僕のゴブリン見せたげる!

途上の土

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僕のゴブリン見せたげる!

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 瑠璃るりの鼻唄とセミの声とが重なった。
 タッタカタッタカ、スキップの靴音も加えてみた。
 昨日、美容院で整えてもらったばかりのミルクティー色の髪の毛が跳ねて、良い香りが振りまかれる。今日に備えて、昨日のお風呂はママのお高いシャンプーを使ってきたのだ。

 太郎ちゃん、びっくりするかなぁ? 私のあまりの可愛さに。えへへ。

 自分がニヤついていることに気付き、ほっぺたをつまんでデフォルトに戻す。これでよし、と呟いたそばからまたニヤついていた。
 今日は幼馴染の太郎と二人きりで遊ぶ約束をしているのだ。
 放課後、ランドセルを置いてから太郎の家で待ち合わせの約束だった。

 ふふっ、太郎ちゃんったら、学校じゃ二人きりになれないからって、お家に呼びつけるなんて……だ・い・た・ん❤︎

 瑠璃が『大人の階段』というワードについて、何をすれば階段を駆け上がれるのか、真剣に考察していると、あっと言う間に太郎の家の前にたどり着いた。
 それもそのはず。瑠璃と太郎の家は隣同士。歩いて数秒の距離なのだ。
 呼吸を整えてから、インターホンに手を伸ばす。
 別にインターホンを押すのはいつもと変わらないが、今日はなんて言ったって大人の階段をダッシュするのだ。階段ダッシュは地味だけど大事だ、とお兄ちゃんが言っていた。野球部のお兄ちゃんが言うんだから間違いない。
 小さく声が聞こえたのは、その時だった。


 太郎の家の前の公道の向こう側。瑠璃が歩いてきた道の反対から「おーい」ともう一度声が聞こえた。
 その声は太郎の声だった。何故、家の中からではなく、外からなのか。

「おーい! 瑠璃ちゃーん!」
「え? 太郎くん?」

 太郎は興奮した様子でドタドタと瑠璃に駆け寄る。
 その顔は鼻が膨らみ目が血走っていた。


「見て見て見て見て! 瑠璃ちゃん見て!」


 興奮した太郎がソレをがっしりとホールドして言った。
 わざわざ『見て』と言わなくても既に見ている——というか、見えている。

「ねぇ気になる? 見たい? 見たい?」

 だから、見えているんだって。本当は見たくないソレがバッチリ視界にロックオンされてるんだって。
 瑠璃は形式上、一応尋ねた。

「太郎ちゃん……それ、何?」
「え? 何って…………見てのとおりだよ!」
「見て分からないから、聞いてんだよ太郎ちゃん」

 太郎は手に口を当て、気の毒な人を見るような目で瑠璃を見た。お前の脳みそが一番気の毒だよ、と思ったが瑠璃は黙っていた。

「えぇ~? 分かんない? これはアレ! カブトムシ!」

 絶対違う。
 だって、人型だもの。醜い顔した人型の化け物だもの。
 コレを躊躇なく昆虫だと言い切るなら、『昆虫』の定義から学び直して欲しい。
 ていうかコレ——

「……ゴブリン?」

 口にしてから、少し恥ずかしくなった。
 そんな非科学的な生き物存在しない。存在してはいけない。
 分かっている。分かってはいても、ゴブリンとしか思えない生き物を目の前で羽交はがい締めで突きつけられては、流石に自信が揺らぐ。


「ぶふぅ! 今なんて? ゴブリン? ぷっくく、ゴブリンって言ったの? あっはははは! 瑠璃ちゃんったら面白いなァ! そんな非科学的な生き物存在するはずないじゃん!」


 瑠璃の顔がりんごのように真っ赤に染まった。
 じゃあ何だよ! その醜くて人型の化け物、何だよ!?
 羞恥と怒りに任せて、そう口走ろうとして、すんでのところで思いとどまった。どうせ「カブトムシだよ」と真顔で返されるだけだろう。
 瑠璃が黙っていると太郎は勝手にいきさつを語り出す。

