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に『落下少女が夢に見たのは宙(そら)に浮かぶ月』
7 泊めてもらうためのプロセス
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乾燥機から衣類を取り出しリビングに戻ると、サキは未だベランダで夜空を見上げていた。ハルが呼ぶとサキはハッとしてサンダルを脱いだ。
「向こうが寝室だ。着替えてこい。終わったら家まで送る」
渡された制服はキッチリ畳まれていて、サキはそれを抱きしめるとハルを見上げた。
「泊めてください! わたし、なんでもしますから!」
「……なんでも?」
「はい!」
「例えば?」
「たとえば……えと……洗濯とか、そ、掃除とか……必要ないですよね」
そう、部屋はすこぶる綺麗だ。
「あっ……」
見下げるハルの目が痛い。相も変わらず無表情だが、それが怖くて、サキは下を向いた。
一筋の光が首の筋を這って、鎖骨へ、胸元へ流れる。
ハルはその光を追うように首に触れ、その道筋を辿る。
「ふぅっ……」
くすぐったさにすぼまる首。出てしまう吐息に口元を歪ませた。
「っ……この前の……」
小さな口からふいに発せられた言葉に、欲のない指先が襟に引っ掛かった。
サキは、向き合うつま先の間隔を目で測りながら続ける。
「この前の続き……しますから、だから……お願いします……」
頭を下げるサキに、ハルは言葉を落とす。
「この前の続きとは、なんのことだ」
小さく開いては、言いにくそうにもごつかせる唇。ハルは指を2本、おもむろに近づけると“それ”を言わせるように軽く触れた。
指に釣られ顔を見上げたサキは頬を赤らめ、
「……キ……キス……とか、その……」
「じゃあキスして」
「えっ! わたしが……?」
「当たり前だろ。あんたが言い出したんだ」
「そう、ですけど……」
ハルはそれ以上なにも言わず、サキを待つように見つめた。
戸惑いながらも、言い出しっぺのサキは背伸びする。それでも届きそうにない。サキが必死につま先を立てて近づこうとしているのに、ハルは一向にしゃがもうとしなかった。
「わっ!」
サキはバランスを崩し、ハルの胸元に手をついた。
「ごめんなさい!」
慌てて引っ込めるサキの手を掴み上げ、ハルは自分の体に引き寄せる。
「できないなら俺がする」
「へっ!?」
「どこがいい?」
「ど、ど、どこ……? くち……?」
「わかった」
唐突に顔を近づけるハル。
「ちょとっ、待ってくださいっ」
迫る体を押したがまったく離れてくれず、
「目をつむるな、ちゃんと見ろ」
一度閉じてしまったまぶたを眩しそうに開くと、薄目越しにハルを見つめ……、ああ、やっぱりたえられない。
顔をそらすサキの耳元でハルは囁く。
「スケベ」
驚いたサキは目を見開き、不服そうにハルを睨んだ。
「あんたが、口にしろって言ったんだろ。別に頬でも額でも首でも……」
ハルはサキの手を取って、
「手の甲でもよかったんだ」
「だって……」
ベランダでの出来事が頭をよぎり「思い付かなかったんだもん……」と、独り言のように呟いた。
「じゃ、じゃあ、手の甲に……」
「もうおしまい。時間切れだ」
「……もし、わたしが……キス、してたら、泊めてくれましたか?」
「泊めない」
「……なにをしたら、泊めてくれるんですか」
端から泊める気など更々ないのに、
「そうだな……」
ハルは考える素振りをみせ、思い付いたように言う。
「だったら、フェラチオしてもらおうか」
「……それをしたら、泊めてくれるんですか?」
「うまくできたらな」
その言葉に嬉しそうな笑顔を向けるサキ。ハルはあきれた。
「わかってないだろ」
