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一章 ムーンウォッチ
004 決戦前夜
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夏は日が長い。冬ならば真っ暗になっている時間でも、夏ではギラギラと太陽が輝いている。いつもはどうでも良い事なのに、月を想う今日ばかりはとても憎くらしい。さっさと沈めと思う。しかし、だからと言って太陽を睨みつけるほど美夜も暇ではない。夜が来るまでに――もっと言うと氷太郎が来るまでにやっておかなければならない事は山程ある。
漸く自室の掃除が完了した美夜は、トイレ掃除に取り掛かろうとした。
そこに、用を足しにきた美夕がやってきた。
「わっ、お姉ちゃん何やってんの?」
「トイレ掃除」
妹の素朴な疑問に美夜は短く答えると、美夕は「見りゃわかるけどさ…」と頭を掻いた。
彼女の名前は酒月美夕――美夜の妹である。歳は三つも離れているのだが、華奢な美夜とは対照的に、すらりと伸びた四肢はそれなりに筋肉がついており、背もそれなりに高いので、よく『姉』に間違えられる。
「なんでお姉ちゃんはこんな時間にトイレ掃除してるの?」
「これから友達が来るから清潔にしとかないと、と思って」
「殊勝な考えだけど、ちょっと気合入りすぎじゃない? って言うか、今から遊びに来るの?」
「うん。お月見するの」
「ウチで?」
「ウチの庭で」
「ちょっと迷惑なんだけど……。あたしもこんな格好だし」
美夕はショートパンツにノースリーブと完全にオフモードに入っていた。とてもじゃないが人前に出られる格好ではない。だからと言って、もうすぐ一八時なので、きちんとした格好に着替えるのも面倒だ。
「……って、ちょっと待って‼ お姉ちゃん友達居たの⁉」
「居るよ。失礼な」美夜はプクーと頬を膨らませる。
美夕が疑うのも無理はない――美夜は一二歳の時に影を切り離してからと言うもの、友達という言葉に無縁の学生生活を送っていた。親がスマートフォンを買ってやると言っても「友達居ないからいらない」と突き返すくらいだ。
そんな姉が夏休みに、しかも一緒にお月見とは。
ふと美夕の脳裏に、とある少年が浮かんだ。
「もしかしてお相手って……坂之上氷太朗さん?」
「うん、よくわかったね」
「お月見と言ったら氷太朗さんじゃん!」美夕の乙女スイッチが入る。トイレに用事があった事など、もう忘れ去られている。
「お姉ちゃん、ずっと『昔みたいに氷太朗さんとお月見したい』って言ってたもんね!」
「ずっとは言ってない」
「言ってたよー! え⁉ え、え、え、えぇー⁉ なんでいきなり⁉ ずっと前に約束してたの⁉」
「ううん。今日たまたま神社で会って……その時はちょっと話してバイバイしたんだけど、少しして電話が掛かってきて、今夜スーパームーンだから一緒に見ないかって」
「キャー! 絶対氷太朗さん、お姉ちゃんに気があるじゃん!」
「無いよ。みんなにも同じようなこと言ってるよ、きっと」
「言うワケ無いじゃん! 言ってたら怖いわ! 人間不信になるわ! あんな可愛い顔してそんなえげつない事するわけないじゃん!」
「むぅ……」
確かに。誰彼構わず電話をかけまくってスーパームーン観測に誘いまくっている氷太朗の姿は、想像するだけゾッとする。だが美夜は、それだけで気があると判断するのは些か軽率なような気がした。
「庭でやんの?」
「うん。あそこが一番よく見えるから」
「じゃあトイレよりも中庭を掃除した方が良いんじゃない?」
「中庭も自分の部屋もリビングも掃除した。後はトイレだけ」
「凄い気合入ってんね……」
美夜の表情は一切変化しない。変化しないから、彼女には喜怒哀楽を始めとする感情が欠如されていると誰もが思ってしまう。だが、注意深く観察していると、彼女の行動全てが人間味に溢れており、誰よりも感情豊かであると気付かされる。
「氷太朗さんは何時に来るの?」
「晩御飯を済ましてから来るから、二〇時くらいだって」
「じゃあ、永く居ても二時間くらい?」
