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2章:一家集団殺人事件

1話:小さな嘘(シウス)

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『うわぁぁぁ!』

 心地よい午後の微睡みを破る声と共に、ガサガサと頭上でした音。見上げた次に飛び込んできたあどけない表情のその子は、明るいライトブラウンの瞳で私を見つめていた。

『ごめんなさい! 訓練中に落ちてしまって……怪我、ありませんか!』

 押し倒された私を見下ろす泣きそうな表情がとても愛らしいと思った。

 あれから四年。全てはあの時からだったのだ。



 王都に蔓延した結婚ブームも年が明ける頃には落ち着いた。騎士団内では未だに少々お花畑な奴等もいるが、仕事に張り合いが出ているのか今の所プラスになっている。

 新年一月二日、シウスはラウルと共に彼の生家を訪れようとしている。

「あの、本当に来るんですか?」

 本日何度目か分からないこのやりとりに、シウスは多少の疑問と心苦しさを感じている。

「いけないのかえ?」
「そういうんじゃ……」

 ラウルはそこから先をなかなか話してはくれない。

 シウスはラウルに結婚を迫っている。それというのも付き合って一年の間に、シウスはラウルに宣言していた。ラウルが二十歳になれば結婚しようと。
 最初は自信がなかった。エル族という特殊な身の上であるシウスを受け入れてくれるか。人ならざる者の声を聞くシウスを、気味悪いと言う者が多い。ラウルも、そうかもしれない。そう思っていた。ようは、別れる事をどこかで想定していたのだ。
 だが、ラウルはそうではなかった。エルの誘拐事件を共にしたラウルは、シウスの出自などを知っても嫌わずに受け入れてくれた。

 嬉しかった。嫌われすぎて、それが当たり前だと思っていた。知れば離れると思っていた。だからこそ、側にいてくれる彼が愛しい。

 自らに課した猶予は徐々に苦痛になった。周囲が幸せお花畑だというのに、シウスは自らにした枷を取れずにいる。

 だがそれも後少し。今年、ラウルは約束の二十歳になる。背も伸びて、少年から青年に成長してきている。

 なのに最近、ラウルはこの話が出ると逃げる。いつものように側にいるのに、結婚しよう、一度挨拶に伺いたいと言えば途端に歯切れが悪くなってしまう。

 拒まれている? 何か、隠したい事があるのだろう。

 小さな棘がシウスを攻撃し続けている。そのせいか、最近眠りが浅い気がする。


 ラウルと共に訪れたのは上東地区と呼ばれる、古くからある庶民の町だ。
 ここは下町のような新しい土地ではなく、昔から庶民が暮らす穏やかな土地だ。下町のような活気も、西地区のような華やかさもないが、どこか懐かしい庶民的な雰囲気は落ち着ける。

 どんどんと奥へと向かうラウルは、やがて一つの教会の前で足を止めた。
 古い教会だが、手入れがきちんとされている。鉄柵もしっかりしていた。

「ラウル、ここは……」

 言いかけた時、庭で遊んでいたらしい子供の一人がラウルを見つけ、パッと表情を明るくする。

「あっ、ラウル兄ちゃんだ!」
「ラウル兄ちゃん!」

 一人が声を上げればあっという間。次から次へと子供達が集まってくる。
 ラウルは柵を開けて中に入ると、飛びついてくる子供達を受け止めて笑っていた。

「大きくなったね、みんな」
「へへっ、そうでしょ?」

 そんな事を言いながらじゃれる子供とラウルを呆然と見ているシウスへ、ラウルの視線が向けられた。

「黙っていて、ごめんなさい。ここが僕の家なんです」
「教会が?」
「はい。僕は……孤児なんです」

 申し訳なく悲しげなラウルの言葉に、シウスは目を丸くしていた。
 知らなかった。庶民出であることは分かっていたが、まさか孤児だったとは。もし本当にそうならば、この子はとても才能豊かだったのだ。教会でも教育はするが、騎士団のレベルまでくるには相当の努力が必要だ。

