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19章:建国祭ラブステップ
22話:月桂樹の誓い(ランバート&ファウスト)
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新年二日目、ホクホクの顔で戻ってきたラウル達と入れ替わるように、ランバートとファウストは宿舎を出た。昼を少し前にした時間、開店して間もない宝石店へと向かう。それというのも、お願いしていた結婚指輪のデザインが仕上がったとの事だった。
「どんな感じかな。なんか、ドキドキする」
楽しみも度が過ぎると胸が痛い。そんなランバートの隣で、ファウストは柔らかく微笑んで頭を撫でてくれた。
「いいものができるのは、間違いないだろ?」
「それは疑わないよ」
「不安そうな目をしていたが?」
「楽しみ過ぎてちょっと痛いの」
こういう部分はちょっと子供っぽくて嫌だ。旅行の前日に興奮で寝られない子供みたいだ。恥ずかしくて目を逸らしたのに、隣のファウストはとても楽しそうにしている。
「……笑うな」
「可愛いと思うけれどな」
睨むがまったく効果無し。柔らかな視線に見られ、自然と手を繋いで歩く二人の距離はもう恋人よりも近いものだった。
指輪をお願いしているいつもの宝飾店。そこのVIPルームに通されたランバート達の前にデザイナーがスケッチブックを持って座る。まだ若い青年だが、彼のデザインしたものを二人とも気に入り、この度依頼する事にした。
「結婚指輪ということで、三つほどデザインを描いてみました」
そう言って彼が出してくれた三枚のデザイン画は、どれも素敵なものだった。
二人とも剣を扱う事から、細くてシンプルなデザインをお願いした。お互いに選んだ宝石も入れたい事、そしてイメージは月桂樹であること。
月桂樹は結婚の祝福を意味するもので、昔から結婚指輪のデザインに用いられる。ランバートの両親も結婚指輪は月桂樹を模したデザインだった。それに、漠然とした仲の良い夫婦の憧れを持っている。
そして偶然か、ファウストの両親の結婚指輪も月桂樹だった。これはアーサーを訪ねた時に見せて貰って分かった事だったそうだ。
だから二人とも、何の相談もなくこのイメージを当てはめていた。
最初のデザインはシンプルな細いリングで、ゴールド。月桂樹の冠を模していて、葉の彫り込みがハッキリと分かる。そしてその中央にお互いの宝石が入るようになっている。最もオーソドックスと言っていいだろう。
二つ目は少し派手で、細い二つのラインが交差している。交差する片方はゴールド、もう片方はシルバー、勿論月桂樹の葉があしらわれ、交わり合う部分に宝石がはめ込まれる。
そして三つ目がとても変わっていた。見た目はつるんとしたシルバーのリングで、宝石も見当たらない。だが側面に月桂樹の彫り込みが細かくされている。宝石はリングの内側にはめ込まれ、取らないと分からない感じになっている。
「どれも素敵だ」
「あぁ」
二人でデザイン画を手に取って見比べている。その様子をデザイナーの青年がとても嬉しそうに微笑んで見ていた。
「……どれも欲しい」
「ランバート」
「分かってるけれど」
流石にそれは無いと分かっている。でも選ぶのは難しい。オーソドックスな物も素敵だし、一見変わった物も見てみたい。
「ファウストはどれがいい?」
悩むランバートを見る事を楽しんでいるファウストに問いかけると、彼はにっこりと笑って一つのデザインを指さした。
「俺は、これがいいと思う」
確かに素敵だ。そして間違いなく、この世でただ一つの物だ。
「よし! これでお願いします」
「畏まりました」
受け取ったデザイナーの青年も「やっぱり」という顔をしている。どうやらこれが一押しだったのだろう。
既に宝石なども選んでいるし、指のサイズも測り終えている。が、指のサイズなどは変わることも多いとの事で今回も計った。おおよそ前回と同じだから、これで作るとのこと。
完成はやはり、春頃になると言われた。
◇◆◇
宝飾店を出た後は西地区へ。抱えた荷物を持って向かったのはシュトライザーの別宅だった。
ノッカーを鳴らすと直ぐに出迎えられるが、屋敷の中は以前よりも賑やかなものだった。
「ファウスト兄様、ランバート義兄様、いらっしゃい」
真っ先に出てきてくれたアリアがファウストにハグをする。その頬にお互い親愛のキスをして、同じようにランバートにも。その表情も、前よりずっと明るい感じがした。
「アリアちゃん、今年もよろしくね」
「今年もなんて。末永くよろしくですわ、ランバート義兄様」
「あはは、確かに」
花が綻ぶような笑みはとても愛らしく鮮やかで、ちょっとだけ眩しい。女の子は恋をしているとこんなにも可愛く輝くものなのかと、改めて思ってしまった。
