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13章:ラン・カレイユ人質救出作戦

4話:ハクイン救出作戦(リオガン)

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 ハクインとフーエルが行ってから、数時間経っている。
 ずっと、落ち着かない。黙っていると余計に落ち着かなくて、リオガンは素振りをしている。体を動かして、気持ちを誤魔化しているだけだ。
 本当は、一緒に行けば良かったのかもしれない。でも、ハクインやチェルルほど隠れて行動というのが得意じゃない。少し、ぼんやりしたところがあって置いて行かれる事がある。迷惑かけたら、危ないから。

 そうしていると、不意にガサッと音がして手を止めて身構えた。こんな夜中に、誰? ハクインがいる農村側は見張りがいる。ここは、そことは場所がずれている。
 音がズルッと引きずるみたい。荒い息づかい。ガサッと重い音。

 手負い?

 思ったら体が動いていた。音の方へと急く気持ちのまま近づいていったら、草陰に全身ずぶ濡れのフーエルが震えながら立っていた。手に、革袋を持って。

「至急、救援、求めるっす」

 カチカチ歯を鳴らしながらそれだけを言ったフーエルはそのまま、リオガンの腕に倒れていってしまった。

 すぐに毛布にくるまれ、温かな飲み物を飲んだフーエルは何が起こったのかを全部話してくれた。
 そしてそれを聞いたリオガンは、怖くてずっと固まっていた。

 ハクインが、捕まった。農場は薬品の実験場で、帝国を攻撃するための毒を開発している。
 マーロウは革袋の中を改めている。瓶の蓋は布でグルグルに巻かれていて、瓶も革袋に入れられていて無事だった。無色透明な液体が、チャポンと揺れている。

「誰か、鼻のいい人いる?」
「お前」
「気管支も弱いから変なの吸い込むと気管支炎から肺炎起こすけどいい?」
「いいわけあるか! レイバン、頼む」

 レイバンが溜息交じりにきて、瓶の布を外して蓋を開け、手で扇いで臭いを確認している。けれど、首を傾げていた。

「臭い、しませんよ」
「無臭か。で、農場で作れるもの。色も透明。でも毒……」

 マーロウはブツブツ言いながら、第四の隊員に何かを頼んでいる。その隊員が持ってきてくれたのは、今日のご飯になった野ウサギの亡骸だった。お肉は美味しく食べて、その残った食べられない部分だった。

 マーロウは瓶を持って、見ている人全員の前で数滴、その兎の上に垂らした。
 途端、まるで焼け溶けるみたいに兎の毛皮が縮れて肉が爛れ、赤黒く変色して無残なものになっていった。

「うわぁぁぁ!」
「なんだこれ!」

 怖い。毒はずっと怖いと思ってたけれど、これはとっても怖い。固まっていると、マーロウは中身を揺らしながら蓋を閉じて布で巻いた。

「多分、硫酸系かな。しかも濃度が高い。なるほどね、これなら農場でも扱いがある」
「硫酸?」

 グリフィスは嫌な顔で問いかけているけれど、マーロウと第四師団は納得しているっぽかった。

「硫酸はわりとある薬物。稀釈して、建物の滅菌や殺菌に使う事が多い。農場なんかの建物の殺菌処理に使われる事も多い。一方で劇薬の一つ。見たとおり、服や肉を溶かす。高濃度の硫酸を溜め、そこに人を浸しておくと骨まで溶けるらしい。濃度と期間がかかるけどね。また、アルカリ性の薬品と混ぜると有毒ガスが出るという報告もある」
「もっ、もういい……」

 流石に全員、青い顔でそれ以上の解説を遮った。

「あいつらこんなのを帝国でばらまく気なのか」

 グリフィスが睨むように瓶を見るが、マーロウの見解は少し違っているようで黙る。そして、首を振った。

「こんなのばらまいたってたかが知れてる。肌にちょっと掛かったって人の命までは奪えないから。激痛だけど、治療可能だよ」
「じゃあ……」
「ただし、流れのない水に混ぜてそれを経口摂取した時には変わるかな」
「え?」

 何か、怖い事を言った。こんな、触っただけで焼け爛れるようなものを、飲む? そんな事をしたら、どうなるの?

