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第二十四章

襲撃

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 固まった。ナディは茂みの中で石になる。それぐらい驚いていた。
「……」
 見ちゃった。初めて。いや、そう言う事ではない。騎士様は男だったのだ。彫刻とはちょっと違うかも。いや、だからそう言う事ではないのよ。
「あ……」
 とにかく目の前をどうしよう。水音を立てて騎士様がこっちに来る。身体を隠そうともせずに。いや見ている場合じゃない。覗いた訳でもない。知らなかった。裸でいるなんて知らなかったのだ。だから目が離せなくても、それは驚いたからで、だけで――
「い……」
 違う。違う違う。違う。問題は今どうするかだ。すぐにも騎士様は泉から上がってくるだろう。気づかれる。覗いていたのがばれる。
「う……」
 とにかく気づかれてはならない。じっとだ。動くな。茂みに同化するんだ。音さえ立てなければなんとか。そう。がさがさするな。じっとだ。じっと。木になれ石になってぇ。
「え……」
 ああ、なのに音がする。小さいけど。ご自分のたてる水音のせいか騎士様はまだ気づいていない。でも微かだが、がさがさと、あっちで――
「……え?」
 違う! とナディは首を振った。音はする。だが自分ではない。わたしの回りで――目だけ横にきょろきょろ動かして探す。あった。左の方だ。ちょっと離れた先の茂みが動いている。キラリとも光った。一つ以上ある。茂みから飛び出て……
 あれは剣?
「カーリャ様あっ!」
 咄嗟にナディは叫んだ。あっちの茂みに誰かいる。複数。剣を持っている。鞘から抜いてかざそうとしている!
「危ないっ!」
 反応は瞬速だった。ナディの叫びが響いた瞬間、カーリャは水の中にざぶっと消えた。全身で潜ったのだ。
「畜生! ばれた!」
 その後にあっちの茂みが割れ、野太い声が飛び出てきた。三人。男。ごてごてと荒っぽい服装であり、揃って手には剣を握っていた。
「何処にいった!」、「逃がすな!」
 そいつらは口々に騒ぎながらざぶざぶと池に入っていった。水面が雑に乱れる。
「潜ったぞ」、「上玉だからな。傷はつけるな」、「生け捕ればたんまり金貨だぜ」
 そのまま池の中を探す。元は澄んでいる水も自分達が荒らしたのか見透せないらしい。蹴ったり、剣を入れて薙いだり騒いでいた。
「あぅ……」
 困ったのはナディだ。危機を騎士様に伝えたのはお手柄だが、ここからどうする? 騎士様が狙われているのはわかった。賊は三人もいる。傭兵っぽい。あのしなやかな裸の騎士様でも……とにかくとてもかなわないだろう。逃げないと。
 でも騎士様は何処へ――そう目で探してナディは気づいた。
「あ……」
 目の前の岸。その水の中からすいっと手が伸びたのだ。手だけが。ナディはあげそうになった悲鳴を咄嗟に口を押さえてこらえる。騎士様だ。あの白い繊手はカーリャ様の……
 必死で見つめているナディの目の前でその手は岸辺を探った。それで気づいたがそこに騎士様の刀がある。すぐにそれを手の動きだけで器用に抜いた。用心かで置いておいたのか。そのまま手は刀身と共に水の中へ戻る。沈んだ。
「いねえぞ!」、「そんなに長く潜ってはいられねえはずだ!」
 その間にも賊達は騒がしく池を探している。カーリャ様、逃げてとナディは神にも祈りたい。今ならこっそり――
「そう言えば声がしたな」、「連れがいたはずだ」、「そいつから捕まえるか」
 賊が警告者の存在を思い出したらしい。短い相談の後、岸へ向いた。ざぶざぶと水を蹴たてて上がってくる。今度はこっちが危機だ。ナディは血の気の引く思いで慌てた。
 が――

