですね。説教受けてください」
「うーん、仕方がないかな」
久しぶりにファウストの拳骨かなと覚悟しつつ、それでも笑えたのは随分と軽くなった気がしたから。
「あぁ、それと。アリアちゃん、これ預けておくよ」
「え?」
ランバートが懐から出したのは、ウルバスが出したはずの退団届けだった。それを手にしたアリアはとても辛そうな顔をしている。
「それをどうするかは、アリアちゃんに任せるね」
「……少し、時間をください」
「勿論。あとウルバス様、ファウスト様から伝言です」
「なに?」
「手を出すならせめて婚約だけでもしろ。ということです。では、俺はお湯もらってきますので後はごゆっくりどうぞ」
溜息をついたランバートが部屋を出て行って、なんとも言えない空気が満ちる。甘い空気が中途半端に霧散したから、妙に気恥ずかしいものになってしまった。
「あー、とりあえずアリアちゃんは休みなよ。一応、鍵掛けてね」
「はい。あの、手錠の鍵は……」
「あぁ、滑らせてこっちにちょうだい。まだ信用できないから、近づかないでね」
「でも!」
「アリアちゃん、お願い」
伝えると、アリアは何かを言いたそうにしながらも頷いて、鍵を滑らせてくる。それを受け取ったウルバスは苦笑して、手をひらひらと振った。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
出て行く彼女が隣の部屋に入って、鍵を掛けただろう音がしてはじめて、ウルバスは手錠を解いた。締め付けがまだ腕にあるように思うが、ほんの少しで消えていく。
外は綿雪が降り始め、冷え込みが少し強くなっていく。その様を見ながら、ウルバスは穏やかに笑っていた。
事情を話すと直ぐに招き入れてくれて、簡単だけれどと部屋を用意して自分たちの食卓に招いてくれた。暖かな味のする素朴な食事は口に合って、始まりの暗さなど感じないほっこりとした食卓だった。
食事を終えた段階で、ランバートは報告に一度王都に戻ると言って出た。馬での往復だから、おそらく報告含めて二時間もかからないだろう。
彼が出たのを合図に、ウルバスはアリアを誘って宛がわれた部屋へと向かった。
室内は簡素だが居心地のいい木造で、家具は意外とどっしりしている。ウルバスはベッドへと近づき、本当は自死の為に持ってきた手錠をベッドヘッドへとはめ、もう片方を自分の腕につけた。
「あの、ウルバスさん!」
「ダメだよ、アリアちゃん。俺、自分をとことん信用できない。だからこれは保険。鍵は君が持っていて」
言って、ウルバスは鍵を床に滑らせてアリアへと渡す。それを持ったアリアは不安そうな顔で離れた椅子に腰を下ろした。
「さて、何から話そうかな。沢山ありすぎて正直迷うけれど」
「あの、無理には……」
「聞かないと後悔するのは君だから聞きなさい。そして、やっぱり俺みたいなのの側に居られないと思ったら、そのままドアを出てランバートに鍵を渡して。俺は、君に関わらないようにするから」
とても悲しそうに、長い睫が伏せ気味になる。その顔、嫌いだな。とても悲しそうで。
「さて、まずは…………父の話からしようかな。とは言っても、俺も日記でしか知らないけれどね」
一緒に住んでいる、一応父親だ。けれど接点があまりに少なくて、その人となりを知らない。唯一それを知る事ができたのは、父がつけていた日記と乳母、メイドの話だけだった。
「俺の父という人はね、最初は穏やかな人だったみたい。神経質な部分はあったらしいんだけれどね。成人してすぐ隣の領から奥さんをもらって、男の子を授かった。父に似た金髪碧眼の子だったみたい」
この頃の事を乳母は涙ながらに話してくれた。愛想のいい、よく笑う男の子だったと。
けれど悲劇は突然だった。
「けれどその子は一歳と少しで亡くなった。誤って階段から落ちたみたいで、父はとても落ち込んで……狂った」
ここからは父の日記にあった記録だ。読むだけで病むような、痛みと狂気を感じるものだった。
「父は生涯八人の奥さんを娶って、ひたすら子を産ませようとした。死んだ男の子を求めたらしいんだ」
「求めたって……亡くなられたのですよね?」
「そう。死んだ男の子に似た男の子を求めて最初の奥さんを閉じ込めた。その人は二人目に女の子を産んで、三人目を身ごもっている間に亡くなったみたい。二人目は父の異様な執着と監禁生活に病んで亡くなった。三人目も同じ。四人目と五人目は女の子を産んだみたいだけれど、それが限界。高い塔の上に監禁された状態じゃ長生きはできなかったんだ。しかも子供も取り上げられている」
