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8章:花の誘惑
3話:花見
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王都を出て街道を馬で一時間半。そうして辿り着いた保養地は、見事な薄紅色に染まっていた。
「わ……ぁ」
思わず感嘆の声が漏れる。町を入って直ぐの馬屋に馬を預けて徒歩で入ると、頭上は桜の雲のようだった。
「見事だな」
隣に並んだファウストも柔らかな笑みを浮かべて見上げている。その顔を見ると、浮かれそうな気持ちがまた少し大きくなった。
「綺麗ですね」
「あぁ」
「ファウスト様は、お花見などはするのですか?」
花を愛でる人が楽しげにしているが、正直何をしていいか分からない。大抵は花を愛でつつお茶やお酒を楽しむのだろうが。
ファウストは困った顔で首を横に振る。それとなく、いつもよりもゆっくりと歩きながらファウストもメイン通りの店を見ている。
「俺もこれといって花見の習慣はない。昔グリフィスに誘われて飲みに出たが、あれは花見ではなく宴会だな」
「俺も似たようなものです。だから、こんなにのんびりとした時間は初めてで。恥ずかしながら、何をしていいか分からないんです」
素直なところを言うと、ファウストは驚いたような顔をした。それでも次には穏やかな瞳がこちらをみて、ふわりと口元に笑みが浮かぶ。
「ならば、のんびりと思うように過ごせばいい。確かな形式などないんだからな」
「そうですね」
桜が咲く道を隣り合って歩きながら、二人は案内の宿を目指した。
宿は豪華すぎるものだった。招待券を見せると奥から重役らしい人が出てきて、恭しく案内をしていく。そうして通されたのは、まさかの離れだった。
「オリヴァー様……」
さらっととんでもない高級品を出してきた人を思って、ランバートは脱力する。ファウストも苦笑気味だ。
「お風呂は室内と露天とがあります。勿論、敷地内にお客様以外の者が入ることもございませんので、プライバシーは守られております」
離れはのびのびとしてはいるが、露天の周囲には目隠しの高い生け垣がある。
入ってすぐはリビングで、食事をしたり寛ぐ場所になっている。右側に室内風呂とお手洗い、左側の部屋は寝室だ。寝室には広めのベッドが二組、長身のファウストでも十分に手足を伸ばせるようなものだった。
「お食事はお部屋にお運びいたしますが、時間はいつ頃がよろしいでしょうか?」
「そうだな……十九時くらいでいいか?」
「はい、構いません」
「ではそのくらいでご用意いたします」
そう言って、宿の人は丁寧に出ていった。
室内を見回して、思わず言葉がなくなる。露天からも桜の花が見えている。贅沢に源泉掛け流しだ。
「随分いい宿だな」
「オリヴァー様にお土産買っていかないと」
「お前も案外気を使うな」
笑うファウストだが、これだけ好条件の宿の招待券なんだ。何かしらのお礼を持っていかないと申し訳なくなってしまう。
「それにしても、オリヴァー様はどういう経緯で招待券を持っていたのでしょうか?」
それにチョコも。あの人の人脈って、なんなんだろう。
これについてはファウストも首を横に振る。
「あいつは、よく会合やパーティーに顔を出しているみたいだな。貴族のではなく、少し特殊な趣向の会合もあるようだ」
「特殊?」
「仮面をつけて行くような特殊性の会合だ」
「これ以上は言わない」と言われて、ランバートも察するより他になくなる。それにしても、綺麗どころのあの人にそんな特殊な趣味があったとは、意外だ。
「それとは別に、甘党なのもあるな。チョコやケーキはその筋だな」
「そんなにですか?」
「三食中一食は甘味でいいと平然とのたまうからな」
「ははっ」
乾いた笑いが浮かんでしまう。
「おそらくこの宿の招待券も、そうしたところで手に入れたんだろう。無駄に色気を演出しているし、カップル用だな」
「ベッドはそれぞれですけれど」
「あれ、くっつけられるようになっているぞ」
「え!」
慌ててベッドルームのベッドを動かしてみると、簡単に動いた。しかもサイドボードにはローションも完備。恐ろしい場所だ。
