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第3話 久しぶりの食事
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真下さんはハンバーグが食べたいと言った。その無邪気なリクエストがなんだかかわいくて、一人暮らしの時には冷凍食品で済ませていたそれも今日はきちんと挽肉を練って作った。米も炊いて、余った時間でサラダも作り、その間中真下さんが待ち遠しそうに見ているので、端材でスープも作った。
昼を少し過ぎた頃に昼ごはんは出来上がって、真下さんはさっきから、フォークとナイフをダイニングテーブルに突き立てて待っている。僕が着席すると、食べていいか? と許可を求め、僕が頷くと、真下さんはハンバーグを割と多めに頬張った。
女性にしては大胆にもぐもぐと咀嚼する真下さんを見ていたら、顔がどんどんくしゃくしゃになって、ついには涙をボロボロ流し始めた。
「真下さん……? 熱いんですか……?」
咀嚼していたハンバーグを飲み込んで真下さんは涙を拭う。
「美味しい……ごめんな、ノブにこういうの作ってあげたかった……美味しい……」
無残な目玉焼きを思い出して、それは無理です、と思ってしまう。しかし腹を空かせているだろうとできもしない料理をした彼女に、この人はなぜこんな見ず知らずの僕に親切にしてくれるのだろうかと疑問が浮かぶ。
机の横には先程剥がしてきた張り紙を置いたままだった。
「真下さん、この張り紙の精力って一体なんのために書いたんですか?」
真下さんは食べるのに夢中で、さっきまでとは打って変わってぞんざいになった。
「そうやって書いておくと、セックスが上手いと勘違いした奴がよく釣れるんだ」
唐突であけすけな言葉に僕は黙ってしまう。しかし自分の業務に関わるスキルかもしれないので質問を返す。
「釣れた人は辞めたんですか?」
「いや、それは趣味の話だ。私は高慢でプライドの高い男を泣かすのが好きでな」
「泣かす?」
「いつもはご自慢のテクニックとやらを披露している男を、もうやめてと懇願するまで何度もいかせるのが大好きなんだ」
僕は普通に黙った。言っている意味はわかったが理解が追いつかなかったからだ。
「でもあの張り紙で実直そうな童貞が釣れたのは初めてだよ。ノブの顔は私好みだが、セックスの対象ではないから安心しろ。だから雇うことにしたんだ」
彼女は美しい顔に似合わない言葉をその辺にどんどん放り出して、僕の居場所を奪っていく。
「でも童貞の陰茎は大好物だから我慢ができなくなったら言ってくれ」
身動きの取れない地雷原で悟りを開いた気分だった。これ以上何か言うと心の大事なものを奪われそうな気がする。
「口だよ口、口淫だ。童貞は希少だから大切にするさ」
うふふ、と真下さんは笑う。美しい顔でペロリとご飯を平らげ、どす黒い下ネタを言う真下さんをしばし呆然と眺めた。おかわり、と差し出された茶碗を掴んで思う。こういう人こそ「何を考えているのかわからない奴」なのだ。そう思うと急に自分が小さなことで悩んできた気になった。自然に笑みが溢れ、それに気をよくして真下さんも笑う。
真下さんの茶碗におかわりを盛ったら、僕も久しぶりの温かいご飯を食べた。温かいご飯が1年半ぶりならば、1人じゃない食事はそれ以上かもしれない。外は寒いのに部屋はものすごく暖かく、僕はなぜか一瞥もくれず飛び去ったスズメを思い出した。そして一生この日の空気を忘れない、そう思った。
食事が終わったら具体的に今後の予定について真下さんが話し出した。住民票はこっちに移して、ここを住居にすること。アルバイトでは職歴にならないので正社員として雇うこと。給料日まで手持ちがないだろうから半分前金として渡すこと。その前金で明日の午前に服や身の回りのものを揃えること。食事は僕が担当すること。
