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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦
2話:打ち棄てられた村(ハクイン)
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これから三日、マーロウは寝倒した。もの凄く燃費が悪いし、起きてからも一日ぼへーっとしていた。
食事は肉とパンが主食で、野菜がもの凄く少ない。しかも量が少ない……と思ったら、恐ろしいほど糖分は取っている。紅茶に角砂糖を最低三つは入れている。五個入れた時には紅茶飲んでるのか紅茶味の砂糖を食べているのか分からない状態だった。
なのに、添えられた人参ケーキは食べなかった。
そんなこんなで一週間ほどの足止めを食らった後、フェレスの案内でようやく森に入ったのだが……それもまた異様な感じがした。
「えっ、なにそれ?」
ガタイのいいドゥーガルドが背中に何か背負っている。背負の椅子みたいなので、お尻の部分と背中には柔らかい布が巻き付けてあった。
「背負子。足場の悪いところで怪我人を搬送するのに使うんだ」
「いや、それは知ってるんですけど」
同行の第四の隊員が教えてくれたのだが、流石にそれは分かっている。問題はどうしてそんなものが必要なのかだ。ここに怪我人はいないし。
まぁ、予想はつくんだけれど。
当然のようにマーロウが来て、その椅子に座る。そして一言「座り心地悪いな」と呟いた。
「文句言うなよ。お前の為に多少良くしたんだぞ」
「んっ、努力は分かるから有り難う。でも、乗り物嫌いなのは仕方がない。酔う」
「本来は歩くんだからな」
「森抜ける前に力尽きるけど」
グリフィスとのやりとりがもう凄い。この人にこれだけ言える人って、師団長や団長のほかは限られているんじゃないだろうか。
なんにしても出発した。ドゥーガルドに担がれたマーロウは最初こそ不快そうだったが、暫くするとウトウトし始めていた。
「君、すっごく安定してる。悪くないなー」
「ってか、マーロウ様軽すぎません?」
「ん? 五十二キロだよー」
「かる!!」
言ってはなんだが、マーロウの身長は一六八センチはある。低身長のハクインやチェルルならまだしも、この身長で五十二キロは軽すぎるだろ。
「あぁ、その背負子が改良されて、腰とか肩とかに負担のかからないものになってるのもあるよー」
「え?」
「腰のベルトで腰で支えられるし、肩や腰が当たる部分には柔らかくて弾力のある素材が使われてる。しかも肩の背負い紐の部分を太くしてあるし、ズレないように前に互いのベルトを固定するベルトがついてる。楽でしょ?」
「確かに……」
ドゥーガルドは自分の体をマジマジと見る。
確かにもの凄く頑丈な、ある意味雁字搦めのようなベルトの多さだ。
従来のものは肩で担ぐが、これは腰にも固定具がある。更に両肩の紐がズレないように互いを固定するベルトが胸の前にある。
更に言えば背負われているマーロウも肩と腰をベルトで固定されている。
「試作品なんだ。使い心地良ければもう少し数を増やして臨床して、安全性とか証明されたら市販もされる予定」
「……ん? これ、誰が作ったの?」
「俺だけど」
「……は?」
これにはドゥーガルドも、ハクインも目を丸くしている。
「一から作るのは無理だけどね。こうしたら使いやすいのにとか、あるでしょ? そういうの改良するの、好き」
チェルルの話で凄い人だと思っていたけれど、なんだか色々と意外な事をしている人っぽかった。
程なくして、フェレスは一つの洞穴の中に入っていく。夏が近い季節なのに肌寒いくらいで、ハクインは自分の体を摩った。
「この洞窟の先が、ラン・カレイユに通じてる。知ってる奴はいないと思うぜ」