「あのねあのね! 裏山でさ! カブトムシ捕まえようと思ってね! ミーンミーンって声を追ってたんだよ」
「それセミだねぇ?! ミーンミーンはセミだねぇ?! てか、私と待ち合わせしてんのに何勝手に裏山行ってんの?!」

 瑠璃のツッコミに煩わしそうに顔を顰めてから、太郎は話を続ける。
 え、待って。煩わしそうに顰めてんじゃねーよ。カブトムシ好きなら、カブトムシが鳴かないことくらい知っておけ。と、思ったがツッコミよりも太郎の話を聞くことを優先する。

「でさ! 渾身の一撃でね! 網を振ったんだよ! 『ズバーン!』ってね。あ、いや? 『ズギューン!』だったかな? 『ドギューン』?」

 どうでもいいよ、そこは!
 しかし、ここでも瑠璃は耐える。確固たる決意を持って、我慢する。決してツッコみを入れたりはしない。
 淑女。私は淑女。
 瑠璃は必死に自分に言い聞かせた。

「そしたらさ」と太郎がゴブリンの羽交い締めを解き、ゴブリンの脇に手を差し込んで、掲げ上げるようにゴブリンを持ち上げた。

 お前はライオンキ○グか! んなぁぁぁぁーずべんにゃぁぁぁーだだびーちぱぱー、か!
 瑠璃はコーラスしたくなるのを必死に堪えた。
 太郎は瑠璃に構わず、興奮冷めやらぬ様子で続ける。


「ピカッて光ってね! 取れたんだよ——」

 太郎は満面の笑みで目をキラキラさせ、嬉しそうに言った。

「——こんなにデッカいカブトムシ!」

「どう見てもゴブリンです。本当にありがとうございました」

 瑠璃は淑女設定を放り投げた。



「ていうか、太郎ちゃん! 今日は二人きりで遊ぼうって約束してたじゃん!」

 太郎を睨みつける。せっかく大人の階段ダッシュをする予定だったのにゴブリンがいたら台無しである。
 太郎は全く悪びれず、そして悪意なく言い放った。


「え? 二人きりじゃん? 正確には二人と一匹だけど」
「カブトムシじゃねェェエエエっつってんだろ?! どちらかと言えば人よりだから!」


 太郎が「ほら、ここがツノ」とゴブリンの鼻をビヨーンと引っ張って瑠璃に見せていると、太郎の正面、瑠璃の背後から不意に声をかけられた。

「よぉ、太郎! 虫相撲しようズェ! またお前のカブトムシズタズタにしてやんよ!」

 植松であった。
 品のない笑い声をあげながら、取り巻きと一緒に肩で風を切って歩いて来た。
 植松は太郎にとって因縁の相手だった。
 先日、太郎が飼っていたカブトムシ——本物のカブトムシ——は植松のクワガタに殺されてしまったのだ。
 虫相撲の末、とはいえ、それは一方的な虐殺であった。
 太郎は泣きに泣いて、落ち込んだ。
 瑠璃も励まそうと「泣かないの。たかが虫じゃないの」と口走ったところ、
「『たかが』じゃない! 虫は僕の全てだ! つまり僕は虫だ!」と訳わからない理屈で激昂していた。

 それ以降、虫相撲には及び腰になるかと瑠璃は思った。さらに言えば、そうなって欲しい、むしろ虫とか気持ち悪いからもう止めて欲しい、とさえ思った。というか、切に願った。
 ——しかし、

「植松くん……いいよ! 僕の最強のカブトムシ見せたげるよ!」

 太郎は果敢に受けて立った。


『もう負けない』


 そう友の墓前——近所の霊園にある知らん人の墓石の上に勝手にカブトムシを乗っけて南無った——に誓ったのである。


「…………え待って。二人きりの時間は?!」

 一瞬遅れて瑠璃が声を上げるも、その声はリベンジに燃える太郎とゴブリンカブトムシには届かなかった。



 ♦︎



「ちょ、ま、ぇえ?! カブト……ムシ……? ぇえ?!」
「気持ちは分かるよ植松くん。私もそうなったから」

 瑠璃は植松くんに同情しながら成り行きを見守った。
 公園のテーブルの片端には、通常よりも一回りも二回りも大きいクワガタが王者の風格を放ち、佇んでいた。植松くんのスーパーエクストリームサンダー2世である。
 そして、対するは、もはや幼児くらいの大きさを誇るカブトムシ——否っ! ゴブリン。こちらは巨人の風格を放っている。『イェーッガー!』の掛け声と共にうなじを削ぎ落としたくなる佇まいだ。