「その辺は考えるな。逆をかえせば、徹底的にプライベートが守られる。のんびりと過ごすならいいだろう」
そう言うと、ファウストはリビングの寝椅子に座ってのんびりと庭を見る。温泉のその先に、見事な桜が咲いている。
「いいものだな」
「そうですね」
少し側に座って、同じ景色を見る。宿舎よりもずっと寛いだファウストの側はとても落ち着いていられた。
「少し休んだら町に出てみるか。食べ歩きもいいだろう」
「いいですね」
しばし見とれるように隣り合って時間を過ごす。この時間がとても、幸せに感じていた。
◆◇◆
ランバートはいつも以上にあどけない子供のような様子を見せる。宿から町へと移動すると、一面の花に改めて嬉しそうな顔をした。
「俺、十九年を無駄にしていたかもしれません。もっと早く花見に来てみればよかった」
そんな事を隣で言うその足取りが、何よりも楽しいと言っている。それを見るファウストもまた、心が浮き立っている気がした。
「先に何か食べるか。昼を食べ忘れていたな」
「宿の夕食が美味しそうでしたから、軽めにしましょうか」
隣を歩きつつキョロキョロと辺りを見回したランバートが、何かを見つけて指を差す。その先に、雰囲気のいいオープンテラスのカフェがあった。
「美味しそうですね」
「軽食メインだな」
表に出ている看板を見ると、そう重くはなさそうなセットが書かれている。顔を見合わせ、頷いてここに決めた。
サンドイッチにコーヒーと、サラダとメインとスープのセットをそれぞれ頼む。量はやや少ないくらい。彩りが綺麗で、見た目にも楽しめるものだった。
「美味しいですね」
スープを飲みつつ驚いたように言うランバートは、中の具材をあれこれ見ている。最近気づいたが、これがこいつの癖のようだ。美味しいと思ったもの、面白いと思ったものに興味を引かれ、ついつい詳しく見ようとする。好奇心旺盛な姿だ。
「ファウスト様のメインは、魚料理ですか?」
「あぁ」
シンプルなムニエルだが、彩りは鮮やかだ。ハーブの類いを飾り、色のいいソースで縁を飾っている。
「ファウスト様は魚派ですか?」
「いや、そうでもない。主に気分だ」
基本、好き嫌いはない。強いていえば気分だろう。魚が食べたいと思う時もあれば、今日は肉だと思う日もある。そしてそういう日に食べられないと、その後の時間がずっとモヤモヤしてしまう。
「お前は野菜が好きだろ」
ランバートが選んだのは子羊のローストだが、それよりもサラダに釘つけだ。普段の食事も野菜料理が多いように思う。
「野菜は好きですよ。でも、肉や魚も好きです。別にベジタリアンというわけではありません」
いいつつ肉にも口をつける。そして呟くように「あっ、美味しい」とこぼす。そんな姿が子供っぽくて、なんとなくおかしくなって笑った。
「この後、どうしましょうか?」
「そうだな。買い物はあまり興味がないから、少し離れて景色のいいところに行こうか」
「そうですね。あっ、でもお土産は買わないと」
「明日の帰りでいいだろ」
律儀にも言うランバートにそう返す。丁度店員がコーヒーのおかわりを持ってきたところだった。
「すまない。この辺で、景色のいい落ち着ける場所はあるか?」
「えぇ、ございますよ。大きな通りを右手にゆくと、公園があります。その先がなだらかな草原になっていまして、今は桜がとても美しく咲いています」
「人が多いか?」
「いいえ。満開の頃には宴会をする者がいますが、温泉保養地なので基本お客は老齢の方が多いのです。なので、そこまで足を伸ばされる方は多くありません」
教えてくれた店員に礼を言ってランバートを見ると、青い瞳が輝いていた。
「行こうか」
「はい」
満面の笑みはいつもより数割増し。これほどに楽しげだと、来て良かったと素直に思えた。
公園は直ぐに見つかった。整備された道を奥へと進むと、なだらかに上る。そこを上った先には、心地よい草原が広がった。
立派な桜の下に腰を下ろすと、薄紅色の花が風に揺れている。側でランバートが嬉しそうにしていた。
「楽しそうだな」
「はい、とても。俺、最近楽しい事が多いって思えるんですよ」