「どうしてそういうのを、あの冬の日に教えてくれなかったのさ」
寒い思いをしたレイバンが不服を言っている。だが、フェレスは平然とした様子でその理由を語った。
「冬に通れない理由があるんだよ」
道はドンドン奥へと続いていく。その度に、寒くなっている気がする。
「寒い。多分、ちょっとずつ地下に向かってる」
「そうなのか?」
ドゥーガルドが疑問そうにしていたけれど、ハクインも疑問だ。そんな風には思えなかったからだ。
「宰相さんは敏感だな。ここは黄泉の穴と言われていて、地下へとゆっくり降りていく」
「冬から春にここを通れないのって、だから?」
「あぁ、そうだよ」
「?」
あまり分からないが、その理由はすぐに目の前に現れた。
「地底湖!」
目の前に広がっていたのは広大な地底湖だ。透明度が高い水の底は見える。多分、腰くらいまでだ。天井はあまり高くなくて、長身のグリフィスやドゥーガルドだとギリギリ通れるくらいだ。
「冬はマイナス二〇度だが、水は凍りづらい。この寒さで水に入ったら死ぬ。それに春先の三月から四月は雪解け水が大量に入り込んで水没する。これでも水位が高いが、通れない事はない」
「マイナス二〇度って死ぬし!」
「だから案内しなかっただろ」
明確に理由が分かったレイバンは、そろそろと水に手を浸して「つめた!」と急いで手を引っ込めている。
「雪解け水か。いかだ頼む!」
後続で荷物を運んでいた隊員が丸太を運んでいて、それをテキパキと縄で縛り始める。ただの丸太はあっというまにいかだになった。
そしてそこに真っ先に乗り込むマーロウ。猫の様に蹲った。
「いいの、あれ?」
「しかたねーだろ。あいつをこの水に入れてみろ、心臓発作でおっ死ぬぞ」
想像が容易なため、誰も咎められなかった。
フェレスとはここで別れ、騎士団は冷たい地底湖を越えていく。幾つものいかだを引いた彼らは対岸に着くと濡れた衣服を絞り、上を目指す。濡れた衣服は冷たくて痛いくらいだが、閉鎖空間で火を焚く愚は誰も犯さない。
やがて明かりが見えた先は、確かにラン・カレイユ国境から十分な距離のある場所だった。
「休憩と服乾かせ」
グリフィスの言葉に全員が食事の準備や濡れた服を乾かし、新しい服を着る。そうして場は少しだけ賑やかになった。
その中でマーロウだけが集団から離れて行くのを見て、ハクインは立ち上がって後を追いかけてみた。なんとなく、一人は危ない気がしたのだ。
彼は少しだけ歩いて……時々力尽きている。見ていられなくて近づいていくと、不健康そうな顔で振り向いて「肩貸して」と普通に言ってきた。
この人、きっと一人で生きていけないだろうな。
やがて求められるポイントに出た。双眼鏡のその先には小さな村がある。だが、人の出入りはあまり無いように思えた。
「様子が変だ。まだ人の往来があってもいい。国境に近いし、規模からして人の出入りもありそうなのにそれがない。何かあるのか、国全体がおかしいのか」
「後者じゃない?」
「だと思う。様子を探りたい」
何となくこの「探りたい」はもう決定事項に思える。それを証拠にあれこれ呟いている。
「あの、俺行こうか?」
「君、得意?」
「うん。それに、チェルルにはこれまでも沢山動いてもらったし、少しくらい貢献しないと」
「じゃ、任せる。他に騎士団からも一人つける。じゃ、まず戻るからおんぶして」
「……できるかな?」
不安的中、おんぶしたら身長差とかもあって安定しない。よろよろしてたら探しに来たリオガンとグリフィスが手を貸してくれた。
そうして全員のいる場所に戻ったマーロウの決断は早く、早速一人の隊員がハクインと共に村に入る事になった。
同行しているのは黒髪でくせ毛で、耳の後ろ辺りで常に毛がひょこひょこ揺れている猫目の青年だった。名はフーエルという。どうやらドゥーガルドやレイバンと同期らしいが、あまりそんな気がしない人物だった。