 これが、ラウルの隠したかった事なのか? だとしたら何の問題がある。

「ラウル兄ちゃん、この人誰?」

 不思議そうにする子供達を見て、シウスはやんわりと微笑み中に入る。そして、子供達の視線に合わせるためにしゃがんだ。

「ラウル兄ちゃんの友人で、シウスじゃ。私も仲間に入れてくれるかのぉ?」

 ラウルの驚いた顔は、次に明るい笑みに変わる。久々に見る憂いの無い表情にシウスも嬉しくなる。

「シウス兄ちゃん?」
「そうじゃ、シウス兄ちゃんじゃ」
「変な話し方!」
「あっ、コラ!」

 子供達がはやし立て、ラウルが怒り、シウスが笑う。笑い声を上げながら散り散りに走る子供達が庭へと雪崩れ込む、それと入れ違いに一人のシスターがこちらへと近づいてきた。

 年の頃は六十代近いだろうか。黒い瞳で皺が多いそのシスターはシウスを見て一礼した。

「貴方が、シウス様でしょうか?」
「え? えぇ」

 立ち上がったシウスに、シスターは落ち着いた様子で頷いている。シウスの目を見て、そして安心した笑みを見せた。

「紹介が遅れました。私はこの教会のシスターで、ドロシアと申します。ラウルがいつもお世話になっております」
「あっ、初めまして! 騎士団のシウスと申します。こちらこそ、ラウル君とは親しくさせて頂いております」

 緊張から、つい貴族連中と話すような帝国語で挨拶をしたシウスにラウルは驚き、次には破顔する。途端に気恥ずかしく、シウスは赤くなってしまった。

「シウス様、緊張してる?」
「それは、勿論じゃ。お前の母に挨拶をしておるのだから」

 当然じゃないかと言うシウスに、シスタードロシアも笑い、皺の多い目元を和らげている。
 なんとも厳しそうで、かつ優しげな女性だ。年齢を重ねながらも矍鑠とし、慈悲深く感じる。貴族の老婦人でもなかなかこのような女性は珍しいものだ。

「宜しければ中へどうぞ」

 先を歩くドロシアに続いて、シウスとラウルも教会の中へと入っていった。


 教会の奥にある院長室のソファーに腰を下ろしたシウスは、出されたお茶を飲みながら外で遊ぶ子供達を見ている。丁度雪合戦が始まった所だ。

「驚かれたでしょ?」
「え?」

 お土産の焼き菓子が出される音と共に、ドロシアが苦笑している。ラウルもどこかバツの悪い顔をしている。

「何が、でしょうか?」
「この子、教会出身だと貴方に明かしていなかったのではありませんか?」
「あぁ」

 確かにそれは初耳だった。
 ラウルは俯きながらもチラチラとシウスの顔を見ている。どんな反応が返ってくるのか恐れているように。
 だがこれが、何の問題になるというのだろう。教会の孤児院育ちだから何か問題があるのか。そんな事は当然ないはずだ。
 ニッコリと笑みを浮かべたシウスは、愛しげに瞳を細めラウルの頭を撫でる。見上げてくるライトブラウンの瞳に浮かぶ不安全てを、シウスは拭い去ってやりたかった。

「驚きはしましたが、何の問題があろうことか。この子はこの子です。私が愛する、ただ一人の子です」
「シウス様」

 愛らしい瞳が丸く見開かれ、次には嬉しそうにクシャリとする。許されるならば今ここで抱きしめて、愛していると囁きながらキスをしてやりたいのだが……流石にその度胸はない。
 ドロシアのほうは嬉しそうな笑みを浮かべて頷いている。

「嫌ではありませんか? 貴族の、しかも地位のある方が教会育ちの孤児を気に留めているだなんて」
「生憎、私は貴族とは名ばかりの野生育ち。エルの民は森に住み、集落全体で子を育てる大所帯。故に、このように子供が多く賑やかな場の方が懐かしいくらいじゃ。それに、孤児であろうとこの子が真っ当に育った事は、普段の彼を見ていれば分かる事。なんぞ、問題などあるものか」

 ラウルはとても真っ直ぐな子だ。優しく、芯があり、そして度量の大きな子だ。

 だが隣のラウルは途端に萎れていく。どうして今、このような顔をするのか。

 分からない。ラウルの憂いはこれではないのか? 他にも何か、言えぬ事があるのか。それに、クラウルがラウルの入団時の事を明かさぬ事も気になっている。入団理由や、経緯もあるはずなのに。

 何かがずれている。それを感じているのに踏み込めないシウスはそれでもラウルを離せない。愛している。これだけはどんなに時が経とうと、秘密を知ろうと変わらないのだから。