「父様はいるか?」
「えぇ。こっちよ」
持ってきた荷物をそのまま持って、二人は屋敷の主であるアーサーの元へと向かった。
新年だというのに、アーサーは執務室にいた。どっしりとした机に向かい手紙を読んだり書いたりをしているのだろう人は、ノックの音に顔を上げ、来訪者を穏やかに迎えてくれた。
「よくきたな、ファウスト、ランバート」
「ご無沙汰しております、アーサー様」
丁寧な礼をするランバートに、アーサーは穏やかな表情を向ける。こんな風に迎えられる事が、最近では多くなった。以前はとてもきつい目をしていたのに。
「そう畏まらなくていい、ランバート」
立ち上がり出迎えてくれる様子は、もう息子を迎えるような温かさがある。これに甘えていいか見極めがまだだが、そろそろいいような気がしている。
「父様、土産」
「お前も気を遣うなファウスト」
お土産に二人で選んだのはアーサーが好きだという銘柄のワインだ。
「一人で空けるなよ、父様。また近いうちに来るから、その時に一緒に飲もう」
まだ少しぶっきらぼうだが、最近はこういう約束をファウストから口にすることが多くなった。一人で空けるには多いワインを贈って、次の夕食の約束。誤解が解けたとは言え長年の不仲もまた抜けきれずどう接していいか分からない不器用親子に提案したのは、ランバートだった。
「あぁ、そうしよう。ランバートも」
「よろしいので?」
「構わない、お前ももう息子だ」
言葉は少ないが、迎えてくれる言葉と表情の温かさに救われる。大事な息子をかっ攫っていった自分を、この人は許さないかもしれない。そんな思いを抱いた過去があった。だからこそ、今がとても嬉しかったりする。
ソファーに腰を下ろすと丁度紅茶が出され、それぞれに新年の挨拶を簡単にした。
「ところで、メロディ嬢とお子さんの様子はどうですか? できれば一目見たいのですが」
ルカの奥方、メロディに第一子が生まれたのが年末の事。出産後は負担も大きいだろうと新年までは直接の挨拶を避けてきた。
だが二人とも生まれた甥っ子が見たくてたまらなかったのだ。
紅茶を一口飲んだアーサーの顔は、途端に緩まる。ファウストと和解した一件以降、雰囲気が和らいだこの人を微笑ましく見ていたが……今は孫にデレデレといった様子だ。
「あぁ、回復も順調で今は無理のない程度に歩き回っている。子も元気だ」
「会えますか?」
「そうしてやってくれ、あの子も喜ぶ」
促され、それならばとお茶を一杯飲んだ後で腰を上げる事にした二人は、この夜の話に自然と移っていった。
「今夜はヒッテルスバッハで会食で、良かったな?」
「はい。お手数ですが、よろしくお願いします」
素直に頭を下げるランバートに、アーサーは心持ち緊張した様子で頷いた。
どこかで両家の顔合わせをと日程を調整していたが、まさかの新年二日目とはランバートも思っていなかった。大抵この時期はパーティーやら来客やらで実家はごった返す。これに巻き込まれるのが嫌で、騎士団に入ってからランバートは新年実家に帰らないくらいだ。
そんな両親が新年二日目を空けた。その意味はランバートにも大きくて、実は緊張している。
「アーサー様とアリアちゃんが出席されるのですよね?」
「あぁ。そちらはジョシュアとシルヴィアだけだったな」
「はい。兄達を抜きにして、落ち着いて会いたいとの事でした」
「分かった」
頷いたアーサーがベルを鳴らし、執事へと指示をして立ち上がる。
「少し失礼する。お前達はこの後ヒッテルスバッハか?」
「その予定だ。メロディに少し会って、その後で」
「分かった。夜にまた」
「あぁ」
素っ気ない親子の会話。だが以前は会話すらなかったことを考えれば十分に距離は縮まっている。隣で微笑ましく見つめたランバートが立ち上がり、ファウストも倣う。そうして二人で執務室を出た後は、案内されるままメロディの部屋を訪れた。
今一番賑やかな一室を尋ねると、メロディとルカが出迎えてくれる。そのルカの手には生まれたばかりの子供が抱かれていた。
「ランバートさん! 兄さん!」
「ルカ、メロディ、おめでとう」
「おめでとう、二人とも」
「有り難うございます」
幸せそうな二人に招かれて入室したランバートは、まずはメロディに選んだお祝いを渡す。おくるみとよだれかけを見た彼女はとても喜び、同じ素材と色の肩掛けに喜んでくれた。
お茶とドライフルーツも喜んでくれた。
そうしてソファーに招かれてすぐ、ルカが抱っこしている赤ん坊を差し出してきた。
「抱っこしてよ兄さん、ランバートさん」
にこにこしているルカとメロディだが、何故かファウストは手が伸びない。ぎこちない様子に、ランバートは首を傾げた。
「どうしたの?」
「あっ、いや……正直、怖くてな」
「は?」
何故??