「その子は、どうしたのですか?」
「……分からないんだ。父は女の子に興味を示さなかったから」
父の日記は、もっと無機質に記録されていた。なぜなら父が書いていたのは日々を綴る日記ではなく、閉じ込めた妻達の様子を書いた観察日記だったから。
父は医者としての勉強もしていたようで、子は全部自分で取り上げている。途中の診察も、薬の投与も全部自分がして、記録をつけていた。
「また失敗した」「順調」の言葉が多い印象だった。投与した薬は精神的な物が多いらしい。
「流石におかしいと領民が噂し始めた頃、六人目の奥さんとの間に出来たのが俺だった」
日記には「ようやく男の子が生まれた!」と、それは嬉しそうな父の言葉が殴り書きされていた。「あの子が戻ってきた」「元気な男の子だ」と。
だがその歓喜は半年も続かなかった。
「でも俺は、出来損ないだった。母と同じ鳶色の髪に、緑色の瞳。父の求めた自分そっくりな子供ではなかった」
「そんな! 酷いです……」
アリアの目に非難めいた光が宿る。それがちょっと嬉しいくらいには、父の失望は悲しみだった。
「父はますます俺の母に執着したみたい。閉じ込めたのがダメなんだと、夜な夜な母に首輪と縄をつけて庭を散歩させたり、栄養のある食事を食べさせたり、綺麗な服を贈ったり。一方の俺は父に失望されて乳母に丸投げされて育った。祖父は家を継ぐ息子が確保できたから何も言わなかったけれど、父を止める事もしなかった」
母の世話をしていたメイドに、何度か花を摘んで手渡した。あの時は本当に母は重い病気で移るから会えないんだと信じていた。せめてお見舞いにと、花を渡したのだ。
メイドはとても嬉しそうに笑って、「必ず渡しますね」と言ってくれていたけれど……今にして思えば本当に渡っていたのだろうか?
「俺が五歳の時……綺麗な晴れた日、だったな。乳母と花を摘んで、母のお見舞いにって言っていた。塔の見える花畑から戻ろうとしたとき、不意に暗くなって……乳母が俺を引き寄せた。その目の前に、母が落ちてきたんだ」
「!」
アリアが顔を青くして、口元に手を置く。聞きたくないと言わんばかりのその顔が正解なんだと分かる。けれどあの時、ウルバスは何が起こったのか分からなかったんだ。
ただ目の前に人が落ちてきた。その無残な光景を恐れたり、悲しんだりするには、まだ何かが足りなかった。
「訳が分からなかったし、落ちてきたのが母だとは分からなかった」
「あの、分からなかったんですか?」
「うん。俺、会ったことがなかったからね。それが、母を見た最初で最後だった」
アリアの目に涙が浮かんで、ふるふると震える。この手が届けば、きっと今すぐ抱き寄せただろう。それに、泣くことはないのだ。ウルバスからしたら顔も名前も知らない女性が死んだだけ。ただそれだけの感情しかなかったのだ。
「辛い思いを……」
「大丈夫。正直幼くて意味が分からなかったから。その日の夜に同じ場所から父が自殺したけれど、それも俺には実感のないものだった。父も母も、俺には接点の少ない同居人でしかなかったんだ」
本当に、そのくらいの感覚だった。乳母が悲鳴を上げて倒れたり、メイドが涙を流して「可哀想に」とウルバスを抱きしめたけれど、ウルバス本人は何の感情も浮かばないものだった。
多分そうして亡くなったのが乳母だったり、メイドだったら涙の一つも流れただろう。心に痛みくらいはあったのだろう。
でもその時のウルバスは周囲が涙する姿を、一歩引いた場所から見ているばかりだった。
「その後は祖父に育てられたけれど、これも家族とは違った。教育はしたけれど、他は何をしているのか分からなかった。食事も一緒にしたけれどこれも、テーブルマナーの教育だから嫌だったな。粗相をすると鞭で手を叩かれてね」
今でも薄らだが、手に甲にその時の跡が残っている。よく見なければ分からないくらいだけれど。祖父が死んだ後もしばらくは、誰かと食事をするのが怖かったのを覚えている。
「祖父も死んで、色んなものが浮き彫りになって、とうとう頼る人が居なくなった俺の所に来てくれたのが、祖父の弟の息子のアルジャーノンおじさんだった」
ウルバスの目に、優しく柔らかな笑みが戻った。ウルバスの世界に光が差したのは、この人物のおかげだったのだ。