「シスタードロシア」

 シウスの硬い声に、ドロシアは視線を向ける。緊張した空気を感じたのか、ラウルも隣で緊張したように思う。

「私はこの子をもらい受けたい。この子との結婚を考えている」
「シウス様……」
「生涯、この子だけを大切にすると誓う。この子が大切にしているこの教会も、共に大切にして行ければと思っている。どうか、お許しを頂きたい」

 きっちりと頭を下げたシウスに対し、ドロシアは静かに頷いて、次に隣のラウルへと視線を向けた。

「お前はどう思っているのです、ラウル」
「あの、僕は……」
「結婚となれば、思う事を言い合うくらいでなければなりません。貴方は、シウスさんとの今後をどのように考えているのですか?」

 ラウルは俯き、膝の上で手を握ったまま暫く言葉がない。今にも泣き出しそうな顔を見ると胸が痛む。本当に、拒まれているのかと。

「もう少し、考えたいです」
「ラウル……」
「シウス様の事が嫌いなんじゃなくて! 僕自身の事なんです。もう少し、整理をつけたいんです。ごめんなさい、シウス様」

 大きなライトブラウンの瞳から、今にも涙がこぼれてしまいそうだった。その目元をシウスは優しく拭ってやる。
 胸は痛む。苦しくもある。だが最初に自分勝手で待たせたのはシウスだ。

「分かった、待とう」
「いい、んですか?」
「急く事ではないからの」

 言えば、ようやく曇った瞳に明るさが戻る。微笑んだ愛らしい唇に思わずキスをすると、ラウルは真っ赤になって俯いてしまった。


 その後、子供達にせっつかれるようにラウルは庭に出て雪だるまを作っている。それを見つめながら、シウスは複雑だった。
 拒まれているのではない。ラウル自身の問題。どんな問題を抱えているのか。孤児というのを気にしているのか? それとも、もっと違う事なのか?
 調べられれば良いのに、その材料をラウルも、そしてクラウルも教えてくれない。情報があり、それを調べ、対策をするのが宰相府。そもそもの材料である情報を隠されてはどうする事もできない。

 何度目かの溜息。その隣りに、人が座った。

「あの子は頑固でしょう?」
「シスタードロシア」
「昔から、皆のお兄さんなのですよ。我慢強くて、大事な事は辛くてもなかなか言わないのです」

 シウスはゆっくりと頷く。
 ラウルはいつも他人の事に一生懸命で、自分の事はあまり言わない。甘えてくるのも恥ずかしそうにしている。辛いという言葉を、あまり聞いた事がない。

「ラウルはずっと、この教会で?」
「ある春の日、この教会の前にバスケットに入れられて。名前もつけられていなかったので、この教会でつけたのです。それから十四歳まで、ずっと」
「十四まで?」

 シウスは首を傾げる。ラウルが騎士団に入ったのは十七歳。だからそれまで教会にいたのだと思った。
 だがドロシアは首を横に振る。どこか心配そうな瞳が、笑顔で子供と戯れるラウルへと向けられている。

「教会では十四で仕事を探し始めるように言うのです。成人したら出なければなりませんからね。その前に仕事をする事を覚えるのです」
「あぁ、なるほど」

 確かにそれは大事だろう。何の仕事の経験もなく突然住む場所をなくしては路頭に迷う。そうならない為の事だ。

「中には職人の家に住み込む子もいましてね。そういう子は十四で教会を出ていきます」
「ラウルも?」
「えぇ。けれどあの子、騎士になるまで一度もこの教会に顔を出さなかったのです」
「え?」

 一度も? こんなにも子供達を思っているのに?

 妙な違和感と、こみ上げる不安。十四歳から十七歳までの三年の空白。この間、ラウルは何をしていたのだろう。

「普通は十四で住み込んでも、休みの時や祭りの時には顔を出して近況を話したり、悩みを打ち明けに来る子が大半。まぁ、中には地方に出て戻ってくる事の少ない子もおりますが、それでも一年に一度くらいは顔を出すものです。ですがラウルは三年の間、一度も顔を出した事がありません」
「……失礼ですがシスター。この教会では騎士になれる程の教育をしておりますか?」
「……いいえ。ですが個人の時間をそのように費やす子もおります。ラウルは勉強熱心で努力家ですから、あるいは」

 もしくは空白の三年に、何かがあったのか。

「シウス様!」

 無邪気な笑みを見せるラウルを見て手を振るシウスの心中は、この時不安でいっぱいになっていた。
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