「えっ! そっそんなことは……。えっと……それは……あれですよね、あの……料理のときにフライパンを燃やす、あれですよね?」
「……それはフランベのことか?」
「あっ、フランベ……」
「フライパンは燃やさない。アルコールを飛ばして香りをつけたりすることだ。知らないなら容易に返事をするな」
「すみません……。あの、教えてもらえたら、その、頑張ります」
「教えてほしいか?」
「はい」
「本当に?」
「……はい、?」
「だったら俺のベルトを外せ」
「へ?」
「どうした?」
「あ……いえ……」
困惑しながらその場にしゃがみ、膝をついた。
制服を横に置いて膝立ちになるサキは、ためらいがちにベルトに手を伸ばす。
「失礼します……」
金具を外し、スラックスからベルトを引き抜いた。
「パンツを下ろせ」
たじろぎ泳ぐ目をまっすぐ見下ろす。
「できるよな?」
「……はい」
明らかに動揺している。
戸惑いを感じながらもボタンを外そうと手を伸ばすサキに、ハルは追い討ちをかけた。
「口で」
「えっ」
「口で外しなさい」
「はい……」
固唾を呑み、前屈みでハルの体に触れないよう慎重に顔を近づける。目の前のモノを考えると目を開けていられずつむった。だが、距離感がわからずうっすら目を開け、ゆっくり近づくと震える唇がボタンに触れた。
尋常ではない鼓動の速さに頬は火照り、喉の渇きを感じながら小さく口を開けてくわえてみる。そのあとどうしたらいいのか、まごつくサキはくわえたボタンを噛んで引っ張ったり舌で押してみたりした。が、ボタンをもてあそぶだけで、これでは一向に外れない。
「俺はなんて言った?」
焦ったサキは思わずボタンに手をかけてしまっていた。
「手は使うな」
「でもっ……はい……」
ボタンがダメならその周りを攻めてみようと考えたサキは、ボタンがかかっている穴の近くのヘリを噛んで引っ張ってみた。穴が広がりボタンが通りそうだったが、ボタンが引っ掛かって上手く外れない。もどかしさにベルトを握りしめもう一度、今度はボタンを穴にくぐらせるように引っ張りながら折り返す。広がった隙間からボタンが半分通り、チャンスとばかりに上の歯で折り返しを押さえながら舌でボタンを向こうへ押し込んでやると、ヌルリと抜けた。
それを見てサキはへなへなと床に座り込んだ。外せた安堵感と恐らく感じてはいけない謎の喜びにホッと一息つくサキ。その様子に、ハルはもうひとつの内側についているボタンを片手で外した。
「続けなさい」
「あっ……はいっ……!」
慌てて腰を上げると、次はファスナーに目をやった。垂れているスライダーを下唇で持ち上げ口にはさむ。ひんやりとした金具の冷たさと苦い味がちょんと触れた舌先から伝わった。
首を動かし下ろそうとするも、上手く下がらずサキはスライダーを噛んだ。
──ジーッジジジ──
下げ終えたサキは顔を見上げる。主人の指示を待つ忠実な犬のような瞳を、ハルはつまらなそうに見下ろした。
「続けて」
「……はい」
体には出来るだけ触れないようにスラックスのシワを噛み、左右交互に引き下ろす。膝までくればストンと落ちた。
(……下ろしたら、その次は……なにを……)
サキはまた固唾を飲み込んだ。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、腰元のゴムに目を向ける。
破裂しそうな心臓を押さえ、ゆっくりと顔を近付けていく。唇が触れる前に鼻先が肌に触れた。少し顔を上に向け、パンツのゴムを薄く開いた唇に挟む。そのまま引っ張り下ろそうとしたが、できない。
やはり決心がつかず、それでもいいつけを守ろうと、サキは一度離した唇で肌に触れ、引っ張ってはためらい、もたついた。
「もういい」
その言葉にサキは胸を撫で下ろした。
