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21章:主なき騎士団
1話:主なき騎士団(西ジュゼット領より)
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六月の初め、王都でヴィンセントが一騒動繰り広げている頃、西ジュゼット領に一通の手紙が到着した。
「デイジー、陛下からの手紙かい?」
穏やかな笑みを浮かべた紳士が柔らかく問いかける。赤茶色の髪を上品に撫でつけ、ヒゲを綺麗に整えた、目尻に笑い皺のある五十代くらいの人物だった。
彼の側で受け取った手紙を読んでいたデイジーは、とても晴れやかな顔で頷く。その表情は見る間に明るく楽しいものとなっていって、最後には満面の笑みを浮かべた。
「叔父様、陛下から七月にある王都の祝祭に参加しないかとお誘いを頂きました!」
「ほぉ、七月。そうなれば、聖ユーミル祭か。あのお祭りは私も一度見た事があるが、美しく荘厳で、建国祭の次に賑わうよ」
「本当ですか! わぁ、楽しみです」
幸せそうに微笑むデイジーは、ふと気付いて叔父、アドルフ・コルネリウスを見上げた。
「あの、行ってもよろしいでしょうか?」
お伺いを立てるようなデイジーの視線に、アドルフは緑色の瞳を僅かに見開き、次には楽しげな笑みを浮かべた。
「勿論だとも。直ぐに用意をしよう」
「本当ですか! わぁ、有り難うございます」
まるで宝物を抱くようにデイジーは手紙を抱いて微笑んでいる。それを見るアドルフは、どこかほっとした様子だった。
「デイジー」
「はい?」
「陛下の事は、好きかい?」
穏やかな問いかけに、デイジーは僅かに頬を赤らめる。その様子からも十分、彼女の気持ちは伝わってくる。やがて静かにコクリと頷いた彼女は、幸せばかりではない笑みを浮かべた。
「最初は不安でした。私は自分に自信がなくて、実際ドジで迷惑も沢山掛けていますし。でも、陛下にお会いして、優しさに触れて、この方の為に頑張れると思いました」
「……複雑では、ないかね?」
「父の事は、考えると複雑です。でも決して、陛下が悪い事ではないのも分かっています。それに、恩義もあります。私は陛下の優しさに生かされました。今度は私が、陛下のお力になる番です」
そこにオドオドと迷う様子はなく、寧ろ強い信念を持った女性の逞しい表情が浮かんでいる。アドルフはそれを見ると少し複雑な心境ながらも確かに頷いた。
その時、背後でドアが開く音がして二人は振り返った。
入って来たのは十代中頃の少年だった。赤茶色の髪に緑色の瞳をした少年は、だが二人とは対照的に明るい顔をしていなかった。
「ダニエル、どこへ行っていたんだい?」
穏やかに問いかけたアドルフに対し、ダニエル少年は無表情のままで答えた。
「散歩をしておりました、父上」
「あまり一人歩きをしないでおくれ。西は未だに安定していないのだよ」
「分かっています」
抑揚のない、とても素っ気ない会話にアドルフは表情を曇らせる。とても親子の会話ではなかった。
だがふと、ダニエルがデイジーの手元を見た。そこに握られている手紙を。
「デイジー様、なんだか嬉しそうですね」
「え? えぇ、少し」
「お手紙ですか?」
「えぇ」
困った様な表情をしたデイジーは、それでも拒むではない笑みを浮かべる。親しくしたいが、どうしたらいいか分からない。そんな戸惑いを含む笑みだった。
「もしかして、陛下からですか?」
「はい、そうです」
「いいですね。デイジー様は、陛下の事がとてもお好きなのですね」
ほの暗いまでも笑みを浮かべたダニエルに対し、僅かな光明を見たデイジーは表情を明るくする。少し受け入れてもらえた、そんな嬉しさのあるものだった。
「お手紙には、なんと?」
「七月の聖ユーミル祭にお招き頂いたのです」
「美しい祭りだと聞きます。存分に、楽しんできてください」
「有り難う、ダニエル」
親しげに名を呼んだ瞬間、ダニエルの瞳に光が宿った。暗く、冷たいものだった。
「それでは、オレはこれで。家庭教師が来る時間ですので」
「えぇ、ご機嫌よう」
答えて踵を返したダニエルは無言のままに部屋を出て行ってしまう。その背はどこか孤独で、デイジーは一抹の不安を感じるのだった。
◆◇◆
▼ファウスト
ヴィンセントの結婚式を終え、本来ならばそれなりに平和そうな顔をしているはずだった。だが、そのヴィンセントからもたらされた一報が全員の顔を険しいものとしている。
「西の覇権が、決まったか」
シウスの暗い声は過分に厳しさを含んでいる。彼は持っている報告書をテーブルの上に放った。そこに書かれた内容は、全員の表情を曇らせるに十分なものだった。
「よりにもよって、主なき騎士団か」
ファウストも苦々しく口にする。彼らにとって最も残ってもらいたくないテロリストが、西の頂点に立ったのだ。
長らく西ではテロリスト同士による小競り合いが続いていた。西に君臨していた二大テロ組織、ルシオ派とレンゼール派が一気に瓦解した。これを切っ掛けに今まで押さえつけられていた西のテロリスト達が我が一番だと争い始めたのだ。
