恋愛騎士物語1~孤独な騎士の婚活日誌~

凪瀬夜霧

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12章:ルシオ・フェルナンデス消失事件

2話:幼馴染み

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 執務室に詰めることが最近多くなった。夕食を食べ、寝る支度を調えてもまだ執務室に小さな明かりを灯す日が続いている。
 これはもう癖だ。自室でも考え事はできるし、一人部屋で誰がいるわけでもない。だが、私室は休む場所という刷り込みがされて考えが鈍る。考え事は執務室、仕事場でするのが一番だ。
 ルシオの行方が掴めない。西にいる隊員からもそのような報告を受けた。同時にレンゼール派の動きがない。身を潜めたというよりは、不在にしているような静けさだと言う。

「ラウルの報告を疑うのが間違いだな」

 ラウルを見た目で判断してはいけない。あの子は芯が強く真面目で優秀だ。今まで暗府の仕事でしくじったことはない。一人でも十分にやってくれる奴だ。
 ラウルに西に行ってもらった。ルシオ派の動き、ルシオ・フェルナンデスの行方の捜索、レンゼール派の動きだ。
 それによると、ルシオ派が解散状態であるというのは本当らしい。まったく噂を聞かなくなった。同時にルシオ・フェルナンデスの行方も掴めない。そして、レンゼール派の動きまでもが静かだ。

「ルシオ……」

 お前は今、どこにいる。無事でいるのか。怪我などしていないだろうか。頼むから……敵でもいい、無事でいてくれ。
 願い、肘をついて手を組み、そこに額を当てる。友人の姿を思い描くも、別れ際の寂しげな笑みしか出てこない。肩を叩かれたった一言「頼むよ」と言ったあの時の。

 コンコン

 思考を遮断するような音に、クラウルは顔を上げる。扉の先にもう気配はない。コンコンは暗府の合図だ。基本、扉を閉めている夜間の報告を知らせる為だ。
 立ち上がり、戸口へと向かう。そして戸の隙間に、小さな白い紙が挟み込まれているのに目がとまった。手にし、中を開けてクラウルは目を見張った。

『東地区花街にて、銀髪緑眼の綺麗な男が出入りしている。
 会話の内容から、ルシオ・フェルナンデスの可能性あり。
 偽名をカール・ローゼンと名乗る』

 思わず扉を開けようとノブに手をかけてやめた。この一件にランバートを巻き込む訳にはいかない。自分が動くよりない。これから、テロリストを見逃しに行こうというのだから。
 そのままドアから離れよう。そう思って動こうとしたその時、ドアがもう一度コンコンとノックされて驚いて足を止めた。なぜなら未だ、この扉の先の気配を探れないからだ。

「明後日、来るそうです。俺の知り合いの娼婦が相手をしています。お願いして、引き留めてくれるようにしました。明後日六時、前と同じ待合場所で」

 それだけを言って、微かな足音が遠ざかって行く。わざとそうしたのだと分かった。気配は未だ消えたまま、立ち去った事を知らせるために。

「あいつ、本当に暗殺者か」

 疑いようがない。あいつはそうした訓練を間違いなく受けている。気配の消し方はもしかしたらクラウルよりも上手い。足音もなく近づいてきていた。

「恐ろしい奴だ」

 呟きながら、それでも苦笑が浮かぶ。ランバートが敵になる事はおそらくない。あいつの根本は善である。弱い者を慈しみ守り、横暴を憎む。そうした心のある者だ。
 ルシオもそうだった。弱い者を守り、苦しむ者に手を差し伸べ、すくい上げようとする奴だった。民を大切にする国にしよう。貴族である事が偉いのではなく、努力する者に手を差し伸べる事が出来る国にしよう。そう言い出したのは、ルシオが最初だった。
 叶えてやる。あいつが去った時、泣きながらカーライルはクラウルに誓った。優しく、厳しい事を強いるのが苦手だったあいつが、泣き言を言わなくなったのはそこからだ。ルシオの魂と気持ちをちゃんと連れて行く。それを側で見ると、痛々しくすら感じた。