ハルは膝を屈め落ちたスラックスを履こうとしたが、止められた。
「まっ待ってください!」
「離せ」
このままでは泊めてもらえないと、サキはハルのスラックスを必死に掴む。
「お願いします! ちゃんとやりますから」
「結構だ」
目に涙を浮かべるサキはゆっくりと手を離した。ハルは解放されたスラックスを引き上げる。
「……ごめんなさい……」
「またか。なぜ謝る」
「うまくできなかったから……怒らせてしまったんじゃないかと……思って……」
「できたところで、本当に泊めてもらえると思っていたのか?」
「はい」
ため息をつくハルの様子にサキは首をかしげた。
「あんたは危機感を持った方がいい。よくも知らない男の車に乗って家に上がり疑いもせず出された物を食って、おまけにあんたは、なんでもするから泊めろと言う。普通ならなにかあってもおかしくない」
サキは気まずそうにうつむいた。
「嫌だと思わないのか?」
「え?」
「怖いとか、嫌だとか思わないのか?」
「……おもいます……」
「だったら。嫌なら嫌だとはっきり断りなさい。それでもどうにもならないなら相手を殺したって構わない」
「こっ、殺す……?」
「それくらいの気迫を見せろってことだ」
「……でも、ハルさんなら……ハルさんならそんなっ、変なことしないって思えるから……」
「あそこまでさせられてまだそんなことを言えるのか」
「でもっ! わたし、本当はホッとして……。もしかしたらハルさん、またやめてくれたんじゃないのかなって……すみません……」
ハルは、足首に貼られたシップにそっと触れるサキの手を見た。
「勘違いしているようだから言うが、俺はあんたの不慣れさに萎えたからやめたんだ」
「あ……あの、それって……どんなことをすることだったんですか?」
「まだわからないのか?」
二人はみつめあい、ハルは言った。
「あんたは一生知らなくていい」
黙り込むサキの手からベルトをスルスルと引き抜く。
「家まで送る」
ハルが背を向けると、サキは立ち上がり、シャツを掴んで彼の足を止めた。ギュッと強く握られたせいで引っ張られたシャツの裾が外に出て、スラックスがずり落ちそうになり押さえた。
「嫌です……泊めてください」
「まだ言うか」
「ハルさんが言ったんじゃないですか。嫌ならはっきり言えって」
「そういうことじゃない」
「ちょっとでいいんです、一日、今日だけ、今夜だけお願いします!」
「俺の言っている意味がわからないのか?」
「わかってます! でもハルさんだから、頼んでるんです……」
「あんたが俺になにを期待しているのか知らないが、無理なものは無理だ」
「どうして、ですか」
「どうしてもだ」
「……帰ってこないんですよね」
「なにが」
サキは左手の薬指にはめられた指輪に目を向けた。
「奥さん……」
「なぜそう思う」
「別々に暮らしてるのかなって……」
「別居していると? あいにく、夫婦仲は良好だよ」
ハルはシャツを掴むサキの手をそっと外し、向き直ると視線を落とした。
ハルの指がサキの唇に触れる。
「あんたが目と耳を塞ぎたくなるほど、深く……激しく……愛し合っている……」
囁くように発するハルの低い声に、サキは恥ずかしくなって目を伏せた。
「……なら、どうしてあんなことを……?」
「あんなこと?」
「わたしと待ち合わせの約束をしたことです!」
サキはムキになって言った。
「あんたにはわからない」
「教えてください」
「断る」
「……他の人とも、約束するんですか」
「そうだ」
「どうしてわたしはダメなんですか……」
「また『どうして』か」
「……私じゃ、ダメですか……?」
「なに?」
「私が相手じゃダメですかっ!?」
「相手ならしてやっただろ」
「違います!」
「……なんの相手だ」
「それはっ、その……そういう、ことの……」
