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1部 ヤギと奇跡の器
第32話 当主の眠り(アシュレイ視点)
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「アシュレイ……ずっとそこにいたのか……?」
「父上……気になさらないでください。先ほどまで仕事に出ていました。首尾よくやっております」
父は一息ついて、チラリと壁掛けの時計の針を目で追った。
「仕事は……随分と遅くまでやっていたのだな……」
俺は黙る。時刻は0時近かった。ノアと夕食を共にして帰ってきたのは5時間前だ。しかし目を覚ますのを待っていたことは悟られたくなかった。
「アシュレイ、塔の管理を任されたと聞いたよ……武官と違い地味だが……なかなかに大変だろう……」
その言葉に驚き、体が少し揺れる。
使用人が父に俺の仕事を告げたのか。そう思うと顔が熱くなるほど怒りがこみ上げ、掴んでいた手袋を握りしめてしまう。そもそも宮中でも秘匿性の高い任務について、なぜ使用人ごときが知り得たのか。父が落胆しないよう隠していたのに全ての苦労が水の泡だ。
「なに、最近アシュレイが仕事の話をしなくなったから、私が使用人に依頼して問い合わせてもらったのだ……あまり使用人を責めないでくれ……」
父は昔から俺の全てを見透かしているようだった。一方俺はというと、この家に来てからもう10年以上になるのに父の考えていることがよくわからない。
「父上……なにか食べたいものはございますか?」
「いいや、アシュレイと話したいのだ。お前は優しい。私がそう望んでいるからそうやって起きるのをじっと待ってくれていたのだろう?」
ノアにそう言われたから待っていたとはいえなかった。
「塔の管理は不服か?」
唐突な質問に俺は息を飲む。父と共に暮らす中で、こんな鋭利な質問をされた記憶がなかった。
「いいえ……」
父は優しい笑顔で俺を見つめる。その視線に何もかも見透かされていることを悟る。
「昔からお前は……手のかからない子だった。朝は早くから夜遅くまで、勉学に励み、使用人と共に家事を行い、元軍人の使用人から魔法と剣術を習い……立派な武官に上り詰めて……本当によくできた子だ……」
父の目は少し曇っていた。睡魔に抗っているように見える。
「母さんが、寂しがっていたよ……」
その言葉に驚き、つい体を前に倒した。
「もっと私を困らせるようなことをしてほしい。もっと甘えて欲しいってな……」
「母さんが……寂しがっていたんですか……?」
「いいや、今のお前を見たら、母さんの悩みは贅沢だと私は感じるよ。無い物ねだりだ。でもな……」
俺は父が眠りに落ちないように手袋を床に捨て、手を握った。
「父さん……」
「ああ、久しぶりに呼んでくれた……嬉しいなぁ……もう先短いのだ……アシュレイ、母さんのわがままを聞いてやってくれ……」
「なんですか……なんだって聞きます……!」
「私を困らせるようなことを……言ってくれ……」
俺が逆に困惑する。デタラメでもいいから困らせることを考える。
「俺は……この家を継がない……」
「はは、は、相変わらず嘘が下手だなぁ……」
乾いた笑いは、父の生命の渇きがそうさせてるように思えて胸が押し潰される。どうして父の起きている間くらい彼の望むことが言えないのか。
「嘘ではありません……俺は心に決めた人がいます。来年、家を捨ててでも迎えに行こうとしていました……」
「そうか……そうか……でもそれは喜ばしいことだな……全くなにも困らない……むしろ心に決めた人を連れてきてくれ……困りはしないが……単純な興味だ……」
この時ばかりは父が俺の言葉を本気にしていないことがわかった。
「わかりました。来年必ず連れてきます。嘘ではないことを必ず証明します……だから……」
「アシュレイは真面目すぎる……な……私も……」
父は話している途中でコトリと眠りに落ちた。ものの10分しか起きていられない。
「父さん……父さん……!」
手を握りしめて呼びかけるが、父は目覚めない。しばらく見つめ続けたが、俺は諦め父の手を離した。
養子として入ってから、この家の名を汚さぬよう、己の全てをかけ名誉を追い求めてきた。父と母はこれ以上にないほど愛情を注いでくれたのだ。それに報いるために努力で手に入るものは全て手に入れてきたのに。
それなのに、ここにきて不名誉な塔の官吏に任命され……父からはそんなことはどうでもいいと言われる……。
さっき投げ捨てた手袋を拾う。
父は来年までは生きられない。
暴れ出しそうな激情が飛び出さないように手袋を口に当てる。
必ず武官に返り咲いて、名をあげる。
