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一章 ムーンウォッチ
002 乱舞
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先も述べたが、坂之上家の家計は姉の氷華が一人で担っている。氷太朗がアルバイトすれば少しは助けになるが、禁止されているので収入は氷華の一馬力である。
しかし、支出は違う――家賃や光熱費のような生活コストだけでなく、学費や消耗品費など氷太朗単体が発生させる物は沢山ある。
生きていく上で、もっと言うと学生生活を送る上で発生する出費は、どれだけ頑張っても抑えられない。それは仕方がない事だ。氷太朗自身も抑える努力はするが、ある程度は諦めている。けれども、交際費はどうだろうか?
友達と下校時に買うソフトクリーム代は? カラオケボックス代は?
姉に養っている身でそれらを家計から頂戴するような真似は氷太朗にはできない。されど、高校生をしている以上、交際費や嗜好品費は避けては通れない時もある。今回の針姫和歌からのお誘いが良い例だ。
ならばどうするか――このような出費が予想される時、氷太朗は数本のナイフや和傘を持って家を出る。コンビニに強盗に行くわけではない。大道芸をして、投げ銭を貰おうという魂胆なのだ。
氷太朗は生まれながら身体能力が高い。中でもバランス感覚と動体視力が飛びぬけて高いため、その才能を生かして大道芸を行い――稼ぐ。
大道芸を行うのは、きまって針姫大社の大鳥居の前である。この場所は、観光客の参拝ルートであり、警察があまり立ち寄らない所謂無法地帯だ。それを証明するように不法露店が山のように軒を連ねている。神の御前で阿漕なことをするのは少し気が引けるが、氷太朗のような学生の身分の少年が芸を披露するにはうってつけである。
商売エリアに着いた氷太朗は道具が入ったボストンバッグを下すと、ピエロの面をかぶり、帽子を少し離れた場所に置いた。勿論、お金を入れやすいように『口』を上向きにして。
最初の演目はパントマイム。これは道具を使わない代わりに全身を動かせるので、準備運動に持ってこいだ。ただ、少し華やかさに欠けるため、集客はあまり望めない。現に、五分くらいしても、投げ銭をしてくれる者はおろか、立ち止まって観てくれる者もいない。
それでよい――これはただのウォーミングアップアップなのだから。
身体が程よく温まった氷太朗はボストンバッグから棒とコマを取り出す。
お次は『中国コマ』――別名『ディアボロ』だ。紐で繋がった二本のスティックで、瓢箪の両端を切ったコマを操る。勿論、ただ単純にコマを回だけなら、あまり面白い絵面にはならいない。けれども、コマを奇妙奇天烈な動きをさせたり、鳥を墜としそうなくらい空高く投げたたりすると一気に難易度は上がる。難易度が上がると、注目度も比例して上がる。
続々と増えていく観客を見て、大衆の心理というものは面白い、と氷太朗は思う。
どれだけ芸を一生懸命しても、人々は素通りをする。隣の人間が素通りするから、素通りをする――だが誰か一人が足を止めたら、引き寄せられるように次々と足を止めてくれるようになる。まるで『右へ倣え』だ。
素通りされる時は素通りされるし、注目される時は注目される。
要は突破口になる『最初の一人』が重要なのだ。
幸運にも、今日はかなり早い段階で『最初の一人』を捕まえる事が出来た。そして、そのお陰で、中国コマを回し始めて三分もしないうちに一〇人くらいが集まった。
これまた可笑しな大衆心理なのだが、同じことを続けていると人は離れていく。恐らくは「このまま見ていても同じことが延々と続くのだろう」と心で決めつけるからだ。そんな思いを掻き消すには『意外性』を提供するのが一番だ。つまり、飽きる前に、次の芸をしなければならないのだ。
十一人目の観客を捉えた時、氷太朗は「これ以上増えないだろう」と感じ、次の項目にシフトした。
最後の演題はナイフを使ったジャグリングだ。砂利の上に斜めに立てた中国コマの上にバランスよく立ち、玩具のナイフを上へ投げる。投げてはキャッチをする。それを一六本のナイフで繰り返す。
文字にすればやはり地味だが、客の方からは「おおおおおおおお!」「すごい!」と次々に歓声があがる。たまにシャッター音も聞こえる。写真を撮ったら十中八九SNSにアップロードされるので是非辞めていただきたいが――観客の声が氷太朗の勇気になる。エネルギーになる。加熱させる。