「流れのある場所じゃ無理。だから川を汚染するにはもの凄い量を長期間垂れ流す必要がある。そんなのは無理。水源の豊富な池や泉も無理、量が足りない。簡単なのは水瓶や、水量の少ない飲料用井戸にぶちまける事。無味無臭で透明、気付かないで飲めば気管支や消化器官が炎症を起こす。原因が、分からない」
「おいおい、冗談じゃ……」
「また、あまり広くない屋内でアルカリの薬品と混ぜると有毒ガスが発生する。これ、凄いよ」
「冗談じゃねーぞ!」

 グリフィスが唸るように言う。本当にそんな事になったら、とても大変な事になる。沢山、人が死ぬ。
 それは、嫌だ。沢山迷惑をかけたから、これ以上はって思う。止められるなら、止めたい。悲惨な光景は、故郷を思い出してしまう。

「なんにしても推論は裏付けないと意味がない。ハクインを助けに行かないと」
「え?」

 思わぬ言葉にリオガンはマーロウを見てしまった。けれどマーロウの方がなんだか不服そうな顔をした。

「あのさ、君たち俺の事なんだと思ってるわけ?」
「あの……」
「仲間を助けに行くのに、異論があると思うわけ?」
「仲間、で、いいの?」
「そうでしょ」

 当然のような言葉に、グリフィスも驚いたように頷いている。仲間だって、思ってもらえている。嬉しくて、ちょっと苦しいくらいだった。

「腕に自信があって身の軽いのが数人中に入って撹乱して。第五、建物周囲を囲って出てきた奴を捕縛。リーダーっぽいのは殺さないように」

 単純明快な作戦。そこに、リオガンは手を上げた。

「僕が、行く」
「リオガン?」
「ハクインを、助けないと」

 いつも助けてくれたお兄ちゃんだった。助けられてばかりで……だから大きくなった今は、助けたい。この手で、取りもどしたい。

 マーロウの視線が険しくなった。そして、躊躇いの無い言葉が返ってきた。

「期待通りの結果は待ってないかもしれないけれど、いい?」
「え?」
「捕まって数時間。尋問なり拷問なりされていたら、生きてる可能性が下がる。無残な姿を見るかもしれないけど、覚悟できてる?」

 突きつけられた言葉に、息が詰まった。けれど、手を握り絞めて頷いた。
 マーロウの言葉は正しいと思う。捕まったら、喋らせようとすると思う。普通には喋らないとなれば、喋らせる方法をあれこれ試すに違いない。そんなの、数時間もいらない。指を折るのも、爪を剥がすのも、あっという間なんだ。

「俺もついてく」
「チェルル」
「ハクインは俺の弟分だ。助けにいく」
「そういう事なら、俺も付き合うよ」
「レイバン?」
「人手いるでしょ。あいつが捕まったなら、手強いのが居る可能性もあるしね」

 それぞれに、肩を叩かれた。そこから、勇気をもらえた。頷いて、いつの間にかできていた仲間に嬉しさを感じる。
 そして改めて思う。この人達を、もう二度と裏切らない。


 早朝の肌寒い中、第五師団の配備完了を待ってリオガン達三人は農場に堂々と押し入った。
 バン! とドアを乱暴に開けると、中にいた男達は一瞬何が起こったのか分からない様子で呆然としていた。けれど、そんなの待っていない。正面に飛んだリオガンはとりあえず正面の男数人を一気に斬り倒した。それでようやく、場が騒がしくなっていった。

「敵襲!!」

 叫んだ奴はチェルルが、逃げる奴は追わない。レイバンも嬉々として敵を斬り倒していく。そうして進むと、どうにも家の規模に対して人が多い気がした。

「人、多いな。これ、きっと地下とかあるよ」

 レイバンの言葉を裏付けるように、突然なんでもない部屋から人が飛び出してきたりしている。でも、全部なんて相手にしていない。向かってくるのだけ斬っていく。そのほとんどは首や腕、切り離すつもりだ。
 太い血管がある場所は、斬られると生きていたとしても失血の可能性がある。腕の付け根の関節を切り離すつもりで狙う。それで、十分だ。

 やがて大きなドアの先に、一人の男がいた。
 赤茶けた髪に、嫌な感じの笑み。その目が、チェルルに向かっている。

「まさか本当に生きているなんて。オレはラッキーだなぁ」

 舐めるような視線と声に、嫌な感じがする。そしてこの男から、ハクインの臭いがする。

 感じたら、止まらなかった。止める気なんてなかった。こいつがハクインを攫ったんだ!