彼と共に村に入ったハクインは、あまりの静けさに薄気味悪さを感じていた。まるで捨てられたようだ。だが、そうではない。村の中を人が歩いているし、店も開いている。にも関わらず、声が少ない。
「変な感じがするっす」
「うん、俺もそう思う。なんか、嫌」
辺りを見回せば、店先で買い物をしている女性は皆顔に生気がなく、疲れ果てている。それに全体的に若い人がいないように思える。
「あっ、子供」
「え?」
「子供が、いないっすよ」
言われ、はたと気付いてハクインは見回した。
村には子供がわりといるものだ。その声が、聞こえないのだ。
「……とりあえず、飯屋探そう」
言い知れぬ不気味さを感じながらも、ハクインとフーエルは村の食事処を目指すのだった。
食事処には多少の人はいたが、用意されている席の数に対しては閑散とした印象が拭えない。そしてやはり年齢が高めで、目に活力はなかった。
「いらっしゃい」
「あの、食事を」
「大した物はないが、構わんかい?」
店の主人らしい四〇代の男が問いかけてくる。それに頷き、カウンターに座った二人の前には野菜のスープにパンが置かれた。
食べると味は薄く、物寂しい。パンも少しパサついていてモソモソする。それをスープに付けて咀嚼して、そうして食べていった。
「あんたら、外の人かい?」
「え? あぁ。親戚の家に行くところで、普段はもっとド田舎なんだよ」
「そこら辺は、まだ徴兵されてないのかい?」
徴兵、という重い言葉に思わずパンが詰まりそうになる。それはフーエルも同じで、二人はギョッとした。
「なんだ、運が良かっただけかい」
「あの、それって……」
「どうもこうも、王様が死んだらあっという間さ。ジェームダルの薄気味悪い宰相がきて、若い奴らを根こそぎ連れて行きやがった。抵抗した奴は家族ごと人質に取られてな」
「そんな! 乱暴だ!」
「あぁ、そうさ。だが俺達に何ができる。結局村に残ったのはちっちぇ子供と年取った老いぼればっかだ。この国はきっと、このまま滅ぶんだろうよ」
吐き捨てる様な店主の言葉を肯定するように、店内の空気が重くなる。二人も一緒になって、重い気持ちになっていった。
「一部じゃ、連れて行かれた奴等も殺されたとか、なんかの実験台になったとか、強制労働させられてるとか言われてる。こっから少し行ったとこにある農村だって、今じゃ幽霊の巣窟だ」
「幽霊?」
「あぁ。ちっちゃい村で、五世帯ほどだったがな、あったんだよ。今じゃ動物が消えたとか、人のうめき声がするとか、白い影が見えるとか噂されて誰も近づかねぇ」
「祟りなんじゃないのか?」
店の中の住人も口々に言っている。それを聞いて、ハクインはもっと違う事を考えていた。
「なんにしても気をつけろよ。お前さん達くらいの奴を狩ってるって噂だ。見つかったら捕まって、戦争にぶち込まれるぞ」
「これならまだ、帝国のほうがましだな」
「んだな。あの国は新しい王様になってから随分いい国になったって話だしな」
「同じ敗戦なら、良心的な国のほうがましだ」
「姫様も行方知れずだ。この国はもうダメだ」
予想はしていたが、予想よりも酷い状況が一つ。予想していなかったキーワードが二つ。
ハクインの中ではこの「姫様」というのが引っかかった。
「姫様、行方不明のままなのか……」
「あぁ、死んだって話は聞かないし、実際晒されてないしな。他の王族は幼い王子様も含めて全部晒されたってのに」
「一部じゃ生きてるんじゃないかとか、色々言われてるが……どうなんだかな」
「あの姫様だけでも生きていてくれたら、この国は持ち直すかもしれないのにな」
その姫については知らない。だが民がこれほどに心を寄せる相手だ。きっと、いい相手なんだろう。
だがこのまま問い続けたら間違いなく疑われる。
スープが無くなったのを切っ掛けに、ハクインはジャラジャラと小銭で代金を払って店を出た。出る時に「夜は森の方が安全だぞ。宿には役人がいて、人狩りしてるって話だ」と教えてくれた。