無邪気な様子で言うランバートだが、なんとなく引っかかりを感じる。見ていると、困ったような顔でランバートは笑った。
「明確に死にかけたせいですかね。朝起きて浴びる日の光だったり、日々の食事が美味しかったり、何でもない会話が楽しかったり。あと、仲間との会話も楽しいって思えるんです。あまりこの場にはそぐわない話ですが」
「ランバート……」
それはまだ僅かに、痛みを感じる話だった。
先の事件で、ランバートは本当に死にかけた。その光景が、感触が、今も思い出せる。冷たい肌に触れた時の恐怖を、思い出せる。
だが同時に聞けていなかった。色々、聞きたいことはあったのだ。事件自体はこいつの落ち度ではないし、責めるのも可哀想なものなのに、どこか責めるような気持ちが強くなってしまう。
「お前、戻らないつもりだったのか?」
思わず聞いて、止めておけばよかったと後悔する。ランバートがしょぼくれた笑みを浮かべたからだ。何も楽しんでいるところでする話じゃない。自分に言って、それでも止められなかった。
「出ていって、戻ってくるつもりはあったのか?」
「……戻ってきたいとは、思いました。たとえ無残な姿でも、あの男の慰み者になった後でもいい。戻りたいとは、思っていましたよ」
静かな声がそう告げる。青い瞳が真っ直ぐにファウストを見ている。それを見るファウストは、どんな顔をしていいか分からなかった。
「出ていく時、怖くなかったと言えば嘘です。怖かった。でもそれ以上に、あの手紙と添えられた髪の束を見て覚悟したんです。俺が行かなければ、この髪の主は殺される。そういうことに躊躇いを持つような奴が相手じゃない。これでダメならまた攫って、同じようにするだろうって」
「ランバート」
「俺が死ぬ事よりも、そっちの方が耐えられなかったんです。すみません、貴方を裏切ってしまって」
深く反省するような表情と声で告げ、頭を下げられる。ファウストはそれを、ただ見ていた。
手を出してやるのが優しさだ。でも、出ない。ここで彼を引き寄せるのは恋人にするような抱擁に似ている気がして躊躇った。
「でも、どこかで信じていたんです」
「信じていた?」
「ファウスト様ならきっと、見つけてくれると」
微笑んだそこに偽りを感じない。ランバートは実に穏やかに頷いた。
「貴方なら探してくれる。そんな気がしていたんです。迷惑な話だとは思いましたが」
「迷惑なんて思っていない。だが、あまりに危険な考えだ」
「ですよね。でもあの場面では、それしか考えられなかった」
静かに言ったランバートが、次には笑う。今日は表情がコロコロと忙しく変わる。
「どうした?」
「いえ、おかしな事を思い出して。俺、死にかけている間ずっと、ファウスト様の事を考えていた気がするんです」
「え?」
言葉が詰まる。心臓がほんの少し早くなる。そして、楽しげなランバートから視線を外せなくなった。
「一緒に遠乗りに行った時の事とか、お酒を飲む約束をしていた事とか。ファウスト様って大抵、困った顔で笑うんですよね。仕方がないなって感じで。俺はそれを見て、なんだか悲しかったんです。この顔を、声を、聞きたいなって思ってしまって。戻れない予感がして」
「戻ってきただろ」
「えぇ。だからこそ、今はとても嬉しいし、幸せです」
ニッコリと笑い、居住まいを正す。そして一つ丁寧に頭を下げたランバートを、ファウストは見ていた。
「有り難うございます、ファウスト様。俺は今、とても嬉しくて幸せです」
青い瞳が憂いなく輝くのは、その心に嘘がないから。でもそれを見つめるファウストの中には、影のある感情が声を上げようとしている。宿舎を離れ、制服を脱ぎ、腕章も外した自分は今、ただの私人であると言わんばかりだ。
「大げさだな。言っておくが、二度と許さないぞ」
「俺もあんなのはもう嫌なので、しませんよ」
「他におかしなのに目をつけられていないだろうな?」
「多分大丈夫ですよ」
この「多分」が信用ならない。ジロリと睨むと、なんとも無邪気な笑みが返ってきた。
「わ……ぁ」
思わず感嘆の声が漏れる。町を入って直ぐの馬屋に馬を預けて徒歩で入ると、頭上は桜の雲のようだった。
「見事だな」