「そういうとは、どういうことだ?」
「だから……えっ……え、と……」
「はっきり言えと言ったな?」
頭に浮かぶその言葉を発するのは、サキにとってはとても難しく、結局なにも言えず黙り込む。
「口に出して言えない、道徳に反するやましい相手ということか?」
ハルが幾分大袈裟に言うと、サキは小さくうなずくように下を向いた。
「悪いが処女は抱かない」
「……どうしっ」
顔を上げて聞き返そうとするサキだったが、ハルは手のひらでその言葉を塞いだ。
「ギャアギャア泣きわめいて面倒なんだよ。それくらいわかるだろ?」
丸くするサキの目が伏せ、落ち着いたことを確認したハルはゆっくり手を外した。
「わたし、泣かないから……もう泣きませんから……!」
「説得力に欠ける」
目を潤ませ訴えるサキの頬を、手の甲で軽く撫でた。
「そんなにセックスがしたいなら他をあたりなさい。それとも、俺に抱かれたいのか?」
激しく首を横に振ると涙が落ちた。
「だったら軽々しく言うもんじゃない」
サキは反省したのか、うなだれたままそれ以上なにも言わなかった。
ハルは膝を曲げ、サキの目線に合わせた。
「どうしても帰りたくないのか?」
目を合わせず下を向いたままコクンと頷く。
「そもそも泊めてもらう対価として体を捧げるという考え方が間違ってる。金を得る方法もそうだ。やりたいわけじゃないんだろ?」
伏し目で黙ったまま動かない。
「……違うのか?」
ハルが再度問うと、サキは目をつむり首を振った。
「どうでもいいが、泊めてほしいんだよな」
サキは頷いて答えたが、ハルは聞き返した。
「返事は?」
「……はい」
「パンツ見せろ」
「えっ……?」
「それくらいならできるだろ? 本気で泊めてほしいなら、覚悟を見せてごらん」
今までのと比べればと、意を決してサキはTシャツをつまみ、たくしあげようとした。
(あっ!)
なにかを思い出したサキは突然顔を赤らめ、裾を掴み隠すようにクッと伸ばした。
「どうした? セックスより簡単だろ。ただまくれば良い。それとも座って足を開くか?」
明らかに困った表情を浮かばせ、うろたえるサキの肩をグッと掴んだ。
「できないなら手伝ってやる」
ハルはサキの腕を取りソファに座らせ、隣に腰を下した。
「あっ」
強ばる膝の隙間に両手を差し込む。手のひらの冷たさにサキの体はヒクンと跳ねた。
微力な抵抗を感じながら、ハルはゆっくり両膝を離していく。恥ずかしそうに縮こまるサキの耳元に顔を近づけ、
「終わったら一晩泊めてやる、もちろん朝食付きだ。俺を信じるなら体の力を抜きなさい……」
囁きにサキは視線を外した。ふと向けた正面の真っ黒なテレビに二人の姿が映っている。それに気づいたサキは焦って目をつむった。
距離は徐々に広がっていく。
サキはまくれていく裾を一生懸命押さえた。その手は震えていて、目尻から涙が一滴ボタリと落ちると、それを皮切りに溢れ出した。
「こんなことで泣くくせに、よく言えたもんだ」
手を止めたハルは立ち上がりサキの体から離れると、テーブルに置かれたままの食器を手に取りキッチンへ向かった。
前のこともあってか、サキはハルの行動を注意深く見ていたが、ハルはずっと背を向けたままだった。
それらを洗い終えると、食器棚からマグカップを、収納棚から小さい鍋を取り出す。
マグカップに入れた水を鍋に移して、火にかけた。
「気を張るな。約束どおりあんたを泊める」
「……え!?」
──プルルルル……プルルルル……──
突然の着信音にサキの肩が跳ね上がった。
「電話、鳴ってるぞ」
(そういえばポケットに入れたままだったっけ)
床に置いた制服を抱え、携帯電話を探しに着信音のする方へ向かうと、玄関に繋がるドア近くの棚の上に置いてある小さなカゴの中にあった。
(……あっ!)