ここまで話されて、僕は恐縮してしまう。あまりに好条件だからだ。それ故に今まで話題にも出てこない仕事内容が気になって仕方がなかった。
「真下さん……こんなによくしてくださって、本当にありがとうございます。そろそろ仕事内容について教えていただけないでしょうか?」
「ノブは将来、鉄工所の仕事に戻りたいか?」
予想外の質問に、それを咀嚼する時間を要した。鉄工所は工業高校の斡旋求人だった、ただそれだけの動機で就職を決めた。真下さんの言うような希望というものを仕事に求めたことがなかった。答えに窮し黙っていたら真下さんが笑った気配がした。
「こだわりがないならそれでいいんだ。キャリアの8割は偶然によって決定する、安心しろ」
難しいことを言われ、また咀嚼に時間がかかる。
「調べ物や書類仕事が多くなるが、資格に活かせるような会計なんかもいいかもしれないな。でも住み込みなんだから、食事の用意も立派な仕事だぞ!」
ビシッと指差した真下さんは、その拍子にあ、と声を漏らした。
「住居の紹介がまだだったな」
そう言って真下さんが歩き出したので、僕はそれに続いた。風呂やトイレはピカピカで、使うのを躊躇うほどだった。続いて何もない6畳ほどの部屋を案内され、ここを好きに使っていいと真下さんが付け加えた。次に真下さんの部屋を紹介されたのだが、想像とはちょっと違う質素な部屋だった。鏡台だけが唯一女性の部屋だと思える家具だった。最後に寝室を紹介され、ルームツアーが終了した。
僕はここまで来てようやく気がついたのだ。
「真下さんと2人で住むんですか?」
「当たり前だろう。なぜ家主が外で寝なければならないんだ」
住み込みというのだから住むことはわかっていた。しかし下の事務所や1階のバイク部屋の雰囲気から、宿直室のようなところで1人で住むのかと勘違いしていた。
「何が不満なんだ?」
「不満とかではなく……僕は男で……」
真下さんが俯く僕の顔を覗き込んで、ああ、とニッコリ笑う。
「ノブは真面目だな。でも大丈夫。私も男だ」
え?
「さっきも言った通り、確かに私はゲイだが、ノブはセックスの対象外だ。だから安心しろ、ここは安全だ」
僕はここから30分くらいの記憶がなくなった。あとで真下さんに聞いたら、僕はただ立っていただけだったと言っていた。
昼を少し過ぎた頃に昼ごはんは出来上がって、真下さんはさっきから、フォークとナイフをダイニングテーブルに突き立てて待っている。僕が着席すると、食べていいか? と許可を求め、僕が頷くと、真下さんはハンバーグを割と多めに頬張った。
女性にしては大胆にもぐもぐと咀嚼する真下さんを見ていたら、顔がどんどんくしゃくしゃになって、ついには涙をボロボロ流し始めた。
「真下さん……? 熱いんですか……?」
咀嚼していたハンバーグを飲み込んで真下さんは涙を拭う。
「美味しい……ごめんな、ノブにこういうの作ってあげたかった……美味しい……」
無残な目玉焼きを思い出して、それは無理です、と思ってしまう。しかし腹を空かせているだろうとできもしない料理をした彼女に、この人はなぜこんな見ず知らずの僕に親切にしてくれるのだろうかと疑問が浮かぶ。
机の横には先程剥がしてきた張り紙を置いたままだった。
「真下さん、この張り紙の精力って一体なんのために書いたんですか?」
真下さんは食べるのに夢中で、さっきまでとは打って変わってぞんざいになった。
「そうやって書いておくと、セックスが上手いと勘違いした奴がよく釣れるんだ」
唐突であけすけな言葉に僕は黙ってしまう。しかし自分の業務に関わるスキルかもしれないので質問を返す。
「釣れた人は辞めたんですか?」
「いや、それは趣味の話だ。私は高慢でプライドの高い男を泣かすのが好きでな」
「泣かす?」
「いつもはご自慢のテクニックとやらを披露している男を、もうやめてと懇願するまで何度もいかせるのが大好きなんだ」
僕は普通に黙った。言っている意味はわかったが理解が追いつかなかったからだ。