隣に並んだファウストも柔らかな笑みを浮かべて見上げている。その顔を見ると、浮かれそうな気持ちがまた少し大きくなった。
「綺麗ですね」
「あぁ」
「ファウスト様は、お花見などはするのですか?」
花を愛でる人が楽しげにしているが、正直何をしていいか分からない。大抵は花を愛でつつお茶やお酒を楽しむのだろうが。
ファウストは困った顔で首を横に振る。それとなく、いつもよりもゆっくりと歩きながらファウストもメイン通りの店を見ている。
「俺もこれといって花見の習慣はない。昔グリフィスに誘われて飲みに出たが、あれは花見ではなく宴会だな」
「俺も似たようなものです。だから、こんなにのんびりとした時間は初めてで。恥ずかしながら、何をしていいか分からないんです」
素直なところを言うと、ファウストは驚いたような顔をした。それでも次には穏やかな瞳がこちらをみて、ふわりと口元に笑みが浮かぶ。
「ならば、のんびりと思うように過ごせばいい。確かな形式などないんだからな」
「そうですね」
桜が咲く道を隣り合って歩きながら、二人は案内の宿を目指した。
宿は豪華すぎるものだった。招待券を見せると奥から重役らしい人が出てきて、恭しく案内をしていく。そうして通されたのは、まさかの離れだった。
「オリヴァー様……」
さらっととんでもない高級品を出してきた人を思って、ランバートは脱力する。ファウストも苦笑気味だ。
「お風呂は室内と露天とがあります。勿論、敷地内にお客様以外の者が入ることもございませんので、プライバシーは守られております」
離れはのびのびとしてはいるが、露天の周囲には目隠しの高い生け垣がある。
入ってすぐはリビングで、食事をしたり寛ぐ場所になっている。右側に室内風呂とお手洗い、左側の部屋は寝室だ。寝室には広めのベッドが二組、長身のファウストでも十分に手足を伸ばせるようなものだった。
「お食事はお部屋にお運びいたしますが、時間はいつ頃がよろしいでしょうか?」
「そうだな……十九時くらいでいいか?」
「はい、構いません」
「ではそのくらいでご用意いたします」
そう言って、宿の人は丁寧に出ていった。
室内を見回して、思わず言葉がなくなる。露天からも桜の花が見えている。贅沢に源泉掛け流しだ。
「随分いい宿だな」
「オリヴァー様にお土産買っていかないと」
「お前も案外気を使うな」
笑うファウストだが、これだけ好条件の宿の招待券なんだ。何かしらのお礼を持っていかないと申し訳なくなってしまう。
「それにしても、オリヴァー様はどういう経緯で招待券を持っていたのでしょうか?」
それにチョコも。あの人の人脈って、なんなんだろう。
これについてはファウストも首を横に振る。
「あいつは、よく会合やパーティーに顔を出しているみたいだな。貴族のではなく、少し特殊な趣向の会合もあるようだ」
「特殊?」
「仮面をつけて行くような特殊性の会合だ」
「これ以上は言わない」と言われて、ランバートも察するより他になくなる。それにしても、綺麗どころのあの人にそんな特殊な趣味があったとは、意外だ。
「それとは別に、甘党なのもあるな。チョコやケーキはその筋だな」
「そんなにですか?」
「三食中一食は甘味でいいと平然とのたまうからな」
「ははっ」
乾いた笑いが浮かんでしまう。
「おそらくこの宿の招待券も、そうしたところで手に入れたんだろう。無駄に色気を演出しているし、カップル用だな」
「ベッドはそれぞれですけれど」
「あれ、くっつけられるようになっているぞ」
「え!」
慌ててベッドルームのベッドを動かしてみると、簡単に動いた。しかもサイドボードにはローションも完備。恐ろしい場所だ。
「その辺は考えるな。逆をかえせば、徹底的にプライベートが守られる。のんびりと過ごすならいいだろう」
そう言うと、ファウストはリビングの寝椅子に座ってのんびりと庭を見る。温泉のその先に、見事な桜が咲いている。
「いいものだな」
「そうですね」
少し側に座って、同じ景色を見る。宿舎よりもずっと寛いだファウストの側はとても落ち着いていられた。
「少し休んだら町に出てみるか。食べ歩きもいいだろう」
「いいですね」
しばし見とれるように隣り合って時間を過ごす。この時間がとても、幸せに感じていた。