携帯電話を持ち上げると、ストラップの先に、取れたはずのミィナがぶら下がっている。サキは驚いて思わずハルを見た。
「これ、直してくれたんですか?」
「いいから出なさい。あんたの親だろ」
ハルは振り向かずに言った。
お礼を言いそびれたサキは、込み上げてくる嬉しさに笑みを浮かべながら、仕方なく携帯電話を開いた。見ると、相手は母親ではなかった。
「……私の親なんかじゃないです」
そう答えるサキを、ハルはチラリと横目に見て、鍋の中で絶えず生み出される渦に視線を戻した。
「それは失礼」
血や砂が綺麗に拭き取られ生まれ変わったミィナにそっと触れ、サキは勇気を振り絞り通話ボタンを押した。
「……もしもし」
小さな声で交わされる会話に聞き耳立てることなく、ハルは茶色い液体を淡々とかき混ぜた。
「向こうが寝室だ。着替えてこい。終わったら家まで送る」
渡された制服はキッチリ畳まれていて、サキはそれを抱きしめるとハルを見上げた。
「泊めてください! わたし、なんでもしますから!」
「……なんでも?」
「はい!」
「例えば?」
「たとえば……えと……洗濯とか、そ、掃除とか……必要ないですよね」
そう、部屋はすこぶる綺麗だ。
「あっ……」
見下げるハルの目が痛い。相も変わらず無表情だが、それが怖くて、サキは下を向いた。
一筋の光が首の筋を這って、鎖骨へ、胸元へ流れる。
ハルはその光を追うように首に触れ、その道筋を辿る。
「ふぅっ……」
くすぐったさにすぼまる首。出てしまう吐息に口元を歪ませた。
「っ……この前の……」
小さな口からふいに発せられた言葉に、欲のない指先が襟に引っ掛かった。
サキは、向き合うつま先の間隔を目で測りながら続ける。
「この前の続き……しますから、だから……お願いします……」
頭を下げるサキに、ハルは言葉を落とす。
「この前の続きとは、なんのことだ」
小さく開いては、言いにくそうにもごつかせる唇。ハルは指を2本、おもむろに近づけると“それ”を言わせるように軽く触れた。
指に釣られ顔を見上げたサキは頬を赤らめ、
「……キ……キス……とか、その……」
「じゃあキスして」
「えっ! わたしが……?」
「当たり前だろ。あんたが言い出したんだ」
「そう、ですけど……」
ハルはそれ以上なにも言わず、サキを待つように見つめた。
戸惑いながらも、言い出しっぺのサキは背伸びする。それでも届きそうにない。サキが必死につま先を立てて近づこうとしているのに、ハルは一向にしゃがもうとしなかった。
「わっ!」
サキはバランスを崩し、ハルの胸元に手をついた。
「ごめんなさい!」
慌てて引っ込めるサキの手を掴み上げ、ハルは自分の体に引き寄せる。
「できないなら俺がする」
「へっ!?」
「どこがいい?」
「ど、ど、どこ……? くち……?」
「わかった」
唐突に顔を近づけるハル。
「ちょとっ、待ってくださいっ」
迫る体を押したがまったく離れてくれず、
「目をつむるな、ちゃんと見ろ」
一度閉じてしまったまぶたを眩しそうに開くと、薄目越しにハルを見つめ……、ああ、やっぱりたえられない。
顔をそらすサキの耳元でハルは囁く。
「スケベ」
驚いたサキは目を見開き、不服そうにハルを睨んだ。
「あんたが、口にしろって言ったんだろ。別に頬でも額でも首でも……」
ハルはサキの手を取って、
「手の甲でもよかったんだ」
「だって……」
ベランダでの出来事が頭をよぎり「思い付かなかったんだもん……」と、独り言のように呟いた。
「じゃ、じゃあ、手の甲に……」
「もうおしまい。時間切れだ」
「……もし、わたしが……キス、してたら、泊めてくれましたか?」
「泊めない」
「……なにをしたら、泊めてくれるんですか」
端から泊める気など更々ないのに、
「そうだな……」
ハルは考える素振りをみせ、思い付いたように言う。
「だったら、フェラチオしてもらおうか」
「……それをしたら、泊めてくれるんですか?」
「うまくできたらな」
その言葉に嬉しそうな笑顔を向けるサキ。ハルはあきれた。
「わかってないだろ」
「えっ! そっそんなことは……。えっと……それは……あれですよね、あの……料理のときにフライパンを燃やす、あれですよね?」
「……それはフランベのことか?」
「あっ、フランベ……」
「フライパンは燃やさない。アルコールを飛ばして香りをつけたりすることだ。知らないなら容易に返事をするな」
「すみません……。あの、教えてもらえたら、その、頑張ります」