「でもあの張り紙で実直そうな童貞が釣れたのは初めてだよ。ノブの顔は私好みだが、セックスの対象ではないから安心しろ。だから雇うことにしたんだ」
彼女は美しい顔に似合わない言葉をその辺にどんどん放り出して、僕の居場所を奪っていく。
「でも童貞の陰茎は大好物だから我慢ができなくなったら言ってくれ」
身動きの取れない地雷原で悟りを開いた気分だった。これ以上何か言うと心の大事なものを奪われそうな気がする。
「口だよ口、口淫だ。童貞は希少だから大切にするさ」
うふふ、と真下さんは笑う。美しい顔でペロリとご飯を平らげ、どす黒い下ネタを言う真下さんをしばし呆然と眺めた。おかわり、と差し出された茶碗を掴んで思う。こういう人こそ「何を考えているのかわからない奴」なのだ。そう思うと急に自分が小さなことで悩んできた気になった。自然に笑みが溢れ、それに気をよくして真下さんも笑う。
真下さんの茶碗におかわりを盛ったら、僕も久しぶりの温かいご飯を食べた。温かいご飯が1年半ぶりならば、1人じゃない食事はそれ以上かもしれない。外は寒いのに部屋はものすごく暖かく、僕はなぜか一瞥もくれず飛び去ったスズメを思い出した。そして一生この日の空気を忘れない、そう思った。
食事が終わったら具体的に今後の予定について真下さんが話し出した。住民票はこっちに移して、ここを住居にすること。アルバイトでは職歴にならないので正社員として雇うこと。給料日まで手持ちがないだろうから半分前金として渡すこと。その前金で明日の午前に服や身の回りのものを揃えること。食事は僕が担当すること。
ここまで話されて、僕は恐縮してしまう。あまりに好条件だからだ。それ故に今まで話題にも出てこない仕事内容が気になって仕方がなかった。
「真下さん……こんなによくしてくださって、本当にありがとうございます。そろそろ仕事内容について教えていただけないでしょうか?」
「ノブは将来、鉄工所の仕事に戻りたいか?」
予想外の質問に、それを咀嚼する時間を要した。鉄工所は工業高校の斡旋求人だった、ただそれだけの動機で就職を決めた。真下さんの言うような希望というものを仕事に求めたことがなかった。答えに窮し黙っていたら真下さんが笑った気配がした。
「こだわりがないならそれでいいんだ。キャリアの8割は偶然によって決定する、安心しろ」
難しいことを言われ、また咀嚼に時間がかかる。
「調べ物や書類仕事が多くなるが、資格に活かせるような会計なんかもいいかもしれないな。でも住み込みなんだから、食事の用意も立派な仕事だぞ!」
ビシッと指差した真下さんは、その拍子にあ、と声を漏らした。
「住居の紹介がまだだったな」
そう言って真下さんが歩き出したので、僕はそれに続いた。風呂やトイレはピカピカで、使うのを躊躇うほどだった。続いて何もない6畳ほどの部屋を案内され、ここを好きに使っていいと真下さんが付け加えた。次に真下さんの部屋を紹介されたのだが、想像とはちょっと違う質素な部屋だった。鏡台だけが唯一女性の部屋だと思える家具だった。最後に寝室を紹介され、ルームツアーが終了した。
僕はここまで来てようやく気がついたのだ。
「真下さんと2人で住むんですか?」
「当たり前だろう。なぜ家主が外で寝なければならないんだ」
住み込みというのだから住むことはわかっていた。しかし下の事務所や1階のバイク部屋の雰囲気から、宿直室のようなところで1人で住むのかと勘違いしていた。
「何が不満なんだ?」
「不満とかではなく……僕は男で……」
真下さんが俯く僕の顔を覗き込んで、ああ、とニッコリ笑う。
「ノブは真面目だな。でも大丈夫。私も男だ」
え?
「さっきも言った通り、確かに私はゲイだが、ノブはセックスの対象外だ。だから安心しろ、ここは安全だ」
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