◆◇◆
ランバートはいつも以上にあどけない子供のような様子を見せる。宿から町へと移動すると、一面の花に改めて嬉しそうな顔をした。
「俺、十九年を無駄にしていたかもしれません。もっと早く花見に来てみればよかった」
そんな事を隣で言うその足取りが、何よりも楽しいと言っている。それを見るファウストもまた、心が浮き立っている気がした。
「先に何か食べるか。昼を食べ忘れていたな」
「宿の夕食が美味しそうでしたから、軽めにしましょうか」
隣を歩きつつキョロキョロと辺りを見回したランバートが、何かを見つけて指を差す。その先に、雰囲気のいいオープンテラスのカフェがあった。
「美味しそうですね」
「軽食メインだな」
表に出ている看板を見ると、そう重くはなさそうなセットが書かれている。顔を見合わせ、頷いてここに決めた。
サンドイッチにコーヒーと、サラダとメインとスープのセットをそれぞれ頼む。量はやや少ないくらい。彩りが綺麗で、見た目にも楽しめるものだった。
「美味しいですね」
スープを飲みつつ驚いたように言うランバートは、中の具材をあれこれ見ている。最近気づいたが、これがこいつの癖のようだ。美味しいと思ったもの、面白いと思ったものに興味を引かれ、ついつい詳しく見ようとする。好奇心旺盛な姿だ。
「ファウスト様のメインは、魚料理ですか?」
「あぁ」
シンプルなムニエルだが、彩りは鮮やかだ。ハーブの類いを飾り、色のいいソースで縁を飾っている。
「ファウスト様は魚派ですか?」
「いや、そうでもない。主に気分だ」
基本、好き嫌いはない。強いていえば気分だろう。魚が食べたいと思う時もあれば、今日は肉だと思う日もある。そしてそういう日に食べられないと、その後の時間がずっとモヤモヤしてしまう。
「お前は野菜が好きだろ」
ランバートが選んだのは子羊のローストだが、それよりもサラダに釘つけだ。普段の食事も野菜料理が多いように思う。
「野菜は好きですよ。でも、肉や魚も好きです。別にベジタリアンというわけではありません」
いいつつ肉にも口をつける。そして呟くように「あっ、美味しい」とこぼす。そんな姿が子供っぽくて、なんとなくおかしくなって笑った。
「この後、どうしましょうか?」
「そうだな。買い物はあまり興味がないから、少し離れて景色のいいところに行こうか」
「そうですね。あっ、でもお土産は買わないと」
「明日の帰りでいいだろ」
律儀にも言うランバートにそう返す。丁度店員がコーヒーのおかわりを持ってきたところだった。
「すまない。この辺で、景色のいい落ち着ける場所はあるか?」
「えぇ、ございますよ。大きな通りを右手にゆくと、公園があります。その先がなだらかな草原になっていまして、今は桜がとても美しく咲いています」
「人が多いか?」
「いいえ。満開の頃には宴会をする者がいますが、温泉保養地なので基本お客は老齢の方が多いのです。なので、そこまで足を伸ばされる方は多くありません」
教えてくれた店員に礼を言ってランバートを見ると、青い瞳が輝いていた。
「行こうか」
「はい」
満面の笑みはいつもより数割増し。これほどに楽しげだと、来て良かったと素直に思えた。
公園は直ぐに見つかった。整備された道を奥へと進むと、なだらかに上る。そこを上った先には、心地よい草原が広がった。
立派な桜の下に腰を下ろすと、薄紅色の花が風に揺れている。側でランバートが嬉しそうにしていた。
「楽しそうだな」
「はい、とても。俺、最近楽しい事が多いって思えるんですよ」
無邪気な様子で言うランバートだが、なんとなく引っかかりを感じる。見ていると、困ったような顔でランバートは笑った。
「明確に死にかけたせいですかね。朝起きて浴びる日の光だったり、日々の食事が美味しかったり、何でもない会話が楽しかったり。あと、仲間との会話も楽しいって思えるんです。あまりこの場にはそぐわない話ですが」
「ランバート……」
それはまだ僅かに、痛みを感じる話だった。
先の事件で、ランバートは本当に死にかけた。その光景が、感触が、今も思い出せる。冷たい肌に触れた時の恐怖を、思い出せる。
