君を夏が攫ってしまう前に、心に刻むバラードを

葛城騰成

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第三章 消えた君に刻むバラード

第二十話 動画制作と病院祭(1)

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 人の心臓は一生で何回拍動するのだろう? そう思って、ネットで検索してみたことがある。三十億回。それが八十歳まで生きた場合の回数なんだってさ。
 その数字を目にした時、思っちまったんだ。もし生涯で拍動できる心拍数が決まっているとしたら、恵はあと何回拍動できるんだろうって。

『おはよ~。こみはるは朝が早いんだね~』

 俺は恵の声が聞こえたような気がして目を覚ました。未だ重たい体を無理矢理動かしてベッドから立ち上がるが、どこを見渡しても恵の姿は見当たらなかった。
 頭を掻きながら一階にある洗面台へと向かう。一段一段をしっかりと踏みしめるように階段を下りながら、自分の家がこんなに静かだったのかと、当たり前のことを再認識していた。
 俺にしか見えない幽霊がどれだけ騒がしかったのかがわかったところで、胸中を支配する寂寞感がなくなるわけじゃない。目の前のことに集中しようと思っても、すぐに恵のことを考えてしまう。『なにより怖いのは、わたしが記憶を取り戻すことで、こみはるとの生活が終わってしまうこと』なんて言ってたのに、どうしてお前のほうからいなくなっちゃったんだよ。
 顔を洗ったことで覚醒したはずなのに、憔悴した情けない表情を浮かべた俺が洗面台の鏡に映っていた。

「ただでさえ気味悪がられてるのにこんな顔じゃ、誰も近付いてこないだろうな」

 そんな自嘲じみた言葉が当たり前のように吐いて出て、恵が聞いていたら「そんな風に自分を卑下するのは良くないと思うな!」と言って注意してきそうだななんて考えてしまって、また心が落ちこんでしまう。
 自宅、公園、高校、病院。どこを探しても恵の魂は見つからなかった。霊感なんて全くない俺が必死になって探したところで無意味なのかもしれないけど、時折ふらっと街中を散策したくなることがあった。
 そんな俺に助け舟を出すみたいに、宮川さんが恵の病室へと案内してくれた。テツやシューを誘わずに俺だけを誘ってくれたのは、ついこの間まであいつと喋っていた俺を気遣ってくれたからかもしれない。真意こそは定かではないけれど、とてもありがたかった。
 陽菜は五階だったけど、恵は六階らしい。扉を開けた先に待っていたのは、様々な管に繋がれて眠っている恵の姿だった。
 一瞬、近付くことを躊躇した。意識のない彼女を間近で捉えてしまったら、もう二度と幽霊の姿で現れてくれなくなってしまう気がしたから。逡巡する俺を急かさずに待っていてくれた宮川さんに感謝しながら、竦む足を懸命に動かして病室に入っていく。
 心拍数や血圧の測定結果を表示しているモニターがピッ、ピッという音を発しているが、それ以外に音を発するものはなかった。今まで見てきた病室の中で一番静寂に包まれている。
 だからだろうか。無意識のうちに慎重に歩いている自分がいた。音を立ててはいけないなんてルールはどこにもないのに、配慮しなければいけないという使命感に駆られていた。
 恵を視認できる距離まで近づいた時、まず最初に意識が向いたのは、口と鼻を覆う人工呼吸器のマスクだった。苦しんでいる様子もなく穏やかに眠っていることからしっかりと呼吸ができているのだろうけど、実際に目の当たりにすると改めて深刻な状態なのだと実感させられてしまう。

「小宮さんはずっと話していたみたいですし、一言も喋らないお姉ちゃんを見るのは苦しいですか?」
「そうだね。触れることはできなかったけど、本当に楽しく会話ができてたんだ。交通事故に遭った過去なんてなかったみたいに元気だったから、とても苦しいよ」
「今日、小宮さんだけを連れてきたのは、そういう話をしたかったからなんです。もう一度確認しますが、小宮さん以外の方には見えていなかったんですよね?」
「ああ。そのはずだよ」

 事故当時に負った傷は針で縫われて修復されているからか、頭部に損傷しているような箇所は見当たらない。しかも真っ白で綺麗な肌をしているものだから、今にも眠り姫が上体を起こすんじゃないかと錯覚してしまう。

