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13章:君が欲しいと言える喜び
6話:触れる想い
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翌朝、ランバートはシウスに呼ばれた。何事かと行けば、書類を一つ渡された。
「あの」
「これをファウストに届けてくれぬか」
「あの、ですが」
顔を合わせたくない。どんな顔をしていいか、今も答えは出ない。それどころか拒まれているのに、何を言えばいいか。
「他の方には」
「任せぬ」
「シウス様」
「ランバート、お前もいつまで逃げるつもりじゃ。あの男と、ちゃんと向き合ってこぬか。お前の告白の答え、お前はまだ聞いてはおらなんだぞ」
「答えなんて、決まっていますから」
少しだけ期待したが、それも消えかけているのだろう。向けられる背が、避けられる影が胸を締め付ける。その度に後悔して、消えてしまいたくなるのだから。
「諦めるのかえ?」
「……出来ないから、苦しいのです」
「上等じゃ。少なくとも、あのアホよりもずっとよい。よいか、ランバート。諦めなどまだ早い」
「そうでしょうか」
答えが出ないままでいた。いっそ、あの人の負担になるなら去る事すらも考えていた。けれど、それも出来ない腰抜けだ。結局離れられないのだ。あの目が、手が恋しいのだ。
「それを持って、執務室へ行け。そして、あの男とちゃんと向き合ってこい。何ならお前の休み一日くらい確保してやろう。話し合って、一発殴ってこい」
シウスの荒っぽい激励は、だがランバートに届いた。
確かに、話ができないままだ。あの声を聞けていないままだ。そろそろ、恋しくて悲鳴を上げている。逃げも、止める時かもしれない。去るにしても、諦めるにしても、向き合わずにはできない。中途半端に拗らせたままでは終われない。
一礼して、ランバートはファウストの執務室へと向かった。
執務室を開けると、ファウストはソファーで眠っていた。中は荒れている。ずっと執務室にいたはずだけれど、仕事が進んでいたわけではないのだろう。
「ファウスト様」
声をかけるが、反応がない。顔色が白い。それに、ひどくやつれている。食べていたのだろうか。食堂で顔を見ていなかった。どこかで食べていると思っていたけれど、この様子ではそれも疑わしい。
「ファウスト様?」
近づいて、触れてみる。呼吸が浅く、肌は熱い。
「ファウスト様!」
体を揺らしても目が開くことがない。胸元を開けて、ランバートは執務室の外に出た。そして、一直線に医務室へと駆け込んだ。
◆◇◆
酷い頭痛がする。だが、ゆるゆると覚醒はする。霞む視界に、月が映る。金に輝く光を見て、安心した。
「ファウスト様」
声が聞こえる。霞んでいた視界が、ゆっくりと光景を映す。深い青い瞳が、心配そうに覗き込んでいる。
「ファウスト様!」
「……ランバート?」
掠れた声で呼びかけると、安堵したような笑みが浮かぶ。その表情を見たのはどのくらい前だったか。
「まだ熱があります。食べられるようなら」
離れていってしまいそうな腕を、ファウストは掴んだ。近づけば、触れたくてしかたがない。ランバートは驚いた顔をして、マジマジと見つめた。
「側にいてくれないか?」
「……はい」
ベッド脇に座ったランバートの手が、汗に濡れた髪を梳いていく。冷たくて気持ちよかった。
「一週間も、まともに食事を取っていなかったんですね」
「食欲がなかったからな」
「睡眠も、ほとんど取っていなかったのでは?」
「久々に、よく寝た」
「それ、寝たんじゃなくて落ちたんですよ」
呆れた様子で言われる事にも笑みが浮かぶ。やはり、この時間がいい。こいつじゃないと、ダメなんだ。
「アシュレーとは、どうなんだ?」
途端、ランバートの表情が強ばる。また、胸が軋む。もしもここで好意的な言葉が出てきたらどうしたらいい。
いや、答えは昨日出したはずだ。ちゃんと話すと決めたはずだ。ファウストも、限界だった。恋しくて、触れたくて、それでもこいつの意志ならばと、尊重する事で卑怯に逃げた。それをもう止めると、決めたのだから。
「アシュレー様とは何もありません。貴方の事を案じています」
「朝帰り」
「朝までチェスをしていたんです。結果、ボロ負けですけど」
恥ずかしそうに赤くなった頬に手を伸ばす。触れる頬は熱いはずだが、今はそうは感じない。よほど熱があるのだろう。