更に首を傾げたランバートに、ファウストはとても恥ずかしそうな顔をした。
「俺はその……子供には泣かれがちなんだ、怖いと。それに、こんなに小さくて柔らかいものに触れるのはちょっと、力の加減とか」
「いや、そんな怯えなくても……」
実際手がワタワタしている。そういうのを見て、思わずランバートとルカは笑ってしまった。この人はまだ、こういう可愛い部分を持っているのか。
ルカと目が合い、くっと赤ん坊を近づけてくる。ランバートは下町でわりと赤ん坊を抱き慣れていたから、上手く腕に抱いた。それでもここ数年はこんな事なかったから、腕の中の柔らかく温かな命にちょっと感動だ。
「上手いな」
「慣れだよ。ふふっ、可愛いな」
片腕でしっかりと形を作ってやればそれだけで安定する。もう片方の手で柔らかな頬をふにふにすると、赤ん坊はちょっとむにゃむにゃと口元を動かした。
「可愛いな」
ランバートの腕の中を覗き込んだファウストの目も柔らかく緩んでいく。締まりのない軍神の顔だ。
「さぁ、兄さんも」
「いや、だが」
「大丈夫!」
ルカがファウストの背後に回って、左腕をしっかりと作っていく。荷物を抱える時のように腕を曲げ、ランバートの手から赤ん坊を抱き上げると肘の曲がった部分にしっかりと首を乗せた。
「腕はもっとちゃんと胸に引き寄せるみたいにして」
「あ、あぁ」
ぎこちなさに最初こそむずった顔をした赤ん坊も、どっしりとした手の大きさと腕の逞しさに徐々に落ち着いて身を任せ始めた。
「やっぱり、兄さん手も大きいから安定感があるんだね」
「本当、このまま寝てしまいそうだわ」
加えてこの人は体温が高いから、きっと温かいのだろう。腕の中の赤ん坊は少しウトウトしているように見える。
そんな赤ん坊を腕に抱いて、最初こそ緊張していたファウストだが徐々に表情が和らぎ、笑みを浮かべる。
「可愛いな」
そう呟いた人の優しい笑みを見ると、やっぱり少し複雑だ。こればかりは、ランバートが与えてあげられない幸せだから。
……でも、違う幸せをあげることはできる。全部でこの人を幸せにするんだ。得られないものの分も、きっと。
「ランバート」
「うん、可愛いね」
ファウストの腕の中を覗き込んで、ランバートも笑う。同じように笑ってくれる人が側にいる。これ以上なんて、もういらないんだ。
◇◆◇
シュトライザー別邸を後にして、向かったのはそれほど離れていないヒッテルスバッハ家。新年の実家は騒がしい記憶しかないが、今日はひっそりとしている。
出迎えてくれた執事に通され、談話室へ。そこにはゆったりとした父が紅茶を飲んでいた。
「あぁ、来たね」
「ジョシュア様、ご無沙汰しております」
「あぁ。相変わらず騎士団は忙しそうだね」
苦笑するジョシュアに、持ってきた土産を渡すファウストも同じく苦笑した。
「まぁ、今日くらいはいいさ。ランバート、お前も座ったらどうだい?」
「あぁ。兄上達は?」
「アレクシスは奥方の家。ハムレットは別荘に引きこもってるよ」
「そうか」
まぁ、ハムレットに関しては予想通りだろう。アレクシスも新婚だから、気を遣うのだろう。
それにしても、なんだか落ち着かない。例年ならここも騒がしいものだ。
辺りを見回すランバートに、ジョシュアは面白そうにクツクツと笑った。
「落ち着かないだろ」
「まぁ」
「私も落ち着かない。例年なら客人の相手で大わらわだ」
「お時間を頂き、有り難うございます」
笑うジョシュアにファウストが申し訳なさそうに言うと、穏やかな笑みが返ってきた。
「息子の婚儀だ、ちゃんとするのが親の務めだよ」
紅茶を一口飲み込むジョシュアの表情は、ほんの少し寂しげにも見えた。
「母上は?」
「今夜の準備。張り切ってるよ」
「他に任せてもいいのに」
「お前の事を一番気に掛けているからね、自分でしたいのさ」
そういうものなのか。……いや、そういうものなんだろう。思えば全てが母の一言から始まったのだ。
「母上は、喜んでくれるかな?」
「十分過ぎるだろうな。綺麗な義息子を得ただろ?」
悪戯っぽい視線がファウストを見る。ジョシュアの視線に、ファウストの方はタジタジだ。
「ランバート」
「なに?」
「幸せになりなさい」
「っ! うん」
毒のない穏やかな視線を向けてくれるジョシュアに、ランバートはほんの少し泣きそうだった。
その夜、アーサーとアリアを迎えたヒッテルスバッハ家は静かだが華やかだった。母が選んだ花がエントランスを飾り、使用人は下げて家族と執事だけで出迎える。
そうして招かれたアーサーは、緊張しつつも静かな様子であった。
「ようこそお越しくださいました、アーサー様、アリアちゃん」
ランバートが声をかけ、従者がコートを預かる。そうして進み出る二人を迎える両親は、なんだか色々と複雑そうだった。得に母は。
「お招き頂き、有り難うございます。アリアと申します、よろしくお願いします」
スカートの裾を持ち上げ挨拶をしたアリアに、シルヴィアが一歩前に出る。そして彼女が顔を上げるよりも前にギュッと抱きしめていた。
「あの」
「ごめんなさい…………本当に、お母さんそっくりで美人だわ」
突然の事に目を丸くしたアリアだが、シルヴィアの苦しげな声に力を抜いて、戸惑いながらも背に手を置いた。それに、シルヴィアは一層強く彼女を抱きしめていた。
「貴方のお母さんとは、親友だったのよ? ごめんなさいね、見ていたらなんだか……」
「父から聞いています、母がとてもお世話になったって」
「とてもいい子だったのよ。明るくて素直で真っ直ぐで。なんだか、若い頃の彼女が戻ってきたみたいで……嫌ね、おばさんみたいな事言ってるわ」
「そんな! シルヴィア様はとてもお若くていらっしゃいます」
泣き笑いのようなシルヴィアに、アリアが慌ててそう返す。それに、シルヴィアは小さく笑って体を離し、指でさりげなく目尻を拭った。