「教えてほしいか?」
「はい」
「本当に?」
「……はい、?」
「だったら俺のベルトを外せ」
「へ?」
「どうした?」
「あ……いえ……」
困惑しながらその場にしゃがみ、膝をついた。
制服を横に置いて膝立ちになるサキは、ためらいがちにベルトに手を伸ばす。
「失礼します……」
金具を外し、スラックスからベルトを引き抜いた。
「パンツを下ろせ」
たじろぎ泳ぐ目をまっすぐ見下ろす。
「できるよな?」
「……はい」
明らかに動揺している。
戸惑いを感じながらもボタンを外そうと手を伸ばすサキに、ハルは追い討ちをかけた。
「口で」
「えっ」
「口で外しなさい」
「はい……」
固唾を呑み、前屈みでハルの体に触れないよう慎重に顔を近づける。目の前のモノを考えると目を開けていられずつむった。だが、距離感がわからずうっすら目を開け、ゆっくり近づくと震える唇がボタンに触れた。
尋常ではない鼓動の速さに頬は火照り、喉の渇きを感じながら小さく口を開けてくわえてみる。そのあとどうしたらいいのか、まごつくサキはくわえたボタンを噛んで引っ張ったり舌で押してみたりした。が、ボタンをもてあそぶだけで、これでは一向に外れない。
「俺はなんて言った?」
焦ったサキは思わずボタンに手をかけてしまっていた。
「手は使うな」
「でもっ……はい……」
ボタンがダメならその周りを攻めてみようと考えたサキは、ボタンがかかっている穴の近くのヘリを噛んで引っ張ってみた。穴が広がりボタンが通りそうだったが、ボタンが引っ掛かって上手く外れない。もどかしさにベルトを握りしめもう一度、今度はボタンを穴にくぐらせるように引っ張りながら折り返す。広がった隙間からボタンが半分通り、チャンスとばかりに上の歯で折り返しを押さえながら舌でボタンを向こうへ押し込んでやると、ヌルリと抜けた。
それを見てサキはへなへなと床に座り込んだ。外せた安堵感と恐らく感じてはいけない謎の喜びにホッと一息つくサキ。その様子に、ハルはもうひとつの内側についているボタンを片手で外した。
「続けなさい」
「あっ……はいっ……!」
慌てて腰を上げると、次はファスナーに目をやった。垂れているスライダーを下唇で持ち上げ口にはさむ。ひんやりとした金具の冷たさと苦い味がちょんと触れた舌先から伝わった。
首を動かし下ろそうとするも、上手く下がらずサキはスライダーを噛んだ。
──ジーッジジジ──
下げ終えたサキは顔を見上げる。主人の指示を待つ忠実な犬のような瞳を、ハルはつまらなそうに見下ろした。
「続けて」
「……はい」
体には出来るだけ触れないようにスラックスのシワを噛み、左右交互に引き下ろす。膝までくればストンと落ちた。
(……下ろしたら、その次は……なにを……)
サキはまた固唾を飲み込んだ。
「ふぅ……」
小さく息を吐き、腰元のゴムに目を向ける。
破裂しそうな心臓を押さえ、ゆっくりと顔を近付けていく。唇が触れる前に鼻先が肌に触れた。少し顔を上に向け、パンツのゴムを薄く開いた唇に挟む。そのまま引っ張り下ろそうとしたが、できない。
やはり決心がつかず、それでもいいつけを守ろうと、サキは一度離した唇で肌に触れ、引っ張ってはためらい、もたついた。
「もういい」
その言葉にサキは胸を撫で下ろした。
ハルは膝を屈め落ちたスラックスを履こうとしたが、止められた。
「まっ待ってください!」
「離せ」
このままでは泊めてもらえないと、サキはハルのスラックスを必死に掴む。
「お願いします! ちゃんとやりますから」
「結構だ」
目に涙を浮かべるサキはゆっくりと手を離した。ハルは解放されたスラックスを引き上げる。
「……ごめんなさい……」
「またか。なぜ謝る」
「うまくできなかったから……怒らせてしまったんじゃないかと……思って……」
「できたところで、本当に泊めてもらえると思っていたのか?」
「はい」
ため息をつくハルの様子にサキは首をかしげた。
「あんたは危機感を持った方がいい。よくも知らない男の車に乗って家に上がり疑いもせず出された物を食って、おまけにあんたは、なんでもするから泊めろと言う。普通ならなにかあってもおかしくない」
サキは気まずそうにうつむいた。
「嫌だと思わないのか?」
「え?」
「怖いとか、嫌だとか思わないのか?」
「……おもいます……」
「だったら。嫌なら嫌だとはっきり断りなさい。それでもどうにもならないなら相手を殺したって構わない」
「こっ、殺す……?」
「それくらいの気迫を見せろってことだ」