 男は余裕そうに剣を握ったけれど、その動きはあまり速くない。キフラスに、時にランバートに相手をしてもらった。動きの予想も、硬いガードを破ることも、覚えた。

「なっ!」

 男の剣を弾くにはリオガンは軽い。けれど動きは予想できる。だから逸らした。そして空いた部分を狙って蹴り倒し、体勢を崩したところでダメ押しにもう一度顔面に頭突きをする。仰け反って倒れていく男の腕を剣で突き刺せば、男の目が恐怖に染まった。

「ダメだリオガン! そいつ殺すな!」
「!!」

 首を突こうとしていた手前で、リオガンは止まった。でも、息は荒く上がって瞳孔が細くなっている。
 こいつから、臭いがする。雄臭い臭い、ハクインの臭い、消毒の臭い、血の臭い。

「ハクイン、どこだ」

 男は目を見開きながらも口を割らない。知らないはずが無い。臭いがしている。

「どこだ!」
「ぎゃあぁぁぁ!」

 無事な方の腕にも剣を突き立てて、リオガンは叫びながら剣を捻る。ジワッと、アンモニアの臭いが混じった。

 ハクインが、何処かにいる。今も苦しんでいるかもしれない。助けを求めているかもしれない。思うと苦しい。とてもとても苦しくて、息ができなくなってしまう。
 それだけ、リオガンにとってハクインは大事な人なんだ。兄貴分ってハクインは言うけれど、リオガンはそうじゃない。同じ兄貴分でもチェルルに抱くものとは違う。
 チェルルには家族として、幸せになってもらいたい。
 でもハクインは、幸せにしたい。できれば、ずっと側にいて。

「そっちに隠し階段があるよ」

 レイバンの言葉に弾かれたように立ち上がったリオガンは、その階段を真っ直ぐに降りていく。人が二人通れないくらい狭い階段を降りていくと、消毒の臭いがした。
 松明の明かりを頼りに奥へ行くと、鋼鉄の扉。そこを開け放った瞬間に、リオガンは言葉を失って呆然と立ち尽くしてしまった。

 狭い部屋の中央、固定された台座、そこにお尻を向けたハクインがいる。裸にされて、ぐったりとした白い足を落ちていく生々しい白い体液。床には赤も混じり、水たまりのようになっている。
 部屋に充満した精液の臭いに咽せそうになる。
 けれどハクインはそれにすら、もう反応がなかった。

「ハクイン?」

 近づいて、角度を変えて、更に酷い状況に震えた。
 後頭部に付けられたベルトは口の中に入っているリングに繋がっていて、無理矢理口を大きく開けられている。その口の中も、白い体液が溢れて垂れている。
 手は床の固定具に繋がれていて、腰の台座と手錠で動く事ができなくなっていた。

「ハクイン!」

 急いでベルトを外し、辺りを見回して戸口にあった鍵束を持ち出し、手錠を外した。
 途端、体重が完全に台座に掛かったんだろう。くの字に折れ曲がり、圧迫された途端、光の無い目がカッと見開かれ体全部を震わせるようにハクインは嘔吐を繰り返している。
 そこに、固形物はない。胃液と、出されて飲まされた白濁だけが際限なく嘔吐されていく。酷く苦しそうに引きつるようなうめき声を上げて。

「ハクイン、しっかりして!」

 圧迫している台座から下ろして背中をさすっても、彼の嘔吐が止まる事がない。もう吐き出せる物はないのに痙攣を起こして嘔吐いている。どうしてやるのがいいのか分からない。
 後孔からは力が入る度にぽってりと腫れて赤くなったそこからゴポゴポと同じく白濁が溢れ出ていく。お腹をさすったら、僅かにぽっこりとしている気がした。

 絶対に、許さない。力のない、光を宿さない瞳のハクインを抱きしめたまま、リオガンは泣いていた。
 大事にしたい人が無残にも穢され、それだけじゃなくこんな状態にされて……絶対に、許さない。

 幸せにするんだと、思っていた。彼だけは助けなければと思っていた。帝国と戦っていた時、ルースの裏切りに倒れた時も後悔はなかった。ハクインを守れた、それだけで構わなかった。

 その時、複数の足音が聞こえてリオガンは抱きしめたまま振り向いた。
 そこにはマーロウと、数人の第四師団がきてくれていたが……全員があまりの惨状に目を見張り、立ち止まった。