だからと言って、これで調子に乗って芸を見せびらかし続けてはいけない。
投げ銭が集まる瞬間というのは、拍手が沸き上がった時――つまり終幕のタイミングだ。たまに、飽きて立ち去ろうという時に帽子に小銭を入れて行く人がいるが、それはごく稀なケースである。大多数の観客は、芸が終わり、氷太朗が一礼した時に、拍手をするついでに心づけとしてお金を出す。
終幕を迎えないと集金は望めない。
「―――ッ‼」
氷太朗はマスク越しに客の数を見る。二五人は集まっただろう。野良の芸にしては上々の集客だ。もう少し欲をかいて芸を長引かせたら新たな客が現れるかもしれない。だが同時に、今居る客が去っていくかもしれない。
利益を確定させるタイミングは毎回悩ましいが――もう良いだろう。十分だ。
氷太朗は放り投げた一六本のナイフを指の間で次々と掴んでゆく。そして、最後の一本を掴み終えた後に、中国コマの上から降りた。勿論、ただ降りたわけではない――大きくジャンプをし、二メートルほど跳び上がったあと空中で二回転し、着地した。
決まった――深々と頭を下げる氷太朗。
沸き上がる拍手。
帽子の中に蓄積されるコインの音。
去ってゆく足音が。
そして、暫くして、静けさに包まれた。
「そろそろ良いか……」
客が去ってから顔を上げるという謎のゲン担ぎをしている氷太朗は、人の気配がない無いことを改めて確認して、ゆっくりと顔を上げる。和歌と遊ぶ金くらいは稼げただろう、なんて浮かれながら。
しかし予想は外れた。
客が一人残っていた。
「氷太朗くん?」
酒月美夜である。
* * *
露店のオヤジは終始丁寧だった。
氷太朗が二人分のお金を払うと、頼んでもないのに栓を抜いてくれた。それどころか、その際に中のラムネが少し溢れ出したのだが、まるで一流ホテルのバーテンダーのようにタオルで優しく拭いてくれた。手渡す時も、「毎度あり」という言葉と共にウインクをくれた。どういう意味なのかは、考えるまでもない。
ラムネを持った氷太朗は、少し離れたベンチに座って待っていた美夜に「どうぞ」と渡す。美夜は「ありがとう」と礼を言い、口をつける前に「ラムネ代」と呟きながらポケットに手を突っ込んだ。
「いくらだった?」
「い、いや。いいよ。ここは奢りということで」
「ありがとう。羽振りがいいんだね」
「あはは……」
稼いでいる瞬間をしっかりと見られていた氷太朗は苦笑するしかなかった。
氷太朗は美夜の隣に座る。勿論、すぐ横ではなく、猫二匹分くらい離れた位置に。
「いただきます」
律儀に会釈をしてゴクリとラムネを飲む美夜。喉の動きが綺麗だ――喉だけではない。額に浮かべた汗も、太陽の熱い視線を浴びる白い肌も、もっと言うと、少し腫れぼったい瞼も、烏の濡れ羽色の伸びきった髪も、泣きボクロも、全てが魅力的だ。
いくらでも見ていられる。
直視は出来ないが。
「飲まないの?」
美夜は、一向にラムネに口をつける気配のない氷太朗を不審がった。
「う、ううん⁉ 飲むよ、飲む飲む!」
美夜に見惚れていたなぞ口が裂けても言えない氷太朗は、慌ててラムネを飲み干した。その姿に、美夜は拍手をする。
「すごい。ラムネを一気飲みする人、初めて見た」
「そ、そう?」
「それも大道芸?」
「いや、違います……」
「山手線の駅、全部言える?」
「そういう芸はしてないかな。う――ぐげえっ!」
不意な小ボケに思わずツッコミを入れてしまったせいで油断してしまった氷太朗は大きなゲップを出してしまった。
好きな人を前に……最悪だ。穴があったら入りたい。
無様なシーンを目撃した美夜は今一体どんな顔をしているかーー恐る恐るチラッと見てみるが、美夜は無表情であった。氷太朗は少し安堵したが、そう言えばいつも彼女は無表情だということを思い出して、また不安が押し寄せた。
「さ、酒月さんはどうして針姫大社に?」
話題を変えるべく、そんなことを訊いてみると、美夜は依然無表情で答えた。
「私は境内の古本市で掘り出し物がないか探しにきたの。そしたら、人込みが出来てて、思わず覗いちゃった」
「そうなんだ。全然気付かなかった」
「影薄いからね」
「い、いや……そんなこと……」
「というか、無いからね」
「………」
とんでもない自虐ネタを繰り出す美夜。
今度は突っ込むことが出来なかった。
比喩表現などではなく――酒月美夜には影がない。どれだけ日が差そうが、どれだけ月光に照らされようが、彼女の足元もしくは背後に影が延びることはない。昔は、少なくとも一緒に月を見ていた頃は在ったはずなのだが、中学校に入学する頃には無くなっていた。
