忘れられた姫と猫皇子

kotori

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薔薇の棘

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 今ラティーシャが暮らしているのは、ラムズ公爵家の首都の邸宅だ。
 
 邸宅といってもそれは宮といってもいいくらいの豪華な住まいだった。
 父である公爵は、城詰めと公爵領とを行き来し、この館にほとんど帰る暇もないほど忙しい。
 兄は騎士団の宿舎からほとんど戻らないし、母は、まあ、公爵領やこの館や自分の実家や、あちこち行き来しているが、来てもあまり長居はしない。

 そんな訳で、ラティーシャはここで一人贅沢に暮らしている。
 
 公爵邸には数え切れない程の部屋がある。客間はいくつもあるが、ラティーシャはその中でもいちばん粗末な客間へ向かった。
 
 中へ入ると、年配の男と女が飛び上がるように立ち上がり、ラティーシャに深々と挨拶をした。
 この二人が急にここを訪れるとは、珍しい。

「どうしたの? 新年祭にお父様から何か届いたの?」
「いいえ」
 男が首を振った。男は緑の館の執事、女はそこにいた子供のための家庭教師だった。

「今年はランドル皇子の行方が分からないため、新年祭は取りやめですから。何もありません」
「そう」

 緑の館は、父の側室の住まいだ。しかし、その側室は娘を産んでから行方知れずとなったらしい。
 やがて忙しい父に代わり、正夫人となったラティーシャの母テルシェが、その娘の養育と館の管理を任された。

 緑の館は元々は父の母……前公爵夫人の住まいだった場所で、広い敷地と美しい庭を持つ豪華な館だ。
 母はその素晴らしい館を与えられた側室を酷く憎んでいた。
 いくら素晴らしいとはいえ、ここに比べたらなんてことの無い場所だと思うのだが、やがて母は館の中の物を奪いはじめた。

 中の美術品、宝飾品を次々母の実家の離宮へ運ばせ、館の使用人も全部解雇した。そしてそこに残された娘は養育するどころか死なないギリギリの食料を与えてほったらかした。

「まさか、お父様が何か言ってきた?」
「い、いえ……」
 執事は首を振った。

 数年前、父が娘の顔を見たいと言ったことがあった。ラティーシャはヒヤリとしたが、母はその時、天疫痘に罹り顔を見せられない、と断った。

「もし、またお父様が会いたいなんて言うのなら、……そうね、今度こそ死んでしまったことにしてもいいわね」
 ラティーシャは呟いた。

 母が病気だ何だと言うのを聞きながら、その隣でラティーシャは殺した方が簡単なのに、と思っていた。
 だいたい母はやり方が下手なのだ。
「あそこの物は、全部私のものです」
 と言い切り、つまらない物まで何でもかんでも運ばせていた。
 
 物を奪うにしても、玄関ホールや客間の美術品はそのまま残すようにと進言したのは、その頃まだ十歳だったラティーシャだ。
 父は、あの忙しさだから、まさかわざわざあの館を訪ねて側室の子供の様子を見ようなどとは思わないだろうが、父の部下が行くかもしれない。
 その時、美術品がそっくり消えていたら、不審がられるに決まっているではないか。
 
 案の定、父はその娘の誕生日や新年祭に贈り物を届けているようだし。
 だからせめて、父の使いの者を通す辺りは保っておかないといけない。
 
 もっとも。
 そこでラティーシャは薄く笑った。
 その贈り物は全て、残された使用人がラティーシャのもとへ届けてくるのだが。

 当のその娘は、食料は届けているので生きてはいるようだが、誰も世話する者が居ず、がらんとした館で、平民以下の小猿か何かのように育っているらしい。
 すぐに死ぬかと思ったが、意外としぶとい。
 今では、男物のそれも安物の服を着てうろつきまわり、自分が仮にも貴族の娘だということはおろか、女性ということも忘れているようだ。
 全く恐ろしい。さっさと死んでくれればいいものを。

 そこまで考えて、ラティーシャは執事が不安そうな顔をしていることに気づいた。

「ラティーシャ様……、実は、あの、フェリシアですが……」

 フェリシア……。そんな名前だったわね。
 ラティーシャは久しぶりに小猿の名前を思い出した。

「ご報告するか迷ったのですが……。実は最近新しいドレスを着ているのです……」

 ラティーシャは、眉をひそめた。
 何? 今、新しいドレスって。聞き間違いかしら……。

「公爵閣下からも使者など来ておりませんし、どなたも来た形跡はないのですが、日によって違うドレスを着ていて……」

 隣で、一人だけ残した家庭教師……もっとも、ただ名目上残しただけで何も教えたりしていないが……も、不安そうに頷いた。

「その上、そのドレス、どこに隠してるのか……、部屋の中を探しても見つからないのです」

「どういうこと……? その娘は汚い男の格好をして、ふらふらしているんじゃないの?」

「それが最近は、ドレスを着て館の中で過ごしてまして……」
「昔、残してあげた物じゃないの?」
「さすがに背丈も伸びましたし、一昨年あたりまでは、男物の服や、丈が短くなったドレスを着ていたのですが、この所着ているのは新しい、見たことのないドレスなので……」

 隣で家庭教師も口を開いた。
「この冬は、暖かそうな外套や毛皮の帽子やマフなども身につけていました」

 ラティーシャは思わず立ち上がった。

「外套……? いったいどういうこと? お父様が贈ったのではなくて?」

「公爵陛下からも、どなたからも届け物はあ、ありません。私か侍従が応対するのですから、それは確かです」

「なら、どうしてそんな物があるの? 出処を特定するからその外套やドレスを持ってきなさい!」

「そ、そう思って探し回ったのですが、み、見つからないのです!」

「そんなわけないでしょう!」
 ラティーシャはいらいらと叫んだ。

「必ず持ってきなさい! でないとあなた達を館の中の美術品を盗んだ罪で訴えるわよ」
「そ、そんな……」
 二人は目に見えて青ざめた。

 館にあった品物は、母が実家の伯爵家からもらった離宮にある。あそこは伯爵家の許可がないと捜索出来ないはず。
 残した使用人にその罪を被せるのは簡単だろう。
 それに気づいたのか、二人とも震え出した。

「必ず見つけ出します。少しお待ちください……」
 そう言って慌てて帰っていく。

 逃げ出さないよう、見張らなくちゃね……。
 その後ろ姿を見ながらラティーシャは考えた。

 いよいよ、本当にその娘には死んでもらった方がいいわね。どうせお父様に会わせるわけにはいかなかったし。
 館の中の物はあの使用人と言うよりは、そうね、盗賊に奪われた、でもいいかしら。

 ラティーシャは、うっすら微笑み、それからふと眉をひそめた。

 でも……。
 新しいドレス?

 まさか盗んできたんじゃないでしょうね。
 それとも、もしも……。
 もしも誰か手助けする者がいるのなら……。
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