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第十五章

拳銃

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「……あっさりですね」
「まあ、最近は平和ですから」
 何故か不満げなナディに騎士様が普通に応える。
「王都ですから治安もいいですし、出入りや通行の税金もベルガエではほとんど無いですからね」
 つまりそうでない時には違うのねとナディは考えた。通行人を怪しむ事もないと言う事は平和なんだろうなあとも。
「あの、お聞きしてよろしいでしょうか。カーリャ様」
 そこでナディは一つ思い付いた。
「はい。なんでしょうか。ナディ殿」
「そのあの、お顔をさっきから隠されているのは?」
『怪しい』と言う単語から連想したのだから、ある意味失礼である。いや、屋敷を出てすぐに騎士様が布で顔半分を覆った時から気にはなっていたのだ。
「顔――ですか?」
 ちょっと困った声が返ってきた。こちらに顔を向けてもくれない。
「ご不快でしょうか。あまり貴族の作法には通じていなくて」
 真面目に言っている様に聞こえる。嫌みではないらしい。
「そう言う訳ではありませんが」
 自分だってそうだしとここでナディは思い出した。そうだ。痣を隠す前髪に帽子。いつも気にしているのに、わたしったら何て事を――何をいい気になっていたのだろう。
「実は喉を痛めておりまして」
 カーリャがそう言って軽く咳をして見せる。ナディにすら嘘とわかった。
「そおですかあ?」
 思わず笑ってしまう。その拍子に自分の事も忘れてしまったお調子者である。
「まだ夏の終わりくらいなのにぃ?」
「ま、まあ。騎士ですから」
 嘘がばれているとわかったのだろう。騎士様が話を変える。
「騎士様には顔をお見せしない規則でも?」
 これは案外真面目に聞いた。図書館で読んだ本によると、大内海の南には女性は覆面が義務の宗教があるそうだが。
「いや、規則と言う訳ではなく……」
 騎士様は真面目過ぎた。ナディの主張などどうせ無責任な好奇心なのだから適当に流せばいいのだ。それなのにまともに答えようとしてしまった。
「実は顔がその……」
 ひょっとして『図書館の魔女』と言う双つ名から過剰な買い被りをしているのかも知れない。恥ずかしそうにそう言う。
「顔? お顔ですか?」
 綺麗なのにとナディは思う。何が不足なのだ贅沢な。
「非常に見目麗しいと思いますけど」
 歌劇団の主演女優の様に――とは言わなかった。でも、やっぱりこの方、女性なのよねとほぼ決めつけている。
「……あまり騎士には有難いお言葉ではありませんね」
 なんか不満げな声である。
「そう言うものでしょうか? 良いじゃないですか」
「そう言うものです。良くはありません」
 言いきられた。が、次には騎士様は手を顔にかけ、そこの布をむしりとる。まあ、とナディは声を上げた。
「ほらほら。そちらの方がカーリャ様らしい」
 騎士様は前を向いて歩いている。馬上のナディからはやや後ろからの横顔しか見えない。でも惚れ惚れする程に美しい。本当に男装の麗人である。
「とやかく言われる事もありますので」
 沈んだ声で言われた。ああとナディも気付く。こんな美貌で男装しているのだ。それは憧れもからかいもあるだろう。男達に声をかけられるとか。女達が騒ぐとか。
「まあ、王都は出ましたし、ここからは人も減りますから」
 自分を納得させる様に呟く騎士様をナディは生暖かくにやにやと見ていた。
「あ、ならば」
 そこで思い出した様に騎士様が呟く。手をマントの後ろに回した。何か掴んで引っ張りだす。
「それは?」
 なんだろうとナディは興味津々で聞いた。曲がった棒状のものだ。短い片方が騎士様の掌に納まる程度で、もう片方は倍以上長い。端に穴が空いた鉄の筒とそれを覆う木で出来ている。騎士様が小さく笑った。
「‘銃’です」
「え? それが?」
 知っていた。飛び道具の武器だ。槍や石の様に投げるのではなく、弓や弩の様に弦を引いた反動で飛ばすものでもない。なんでも薬に火をつけて鉛のを吐き出すらしい。武具についての本で読んだ記憶がある。
「あの雷の様な大きな音を立てて鉄の鎧すらにも穴を空けると言う?」
「そうです。ご存知ですか。さすがナディ殿」
「南の方で広まりつつあって、確か卑怯だとか残酷だとかで教会や騎士の方々は嫌っておいでのはずでは?」
「……よくご存知で。さすがナディ殿」
 微笑が苦笑に変わった様だ。その銃を騎士様は剣帯の前に差した。武器として備えたらしい。
「そんな大きさで‘銃’なんですか?」
 銃そのものは初見ではない。ベルガエでも王宮には何丁もあったし、兵が実際に使っているとも聞いた。だが、それは両手で構えるくらいの大きさと重さで、カーリャが持っているような片手で持てる、剣帯に差し込めるものではない。
「ええ。小さく片手で扱いますが立派な銃です。『拳銃』と称していますが、戦場でも使えます」
 騎士様が自慢気に言う。何となく子供っぽくてちょっと可笑しい。
「ちょっと見せて下さい」 
 早速の好奇心でナディは掌を向けた。銃など見た事はあっても触れた事はない。なのに本でも無かった小型で本物だ。触りたい。撫で撫でしたい!
「駄目です。玩具ではありません」
 なのに無情に騎士様は言った。ナディの頬がぷううっと膨れる。
「お願いします!」
「御願いされても駄目です。淑女には物騒ですし、男爵様に怒られますよ」
 叔父なんかどうでもいい。
「カーリャ様のけち」
「けちで言っているのではありません!」