その忠告に従い、フーエルと共に村を出て、皆が待っている森の中へとこっそり入っていった。
マーロウにこの事を報告すると、彼はどんより目のままブツブツ何かを言い、やがて結論を出した。
「姫に関してはさっき早便が届いたから知ってる。要救出者のリストに入った」
「早便?」
何の事だろうと思っていると、グリフィスが太い腕をグイッと前に出す。その腕には一羽の鷲が止まっていて、現在美味しそうに生肉を食いちぎっている。
「ポリテスの鷲」
「は?」
「あの人、鳥族と会話できるらしいから帝国との連絡頼んだ。砦に届いた報告を持って飛んでくれる。フェレスも会話はできるけど、親和性は低いっていうからより確かな方にお願いしておいた。有能ないい子だ」
こういう部分がエルの能力の驚きポイントだ。主のアルブレヒトはぶっ飛んで凄い人すぎて、ある意味「神の子」が頷ける感じだったけれど、それ以外のエルも何かしらの能力を持っているんだ。
「ラン・カレイユのイシュクイナ王女については、過去の報告にある。王族の中じゃ一番真っ当で、民の人気もあった英雄姫だよ」
「英雄姫?」
「騎士真っ青な剣士で、戦場に立って戦う姫様だって。性格は豪胆で明朗快活。過去、帝国と開戦一歩手前まで来ていた時にシウス様との交渉窓口になって王族内を収めた姫様。この人だけは信じられると、シウス様も仰っていた」
ブツブツ更に考えているマーロウの声は聞こえない。どうやら独り言を口にすることで考えをまとめているらしい。
「前線で分かったのは、対立している手強い騎士の一人が姫様付きの近衛騎士らしい。姫を人質に取ることで、近衛騎士を従わせているのか。そうなると、姫の奪還、もしくは死亡を明らかにすれば前線のパワーバランスが崩れるな。場合によっては一気に押し上げる事もできる。幸いジェームダル国内に目がいっている今、ラン・カレイユはザル。早期解決に持ち込むのが被害が少ないか」
ブツブツ言っているのが止まり、マーロウの目が上がる。どんより目が、少し鋭くなった。
「姫の救出を優先して考えたい。ただ、一般人が分かる情報は少ないと思う。監禁や、軍部の作戦に関わっていそうな奴を抑えたいから協力して」
「それは分かるが……」
「幽霊の出る農村がまず怪しい。多分それ、幽霊じゃないし」
「え?」
フーエルと共に顔を見合わせたハクインに、マーロウは溜息をついた。
「当たり前じゃないか。幽霊なんていないし、いたとしても簡単に見られない。だからこそ不気味なんじゃないか。普通に見えてるなら物珍しさもないだろ? それでも多くの人が幽霊を見ているなら、人間の可能性も大きいじゃないか」
「でも、祟り……」
「人がいないのは追い出された可能性がある。動物がいないのは環境が変わって動物が住めなくなった。つまり、何かしらの実験をしているか、人払いをしておきたい場所。もしかしたらこの辺で攫った人を監禁しているかもしれない。白い影はここに潜んでいる人間が白い服を着ている可能性がある。白服……一般的に考えると実験施設じゃないかと思うけれど、調査ができてないから明確な事は言えない」
一気に伝えたマーロウは、ハクインとフーエル、そしてチェルルを見て言った。
「誰か、この農村に忍び込んで調査して」
実に明快な指示だ。だからこそ、ハクインが手を上げた。
「俺が行くよ」
「ハクイン」
「チェルルは色々動いていただろ? 少し休んで、ここは俺にやらせてよ。戦闘力には乏しいけれど、こういう事は力になれるんだから」
先行してジェームダルに入り、アルブレヒトを助けてくれた。チェルルはとても頑張って今まで動いてくれている。だからこそ、ハクインも何かしらの力になりたい。戦闘となればあまり自信がないが、こうした潜入や潜伏、調査は得意なつもりだ。
「一人じゃ危ないから行かせられないな。フーエル、一緒に行け」