「おじさんが俺を引き取って、領地管理をしてくれた。のびのびと遊ぶ事をいいことだと言ってくれたし、人と関わる事の大事さを教えてくれた。自分で船を操って釣りをする人で、俺に操船を教えてくれた人。槍や剣も、才能があると思えば先生をつけてくれて、俺の話を楽しそうに聞いてくれる人だった」
思えばあの日々がなかったら、自分はどんな人間になったのだろう。想像すると、とても怖い。父のような人と関わる事を嫌う人になったのだろうか。
何にしてもこの時代、ウルバスは普通の子供だった。
「奥さんとは死別していたけれど三人娘がいて、俺には一気に二人の姉と妹が一人できた。クタクタになるほど遊んで、時々勉強もして過ごした十年だったよ」
「素敵な人達だったんですね」
「勿論! 俺にとって楽しい、幸せな時間だったよ」
色んな事に気づかなければ、だけれどね。
「あの、そんないい人達が側にいたのならどうして、ウルバスさんは騎士団に来たのですか? 何か、あったんですか?」
アリアが遠慮がちに聞いてくる。それに、ウルバスは苦笑するしかなかった。
「……十五歳の時に、おじさんから父と、祖母の日記を渡された。見せていい内容か分からないけれど、遺品であるのは確かだから。いい物ではないからこれをどうするかは俺に任せるって」
「読んだんですか?」
「……うん。それで俺は、自分の本性を知った、かな」
惹かれたんだ、驚くくらい。ほの暗い父の思いに底の方が揺らいだ。愛する人と自分だけの世界。相手にとって自分だけが世界の全てになる。そんな、暗く陰湿で卑怯で卑劣な父の思いに、共感してしまった。
同時に祖母の日記を読んだ。監禁された女性の苦しみや悲しみ、狂いそうな程の自由への渇望、訴え、叫び。色んな感情が渦を巻いていた。そこに祖父に対する愛情なんて一欠片もなくて、ただただ憎悪だけが書き付けられていく。子を身籠もって、自分の体をかきむしって内臓全部吐き出したい程の絶望と気持ち悪さに狂っていった。
欲望を、知らない年齢ではなかった。そしてその欲望が到底人として許されない行為の先にあるのを知った気がした。
同時にそのような目に合わされる被害者の心を知った。結末は、言うまでもないものだ。
絶望を感じ、自分が怖くなった。
「根が父や祖父と同じだった。俺は好きになった人を不幸にする。この血は……呪われているんだと思った」
当時、年の近い姉の事が少し好きだった。時々、その姉を独り占めしたい気分になっていた。自分の船で彼女を連れていって、そのまま……。思うと、沸き立つような気持ちになって…………ダメだと思い直した。
自分の事を知って、猶予がない事に気づいた。大事にしてくれた、大切な人を不幸にしてしまう。焦りは日増しに強くなって、成人を機にウルバスは逃げるように実家を離れた。領地はおじさんに任せて、転々と、漠然と王都を目指していた。
その途中で、騎士団の話を聞いてここだと思った。この血を残す訳にはいかない。呪われた血はここで絶たなければいけない。その望みに、女人禁制の騎士団は都合が良かった。
「呪われた血は俺で終わりにする。それなら女人禁制の騎士団がいい。俺は騎士団に入って、多少の無茶もした。さっさと終わればいいとも思っていたんだ。けれど案外しぶとくてね、いままで生き残ってしまった。けれど幸いな事に友人以上に思う人は現れなかったし、何より俺が多少何かを思っても周囲の人間は俺よりも強いから大丈夫だって、思っていた」
命を惜しんだ事はない。むしろ若い頃は意味のある終わりが欲しかった。がむしゃらに前線で戦って……生き残った。
その頃には友人が出来て、部下が出来て、慕われる事に喜びを感じて、世話を焼くようになった。特定の相手を作らないぶん、広く色んな人と関わる事に楽しさを感じた。
いつしか自分が危険な存在だなんて忘れていた。アリアが現れるまでは。
「君と知り合って、君を知って、楽しくて…………いつの間にか好きになっていたんだね。君が楽しそうに笑うのが好きで、手紙がとても楽しみで、知りたいと思って、会うのが楽しみになっていた。君が泣いた時、腹の底が燃えるような怒りが湧いた。でも、側に居ることを望んでくれたから、触れて居られるから押さえられた」
お家騒動の時、もしもアリアも攫われていたらどうなっていたのだろう。おそらくランバートどころの話ではなかった。彼は怒りを感じながらも状況が揃うのを待てた。ウルバスは、待てる気がしない。