西は元々ジュゼット王国があり、五年前に戦争によって崩壊、現在は帝国の領地となっている。そういう因縁のある地でもあり、帝国に対して良い感情を持たない者も未だに多く、テロリストの温床となってきた。
約一年もの内紛のようなテロリスト達の戦いが終わり、一つの組織が台頭したことをヴィンセントはこの度伝えてきたのだった。
「だが一体、何故今更動き出す。奴等は今までほぼ沈黙を守ってきた。それが今更」
クラウルが戸惑った様子で口にする。
だがオスカルは真剣な目で、その答えを放り込んだ。
「主が見つかった。ってことじゃないの?」
その言葉は答えであり、危惧であり、危機だった。
その夜、ファウストはランバートを部屋に呼んだ。平日の夜にも関わらず、どうしても顔が見たくなったのだ。
訝しそうに来たランバートは直ぐにファウストの様子の違いに気付いたのだろう。青い瞳が厳しい色を浮かべている。けれど今はそんな顔をしてもらいたくなくて、ファウストは歩み寄って彼を抱きしめた。
「何があったの」
「……今じゃなきゃ、ダメか?」
「ダメ」
あっさりと、そしてバッサリと言い切られてしまい、ファウストは苦笑が漏れる。だがそれだけ様子の違いを案じてくれているのだと思えば隠す事も違う。
何より話そうと思って呼んだのだ。
ランバートをソファーに案内し、ファウストはワインを口にする。少し酒で口を滑らせなければなかなか出てこないように思えた。
そんなファウストの様子をランバートも察しているのだろう。不安げな瞳が見つめ、どこか落ち着きなくしている。
「何がありました」
「……西の覇権争いが終わった。内紛が終われば、こちらに目が向く」
「とうとうですか」
考え込むランバートの瞳は思慮深く、そして少し暗い。まぁ、この話題で明るい笑みを浮かべられても困るが。
「誰が取ったのです?」
「……主なき騎士団という組織を、知っているか?」
「いいえ。随分妙な名前ですね」
「だろうな」
苦笑して、更に一杯。気が重い分だけ量が増えそうだ。
「主なき騎士団は、元帝国騎士団の団員だった人間が中心となって構成されている組織だ。ヴィンセント殿からの報告によれば、現在組織としての規模は五百を越えた。今回の覇権争いで他の組織の人間を吸収したらしい」
「元帝国騎士団って」
「陛下即位の際に、謀反を起こした上層部の騎士の息子達だ」
隣で息を飲む様子が伝わる。ファウストは息を吐いて、グラスを用意し、そこに同じようにワインを注ぐ。喉に詰まったものを飲み込むように、ランバートもそれを一気に飲み干した。
「リーダーの名前はルース・エイプルトン。元は俺と同期の騎士で、俺達の事をよく知っている。人の弱点や欠点を見つけ出して突くのが得意な奴でな、やりづらかった」
「そんな相手が、巨大な組織を手にしたのですか?」
「あぁ、そうなる。だが今まで、主なき騎士団はその存在を示そうとはしなかった。大きなテロを起こす事はなく、時々名を示すように小さな事件を起こす。その程度のものだった」
「なんだか、妙な組織ですね」
ランバートの言うことはもっともだ。テロリストというのは潜んでいるというのに自己顕示欲が強い者が多い。元々の目的が自分たちの主張を武力で通そうというものなのだ。自然とそうなる。
だが主なき騎士団は違う。奴等はジッと我慢をして、自分たちの主を探していた。現在の皇帝に代わる者を。
「奴等は主の命に従い、主の為に動く騎士を自負している。だからこそ、主不在では大きくは動かなかった。今まで起こした事件は、そのほとんどが奴等の正義を示すものだった」
「例えば?」
「子供を攫う人買いの殺害、街を荒らす盗賊の殺害なんかだな」
「騎士としての道をあくまでも通そうということですか」
その資格を失いながらも、奴等はそこにしがみついた。滑稽なほどに騎士であろうとしている。だがそれは現在の帝国の騎士ではない。全てを奪った帝国に反発するのだ。
「ですが、妙ですね。そんな輩が覇権争いに加わり、制したなんて」
「……主を見つけたとしか、言いようがないな」
「っ!」
ランバートの表情が一気に強ばるのが分かった。ファウストはワインを飲み干し、そしてランバートを腕におさめた。
「逃げろ」
「え?」
「あいつは俺の性格も熟知している。お前の事がわかれば、俺の無力化を狙って真っ先にお前が狙われる。俺は……お前の無残な姿を見たくない。思うだけで壊れそうだ」
ルースの性格は狡猾で残忍、そして命を玩具のように扱う。ファウストは同期の時代、何度もルースの行いに怒ってきた。仲間を囮にするような方法や、盾にして自分だけが生き残るような事を平気でして来た男なのだ。
そんな奴が、ランバートとファウストの関係を知ったら。間違いなくランバートを狙い、捕らえてファウストをおびき寄せるか、さもなくば殺してしまうかだ。しかも楽な死に方などさせないだろう。二目と見られないような死に方をするに違いないのだ。
腕の中で、ランバートがそっと背中を撫でる。勇気づけるように何度も叩いた。
「逃げたって、変わらないだろ?」
「ランバート」
「俺はファウストの側にいるし、今更別れるつもりもない。側にいる。そして、負けない程に強くなるから」