「ルシオ」

 会いに行く。たとえ友を裏切り、テロを許す事になってもあいつを助ける。五年前、助けてやれなかったんだ。全てを剥がされ、未来まで奪い、放り投げられたあの時の悔しさが蘇る。何もしてやれなかった事が苦しかった。カールは立場上できなくとも、自分は何か出来たはずなのに。
 明後日、六時。ランバートが掴んでくれた望みを繋ぐため、クラウルはギリリッと奥歯を噛んだ。

◆◇◆

 約束の日、クラウルは髪を下ろして待っていた。緑のサスペンダーズボンに、綿のシャツ。剣も持たずにそこにいた。

「お待たせしました」

 そう言って近づいてきたランバートに苦笑を向ける。そして、ゆっくりと歩み寄った。

「ランバート」
「行きましょうか」

 何も言わせない。そういう態度を笑みに感じる。連れ立っているはずなのに、強引に腕を引かれている感じがある。半歩ほど前を歩いているランバートに連れ出されるように、クラウルは東地区花街へと足を踏み入れた。

 東地区花街は西とは違う。格式ある建物に豪奢な装飾を好む西の花街に対し、こちらは小さな宿屋のような店が多い。表には客引きの娘も出ていて、男を誘っている。
 ランバートが連れてきたのはそんな東花街の中でも品格のある店だった。白い外壁にはレリーフがあり、張り出した入り口は二本の柱と丸みを帯びたアーチ型の屋根がかかっている。貴族の好む様式だった。
 中に入れば社交場のような空気がある。オープンであるのに、品がいい。受付にはきっちりとスーツを着た男が二人立ち、女性達も着飾っている。

「リフじゃない!」

 ランバートを見る女性達の声が色めき立つ。駆け寄る色とりどりのドレスを纏った女性達に囲まれ、ランバートは慣れた笑みを返している。
 遊んでいただろう事は察していたが、この様子を見ると相当だ。今近寄ってきた女性全てと経験があるというなら、よほどだろう。

「リフ、どうしたのよ」
「久しぶりじゃない。恋人出来たって噂だけど本当?」
「私、彼氏が出来たって聞いたわよ」
「私も! 髪の長い綺麗な男の人と一緒に歩いてるのを見たって」

 その髪の長い男は、きっとファウストだろう。容易に想像出来てしまう。

「ねぇ、その後ろの人は誰? もしかしてお友達?」

 女性達の視線がクラウルにも向く。色のある女性の視線に見られ、クラウルもタジタジだ。西地区の娼婦とちがい、こちらは押しが強い。

「何事です」

 ピシャリとした、厳格な女性の声に視線を上げる。そこには小柄でありながらかくしゃくとした女性が立っていた。
 グレーになった髪をきっちりと結い上げ、紫色の衣服をきっちりと着込む女性は六十代だろうとは思う。だが青い瞳に宿る光は年齢を思わせず、姿勢正しく歩く姿は貴族の風格すらも感じた。

「お久しぶりです、ミス・クリスティーナ」

 女性達が脇によけ、ランバートは恭しく礼をして女性の手を取り甲に口づける。貴族の振る舞いをするランバートを見るのは、ある意味新鮮に思えた。

「ランバート、お前はもう子供ではありませんよ。立場のある身が気安く女を買うような事をしてはならないと、何度言えば分かるのです」
「相変わらずだな、ミス」

 苦笑したランバートが子供に見える。そのような雰囲気のないこいつでも、この女性の前ではタジタジといった感じだ。

「アネットから話は聞きました。そちらですか? 失踪した友人を探しているという人は」

 ミス・クリスティーナの瞳がクラウルを見る。どうやらそのような話になったのだと察して、クラウルは真剣な表情で頭を下げた。

「事を荒立てないから」
「当然です。花街で騒ぎを起こすことはたとえお前でも許しません。いいですね」

 念押しをして奥へと下がった女性に代わり、違う女性が腰に手を当てて近づいてくる。波打つ金の髪に、赤い大きな瞳の美女だ。スレンダーな体に胸元の開いたドレスを纏う女性は近づき、まずはクラウルをジッとみていた。