噂を流し家の名を汚した貴族どもを、この国で生きられないようにする。
今、俺が努力して手に入れられるものはこれしかなかった。
「父上……気になさらないでください。先ほどまで仕事に出ていました。首尾よくやっております」
父は一息ついて、チラリと壁掛けの時計の針を目で追った。
「仕事は……随分と遅くまでやっていたのだな……」
俺は黙る。時刻は0時近かった。ノアと夕食を共にして帰ってきたのは5時間前だ。しかし目を覚ますのを待っていたことは悟られたくなかった。
「アシュレイ、塔の管理を任されたと聞いたよ……武官と違い地味だが……なかなかに大変だろう……」
その言葉に驚き、体が少し揺れる。
使用人が父に俺の仕事を告げたのか。そう思うと顔が熱くなるほど怒りがこみ上げ、掴んでいた手袋を握りしめてしまう。そもそも宮中でも秘匿性の高い任務について、なぜ使用人ごときが知り得たのか。父が落胆しないよう隠していたのに全ての苦労が水の泡だ。
「なに、最近アシュレイが仕事の話をしなくなったから、私が使用人に依頼して問い合わせてもらったのだ……あまり使用人を責めないでくれ……」
父は昔から俺の全てを見透かしているようだった。一方俺はというと、この家に来てからもう10年以上になるのに父の考えていることがよくわからない。
「父上……なにか食べたいものはございますか?」
「いいや、アシュレイと話したいのだ。お前は優しい。私がそう望んでいるからそうやって起きるのをじっと待ってくれていたのだろう?」
ノアにそう言われたから待っていたとはいえなかった。
「塔の管理は不服か?」
唐突な質問に俺は息を飲む。父と共に暮らす中で、こんな鋭利な質問をされた記憶がなかった。
「いいえ……」
父は優しい笑顔で俺を見つめる。その視線に何もかも見透かされていることを悟る。
「昔からお前は……手のかからない子だった。朝は早くから夜遅くまで、勉学に励み、使用人と共に家事を行い、元軍人の使用人から魔法と剣術を習い……立派な武官に上り詰めて……本当によくできた子だ……」
父の目は少し曇っていた。睡魔に抗っているように見える。
「母さんが、寂しがっていたよ……」
その言葉に驚き、つい体を前に倒した。
「もっと私を困らせるようなことをしてほしい。もっと甘えて欲しいってな……」
「母さんが……寂しがっていたんですか……?」
「いいや、今のお前を見たら、母さんの悩みは贅沢だと私は感じるよ。無い物ねだりだ。でもな……」
俺は父が眠りに落ちないように手袋を床に捨て、手を握った。
「父さん……」
「ああ、久しぶりに呼んでくれた……嬉しいなぁ……もう先短いのだ……アシュレイ、母さんのわがままを聞いてやってくれ……」
「なんですか……なんだって聞きます……!」
「私を困らせるようなことを……言ってくれ……」
俺が逆に困惑する。デタラメでもいいから困らせることを考える。
「俺は……この家を継がない……」
「はは、は、相変わらず嘘が下手だなぁ……」
乾いた笑いは、父の生命の渇きがそうさせてるように思えて胸が押し潰される。どうして父の起きている間くらい彼の望むことが言えないのか。
「嘘ではありません……俺は心に決めた人がいます。来年、家を捨ててでも迎えに行こうとしていました……」
「そうか……そうか……でもそれは喜ばしいことだな……全くなにも困らない……むしろ心に決めた人を連れてきてくれ……困りはしないが……単純な興味だ……」
この時ばかりは父が俺の言葉を本気にしていないことがわかった。
「わかりました。来年必ず連れてきます。嘘ではないことを必ず証明します……だから……」
「アシュレイは真面目すぎる……な……私も……」
父は話している途中でコトリと眠りに落ちた。ものの10分しか起きていられない。
「父さん……父さん……!」
手を握りしめて呼びかけるが、父は目覚めない。しばらく見つめ続けたが、俺は諦め父の手を離した。
養子として入ってから、この家の名を汚さぬよう、己の全てをかけ名誉を追い求めてきた。父と母はこれ以上にないほど愛情を注いでくれたのだ。それに報いるために努力で手に入るものは全て手に入れてきたのに。
それなのに、ここにきて不名誉な塔の官吏に任命され……父からはそんなことはどうでもいいと言われる……。
さっき投げ捨てた手袋を拾う。
父は来年までは生きられない。
暴れ出しそうな激情が飛び出さないように手袋を口に当てる。
必ず武官に返り咲いて、名をあげる。
噂を流し家の名を汚した貴族どもを、この国で生きられないようにする。
今、俺が努力して手に入れられるものはこれしかなかった。
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