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2章:放浪の民救出作戦

1話:東の異変

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 かつてこの国には、『エル族』と呼ばれた者達がいた。またの名を、『森の智者』とも言う。
 かれらは東の森林地帯に住み、町の人間との関わりを極力絶って自給自足の生活をしていた。
 獣と対話し、精霊の声を聞き、神の声を聞いたという。
 だが彼らはとある事件をきっかけにその姿を消してしまう。十四年前に起こったその事件を、人々は『エルの悲劇』と言って封印した。


 王都の西地区にある小さな屋敷に、この年の九月から明かりが灯るようになった。白壁に青い屋根の小さな屋敷は長く人が住まないままになっていたが、そこにようやく住人ができたのだ。
 荒れていた愛らしい大きさの庭は整えられ、生け垣も綺麗に整備されている。ここには地方からこの九月に、皇帝カール四世の側近に異例の出世をした、若い政治家とその奥方が住んでいる。

「……やはり、東は急がなければならないね」

 庭先のテラスに腰を下ろしたヴィンセントに、傅いた男が二人頷く。身なりのいい男達だが、その目に宿るものは一般人にしては鋭いものがある。

「接触はできそうか?」
「難しいでしょう。我らは外部の者、近寄りもしません」
「彼らは獣の声を聞きます。森は獣だらけ。俺達の動きも筒抜けになっているように思います」
「優秀な君たちが接触できないのだから、そういうことなんだろうね」

 言いながら、ルシオ改めヴィンセントは肘掛けを指でトントンと叩いた。

「いかがいたしましょうか?」
「様子だけ伝えてくれればいい。無理に接触などすれば攻撃を受けかねない。彼らは強いからね、戦いは避けたい。それに森で血を流すような事をすれば、彼らは絶対にこちらにはくだらない」
「かしこまりました。では、引き続き監視をいたします」
「頼むよ」

 ヴィンセントの言葉に頭を下げた男達は、そのままどこかへと姿を消した。
 フッと息を吐く。相変わらず指は肘掛けを打っている。苛立つわけではないが、少し懸念もしている。

 放浪の民。
 彼らの始まりは十四年前の『エルの悲劇』だったが、その後に起こったカール四世暗殺事件で王都を追われた者も含まれている。戦いを好まない女性やその子供が大半だ。東の森林地帯に住み、その姿を現さない彼らは戦えば強い。そして、抱える人数は五百を超えている。
 国の政策に従う訳でもない彼らの扱いは「要注意」だが、テロリストとは違う。いうなれば中間だろうか。国も彼らの扱いに苦慮している。人数が多いだけに下手な事をすればテロリストに変わりかねない。そうなると厄介だ。
 そんな微妙な立ち位置の彼らを攻撃している奴らがいる。新進のテロリスト……というよりは、闇商人に『品物』を売りつける奴らだ。
 エルの民は美しい。流れるような白髪に、色の白い肌、瞳の色は虹彩がはっきりと浮き出しそこだけ色を変える。故に商品価値が高いのだ。それに加えて都を追われた元貴族の奥方も多い。奴らにとってこれほどに魅力的な存在はいない。
 当然人身売買は違法であり、捕まれば極刑。だが、それ故に値が高騰している。どれほど法を整えようと裏をかく者はいるし、ひっそりと行う者もいる。ある意味でいたちごっこだ。

「さて、どうしたものかな」
「あんたも苦労多いわね」

 背もたれに身を預けたヴィンセントの背後で呆れた声が飛んでくる。楽しげに瞳を和らげたヴィンセントは、そちらを見て綻ぶように笑った。

「いたのかい、アネット」
「いたわよ、少し前から」

 腰に手を当てた彼女は歩み寄って、サイドテーブルに紅茶を置いた。

 ヴィンセントはカーライルの側に戻る前に彼女の元を訪れた。謝罪しようと思ったのだ。だが彼女はまったく怒っている様子もなく、実に素っ気なく「よかったわね」と言ってくれた。そのカラッとした性格が実に好ましく思え、かつ事情も知っている人が側にいてくれる事を望んでしまった。
 更に何度か通い、彼女の娼館を仕切る主人とも話をして身請けしてしまった。
 今のところ籍は入れていない。扱いとしては内縁なのだが、ヴィンセントはいつでも彼女を妻にするつもりだ。そこに待ったを掛けているのは、アネット自身だ。

「さぁ、今日の紅茶は何点かしら?」

 挑むような瞳で言う彼女に笑いかけ、出された紅茶を飲み込む。茶葉の香りは十分にしている。だが味が薄い。毎日味が安定しない。

「うーん、六十点」
「六十点! 昨日より悪いじゃない」
「味が薄いよ」
「昨日は味が濃いって言ったから」
「極端すぎるよ。茶葉によって蒸らす時間や好む温度があるし、ポットも温めてから使わないと。寒くなってきたから白濁してくるよ」
「……明日またリベンジするわ」
「待っているよ」