穏やかに微笑む顔を見つめ、胸の奥が音を立てて軋んでいく。強く抱きしめる事でしか不安を誤魔化す事ができない。それでもランバートはずっと、黙ってこの腕の中にいた。
◆◇◆
▼シウス
同じ頃、シウスもまた厳しい表情をしていた。隣りに居るラウルが心配そうにするほどに。
「何か、あったのですか?」
問われ、笑おうとして失敗したシウスは申し訳なく眦を下げる。そして優しく、ラウルの頭を撫でた。
「嫌な組織が、西で残ってしまっての」
「どこですか?」
「主なき騎士団じゃ」
「あぁ……」
ラウルも察したのだろう、気遣わしい顔をする。
シウスは珍しく腰に差している剣を指で弄りながら、重く溜息をついた。
「引きずり出されれば奴には敵わぬ。だがここにおっては現場に対応はできぬだろう。何より、誰か差し向けてくるに違いない。奴は私が多人数相手の戦闘を苦手としておるのを知っている。スタミナの無さも」
痛い所を熟知していると言えばいいのか、とにかくルースという男は人を見て弱点を見つけるのが上手い男だ。粗探しが上手いとも言う。当然同期のシウスの弱点などお見通しだ。
そもそもシウスの剣は多人数を相手にするような広範囲ではなく、一対一を好む技巧の剣。しかも、相手を殺すのではなく無力化するのが得意なものだ。
その為、多人数で四方から攻められると弱く、体力面でも不安が残る。それを、ルースは知っている。
「ラウル、これからの任務は決して無理をするでないぞ」
「何故ですか?」
「何故って」
キョトンとして言われ、シウスは困ってしまう。それは、個人的な願いだからだ。
「私の恋人と知れれば、危険が及ぶ。お前を殺さなくとも囚われたとなれば私の判断は鈍る。指揮を執るべき人間が惑うては、戦は負けてしまう」
おそらく他の者もそれを案じているだろう。少し調べれば分かる事だ。今まで隠すわけでもなかったのだから。
ただラウルは穏やかに笑った。そして首を横に振った。
「例え僕に何が起こっても、例え命を落としたとしても、シウス様は皆の宰相でなければいけません」
「これ、滅多な事を言うでない」
「いいえ、言わせてもらいます。絶対などないのです。僕は、例え自分に何が起こっても最善を尽くしたいと思っています。それが、友人や家族、そしてシウス様の為になるのなら。だからシウス様も最善を尽くして下さい。僕のせいでシウス様が情けない宰相様になってしまったら、僕はとても悲しいです」
真っ直ぐな視線が、真っ直ぐな言葉がシウスを締め付けるようだった。
だが、思う。ラウルの言葉は正しい。何一つ、間違った事など言ってはいない。
だからだろう、穏やかに頷いた。
「お前が誇りと思える者でなければならぬな」
「はい」
「……分かった。ただ、用心だけはするのだぞ」
柔らかな頭を撫で、額にキスをして。シウスは騒がしい胸のさざめきをやり過ごした。
◆◇◆
▼オスカル
久々に耳にした名に、こんなにも苛立つ事があるなんて思ってもみなかった。
オスカルは会議後、ずっと不機嫌なままだ。
話を聞いたエリオットが気遣わしい表情で温かな紅茶を差し出してくる。桃の香りが僅かに鼻孔をくすぐった。
「ルースが、とうとう動き出したのですね」
「最悪。僕、あいつ嫌い」
「まぁ、分からなくはありませんが」
苦笑するエリオットの意外な落ち着きの方が気にかかる。オスカルはエリオットを観察するように見た。
「慌てないね。エリオット、もしかして自分は狙われないとでも思ってる?」
「まさか。オスカルを出し抜きたいなら私を狙うのが常套手段だと思っていますよ」
「じゃあ、なんで?」
「それは勿論、返り討ちにするつもりだからに決まっているでしょ?」
キョトンとした穏やかな空気でもの凄い事を宣ったエリオットは落ち着いた様子で同じく紅茶を飲む。だが、オスカルの方は冷や汗ものだ。
「いや、あのね」
「不意を突かれる事、目の前に助けなければならない者がいると周囲への警戒がおざなりになる事。私はこれで自分の欠点を知っているつもりです。ならば、その点を気を付ければいいだけのこと」
「簡単に言うけれどさ」
「まさかオスカル、私に敵前逃亡をする様な事を言うつもりではありませんよね?」
ニッコリと微笑む美しさが妙な威圧感と殺気を放っている。オスカルは全てを紅茶と共に流し込んだ。
「何よりあいつは、私とは相性が悪いですよ。タイプが似ているので引き分けても負けはしません」
「そういえば、そうだったね」
記憶を引っ張り出しても、エリオットがルースに負けた事は一度もない。剣のタイプも似ているだろう。相手の弱点、急所を的確に判断し、正確無比にそこを突く。それを躊躇うような人ではない。案外エリオットも恐ろしい一面があるのだ。
「ただ、ファウストは苦手な相手ですね。私を相手にしてもファウストはやりづらそうですから」
「だよねぇ」
「オスカル、貴方も苦手でしょ?」
「うっ」
そこを突かれるとなんとも言えない。平然とお茶を飲むエリオットが強敵に見えてきた。
「貴方は挑発に乗りやすい。少し何かを言われただけで無理な攻撃を展開してしまう。もう少し冷静に対処しなければならないはずです」