「君に別れを伝えられて、仕方がないと思う自分と納得のいかない自分がいて、拮抗していて、俺は怖いと思ったんだ。誰かに取られるくらいなら奪い取りたいと思う自分がいた。けれど押さえられると思ったんだ! まだ、大丈夫だと。なのに……」
「私を助けに来た時、ですか?」
アリアの問いかけに、ウルバスは静かに頷いた。
「怒りで頭が真っ白になっていたのに、あの匂いを嗅いで少しで、押さえがきかなくなった。どこかでダメだと思うのに、怒りを他人に向ける事に躊躇いがなかった。そしてそれを、君にも向けてしまった。本格的にもうダメなんだと思ったんだ。君にとって一番の脅威が、俺なんだと思った。だから」
「死のうと、したのですか?」
アリアの言葉に、ウルバスは少しして頷いた。
俯いて、まともにアリアを見る事ができなかった。繋がっているベッドに背中を預けるように座って、自嘲した。
「ごめんね、こんなんで。折角好きだって言ってくれた相手が、こんなんでがっかりでしょ?」
本当に、残念すぎると思う。折角上を向き始めた気持ちは再び下を向く。気持ちの浮き沈みが激しすぎて、ちょっと疲れてくる。
「これが、俺が君に伝えなきゃいけないと思った事の全部。あとは君が決めて。付き合いきれないと思うなら、怖いと思うなら、このままこの部屋を出て行ってランバートに手錠の鍵を渡して。俺は君に近づかないから」
断罪の瞬間を待つ気分だった。差し出した首をいつ切られるのか、その瞬間を今かと今かと怯えて過ごす。ドアを開ける音が聞こえた瞬間がとても怖い。でも一つ安心できるのは、あの焦がれるような深い欲求が今は萎えていることだった。
席を立つ音がする。俯いたままアリアを見る事ができないウルバスは、不意に暖かな腕に包まれて目を丸くした。
「貴方の事が、好きです」
確かに伝えられる言葉が胸に染みていく。そうしたら、ちょっとだけ泣きたくなった。細い体に自由な片手を回して、ウルバスは胸元に額を預けた。
「私も、ウルバスさんに言わなければいけないことがあります」
「なに?」
「私は、子供は産めません。家は、ルカ兄様の子を養子に迎える事になっています」
「うん」
「夜の……男女の営みも満足には、お相手できません。それどころか発作の度に心配をかけてしまいます。旅も、とても気を遣わせてしまいます」
そんな事は分かっている。アリアの体を思えば無理なんてさせられない。
「私、ファウスト兄様やルカ兄様が羨ましかったんです。素敵な恋をして、何も不自由なく思いを伝え合えて。私も体が丈夫だったらこんな風に、普通に恋ができたんだろうかって。そんな事を考えてしまう自分がとても醜く見えて、自分が嫌いになりました」
「そんな事、思っていたの?」
ないものを持つ誰かを羨むなんて、誰もがきっと経験がある。ウルバスも幸せな同期達を祝福する一方で、彼らが眩しくて仕方がない時があった。
「貴方はとても優しくて、きっと子煩悩ないい父親になるって思ったら私……貴方の事は諦めないといけないって。私では貴方を幸せにできないし、騎士団も辞めてもらわなければならないし」
「うん」
「そんな我が儘、言えないって」
「思い詰めたんだ」
アリアは素直に頷いた。
自由な手で、ウルバスはアリアを抱きしめた。そして、ほんの少し穏やかな気持ちで笑った。この心にあるのはどうしようもない焦燥でも、壊してしまいそうな衝動でもない。ただただ静かに彼女を愛しいと思える、暖かなものだった。
「俺ね、俺の子供はいらないよ」
「はい」
「でも、子供は好きだよ」
「は……ぃ」
「……ルカくんの子なら、きっと可愛くて面白いよね」
「! はい!」
「俺も、一緒にその成長見ていていいかな?」
「も……勿論です!」
気色ばむアリアの顔を、ウルバスは久しぶりの笑みで見る事ができた。そして心にあるのもまた、表情通りの明るい気持ちだけだった。
大丈夫かもしれない。側にいたい気持ちは強くて、拒絶はきっと受け入れられないんだろうけれど、そうでないのなら……大切に、笑って、幸せって言えるようにしてあげたい。
「ねぇ、アリアちゃん」
「はい」
「キス、してもいいかな?」
少し悪戯っぽく聞いてみると、アリアは白い肌を真っ赤にした。愛らしい目がもの凄く泳いでいる。知っているよ、その顔は恥ずかしいんだよね?