一見すると、大層な話ではないように思える。しかし、実際に『影の無い人』と相まみえると、これ以上ないくらい不気味に思える。喩えるなら、足の無い幽霊と対峙しているような気分だ――その感覚は思春期の少年少女には底知れぬ恐怖を与えた。加えて、彼女はいついかなる時も表情を変えない。これも、中学校に入学する頃に起こった異変だ。
影が無い事と表情が無い事は、はっきり言って普通ではない。この『普通ではない』という事は、子供にとっては非常にネガティブに映る――結果、クラスメイト達は美夜を怖がり、距離をとった。
正直な所、氷太朗が彼女と距離を置いた理由の一つがそれだ――臆病な氷太朗は、美夜から遠ざかるクラスメイトと足並みを揃えために一緒になって距離をとった。なんとも情けない話だ。心の中に強い意志があればそのようなことにはならなかっただろう。もっとも、それが疎遠になった主たる理由ではないが。
「ふ、古本市はよく行くの?」氷太朗は話を逸らす。
「うん。暇つぶしに、ね。たまに掘り出し物に出会えるから楽しいよ。氷太朗くんはいつもここで大道芸しているの?」
「僕もたまにだよ。一か月に一回くらい」
「じゃあ次は来月?」
「順当に行けばそうだけど――どうだろ。お金がなくなったらもっと早いペースで来る羽目になるかな」
「開催日が決まったら教えてよ。今度は途中からじゃなくて、最初から見たい」
「タ、タイミングが合ったらね」
嘘だ。声を掛ける気なぞ毛頭ない――彼女が見ているとわかっている状態で大道芸をしてみろ。テンパって、トチりまくって、目も当てられない惨状になるのは目に見えている。
「いつから大道芸してるの?」
「高校入ってからだよ。姉ちゃんが厳しくてアルバイトできないけど、遊ぶにもお金がいるからさ。考えに考え抜いた抜け道がこれ」
「あそぶ金欲しさですか」
「言い方よ。まぁそうだけどさ」
「良いな。私も何かしようかな。夏休み、退屈だし」
「酒月さんは普段どうして過ごしてるの?」
「毎日ダラダラして、本読んで、ゴロゴロして、甘いもの食べてる」
「ははは。僕も一人の時はそんな感じだ。みんな、一緒だね」
「あ、でも、たまに文化祭の準備をしに登校してるよ」
「文化祭?」
そう言えば、ヤル気のあるクラスは十月の文化祭に向けて今頃から準備をしているという話を聞いた事がある。
「酒月さんのクラスは熱心なんだね。どんな出し物をするの?」
「演劇。『リア王』をするの」
「シェイクピアか、気合入ってるね……」
「うん。クラス委員長が演劇部の部長で、凄く燃えてて――背景から作らないといけないから大変。氷太朗くんのクラスは何するの?」
「ウチはプラネタリウムの上映会をするよ」
「プラネタリウムを作るの?」
「うん。段ボールに穴をあけて、それを中から照らすだけの簡単なモノだけど――担任の石巻先生がどうしてもやりたいっていうから」
「そうなんだ。てっきり、氷太朗くんが言い出したのかと思った」
「まさか。どうして?」
「だって氷太朗くん、お月見が大好きったじゃん」
美夜の言葉に、氷太朗は思わず「え?」と声が出た。
耳を疑った。氷太朗は一度もお月見好きを自称したことはない。
てっきり、夜空を見上げるのが好きなのは美夜の方だと思っていたが……。
「好きだったから、昔、天体観測に誘ってくれたんじゃないの?」
「あれって、僕から誘ったんだっけ?」
「うん。ある日突然、星の図鑑持ってきて『今度一緒に月を見よう』って。……忘れちゃった?」
「一緒に月を見たのは覚えてるけど……そのエピソード、完全に忘れてた……」
そうか、僕から誘っていたのか。
幼い自分に「やるじゃないか」と誇らしくなる一方で、幼い自分にコテンパンにされた気分にもなった。
「まだ月は好き?」
「う、うん! 今もまだまだ全然大好きだよ⁉︎ 日蝕とかのイベントはしっかり押さえてるし!」
「そうなんだ。良かった。私もお月様大好きだから」言って、美夜は空を仰いだ。
「また一緒に見たいね」
「ソウデスネ」
千載一遇のチャンスに、氷太朗は何故かカタコトになってしまった。
しかし、支出は違う――家賃や光熱費のような生活コストだけでなく、学費や消耗品費など氷太朗単体が発生させる物は沢山ある。
生きていく上で、もっと言うと学生生活を送る上で発生する出費は、どれだけ頑張っても抑えられない。それは仕方がない事だ。氷太朗自身も抑える努力はするが、ある程度は諦めている。けれども、交際費はどうだろうか?