「うっす! ハクインさん、よろしく」
「ごめん、付き合わせて。よろしくお願い」
こうしてフーエルを相棒に、ハクインは幽霊農村への潜入へ向けて準備を開始するのだった。
食事は肉とパンが主食で、野菜がもの凄く少ない。しかも量が少ない……と思ったら、恐ろしいほど糖分は取っている。紅茶に角砂糖を最低三つは入れている。五個入れた時には紅茶飲んでるのか紅茶味の砂糖を食べているのか分からない状態だった。
なのに、添えられた人参ケーキは食べなかった。
そんなこんなで一週間ほどの足止めを食らった後、フェレスの案内でようやく森に入ったのだが……それもまた異様な感じがした。
「えっ、なにそれ?」
ガタイのいいドゥーガルドが背中に何か背負っている。背負の椅子みたいなので、お尻の部分と背中には柔らかい布が巻き付けてあった。
「背負子。足場の悪いところで怪我人を搬送するのに使うんだ」
「いや、それは知ってるんですけど」
同行の第四の隊員が教えてくれたのだが、流石にそれは分かっている。問題はどうしてそんなものが必要なのかだ。ここに怪我人はいないし。
まぁ、予想はつくんだけれど。
当然のようにマーロウが来て、その椅子に座る。そして一言「座り心地悪いな」と呟いた。
「文句言うなよ。お前の為に多少良くしたんだぞ」
「んっ、努力は分かるから有り難う。でも、乗り物嫌いなのは仕方がない。酔う」
「本来は歩くんだからな」
「森抜ける前に力尽きるけど」
グリフィスとのやりとりがもう凄い。この人にこれだけ言える人って、師団長や団長のほかは限られているんじゃないだろうか。
なんにしても出発した。ドゥーガルドに担がれたマーロウは最初こそ不快そうだったが、暫くするとウトウトし始めていた。
「君、すっごく安定してる。悪くないなー」
「ってか、マーロウ様軽すぎません?」
「ん? 五十二キロだよー」
「かる!!」
言ってはなんだが、マーロウの身長は一六八センチはある。低身長のハクインやチェルルならまだしも、この身長で五十二キロは軽すぎるだろ。
「あぁ、その背負子が改良されて、腰とか肩とかに負担のかからないものになってるのもあるよー」
「え?」
「腰のベルトで腰で支えられるし、肩や腰が当たる部分には柔らかくて弾力のある素材が使われてる。しかも肩の背負い紐の部分を太くしてあるし、ズレないように前に互いのベルトを固定するベルトがついてる。楽でしょ?」
「確かに……」
ドゥーガルドは自分の体をマジマジと見る。
確かにもの凄く頑丈な、ある意味雁字搦めのようなベルトの多さだ。
従来のものは肩で担ぐが、これは腰にも固定具がある。更に両肩の紐がズレないように互いを固定するベルトが胸の前にある。
更に言えば背負われているマーロウも肩と腰をベルトで固定されている。
「試作品なんだ。使い心地良ければもう少し数を増やして臨床して、安全性とか証明されたら市販もされる予定」
「……ん? これ、誰が作ったの?」
「俺だけど」
「……は?」
これにはドゥーガルドも、ハクインも目を丸くしている。
「一から作るのは無理だけどね。こうしたら使いやすいのにとか、あるでしょ? そういうの改良するの、好き」
チェルルの話で凄い人だと思っていたけれど、なんだか色々と意外な事をしている人っぽかった。
程なくして、フェレスは一つの洞穴の中に入っていく。夏が近い季節なのに肌寒いくらいで、ハクインは自分の体を摩った。
「この洞窟の先が、ラン・カレイユに通じてる。知ってる奴はいないと思うぜ」
「どうしてそういうのを、あの冬の日に教えてくれなかったのさ」
寒い思いをしたレイバンが不服を言っている。だが、フェレスは平然とした様子でその理由を語った。
「冬に通れない理由があるんだよ」
道はドンドン奥へと続いていく。その度に、寒くなっている気がする。
「寒い。多分、ちょっとずつ地下に向かってる」