抱き寄せる腕を少し強めてみると、アリアはオロオロしながらもギュッと強く目を瞑る。ちょっと口を差し出すから、可愛いよりもちょっと面白い事になっている。でもそんなところが可愛くて、ウルバスは触れるだけのキスをした。
「……え?」
「あれ? 期待したのと違った?」
「そんな事ありません!」
「ふふっ、嘘だよ」
驚いたままの彼女の唇を塞いで、くすぐるように促してみる。硬く閉じたままなのか、欲してくれるのか。戸惑いながら緩む唇を割って、怯える舌に僅かに絡ませただけで、アリアはヒクリと体を震わせて目尻から涙が落ちた。
「ふっ……はぁ……」
「ごめん、息できなかった?」
「いえ、あの……ちょっと苦しかっただけで」
「じゃあ、今度はもっとちゃんと、試してみる?」
「ふぇえ!」
苺みたいに真っ赤なアリアの腰を抱き寄せた時、見計らったようにドアがノックされてランバートが顔を見せる。そして、ギョッとした顔をした。
「あっ、あの! これは! そのぉぉ!!」
パニクったアリアが腕の中でジタジタと暴れるから、ウルバスは手を離してあげた。だからって慌てて逃げるように距離を開けるのは、ちょっと傷つくんだけれど。
「……お邪魔でしたか?」
「うん、邪魔」
もの凄くいい笑顔で言ったウルバスに、ランバートは溜息をついて向き直った。
「報告、してきました。今日はこちらに泊まるということで、許可を取ってあります」
「怒ってた?」
「怒らないわけがないですね。説教受けてください」
「うーん、仕方がないかな」
久しぶりにファウストの拳骨かなと覚悟しつつ、それでも笑えたのは随分と軽くなった気がしたから。
「あぁ、それと。アリアちゃん、これ預けておくよ」
「え?」
ランバートが懐から出したのは、ウルバスが出したはずの退団届けだった。それを手にしたアリアはとても辛そうな顔をしている。
「それをどうするかは、アリアちゃんに任せるね」
「……少し、時間をください」
「勿論。あとウルバス様、ファウスト様から伝言です」
「なに?」
「手を出すならせめて婚約だけでもしろ。ということです。では、俺はお湯もらってきますので後はごゆっくりどうぞ」
溜息をついたランバートが部屋を出て行って、なんとも言えない空気が満ちる。甘い空気が中途半端に霧散したから、妙に気恥ずかしいものになってしまった。
「あー、とりあえずアリアちゃんは休みなよ。一応、鍵掛けてね」
「はい。あの、手錠の鍵は……」
「あぁ、滑らせてこっちにちょうだい。まだ信用できないから、近づかないでね」
「でも!」
「アリアちゃん、お願い」
伝えると、アリアは何かを言いたそうにしながらも頷いて、鍵を滑らせてくる。それを受け取ったウルバスは苦笑して、手をひらひらと振った。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
出て行く彼女が隣の部屋に入って、鍵を掛けただろう音がしてはじめて、ウルバスは手錠を解いた。締め付けがまだ腕にあるように思うが、ほんの少しで消えていく。
外は綿雪が降り始め、冷え込みが少し強くなっていく。その様を見ながら、ウルバスは穏やかに笑っていた。
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