「さぁ! お前の強さを見せるんだ! ゴブリン!」
「ゴブリン言うてるやん! お前、既にゴブリン言うてるやん!」

 植松が何故か関西弁でイチャモンをつける。ノーゲームに持ち込もうと必死だった。
 しかし、ことここに至っては、太郎のゴブリンから逃れる術はない。
 太郎は持ち前の天然さを存分に発揮し、不思議そうに言った。

「え? 名前だよ? ゴブリンって命名したんだ、このカブトムシ!」
「間違ってるのに合ってる! ややこしい!」
「何言ってるの? 瑠璃ちゃんがゴブリンゴブリン言うから、そうしたんじゃん」
「私のせいだった?!」

 太郎がポケ◯ントレーナー宜しく、ゴブリンに指示を出す。

「さぁ! いけ! ゴブリン! 『しっぽを振る』攻撃!」
「尻尾ないよ太郎ちゃん! ゴブリン尻尾ない!」

 瑠璃はツッコみを入れつつも、成り行きを見守る。
 先に動いたのはスーパーエクストリームサンダー2世だった。ジワジワとゴブリンとの距離を詰める。
 ゴブリンの方も動く。おもむろに拳を振り上げた。

「行っけェェエエエ!」太郎が叫ぶ。

 直後、ドォン、と衝撃音が鳴った。ゴブリンが拳を叩きつけたのだ。もはや完全に人の動きであり、カブトムシ性は皆無であった。
 パキッと乾いた音と共に潰れるスーパーエクストリームサンダー2世。即死である。

「尻尾じゃないィ! それ尻尾じゃなくて拳だから! 『拳を振る』だから太郎ちゃん!」
「ス、スーパーエクストリームサンダー2世ェェエエエ!」

 植松は泣きながら、スーパーエクストリームサンダー2世に駆け寄る。
 ゴブリンがスーパーエクストリームサンダー2世の残骸をヒョイっと拾うと植松に渡した。
 植松は残骸を受け取ろうとして、固まる。
 残骸は惨たらしかった。グロ、と言っても差し支えないレベルである。
 植松は少し悩んでから、結局スーパーエクストリームサンダー2世を受け取らずに、走り去って行った。
「植松くゥゥゥん!」と取り巻きも植松を追い掛けた。

 まったく騒々しい、と瑠璃が腰に手を当てため息を吐く。虫を駆除することは、瑠璃にとっては別に普通のことだという認識だった。動揺もなければ同情もない。
 勝ててよかったね、と太郎に声を掛けようとして、瑠璃はぎょっとした。
 太郎がうずくまって泣いていたのだ。勝ったのに。何故。

「ご、ご、ご、ごめんなざい゛ィィ! しっぽを振るだけのつもりだったのに! こんなつもりじゃァァ! うわぁああん」

 瑠璃は慌てて太郎に駆け寄り、背中をさすった。
 太郎が落ち着くまで、小一時間を要した。
 スーパーエクストリームサンダー2世はその後、太郎が近所の霊園まで運び、知らん人の墓石に南無った。

 ♦︎

「まあまあ、主人殿あるじどの。生きていれば、そんなこともあるよのぅ。結局のところ、世の中、弱肉強食なのじゃ」

 未だウジウジしていた太郎を、着物のような綺麗な衣類を纏ったブロンド美女が太郎の頭に手を置き励ました。額からは太い角が1本生え、目は切れ長で鋭い。

「え待って。誰?!」瑠璃は堪えきれずブロンド美女を指差して、言った。
「誰って……カブトムシじゃが?」
「絶対違う。二度とカブトムシを名乗るな。え、ていうか何で?! 何があった?! 何があれば醜い顔のゴブリンが8頭身のブロンド美女になる?!」