「かな。うん、それくらいだと思う」
「それなら――氷太朗さんと居る時くらい、『影』を戻してゆっくりしたら? 二時間くらいなら、あたしだけでも『常夜』の管理は出来るからさ」
「ありがとう。本当は甘えたいけど、今日は例大祭の日だだから――影をひっこめるわけにはいかない」
「そっか……そうだったね……。ごめん、忘れてた」美夕は心の中で猛省した。
例大祭の存在を忘れるなんて、ありえないミスだ。
「じゃ、じゃあ! せめて何か手伝うよ!」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
「何でも言って!」
「だったらトイレとお風呂と洗面台と家の周りの溝の掃除しといて」
「なんか多くない⁉ さっき、あとはトイレだけって言ってたのに! 二〇時までにそんな年末の大掃除みたいなスケジュールこなせるわけないじゃん! なんでも言ったけど、限度ってモンがあるよ!」
「ツッコミが長い、減点」
「色々と容赦無し!」
いいリアクションをする妹に美夜は思わず「ふふふ」と笑ってしまった――無論、無表情だが――それを見た美夕はなんだか嬉しくなり、思わずトイレブラシを奪い取った。
「トイレ掃除ならしてあげる! だから、その間にお姉ちゃんはシャワー浴びてきなよ。氷太朗さんに会うっていうのに、そんな汗ダクだったら嫌でしょ?」
「良いの?」
「御安い御用だよ! ほら、行った行った!」
美夜は慣れぬ掃除の連続で大量の汗を流した。自分でも汗臭いレベルに達しており、正直こんな状態で友達に会うのは女子としてどうかと思っていたところなので――非常に助かる話である。
美夜は「ありがとう」と言ってトイレスリッパを脱ぎ、自室に戻った。そして、クローゼットを開け、収納ケースから下着とワンピースを手に取る。部屋着用のワンピースではない、お出かけ用のちょっと良い純白のワンピースである。最初、コーディネートはこれだけで良いと思った。しかし、少しして、なんだか気合が入り過ぎているような気がして、下に穿くデニムパンツも手に取った。
部屋を出た美夜は長い廊下を小走りで駆け、風呂場に向かう――その時だ。
ふと、氷太朗の気配がした。
「えっ……?」
振り返ってみるが、そこには誰もいなかった。
* * * * *
八月九日未明――坂之上氷太朗は消息を絶った
漸く自室の掃除が完了した美夜は、トイレ掃除に取り掛かろうとした。
そこに、用を足しにきた美夕がやってきた。
「わっ、お姉ちゃん何やってんの?」
「トイレ掃除」
妹の素朴な疑問に美夜は短く答えると、美夕は「見りゃわかるけどさ…」と頭を掻いた。
彼女の名前は酒月美夕――美夜の妹である。歳は三つも離れているのだが、華奢な美夜とは対照的に、すらりと伸びた四肢はそれなりに筋肉がついており、背もそれなりに高いので、よく『姉』に間違えられる。
「なんでお姉ちゃんはこんな時間にトイレ掃除してるの?」
「これから友達が来るから清潔にしとかないと、と思って」
「殊勝な考えだけど、ちょっと気合入りすぎじゃない? って言うか、今から遊びに来るの?」
「うん。お月見するの」
「ウチで?」
「ウチの庭で」
「ちょっと迷惑なんだけど……。あたしもこんな格好だし」
美夕はショートパンツにノースリーブと完全にオフモードに入っていた。とてもじゃないが人前に出られる格好ではない。だからと言って、もうすぐ一八時なので、きちんとした格好に着替えるのも面倒だ。
「……って、ちょっと待って‼ お姉ちゃん友達居たの⁉」
「居るよ。失礼な」美夜はプクーと頬を膨らませる。
美夕が疑うのも無理はない――美夜は一二歳の時に影を切り離してからと言うもの、友達という言葉に無縁の学生生活を送っていた。親がスマートフォンを買ってやると言っても「友達居ないからいらない」と突き返すくらいだ。
そんな姉が夏休みに、しかも一緒にお月見とは。
ふと美夕の脳裏に、とある少年が浮かんだ。
「もしかしてお相手って……坂之上氷太朗さん?」
「うん、よくわかったね」
「お月見と言ったら氷太朗さんじゃん!」美夕の乙女スイッチが入る。トイレに用事があった事など、もう忘れ去られている。