「リフ、お客さんも待っててくれるって。それで、そちらが例の?」
「あぁ」
「リフの恋人?」
「違うって」

 ガックリと肩を落としたランバートに、女性はカラカラと笑う。なかなか見られない光景だ。それを黙って見ていると、不意に女性がクラウルに手を差し出した。

「私、アネットと言います。貴方のお友達は私の部屋で待ってるわ」
「クラウルだ。教えてくれて有り難う」

 手を取って指先に唇を寄せる。それに、アネットは照れたように赤くなった。

 彼女に連れられて二階にあるという部屋に向かう。一歩進むごとに心臓が痛いくらいに鳴る。緊張に出なくなりそうな足を、気力だけで進めた。こんなに胸の痛い事など久しぶりだ。
 部屋の前に立ち、女性がノックをして扉を開ける。簡素な部屋は清潔に保たれている。開け放った窓の側にある椅子に座る男が、ゆっくりとこちらを見た。
 ズキッとした痛みにも似た衝撃と、震えが走る。もうずっと、見ていない姿だ。
 輝く銀の髪は知っている姿よりも伸びて背の中程まである。透けるような緑色の瞳には明るい黄色も混ざるようで、宝石のように煌めく。縁取る睫毛も長く、鼻梁が通り、すっきりとした輪郭に柔らかな唇。天使と歌われた、まさにそのままの姿だ。

「君が来るなんて思わなかったよ、クラウル」
「ルシオ」

 フラフラと近づいていく。ルシオも立ち上がり、こちらへと近づいてきた。立てばそれなりに長身の彼は、困ったように笑う。見知った彼の表情だ。

「相変わらず、気難しい顔してる。前よりも眉間の皺が深いよ。そんなんじゃ将来思いやられるな」

 腰に手をあて、ほんの少し首を傾ける。呆れたような、暖かみのある笑みだ。
 思わず手を伸ばす。だが、その手は避けられた。

「分かってる、クラウル? 私と君との立場の違いを」
「ルシオ!」
「君は国の騎士。私は犯罪者。同じには並べない。もう私は、そこには立てないんだ」

 形のいい指がクラウルの隣を指す。それに、クラウルは言葉がない。何かを期待していた。再会の時、あまりに変わらない様子だったから大丈夫だと思ったのだ。けれど、それは違ったのか。

「私を捕まえるかい? 捕まれば、お前は私の首を落とす立場になるんだよ」
「やめろ、ルシオ」
「カールにその判断をさせるの? 断頭台に膝をつく私の最後を、お前は見られるのかい?」
「やめてくれ、ルシオ」
「あぁ、そういえば執行人を指名する事もできるんだったね。私は間違いなく、君を指名するからね」
「やめてくれ!」

 思わず叫び、腕を掴んで引き寄せた。感情の浮かばない瞳が見つめる。とても静かだ。憎しみも、悲しみもない。ただジッと、物事を見据える時の目だ。

「立ち去ってくれ、ルシオ。他国に渡ってくれ。資金が必要なら用立てる。頼む、生きて」
「それは無理な話だ、クラウル。私は国を出ない。そんな気があるなら、とっくにしている。これでも私は私の有能さを知っているよ。それをしないと決めた時点で、君は私を敵としなければならないんだ。躊躇う事は許されない」
「ルシオ!」
「クラウル、甘い考えでは守れない。私を超えていけないなら、国は潰れる」

 それ以上、ルシオは何も言わない。腕を掴む手に手を置いて下ろさせ、ゆっくりとランバートへと近づいていった。

「ランバート、君には一度会ってみたかった」

 そう言って手を差し伸べるのを、ランバートは受けた。だがその瞳には力がある。案外鋭い光だ。

「その様子だと、嫌われたかな。君のお友達を利用したのが気に入らないかな」
「俺とファウスト様が拉致された件、貴方が娼婦達に情報を流したのですか」
「あぁ、それね。いいよ、こちらのとばっちりだから。私としては尻拭いをしただけなんだ」
「それについては、感謝しています。ですが、アネットを踏みつけるような事をしたのは許せない」
「友達思いだね。いつかその気持ちが自らを滅ぼさないように、気をつけなさい」

