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序章
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八年前――。
その日は、朝から灰色の雲に覆われていた。
午後から雨が降り始め、やがて大雨へと変化し、容赦なく体温を奪っていく。空気は冷えきっており、吐く息は白い。
雨が降ろうが、雪が降ろうが、はたまた槍が降ろうが、自分たちの演習は中止になることはない。むしろ天候が悪くなっても、任務を遂行できるか試されている。
この富士宮演習場は広大な森に覆われており、一人前と認めてもらうための最終試験会場でもあった。
本来ならば、今まで習った技能を存分に発揮して課題をクリアし、規定時間内にゴール地点に到着したら試験終了。候補生から晴れて一人前として認められ、後に卒業証明書を受け取って終わりのはずだった。
あんなことが起こらなければ――。
「聖……?」
擦れた声で相棒の名前を呼ぶが、返事はない。
硝煙の臭いが鼻をつき、黒く立ち上る煙が視界全体を覆っている。激しい雨に打たれて濡れるのも気にせず、全身泥だらけの汚れた姿で呆然と佇むことしかできない。こうしている間も水分を多く含んだ服から体温が奪われていく。寒さで歯がガチガチと鳴ったが、自分の状態はどうでも良かった。
「聖……お願いだ。返事をしてくれ……!」
何度も呼びかけるが、やはり返事はない。煙の先を見ようと、一歩足を踏み出す。カラカラと小石が転がる音がした。
「そんな……」
視線を落とすと、その先は崖になっている。先ほどの攻撃で地滑りを起こしたのだろう。泥でぬかるんでいるため、滑り落ちそうになりながら下を覗き込んだ。相変わらず黒煙がもうもうと覆っていて、一向に相棒の姿を見つけられない。
(ここに聖がいたはずなんだ。崖の下に落ちたのかもしれない。そうだ、そうに違いない!)
手持ちの装備では、この高さを降りるのは難しい。
「待ってろ、すぐにロープを持って……」
『神条候補生、そこを動くな』
装着していたイヤホンから教官の制止する声がした。
「しかし、聖が……!」
『命令だ。動くな』
念押しする教官に必死に訴える。こうしている間も、助かるはずの命が失われてしまう。
「聖が崖の下にいるはずなんです。一刻も早く助けに行かないと……!」
『あの攻撃の中だ。生きているはずがない」
「――っ!!」
自分を庇ったせいで、相棒が敵と一緒に攻撃を受けた。それは苛烈で、最後は火柱が立ち上ったくらいだ。教官の言う通り、生存は限りなく低い。しかし、普通の人間ならばの話だ。
「でも……生きているかもしれません。今も俺たちの助けを待っているかも……」
『諦めろ。彼は死んだ』
死んだ――その一言が胸に突き刺さる。
「ふっ……う……うあああああああっ!」
一縷の希望を砕く無機質な言葉に、それまで気を張っていた緊張の糸がプツンと切れてしまう。視界が歪み、涙が溢れ出た。その場に膝をつき、爪に泥が入るのも気にせず掴んだ。
「俺のせいだ……」
自分がヘマをしなければ、相棒は死ななかった。
本当は彼でなく、死ぬはずだったのは自分だ。
弱い自分が、彼を殺した。
「うああああああああああああああああああっ」
慟哭を掻き消すように、激しく雨は降り注ぐ。この悲惨な大地を洗い流すかのように――。
× × ×
輝斗の泣き叫ぶ声が、イヤホンを通じて聞こえる。
「オレのせいだ……」
相棒を喪い、嘆き悲しんでいる。そうさせたのは他でもない自分だ。
「オレがトリガーを引かなかったら、聖は……」
手にしている狙撃銃を見つめる。震えているのは、雨に濡れて寒いからではない。トリガーを引いたことへの後悔だ。
輝斗が悲しんでいるのは、相棒の聖が死んだから。
この悲劇を招いたのは、他ならぬ自分が敵を撃ったせいだ。
弾は敵の額に命中した。即死だと確信したが、教官は由とせず木っ端微塵にしようと、ありったけの弾を浴びせた。そうして大地は抉れ、周囲は黒煙に包まれるほど景色は一変してしまう。
(輝斗は無事だったけど、聖が巻き添えになってしまった……)
敵を無力化するだけで良かったはずだ。聖の肉体だけでも、と淡い希望を抱いていたのも虚しく、集中砲火のきっかけを作るためにトリガーを引いたわけではない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。考えがまとまらず、自身の乱れた呼吸音と心臓の音が、やけに大きく響いていた。頭の中では、ずっと『オレのせいだ』という言葉がこだましている。
「東候補生、よくやった」
「っ!」
教官が肩に手を置き、労いの言葉を投げかけてくる。
「お前のおかげで敵にとどめを刺せた」
――違う。
「……やめてください」
「なんだと?」
否定すると、教官は怪訝そうに目を瞬かせた。
「オレは褒められるようなことを、何一つしていない」
こんな結末を望んでいたわけではない。仲間を救いたかったのに、悲劇しか残らなかった。
輝斗が泣いている。
ここに聖がいない。
それなのに、喜んでいる教官や他の候補生達がいる。
「君の銃弾が、敵を消滅させるきっかけになったのだ。誇っていい。もっと喜びなさい」
――違う。
「違う……違う、違う、違う!」
それではイヤホンから聞こえる輝斗の慟哭は何だと言うのか。
この空虚な想いは消えやしないのに、どうして喜べるのだろう。
雨が強くなっていく。
輝斗の泣き声が耳にこびりついて離れない。
こんな風に輝斗を泣かせたくなかった。
いつも笑っていてほしかった。
このまま課題を無事にクリアして三人で卒業できると思っていたのに、もう叶わない。
