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第12話 腕の中
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僕の食事は意外な結末を迎えた。音がしなくなって不審に思ったのだろうダグラスが動く気配を感じ、口布をしなければと思うのに、指一つ動かせない。
「リリィ……!?」
激しい腹痛で僕はテーブルに突っ伏してしまっていた。かろうじてショールで顔は隠れていたが、もはやそんなことを考えていられないくらい痛い。
お腹が空きすぎて痛むことはあったが、食べた後こんな痛むのは初めてだった。殴られることはあっても病気一つなかったから、人生で初めて感じる内臓の痛みに恐怖を隠せない。ダグラスの大きな手が僕の背を滑る。
「リリィ……大丈夫か……?」
「お腹痛ぁい……!」
「ああ、ああ。今薬を持ってくる。食べすぎだ、リリィ」
食べすぎ? そんなことでお腹が痛くなるなんて。大袈裟に騒いだことを恥じたら、少しだけ痛みが和らいだ気がした。
「ごめんなさい……」
「なに、料理が美味しくて食べ過ぎてしまったのだろう? 俺は嬉しいが、リリィが痛いのはかわいそうだ。ほら、口布をつけたらこの薬を飲んで」
「ダグラス……あ……ごめんなさい……」
痛かったり、嬉しかったり、怖かったり、申し訳なかったり、心も体も大騒ぎだった。ダグラスの置いた薬をパクッと食べて、ついでに口布を纏って紐を結ぶ。
「リリィ、もう振り返っても大丈夫か?」
「はい……ごめんなさい……」
相変わらずテーブルに突っ伏していたから、知らぬ間に体が浮いてびっくりする。ダグラスは僕を軽々担いで暖炉に一番近いソファに僕を置いた。馬に乗った時みたいに、僕の後ろにドカッと座ったと思ったら、両手で僕を抱き寄せる。そして僕のお腹をゆっくり撫ではじめたのだ。
「はは、だいぶ食べたな。美味しかったか?」
不思議だった。さっきまであんなに痛かったのに、痛みがみるみる引いていく。それが薬のおかげなのか、ダグラスの手による魔法なのかよくわからなかった。
「はい、とても美味しくて……食べすぎちゃダメだって言ってたのにごめんなさい」
腹を撫でていた手が止まる。そして同じ手なのになんだか感覚が変わったかのように柔らかくなった。そしてゆっくりダグラスの背中が僕に張りつき、左にダグラスの高い鼻が少し見えた。
「謝らなくても大丈夫」
苦しそうに言いながら、ダグラスが僕をゆっくりゆっくり締め上げるように抱きしめた。力が強くなるにつれて、僕の鼓動がはやくなる。
「リリィ、今日はおめかしをして、どこへいくつもりだったんだ?」
「あ……ぇ……」
ダグラスに会いたかった。ダグラスに会うためにこの服もショールも用意したんだ。そう叫び出したいのに、言葉が出ない。言ってしまったらダグラスを知っていたことになるし、芋づる式に僕が男で、しかも封印師であることがバレてしまうと思った。
僕が黙っていると、彼に力が抜けて、再びお腹を撫でてくれる。
「明日、もし仕事がなかったら十刻時過ぎに、今日会った林の入り口で。もし仕事があったら十七刻時に」
「で、でも! 仕事があったらダグラスはどうするの?」
「一度帰って夕方また来るさ。ちょうど来月まで休暇なんだ。時間ならたっぷりある。明日はなにが食べたい?」
色々な情報が詰め込まれていて僕は慌てふためき、最後の質問にだけ答えた。
「クリームシチュー」
「リリィはスープが好きだな」
僕が小さな疑問の声をあげると、ダグラスはまた僕を強く抱いた。そしてショールの上から左耳に熱い唇を押し当てる。あの熱い唇が、僕に触れている。そして耳元で囁くのだ。
「お腹はまだ痛いか?」
高鳴る鼓動を聞かれてしまわないかと気が気じゃなかった。でももっと触れてほしくて嘘をついてしまう。
「いたい……」