 馬の上と徒歩とで何故か賑やかにしながら二人は進んでいく。北への街道はなだらかな光景を左右に延々と続いている。
「街道のはずですが、案外、狭いのですね」
「王都から離れるとこんなものです」
 ナディが驚いたのは街道の雑さだろう。王都の街路とは全然違う。馬車が一台通れるくらいの幅しかなく、しかも石等で舗装もされていない。剥き出しの土には馬車の轍らしい跡が深々と残っていて馬の蹄が一々とられそうだった。
「なんかでこぼこだし」
 出発前に叔母が王都の街路用の華奢な車輪ではもたないと言ったのはこう言う意味なのだろう
「先週はずっと雨でしたが、ここ数日は晴れましたので。乾いただけましですよ」
 カーリャは淡々と言う。これが普通の事らしい。一応、街道のはずだが、行き交う人も王都の街路とは大違いのぽつぽつでしか見えない。その分、この二人は気兼ねなく会話も顔を晒すのも出来るのだが。
「あっちこっちに広がっているのは畑ですか」
「はい。麦畑です。もう秋も目の前なので色づいていますね。来月には収穫で農民も忙しくなるでしょう」
 初めてのナディには色んな意味で新鮮だった。きょろきょろ馬上から見回して、光景のあちこちについての質問を騎士様にぶつける。騎士様はその一々に丁寧に答えていた。まるでお世話係である。
「あの向こうはなんです? 草ばっかりですが」
「休耕地、ないしは牛馬の飼料用でしょうか」
「あ、麦だけじゃ土地が痩せるんで定期的に他と入れ替えるんですよね」
「はい。その通り。王都周辺の土地は格別豊かだとは聞いていますが、あるんですね」
「土地辺りの採れ高は王国一だったはずです。特にギィル河からの灌漑が使える土地だと毎年豊作だとか」
「河の水を使うのですか」
「雨水よりも河水の方が滋味がいいのでは? と農務官の報告書にありました」
 騎士様の方もナディの知識を興味深げに聞いている。だから二人とも退屈していない。
 
 にゃぐるぅ

 その様に仲良く二人で進んでいく内に、声がした。何かはすぐわかる。ラージャだ。黒馬の鞍から不満げな鳴き声をあげていたのだ。
「あら、ラージャ」
 この太め大きめの猫は広場で揚げナマズを一本丸々横取りした後にナディに触られるのを避けるかのようにさっさと黒馬の方へ逃げ出したのだ。そのまま飼い主ともう一匹の人間の会話には興味無さそうに半寝していたのだが。
「ああ、お腹が空いたか」