「たす、けて……」

 自分には、治療なんてできない。ハクインは温かいけれど、ずっと反応がない。息が、なんだか変なんだ。

 誰よりも早く戻って来たマーロウが急いで近づいて、汚れるのも気にしないで側に膝をつき、様子や反応を見て体を調べる。そして、部屋の隅っこにいた簀巻きの男の猿ぐつわを取った。

「あの子に何使った」
「試薬を! 効果が安定しないから危険だと言ったのに、奪われてしまって。興奮剤をベースとした媚薬です! 動物実験では血圧の急激な低下を起こしました。あの男、それを三本も」
「すぐに治療開始しろ!」

 マーロウは躊躇い無くナイフで医者らしい男を解放し、第四が丁寧に連れて行く。一人がハクインを抱き上げて、連れて行く。それを、呆然と見ていた。

「助けるから心配しなくていい。俺達には治療はできないから、今は結末を見届けるといいよ」

 肩を叩かれ、強く頷かれて、リオガンは立ち上がった。そして上階へと向かって、ただただ呆然と歩き続けていた。


 上階では全部が終わっていた。
 失禁野郎ボルギは拘束されたまま、なにやら媚びたように命乞いをしている。
 側には白衣をきた明らかに研究員という人が五人ほど立たされていた。

「さてと」
「アンタが責任者か! なぁ、助けてくれよぉ。何でも喋るからさ」

 こいつが、ハクインをあんなにしたんだ。ハクインに乱暴をしたんだ。あんな、胃がひっくり返りそうなほど吐くまで口に流し込んで、後ろも血が出るようなやりかたをして、しかも薬まで。

 自然と、剣に手が伸びていた。けれどそれを止めたのは、マーロウだった。

 自ら進み出たマーロウは、ニヤリと笑う。でも、目が全然笑っていない。穢れたものを見るようなこの人の冷たい目を、初めて見た。

「お喋りが好きみたいだね」
「勿論さ! なぁ、助けてくれって。オレみたいな下っ端見逃すなんて、簡単だろ?」
「簡単だよ。じゃ、最初の質問。これ、なーんだ」

 取り出したのはフーエルが持って来たあの瓶だった。
 それを見た途端にボルギの目は、大きく見開かれる。
 後ろに回り、乱暴に突き倒したマーロウはその背中に瓶の中の液体をぶちまける。
 途端に汚い悲鳴が木霊して、男はのたうつように体を捻る。肉が溶けるような、嫌な臭い。服は溶けて、見る間に肌が赤黒く爛れ、一部が黒く炭化していく。

「他人に交渉する時に大切な事を、知ってるかな」

 感情のこもらない目のマーロウが、薬品を垂らした背中を踏みつける。靴の底でグリグリして、更に痛みがあるのだろうボルギは煩く叫んだまま。時折「ぶっ殺す!」と口走っている。

「情報をネタに助命嘆願をする場合、まず第一にその情報を知っているのが当人のみである事。そして第二に、命乞いができるだけの状況に留めておくこと。お前は両方ともアウト。よって、生かす価値なし」

 マーロウ自らが足で蹴り上げてボルギを仰向けにする。そして前髪を掴み上げ、瓶の口をボルギの顔に近づけた。

「そこの研究員、見ておく事だね。お前達がしようとしていることの実演だよ」

 感情の起伏のないまま、一切の躊躇いもなくマーロウは瓶の口を男の口に突っ込み、顔を上向かせた。

 声も、上がらなかった。悶える暇もなかった。目を見開いたボルギは強く痙攣を起こした後、あっという間に動かなくなった。

「さて、そこの研究員達はこの惨状を踏まえたうえで、正直に答えるように。そうしたら帝国で匿う。君たちも犠牲者だろうから」

 怯えた研究者は何度も首を縦に振っている。そうして控えていた第五師団に大人しく連れられていった。

「だれか、この汚物捨てといて。外にあったっていう穴に放り込んでいいから」
「はい」
「はぁ、疲れた。もうダメだ、寝る」
「え? えぇ!!」

 燃料切れ。まさにそんな感じでぐたりと倒れたマーロウを、グリフィスが支える。そして一言「寝てやがる」と言って溜息をついた。

「とりあえず尋問はこっちでやるから、リオガンはハクインの側にいてやれ。あれは酷い。体の治療はこっちでできるが、それ以降はお前等が頑張らないとならないからな」

 優しい声と、大きな手が撫でて「頑張れ」ともう一度勇気づけてくれる。それに頷いて、リオガンはハクインが治療されているという部屋に案内されていった。
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