だが同時に聞けていなかった。色々、聞きたいことはあったのだ。事件自体はこいつの落ち度ではないし、責めるのも可哀想なものなのに、どこか責めるような気持ちが強くなってしまう。
「お前、戻らないつもりだったのか?」
思わず聞いて、止めておけばよかったと後悔する。ランバートがしょぼくれた笑みを浮かべたからだ。何も楽しんでいるところでする話じゃない。自分に言って、それでも止められなかった。
「出ていって、戻ってくるつもりはあったのか?」
「……戻ってきたいとは、思いました。たとえ無残な姿でも、あの男の慰み者になった後でもいい。戻りたいとは、思っていましたよ」
静かな声がそう告げる。青い瞳が真っ直ぐにファウストを見ている。それを見るファウストは、どんな顔をしていいか分からなかった。
「出ていく時、怖くなかったと言えば嘘です。怖かった。でもそれ以上に、あの手紙と添えられた髪の束を見て覚悟したんです。俺が行かなければ、この髪の主は殺される。そういうことに躊躇いを持つような奴が相手じゃない。これでダメならまた攫って、同じようにするだろうって」
「ランバート」
「俺が死ぬ事よりも、そっちの方が耐えられなかったんです。すみません、貴方を裏切ってしまって」
深く反省するような表情と声で告げ、頭を下げられる。ファウストはそれを、ただ見ていた。
手を出してやるのが優しさだ。でも、出ない。ここで彼を引き寄せるのは恋人にするような抱擁に似ている気がして躊躇った。
「でも、どこかで信じていたんです」
「信じていた?」
「ファウスト様ならきっと、見つけてくれると」
微笑んだそこに偽りを感じない。ランバートは実に穏やかに頷いた。
「貴方なら探してくれる。そんな気がしていたんです。迷惑な話だとは思いましたが」
「迷惑なんて思っていない。だが、あまりに危険な考えだ」
「ですよね。でもあの場面では、それしか考えられなかった」
静かに言ったランバートが、次には笑う。今日は表情がコロコロと忙しく変わる。
「どうした?」
「いえ、おかしな事を思い出して。俺、死にかけている間ずっと、ファウスト様の事を考えていた気がするんです」
「え?」
言葉が詰まる。心臓がほんの少し早くなる。そして、楽しげなランバートから視線を外せなくなった。
「一緒に遠乗りに行った時の事とか、お酒を飲む約束をしていた事とか。ファウスト様って大抵、困った顔で笑うんですよね。仕方がないなって感じで。俺はそれを見て、なんだか悲しかったんです。この顔を、声を、聞きたいなって思ってしまって。戻れない予感がして」
「戻ってきただろ」
「えぇ。だからこそ、今はとても嬉しいし、幸せです」
ニッコリと笑い、居住まいを正す。そして一つ丁寧に頭を下げたランバートを、ファウストは見ていた。
「有り難うございます、ファウスト様。俺は今、とても嬉しくて幸せです」
青い瞳が憂いなく輝くのは、その心に嘘がないから。でもそれを見つめるファウストの中には、影のある感情が声を上げようとしている。宿舎を離れ、制服を脱ぎ、腕章も外した自分は今、ただの私人であると言わんばかりだ。
「大げさだな。言っておくが、二度と許さないぞ」
「俺もあんなのはもう嫌なので、しませんよ」
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強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
わがまま放題の悪役令息はイケメンの王に溺愛される
水ノ瀬 あおい
BL
若くして王となった幼馴染のリューラと公爵令息として生まれた頃からチヤホヤされ、神童とも言われて調子に乗っていたサライド。
昔は泣き虫で気弱だったリューラだが、いつの間にか顔も性格も身体つきも政治手腕も剣の腕も……何もかも完璧で、手の届かない眩しい存在になっていた。
年下でもあるリューラに何一つ敵わず、不貞腐れていたサライド。
リューラが国民から愛され、称賛される度にサライドは少し憎らしく思っていた。
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