ダグラスは一層僕を抱きしめて、何度も何度も僕の耳や頬にキスをする。布さえなければあの熱い唇に触れられるのに。そう、もどかしく思いながらも、触れられてしまえば心臓が飛び出しどこかへ行ってしまうかもしれないとも思う。
焚き木が爆ぜる音が何度か通り過ぎたら、僕のお腹を撫でるダグラスの手が止まった。
「お腹は落ち着いたか? 明日も仕事かもしれないなら家まで送っていこう」
「い、いえ! 一人で帰れます」
「婦人を一人で帰らせるような男に見えるか?」
窮地に追い込まれ、僕は閉口する。この調子では無下に断ればダグラスの紳士としての矜持を踏み躙ることになるし、甘んじれば僕の正体を明かすことになってしまう。
でも。もう十分かとも思った。あんな美味しい料理を振る舞ってもらい、布越しでも耳にキスをしてくれた。明日の逢引に行けないことは残念だけど、彼を欺き続けるよりは今正体を明かして怒られる方がよっぽどいい。この思い出で一生を生きよう。
「ダグラス……あの……」
意を決して放ったのに、ダグラスはそれを遮った。
「リリィ、それではこういうのはどうだ? 今日出会った雑木林の先の草原に、封印師の住う神殿がある。そこは夜になると暴漢でも近づかない。そこまで送っていくというのはどうかな?」
突然登場した自分自身のことに、僕は体を強張らせた。封印師の住う神殿は暴漢でも気味悪がって近寄らないから安全だ、彼は婦人を慮ってそう言っている。でも彼もそう思っているという事実で、正体を明かす決心が鈍ってしまう。そして、彼だったら封印師を忌み嫌ったりしないのではないかという淡い期待を寄せていた自分自身を知る。
また心の奥底が泡立ち、沸そうになる。
「大丈夫。そこには心優しい封印師がいる。何かあったら彼のところに逃げ込めばいい」
ダグラスが放った言葉が僕の煮えたぎる心を打った。焼きなました鉄のような熱源は、投げ込まれた瞬間蒸気を上げて沸騰する。
「……っ、んっ……!」
ありがとう、そう言いたいのに言葉が出せなかった。立ち昇る荒々しい蒸気で喉も焼かれ、息すらできない。だから僕のお腹にあるダグラスの手を握った。強く強く握って、僕が今言えない理由も、言いたいことも、全て伝わればいいと思った。
「リリィ……!?」
激しい腹痛で僕はテーブルに突っ伏してしまっていた。かろうじてショールで顔は隠れていたが、もはやそんなことを考えていられないくらい痛い。
お腹が空きすぎて痛むことはあったが、食べた後こんな痛むのは初めてだった。殴られることはあっても病気一つなかったから、人生で初めて感じる内臓の痛みに恐怖を隠せない。ダグラスの大きな手が僕の背を滑る。
「リリィ……大丈夫か……?」
「お腹痛ぁい……!」
「ああ、ああ。今薬を持ってくる。食べすぎだ、リリィ」
食べすぎ? そんなことでお腹が痛くなるなんて。大袈裟に騒いだことを恥じたら、少しだけ痛みが和らいだ気がした。
「ごめんなさい……」
「なに、料理が美味しくて食べ過ぎてしまったのだろう? 俺は嬉しいが、リリィが痛いのはかわいそうだ。ほら、口布をつけたらこの薬を飲んで」
「ダグラス……あ……ごめんなさい……」
痛かったり、嬉しかったり、怖かったり、申し訳なかったり、心も体も大騒ぎだった。ダグラスの置いた薬をパクッと食べて、ついでに口布を纏って紐を結ぶ。
「リリィ、もう振り返っても大丈夫か?」
「はい……ごめんなさい……」
相変わらずテーブルに突っ伏していたから、知らぬ間に体が浮いてびっくりする。ダグラスは僕を軽々担いで暖炉に一番近いソファに僕を置いた。馬に乗った時みたいに、僕の後ろにドカッと座ったと思ったら、両手で僕を抱き寄せる。そして僕のお腹をゆっくり撫ではじめたのだ。
「はは、だいぶ食べたな。美味しかったか?」
不思議だった。さっきまであんなに痛かったのに、痛みがみるみる引いていく。それが薬のおかげなのか、ダグラスの手による魔法なのかよくわからなかった。
「はい、とても美味しくて……食べすぎちゃダメだって言ってたのにごめんなさい」