「私の予想になってしまうんですけど、どうしてお姉ちゃんが生きることに積極的じゃないのか、一つだけ心当たりがあるんです」
「心当たり? もう五年も経過していて助かる見込みがないっていう理由以外にもなにかあるの?」
「はい。幽霊になって『退屈クラッシャーズ』を観察していたのだとしたら、長谷川さんの容態について注意深くチェックしていたんじゃないかと思うんです」

 今の話がどう陽菜の容態と繋がるのかわからず、露骨に眉をひそめてしまう。

「保険証の裏側には臓器提供の意思を表示する欄があるのは知っていますよね? 事故が起きる前に一回だけお姉ちゃんの保険証を見たことがあるんですけど、その欄に丸がつけられていたはずなんです」
「まさか、陽菜のドナーになろうとしているっていうのか!?」
「臓器を提供する相手を選ぶことはできませんから、正確に言うと長谷川さんみたいにドナーを探すのに困っている人の助けになろうとしているって考えるのが正しいかもしれません」

 驚きのあまり規律正しい寝息をたてて眠っている恵をじっと見つめてしまう。

「誰かのために役立とうとするところ、お姉ちゃんらしいですよね」
「今湧いた疑問なんだけどさ、意識が陽菜にはあるから、俺たちの演奏を頑張れば届けることができると思うんだけど、恵にはどうすれば届けることができるかな? 耳元で動画を流す? 許可を貰って病室で歌う?」
「そうですね。不安に思う気持ちはよくわかります。小宮さんに乗り移ったお姉ちゃんに会うまでは、自分の歌が届いていないのだと思っていましたから。でも、届いてました。頑張りは無駄じゃなかったってわかったんです。なら、お姉ちゃんが目を覚ましてくれることを信じて頑張るしかないですよ。私たちが最善だと信じる方法で」
「だな」

 宮川さんに頷きながら見えなくなってしまった恵のことを考える。
 やっとバラバラだった皆が一つになって歩き出せるようになったのに、どうしていなくなってしまったんだろうな。
 もう一度、恵の笑顔を見るためにできることはなんなのだろう。俺たち全員が笑える未来にはどうしたら辿り着けるんだろう。
 恵の病室を出た俺たちは、無言のまま廊下を歩いていた。エレベーターに乗っている間も二人の間に会話はなかった。俯いていた俺が顔を上げたのは、一階に着いた時だった。
 お年寄りの夫婦や松葉杖を使う足に包帯を巻いた少年、車椅子に乗った女性など多くの人が、掲示板の前に集まっていたからだ。掲示板の前に人だかりができるなんて珍しいななんて思いながら近付いていくと、一つのポスターが目に留まった。
 どうやら叡山赤十字病院で『病院祭』というお祭が八月に開催されるらしい。叡山中学校の吹奏楽部やどこかの合唱団が演奏を披露したり、焼きそばやたこ焼きを販売するキッチンカーがやって来たり、医師の講演会や健康教室が行われることが書かれていた。

「ねぇ、宮川さん。これに『退屈クラッシャーズ』が参加できたりしないかな?」
「え?」

 興味なさそうにポスターを眺めていた宮川さんが驚きの声を上げる。

「恵の魂がどこにいるのかわからないけど、一番いる可能性が高いのは病院だよね。なら、病院祭で演奏をしてみたら、恵が聞いてくれそうじゃないかな?」
「まさか人前で歌うつもりですか? また苦しい思いをするかもしれませんよ?」
「そうだね。オーディションの時みたいな不運が起こる可能性はゼロじゃないね」

 謂れのない誹謗中傷を受けたこと。ギターを抱くことが困難になったこと。バンドがバラバラになってしまったこと。中学三年生の時に経験した絶望はとても恐ろしいものだった。
 もう二度とあんな思いはしたくないし、次また似たような出来事が起きてしまったら、今度こそ耐えられないかもしれない。

「ゼロじゃないけど、逃げたままじゃ、それこそ恵や陽菜に響かない気がしてさ」
「なら、皆さんに意見を聞きましょう。ちょうど午後から集まる予定でしたし、そこで聞いてみましょうよ」
「そうだね」