「そうなのか?」
ドゥーガルドが疑問そうにしていたけれど、ハクインも疑問だ。そんな風には思えなかったからだ。
「宰相さんは敏感だな。ここは黄泉の穴と言われていて、地下へとゆっくり降りていく」
「冬から春にここを通れないのって、だから?」
「あぁ、そうだよ」
「?」
あまり分からないが、その理由はすぐに目の前に現れた。
「地底湖!」
目の前に広がっていたのは広大な地底湖だ。透明度が高い水の底は見える。多分、腰くらいまでだ。天井はあまり高くなくて、長身のグリフィスやドゥーガルドだとギリギリ通れるくらいだ。
「冬はマイナス二〇度だが、水は凍りづらい。この寒さで水に入ったら死ぬ。それに春先の三月から四月は雪解け水が大量に入り込んで水没する。これでも水位が高いが、通れない事はない」
「マイナス二〇度って死ぬし!」
「だから案内しなかっただろ」
明確に理由が分かったレイバンは、そろそろと水に手を浸して「つめた!」と急いで手を引っ込めている。
「雪解け水か。いかだ頼む!」
後続で荷物を運んでいた隊員が丸太を運んでいて、それをテキパキと縄で縛り始める。ただの丸太はあっというまにいかだになった。
そしてそこに真っ先に乗り込むマーロウ。猫の様に蹲った。
「いいの、あれ?」
「しかたねーだろ。あいつをこの水に入れてみろ、心臓発作でおっ死ぬぞ」
想像が容易なため、誰も咎められなかった。
フェレスとはここで別れ、騎士団は冷たい地底湖を越えていく。幾つものいかだを引いた彼らは対岸に着くと濡れた衣服を絞り、上を目指す。濡れた衣服は冷たくて痛いくらいだが、閉鎖空間で火を焚く愚は誰も犯さない。
やがて明かりが見えた先は、確かにラン・カレイユ国境から十分な距離のある場所だった。
「休憩と服乾かせ」
グリフィスの言葉に全員が食事の準備や濡れた服を乾かし、新しい服を着る。そうして場は少しだけ賑やかになった。
その中でマーロウだけが集団から離れて行くのを見て、ハクインは立ち上がって後を追いかけてみた。なんとなく、一人は危ない気がしたのだ。
彼は少しだけ歩いて……時々力尽きている。見ていられなくて近づいていくと、不健康そうな顔で振り向いて「肩貸して」と普通に言ってきた。
この人、きっと一人で生きていけないだろうな。
やがて求められるポイントに出た。双眼鏡のその先には小さな村がある。だが、人の出入りはあまり無いように思えた。
「様子が変だ。まだ人の往来があってもいい。国境に近いし、規模からして人の出入りもありそうなのにそれがない。何かあるのか、国全体がおかしいのか」
「後者じゃない?」
「だと思う。様子を探りたい」
何となくこの「探りたい」はもう決定事項に思える。それを証拠にあれこれ呟いている。
「あの、俺行こうか?」
「君、得意?」
「うん。それに、チェルルにはこれまでも沢山動いてもらったし、少しくらい貢献しないと」
「じゃ、任せる。他に騎士団からも一人つける。じゃ、まず戻るからおんぶして」
「……できるかな?」
不安的中、おんぶしたら身長差とかもあって安定しない。よろよろしてたら探しに来たリオガンとグリフィスが手を貸してくれた。
そうして全員のいる場所に戻ったマーロウの決断は早く、早速一人の隊員がハクインと共に村に入る事になった。
同行しているのは黒髪でくせ毛で、耳の後ろ辺りで常に毛がひょこひょこ揺れている猫目の青年だった。名はフーエルという。どうやらドゥーガルドやレイバンと同期らしいが、あまりそんな気がしない人物だった。
彼と共に村に入ったハクインは、あまりの静けさに薄気味悪さを感じていた。まるで捨てられたようだ。だが、そうではない。村の中を人が歩いているし、店も開いている。にも関わらず、声が少ない。
「変な感じがするっす」
「うん、俺もそう思う。なんか、嫌」
辺りを見回せば、店先で買い物をしている女性は皆顔に生気がなく、疲れ果てている。それに全体的に若い人がいないように思える。