「貴方のお母さんと同じ歳だもの、おばさんよ。でも……そうね、貴方にも綺麗になる方法を教えてあげましょうね。お化粧の方法とか」
薄付きの化粧をしているのだろうアリアの顔を見て、シルヴィアが笑う。そしてアーサーへも視線を向けた。
「女の磨き方は殿方には理解しがたいものね」
「でも、私はあまりそういうのが得意ではなくて」
「だからこそ学ぶのよ。私は、最高の先生になれるわよ」
ウィンク一つ。それにアリアの頬が僅かに赤くなったような気がした。
「こらシルヴィア、主役を放っておく奴があるかい? 今日はこちらだよ」
「あら、ごめんなさい。私ったら、失礼をしてしまったわ」
苦笑するジョシュアが前に出て、アーサーを迎える。言葉はないがしっかりと握手をする二人を見るに、ここも雪解けは進んでいるようだ。
それぞれがエスコートをして、こぢんまりとした食堂へ。テーブルを挟んでヒッテルスバッハ家、シュトライザー家で座る。それぞれに食前酒が配られ、アリアにはワイン作りに使われる葡萄を使ったジュースが振る舞われた。
「本日は新年のお忙しい中、お越しいただき感謝する」
「いや、こちらこそこのような場をセッティングしていただき感謝する。本来ならこちらが用意すべきところだ」
「構わないさ、アーサー。あちらには生まれて間もない子もいる。忙しいだろうし、ルカくん夫婦も落ち着かないだろう」
硬いながらも申し訳なさそうに言うアーサーに、ジョシュアが軽く笑う。通常ならこうした席は旦那側が用意するのだが……この場合、どちらが旦那か分からないしな。
「アリアも、よくきてくれた。体の具合は大丈夫かい?」
「はい。ハムレット先生の治療もあって、以前よりもずっと健康になっております」
「それはよかった。あれは使ってくれていいから、体を大事にね」
「そんな、使うだなんて! とても良くして頂いています」
慌てたアリアがそう返し、ジョシュアが軽く笑う。そしてそのまま、ファウストへと視線を向けた。
「ファウスト、まずはお祝いと感謝を。うちの息子を選んでくれて、有り難う。お陰ですっかり真人間だ」
「こちらこそ、ランバートとの仲を許していただき、更にはこのような席を用意していただきまして、感謝いたします。有り難うございます、ジョシュア様、シルヴィア様」
「まさかマリアの息子を選ぶなんて、ウチの子の目は確かだったわね。私も歓迎するわ、ファウスト」
ニコニコと機嫌良さそうに笑うシルヴィアとジョシュア。その前に、アーサーは改まった様子で袋を一つ差し出した。
「この場合、持参金はこちらが渡すのが良いだろうと判断した。僅かだが、納めてもらいたい」
「いらないよ、アーサー。政略結婚ではないんだ」
「だが……」
アーサーはそれでも何かをと思っているのだろう。それに、出した物を簡単に引っ込める事もできない。が、ジョシュアも受け取るつもりはない様子。どうしたものかと思ったが、そこはジョシュアが早かった。
「では、これにこちらも上乗せして、二人に贈ると言う事でどうだろうか?」
「ん?」
「二人とも、実家に頼ってくれなくてね。自分たちで出し合うといって聞かないんだ」
「あぁ、そういえばそうだな」
「いくら基本的な生活は保障されていても、持ち出しが多いのは当然だ。ならばこのお金は若い二人へのお祝いとして贈り、今後の事に役立ててもらうのが有意義ではないかな?」
そう言うと、ジョシュアも一つ袋を前に出す。一応は用意していたのだろう。大きさも同じくらいだ。
「なんだ、お前も用意していたのか」
「一応はね。この場合、どちらが上も下もない。お前が出してきたらこういうことにしようと思っていたさ」
「そういうことなら事前に連絡をしろ」
すっかりいつも通りのアーサーとジョシュア。そしてそれぞれが用意した袋はそのまま、ランバートとファウストの前に置かれた。
「「……え」」
「ということで、お祝いだ。有意義に自分たちの為に使いなさい」
「お前もだぞ、ファウスト。ランバートの為に使いなさい」
置かれた袋を互いに手に取れずに真顔で顔を見合わせた。だって、この袋の中が全部金貨とするならば、どれだけだ。おそらくこれだけで百フェリス(約100万)はあるだろう。この大金をどうしろと。
だが、受け取らないわけにもいかない視線。手に持った瞬間の重さはなかなかだ。
改めて、実家の金銭感覚のズレを感じた瞬間だった。
程なくして最初の料理が運ばれてきて、食事会となった。そうなると雰囲気ももう少し砕けてくる。ジョシュアは上機嫌でワインを飲んでいるし、アーサーもそれなりだ。
「なぁ、アーサー。息子達もこんな感じだ、私たちも旧交を温めないかい?」
ワイン片手にそんな事を言うジョシュアに、アーサーは僅かに視線を上げた。
「老い先短いジジイが二人集まって何をしようというんだ」
「まだ先が短いと決まったわけじゃありません。失礼だな、相変わらず」
「ふん」
「まぁ、なんだ。たまに話をしようという誘いさ。懐かしい話もあるだろ?」
「お前は暇じゃないだろ」
「お互い様だろ?」
珍しく食い下がるジョシュアに、アーサーは溜息をつく。が、顔を見れば分かる。嫌なんじゃなくて、素直になれないだけなんだと。
「まぁ、たまにならな」
「あぁ。アリアちゃんもおいで、昔話をしてあげよう」
「あっ、はい! 是非!」
「アリア、こいつの話は聞かなくていい! ろくな事はないぞ」
「おや? 黒歴史が娘に知れるのは恥ずかしいのかな?」
「当たり前だ! お前だって散々な事をしていたのを息子に言えるのか!」
「えー、どうかな? ランバート、知りたい?」
「胃が痛くなりそうなので結構です」
「だってー」
楽しそうだ、父上。
上機嫌な父と、知っているよりも言葉数の多いアーサー。それを、ファウストも感じている。「静かな食事会になりそうだ」なんて話していたのに今ここは、とても沢山の笑い声に溢れている。
正面のファウストと目が合って、互いに笑った。
なんて幸せな新年なのだろうね?