 恵が見えなくなっちまったのは寂しいけど、頭を切り替えねぇと。過去を受け止めるって決めたのに、いつまでもウジウジしてなんていらんねーよ。
 病院から帰宅した俺は、ギターをギグバッグに詰めて、すぐに叡山駅へと自転車を漕いで向かう。自転車を駐輪場に置き、改札口を目指す。

「久々の叡山市はどうだ? テツ」
「そうだな。生まれ故郷に帰ってくるっていうのは、いいもんだな」
「来てもらって早々で悪いけど、これからスタジオに行くぞ。宮川さんと初顔合わせだ」
「ああ」

 俺と同じようにベースギターを背中に担いでいるテツと並んで歩きながら駅近くにある音楽スタジオへと移動する。スタジオには既にシューと宮川さんが入って部屋を確保してくれているはずだ。
 本当は少しずつ仲を深めていくのが大事なのだろうけど、俺たちにはどの程度時間が残されているのかわからなかった。恵のタイムリミットが刻一刻と迫ってきている。だからこそ、少しでも早く皆と音を合わせられるようになる必要があった。

「それにしても『BlessingGirl』本人がお前たちの高校にいるなんてな。どんな偶然だよ」
「ほんとにな。しかも宮川さんは、恵と昔から仲良かったらしいんだよ。偶然にしては出来過ぎだ」
「違いない。羽嶋さんのことを知っているメンバーでバンドを組むことになるなんて、未だに信じられないな」

 前回着ていたシャツとは違うが、今回も雨露ソラがプリントされたシャツを着ているテツは、人とすれ違うたびに視線を浴びているが、本人は特に気にしている様子はなかった。他人の視線に敏感な俺からすると、こういったテツの図太さは羨ましく感じてしまう。

「もう一回念のため確認したいんだが、本当に雨露ソラが俺たちに協力してくれるのか?」
「非現実的すぎて何度も確認したくなる悠斗の気持ちはわかるが、羽嶋さんを救いたいって気持ちは姐さんも一緒だ。惜しみなく協力してくれるはずだ。現に今日だってリモートで参加してくれるしな」
「それはありがてぇ。これなら、俺たちも凄い演奏ができるかもしれないな」
「意気込むのはいいが、その凄い演奏っていうのはなんなのかを話し合うのが今日なんだ。勝手に突っ走るのはナシだぞ」
「わかってるって」

 駅から徒歩で五分くらいの場所にある音楽スタジオに辿り着いた俺たちは、自動ドアを抜けて受付の店員と挨拶をして、シューたちが確保してくれた部屋に入ると、二人はスマホで動画を見ながら真剣な表情を浮かべて話し合っていた。

「テツを連れてきたぞ~」
「こみやん。てっちゃん。やっと来たか。ボクはりんりんと一緒に、雨露ソラが出している動画を見ていたんだ。二人の意見が聞きたいな」
「ったくお前はすげーよ。もう宮川さんをあだ名で呼ぶようになったのか」
「私からお願いしたんです。あだ名で呼び合うようになれば少しは仲を深められるんじゃないかなーって思いまして」
「なるほど。それはいいな。じゃあ俺もさん付けで呼ぶのはやめにしようかな」
「いいですね。私もそうします! 小宮さ、じゃなくて、小宮。よろしくね!」
「ああ。よろしくな、宮川」

 病院で泣いていた際の宮川はロングティーシャツとプリーツスカートという服装だったけど、今日はライトピンクのセーターに青色のデニムパンツといった格好をしていた。色こそ違うけど、恵と同じコーディネートだ。唯一違う点は、パッチンと留められるヘアピンが側頭部に付けられている点で、髪が演奏の邪魔にならないようにしているようだった。
 雨露ソラに会いに行った際のシューはカーディガンとストレッチパンツという服装だったけど、今日は白色の半袖シャツに紺色のテーパードパンツといった格好をしていた。いつも簡素なコーディネートなのにおしゃれに見えるから不思議だ。しかも左腕に装着された黒色のアップルウォッチがアクセントになって、より一層おしゃれさが増しているように感じられた。

「雨露ソラの動画を見ていた二人の話も気になるが、まずは俺の自己紹介をさせてくれ。『退屈クラッシャーズ』ベース担当の神崎鉄矢だ。よろしく」

 俺と宮川の会話が一段落ついたのを確認したテツが、宮川の前に移動して会釈しながら名前を告げる。
 一瞬、雨露ソラのシャツに面食らった様子の宮川だったが、すぐにミーティングチェアから立ち上がって名乗っていた。これで全員顔見知りになれたはずだ。