 さっきまでゴブリンだったソレは、もはやゴブリンではなかった。変形したとか、成長したとか、そんなレベルではない。一瞬目を離したら、次の瞬間にはこの状態であった。
 ゴブリンが淡々と説明しだす。

「この世界は経験値が異常に高いようでの。先の死闘を経て、存在進化したようじゃ」
「え、待って。死闘の要素どの辺にあった? クワガタごときで存在進化しないでもらえる?! てか、太郎ちゃんから離れて! ベタベタ触らないでぇ!」

 瑠璃がゴブリンを引き剥がす。そしてどさくさに紛れて自分が太郎に抱きついた。
 しかし、太郎は全く意識している様子はなかった。瑠璃の『きゃっ、胸が当たっちゃった❤︎ 大作戦』は失敗に終わった。
 ——が、太郎を落ち着かせるには役に立ったようだった。
 太郎が口を開く。

「今『この世界』って言った?」
「うむ。わらわは異世界の住人であるからのぅ」
「じゃあやっぱりゴブリンで確定じゃない!」と瑠璃が口を挟むが無視された。

「異世界のカブトムシがなんで、この世界に来たの?」
「だからカブトムシじゃなくてゴブリンなんだって太郎ちゃん!」瑠璃がまたも口を挟むがやはり取り合ってもらえない。
「うむ。妾は森を彷徨っていたのじゃ。そしたら不意に強い光に包まれてのぅ。気付いたら、ほれ、この通り。カブトムシじゃ」
「どの通り?! 全然カブトムシじゃないんですけど?! 最初からずっとカブトムシじゃないんですけどっ?!」

 太郎は「そっかぁ……」と呟いて、神妙な顔で黙った。「無視しないでぇぇえええ」と泣きながら太郎に抱きつく瑠璃を無視して黙りこくった。

 やがて顔を上げ、太郎が言った。

「じゃあ僕が元の世界に帰してあげる」

 ♦︎

 もう日が暮れ始めた夕方。
 瑠璃は太郎に指定された物を持って、裏山にで待ち合わせた。

「太郎ちゃん……。一応持ってきたけど……」

 瑠璃は持ってきたネックレスやイヤリング、ブレスレットといったアクセサリー類が何点かが入ったジュエリーケースを太郎に見せた。

「ありがとう瑠璃ちゃん。アクセサリーか! 僕もアクセサリーも持ってきたけど……僕のより本格的! 大人っぽい!」

 太郎の言葉に少し恥ずかしくなった瑠璃は目線を太郎から逸らせた。
 一方、太郎の右手にはライブ用のライトスティック、左手にはビニール袋に入った花火が握られていた。
 瑠璃が太郎から指定されたのは『光る物』である。察しはつきつつも、瑠璃は聞かずにはいられない。

「……一応聞くけど、これで何すんの?」
「ゴブリンを異世界に帰すんだよ! 来た時にピカッたんだから、帰りもピカるんだよ!」

 安易っ! 考えが甘すぎる!
 そう思いつつも、自然と頬が緩んだ。瑠璃は太郎の単純で真っ直ぐなところが好きでもあった。
 まぁ私がしっかりしていれば、いいよね。


「そんなんで本当に帰れるかな?」
「まぁ主人殿がそう言うなら、そうなんであろう」

 ゴブリンが答える。
 そう答えるゴブリンは全身が光って、辺りを照らしていた。

「なんで光ってる?! このゴブリンが一番ピカッてんですけど?! 私たちのコレ意味ある?!」
「瑠璃ちゃん、何言ってんの? カブトムシってのは黒光りするものなんだよ?」

 太郎が『そんなことも知らないの?』とでも言いたげに瑠璃を笑った。

「カブトムシはね?! コレ、カブトムシじゃないから! てか、黒光りってレベルじゃなく発光してるんですけど?!」
「このカブトムシはシークレットレアだからね」
「意味わからん!」