「ファウスト様」
「ん?」
「俺は、貴方が好きです。ずっと悩み、諦めようとしても、どうしようもありません。今も、貴方に触れられるのを喜んでいるのに、貴方の側にいることは叶わないのではと思うと胸が痛みます。慈悲はいりません。どうか、バッサリと切るなら切ってください」
静かに言うのに、言う事や表情は断頭台の上の罪人だ。今か今かとその時を待ち、不安に揺れて心細くしている。
こんなにも、悲しませた。こんなにも、弱らせた。たった一歩が、過去が乗り越えられずに引きずって、大事なものを傷つけ続けた。
「……俺は、臆病な男だ」
考えて、なんと始めていいかを思って、やはりここからだと思った。今更何も言わずに、こいつに何も教えずにいることはできなかった。
青い瞳が、ジッとファウストを見る。その瞳をみながら、静かに話を続けた。
「守りたい人を守れない、情けない男だ」
「お母さんの事ですか?」
「あぁ、知っていたのか?」
「ルカさんから、少しだけ」
これには溜息をつく。隠していたわけじゃないが、言い出せなかった事なのに。
「それなら、知っているだろう。俺は、母を守れなかったんだ。俺が守ろうと決めていたのに、できなかった。母を犠牲にして生き残っている」
「そんな言い方は。十歳の子供には限界がありますよ」
「今ならそれも理解する。でも当時はそうじゃなかった。俺は大事な人を守る事ができない。それを今も、どこかで引きずっている」
『貴方はお兄ちゃんなんだから、ルカとアリアを守るのよ』
これが、母の最後の言葉だった。子供部屋の奥底にある隠し部屋に押し込まれ、外から鍵をかけられて覗き穴から見ていた。暴漢が母を殺す瞬間を。死んでも、母は隠し部屋へと通じる扉の前から動かなかった。扉一つを挟んで冷たくなる母を、声を立てずに叫んでいた。
「怖いんだ。今でも、あの瞬間を繰り返すのは。心に入り込む者を失う時に、俺はまた助けられない事に絶望するのかと。正直、今でも記憶が曖昧に思える。細かな部分を思い出せない」
不安そうな表情をするランバートに笑いかける。触れてみると、手で包まれる。少し冷たく感じる手だ。
「辛い事を話させて、すみません」
「今更だ、気にしなくていい。俺は逃げ続けてきたんだ、賢い言い訳をし続けて。だが……お前の退団届を見て、このまま失う事だけはできなかった」
「退団届?」
「書きかけていたんだろ?」
「……はい」
俯いて認めたランバートの顔は、とてもションボリとして見える。多分、気づかれていないと思ったのだろう。
「シウスが伝えてくれた。出所はラウルだろうな」
「すみません」
「謝るのは俺だ。そこまで追い詰めたのは、俺なんだから」
「俺だって、貴方を追い詰めた。貴方がこんな風に倒れたのは、俺のせいでしょ?」
「それこそ、俺の弱さだ」
顔を合わせられなかったのは本当。冷静さを欠いていたのも本当。逃げたのも本当だ。
「情けない奴ですまない。話せばよかったんだ、こうして。晒してしまえば良かったんだ。俺の悪いところも、弱いところもお前に見せて、お前の判断を仰げばよかった。俺の心はとっくに、お前無しに息ができないんだから」
思い知った。手が届かなくなると思った瞬間に、母を失った時以上に何も見えなくなった。手を引っ込める決断を、どうしてもできなかった。何度もランバートの幸せの為ならと言いながら、そのくせ胸の中はドロドロだった。
渡したくない。誰にも触れさせたくない。こいつは俺のものだと、深くに沈めた自分が叫び続けていた。
「俺はきっと、嫉妬深いし独占欲が強い。今も、戦場にお前を出す決断が出来るか分からない。臆病なくせに欲しがりだ。本当の俺は、こんなにもどうしようもない。お前は、こんなんでもいいのか?」
散々に情けない姿はさらしたが、問いたい。幻滅されたのなら仕方がない。
ふわりと柔らかく、ランバートは微笑む。柔らかな月の明かりのように、心をそっと包むように。
「俺の知っているファウスト様と、そんなに差異はありませんよ」
「そうか?」
「子供っぽい部分も、鋭さもあって。面倒見がよくて、過保護で、苦労性で、心労をため込みやすくて。心の弱さとか、そんな部分もあって。俺は、そんな貴方がいいんです。これといって話さなくても、こうして隣にいるだけで安らげる貴方の側がいいんです」
同じ安らぎを得ていた事を、今更知る。ファウストも同じだ。側にいるだけで心が穏やかになる。そのくせ触れたくてたまらない。構いたくてたまらない。