「どんな感じかな。なんか、ドキドキする」
楽しみも度が過ぎると胸が痛い。そんなランバートの隣で、ファウストは柔らかく微笑んで頭を撫でてくれた。
「いいものができるのは、間違いないだろ?」
「それは疑わないよ」
「不安そうな目をしていたが?」
「楽しみ過ぎてちょっと痛いの」
こういう部分はちょっと子供っぽくて嫌だ。旅行の前日に興奮で寝られない子供みたいだ。恥ずかしくて目を逸らしたのに、隣のファウストはとても楽しそうにしている。
「……笑うな」
「可愛いと思うけれどな」
睨むがまったく効果無し。柔らかな視線に見られ、自然と手を繋いで歩く二人の距離はもう恋人よりも近いものだった。
指輪をお願いしているいつもの宝飾店。そこのVIPルームに通されたランバート達の前にデザイナーがスケッチブックを持って座る。まだ若い青年だが、彼のデザインしたものを二人とも気に入り、この度依頼する事にした。
「結婚指輪ということで、三つほどデザインを描いてみました」
そう言って彼が出してくれた三枚のデザイン画は、どれも素敵なものだった。
二人とも剣を扱う事から、細くてシンプルなデザインをお願いした。お互いに選んだ宝石も入れたい事、そしてイメージは月桂樹であること。
月桂樹は結婚の祝福を意味するもので、昔から結婚指輪のデザインに用いられる。ランバートの両親も結婚指輪は月桂樹を模したデザインだった。それに、漠然とした仲の良い夫婦の憧れを持っている。
そして偶然か、ファウストの両親の結婚指輪も月桂樹だった。これはアーサーを訪ねた時に見せて貰って分かった事だったそうだ。
だから二人とも、何の相談もなくこのイメージを当てはめていた。
最初のデザインはシンプルな細いリングで、ゴールド。月桂樹の冠を模していて、葉の彫り込みがハッキリと分かる。そしてその中央にお互いの宝石が入るようになっている。最もオーソドックスと言っていいだろう。
二つ目は少し派手で、細い二つのラインが交差している。交差する片方はゴールド、もう片方はシルバー、勿論月桂樹の葉があしらわれ、交わり合う部分に宝石がはめ込まれる。
そして三つ目がとても変わっていた。見た目はつるんとしたシルバーのリングで、宝石も見当たらない。だが側面に月桂樹の彫り込みが細かくされている。宝石はリングの内側にはめ込まれ、取らないと分からない感じになっている。
「どれも素敵だ」
「あぁ」
二人でデザイン画を手に取って見比べている。その様子をデザイナーの青年がとても嬉しそうに微笑んで見ていた。
「……どれも欲しい」
「ランバート」
「分かってるけれど」
流石にそれは無いと分かっている。でも選ぶのは難しい。オーソドックスな物も素敵だし、一見変わった物も見てみたい。
「ファウストはどれがいい?」
悩むランバートを見る事を楽しんでいるファウストに問いかけると、彼はにっこりと笑って一つのデザインを指さした。
「俺は、これがいいと思う」
確かに素敵だ。そして間違いなく、この世でただ一つの物だ。
「よし! これでお願いします」
「畏まりました」
受け取ったデザイナーの青年も「やっぱり」という顔をしている。どうやらこれが一押しだったのだろう。
既に宝石なども選んでいるし、指のサイズも測り終えている。が、指のサイズなどは変わることも多いとの事で今回も計った。おおよそ前回と同じだから、これで作るとのこと。
完成はやはり、春頃になると言われた。
◇◆◇
宝飾店を出た後は西地区へ。抱えた荷物を持って向かったのはシュトライザーの別宅だった。
ノッカーを鳴らすと直ぐに出迎えられるが、屋敷の中は以前よりも賑やかなものだった。
「ファウスト兄様、ランバート義兄様、いらっしゃい」
真っ先に出てきてくれたアリアがファウストにハグをする。その頬にお互い親愛のキスをして、同じようにランバートにも。その表情も、前よりずっと明るい感じがした。
「アリアちゃん、今年もよろしくね」
「今年もなんて。末永くよろしくですわ、ランバート義兄様」
「あはは、確かに」
花が綻ぶような笑みはとても愛らしく鮮やかで、ちょっとだけ眩しい。女の子は恋をしているとこんなにも可愛く輝くものなのかと、改めて思ってしまった。
「父様はいるか?」
「えぇ。こっちよ」
持ってきた荷物をそのまま持って、二人は屋敷の主であるアーサーの元へと向かった。
新年だというのに、アーサーは執務室にいた。どっしりとした机に向かい手紙を読んだり書いたりをしているのだろう人は、ノックの音に顔を上げ、来訪者を穏やかに迎えてくれた。