「あっ、子供」
「え?」
「子供が、いないっすよ」
言われ、はたと気付いてハクインは見回した。
村には子供がわりといるものだ。その声が、聞こえないのだ。
「……とりあえず、飯屋探そう」
言い知れぬ不気味さを感じながらも、ハクインとフーエルは村の食事処を目指すのだった。
食事処には多少の人はいたが、用意されている席の数に対しては閑散とした印象が拭えない。そしてやはり年齢が高めで、目に活力はなかった。
「いらっしゃい」
「あの、食事を」
「大した物はないが、構わんかい?」
店の主人らしい四〇代の男が問いかけてくる。それに頷き、カウンターに座った二人の前には野菜のスープにパンが置かれた。
食べると味は薄く、物寂しい。パンも少しパサついていてモソモソする。それをスープに付けて咀嚼して、そうして食べていった。
「あんたら、外の人かい?」
「え? あぁ。親戚の家に行くところで、普段はもっとド田舎なんだよ」
「そこら辺は、まだ徴兵されてないのかい?」
徴兵、という重い言葉に思わずパンが詰まりそうになる。それはフーエルも同じで、二人はギョッとした。
「なんだ、運が良かっただけかい」
「あの、それって……」
「どうもこうも、王様が死んだらあっという間さ。ジェームダルの薄気味悪い宰相がきて、若い奴らを根こそぎ連れて行きやがった。抵抗した奴は家族ごと人質に取られてな」
「そんな! 乱暴だ!」
「あぁ、そうさ。だが俺達に何ができる。結局村に残ったのはちっちぇ子供と年取った老いぼればっかだ。この国はきっと、このまま滅ぶんだろうよ」
吐き捨てる様な店主の言葉を肯定するように、店内の空気が重くなる。二人も一緒になって、重い気持ちになっていった。
「一部じゃ、連れて行かれた奴等も殺されたとか、なんかの実験台になったとか、強制労働させられてるとか言われてる。こっから少し行ったとこにある農村だって、今じゃ幽霊の巣窟だ」
「幽霊?」
「あぁ。ちっちゃい村で、五世帯ほどだったがな、あったんだよ。今じゃ動物が消えたとか、人のうめき声がするとか、白い影が見えるとか噂されて誰も近づかねぇ」
「祟りなんじゃないのか?」
店の中の住人も口々に言っている。それを聞いて、ハクインはもっと違う事を考えていた。
「なんにしても気をつけろよ。お前さん達くらいの奴を狩ってるって噂だ。見つかったら捕まって、戦争にぶち込まれるぞ」
「これならまだ、帝国のほうがましだな」
「んだな。あの国は新しい王様になってから随分いい国になったって話だしな」
「同じ敗戦なら、良心的な国のほうがましだ」
「姫様も行方知れずだ。この国はもうダメだ」
予想はしていたが、予想よりも酷い状況が一つ。予想していなかったキーワードが二つ。
ハクインの中ではこの「姫様」というのが引っかかった。
「姫様、行方不明のままなのか……」
「あぁ、死んだって話は聞かないし、実際晒されてないしな。他の王族は幼い王子様も含めて全部晒されたってのに」
「一部じゃ生きてるんじゃないかとか、色々言われてるが……どうなんだかな」
「あの姫様だけでも生きていてくれたら、この国は持ち直すかもしれないのにな」
その姫については知らない。だが民がこれほどに心を寄せる相手だ。きっと、いい相手なんだろう。
だがこのまま問い続けたら間違いなく疑われる。
スープが無くなったのを切っ掛けに、ハクインはジャラジャラと小銭で代金を払って店を出た。出る時に「夜は森の方が安全だぞ。宿には役人がいて、人狩りしてるって話だ」と教えてくれた。
その忠告に従い、フーエルと共に村を出て、皆が待っている森の中へとこっそり入っていった。
マーロウにこの事を報告すると、彼はどんより目のままブツブツ何かを言い、やがて結論を出した。
「姫に関してはさっき早便が届いたから知ってる。要救出者のリストに入った」