「変わり者だ」
「そうですか? 貴方はとてもいい男です」
「こんなに優柔不断で、頑固でもか?」
「それを含めて貴方です」
心は互いに定まったのだろう。柔らかな笑みを浮かべるランバートの頬に触れて、重い体を動かして触れた。重ねた唇を、ランバートも受け入れていく。誘うように唇を舐められて、差し込んで絡めた。鼻に抜ける甘えた様な吐息に欲は疼く。もっと触れたいが、それには体が動かない。
ゆっくりと体が離れる。この体調じゃなければ今すぐに押し倒しただろう。散々な事をしたくせに、現金なものだ。
「愛している、ランバート。ちゃんと、伝えておきたい」
「俺も、好きです。貴方の事を、心から想っています」
伝え合うと、妙に気恥ずかしい。思わず赤面すると、ランバートも赤くなっている。そんな表情が初々しくて愛らしく、ファウストは笑った。
「照れるのか?」
「俺、本気の恋は初めてですから」
「初々しいな」
「嫌ですか?」
「まさか。光栄すぎる」
これから見える沢山の表情を想像して、沢山の時間を共有していく。それが今から楽しみだ。貪欲に、どこまでも求めてしまいそうだ。
「俺も本気で誰かを好きになるのは初めてだ。加減がきかなかったらすまない」
「程々にしてください。俺の体力でどうにかなる範疇で」
「体力トレーニング、増やすか?」
「貴方とのお付き合いの為にですか!」
目を丸くしたランバートの反応はあまりに可愛らしい。声を出して笑うと、案の定拗ねられる。ブスンとした表情は子供っぽく見え、それがまた好きだ。
「惜しいな。体が動けば、今すぐお前を抱きたいんだが。勃つ気がしない」
「ご自分の不摂生を反省してください。本当に、心臓に悪いので」
「直ぐに体力戻す。エリオットから全快のお墨付きをもらったら、どこか行こう」
「では、その間は俺が責任もってお世話します。仕事の合間に」
「少しだけ、遠出したい」
「治ったらにしてください」
「言ったな」
ファウストはニヤリと笑い、ランバートはビクリと肩を震わせる。危険を察知する能力の高い奴だ。今の相づちのような言葉を今更後悔しているかもしれない。
「体力トレーニング、しっかりしておけ」
「……俺、逃げてもいいですか?」
「逃げ切れるならな」
耳元に吹き込むように言った言葉に、ランバートの顔は真っ赤に染まった。
「あの」
「これをファウストに届けてくれぬか」
「あの、ですが」
顔を合わせたくない。どんな顔をしていいか、今も答えは出ない。それどころか拒まれているのに、何を言えばいいか。
「他の方には」
「任せぬ」
「シウス様」
「ランバート、お前もいつまで逃げるつもりじゃ。あの男と、ちゃんと向き合ってこぬか。お前の告白の答え、お前はまだ聞いてはおらなんだぞ」
「答えなんて、決まっていますから」
少しだけ期待したが、それも消えかけているのだろう。向けられる背が、避けられる影が胸を締め付ける。その度に後悔して、消えてしまいたくなるのだから。
「諦めるのかえ?」
「……出来ないから、苦しいのです」
「上等じゃ。少なくとも、あのアホよりもずっとよい。よいか、ランバート。諦めなどまだ早い」
「そうでしょうか」
答えが出ないままでいた。いっそ、あの人の負担になるなら去る事すらも考えていた。けれど、それも出来ない腰抜けだ。結局離れられないのだ。あの目が、手が恋しいのだ。
「それを持って、執務室へ行け。そして、あの男とちゃんと向き合ってこい。何ならお前の休み一日くらい確保してやろう。話し合って、一発殴ってこい」
シウスの荒っぽい激励は、だがランバートに届いた。
確かに、話ができないままだ。あの声を聞けていないままだ。そろそろ、恋しくて悲鳴を上げている。逃げも、止める時かもしれない。去るにしても、諦めるにしても、向き合わずにはできない。中途半端に拗らせたままでは終われない。
一礼して、ランバートはファウストの執務室へと向かった。
執務室を開けると、ファウストはソファーで眠っていた。中は荒れている。ずっと執務室にいたはずだけれど、仕事が進んでいたわけではないのだろう。
「ファウスト様」
声をかけるが、反応がない。顔色が白い。それに、ひどくやつれている。食べていたのだろうか。食堂で顔を見ていなかった。どこかで食べていると思っていたけれど、この様子ではそれも疑わしい。
「ファウスト様?」
近づいて、触れてみる。呼吸が浅く、肌は熱い。
「ファウスト様!」