「よくきたな、ファウスト、ランバート」
「ご無沙汰しております、アーサー様」
丁寧な礼をするランバートに、アーサーは穏やかな表情を向ける。こんな風に迎えられる事が、最近では多くなった。以前はとてもきつい目をしていたのに。
「そう畏まらなくていい、ランバート」
立ち上がり出迎えてくれる様子は、もう息子を迎えるような温かさがある。これに甘えていいか見極めがまだだが、そろそろいいような気がしている。
「父様、土産」
「お前も気を遣うなファウスト」
お土産に二人で選んだのはアーサーが好きだという銘柄のワインだ。
「一人で空けるなよ、父様。また近いうちに来るから、その時に一緒に飲もう」
まだ少しぶっきらぼうだが、最近はこういう約束をファウストから口にすることが多くなった。一人で空けるには多いワインを贈って、次の夕食の約束。誤解が解けたとは言え長年の不仲もまた抜けきれずどう接していいか分からない不器用親子に提案したのは、ランバートだった。
「あぁ、そうしよう。ランバートも」
「よろしいので?」
「構わない、お前ももう息子だ」
言葉は少ないが、迎えてくれる言葉と表情の温かさに救われる。大事な息子をかっ攫っていった自分を、この人は許さないかもしれない。そんな思いを抱いた過去があった。だからこそ、今がとても嬉しかったりする。
ソファーに腰を下ろすと丁度紅茶が出され、それぞれに新年の挨拶を簡単にした。
「ところで、メロディ嬢とお子さんの様子はどうですか? できれば一目見たいのですが」
ルカの奥方、メロディに第一子が生まれたのが年末の事。出産後は負担も大きいだろうと新年までは直接の挨拶を避けてきた。
だが二人とも生まれた甥っ子が見たくてたまらなかったのだ。
紅茶を一口飲んだアーサーの顔は、途端に緩まる。ファウストと和解した一件以降、雰囲気が和らいだこの人を微笑ましく見ていたが……今は孫にデレデレといった様子だ。
「あぁ、回復も順調で今は無理のない程度に歩き回っている。子も元気だ」
「会えますか?」
「そうしてやってくれ、あの子も喜ぶ」
促され、それならばとお茶を一杯飲んだ後で腰を上げる事にした二人は、この夜の話に自然と移っていった。
「今夜はヒッテルスバッハで会食で、良かったな?」
「はい。お手数ですが、よろしくお願いします」
素直に頭を下げるランバートに、アーサーは心持ち緊張した様子で頷いた。
どこかで両家の顔合わせをと日程を調整していたが、まさかの新年二日目とはランバートも思っていなかった。大抵この時期はパーティーやら来客やらで実家はごった返す。これに巻き込まれるのが嫌で、騎士団に入ってからランバートは新年実家に帰らないくらいだ。
そんな両親が新年二日目を空けた。その意味はランバートにも大きくて、実は緊張している。
「アーサー様とアリアちゃんが出席されるのですよね?」
「あぁ。そちらはジョシュアとシルヴィアだけだったな」
「はい。兄達を抜きにして、落ち着いて会いたいとの事でした」
「分かった」
頷いたアーサーがベルを鳴らし、執事へと指示をして立ち上がる。
「少し失礼する。お前達はこの後ヒッテルスバッハか?」
「その予定だ。メロディに少し会って、その後で」
「分かった。夜にまた」
「あぁ」
素っ気ない親子の会話。だが以前は会話すらなかったことを考えれば十分に距離は縮まっている。隣で微笑ましく見つめたランバートが立ち上がり、ファウストも倣う。そうして二人で執務室を出た後は、案内されるままメロディの部屋を訪れた。
今一番賑やかな一室を尋ねると、メロディとルカが出迎えてくれる。そのルカの手には生まれたばかりの子供が抱かれていた。
「ランバートさん! 兄さん!」
「ルカ、メロディ、おめでとう」
「おめでとう、二人とも」
「有り難うございます」
幸せそうな二人に招かれて入室したランバートは、まずはメロディに選んだお祝いを渡す。おくるみとよだれかけを見た彼女はとても喜び、同じ素材と色の肩掛けに喜んでくれた。
お茶とドライフルーツも喜んでくれた。
そうしてソファーに招かれてすぐ、ルカが抱っこしている赤ん坊を差し出してきた。
「抱っこしてよ兄さん、ランバートさん」
にこにこしているルカとメロディだが、何故かファウストは手が伸びない。ぎこちない様子に、ランバートは首を傾げた。
「どうしたの?」
「あっ、いや……正直、怖くてな」
「は?」
何故??
