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【ユーリス編】本編余談
8話:悲劇の前夜
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目が覚めた時、見慣れた室内に安堵した。とりあえず、屋敷に戻ってきた事が分かったからだ。
直ぐに婆がきて俺の傷を診ていく。その間に、俺はマコトの事を聞いた。
マコトは傷こそなかったが、内部への衝撃は抑えられなかった。頭痛に吐き気で食事がままならず、治療をしたと聞いて俺は自分を責めた。もっとちゃんと守れなかった事。そして、こんな事なら竜化してしまえばよかったと。
結果論なのは分かっている。あの時の俺はそれが出来なかった。恐れているのは今も同じ。不安を感じているだろうマコトを前に、更に恐れまで向けられたくない。
「まずは平気ですが、流れた血の分だけ無理はできませんぞ。数日は静かにお過ごし下さい」
「すまない。婆、マコトは今起きているか?」
「呼んでおりますぞ。随分と心配していたようですからな」
婆はそう言って下がった。
早く会いたい。その気持ちばかりが急き立ててくる。マコトの顔を見て、無事を確かめて、守れなかった事を謝って、これからの事を話したい。
そう思っていたのに、入って来たマコトは今にも死んでしまいそうな青い顔をして緊張に震えていた。どうしてそんな顔をしているのか、俺は戸惑った。それでも俺まで不安な顔をすればマコトは自分の感情を押し殺してしまうだろう。気丈に振る舞うかもしれない。
俺はにこやかに迎えた。内心は酷く不安で、彼の表情の理由を知るのが怖かったが。
「マコト」
「ユーリスさん」
名を呼べば、マコトは途端に泣き出してしまう。驚いて、今にも倒れてしまいそうな体を抱きしめてしまいたくて立ち上がろうとしたら、マコトは手でそれを制して涙を拭いながら近づいてくる。そして、手の届く位置にある椅子に腰を下ろした。
「ごめんなさい、安心したらなんか」
「心配かけてしまったんだな」
「いいえ」
薄く笑みを浮かべるその顔は心からの安堵を感じる。未だ流れた涙を服の袖でゴシゴシと拭うから、目元が擦れて赤くなっている。いや、そうじゃなくても目元が赤い。いったいどれだけ泣いてくれたのか。ほんの少し腫れた瞼を、俺は苦しく見ていた。
「怪我、痛みませんか?」
「あぁ、痛みはない。婆に聞いたが、君の方こそダメージが強かったみたいだが。体調は、大丈夫なのか?」
「はい、おかげさまで」
そう言った言葉に偽りはないだろう。今日は食事もちゃんと食べられたと聞いた。
でもその緊張がどこからきているのか。何を考えているのか分からなくて不安だった。俺は心持ち明るく笑う。俺が安心したかった。
「それは良かった。いきなりトラブルに巻き込んで悪かったな。明日には動けるだろうから、少し町を」
「ユーリスさん」
だが、その思いは届かない。緊張しながら、今にも倒れてしまいそうな顔で俺の言葉を遮ったマコトは震えている。過去の経験上、こんな顔で告げられる事にいいことはない。不安に心臓が軋む。俺はそこから先の会話など拒絶したい。聞いてしまえば戻れないものがあるのだと知っている。今のマコトは、そんな様子に見えた。
「ユーリスさん、聞いてください。実は俺、一つだけスキルがあったんです」
「え?」
最初、何を言い出したのか理解が追いつかなかった。スキルは無かった、そう言っていた。だが直ぐにそれはマコトの様子の違いから思い至った。だからずっと元気がなかったのだ。だからずっと思い悩んでいたのか。きっと、どう扱ったらいいか分からない複雑なスキルなのだろう。マコトは異世界人だ、特に戸惑う事だって多いだろう。
だが俺は大きな思い違いをしていた。マコトが俺に真実を言えなかった理由はもっと違う、大きな所にあったのだ。
「俺の持っているスキルは、『安産 Lv.100』です」
静かに響いたその言葉に、俺は息をするのを忘れた。緊張に息を呑む。それは、俺が長年待ち望んだスキルだった。
「安産」というスキルがあることは当然知っていた。過去、そうしたスキルを持っている者も僅かにいた。だがそれでも竜人族の子を産めた者は少ない。レベル50以上なければ難しい。
そこにきて、マコトは100だ。薬を飲んで性交渉すれば、間違いなく俺の子を孕む。