体を揺らしても目が開くことがない。胸元を開けて、ランバートは執務室の外に出た。そして、一直線に医務室へと駆け込んだ。
◆◇◆
酷い頭痛がする。だが、ゆるゆると覚醒はする。霞む視界に、月が映る。金に輝く光を見て、安心した。
「ファウスト様」
声が聞こえる。霞んでいた視界が、ゆっくりと光景を映す。深い青い瞳が、心配そうに覗き込んでいる。
「ファウスト様!」
「……ランバート?」
掠れた声で呼びかけると、安堵したような笑みが浮かぶ。その表情を見たのはどのくらい前だったか。
「まだ熱があります。食べられるようなら」
離れていってしまいそうな腕を、ファウストは掴んだ。近づけば、触れたくてしかたがない。ランバートは驚いた顔をして、マジマジと見つめた。
「側にいてくれないか?」
「……はい」
ベッド脇に座ったランバートの手が、汗に濡れた髪を梳いていく。冷たくて気持ちよかった。
「一週間も、まともに食事を取っていなかったんですね」
「食欲がなかったからな」
「睡眠も、ほとんど取っていなかったのでは?」
「久々に、よく寝た」
「それ、寝たんじゃなくて落ちたんですよ」
呆れた様子で言われる事にも笑みが浮かぶ。やはり、この時間がいい。こいつじゃないと、ダメなんだ。
「アシュレーとは、どうなんだ?」
途端、ランバートの表情が強ばる。また、胸が軋む。もしもここで好意的な言葉が出てきたらどうしたらいい。
いや、答えは昨日出したはずだ。ちゃんと話すと決めたはずだ。ファウストも、限界だった。恋しくて、触れたくて、それでもこいつの意志ならばと、尊重する事で卑怯に逃げた。それをもう止めると、決めたのだから。
「アシュレー様とは何もありません。貴方の事を案じています」
「朝帰り」
「朝までチェスをしていたんです。結果、ボロ負けですけど」
恥ずかしそうに赤くなった頬に手を伸ばす。触れる頬は熱いはずだが、今はそうは感じない。よほど熱があるのだろう。
「ファウスト様」
「ん?」
「俺は、貴方が好きです。ずっと悩み、諦めようとしても、どうしようもありません。今も、貴方に触れられるのを喜んでいるのに、貴方の側にいることは叶わないのではと思うと胸が痛みます。慈悲はいりません。どうか、バッサリと切るなら切ってください」
静かに言うのに、言う事や表情は断頭台の上の罪人だ。今か今かとその時を待ち、不安に揺れて心細くしている。
こんなにも、悲しませた。こんなにも、弱らせた。たった一歩が、過去が乗り越えられずに引きずって、大事なものを傷つけ続けた。
「……俺は、臆病な男だ」
考えて、なんと始めていいかを思って、やはりここからだと思った。今更何も言わずに、こいつに何も教えずにいることはできなかった。
青い瞳が、ジッとファウストを見る。その瞳をみながら、静かに話を続けた。
「守りたい人を守れない、情けない男だ」
「お母さんの事ですか?」
「あぁ、知っていたのか?」
「ルカさんから、少しだけ」
これには溜息をつく。隠していたわけじゃないが、言い出せなかった事なのに。
「それなら、知っているだろう。俺は、母を守れなかったんだ。俺が守ろうと決めていたのに、できなかった。母を犠牲にして生き残っている」
「そんな言い方は。十歳の子供には限界がありますよ」
「今ならそれも理解する。でも当時はそうじゃなかった。俺は大事な人を守る事ができない。それを今も、どこかで引きずっている」
『貴方はお兄ちゃんなんだから、ルカとアリアを守るのよ』
これが、母の最後の言葉だった。子供部屋の奥底にある隠し部屋に押し込まれ、外から鍵をかけられて覗き穴から見ていた。暴漢が母を殺す瞬間を。死んでも、母は隠し部屋へと通じる扉の前から動かなかった。扉一つを挟んで冷たくなる母を、声を立てずに叫んでいた。
「怖いんだ。今でも、あの瞬間を繰り返すのは。心に入り込む者を失う時に、俺はまた助けられない事に絶望するのかと。正直、今でも記憶が曖昧に思える。細かな部分を思い出せない」
不安そうな表情をするランバートに笑いかける。触れてみると、手で包まれる。少し冷たく感じる手だ。
「辛い事を話させて、すみません」
「今更だ、気にしなくていい。俺は逃げ続けてきたんだ、賢い言い訳をし続けて。だが……お前の退団届を見て、このまま失う事だけはできなかった」
「退団届?」
「書きかけていたんだろ?」
「……はい」
俯いて認めたランバートの顔は、とてもションボリとして見える。多分、気づかれていないと思ったのだろう。
