林檎の蕾

八木反芻

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さん『エンマ様が判決を下す日はお気に入りの傘を逆さにさして降ってきたキャンディを集めよう』

5 憧れのトモダチ

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「ねえ、新妻さん」
 授業が終わり、机の中の教科書を鞄にしまおうとしていたときだった。ふいに声をかけられたサキは顔を上げた。見ると、
「小山さん……!」
「話あるんだけど、ちょっといい?」
 サキの机に手をついて、前のめりに笑顔を向ける彼女は小山仁花。
 彼女はいつも笑顔で、話題の中心になるような人気者。流行に敏感なオシャレさんで、私服を見たことはないけど、制服の着こなし方や身に付けている物、校則ギリギリのラインを攻める出で立ちで、オシャレなのは間違いないとわかる。なによりかわいいし素敵だしかわいいしかわいいしかわいいし(かわいい……!)。
 綺麗なストレートヘアは彼女の大人っぽい顔立ちを上手に引き立たせる。
 同い年ではあるがその大人っぽさと彼女のアイドル性に惚れ、隠れてスケッチをしていたことのあるサキだったが、何度描いても上手く描けず『絵にも描けぬ美しさ!』といいわけをして最後は逃げた。これは内緒の話。
 外見も性格もサキとは全くの正反対。そんな憧れの彼女と話ができると、サキの心は弾んだが少々照れくさく、できるだけの笑みを返した。
「ど、どうしたの?」
「あのね、大きい声では言えないんだけど……」
「仁花ぁーかえろー!」
 呼ばれた仁花は大きい声で、
「ごめーん! 今日用事あるから一緒に帰れなーい!」と誘いを断った。
 二人はクラスの生徒が教室からいなくなるのを待った。その間、仁花は友達に手を振り「また明日ね!」「バイバイ!」と挨拶を交わし、サキはずっと、仁花の話がなんなのか考え、考えてもわからずドキドキしていた。
 仁花が手を振り終えると教室にはもう誰もおらず、ようやく二人だけに。
 サキが待っていると仁花が話はじめた。
「この前さ、新妻さん、年上の男の人と歩いてたでしょう?」
「え……」
 予想していないまさかの内容にうろたえるサキ。
「新妻さん、そういう風には見えなかったから、結構意外だったなぁ~」
「えっと……なんの、こと……?」
「隠さなくていいよ~、あたしもやってるし!」
「……あの、やってるって、なにを……」
「それでお願いがあるんだけど。その人、新妻さんと一緒に歩いてた人! あたしに貸してほしいなぁって」
「貸す……?」
「そう、貸してほしいの!」
「……どうして?」
「んー、今の人飽きちゃったし、たまには他の人もいいなーって。ね? いいでしょ?」
「あ……ごめん……なんか、わたし、よくわからないんだけど……」
「は?」
「あっごっごめん!」
 仁花の目が一瞬が怒ったような気がしてサキは目を伏せたが、仁花は微笑んだ。
「……デートだよ。普通にドライブしたり、お食事したり。あれ? 新妻さんもそれでお金もらってるんでしょ?」
「え……わたしは……」
 否定しようと思ったが、心当たりがひとつだけあった。
「あっ。でも今は、違うっていうか……そうなのかな……」
「え?」
(でも小山さんがああいうことしてるとは思えないけど……)
 ゴニョゴニョと小さくなるサキの声に、仁花は聞き返した。
「ううん! なんでもない……」
「ね、一回だけでいいから! ……こんなこと、新妻さんにしか頼めないの……。あたしたちトモダチでしょ? お願い!」
「ともだち……?」
「そう、トモダチ!」
 サキは口元を歪めた。
(友達と思ってくれていたんだ。わたし、ひとりじゃなかったんだ)
 その響きが嬉しくて、サキは仁花の期待を裏切りたくない、嫌われたくないと思ってしまった。だから、
「わか、った……」
「やった!」
「あ! でも、わたしひとりじゃ決められないことだから、聞いてみないと」
「聞いてみて、今すぐ!」
 彼女は食いぎみに言った。
「今……う、うん。出てくれるかわからないけど……」
 サキは携帯電話を開いて、着信履歴からハルを呼び出す。ボタンを押すのにためらったが、仁花の眼差しがサキの親指を押させた。

 ──プルルルル……プルルルル……──

 耳に伝わる呼び出し音が緊張を煽る。
「ふぅ……」
 待ち合わせの連絡はいつもハルから。サキから電話をかけたのは今日がはじめてだった。
(出てほしいような、出てほしくないような……)

 ──プルルルル……プツッ──

「あ。……ハルさん?」
『どうした?』
 サキは嫌な緊張に高鳴る胸を押さえながら、電話をかけた経緯を、濁すようにあやふやに話した。
 そして、返ってきたハルの言葉にちょっと複雑な心境のサキは、通話を切って、待ち構える仁花に告げた。
「いい、って……」
「え! ほんとに? 新妻さん、ありがとー!」
 仁花はサキの両手を包み込むように握り、満面の笑みを向ける。
(あぁ……まぶしい……!)
 その笑顔に焼け死にそうになるサキは日陰を欲した。
「あ! そうだ! 新妻さんにも紹介しなくちゃね」
「へ?」
「新妻さんの相手借りちゃうわけだし、あたしの方も連絡するね!」
「まっ、待って! わたしはいいよ!」
「それだとあたしが困るから」
「え?」
「ね、遠慮しないで! たぶん、新妻さんの人より、たくさんお金もらえると思うし」
 サキの中で『お金がもらえる』という言葉が引っかかった。
「……そんなに、もらえるの?」
「うん! 新妻さんがいくらもらってるかわからないけど」
「じゃ、じゃあ……5万、くらい、もらえたりするかな……?」
「そんなのすぐだよ~。日によっては10万とか」
「えっ、一日で!?」
「そう! 興味湧いたって顔してるね!」
 現金な奴だと思われてしまったとサキは反省したが、実際反応してしまったから仕方がない。
「でも、それって大丈夫なのかな……」
 懸念する言葉の意味に気づいた仁花が笑った。
「あ~、新妻さんのえっち!」
「いや! そんなっ、ごめん……!」
 赤らむ頬を隠すように顔を背けた。
「だって、それだけでお金がもらえるのかなって……」
「うーん、あとは……ちょっとした撮影かなー?」
「撮影?」
「お仕事みたいなものだよ」
「そうなんだ……」
「心配しなくても大丈夫だよ。一回デートするだけだから!」
「うーん……」
「じゃ、連絡するね!」
 本当は断りたかったけど、せっかく友達と言ってくれたのに断って嫌な雰囲気になってしまうのと『5万』がサキの喉をきつく絞めた。
「……でも、小山さんって、彼氏、いるよね。どうしてそんなことしてるの?」
 サキがそう言うと、仁花の表情が一瞬固まったように見えた。でも、変わらず仁花は笑顔を向け続けている。
「んー、そういうのってさ、新妻さんにはカンケーないじゃん?」
「……そっ、そうだよね! ごめん」
 絶えず向けてくれる笑顔が、なんだか胸にひっかかって、サキはそれ以上聞くことはできなかった。
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