「早便?」
何の事だろうと思っていると、グリフィスが太い腕をグイッと前に出す。その腕には一羽の鷲が止まっていて、現在美味しそうに生肉を食いちぎっている。
「ポリテスの鷲」
「は?」
「あの人、鳥族と会話できるらしいから帝国との連絡頼んだ。砦に届いた報告を持って飛んでくれる。フェレスも会話はできるけど、親和性は低いっていうからより確かな方にお願いしておいた。有能ないい子だ」
こういう部分がエルの能力の驚きポイントだ。主のアルブレヒトはぶっ飛んで凄い人すぎて、ある意味「神の子」が頷ける感じだったけれど、それ以外のエルも何かしらの能力を持っているんだ。
「ラン・カレイユのイシュクイナ王女については、過去の報告にある。王族の中じゃ一番真っ当で、民の人気もあった英雄姫だよ」
「英雄姫?」
「騎士真っ青な剣士で、戦場に立って戦う姫様だって。性格は豪胆で明朗快活。過去、帝国と開戦一歩手前まで来ていた時にシウス様との交渉窓口になって王族内を収めた姫様。この人だけは信じられると、シウス様も仰っていた」
ブツブツ更に考えているマーロウの声は聞こえない。どうやら独り言を口にすることで考えをまとめているらしい。
「前線で分かったのは、対立している手強い騎士の一人が姫様付きの近衛騎士らしい。姫を人質に取ることで、近衛騎士を従わせているのか。そうなると、姫の奪還、もしくは死亡を明らかにすれば前線のパワーバランスが崩れるな。場合によっては一気に押し上げる事もできる。幸いジェームダル国内に目がいっている今、ラン・カレイユはザル。早期解決に持ち込むのが被害が少ないか」
ブツブツ言っているのが止まり、マーロウの目が上がる。どんより目が、少し鋭くなった。
「姫の救出を優先して考えたい。ただ、一般人が分かる情報は少ないと思う。監禁や、軍部の作戦に関わっていそうな奴を抑えたいから協力して」
「それは分かるが……」
「幽霊の出る農村がまず怪しい。多分それ、幽霊じゃないし」
「え?」
フーエルと共に顔を見合わせたハクインに、マーロウは溜息をついた。
「当たり前じゃないか。幽霊なんていないし、いたとしても簡単に見られない。だからこそ不気味なんじゃないか。普通に見えてるなら物珍しさもないだろ? それでも多くの人が幽霊を見ているなら、人間の可能性も大きいじゃないか」
「でも、祟り……」
「人がいないのは追い出された可能性がある。動物がいないのは環境が変わって動物が住めなくなった。つまり、何かしらの実験をしているか、人払いをしておきたい場所。もしかしたらこの辺で攫った人を監禁しているかもしれない。白い影はここに潜んでいる人間が白い服を着ている可能性がある。白服……一般的に考えると実験施設じゃないかと思うけれど、調査ができてないから明確な事は言えない」
一気に伝えたマーロウは、ハクインとフーエル、そしてチェルルを見て言った。
「誰か、この農村に忍び込んで調査して」
実に明快な指示だ。だからこそ、ハクインが手を上げた。
「俺が行くよ」
「ハクイン」
「チェルルは色々動いていただろ? 少し休んで、ここは俺にやらせてよ。戦闘力には乏しいけれど、こういう事は力になれるんだから」
先行してジェームダルに入り、アルブレヒトを助けてくれた。チェルルはとても頑張って今まで動いてくれている。だからこそ、ハクインも何かしらの力になりたい。戦闘となればあまり自信がないが、こうした潜入や潜伏、調査は得意なつもりだ。
「一人じゃ危ないから行かせられないな。フーエル、一緒に行け」
「うっす! ハクインさん、よろしく」
「ごめん、付き合わせて。よろしくお願い」
こうしてフーエルを相棒に、ハクインは幽霊農村への潜入へ向けて準備を開始するのだった。
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