 それだけを言い、ふと思い出したようにクラウルを見る。そして、小さく笑った。

「机の引き出しの中に、お土産入れておいたから。またね」
「ルシオ!」

 ランバートの脇を抜け、そのまま出ていく背を追えない。クラウルはただバカみたいに立ち尽くすしかなかった。

 しばらく、なんとも言えない沈黙が続いた。それを打ち壊したのは、大げさな落胆を含む女性の声だった。

「いい男だと思ったのに、スカだったなんて。私ってとことん男運ないのね」
「アネット」
「だって、いい人だったんだもん」

 窘めるランバートにも臆せず言ったアネットに、クラウルは疲れたように微笑した。

「いい人、か」
「えぇ、いい人よ。私がここから出た事がないって言ったら、外の話を沢山してくれたわ。華やかなお祭りの話、綺麗な景色、美味しいご飯とお菓子とお酒。甘い物が好きって言えば、時々お菓子を差し入れてくれて。楽しそうに私の話も聞いてくれる。女の愚痴を嫌な顔もしないで聞いてくれる男なんて、貴重なのよ」
「そうか」

 ルシオを褒めてくれる人がいる。そう思うと心が僅かに救われる。敵対してしまった自分に対してはあのような態度だったが、根本は変わっていないと思える。

「貴方に対しても、心配してたじゃない」
「俺を?」
「勿論。関わらせちゃいけないって思ったから、突き放したように見えたわ。私に話した事がリフに伝わる事を想定してたんだとしても、必要以上には話さなかった。利用されたんだって、思わせる程度だったのよ。不器用な優しさじゃない。落ち込む事なんてない」

 自分が利用されていたことすらも気にしていない。強い女性だ。そして、優しい女性だ。

「怒っていいだろ、アネット」
「怒らないわよ。あの人がなんであれ、優しかった事に変わりない。表面上だけだったとしても、私を喜ばせようとしてくれた気持ちに変わりはない。娼婦ってのはね、そういう一瞬を追って生きてるの。ここの世界だけで生きていくのよ」

 ランバートの言葉にも胸を張って言い切った女性には励まされる。クラウルも一度瞳を閉じて息を吐いた。
 元気そうだった。怪我をしている様子もない。相変わらず少し皮肉っぽくて、他人の気にしている部分を遠慮なく抉るような事を言う。その実優しくて、不器用で。

「クラウル様」
「悪いな、巻き込んで。今日の事、もしもバレたとしても俺の失態にしておく」
「いえ、それは」
「バレないわよ。ベッドの中の睦み事を外にバラすような不心得者はいないわ。それに、娼婦にも守秘義務ってあるの。うちはそういうの厳しいから」

 あっけらかんとアネットは言って、素敵に笑う。それに、クラウルも弱く笑って頷いた。

「それよりも、お土産って言ってたわね」

 アネットが言い、ランバートが歩いていく。机の引き出しを開け、手に何かを持って側にきた。

「紙の束に……地図ですかね」
「西地区の地図だ」

 少し拡大された西地区の地図の所々に×印がついている。他にも花街、東地区の簡易地図にも同じように印がついている。だがその印の意味が分からない。

「あれ? この家って確かロジャーさんの家よ」
「ロジャー?」

 アネットが花街の印の一つを指さして頷く。赤い瞳がまん丸になっていた。

「料理のデリバリーをお願いしてる店で、去年の秋くらいから仕事してるの。話しやすい人で、たまに話してるから知ってる。田舎から出てきて、この家に友人三人と住んでるって」

 そう言われて、西地区の地図を見る。するとクラウルにも知っている家があった。去年の、やはり秋くらいに越してきた夫婦だ。子はなく、旦那の方は建築現場で働いているはずだ。

「東地区のこの×印の場所も、去年の秋までは空き家でした。確か、男三人で住んでいるはずです」
「同じ時期に全員入ってきているな」

 ×がついているなら、この家に注意をしろということだろう。だが見た目はどれも余所から入ってきた就労者だ。いきなり疑えと言われる方が無理がある。

「少し、探らせる」
「数が多いですが」
「数カ所だ。疑いが深まれば数を増やして監視をする」
「街警にも応援を要請しては?」
「……いや」

 クラウルは首を横に振った。情報の出所を言えない。自分で動かせる範囲で動かないとダメだ。ファウストやシウスに知れれば、情報の出所を言わなければならない。そうなれば、ルシオを隠し通せない。

「ランバート、すまない」
「分かっています」

 苦笑し、立ち上がる。クラウルは先に店を後にした。ランバートは怪しまれないようにもう少し時間をおいて出るという。それに頷き、クラウルは宿舎へと戻っていった。
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