 ぐりゅううう

 騎士様の確認にそうだと答えているかのようである。この子ったらナマズを一本完食した癖にと、二本食べたナディが呆れる。
「ナディ殿もよろしいですか」
「あ、いえ。わたしはすぐには」
 さすがに『お腹空きました』と他人に言うのは淑女としてはしたないくらいの常識はナディにもある。素顔や拳銃やなんやらの会話で夢中になっていたが、そう言えばまたお腹も空いているわとも気づいていた。
「では準備しましょう」
 ナディはそうは言っていないのに騎士様はうなずいた。まあ、止めはしませんがと口を閉じるナディを乗せて馬を曳く。街道を外れた。
「ちょうど頃合いでしたし」
 そのままどんどん進んでいく。なだらか以上の勾配を上がり、ややしてから小高い所に着いた。
「お疲れでしょう。ナディ殿」
 ナディは騎士様の手を借りて馬から降りる。一刻以上、乗馬していたから背中から腰に足が微妙に痛い。ここまで夢中で気付かなかったが、成る程、馬車より乗馬の方がきついのかと実感した。
「まあ、すごい」
 そこは結構な高台だった。見下ろすと今まで歩いていた街道が向こうからあっちまで見える。その道の両脇に広がる農地も、風景のあちこちに点在する丘や小山も一望だった。
「広いですねえ」
「ベルガエは豊穣の国ですから」
 わああと声をあげるナディに向こうで騎士様は応える。あら? と思って見ると黒馬の荷物をさぐっていた。何やらを一式下ろす。昼食の準備らしい。あらあら。
「お手伝いしましょうか?」
 とことこと歩いて寄ってナディは言ってみた。こちらも面白そうではある。
「いえいえ。まさか男爵様のお嬢様にそんな」
 騎士様は丁寧に断った。
「いえ、そんな構わないで下さい。わたしお役に立ちたいんです」
 よくお嬢様なんて言われるが、ナディは男爵の姪であって相続では斜め下横くらいの位置だ。自分が貴族ともあまり思っていない。確かに使用人達の仕事に手を出そうとして煙たがれているのは事実だが。
「ここは私めにお任せを。淑女をもてなすのも騎士の義務ですから」
 騎士様は仰々しい事を言って再度断った。やる気はあってもやった事はないでしょう? とは言わない。
 顔に書いてあるだけである。
「カーリャ様のけちんぼ」
「……何とでもどうぞ」
 騎士様はテキパキと準備をしていく。そこら辺にあった岩に布を開き、二人分の椅子にすると、その前に自分の鞄をおいてさらに布を敷く。野外の食卓の完成である。
 それから掌二つ分くらいの長さのパンを出し、小刀で切れ目を幾つもいれる。さらに小さめの瓶を二つ開けて小さなスプーンで掬う。べっとりとしているのはバターでどろりはジャムだろう。バターはどちらにも、ジャムは片方にパン切れ目ごとにしっかりと塗った。次に生ハムとチーズの塊を出して削いでそこにたっぷり差し込む
「ナディ様。どうぞ」
 ジャムを塗った方を差し出された。うわあとナディは受けとる。ジャムはきっとプラムだろう。
「こちらも」
 屋台で買ってきた包みの一部も出して食卓に並べた。串に刺した炙り肉。野菜で膨らんだパイ。揚げた菓子もある。ナディの空いたお腹にも十分な量だった。
「飲み物はこちらで――よろしいですか」
 騎士様がちょっと遠慮がちに出して来たのは二つの角杯だった。牛とおぼしき角の中を空洞にして使う。角の先を青銅で覆っているのも特徴だ。北や東の蛮族が愛用するらしい。
「これって下に置く時にはそのまま土に突き刺すんですよね?」 
 本からの知識だが間違いない。まさか読み漁った蛮族の風俗誌と同じ経験が出来るとは思わなかった。もちろん乱暴とも野卑とも言われそうな食器で、これを騎士は普通に使うのだろうか。男爵家でこんなものを出せば執事が苦虫を噛み潰し、メイドも顔を背けるくらいしそうだった。
「はい。さすがナディ様は博識でいらっしゃる」
 騎士様は嬉しそうであった。よく見ると角杯の側面には詳細な意匠が刻まれていた。自慢の一品なのかも知れない。
「お使いでよろしいですか?」
「はい。もちろん。喜んで!」
 男爵の姪も淑女もなく、ナディは喜んで角杯を受け取った。案外、手頃な重さだ。手触りもいい。そして持つだけで感じる雄々しさと逞しさ。なんか蛮族の族長にでもなった気分になる。