「全部……オレのせいだ」
あの日、自分たちは大切な仲間を失った――。
その日は、朝から灰色の雲に覆われていた。
午後から雨が降り始め、やがて大雨へと変化し、容赦なく体温を奪っていく。空気は冷えきっており、吐く息は白い。
雨が降ろうが、雪が降ろうが、はたまた槍が降ろうが、自分たちの演習は中止になることはない。むしろ天候が悪くなっても、任務を遂行できるか試されている。
この富士宮演習場は広大な森に覆われており、一人前と認めてもらうための最終試験会場でもあった。
本来ならば、今まで習った技能を存分に発揮して課題をクリアし、規定時間内にゴール地点に到着したら試験終了。候補生から晴れて一人前として認められ、後に卒業証明書を受け取って終わりのはずだった。
あんなことが起こらなければ――。
「聖……?」
擦れた声で相棒の名前を呼ぶが、返事はない。
硝煙の臭いが鼻をつき、黒く立ち上る煙が視界全体を覆っている。激しい雨に打たれて濡れるのも気にせず、全身泥だらけの汚れた姿で呆然と佇むことしかできない。こうしている間も水分を多く含んだ服から体温が奪われていく。寒さで歯がガチガチと鳴ったが、自分の状態はどうでも良かった。
「聖……お願いだ。返事をしてくれ……!」
何度も呼びかけるが、やはり返事はない。煙の先を見ようと、一歩足を踏み出す。カラカラと小石が転がる音がした。
「そんな……」
視線を落とすと、その先は崖になっている。先ほどの攻撃で地滑りを起こしたのだろう。泥でぬかるんでいるため、滑り落ちそうになりながら下を覗き込んだ。相変わらず黒煙がもうもうと覆っていて、一向に相棒の姿を見つけられない。
(ここに聖がいたはずなんだ。崖の下に落ちたのかもしれない。そうだ、そうに違いない!)
手持ちの装備では、この高さを降りるのは難しい。
「待ってろ、すぐにロープを持って……」
『神条候補生、そこを動くな』
装着していたイヤホンから教官の制止する声がした。
「しかし、聖が……!」
『命令だ。動くな』
念押しする教官に必死に訴える。こうしている間も、助かるはずの命が失われてしまう。
「聖が崖の下にいるはずなんです。一刻も早く助けに行かないと……!」
『あの攻撃の中だ。生きているはずがない」
「――っ!!」
自分を庇ったせいで、相棒が敵と一緒に攻撃を受けた。それは苛烈で、最後は火柱が立ち上ったくらいだ。教官の言う通り、生存は限りなく低い。しかし、普通の人間ならばの話だ。
「でも……生きているかもしれません。今も俺たちの助けを待っているかも……」
『諦めろ。彼は死んだ』
死んだ――その一言が胸に突き刺さる。
「ふっ……う……うあああああああっ!」
一縷の希望を砕く無機質な言葉に、それまで気を張っていた緊張の糸がプツンと切れてしまう。視界が歪み、涙が溢れ出た。その場に膝をつき、爪に泥が入るのも気にせず掴んだ。
「俺のせいだ……」
自分がヘマをしなければ、相棒は死ななかった。
本当は彼でなく、死ぬはずだったのは自分だ。
弱い自分が、彼を殺した。
「うああああああああああああああああああっ」
慟哭を掻き消すように、激しく雨は降り注ぐ。この悲惨な大地を洗い流すかのように――。
× × ×
輝斗の泣き叫ぶ声が、イヤホンを通じて聞こえる。
「オレのせいだ……」
相棒を喪い、嘆き悲しんでいる。そうさせたのは他でもない自分だ。
「オレがトリガーを引かなかったら、聖は……」
手にしている狙撃銃を見つめる。震えているのは、雨に濡れて寒いからではない。トリガーを引いたことへの後悔だ。
輝斗が悲しんでいるのは、相棒の聖が死んだから。
この悲劇を招いたのは、他ならぬ自分が敵を撃ったせいだ。
弾は敵の額に命中した。即死だと確信したが、教官は由とせず木っ端微塵にしようと、ありったけの弾を浴びせた。そうして大地は抉れ、周囲は黒煙に包まれるほど景色は一変してしまう。
(輝斗は無事だったけど、聖が巻き添えになってしまった……)
敵を無力化するだけで良かったはずだ。聖の肉体だけでも、と淡い希望を抱いていたのも虚しく、集中砲火のきっかけを作るためにトリガーを引いたわけではない。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。考えがまとまらず、自身の乱れた呼吸音と心臓の音が、やけに大きく響いていた。頭の中では、ずっと『オレのせいだ』という言葉がこだましている。
「東候補生、よくやった」
「っ!」
教官が肩に手を置き、労いの言葉を投げかけてくる。
「お前のおかげで敵にとどめを刺せた」
――違う。
「……やめてください」
「なんだと?」
否定すると、教官は怪訝そうに目を瞬かせた。
「オレは褒められるようなことを、何一つしていない」
こんな結末を望んでいたわけではない。仲間を救いたかったのに、悲劇しか残らなかった。
輝斗が泣いている。
ここに聖がいない。
それなのに、喜んでいる教官や他の候補生達がいる。
「君の銃弾が、敵を消滅させるきっかけになったのだ。誇っていい。もっと喜びなさい」
――違う。
「違う……違う、違う、違う!」
それではイヤホンから聞こえる輝斗の慟哭は何だと言うのか。
この空虚な想いは消えやしないのに、どうして喜べるのだろう。
雨が強くなっていく。
輝斗の泣き声が耳にこびりついて離れない。
こんな風に輝斗を泣かせたくなかった。
いつも笑っていてほしかった。
このまま課題を無事にクリアして三人で卒業できると思っていたのに、もう叶わない。
「全部……オレのせいだ」
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