「瑠璃殿」ゴブリンが瑠璃の方に顔を向けた。
「眩しい! 顔を見られない」手で光を遮るが、それでも眩しい。
「これは『エンチャント ライト』じゃ」
「『エンチャント ライトじゃ』じゃないから! 何ソレ?!」
「魔法じゃ」

 瑠璃が「何じゃそりゃ!」と理解を諦めているうちに、太郎が歩みを止めた。

「この辺だっけ?」
「うむ。ここじゃ」

 どうやら太郎がゴブリンを捕獲した場所に着いたようだった。

「よし! じゃあ早速。まずはこれから試してみよう!」

 太郎がライトスティックをゴブリンに向け、カチカチとボタンを押すと、ライトスティックが赤、青、黄、と色を変えながら光った。

「うーん、ゴブリンが光ってるから、ちゃんとライトスティックが光ってるか分かりづらいなァ」

 太郎はそう言いながら、今度はライトスティックを瑠璃のほっぺたにぐりぐり押し当ててみた。

「ちょ!? 太郎ひゃん? なんでわたひ……?」
「あ、ちゃんと光ってるね! でも、失敗か」

 太郎はライトスティックを瑠璃から離した。

「私で試す意味ある?! 成功してたら、私異世界行きだから! チート物語が始まっちゃってるところだから!」
「瑠璃ちゃん……ちょっと何言ってんのか分かんない」
「何でだよ!」

 太郎は瑠璃を無視して、今度は花火の入ったビニール袋を開けようとガサガサし始めた。

「え、太郎ちゃん?! こんな草木がいっぱいのところで花火なんて危なくない?!」

 瑠璃が慌てて止める。
 しかし、太郎はちっちっち、と指を振り、ドヤ顔で言い放った。

「瑠璃ちゃん。人の体ってのはね。70パーセントが水分なんだよ?」

 瑠璃は黙って続きを待つ。
 ——が、太郎は話は終わり、とばかりに再びビニール袋を漁り始めた。


「………………………………え待って。だから何?!」

 太郎は案の定、瑠璃の話は聞かずに、花火を取り出して構えた。
 キメ顔だった。瑠璃は『何故にキメ顔?』と思ったが、内心『カッコよ❤︎』と眼福であった。
 太郎がキメ顔のまま、言う。

「チャッカマン……忘れた。フッ」
「いや『フッ』じゃないよ。何カッコつけて、カッコ悪いこと言ってんの?!」

 ガクッと崩れる瑠璃。
 しかし、同時に安堵した。
 子供だけで、火遊びなんて危なすぎる。

「主人殿。火なら、妾が出せるぞ。ほれ」

 ゴブリンはそう言うと、手のひらからゴォッと火柱が空に向かって走る。
 その火の強さは花火の比ではなく、周囲を強く照らした。

「ちょォォオオオぁ?! 火柱ァ?! あぶ! 危ない! 危ないからァ!」

 動揺する瑠璃とは反対に、太郎は大いに喜んだ。

「わーい! キャンプファイヤー! フゥゥゥウウウウ!」
「『フゥゥゥウウウウ』じゃないからァ! 消して! 消してェ!」

 太郎は火柱から花火に火を移すと、花火を振り回しながら火柱の周りを踊った。
 もはや闇の儀式である。ゴブリンを異世界に帰すことをすっかり忘れて楽しんでいた。

 しかし、やはり子供だけで火遊びはするものではない。良い子は真似しないでほしい。
 花火を持って踊っていた太郎は、石につまずき、転んでしまった。

「あ痛!」

 そして、手に持っていた花火が、枯れ草の中に飛んでいった。

「あ……」

 あっという間に火が広がり、大きく燃え上がる。
 その間、十数秒。誰も言葉を発せず、花火の音だけが夜の山に鳴り続ける。
 やがて我に返った太郎が叫ぶ。

「あああああああ! しまったァァアア!」
「だから言ったじゃない! ああああ、どうしよどうしよ!」

 パニックに陥っていた。意味もなく右に左に行ったり来たり。時間だけが過ぎて行く。
 そうしている間にも、どんどん火は強まった。
 不意に太郎がピタリと止まり、顔に手を当てて、再びキメ顔で言った。