「鋭いな……。だって、嫌な事言うし、するじゃん。あいつは本当に性格歪んでる」
「だとしても、相手をしなければならないのですから。彼ならきっと、それぞれが一番苦手な相手を差し向けてくるでしょう。私にはおそらく、パワー型の相手です」
「そこまで冷静に見てるんだ」
オスカルなどは考えるだけで辟易とするのに、エリオットはまったくだ。
笑みを浮かべたエリオットは逆に穏やかな視線をオスカルへと投げた。
「相手が私達を知っているように、私達は相手を知っている。奴の性格や、底意地の悪さをね。ですから、対処も覚悟も準備もできる。避けて通れないのなら、打ち砕くのみです」
「エリオット、男らしくて素敵」
でも確かに、エリオットの言う事は確かだ。避けられないなら打ち砕く。そうしてあいつを捕らえ、憂いを晴らす。それが出来た暁にはようやく穏やかに微笑む事ができるだろう。
「エリオット」
「なんですか?」
「ルースを捕まえたら、結婚式しようね」
「それはまた、別の話ですよ」
そう言いながらも赤い顔をするエリオットはようやくオスカルの好きな柔らかな雰囲気が戻って、オスカルは嬉しそうに笑みをみせた。
◆◇◆
▼クラウル
不安を口にすれば現実となる。そんな予感がしている。クラウルは暗府執務室に籠もっていた。とても部屋に戻る気になれなかったのだ。
そうしてどのくらい居たか。ふとノックされ、躊躇いもなくドアが開く。見ればコーヒーカップを二つ持ったゼロスが溜息をついて入ってきた。
「いつまでも灯りが点いていたので」
「……すまない」
目の前にカップが置かれ、芳しいコーヒーの匂いが漂ってくる。
隣りに腰を下ろしたゼロスは、何を聞くでもなくそうしている。
「聞かないのか?」
「俺が聞いていい事なら、貴方は既に話している。話せないからこんな所で難しい顔をしているのではありませんか?」
本当に敵わない。思い、苦笑してコーヒーを頂いた。妙に味がしない気がする。気持ちだけの問題だと分かっている。
「ゼロス」
「なんですか?」
「…………別れようか」
「はぁ?」
途端、素っ頓狂な声が上がってガタリと音がする勢いでゼロスが立ち上がる。酷く怖い顔で睨まれて、クラウルは自嘲気味に笑った。
「その冗談、笑えません」
「冗談のつもりでは」
「結婚しようと、つい数日前に聞いたばかりだと思いますが」
「……状況が変わったんだ」
言って納得してもらえはしないだろうが、説明も困る。
だが当然、許されるはずもなかった。胸ぐらを掴み、酷く傷ついた顔で睨むゼロスを見たら、酷く心の奥が冷たくなっていくのが分かった。
「納得するまで説明しろ。それがあんたの責任だ」
「……嫌な相手が、これから攻め込んでくるだろう。俺の事を知っている奴だ。ただ、俺にはあまり欠点らしい欠点はない。カールとヴィンセント以外では、お前だけだ。お前に目が向く。だから」
「そんなクソみたいな理由で、別れようと」
「もしくは騎士団から離れてもいい。あいつは一般人には手を出さない。元騎士団でも一般人となればあるいは」
「本気で言ってるのか!」
本気で怒鳴られて、ビクリと肩が震える。クラウルは頼りなくゼロスを見るしかなかった。
「暗府団長の威厳は何所にいった。あんたはそんな情けない男じゃないだろ」
「ゼロス」
「俺が弱点だって? バカにするな。これでも騎士の端くれだ、自分の身くらい自分で守る。出来ない時にはそれまでだ、覚悟は出来ている」
「俺は!」
「あんたも同じ騎士から恋人選んだなら、そのくらいの覚悟しろ!」
当然のことを突きつけられて、どうにも言葉がない。情けなく見つめている間に、ゼロスは突き飛ばすように手を離して立ち上がった。
「正直がっかりだ。俺が憧れたあんたは、どこに行ったんだ」
「ゼロス」
「……望み通り、別れてもいい。今のあんたは弱すぎる」
背を向けられるその体を、クラウルは繋ぎ止めて抱きしめていた。震えるような手で、必死に抱き寄せていた。
「すまない」
「自分が言ったことだろ」
まったくその通りだ。悩んだ末に、どうしても守りたくて考えていた。自分の幸せなど二の次でいいから、ゼロスには生きていてもらいたかった。
そっと、腕の中でゼロスが身を捩る。そしてゆっくりと頭の後ろへと腕が伸び、引き寄せられた。柔らかく触れるキスはどこまでも穏やかな気持ちをくれる。冷たく暗い心の底に、温かな陽を落とすように。
「泣くなんて、卑怯ではありませんか?」
「すまない……」
「まったく、どれだけ自分を追い込んだんです。バカな事を考える暇があったら、俺を鍛えるくらいの頭を巡らせてください」
溜息をついたゼロスが不敵な笑みを浮かべる。そして、ちょんちょんと自分の剣を指さした。
「そんなに心配なら、貴方の技術を俺に下さい。俺が倒れないように、貴方がきっちりしこむんですよ」
「だが、俺の剣は決して綺麗ではないし、人を殺すために鍛えたものだ。騎士の剣では」
「剣を持つ以上、誰かを殺す事に躊躇いは持てない。武器を持って襲ってくる相手に躊躇うような腑抜けではありませんから、ご安心下さい」
そう言って、ゼロスはニッと笑う。
その笑みを見て、心を感じて、クラウルは苦笑した。そして、らしくない自分を一喝して剣を手に取った。