俺の中で、暗い欲望が満ちるのが分かった。愛している人に子を産んでもらう。その間の時間も全て、俺が側にいる。いや、その間だけじゃない。その後もずっと、ずっと俺だけのものにしてしまいたい。
ドクンドクンと脈を打つ心臓が煩いほどだった。その動きが振動になって、体を震わせているんじゃないかと疑った。喉が渇く。俺は己の欲深さに飲まれそうだった。
「俺、ユーリスさんの子供を多分産めます」
「マコト」
「経験はないけど、スキル高いから。だから」
必死に言いつのる、不安な瞳が揺れている。大きく体が震えている。それでようやく、俺は自分の欲望を突っぱねた。
怖いんだ、マコトは。当然だ、男性同士の恋愛も妊娠出産も想像の及ばない世界で生きてきたんだ。マコトの中でこのスキルはとても怖かったに違いない。だからこそ言えなかったんじゃないか。受け入れられないからこそ誰にも言えなかったんだ。
そして同時に、俺が最もこのスキルを望んでいる事も知っていたんだろう。子が出来ないと最初に話し、その窮状を伝えていた。俺に向けられるなんとも言えない辛そうな瞳の理由はこれだったんだ。
マコトが欲しい。だがそれは、今じゃない。勇気を振り絞るような必死な表情などしてほしくない。頼むから、もう何も言わないでくれ。
「だから、薬つかって俺を抱いてもらえませんか?」
誘い込まれるその言葉に、俺の体は熱く欲望を駆り立て、心は違うと必死に戒めた。
簡単だ、マコトのスキルレベルなら間違いなく俺の子を宿してくれる。だがそんな事をしたら、俺は一生マコトを失ってしまう。一番大切な者の心を得られなくなる。
伝わったんだ、その様子と表情から。マコトは俺に恩を感じている。知り合ってからずっとそうだった。ことあるごとに感謝と謝罪をしていたじゃないか。受けた恩に報いたいと料理を作り、身の回りの事をしてくれていた。マコトは、俺の怪我を自分のせいだと思っている。それに報いる方法に、子を産むことを了承している。
でも違う、そうじゃない。俺はやっと欲しい者が見つかったんだ。義務ではない相手を求めているんだ。生きてきて唯一、こんなにも執着する相手を見つけたんだ。
マコトを愛している。君の心が欲しい。大切な時間をゆっくりと積み上げよう。肉欲はその後でいい。そして子は、その間に産まれなければいけないんだ。
俺はようやく、そんな基本的な事を思いだした。王子の責務ではない、愛情の証でなければいけない命の大切さを、知ったおもいだ。
だがそんな俺の目の前でマコトは震えながら立ち上がり、あろう事か衣服を脱ぎ捨てていく。
「マコト!」
震えながらそんな事をする必要はない。俺は今、君を抱くことはできない。これ以上、俺の欲望をかき乱すような事はしないでくれ!
思いは遠く、マコトは白魚のような体を俺の前に晒し、そっと近づいてくる。呆然とする俺を誘うようにベッドに膝を乗せて乗り上げる、その体が薄く染まっている。欲情の香りが鼻につく。冷静でいたい、大切にしたい、そんな俺の気持ちをあざ笑うように熱を持つ体が、目の前の彼を食らえと言っている。
「抱いてください。俺、ユーリスさんの子供産みますから」
必死に笑った、笑う事に失敗した痛々しさが俺の胸を深く抉る。俺は大切な人に、なんてことを言わせている。決死の覚悟で言われる言葉じゃない。もっと、幸福の中で紡いで欲しい言葉だ。
肩から掛けていたガウンを取って俺はマコトの体にかけ、離させた。まずこの視界をどうにかしなければ。これ以上熱を上げれば抑えられる自信がない。次は、何か言わなければ。
「気持ちは有り難い。でもマコト、もっと自分を大事にしてくれ。俺は……」
「俺の貧相な体じゃ、ダメですよね」
「え?」
近くに見るマコトの瞳に、たっぷりと涙が浮かぶ。それが滑らかな頬を伝い落ちていく。深く悲しみに歪む表情に、俺は何かを間違ったのだとは思った。
「ごめんなさい」
消え入るような声の後、マコトは脱ぎ捨てた服を拾って拒絶するように逃げていく。俺はその背を追おうとして、立ち上がって目眩がした。血が足りていない事を思いだして、苦くて床を叩く。
俺はマコトを傷つけた。あの行為は拒絶と取られたに違いない。余裕がなくて、それでもどうにか今を伝えたくて取った行動が、深くマコトを傷つけたんだ。