友達と下校時に買うソフトクリーム代は? カラオケボックス代は?
姉に養っている身でそれらを家計から頂戴するような真似は氷太朗にはできない。されど、高校生をしている以上、交際費や嗜好品費は避けては通れない時もある。今回の針姫和歌からのお誘いが良い例だ。
ならばどうするか――このような出費が予想される時、氷太朗は数本のナイフや和傘を持って家を出る。コンビニに強盗に行くわけではない。大道芸をして、投げ銭を貰おうという魂胆なのだ。
氷太朗は生まれながら身体能力が高い。中でもバランス感覚と動体視力が飛びぬけて高いため、その才能を生かして大道芸を行い――稼ぐ。
大道芸を行うのは、きまって針姫大社の大鳥居の前である。この場所は、観光客の参拝ルートであり、警察があまり立ち寄らない所謂無法地帯だ。それを証明するように不法露店が山のように軒を連ねている。神の御前で阿漕なことをするのは少し気が引けるが、氷太朗のような学生の身分の少年が芸を披露するにはうってつけである。
商売エリアに着いた氷太朗は道具が入ったボストンバッグを下すと、ピエロの面をかぶり、帽子を少し離れた場所に置いた。勿論、お金を入れやすいように『口』を上向きにして。
最初の演目はパントマイム。これは道具を使わない代わりに全身を動かせるので、準備運動に持ってこいだ。ただ、少し華やかさに欠けるため、集客はあまり望めない。現に、五分くらいしても、投げ銭をしてくれる者はおろか、立ち止まって観てくれる者もいない。
それでよい――これはただのウォーミングアップアップなのだから。
身体が程よく温まった氷太朗はボストンバッグから棒とコマを取り出す。
お次は『中国コマ』――別名『ディアボロ』だ。紐で繋がった二本のスティックで、瓢箪の両端を切ったコマを操る。勿論、ただ単純にコマを回だけなら、あまり面白い絵面にはならいない。けれども、コマを奇妙奇天烈な動きをさせたり、鳥を墜としそうなくらい空高く投げたたりすると一気に難易度は上がる。難易度が上がると、注目度も比例して上がる。
続々と増えていく観客を見て、大衆の心理というものは面白い、と氷太朗は思う。
どれだけ芸を一生懸命しても、人々は素通りをする。隣の人間が素通りするから、素通りをする――だが誰か一人が足を止めたら、引き寄せられるように次々と足を止めてくれるようになる。まるで『右へ倣え』だ。
素通りされる時は素通りされるし、注目される時は注目される。
要は突破口になる『最初の一人』が重要なのだ。
幸運にも、今日はかなり早い段階で『最初の一人』を捕まえる事が出来た。そして、そのお陰で、中国コマを回し始めて三分もしないうちに一〇人くらいが集まった。
これまた可笑しな大衆心理なのだが、同じことを続けていると人は離れていく。恐らくは「このまま見ていても同じことが延々と続くのだろう」と心で決めつけるからだ。そんな思いを掻き消すには『意外性』を提供するのが一番だ。つまり、飽きる前に、次の芸をしなければならないのだ。
十一人目の観客を捉えた時、氷太朗は「これ以上増えないだろう」と感じ、次の項目にシフトした。
最後の演題はナイフを使ったジャグリングだ。砂利の上に斜めに立てた中国コマの上にバランスよく立ち、玩具のナイフを上へ投げる。投げてはキャッチをする。それを一六本のナイフで繰り返す。
文字にすればやはり地味だが、客の方からは「おおおおおおおお!」「すごい!」と次々に歓声があがる。たまにシャッター音も聞こえる。写真を撮ったら十中八九SNSにアップロードされるので是非辞めていただきたいが――観客の声が氷太朗の勇気になる。エネルギーになる。加熱させる。
だからと言って、これで調子に乗って芸を見せびらかし続けてはいけない。
投げ銭が集まる瞬間というのは、拍手が沸き上がった時――つまり終幕のタイミングだ。たまに、飽きて立ち去ろうという時に帽子に小銭を入れて行く人がいるが、それはごく稀なケースである。大多数の観客は、芸が終わり、氷太朗が一礼した時に、拍手をするついでに心づけとしてお金を出す。