「お似合いですよ」
 この評価は淑女には失礼だったかも知れないが、言った方も言われた方もニコニコだからいいのだ。騎士様は皮袋の水筒を手にし、そこからナディの角杯に中身を注いだ。薄い赤だった。ワインか。ナディはわくわくとして角杯と具沢山のパンを持っている。騎士様は自分の角杯にも注ぐ。
「ではナディ様のご健康を祈りまして」
 そこだけ厳かに、でも通常の食事前のお祈りはすっ飛ばして、騎士様が角杯を掲げる。ナディも倣う。
「乾杯」
「乾杯!」
そこだけは二人で唱和する。そしてごくりと飲んだ。そう言えば屋敷を出てから初めての飲み物だ。ナディはごくごくと一気に飲み干してしまった。美味しい。飲みやすい。
「美味しい!」
「それはよろしかった」
 すぐにも騎士様は次を注いでくれた。自分は二口くらいしか飲んでいない。それをナディは気付かずにまたごくごくと角杯を半分くらいを空ける。
「これは水で割っていますね」
 そこで飲みやすい理由に気づいた。
「まだお昼ですから」
 騎士様は苦笑する。当たり前の事だったからだ。
 亜大陸の水はほとんどが硬く、生で飲むとお腹を壊す場合もある。余裕のある者は沸かして飲むし、一般には混ぜ物をするのが多い。裕福な女子供用には果汁を入れて嗜好品として楽しむし、平民や兵士は酢か古くなって酸っぱくなったワインを入れる。
 またある程度の地位の者はワインや麦酒を利用するが、昼はこれを水で割って酒精を薄めるのが一般的であった。
「まして旅の途中。昨日の男爵様のおもてなしの様に生のワインで乗馬しては酔っぱらってしまいます」
「そうですよね」
 ナディだって昨日は例外だったのだ。あんな良いワインなんて叔母が叔父と楽しむ用で、それまでほとんど飲ませてもらった事がない。『子供の癖に』とか言われて。
「一応、朝に市場で壺のワインと山から運んだと言う水を買って割ってみましたが、お口には……」
 ちょっと心配げな騎士様である。気を使ってくれているのがナディにはわかった。
 ベルガエ王国では良い葡萄はあまり収穫出来ない。基本的に外国からの輸入か国産の粗悪品かになる。それを平民は樽で買い、そこそこ以上のお金持ちは壺で買う。さらに高価な瓶で買って楽しむのはかなりの上流であり、貴族でも下級ではちょっと難しい。
 なのにティンベル男爵家程度が瓶でも日常的に美酒を楽しめるのは、単に叔母が富商の実家から定期的に高価なワインその他を強奪してくるからである。
「はい。美味しいです」
 ナディはにこっと笑い、残りもごくごくと飲んだ。子供のように無邪気なその様に騎士様は嬉しそうである。
「喉が渇いてるのでしょうが、あまり多すぎるのは如何かと」
 だが、昨日のナディの飲みっぷりを思い出したのだろうか。三杯目はそっと注いでくれた。
「いただきましょう」
 相変わらずちびちびとしか飲まない騎士様は酒宴になるのを避けたいらしく、露骨に料理を勧める。ナディにも願ったりである。お腹は空いているのだ。
「いただきます」 
 大きな口を開けてがぶりとパンにかぶりつく。精製の粗い生地のパンの重めの食感と生ハムの肉味、チーズのコク、バターの塩味と脂味が一編に口に入ってくる。美味しい。
「おうひいぃっ!」
 口にいっぱい入れたままに叫んでしまった。実にはしたない。執事が見たら青筋を立てるだろう。
「慌てずに慌てずに」
 幸い騎士様は気にもしないようだった。にこにことナディを眺めながら自分も食べる。こちらは口を小さめに開けて一口一口啄む様に。よほど目の前のお嬢様より慎ましいだろう。
「ジャムは如何ですか」
「あ、足して下さい」 
 お言葉に甘えてプラムのジャムも追加で塗ってもらう。バターと並べて混ざる様にして食べるなどお行儀悪いに違いないが、騎士様が勧めてくれるのだからいいのだ。 
「いやあ、わからないので色々揃えておいて良かったです」
 ひょっとしたら騎士様は淑女の食事作法をよく知らないだけなのかも知れないが。
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