君を夏が攫ってしまう前に、心に刻むバラードを

葛城騰成

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第三章 消えた君に刻むバラード

第二十四話 君はどんな表情を浮かべてくれるかな?

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  ◆◇◆

 幽霊になったわたしが、一番最初に思い出した人がこみはるだと言ったら、君はどんな表情かおを浮かべてくれるかな?
 両親でも、そらちゃんでも、凛ちゃんの顔でもなくて、鮮明に覚えていたのはこみはるのこと。
 わたしの演奏を見ている時の真剣な眼差しも、わたしの名前を呼ぶ時のハキハキとした声も、なにもかも昨日のことみたいに思い出せるよ。
 飛んでしまった風船を取ろうと駆けだした君の背中なんかは特に、忘れたくても忘れられないかな。
 真面目な『退屈クラッシャーズ』の皆は、わたしが目覚めなくなってしまったことを、「自分のせいだ」って責めて自らの人生を不幸にしてしまっていたけど、わたしはそんな風に暗い毎日を送ってほしくて助けたわけじゃないんだ。確かに、やっちゃったなって思いはわたしだってあるよ。自分の行動で両親や友達が悲しむ姿が容易に想像できてしまったから、ごめんの気持ちで胸がいっぱいになったのは事実。でもね、何度人生をやり直せたとしてもこみはるを見捨てるって選択肢はとらないって確信があるんだ。こみはるよりも自分の命を優先して助けに行かなかったら、一生後悔するって思った。「私が頑張れば助けられたかも」なんて答えの出ない問いを繰り返すのなんて、まっぴらごめんだから。あれは、わたしがわたしの為に動いた結果だ。皆に背負わなくていい荷物を背負わせるためでも、恩を着せたいわけでもないんだ。
 車に轢かれる直前に、気にしなくていいんだよって病院で目覚めたら言わないとなって思っていたのに、脳に衝撃を受けてしまった影響か、記憶のほとんどを失くしてしまったわたしは、ただこみはるを探すことだけが生きる目的になってしまってた。彼に会えば自分を取り戻せるかもしれないと一縷の希望を託して、毎日のように散策を繰り返したけれど、会うことができない日々が続いた。
 記憶がないだけならばまだ良かった。幽霊になってしまったことで、誰にも認知されなくなっていて、手を大きく振っても、喉が枯れそうなくらい大声を出して歌っても、なにをしても街行く人たちに反応されないことが辛くて、これまでに味わったことのない疎外感や孤独感に押し潰されそうになっていた。最初は律儀に数えていた日数も、東から昇って西へと沈んでいく太陽を何度も眺めているうちに、数えるのが馬鹿らしくなって、死んでいるかもしれないのに生きているのが嫌になって、この孤独な毎日を終わらせる方法ばかりを考えるようになっていた。