 クスクスと笑ってヴィンセントは紅茶をまた一口飲み込む。日々こうして彼女から挑戦を受けるのが、実は楽しみでもあるのだ。
 娼婦であった彼女は色々と不器用だ。当然だ、西の娼婦とは違い彼女は平民だ。貴族の生活というものに馴染みがない。ヴィンセントとしてはそれでもいいと思っている。貴族らしい女性は望んでいないし、違うからこその驚きや楽しさがある。彼女から受ける刺激は日々の楽しみでもあるのだ。
 だが彼女としてはそこがいけないらしい。「あんたみたいなお貴族様の奥方なんて私はなれない。恥をかかせるから愛人程度に留めて」と、平然と言った彼女には驚いた。身請けを申し出たときの事だ。だが、ヴィンセントとしては愛人を持つつもりはない。以前はそれなりの貴族だが、今はそれを捨てた分だけ身軽で自由になっている。生涯の伴侶を爵位や家柄で選ぶ気なんてサラサラないのだ。それでも納得しない彼女に、「では側で学ばないか」と持ちかけてここにいる。

「仕事、大変ね。あの人達も少し休んで行けばいいのに、仕事熱心ね」
「酔狂な奴らだよ。解散して自由に生きろと言ったのに、それでも私の側がいいと言ってくるのだから」

 名を変えて屋敷を持った時、二十人くらいの腹心が訪ねてきた。どうやら調べ上げてきたらしく、憎らしい声で「探すのに苦労しました」と言われた。
 彼らはヴィンセントの心意気に賛同してくれた者で、国家に反発する気持ちはそれほどに強くなかった。だからこそ側に置いていたのだ。だがまさか、ここまで来て改めて尽くすと言われるなんて思ってもみなかった。戸惑えば「受けてくれない場合はこれまでの罪をこの場で精算させていただきます」と短刀を腹に当てたときには焦ってしまった。これから住もうという屋敷でいきなり二十人もの人間が自害なんて、どんな嫌がらせだ。
 そんな時にも助けを出してくれたのはアネットだった。彼女が「好かれてるんだからいいじゃない。貴重な人達よ」と、何でもない様子で言ってくれた。だからこそ悩みはしたが彼らを受け入れた。当然この一件で、彼女は腹心達に「奥様」として認められたのだ。
 結果的にこれはいい判断だった。彼らは諜報や潜伏を心得ている。数人は屋敷に、大半は地方のテロ勢力の監視や観察に散っていって、こうして情報を集めてくれる。そのおかげで東の異変を知る事ができたのだ。

「大変になるの?」
「しくじれば、沢山の民が他国に売られるかな」

 途端、アネットの赤い瞳がきつく歪む。それを見るのは心苦しく、ヴィンセントは頬に手を触れた。

「私がしくじると思うかい?」
「貴方が動くわけじゃないでしょ?」
「そう言われると言い返す言葉がないな」

 苦笑するが事実なだけに、ヴィンセントは言葉がない。ヴィンセントに出来るのは正確な情報を伝え、その危機感を訴えて動いて貰う事。そして、事が成功した後の国の中身を整える事だけだ。

「騎士団は優秀だよ。だから、やってくれる」
「リフ達が忙しくなるのね」

 腰に手を当て息をついたアネットに、ヴィンセントは笑う。そしてふと、聞いた話を思いだした。

「そういえば、ランバートに恋人ができたようだよ」
「え! 本当!」

 ガバリと身を乗り出した彼女にヴィンセントは笑って頷く。これはカーライルとオスカルから聞いた話だ。
 ランバートとファウストの一件はオスカルから聞いた。少し意外に思ってしまったが、話によるとずっと関係を温めていたように思う。そこに自覚はなかっただろうが。そこが進展してめでたく恋人となった。そして騎兵府の軍神が、彼にしっかり主導権を奪われているらしい。それもまた面白い。
 同時に安心した。ヴィンセントとしてはランバートに並々ならぬ恩がある。こうしてここにいられるのは彼のおかげだ。だが返してやれることがあまりに少ない。せめて国が荒れぬよう、彼が大切にする下町が平和であれるようにと尽くすばかりだ。そんな彼の幸せを心から祝福すると同時に、楽しく弄ってみたいのだ。

「ねぇ、お相手はどんな人? ファウストって人?」
「そうだよ」
「どんな人なのよ!」
「女の人は好きだね、他人の恋路」
「それは性よ。女ってのはそういう生き物なの」
「そうだな……」

 言いかけて、ふとヴィンセントは思いとどまり笑う。おそらくランバートはヴィンセントがアネットを引き受けた事を知らない。それに、東の異変について知らない可能性もある。案外過保護らしいファウストが、冬の遠征に彼を連れて行く決断をしたとは思えない。だが、今回は彼の力も必要だろう。

「今度……明日か、明後日にでも彼を招こうか」
「リフを?」
「あぁ。少し話もしたいし、思えば落ち着いてから彼に会っていない」
「お相手も一緒?」
「それはまた今度だ。二人同時に招くには都合が悪いんだよ」

 ヴィンセントが伝えることは、おそらくファウストが隠しておきたいこと。言えばあいつの逆鱗に触れる。軍神の不機嫌など見たくはない。

「食事会の準備をしよう」

 言って立ち上がった後ろを、少し楽しそうなアネットがついてきた。
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