腹を撫でていた手が止まる。そして同じ手なのになんだか感覚が変わったかのように柔らかくなった。そしてゆっくりダグラスの背中が僕に張りつき、左にダグラスの高い鼻が少し見えた。
「謝らなくても大丈夫」
苦しそうに言いながら、ダグラスが僕をゆっくりゆっくり締め上げるように抱きしめた。力が強くなるにつれて、僕の鼓動がはやくなる。
「リリィ、今日はおめかしをして、どこへいくつもりだったんだ?」
「あ……ぇ……」
ダグラスに会いたかった。ダグラスに会うためにこの服もショールも用意したんだ。そう叫び出したいのに、言葉が出ない。言ってしまったらダグラスを知っていたことになるし、芋づる式に僕が男で、しかも封印師であることがバレてしまうと思った。
僕が黙っていると、彼に力が抜けて、再びお腹を撫でてくれる。
「明日、もし仕事がなかったら十刻時過ぎに、今日会った林の入り口で。もし仕事があったら十七刻時に」
「で、でも! 仕事があったらダグラスはどうするの?」
「一度帰って夕方また来るさ。ちょうど来月まで休暇なんだ。時間ならたっぷりある。明日はなにが食べたい?」
色々な情報が詰め込まれていて僕は慌てふためき、最後の質問にだけ答えた。
「クリームシチュー」
「リリィはスープが好きだな」
僕が小さな疑問の声をあげると、ダグラスはまた僕を強く抱いた。そしてショールの上から左耳に熱い唇を押し当てる。あの熱い唇が、僕に触れている。そして耳元で囁くのだ。
「お腹はまだ痛いか?」
高鳴る鼓動を聞かれてしまわないかと気が気じゃなかった。でももっと触れてほしくて嘘をついてしまう。
「いたい……」
ダグラスは一層僕を抱きしめて、何度も何度も僕の耳や頬にキスをする。布さえなければあの熱い唇に触れられるのに。そう、もどかしく思いながらも、触れられてしまえば心臓が飛び出しどこかへ行ってしまうかもしれないとも思う。
焚き木が爆ぜる音が何度か通り過ぎたら、僕のお腹を撫でるダグラスの手が止まった。
「お腹は落ち着いたか? 明日も仕事かもしれないなら家まで送っていこう」
「い、いえ! 一人で帰れます」
「婦人を一人で帰らせるような男に見えるか?」
窮地に追い込まれ、僕は閉口する。この調子では無下に断ればダグラスの紳士としての矜持を踏み躙ることになるし、甘んじれば僕の正体を明かすことになってしまう。
でも。もう十分かとも思った。あんな美味しい料理を振る舞ってもらい、布越しでも耳にキスをしてくれた。明日の逢引に行けないことは残念だけど、彼を欺き続けるよりは今正体を明かして怒られる方がよっぽどいい。この思い出で一生を生きよう。
「ダグラス……あの……」
意を決して放ったのに、ダグラスはそれを遮った。
「リリィ、それではこういうのはどうだ? 今日出会った雑木林の先の草原に、封印師の住う神殿がある。そこは夜になると暴漢でも近づかない。そこまで送っていくというのはどうかな?」
突然登場した自分自身のことに、僕は体を強張らせた。封印師の住う神殿は暴漢でも気味悪がって近寄らないから安全だ、彼は婦人を慮ってそう言っている。でも彼もそう思っているという事実で、正体を明かす決心が鈍ってしまう。そして、彼だったら封印師を忌み嫌ったりしないのではないかという淡い期待を寄せていた自分自身を知る。
また心の奥底が泡立ち、沸そうになる。
「大丈夫。そこには心優しい封印師がいる。何かあったら彼のところに逃げ込めばいい」
ダグラスが放った言葉が僕の煮えたぎる心を打った。焼きなました鉄のような熱源は、投げ込まれた瞬間蒸気を上げて沸騰する。
「……っ、んっ……!」
ありがとう、そう言いたいのに言葉が出せなかった。立ち昇る荒々しい蒸気で喉も焼かれ、息すらできない。だから僕のお腹にあるダグラスの手を握った。強く強く握って、僕が今言えない理由も、言いたいことも、全て伝わればいいと思った。
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