 いったいどれくらい時が経過しただろう。夜の学校に行ったり、線路の上を延々と歩いたり、他人の家に侵入したり、事故に遭う前の自分だったらきっとやらないだろうことをやって気を紛らわしてみたけれど、焼け石に水で、鬱屈した感情が晴れることはなかった。
 そんな退屈なわたしの日常に変化があったのは、立ち入り禁止になっているビルの屋上に足を踏み入れた時だった。視界に飛び込んできたのは、自分と同じくらいの年齢の女の子が飛び降りようとしている姿。逡巡している暇はなくて、自分が幽霊であることも忘れて走り出していた。
 必死に手を伸ばして、ブレザーを着ている彼女の背中に触れると、信じ難い出来事が起きた。急に視界が暗転して意識が途切れたかと思ったら、次に見えた世界はどこまでも広がる住宅街と宙に踏み出そうとしている右足。あまりの衝撃に後ろに飛び退いたわたしは、平場に尻餅をついて荒い呼吸を繰り返していた。最初はなにが起きたのか理解できなかったけど、自分が飛び降りようとしていた女の子に乗り移っているのだと状況を分析して判断していった。
 掌から感じる平場の硬さや肌で感じる空気の冷たさを、肩を上下させて呼吸していることを、どこまでも続く空が青くて綺麗だということを、全身全霊で理解すると、これまでに感じたことのないような感動が全身を包み込んでいく。自然と動いた右手が左胸に触れると、心臓が刻む命の鼓動が伝わってきて、わけもわからないまま涙が溢れてしまう。
 ああ、そっか。これが生きているって感覚なんだ。こんなにも世界は刺激的で輝いていたんだ。当たり前を当たり前に感じられることが、こんなにも素晴らしいことだなんて。失ってから気付くなんて遅すぎるよね。
 死んじゃあダメだよ。だってまだ、こんなにも生きたいって心臓が叫んでる。わたしは無理かもしれないけど、君は生きるべきだ。生きて、生きて、生きて、幸せを掴むべきだ。
 丁寧に揃えられたローファーとノートが平場に置かれていることに気が付いたのは、ひとしきり涙を流し終えたあとで、拾って読んでみるとすぐに、それが遺書だとわかった。家族か、友達か、恋人か、誰に対しての謝罪かはわからなかったけれど、「ごめんなさい」とか「弱い自分で悪い」とかそんな言葉ばかりが綴られていた。
 生きたいと願っても生きられないかもしれないわたしが、生きられるのに死を願った女の子に乗り移るだなんて、なんの因果だろうか。世界の素晴らしさを再認識したわたしが、世界に絶望しているこの子にできることはなんだろう。徐々に体のコントロールが効かなくなっているから、乗り移っていられる時間はあと僅かしかない。そんな中でなにをしてあげられる?
 腰元のポケットにボールペンが入っていたのは奇跡としかいいようがない。殴り書きしたような文字で遺書に綴られた言葉の数々は、飛び降りようとする直前に書かれたものだったんだ。これから死のうというのに、恨み言の一つも残さないこの子の優しさを感じて、さらになにかをしてあげたいという想いが溢れていく。心とは裏腹に、魂が体から離れようとしてしまっているから、今一番伝えたいことを二ページまるまる使って大きな文字で書いていた。