動けない情けない体を叱責する。でも、ここで追っていればよかった。体に無理をさせてでも追って、その腕を掴み抱く事ができていれば、俺はこの後の悲劇を回避できたのだ。
直ぐに婆がきて俺の傷を診ていく。その間に、俺はマコトの事を聞いた。
マコトは傷こそなかったが、内部への衝撃は抑えられなかった。頭痛に吐き気で食事がままならず、治療をしたと聞いて俺は自分を責めた。もっとちゃんと守れなかった事。そして、こんな事なら竜化してしまえばよかったと。
結果論なのは分かっている。あの時の俺はそれが出来なかった。恐れているのは今も同じ。不安を感じているだろうマコトを前に、更に恐れまで向けられたくない。
「まずは平気ですが、流れた血の分だけ無理はできませんぞ。数日は静かにお過ごし下さい」
「すまない。婆、マコトは今起きているか?」
「呼んでおりますぞ。随分と心配していたようですからな」
婆はそう言って下がった。
早く会いたい。その気持ちばかりが急き立ててくる。マコトの顔を見て、無事を確かめて、守れなかった事を謝って、これからの事を話したい。
そう思っていたのに、入って来たマコトは今にも死んでしまいそうな青い顔をして緊張に震えていた。どうしてそんな顔をしているのか、俺は戸惑った。それでも俺まで不安な顔をすればマコトは自分の感情を押し殺してしまうだろう。気丈に振る舞うかもしれない。
俺はにこやかに迎えた。内心は酷く不安で、彼の表情の理由を知るのが怖かったが。
「マコト」
「ユーリスさん」
名を呼べば、マコトは途端に泣き出してしまう。驚いて、今にも倒れてしまいそうな体を抱きしめてしまいたくて立ち上がろうとしたら、マコトは手でそれを制して涙を拭いながら近づいてくる。そして、手の届く位置にある椅子に腰を下ろした。
「ごめんなさい、安心したらなんか」
「心配かけてしまったんだな」
「いいえ」
薄く笑みを浮かべるその顔は心からの安堵を感じる。未だ流れた涙を服の袖でゴシゴシと拭うから、目元が擦れて赤くなっている。いや、そうじゃなくても目元が赤い。いったいどれだけ泣いてくれたのか。ほんの少し腫れた瞼を、俺は苦しく見ていた。
「怪我、痛みませんか?」
「あぁ、痛みはない。婆に聞いたが、君の方こそダメージが強かったみたいだが。体調は、大丈夫なのか?」
「はい、おかげさまで」
そう言った言葉に偽りはないだろう。今日は食事もちゃんと食べられたと聞いた。
でもその緊張がどこからきているのか。何を考えているのか分からなくて不安だった。俺は心持ち明るく笑う。俺が安心したかった。
「それは良かった。いきなりトラブルに巻き込んで悪かったな。明日には動けるだろうから、少し町を」
「ユーリスさん」
だが、その思いは届かない。緊張しながら、今にも倒れてしまいそうな顔で俺の言葉を遮ったマコトは震えている。過去の経験上、こんな顔で告げられる事にいいことはない。不安に心臓が軋む。俺はそこから先の会話など拒絶したい。聞いてしまえば戻れないものがあるのだと知っている。今のマコトは、そんな様子に見えた。
「ユーリスさん、聞いてください。実は俺、一つだけスキルがあったんです」
「え?」
最初、何を言い出したのか理解が追いつかなかった。スキルは無かった、そう言っていた。だが直ぐにそれはマコトの様子の違いから思い至った。だからずっと元気がなかったのだ。だからずっと思い悩んでいたのか。きっと、どう扱ったらいいか分からない複雑なスキルなのだろう。マコトは異世界人だ、特に戸惑う事だって多いだろう。
だが俺は大きな思い違いをしていた。マコトが俺に真実を言えなかった理由はもっと違う、大きな所にあったのだ。
「俺の持っているスキルは、『安産 Lv.100』です」
静かに響いたその言葉に、俺は息をするのを忘れた。緊張に息を呑む。それは、俺が長年待ち望んだスキルだった。
「安産」というスキルがあることは当然知っていた。過去、そうしたスキルを持っている者も僅かにいた。だがそれでも竜人族の子を産めた者は少ない。レベル50以上なければ難しい。
そこにきて、マコトは100だ。薬を飲んで性交渉すれば、間違いなく俺の子を孕む。
俺の中で、暗い欲望が満ちるのが分かった。愛している人に子を産んでもらう。その間の時間も全て、俺が側にいる。いや、その間だけじゃない。その後もずっと、ずっと俺だけのものにしてしまいたい。