更に首を傾げたランバートに、ファウストはとても恥ずかしそうな顔をした。
「俺はその……子供には泣かれがちなんだ、怖いと。それに、こんなに小さくて柔らかいものに触れるのはちょっと、力の加減とか」
「いや、そんな怯えなくても……」
実際手がワタワタしている。そういうのを見て、思わずランバートとルカは笑ってしまった。この人はまだ、こういう可愛い部分を持っているのか。
ルカと目が合い、くっと赤ん坊を近づけてくる。ランバートは下町でわりと赤ん坊を抱き慣れていたから、上手く腕に抱いた。それでもここ数年はこんな事なかったから、腕の中の柔らかく温かな命にちょっと感動だ。
「上手いな」
「慣れだよ。ふふっ、可愛いな」
片腕でしっかりと形を作ってやればそれだけで安定する。もう片方の手で柔らかな頬をふにふにすると、赤ん坊はちょっとむにゃむにゃと口元を動かした。
「可愛いな」
ランバートの腕の中を覗き込んだファウストの目も柔らかく緩んでいく。締まりのない軍神の顔だ。
「さぁ、兄さんも」
「いや、だが」
「大丈夫!」
ルカがファウストの背後に回って、左腕をしっかりと作っていく。荷物を抱える時のように腕を曲げ、ランバートの手から赤ん坊を抱き上げると肘の曲がった部分にしっかりと首を乗せた。
「腕はもっとちゃんと胸に引き寄せるみたいにして」
「あ、あぁ」
ぎこちなさに最初こそむずった顔をした赤ん坊も、どっしりとした手の大きさと腕の逞しさに徐々に落ち着いて身を任せ始めた。
「やっぱり、兄さん手も大きいから安定感があるんだね」
「本当、このまま寝てしまいそうだわ」
加えてこの人は体温が高いから、きっと温かいのだろう。腕の中の赤ん坊は少しウトウトしているように見える。
そんな赤ん坊を腕に抱いて、最初こそ緊張していたファウストだが徐々に表情が和らぎ、笑みを浮かべる。
「可愛いな」
そう呟いた人の優しい笑みを見ると、やっぱり少し複雑だ。こればかりは、ランバートが与えてあげられない幸せだから。
……でも、違う幸せをあげることはできる。全部でこの人を幸せにするんだ。得られないものの分も、きっと。
「ランバート」
「うん、可愛いね」
ファウストの腕の中を覗き込んで、ランバートも笑う。同じように笑ってくれる人が側にいる。これ以上なんて、もういらないんだ。
◇◆◇
シュトライザー別邸を後にして、向かったのはそれほど離れていないヒッテルスバッハ家。新年の実家は騒がしい記憶しかないが、今日はひっそりとしている。
出迎えてくれた執事に通され、談話室へ。そこにはゆったりとした父が紅茶を飲んでいた。
「あぁ、来たね」
「ジョシュア様、ご無沙汰しております」
「あぁ。相変わらず騎士団は忙しそうだね」
苦笑するジョシュアに、持ってきた土産を渡すファウストも同じく苦笑した。
「まぁ、今日くらいはいいさ。ランバート、お前も座ったらどうだい?」
「あぁ。兄上達は?」
「アレクシスは奥方の家。ハムレットは別荘に引きこもってるよ」
「そうか」
まぁ、ハムレットに関しては予想通りだろう。アレクシスも新婚だから、気を遣うのだろう。
それにしても、なんだか落ち着かない。例年ならここも騒がしいものだ。
辺りを見回すランバートに、ジョシュアは面白そうにクツクツと笑った。
「落ち着かないだろ」
「まぁ」
「私も落ち着かない。例年なら客人の相手で大わらわだ」
「お時間を頂き、有り難うございます」
笑うジョシュアにファウストが申し訳なさそうに言うと、穏やかな笑みが返ってきた。
「息子の婚儀だ、ちゃんとするのが親の務めだよ」
紅茶を一口飲み込むジョシュアの表情は、ほんの少し寂しげにも見えた。
「母上は?」
「今夜の準備。張り切ってるよ」
「他に任せてもいいのに」
「お前の事を一番気に掛けているからね、自分でしたいのさ」
そういうものなのか。……いや、そういうものなんだろう。思えば全てが母の一言から始まったのだ。
「母上は、喜んでくれるかな?」
「十分過ぎるだろうな。綺麗な義息子を得ただろ?」
悪戯っぽい視線がファウストを見る。ジョシュアの視線に、ファウストの方はタジタジだ。
「ランバート」
「なに?」
「幸せになりなさい」
「っ! うん」
毒のない穏やかな視線を向けてくれるジョシュアに、ランバートはほんの少し泣きそうだった。
その夜、アーサーとアリアを迎えたヒッテルスバッハ家は静かだが華やかだった。母が選んだ花がエントランスを飾り、使用人は下げて家族と執事だけで出迎える。
そうして招かれたアーサーは、緊張しつつも静かな様子であった。
「ようこそお越しくださいました、アーサー様、アリアちゃん」
ランバートが声をかけ、従者がコートを預かる。そうして進み出る二人を迎える両親は、なんだか色々と複雑そうだった。得に母は。
「お招き頂き、有り難うございます。アリアと申します、よろしくお願いします」
スカートの裾を持ち上げ挨拶をしたアリアに、シルヴィアが一歩前に出る。そして彼女が顔を上げるよりも前にギュッと抱きしめていた。
「あの」
「ごめんなさい…………本当に、お母さんそっくりで美人だわ」
突然の事に目を丸くしたアリアだが、シルヴィアの苦しげな声に力を抜いて、戸惑いながらも背に手を置いた。それに、シルヴィアは一層強く彼女を抱きしめていた。
「貴方のお母さんとは、親友だったのよ? ごめんなさいね、見ていたらなんだか……」
「父から聞いています、母がとてもお世話になったって」
「とてもいい子だったのよ。明るくて素直で真っ直ぐで。なんだか、若い頃の彼女が戻ってきたみたいで……嫌ね、おばさんみたいな事言ってるわ」
「そんな! シルヴィア様はとてもお若くていらっしゃいます」
泣き笑いのようなシルヴィアに、アリアが慌ててそう返す。それに、シルヴィアは小さく笑って体を離し、指でさりげなく目尻を拭った。
「貴方のお母さんと同じ歳だもの、おばさんよ。でも……そうね、貴方にも綺麗になる方法を教えてあげましょうね。お化粧の方法とか」