 うっ

 圧し殺した様な呻きが聞こえた。数拍おいて大きな水音が立つ。賊の一人が倒れたのだった。
「なんだあっ!」
 残った二人が怒鳴る。倒れた賊はそれに応える事もなく、水に前のめりのままだ。その身体の右脇から赤い色が流れ、泉を染める。
「殺られた……」
 一人が震えて声を漏らした。仲間は水中から腹部を刺されたのだ。流血の位置からして腎臓の辺りか。急所だし、このまま水に血を吸われて死ぬだろう。
「この……」、「くそったれ!」
 賊はさらに闇雲に水に剣を差し暴れる。まさか命をかける事態とは思っていなかったのか、獲物が騎士だとも知らされていなかったのか。
 その数歩先にいきなりカーリャが立ち上がった。
「うわっ」
 賊は意表をつかれた。水中から突然、刀を持った人が現れたのだ。敵である事ははっきりしている。既に一人殺された。生け捕りにするはずだった事も消し飛んで、賊はカーリャに斬りかかった。
「カーリャ様っ!」
 殺される! とナディは反射的に思った。両脇から挟む様に斬りかかれられた。騎士様は全裸で盾も鎧もない。右手の刀一本でどう――

 血が飛んだ。

「えっ」
 恐怖に目を覆う瞬間もなかった。ナディの目が一つながりの軌跡を見た。二つを斬る刀身の一閃である事はわからなかった。
 ただその数拍後、身体を傾げて水の中に倒れたのは賊二人だったのである。
「ええぇ……」
 斬った。朝日に煌めく水面に騎士様が立っている。刀を振る。血糊が水に飛ぶ。勝った。賊は声も上げられずに水に沈んでいく。
「カーリャ様……」
 波を立てて騎士様が岸に歩いてくる。ナディは思わず、茂みから立ち上がった。
「カーリャ様あっ!」
 足を上げ、岸辺を踏みしめた騎士様にナディは駆け寄った。驚く綺麗な顔しなやかな身体に夢中で飛び付く。
「よくぞ、よくぞご無事で」
「な、ナディ殿?」
 人一人にいきなり抱きつかれて揺らがなかった騎士様はさすがである。だが右手の刀が危ない。左手で抱き抱えながらも、困っている。
「もうわたし、どうなるかと」
「わかりました。わかりましたから、少し緩めて。手を緩めて下さい」
 高ぶった余りに泣き出しそうなナディを何とか騎士様は引き剥がそうとした。髪と全身から滴る水でナディもぐっしょり濡れている。それでも夢中なナディは騎士様にしがみつく。
「それと警告してくれたのはナディ殿でしたね」
 困ってしまった騎士様が何とか注意を逸らそうとする。いや、急いでいるのだ。ここで感動で抱き合っている場合ではない。
 やむ無くとは言え、人を三人斬って捨てた直後の血の高ぶりもあるし。
「助かりました。水浴びで全く油断しておりましたし」
 そう耳元に息がかかる程に近くで言われ、ナディはうんうんとうなずく。怖かった。でも良かった。あそこで叫べて。そうでなければ今頃は、こうして騎士様に抱きつく処か――
 ……抱きつく?
「あ……」
 ようやく気づいた。抱きついている騎士様がまだ全裸だと言う事に。そのしっとり濡れた瑞々しいしなやかさに、しっかり身体を重ね、手は首にすがり、胸は胸に押し付けて、それから―― 
「し、失礼しました!」
 ナディは叫んで飛び退いた。悲鳴にならなかっただけマシだったろう。どう思い出したって抱き付いたのはナディからだったのだし。
「いえ。それよりナディ殿。どうか身仕度を」
 騎士様は何にも気にしていなかった。離れてくれたナディはそのままに、近くにあった鞘と衣類を取る。濡れた刃を一振りしてから鞘に戻した。
「すぐにここを離れます。お願いします」
 襲撃の直後だ。理由はわかる――だが、早く服を着てほしい。後回しにしないで。そんな眩しい裸身のままで、そこにいられて動き回れたら……
「ナディ殿?」
「は、はい! わかりました!」
 もう一度名を呼ばれてナディは飛び上がった。その勢いで回れ右してわたわたと駆け出す。そう、身仕度をしないと。ここを離れるんだ。そうしないと――決してナディはその裸に見とれたりしてません。特に、そのあの……は。  信じて、カーリャ様あっ。
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