ドクンドクンと脈を打つ心臓が煩いほどだった。その動きが振動になって、体を震わせているんじゃないかと疑った。喉が渇く。俺は己の欲深さに飲まれそうだった。
「俺、ユーリスさんの子供を多分産めます」
「マコト」
「経験はないけど、スキル高いから。だから」
必死に言いつのる、不安な瞳が揺れている。大きく体が震えている。それでようやく、俺は自分の欲望を突っぱねた。
怖いんだ、マコトは。当然だ、男性同士の恋愛も妊娠出産も想像の及ばない世界で生きてきたんだ。マコトの中でこのスキルはとても怖かったに違いない。だからこそ言えなかったんじゃないか。受け入れられないからこそ誰にも言えなかったんだ。
そして同時に、俺が最もこのスキルを望んでいる事も知っていたんだろう。子が出来ないと最初に話し、その窮状を伝えていた。俺に向けられるなんとも言えない辛そうな瞳の理由はこれだったんだ。
マコトが欲しい。だがそれは、今じゃない。勇気を振り絞るような必死な表情などしてほしくない。頼むから、もう何も言わないでくれ。
「だから、薬つかって俺を抱いてもらえませんか?」
誘い込まれるその言葉に、俺の体は熱く欲望を駆り立て、心は違うと必死に戒めた。
簡単だ、マコトのスキルレベルなら間違いなく俺の子を宿してくれる。だがそんな事をしたら、俺は一生マコトを失ってしまう。一番大切な者の心を得られなくなる。
伝わったんだ、その様子と表情から。マコトは俺に恩を感じている。知り合ってからずっとそうだった。ことあるごとに感謝と謝罪をしていたじゃないか。受けた恩に報いたいと料理を作り、身の回りの事をしてくれていた。マコトは、俺の怪我を自分のせいだと思っている。それに報いる方法に、子を産むことを了承している。
でも違う、そうじゃない。俺はやっと欲しい者が見つかったんだ。義務ではない相手を求めているんだ。生きてきて唯一、こんなにも執着する相手を見つけたんだ。
マコトを愛している。君の心が欲しい。大切な時間をゆっくりと積み上げよう。肉欲はその後でいい。そして子は、その間に産まれなければいけないんだ。
俺はようやく、そんな基本的な事を思いだした。王子の責務ではない、愛情の証でなければいけない命の大切さを、知ったおもいだ。
だがそんな俺の目の前でマコトは震えながら立ち上がり、あろう事か衣服を脱ぎ捨てていく。
「マコト!」
震えながらそんな事をする必要はない。俺は今、君を抱くことはできない。これ以上、俺の欲望をかき乱すような事はしないでくれ!
思いは遠く、マコトは白魚のような体を俺の前に晒し、そっと近づいてくる。呆然とする俺を誘うようにベッドに膝を乗せて乗り上げる、その体が薄く染まっている。欲情の香りが鼻につく。冷静でいたい、大切にしたい、そんな俺の気持ちをあざ笑うように熱を持つ体が、目の前の彼を食らえと言っている。
「抱いてください。俺、ユーリスさんの子供産みますから」
必死に笑った、笑う事に失敗した痛々しさが俺の胸を深く抉る。俺は大切な人に、なんてことを言わせている。決死の覚悟で言われる言葉じゃない。もっと、幸福の中で紡いで欲しい言葉だ。
肩から掛けていたガウンを取って俺はマコトの体にかけ、離させた。まずこの視界をどうにかしなければ。これ以上熱を上げれば抑えられる自信がない。次は、何か言わなければ。
「気持ちは有り難い。でもマコト、もっと自分を大事にしてくれ。俺は……」
「俺の貧相な体じゃ、ダメですよね」
「え?」
近くに見るマコトの瞳に、たっぷりと涙が浮かぶ。それが滑らかな頬を伝い落ちていく。深く悲しみに歪む表情に、俺は何かを間違ったのだとは思った。
「ごめんなさい」
消え入るような声の後、マコトは脱ぎ捨てた服を拾って拒絶するように逃げていく。俺はその背を追おうとして、立ち上がって目眩がした。血が足りていない事を思いだして、苦くて床を叩く。
俺はマコトを傷つけた。あの行為は拒絶と取られたに違いない。余裕がなくて、それでもどうにか今を伝えたくて取った行動が、深くマコトを傷つけたんだ。
動けない情けない体を叱責する。でも、ここで追っていればよかった。体に無理をさせてでも追って、その腕を掴み抱く事ができていれば、俺はこの後の悲劇を回避できたのだ。
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