「お姉ちゃん、ずっと『昔みたいに氷太朗さんとお月見したい』って言ってたもんね!」
「ずっとは言ってない」
「言ってたよー! え⁉ え、え、え、えぇー⁉ なんでいきなり⁉ ずっと前に約束してたの⁉」
「ううん。今日たまたま神社で会って……その時はちょっと話してバイバイしたんだけど、少しして電話が掛かってきて、今夜スーパームーンだから一緒に見ないかって」
「キャー! 絶対氷太朗さん、お姉ちゃんに気があるじゃん!」
「無いよ。みんなにも同じようなこと言ってるよ、きっと」
「言うワケ無いじゃん! 言ってたら怖いわ! 人間不信になるわ! あんな可愛い顔してそんなえげつない事するわけないじゃん!」
「むぅ……」
確かに。誰彼構わず電話をかけまくってスーパームーン観測に誘いまくっている氷太朗の姿は、想像するだけゾッとする。だが美夜は、それだけで気があると判断するのは些か軽率なような気がした。
「庭でやんの?」
「うん。あそこが一番よく見えるから」
「じゃあトイレよりも中庭を掃除した方が良いんじゃない?」
「中庭も自分の部屋もリビングも掃除した。後はトイレだけ」
「凄い気合入ってんね……」
美夜の表情は一切変化しない。変化しないから、彼女には喜怒哀楽を始めとする感情が欠如されていると誰もが思ってしまう。だが、注意深く観察していると、彼女の行動全てが人間味に溢れており、誰よりも感情豊かであると気付かされる。
「氷太朗さんは何時に来るの?」
「晩御飯を済ましてから来るから、二〇時くらいだって」
「じゃあ、永く居ても二時間くらい?」
「かな。うん、それくらいだと思う」
「それなら――氷太朗さんと居る時くらい、『影』を戻してゆっくりしたら? 二時間くらいなら、あたしだけでも『常夜』の管理は出来るからさ」
「ありがとう。本当は甘えたいけど、今日は例大祭の日だだから――影をひっこめるわけにはいかない」
「そっか……そうだったね……。ごめん、忘れてた」美夕は心の中で猛省した。
例大祭の存在を忘れるなんて、ありえないミスだ。
「じゃ、じゃあ! せめて何か手伝うよ!」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
「何でも言って!」
「だったらトイレとお風呂と洗面台と家の周りの溝の掃除しといて」
「なんか多くない⁉ さっき、あとはトイレだけって言ってたのに! 二〇時までにそんな年末の大掃除みたいなスケジュールこなせるわけないじゃん! なんでも言ったけど、限度ってモンがあるよ!」
「ツッコミが長い、減点」
「色々と容赦無し!」
いいリアクションをする妹に美夜は思わず「ふふふ」と笑ってしまった――無論、無表情だが――それを見た美夕はなんだか嬉しくなり、思わずトイレブラシを奪い取った。
「トイレ掃除ならしてあげる! だから、その間にお姉ちゃんはシャワー浴びてきなよ。氷太朗さんに会うっていうのに、そんな汗ダクだったら嫌でしょ?」
「良いの?」
「御安い御用だよ! ほら、行った行った!」
美夜は慣れぬ掃除の連続で大量の汗を流した。自分でも汗臭いレベルに達しており、正直こんな状態で友達に会うのは女子としてどうかと思っていたところなので――非常に助かる話である。
美夜は「ありがとう」と言ってトイレスリッパを脱ぎ、自室に戻った。そして、クローゼットを開け、収納ケースから下着とワンピースを手に取る。部屋着用のワンピースではない、お出かけ用のちょっと良い純白のワンピースである。最初、コーディネートはこれだけで良いと思った。しかし、少しして、なんだか気合が入り過ぎているような気がして、下に穿くデニムパンツも手に取った。
部屋を出た美夜は長い廊下を小走りで駆け、風呂場に向かう――その時だ。
ふと、氷太朗の気配がした。
「えっ……?」
振り返ってみるが、そこには誰もいなかった。
* * * * *
八月九日未明――坂之上氷太朗は消息を絶った
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