「怪我をさせるかもしれないが」
「上等です」
言って先へと促すゼロスを追って、クラウルは新たに気を引き締めるのだった。
「デイジー、陛下からの手紙かい?」
穏やかな笑みを浮かべた紳士が柔らかく問いかける。赤茶色の髪を上品に撫でつけ、ヒゲを綺麗に整えた、目尻に笑い皺のある五十代くらいの人物だった。
彼の側で受け取った手紙を読んでいたデイジーは、とても晴れやかな顔で頷く。その表情は見る間に明るく楽しいものとなっていって、最後には満面の笑みを浮かべた。
「叔父様、陛下から七月にある王都の祝祭に参加しないかとお誘いを頂きました!」
「ほぉ、七月。そうなれば、聖ユーミル祭か。あのお祭りは私も一度見た事があるが、美しく荘厳で、建国祭の次に賑わうよ」
「本当ですか! わぁ、楽しみです」
幸せそうに微笑むデイジーは、ふと気付いて叔父、アドルフ・コルネリウスを見上げた。
「あの、行ってもよろしいでしょうか?」
お伺いを立てるようなデイジーの視線に、アドルフは緑色の瞳を僅かに見開き、次には楽しげな笑みを浮かべた。
「勿論だとも。直ぐに用意をしよう」
「本当ですか! わぁ、有り難うございます」
まるで宝物を抱くようにデイジーは手紙を抱いて微笑んでいる。それを見るアドルフは、どこかほっとした様子だった。
「デイジー」
「はい?」
「陛下の事は、好きかい?」
穏やかな問いかけに、デイジーは僅かに頬を赤らめる。その様子からも十分、彼女の気持ちは伝わってくる。やがて静かにコクリと頷いた彼女は、幸せばかりではない笑みを浮かべた。
「最初は不安でした。私は自分に自信がなくて、実際ドジで迷惑も沢山掛けていますし。でも、陛下にお会いして、優しさに触れて、この方の為に頑張れると思いました」
「……複雑では、ないかね?」
「父の事は、考えると複雑です。でも決して、陛下が悪い事ではないのも分かっています。それに、恩義もあります。私は陛下の優しさに生かされました。今度は私が、陛下のお力になる番です」
そこにオドオドと迷う様子はなく、寧ろ強い信念を持った女性の逞しい表情が浮かんでいる。アドルフはそれを見ると少し複雑な心境ながらも確かに頷いた。
その時、背後でドアが開く音がして二人は振り返った。
入って来たのは十代中頃の少年だった。赤茶色の髪に緑色の瞳をした少年は、だが二人とは対照的に明るい顔をしていなかった。
「ダニエル、どこへ行っていたんだい?」
穏やかに問いかけたアドルフに対し、ダニエル少年は無表情のままで答えた。
「散歩をしておりました、父上」
「あまり一人歩きをしないでおくれ。西は未だに安定していないのだよ」
「分かっています」
抑揚のない、とても素っ気ない会話にアドルフは表情を曇らせる。とても親子の会話ではなかった。
だがふと、ダニエルがデイジーの手元を見た。そこに握られている手紙を。
「デイジー様、なんだか嬉しそうですね」
「え? えぇ、少し」
「お手紙ですか?」
「えぇ」
困った様な表情をしたデイジーは、それでも拒むではない笑みを浮かべる。親しくしたいが、どうしたらいいか分からない。そんな戸惑いを含む笑みだった。
「もしかして、陛下からですか?」
「はい、そうです」
「いいですね。デイジー様は、陛下の事がとてもお好きなのですね」
ほの暗いまでも笑みを浮かべたダニエルに対し、僅かな光明を見たデイジーは表情を明るくする。少し受け入れてもらえた、そんな嬉しさのあるものだった。
「お手紙には、なんと?」
「七月の聖ユーミル祭にお招き頂いたのです」
「美しい祭りだと聞きます。存分に、楽しんできてください」
「有り難う、ダニエル」
親しげに名を呼んだ瞬間、ダニエルの瞳に光が宿った。暗く、冷たいものだった。
「それでは、オレはこれで。家庭教師が来る時間ですので」
「えぇ、ご機嫌よう」
答えて踵を返したダニエルは無言のままに部屋を出て行ってしまう。その背はどこか孤独で、デイジーは一抹の不安を感じるのだった。
◆◇◆
▼ファウスト
ヴィンセントの結婚式を終え、本来ならばそれなりに平和そうな顔をしているはずだった。だが、そのヴィンセントからもたらされた一報が全員の顔を険しいものとしている。
「西の覇権が、決まったか」
シウスの暗い声は過分に厳しさを含んでいる。彼は持っている報告書をテーブルの上に放った。そこに書かれた内容は、全員の表情を曇らせるに十分なものだった。
「よりにもよって、主なき騎士団か」
ファウストも苦々しく口にする。彼らにとって最も残ってもらいたくないテロリストが、西の頂点に立ったのだ。
長らく西ではテロリスト同士による小競り合いが続いていた。西に君臨していた二大テロ組織、ルシオ派とレンゼール派が一気に瓦解した。これを切っ掛けに今まで押さえつけられていた西のテロリスト達が我が一番だと争い始めたのだ。
西は元々ジュゼット王国があり、五年前に戦争によって崩壊、現在は帝国の領地となっている。そういう因縁のある地でもあり、帝国に対して良い感情を持たない者も未だに多く、テロリストの温床となってきた。
約一年もの内紛のようなテロリスト達の戦いが終わり、一つの組織が台頭したことをヴィンセントはこの度伝えてきたのだった。