「……でも、ハルさんなら……ハルさんならそんなっ、変なことしないって思えるから……」
「あそこまでさせられてまだそんなことを言えるのか」
「でもっ! わたし、本当はホッとして……。もしかしたらハルさん、またやめてくれたんじゃないのかなって……すみません……」
ハルは、足首に貼られたシップにそっと触れるサキの手を見た。
「勘違いしているようだから言うが、俺はあんたの不慣れさに萎えたからやめたんだ」
「あ……あの、それって……どんなことをすることだったんですか?」
「まだわからないのか?」
二人はみつめあい、ハルは言った。
「あんたは一生知らなくていい」
黙り込むサキの手からベルトをスルスルと引き抜く。
「家まで送る」
ハルが背を向けると、サキは立ち上がり、シャツを掴んで彼の足を止めた。ギュッと強く握られたせいで引っ張られたシャツの裾が外に出て、スラックスがずり落ちそうになり押さえた。
「嫌です……泊めてください」
「まだ言うか」
「ハルさんが言ったんじゃないですか。嫌ならはっきり言えって」
「そういうことじゃない」
「ちょっとでいいんです、一日、今日だけ、今夜だけお願いします!」
「俺の言っている意味がわからないのか?」
「わかってます! でもハルさんだから、頼んでるんです……」
「あんたが俺になにを期待しているのか知らないが、無理なものは無理だ」
「どうして、ですか」
「どうしてもだ」
「……帰ってこないんですよね」
「なにが」
サキは左手の薬指にはめられた指輪に目を向けた。
「奥さん……」
「なぜそう思う」
「別々に暮らしてるのかなって……」
「別居していると? あいにく、夫婦仲は良好だよ」
ハルはシャツを掴むサキの手をそっと外し、向き直ると視線を落とした。
ハルの指がサキの唇に触れる。
「あんたが目と耳を塞ぎたくなるほど、深く……激しく……愛し合っている……」
囁くように発するハルの低い声に、サキは恥ずかしくなって目を伏せた。
「……なら、どうしてあんなことを……?」
「あんなこと?」
「わたしと待ち合わせの約束をしたことです!」
サキはムキになって言った。
「あんたにはわからない」
「教えてください」
「断る」
「……他の人とも、約束するんですか」
「そうだ」
「どうしてわたしはダメなんですか……」
「また『どうして』か」
「……私じゃ、ダメですか……?」
「なに?」
「私が相手じゃダメですかっ!?」
「相手ならしてやっただろ」
「違います!」
「……なんの相手だ」
「それはっ、その……そういう、ことの……」
「そういうとは、どういうことだ?」
「だから……えっ……え、と……」
「はっきり言えと言ったな?」
頭に浮かぶその言葉を発するのは、サキにとってはとても難しく、結局なにも言えず黙り込む。
「口に出して言えない、道徳に反するやましい相手ということか?」
ハルが幾分大袈裟に言うと、サキは小さくうなずくように下を向いた。
「悪いが処女は抱かない」
「……どうしっ」
顔を上げて聞き返そうとするサキだったが、ハルは手のひらでその言葉を塞いだ。
「ギャアギャア泣きわめいて面倒なんだよ。それくらいわかるだろ?」
丸くするサキの目が伏せ、落ち着いたことを確認したハルはゆっくり手を外した。
「わたし、泣かないから……もう泣きませんから……!」
「説得力に欠ける」
目を潤ませ訴えるサキの頬を、手の甲で軽く撫でた。
「そんなにセックスがしたいなら他をあたりなさい。それとも、俺に抱かれたいのか?」
激しく首を横に振ると涙が落ちた。
「だったら軽々しく言うもんじゃない」
サキは反省したのか、うなだれたままそれ以上なにも言わなかった。
ハルは膝を曲げ、サキの目線に合わせた。
「どうしても帰りたくないのか?」
目を合わせず下を向いたままコクンと頷く。
「そもそも泊めてもらう対価として体を捧げるという考え方が間違ってる。金を得る方法もそうだ。やりたいわけじゃないんだろ?」
伏し目で黙ったまま動かない。
「……違うのか?」
ハルが再度問うと、サキは目をつむり首を振った。
「どうでもいいが、泊めてほしいんだよな」
サキは頷いて答えたが、ハルは聞き返した。
「返事は?」
「……はい」
「パンツ見せろ」
「えっ……?」
「それくらいならできるだろ? 本気で泊めてほしいなら、覚悟を見せてごらん」
今までのと比べればと、意を決してサキはTシャツをつまみ、たくしあげようとした。
(あっ!)