「落ち着け! 大丈夫だ」その顔は自信に満ち、勝利を確信した顔であった。どうやら太郎には勝ち筋が見えたらしい。瑠璃は『太郎ちゃん……! カッコ良い❤︎』と胸を高鳴らせた。
 満を辞して太郎が言う。

「瑠璃ちゃん。僕らの勝ちだ。だって考えてごらん? 人間の体は70パーセントが水分なんだよ?」

「……………………」

「……………………」



 うん。……うん?
 長い沈黙の中、太郎ちゃんと目が合った。


「「だから何ィィ?!」」

 太郎と瑠璃が同時にツッコんだ。
 太郎に至ってはもはや一人ノリツッコみである。

 まともな思考は最早太郎と瑠璃には不可能だった。火を消そうと土や枝を投げまくるが、余計に火は強まって行く。
 不意に2人は頭を優しく撫でられた。
 ゴブリンだった。

「大丈夫じゃ。主人殿。瑠璃殿。妾が消してみせよう」

 そう言うと、ゴブリンは火に対峙し、両手を天に掲げた。
 ゴブリンから不思議な圧力を感じる。しかし、それは恐怖としての対象ではなく、優しく母のような抱擁力のある力であった。

 ゴブリンが叫ぶ。

「コントロールウェザー!」

 ゴブリンの詠唱を合図に、風圧が瑠璃と太郎を包み込む。
 地面から天に、風が天に吸い込まれるかのように気流が生じた。
 そして、ゴブリンの中の何かが天に霧散する。
 目には見えない不思議な力。
 瑠璃はそれを肌に感じて、鳥肌がたった。

 そして、次の瞬間。

 ドォォォオオオオオン!!!

 雷鳴が轟いた。その音以外は何も感じられないような凄まじい音は、かえって静寂に近いような気さえした。野獣が吠えて暴れているようにも聞こえる轟音の中で、ゴブリンは静かに腕を下ろした。

 また雷鳴が轟く。
 雷の光がゴブリンを怪しく照らす。
 ポツポツと雨が降りだし、やがてそれはザァァアアアアと土砂降りに変わった。
 降り注ぐ雨で燃え広がった火は瞬時に鎮火された。

 またどこかに雷が落ちる。それはそう遠くない場所。

 ゴブリンはゆっくりと太郎に振り返った。

「主人殿。どうやらお別れのようじゃ」

 ゴブリンはどこか寂しげに微笑んだ。
 唐突にやってくる別れ。太郎の顔がゆっくりと哀しみに歪む。

「主人殿と過ごした一日は、とても楽しかった。たった一日だが、妾にとってはかけがえのない一日になった。今日という日を、主人殿との冒険を、妾は生涯忘れることはないだろう。本当にありがとう」

 ゴブリンが太郎を抱きしめた。
 太郎は何も言わない。ただ泣きながらゴブリンを力一杯抱きしめていた。
 ゴブリンが瑠璃の方を向く。

「瑠璃。もっとしとやかにせねば、主人殿は落とせんぞ?」

 ゴブリンがニヤリと瑠璃に笑いかけた。

「ぐすっ。じゃあ……ツッコませないでよォ……」

 瑠璃は泣きながら、笑った。精一杯の強がりの笑顔。瑠璃にとってもまた、ゴブリンとの冒険はかけがえの無いものになっていた。

「主人殿。もっと瑠璃に優しくしてやれ。瑠璃は主人殿が守るんじゃぞ」

 太郎は涙と雨でびしょびしょの顔を腕で拭って、ゴブリンを見つめ返して答えた。

「…………わがっだ!」

 太郎の返答にゴブリンは満足そうに頷き、微笑んで、太郎の頭を撫で、瑠璃と太郎から離れる。

「二人とも、達者でのぅ。いつの日か、また会おう! さらばじゃ!」

 ゴブリンがそう告げた瞬間——

 地を揺らすような衝撃と轟音で何も聞こえなくなり、同時に視界は眩い光で覆われた。
 雷がゴブリンのすぐ近くに落ちたようだった。
 白一色の視界の中で、瑠璃は太郎と寄り添うように抱き合った。