「それで? 俺もテツも二人が見ていた動画の話が気になっているんだけど」
「ああ。今回話したい内容としては別に雨露ソラだけじゃなくてもいいんだけどさ、彼女がYouTubeに上げているリリックビデオを参考がてら見てたんだよね。ボクたちもリリックビデオを制作してみるのはどうかなって思ってさ」
「リリックビデオ?」
「説明が難しいんだけど、歌詞が歌に合わせて出てきたり映像が変わったりするミュージックビデオのことだよ。こみやんも見たことあるでしょ?」
「ああ。あれのことか。確かに最近よく見かける気がするな」

 紫色と黄土色の正方形が格子状になっている壁紙が施された部屋の中央で、シューがリリックビデオをタブレットで再生させる。画面上では歌詞と共に歌ったり踊ったりしている雨露ソラが映し出されていた。

「修平もその考えに辿り着いたか。俺も次に『退屈クラッシャーズ』が活動するなら、リリックビデオがいいと思っていたんだ。これならリアルの顔を出さなくてもかっこいい動画が作れるからな」
「そうだね。誹謗中傷を受けるリスクを避けるなら、顔を出さない方法をとるのが一番だとは思いま……思うよ。でも、製作するためのソフトを購入したり、ソフトの使い方を覚えたりする必要があるよね? 時間がかかりすぎてしまうのでは?」

 そう言いながら、宮川が俺をちらりと見つめてくる。先程病院で会話した時のことを気にしているのだろう。

「その点は安心してくれ。姐さんの仕事を手伝う傍ら、ソフトの使い方は教わっていたからな。細かい演出とかはまだまだ未熟だけど、基本的な演出なら俺がやれるよ。それに……」

 急にテツがバックからノートパソコンを取り出してミーティングチェアの上に乗せ始めた。パソコンを開くとすぐに画面が明るくなり、水色の髪を揺らす雨露ソラが映し出された。

「リリックビデオのことなら、姐さんが教えてくれる!」
「ハロハロ~。皆~聞いた人の耳を幸せにするワタシの声は届いてるかな~?」

 手を振りながら現れたのは、本物の空ではなくアイドルとしてのソラだった。俺には素顔を晒してくれたが、宮川には見せるつもりがないようだ。

「ばっちり聞こえていますよ」
「ここにいる皆さんは~ワタシのことを知っていると思うけど~念のため自己紹介をしまーす。ワタシの名前は雨露ソラ! 歌って踊れる世界一可愛いアイドル系VTuberでーす!」

 高層マンションで出会った時に感じた豪快さはなく、明るく天真爛漫な姿がそこにはあった。素の性格を知っている手前、普段とのギャップに戸惑う気持ちもあったが、やはりプロだと感じた。ここまでキャラクターが違うからこそ、心無い言葉を浴びせられることがあってもやっていけるのだろう。

「なるほどな。確かに雨露ソラが教えてくれるなら、勉強の手間が省ける」
「その通りだ。ソフトは購入する必要があるだろうけど、プロの意見を聞きながら行えば陽菜に希望を与えられる動画が作れる気がしてこないか?」

 テツの言葉にシューが首肯する。

「なら、ボクが描いた絵を動画に載せてみようと思うんだけど、どうかな?」
「シューの絵を!?」
「うん。ひななんはずっと病室で過ごしているから外の世界を見れてないわけじゃん? だから、街の様子を見ることができたら嬉しいんじゃないかなって」
「うんうん。ワタシもそのアイデアは悪くないと思うな~。あとは皆が楽しそうに過ごしてる映像があるといいかもね~。なにかのお祭りに参加してる写真とか、旅行中の写真とか!」

 雨露ソラからも意見が出てくる。猫を被ってはいても本気なようだ。

「顔を出さない範囲での演奏シーン、日常シーン、修平の風景画が挟み込まれるシーン。現状、確定しているのは三つか。四分ちょっとの動画ならこれでも充分つ。決まりだな」
「話がまとまりかけているところで申し訳ないんだけど、俺からも一つ意見を出していいか?」

 挙手しながら病院祭のことを伝える決意を固める。
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