「だが一体、何故今更動き出す。奴等は今までほぼ沈黙を守ってきた。それが今更」
クラウルが戸惑った様子で口にする。
だがオスカルは真剣な目で、その答えを放り込んだ。
「主が見つかった。ってことじゃないの?」
その言葉は答えであり、危惧であり、危機だった。
その夜、ファウストはランバートを部屋に呼んだ。平日の夜にも関わらず、どうしても顔が見たくなったのだ。
訝しそうに来たランバートは直ぐにファウストの様子の違いに気付いたのだろう。青い瞳が厳しい色を浮かべている。けれど今はそんな顔をしてもらいたくなくて、ファウストは歩み寄って彼を抱きしめた。
「何があったの」
「……今じゃなきゃ、ダメか?」
「ダメ」
あっさりと、そしてバッサリと言い切られてしまい、ファウストは苦笑が漏れる。だがそれだけ様子の違いを案じてくれているのだと思えば隠す事も違う。
何より話そうと思って呼んだのだ。
ランバートをソファーに案内し、ファウストはワインを口にする。少し酒で口を滑らせなければなかなか出てこないように思えた。
そんなファウストの様子をランバートも察しているのだろう。不安げな瞳が見つめ、どこか落ち着きなくしている。
「何がありました」
「……西の覇権争いが終わった。内紛が終われば、こちらに目が向く」
「とうとうですか」
考え込むランバートの瞳は思慮深く、そして少し暗い。まぁ、この話題で明るい笑みを浮かべられても困るが。
「誰が取ったのです?」
「……主なき騎士団という組織を、知っているか?」
「いいえ。随分妙な名前ですね」
「だろうな」
苦笑して、更に一杯。気が重い分だけ量が増えそうだ。
「主なき騎士団は、元帝国騎士団の団員だった人間が中心となって構成されている組織だ。ヴィンセント殿からの報告によれば、現在組織としての規模は五百を越えた。今回の覇権争いで他の組織の人間を吸収したらしい」
「元帝国騎士団って」
「陛下即位の際に、謀反を起こした上層部の騎士の息子達だ」
隣で息を飲む様子が伝わる。ファウストは息を吐いて、グラスを用意し、そこに同じようにワインを注ぐ。喉に詰まったものを飲み込むように、ランバートもそれを一気に飲み干した。
「リーダーの名前はルース・エイプルトン。元は俺と同期の騎士で、俺達の事をよく知っている。人の弱点や欠点を見つけ出して突くのが得意な奴でな、やりづらかった」
「そんな相手が、巨大な組織を手にしたのですか?」
「あぁ、そうなる。だが今まで、主なき騎士団はその存在を示そうとはしなかった。大きなテロを起こす事はなく、時々名を示すように小さな事件を起こす。その程度のものだった」
「なんだか、妙な組織ですね」
ランバートの言うことはもっともだ。テロリストというのは潜んでいるというのに自己顕示欲が強い者が多い。元々の目的が自分たちの主張を武力で通そうというものなのだ。自然とそうなる。
だが主なき騎士団は違う。奴等はジッと我慢をして、自分たちの主を探していた。現在の皇帝に代わる者を。
「奴等は主の命に従い、主の為に動く騎士を自負している。だからこそ、主不在では大きくは動かなかった。今まで起こした事件は、そのほとんどが奴等の正義を示すものだった」
「例えば?」
「子供を攫う人買いの殺害、街を荒らす盗賊の殺害なんかだな」
「騎士としての道をあくまでも通そうということですか」
その資格を失いながらも、奴等はそこにしがみついた。滑稽なほどに騎士であろうとしている。だがそれは現在の帝国の騎士ではない。全てを奪った帝国に反発するのだ。
「ですが、妙ですね。そんな輩が覇権争いに加わり、制したなんて」
「……主を見つけたとしか、言いようがないな」
「っ!」
ランバートの表情が一気に強ばるのが分かった。ファウストはワインを飲み干し、そしてランバートを腕におさめた。
「逃げろ」
「え?」
「あいつは俺の性格も熟知している。お前の事がわかれば、俺の無力化を狙って真っ先にお前が狙われる。俺は……お前の無残な姿を見たくない。思うだけで壊れそうだ」
ルースの性格は狡猾で残忍、そして命を玩具のように扱う。ファウストは同期の時代、何度もルースの行いに怒ってきた。仲間を囮にするような方法や、盾にして自分だけが生き残るような事を平気でして来た男なのだ。
そんな奴が、ランバートとファウストの関係を知ったら。間違いなくランバートを狙い、捕らえてファウストをおびき寄せるか、さもなくば殺してしまうかだ。しかも楽な死に方などさせないだろう。二目と見られないような死に方をするに違いないのだ。
腕の中で、ランバートがそっと背中を撫でる。勇気づけるように何度も叩いた。
「逃げたって、変わらないだろ?」
「ランバート」
「俺はファウストの側にいるし、今更別れるつもりもない。側にいる。そして、負けない程に強くなるから」
穏やかに微笑む顔を見つめ、胸の奥が音を立てて軋んでいく。強く抱きしめる事でしか不安を誤魔化す事ができない。それでもランバートはずっと、黙ってこの腕の中にいた。
◆◇◆
▼シウス
同じ頃、シウスもまた厳しい表情をしていた。隣りに居るラウルが心配そうにするほどに。