 ただ、「生きて」と。

 わたしが幽霊状態に戻ったのと同時に、自殺しようとしていた子に意識が戻った。周囲をキョロキョロと見渡して、どこにいるのかを把握して、まだ自分が死んでいないことを理解した瞬間。彼女は子供のように大声で泣きだした。自分の命がまだあることへの安堵だ。
 死ねなかったことを後悔する涙ではなかったことにわたしも安堵して、その場から去る決意をする。いくらわたしが幽霊だからといっても、その涙は見ていていいものじゃあないよね。誰にも見られないからこそ、流せる涙もあるんだから。生きていることを喜べる気持ちがあるなら、大丈夫。
 こみはると一緒に空ちゃんの自宅に訪問した時、彼女の顔を見て驚いたのは、空ちゃんのことを思い出したからじゃない。自殺しようとしていた女の子と再び出会ったことにびっくりしたんだ。いつも静かで教室の隅で大人しく過ごしている空ちゃんと、大声を出して周囲からの注目を集めているソラちゃんが、同一人物とは思えないほどにかけ離れていて、性格や考え方を変えようと努力したのが見えた気がして、驚愕と感動に包まれていたんだ。
 精神が不安定な人になら乗り移れることを、どうして知っているのかとこみはるに尋ねられた時、わたしは全てを話す気にはなれなかった。
 なんの事情も知らないのに、自殺を阻止してしまってよかったのか? 女の子を助けてから少しして、そんな答えの出ない疑問をずっと抱えるようになってしまっていたけど、元気に生きている空ちゃんを見たことで疑問から解放されて、憂いがなくなったことを喜ぶことができた。わたしが咄嗟にとった行動は間違ってなかったんだって、胸につかえていたものがとれた気がしていたんだ。
 そして昔の記憶が甦ってくると、空ちゃんが自殺しようと思い悩んでしまうくらい自分のとった行動は大きな影響を与えるものだったんだとわかって、余計に記憶を取り戻すことが怖くなった。あんなにも空ちゃんに乗り移って生きることの喜びを味わったのに、この世の素晴らしさを再認識したのに、怖くて怖くて仕方がなかった。皆がわたしの復活を臨んでくれていることがわかればわかるほど、怖くなった。
 だってそうでしょ。植物状態になって五年だよ? 復活できる可能性は低いって言われているんだよ? そんな絶望的な状況で、生きたいって願って意識を取り戻せなかったら、わたしはどうなっちゃうんだろう。このままずっと幽霊のまま過ごさないといけないのかな。わたしとお喋りができる唯一の相手であるこみはるにすら気付かれなくなったら、今度こそ孤独に耐えられないと思った。
 だったらいっそのこと、死んでしまいたい。死んでこの世から消えてしまいたい。今ならまだ自分に納得ができる。一人でなんでも解決しようと頑張ってしまう凛ちゃんのことをこみはるに託して逝けるから、心残りなくあの世に旅立てるんだもの。
 それに、わたしが死ねば臓器移植ができる。困っている人の役に立つことだってできるんだ。死がこんなにも前向きな意味を持つことなんてない。価値のある終わりを迎えることができる。皆がハッピーになるんだよ。だから、だから、わたしが終われば全部丸く収まる。わたしのために頑張ってくれた皆には悪いけど、それが一番理想の明日だ。
 それなのに、どうしてなのかなぁ。どうしてこみはるたちは、わたしを諦めてくれないんだろうね。どうしてあんなにも頑張っちゃうんだろうね。
 あんな演奏を見せられたらさ、心が動いちゃうじゃん。せっかく諦めようとしていた気持ちが甦ってきちゃうじゃん!
 手術することを決意した陽菜ちゃんも、わたしとの約束を果たそうとする凛ちゃんも、VTuberという道を見つけて一人で音楽活動を続けていた空ちゃんも、皆を影で支えた修平君や鉄矢君も、頑張りすぎだよ。
 しっかりとソロを弾き切ったこみはるの姿も、歌唱中にわたしへの気持ちを叫んだ凛ちゃんの姿も、ちゃんと見てたよ。ちゃんと見てたから。
 ずっと眠り続けていたわたしでも、明日を願ってもいいのかな? 皆に助けられてばかりのわたしでも生きていいのかな? 諦めて捨てたはずの気持ちが、ぶくぶくと溢れてきて止まらなくなってしまった。
 本当は、生きたい。皆と一緒に過ごせる明日が欲しいよ。ちゃんと地面に足をつけて歩きたいし、目と目を合わせてお話がしたいし、手と手で触れ合いたいし、わたしはここにいるよって叫びたい。やりたいことが沢山あるんだ。
 まずはもう一度、東から西へと昇る太陽を数えてみることから始めてみようと思う。当たり前に続く日常が退屈なんかじゃないってことを、わたしはもう、知ってるから。
 ねぇ、こみはる。貴方は知らないでしょう。自分がこの世にいることを誰かに証明してほしいと願っていたわたしの元に、桜舞う公園で駆け寄ってきてくれたことがどれだけ救いになっていたのかを。
 ねぇ、こみはる。貴方は知らないでしょう。記憶を取り戻すことが怖くなっちゃったと伝えたわたしに、これからも一緒にいろよって言ってくれたことが、どれだけ慰めになっていたのかを。
 君を導くお姉さんだったはずなのに、気が付いたら、君に引っ張られてばかりいたね。ほんとう、かっこよくなった。
 ねぇ、こみはる。幽霊になったわたしが、一番最初に思い出した人がこみはるだと言ったら、君はどんな表情を浮かべてくれるかな?
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