「ゴブリィーーーーーーーーーーン!」


























 再び目を開いた時には、雨上がりの日差しが、爽やかに太郎と瑠璃を照らした。



 しかし、そこにゴブリンはもういない。
 ぐすっと太郎の鼻をすする音が聞こえた。
 何となく言葉を発するべきではない、と思い瑠璃は黙って下を向いていた。

 不意に太郎はTシャツの裾で涙をゴシゴシっと拭うと、目を閉じる。
 そして、やがて「よし!」と気合い入れると、そっと瑠璃の手を取った。

 瑠璃は訳が分からず、太郎を見つめる。
 太郎はポケットから何かを取り出した。

「これ、あげる!」

 太郎はソレをそっと瑠璃の薬指にはめた。

「これ……指輪?」

 そこにはキラキラと光るオモチャの指輪があった。

「そう! この前テレビで見たんだ! 一生守るって誓うときに指輪をあげるんだよ?」
「一生……守る……」

 瑠璃は先程のゴブリンの言葉を思い出した。

 ——瑠璃は主人殿が守るんじゃぞ

 ボッと火がついたかのように瑠璃の顔が真っ赤に染まった。
 まさか。嘘。これって。え?!

「ちょ、え、これ?! プ、プ、プ——」

 瑠璃が『プロポーズ?!』と聞こうとして、その前に太郎が答えた。

「そ。プレゼント!」

 プロポ——……え? プレゼント……?
 ガクッと肩が落ちた。
 どうせ太郎ちゃんのことだから、薬指の指輪を送ることがどんな意味を持つのか分かってないんだろうな……。
 瑠璃は瞬時にそう理解した。理解してしまった。
 瑠璃の気持ちも知らずに、太郎は無邪気に笑った。

「瑠璃ちゃんは僕が一生守るからね」

 そう言って微笑む太郎は、『結婚』についてはやはりよく分かっていないようだが、奇跡的に正解の言葉を瑠璃に送るのであった。
 瑠璃が呟く。

「間違ってるのに合ってる……。ややこしい……」



 ♦︎

 ザワザワと黒い森が侵入者を嘲笑うように、揺れた。

「ねー、本当に駆け出しの私たちが、いきなり討伐クエストなんて受けて大丈夫なの?」

 杖を持った神官の女が辺りを警戒しながら怯えるように言った。

「大丈夫大丈夫。だってお前、討伐対象はゴブリンだぜ? 余裕だっつの! 村でも時々、野良ゴブリン、ボコってたし」

 剣と鎧の戦士が、ガハハと笑いながら歩く。

「そうそう。ボクがゴブリンなんて、瞬殺してあげるよ」

 魔術師の男は残忍な笑みを浮かべた。
 三人がゴブリン出没地域に立ち入った。
 黒き森、と言われるこの地は深層に行くほど、強い魔物が出るが、表層はゴブリンやグリーンワーム程度の弱い魔物しかでない。
 そのため三人は警戒はしつつも、ある程度は安心して、今回の依頼を受けていた。
 だから、彼らがソレに遭遇したのは、単純に運が悪かったと言う他なかった。
 茂みの奥にいるソレを三人が見つける。

「お、いたいた! ゴブ…………リン?」
「え、ちょっと待って! あれゴブリン?! なんか……美女なんですけど! 角生えてんですけど!」
「お、おい! お前! 何者だ!」


 ゴブリンはゆっくりと振り返った。
 透き通るような輝きを放つブロンドヘアと赤い瞳を秘めた切れ長の眼。
 息を呑むような美しさと、対峙する者を一瞬で虫ケラのように潰してしまうような危うさ、その両方を併せ持っていた。
 ゴブリンがゆっくりと口を開いた。

「ん? 妾か? 妾は——」










 彼女の手のひらから、炎柱が轟き、天に走る。
 薄く笑った彼女の顔は自信と誇りに満ちていた。











「——カブトムシじゃ!」





 これが魔王カブトムシの誕生秘話である。

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