「シウスが伝えてくれた。出所はラウルだろうな」
「すみません」
「謝るのは俺だ。そこまで追い詰めたのは、俺なんだから」
「俺だって、貴方を追い詰めた。貴方がこんな風に倒れたのは、俺のせいでしょ?」
「それこそ、俺の弱さだ」
顔を合わせられなかったのは本当。冷静さを欠いていたのも本当。逃げたのも本当だ。
「情けない奴ですまない。話せばよかったんだ、こうして。晒してしまえば良かったんだ。俺の悪いところも、弱いところもお前に見せて、お前の判断を仰げばよかった。俺の心はとっくに、お前無しに息ができないんだから」
思い知った。手が届かなくなると思った瞬間に、母を失った時以上に何も見えなくなった。手を引っ込める決断を、どうしてもできなかった。何度もランバートの幸せの為ならと言いながら、そのくせ胸の中はドロドロだった。
渡したくない。誰にも触れさせたくない。こいつは俺のものだと、深くに沈めた自分が叫び続けていた。
「俺はきっと、嫉妬深いし独占欲が強い。今も、戦場にお前を出す決断が出来るか分からない。臆病なくせに欲しがりだ。本当の俺は、こんなにもどうしようもない。お前は、こんなんでもいいのか?」
散々に情けない姿はさらしたが、問いたい。幻滅されたのなら仕方がない。
ふわりと柔らかく、ランバートは微笑む。柔らかな月の明かりのように、心をそっと包むように。
「俺の知っているファウスト様と、そんなに差異はありませんよ」
「そうか?」
「子供っぽい部分も、鋭さもあって。面倒見がよくて、過保護で、苦労性で、心労をため込みやすくて。心の弱さとか、そんな部分もあって。俺は、そんな貴方がいいんです。これといって話さなくても、こうして隣にいるだけで安らげる貴方の側がいいんです」
同じ安らぎを得ていた事を、今更知る。ファウストも同じだ。側にいるだけで心が穏やかになる。そのくせ触れたくてたまらない。構いたくてたまらない。
「変わり者だ」
「そうですか? 貴方はとてもいい男です」
「こんなに優柔不断で、頑固でもか?」
「それを含めて貴方です」
心は互いに定まったのだろう。柔らかな笑みを浮かべるランバートの頬に触れて、重い体を動かして触れた。重ねた唇を、ランバートも受け入れていく。誘うように唇を舐められて、差し込んで絡めた。鼻に抜ける甘えた様な吐息に欲は疼く。もっと触れたいが、それには体が動かない。
ゆっくりと体が離れる。この体調じゃなければ今すぐに押し倒しただろう。散々な事をしたくせに、現金なものだ。
「愛している、ランバート。ちゃんと、伝えておきたい」
「俺も、好きです。貴方の事を、心から想っています」
伝え合うと、妙に気恥ずかしい。思わず赤面すると、ランバートも赤くなっている。そんな表情が初々しくて愛らしく、ファウストは笑った。
「照れるのか?」
「俺、本気の恋は初めてですから」
「初々しいな」
「嫌ですか?」
「まさか。光栄すぎる」
これから見える沢山の表情を想像して、沢山の時間を共有していく。それが今から楽しみだ。貪欲に、どこまでも求めてしまいそうだ。
「俺も本気で誰かを好きになるのは初めてだ。加減がきかなかったらすまない」
「程々にしてください。俺の体力でどうにかなる範疇で」
「体力トレーニング、増やすか?」
「貴方とのお付き合いの為にですか!」
目を丸くしたランバートの反応はあまりに可愛らしい。声を出して笑うと、案の定拗ねられる。ブスンとした表情は子供っぽく見え、それがまた好きだ。
「惜しいな。体が動けば、今すぐお前を抱きたいんだが。勃つ気がしない」
「ご自分の不摂生を反省してください。本当に、心臓に悪いので」
「直ぐに体力戻す。エリオットから全快のお墨付きをもらったら、どこか行こう」
「では、その間は俺が責任もってお世話します。仕事の合間に」
「少しだけ、遠出したい」
「治ったらにしてください」
「言ったな」
ファウストはニヤリと笑い、ランバートはビクリと肩を震わせる。危険を察知する能力の高い奴だ。今の相づちのような言葉を今更後悔しているかもしれない。
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🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。
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