終幕を迎えないと集金は望めない。
「―――ッ‼」
氷太朗はマスク越しに客の数を見る。二五人は集まっただろう。野良の芸にしては上々の集客だ。もう少し欲をかいて芸を長引かせたら新たな客が現れるかもしれない。だが同時に、今居る客が去っていくかもしれない。
利益を確定させるタイミングは毎回悩ましいが――もう良いだろう。十分だ。
氷太朗は放り投げた一六本のナイフを指の間で次々と掴んでゆく。そして、最後の一本を掴み終えた後に、中国コマの上から降りた。勿論、ただ降りたわけではない――大きくジャンプをし、二メートルほど跳び上がったあと空中で二回転し、着地した。
決まった――深々と頭を下げる氷太朗。
沸き上がる拍手。
帽子の中に蓄積されるコインの音。
去ってゆく足音が。
そして、暫くして、静けさに包まれた。
「そろそろ良いか……」
客が去ってから顔を上げるという謎のゲン担ぎをしている氷太朗は、人の気配がない無いことを改めて確認して、ゆっくりと顔を上げる。和歌と遊ぶ金くらいは稼げただろう、なんて浮かれながら。
しかし予想は外れた。
客が一人残っていた。
「氷太朗くん?」
酒月美夜である。
* * *
露店のオヤジは終始丁寧だった。
氷太朗が二人分のお金を払うと、頼んでもないのに栓を抜いてくれた。それどころか、その際に中のラムネが少し溢れ出したのだが、まるで一流ホテルのバーテンダーのようにタオルで優しく拭いてくれた。手渡す時も、「毎度あり」という言葉と共にウインクをくれた。どういう意味なのかは、考えるまでもない。
ラムネを持った氷太朗は、少し離れたベンチに座って待っていた美夜に「どうぞ」と渡す。美夜は「ありがとう」と礼を言い、口をつける前に「ラムネ代」と呟きながらポケットに手を突っ込んだ。
「いくらだった?」
「い、いや。いいよ。ここは奢りということで」
「ありがとう。羽振りがいいんだね」
「あはは……」
稼いでいる瞬間をしっかりと見られていた氷太朗は苦笑するしかなかった。
氷太朗は美夜の隣に座る。勿論、すぐ横ではなく、猫二匹分くらい離れた位置に。
「いただきます」
律儀に会釈をしてゴクリとラムネを飲む美夜。喉の動きが綺麗だ――喉だけではない。額に浮かべた汗も、太陽の熱い視線を浴びる白い肌も、もっと言うと、少し腫れぼったい瞼も、烏の濡れ羽色の伸びきった髪も、泣きボクロも、全てが魅力的だ。
いくらでも見ていられる。
直視は出来ないが。
「飲まないの?」
美夜は、一向にラムネに口をつける気配のない氷太朗を不審がった。
「う、ううん⁉ 飲むよ、飲む飲む!」
美夜に見惚れていたなぞ口が裂けても言えない氷太朗は、慌ててラムネを飲み干した。その姿に、美夜は拍手をする。
「すごい。ラムネを一気飲みする人、初めて見た」
「そ、そう?」
「それも大道芸?」
「いや、違います……」
「山手線の駅、全部言える?」
「そういう芸はしてないかな。う――ぐげえっ!」
不意な小ボケに思わずツッコミを入れてしまったせいで油断してしまった氷太朗は大きなゲップを出してしまった。
好きな人を前に……最悪だ。穴があったら入りたい。
無様なシーンを目撃した美夜は今一体どんな顔をしているかーー恐る恐るチラッと見てみるが、美夜は無表情であった。氷太朗は少し安堵したが、そう言えばいつも彼女は無表情だということを思い出して、また不安が押し寄せた。
「さ、酒月さんはどうして針姫大社に?」
話題を変えるべく、そんなことを訊いてみると、美夜は依然無表情で答えた。
「私は境内の古本市で掘り出し物がないか探しにきたの。そしたら、人込みが出来てて、思わず覗いちゃった」
「そうなんだ。全然気付かなかった」
「影薄いからね」
「い、いや……そんなこと……」
「というか、無いからね」
「………」
とんでもない自虐ネタを繰り出す美夜。
今度は突っ込むことが出来なかった。
比喩表現などではなく――酒月美夜には影がない。どれだけ日が差そうが、どれだけ月光に照らされようが、彼女の足元もしくは背後に影が延びることはない。昔は、少なくとも一緒に月を見ていた頃は在ったはずなのだが、中学校に入学する頃には無くなっていた。