「何か、あったのですか?」
問われ、笑おうとして失敗したシウスは申し訳なく眦を下げる。そして優しく、ラウルの頭を撫でた。
「嫌な組織が、西で残ってしまっての」
「どこですか?」
「主なき騎士団じゃ」
「あぁ……」
ラウルも察したのだろう、気遣わしい顔をする。
シウスは珍しく腰に差している剣を指で弄りながら、重く溜息をついた。
「引きずり出されれば奴には敵わぬ。だがここにおっては現場に対応はできぬだろう。何より、誰か差し向けてくるに違いない。奴は私が多人数相手の戦闘を苦手としておるのを知っている。スタミナの無さも」
痛い所を熟知していると言えばいいのか、とにかくルースという男は人を見て弱点を見つけるのが上手い男だ。粗探しが上手いとも言う。当然同期のシウスの弱点などお見通しだ。
そもそもシウスの剣は多人数を相手にするような広範囲ではなく、一対一を好む技巧の剣。しかも、相手を殺すのではなく無力化するのが得意なものだ。
その為、多人数で四方から攻められると弱く、体力面でも不安が残る。それを、ルースは知っている。
「ラウル、これからの任務は決して無理をするでないぞ」
「何故ですか?」
「何故って」
キョトンとして言われ、シウスは困ってしまう。それは、個人的な願いだからだ。
「私の恋人と知れれば、危険が及ぶ。お前を殺さなくとも囚われたとなれば私の判断は鈍る。指揮を執るべき人間が惑うては、戦は負けてしまう」
おそらく他の者もそれを案じているだろう。少し調べれば分かる事だ。今まで隠すわけでもなかったのだから。
ただラウルは穏やかに笑った。そして首を横に振った。
「例え僕に何が起こっても、例え命を落としたとしても、シウス様は皆の宰相でなければいけません」
「これ、滅多な事を言うでない」
「いいえ、言わせてもらいます。絶対などないのです。僕は、例え自分に何が起こっても最善を尽くしたいと思っています。それが、友人や家族、そしてシウス様の為になるのなら。だからシウス様も最善を尽くして下さい。僕のせいでシウス様が情けない宰相様になってしまったら、僕はとても悲しいです」
真っ直ぐな視線が、真っ直ぐな言葉がシウスを締め付けるようだった。
だが、思う。ラウルの言葉は正しい。何一つ、間違った事など言ってはいない。
だからだろう、穏やかに頷いた。
「お前が誇りと思える者でなければならぬな」
「はい」
「……分かった。ただ、用心だけはするのだぞ」
柔らかな頭を撫で、額にキスをして。シウスは騒がしい胸のさざめきをやり過ごした。
◆◇◆
▼オスカル
久々に耳にした名に、こんなにも苛立つ事があるなんて思ってもみなかった。
オスカルは会議後、ずっと不機嫌なままだ。
話を聞いたエリオットが気遣わしい表情で温かな紅茶を差し出してくる。桃の香りが僅かに鼻孔をくすぐった。
「ルースが、とうとう動き出したのですね」
「最悪。僕、あいつ嫌い」
「まぁ、分からなくはありませんが」
苦笑するエリオットの意外な落ち着きの方が気にかかる。オスカルはエリオットを観察するように見た。
「慌てないね。エリオット、もしかして自分は狙われないとでも思ってる?」
「まさか。オスカルを出し抜きたいなら私を狙うのが常套手段だと思っていますよ」
「じゃあ、なんで?」
「それは勿論、返り討ちにするつもりだからに決まっているでしょ?」
キョトンとした穏やかな空気でもの凄い事を宣ったエリオットは落ち着いた様子で同じく紅茶を飲む。だが、オスカルの方は冷や汗ものだ。
「いや、あのね」
「不意を突かれる事、目の前に助けなければならない者がいると周囲への警戒がおざなりになる事。私はこれで自分の欠点を知っているつもりです。ならば、その点を気を付ければいいだけのこと」
「簡単に言うけれどさ」
「まさかオスカル、私に敵前逃亡をする様な事を言うつもりではありませんよね?」
ニッコリと微笑む美しさが妙な威圧感と殺気を放っている。オスカルは全てを紅茶と共に流し込んだ。
「何よりあいつは、私とは相性が悪いですよ。タイプが似ているので引き分けても負けはしません」
「そういえば、そうだったね」
記憶を引っ張り出しても、エリオットがルースに負けた事は一度もない。剣のタイプも似ているだろう。相手の弱点、急所を的確に判断し、正確無比にそこを突く。それを躊躇うような人ではない。案外エリオットも恐ろしい一面があるのだ。
「ただ、ファウストは苦手な相手ですね。私を相手にしてもファウストはやりづらそうですから」
「だよねぇ」
「オスカル、貴方も苦手でしょ?」
「うっ」
そこを突かれるとなんとも言えない。平然とお茶を飲むエリオットが強敵に見えてきた。
「貴方は挑発に乗りやすい。少し何かを言われただけで無理な攻撃を展開してしまう。もう少し冷静に対処しなければならないはずです」
「鋭いな……。だって、嫌な事言うし、するじゃん。あいつは本当に性格歪んでる」
「だとしても、相手をしなければならないのですから。彼ならきっと、それぞれが一番苦手な相手を差し向けてくるでしょう。私にはおそらく、パワー型の相手です」
「そこまで冷静に見てるんだ」