なにかを思い出したサキは突然顔を赤らめ、裾を掴み隠すようにクッと伸ばした。
「どうした? セックスより簡単だろ。ただまくれば良い。それとも座って足を開くか?」
明らかに困った表情を浮かばせ、うろたえるサキの肩をグッと掴んだ。
「できないなら手伝ってやる」
ハルはサキの腕を取りソファに座らせ、隣に腰を下した。
「あっ」
強ばる膝の隙間に両手を差し込む。手のひらの冷たさにサキの体はヒクンと跳ねた。
微力な抵抗を感じながら、ハルはゆっくり両膝を離していく。恥ずかしそうに縮こまるサキの耳元に顔を近づけ、
「終わったら一晩泊めてやる、もちろん朝食付きだ。俺を信じるなら体の力を抜きなさい……」
囁きにサキは視線を外した。ふと向けた正面の真っ黒なテレビに二人の姿が映っている。それに気づいたサキは焦って目をつむった。
距離は徐々に広がっていく。
サキはまくれていく裾を一生懸命押さえた。その手は震えていて、目尻から涙が一滴ボタリと落ちると、それを皮切りに溢れ出した。
「こんなことで泣くくせに、よく言えたもんだ」
手を止めたハルは立ち上がりサキの体から離れると、テーブルに置かれたままの食器を手に取りキッチンへ向かった。
前のこともあってか、サキはハルの行動を注意深く見ていたが、ハルはずっと背を向けたままだった。
それらを洗い終えると、食器棚からマグカップを、収納棚から小さい鍋を取り出す。
マグカップに入れた水を鍋に移して、火にかけた。
「気を張るな。約束どおりあんたを泊める」
「……え!?」
──プルルルル……プルルルル……──
突然の着信音にサキの肩が跳ね上がった。
「電話、鳴ってるぞ」
(そういえばポケットに入れたままだったっけ)
床に置いた制服を抱え、携帯電話を探しに着信音のする方へ向かうと、玄関に繋がるドア近くの棚の上に置いてある小さなカゴの中にあった。
(……あっ!)
携帯電話を持ち上げると、ストラップの先に、取れたはずのミィナがぶら下がっている。サキは驚いて思わずハルを見た。
「これ、直してくれたんですか?」
「いいから出なさい。あんたの親だろ」
ハルは振り向かずに言った。
お礼を言いそびれたサキは、込み上げてくる嬉しさに笑みを浮かべながら、仕方なく携帯電話を開いた。見ると、相手は母親ではなかった。
「……私の親なんかじゃないです」
そう答えるサキを、ハルはチラリと横目に見て、鍋の中で絶えず生み出される渦に視線を戻した。
「それは失礼」
血や砂が綺麗に拭き取られ生まれ変わったミィナにそっと触れ、サキは勇気を振り絞り通話ボタンを押した。
「……もしもし」
小さな声で交わされる会話に聞き耳立てることなく、ハルは茶色い液体を淡々とかき混ぜた。
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