一見すると、大層な話ではないように思える。しかし、実際に『影の無い人』と相まみえると、これ以上ないくらい不気味に思える。喩えるなら、足の無い幽霊と対峙しているような気分だ――その感覚は思春期の少年少女には底知れぬ恐怖を与えた。加えて、彼女はいついかなる時も表情を変えない。これも、中学校に入学する頃に起こった異変だ。
影が無い事と表情が無い事は、はっきり言って普通ではない。この『普通ではない』という事は、子供にとっては非常にネガティブに映る――結果、クラスメイト達は美夜を怖がり、距離をとった。
正直な所、氷太朗が彼女と距離を置いた理由の一つがそれだ――臆病な氷太朗は、美夜から遠ざかるクラスメイトと足並みを揃えために一緒になって距離をとった。なんとも情けない話だ。心の中に強い意志があればそのようなことにはならなかっただろう。もっとも、それが疎遠になった主たる理由ではないが。
「ふ、古本市はよく行くの?」氷太朗は話を逸らす。
「うん。暇つぶしに、ね。たまに掘り出し物に出会えるから楽しいよ。氷太朗くんはいつもここで大道芸しているの?」
「僕もたまにだよ。一か月に一回くらい」
「じゃあ次は来月?」
「順当に行けばそうだけど――どうだろ。お金がなくなったらもっと早いペースで来る羽目になるかな」
「開催日が決まったら教えてよ。今度は途中からじゃなくて、最初から見たい」
「タ、タイミングが合ったらね」
嘘だ。声を掛ける気なぞ毛頭ない――彼女が見ているとわかっている状態で大道芸をしてみろ。テンパって、トチりまくって、目も当てられない惨状になるのは目に見えている。
「いつから大道芸してるの?」
「高校入ってからだよ。姉ちゃんが厳しくてアルバイトできないけど、遊ぶにもお金がいるからさ。考えに考え抜いた抜け道がこれ」
「あそぶ金欲しさですか」
「言い方よ。まぁそうだけどさ」
「良いな。私も何かしようかな。夏休み、退屈だし」
「酒月さんは普段どうして過ごしてるの?」
「毎日ダラダラして、本読んで、ゴロゴロして、甘いもの食べてる」
「ははは。僕も一人の時はそんな感じだ。みんな、一緒だね」
「あ、でも、たまに文化祭の準備をしに登校してるよ」
「文化祭?」
そう言えば、ヤル気のあるクラスは十月の文化祭に向けて今頃から準備をしているという話を聞いた事がある。
「酒月さんのクラスは熱心なんだね。どんな出し物をするの?」
「演劇。『リア王』をするの」
「シェイクピアか、気合入ってるね……」
「うん。クラス委員長が演劇部の部長で、凄く燃えてて――背景から作らないといけないから大変。氷太朗くんのクラスは何するの?」
「ウチはプラネタリウムの上映会をするよ」
「プラネタリウムを作るの?」
「うん。段ボールに穴をあけて、それを中から照らすだけの簡単なモノだけど――担任の石巻先生がどうしてもやりたいっていうから」
「そうなんだ。てっきり、氷太朗くんが言い出したのかと思った」
「まさか。どうして?」
「だって氷太朗くん、お月見が大好きったじゃん」
美夜の言葉に、氷太朗は思わず「え?」と声が出た。
耳を疑った。氷太朗は一度もお月見好きを自称したことはない。
てっきり、夜空を見上げるのが好きなのは美夜の方だと思っていたが……。
「好きだったから、昔、天体観測に誘ってくれたんじゃないの?」
「あれって、僕から誘ったんだっけ?」
「うん。ある日突然、星の図鑑持ってきて『今度一緒に月を見よう』って。……忘れちゃった?」
「一緒に月を見たのは覚えてるけど……そのエピソード、完全に忘れてた……」
そうか、僕から誘っていたのか。
幼い自分に「やるじゃないか」と誇らしくなる一方で、幼い自分にコテンパンにされた気分にもなった。
「まだ月は好き?」
「う、うん! 今もまだまだ全然大好きだよ⁉︎ 日蝕とかのイベントはしっかり押さえてるし!」
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