オスカルなどは考えるだけで辟易とするのに、エリオットはまったくだ。
笑みを浮かべたエリオットは逆に穏やかな視線をオスカルへと投げた。
「相手が私達を知っているように、私達は相手を知っている。奴の性格や、底意地の悪さをね。ですから、対処も覚悟も準備もできる。避けて通れないのなら、打ち砕くのみです」
「エリオット、男らしくて素敵」
でも確かに、エリオットの言う事は確かだ。避けられないなら打ち砕く。そうしてあいつを捕らえ、憂いを晴らす。それが出来た暁にはようやく穏やかに微笑む事ができるだろう。
「エリオット」
「なんですか?」
「ルースを捕まえたら、結婚式しようね」
「それはまた、別の話ですよ」
そう言いながらも赤い顔をするエリオットはようやくオスカルの好きな柔らかな雰囲気が戻って、オスカルは嬉しそうに笑みをみせた。
◆◇◆
▼クラウル
不安を口にすれば現実となる。そんな予感がしている。クラウルは暗府執務室に籠もっていた。とても部屋に戻る気になれなかったのだ。
そうしてどのくらい居たか。ふとノックされ、躊躇いもなくドアが開く。見ればコーヒーカップを二つ持ったゼロスが溜息をついて入ってきた。
「いつまでも灯りが点いていたので」
「……すまない」
目の前にカップが置かれ、芳しいコーヒーの匂いが漂ってくる。
隣りに腰を下ろしたゼロスは、何を聞くでもなくそうしている。
「聞かないのか?」
「俺が聞いていい事なら、貴方は既に話している。話せないからこんな所で難しい顔をしているのではありませんか?」
本当に敵わない。思い、苦笑してコーヒーを頂いた。妙に味がしない気がする。気持ちだけの問題だと分かっている。
「ゼロス」
「なんですか?」
「…………別れようか」
「はぁ?」
途端、素っ頓狂な声が上がってガタリと音がする勢いでゼロスが立ち上がる。酷く怖い顔で睨まれて、クラウルは自嘲気味に笑った。
「その冗談、笑えません」
「冗談のつもりでは」
「結婚しようと、つい数日前に聞いたばかりだと思いますが」
「……状況が変わったんだ」
言って納得してもらえはしないだろうが、説明も困る。
だが当然、許されるはずもなかった。胸ぐらを掴み、酷く傷ついた顔で睨むゼロスを見たら、酷く心の奥が冷たくなっていくのが分かった。
「納得するまで説明しろ。それがあんたの責任だ」
「……嫌な相手が、これから攻め込んでくるだろう。俺の事を知っている奴だ。ただ、俺にはあまり欠点らしい欠点はない。カールとヴィンセント以外では、お前だけだ。お前に目が向く。だから」
「そんなクソみたいな理由で、別れようと」
「もしくは騎士団から離れてもいい。あいつは一般人には手を出さない。元騎士団でも一般人となればあるいは」
「本気で言ってるのか!」
本気で怒鳴られて、ビクリと肩が震える。クラウルは頼りなくゼロスを見るしかなかった。
「暗府団長の威厳は何所にいった。あんたはそんな情けない男じゃないだろ」
「ゼロス」
「俺が弱点だって? バカにするな。これでも騎士の端くれだ、自分の身くらい自分で守る。出来ない時にはそれまでだ、覚悟は出来ている」
「俺は!」
「あんたも同じ騎士から恋人選んだなら、そのくらいの覚悟しろ!」
当然のことを突きつけられて、どうにも言葉がない。情けなく見つめている間に、ゼロスは突き飛ばすように手を離して立ち上がった。
「正直がっかりだ。俺が憧れたあんたは、どこに行ったんだ」
「ゼロス」
「……望み通り、別れてもいい。今のあんたは弱すぎる」
背を向けられるその体を、クラウルは繋ぎ止めて抱きしめていた。震えるような手で、必死に抱き寄せていた。
「すまない」
「自分が言ったことだろ」
まったくその通りだ。悩んだ末に、どうしても守りたくて考えていた。自分の幸せなど二の次でいいから、ゼロスには生きていてもらいたかった。
そっと、腕の中でゼロスが身を捩る。そしてゆっくりと頭の後ろへと腕が伸び、引き寄せられた。柔らかく触れるキスはどこまでも穏やかな気持ちをくれる。冷たく暗い心の底に、温かな陽を落とすように。
「泣くなんて、卑怯ではありませんか?」
「すまない……」
「まったく、どれだけ自分を追い込んだんです。バカな事を考える暇があったら、俺を鍛えるくらいの頭を巡らせてください」
溜息をついたゼロスが不敵な笑みを浮かべる。そして、ちょんちょんと自分の剣を指さした。
「そんなに心配なら、貴方の技術を俺に下さい。俺が倒れないように、貴方がきっちりしこむんですよ」
「だが、俺の剣は決して綺麗ではないし、人を殺すために鍛えたものだ。騎士の剣では」
「剣を持つ以上、誰かを殺す事に躊躇いは持てない。武器を持って襲ってくる相手に躊躇うような腑抜けではありませんから、ご安心下さい」
そう言って、ゼロスはニッと笑う。
その笑みを見て、心を感じて、クラウルは苦笑した。そして、らしくない自分を一喝して剣を手に取った。
「怪我をさせるかもしれないが」
「上等です」
言って先へと促すゼロスを追って、クラウルは新たに気を引き締めるのだった。
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