薄付きの化粧をしているのだろうアリアの顔を見て、シルヴィアが笑う。そしてアーサーへも視線を向けた。
「女の磨き方は殿方には理解しがたいものね」
「でも、私はあまりそういうのが得意ではなくて」
「だからこそ学ぶのよ。私は、最高の先生になれるわよ」
ウィンク一つ。それにアリアの頬が僅かに赤くなったような気がした。
「こらシルヴィア、主役を放っておく奴があるかい? 今日はこちらだよ」
「あら、ごめんなさい。私ったら、失礼をしてしまったわ」
苦笑するジョシュアが前に出て、アーサーを迎える。言葉はないがしっかりと握手をする二人を見るに、ここも雪解けは進んでいるようだ。
それぞれがエスコートをして、こぢんまりとした食堂へ。テーブルを挟んでヒッテルスバッハ家、シュトライザー家で座る。それぞれに食前酒が配られ、アリアにはワイン作りに使われる葡萄を使ったジュースが振る舞われた。
「本日は新年のお忙しい中、お越しいただき感謝する」
「いや、こちらこそこのような場をセッティングしていただき感謝する。本来ならこちらが用意すべきところだ」
「構わないさ、アーサー。あちらには生まれて間もない子もいる。忙しいだろうし、ルカくん夫婦も落ち着かないだろう」
硬いながらも申し訳なさそうに言うアーサーに、ジョシュアが軽く笑う。通常ならこうした席は旦那側が用意するのだが……この場合、どちらが旦那か分からないしな。
「アリアも、よくきてくれた。体の具合は大丈夫かい?」
「はい。ハムレット先生の治療もあって、以前よりもずっと健康になっております」
「それはよかった。あれは使ってくれていいから、体を大事にね」
「そんな、使うだなんて! とても良くして頂いています」
慌てたアリアがそう返し、ジョシュアが軽く笑う。そしてそのまま、ファウストへと視線を向けた。
「ファウスト、まずはお祝いと感謝を。うちの息子を選んでくれて、有り難う。お陰ですっかり真人間だ」
「こちらこそ、ランバートとの仲を許していただき、更にはこのような席を用意していただきまして、感謝いたします。有り難うございます、ジョシュア様、シルヴィア様」
「まさかマリアの息子を選ぶなんて、ウチの子の目は確かだったわね。私も歓迎するわ、ファウスト」
ニコニコと機嫌良さそうに笑うシルヴィアとジョシュア。その前に、アーサーは改まった様子で袋を一つ差し出した。
「この場合、持参金はこちらが渡すのが良いだろうと判断した。僅かだが、納めてもらいたい」
「いらないよ、アーサー。政略結婚ではないんだ」
「だが……」
アーサーはそれでも何かをと思っているのだろう。それに、出した物を簡単に引っ込める事もできない。が、ジョシュアも受け取るつもりはない様子。どうしたものかと思ったが、そこはジョシュアが早かった。
「では、これにこちらも上乗せして、二人に贈ると言う事でどうだろうか?」
「ん?」
「二人とも、実家に頼ってくれなくてね。自分たちで出し合うといって聞かないんだ」
「あぁ、そういえばそうだな」
「いくら基本的な生活は保障されていても、持ち出しが多いのは当然だ。ならばこのお金は若い二人へのお祝いとして贈り、今後の事に役立ててもらうのが有意義ではないかな?」
そう言うと、ジョシュアも一つ袋を前に出す。一応は用意していたのだろう。大きさも同じくらいだ。
「なんだ、お前も用意していたのか」
「一応はね。この場合、どちらが上も下もない。お前が出してきたらこういうことにしようと思っていたさ」
「そういうことなら事前に連絡をしろ」
すっかりいつも通りのアーサーとジョシュア。そしてそれぞれが用意した袋はそのまま、ランバートとファウストの前に置かれた。
「「……え」」
「ということで、お祝いだ。有意義に自分たちの為に使いなさい」
「お前もだぞ、ファウスト。ランバートの為に使いなさい」
置かれた袋を互いに手に取れずに真顔で顔を見合わせた。だって、この袋の中が全部金貨とするならば、どれだけだ。おそらくこれだけで百フェリス(約100万)はあるだろう。この大金をどうしろと。
だが、受け取らないわけにもいかない視線。手に持った瞬間の重さはなかなかだ。
改めて、実家の金銭感覚のズレを感じた瞬間だった。
程なくして最初の料理が運ばれてきて、食事会となった。そうなると雰囲気ももう少し砕けてくる。ジョシュアは上機嫌でワインを飲んでいるし、アーサーもそれなりだ。
「なぁ、アーサー。息子達もこんな感じだ、私たちも旧交を温めないかい?」
ワイン片手にそんな事を言うジョシュアに、アーサーは僅かに視線を上げた。
「老い先短いジジイが二人集まって何をしようというんだ」
「まだ先が短いと決まったわけじゃありません。失礼だな、相変わらず」
「ふん」
「まぁ、なんだ。たまに話をしようという誘いさ。懐かしい話もあるだろ?」
「お前は暇じゃないだろ」
「お互い様だろ?」
珍しく食い下がるジョシュアに、アーサーは溜息をつく。が、顔を見れば分かる。嫌なんじゃなくて、素直になれないだけなんだと。
「まぁ、たまにならな」
「あぁ。アリアちゃんもおいで、昔話をしてあげよう」
「あっ、はい! 是非!」
「アリア、こいつの話は聞かなくていい! ろくな事はないぞ」
「おや? 黒歴史が娘に知れるのは恥ずかしいのかな?」
「当たり前だ! お前だって散々な事をしていたのを息子に言えるのか!」
「えー、どうかな? ランバート、知りたい?」
「胃が痛くなりそうなので結構です」
「だってー」
楽しそうだ、父上。
上機嫌な父と、知っているよりも言葉数の多いアーサー。それを、ファウストも感じている。「静かな食事会になりそうだ」なんて話していたのに今ここは、とても沢山の笑い声に溢れている。
正面のファウストと目が合って、互いに笑った。
なんて幸せな新年なのだろうね?
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