亡国の王弟は女好きの騎士に溺愛される

コムギ

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1【捕らわれの王弟】

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 ――死ぬことなど、怖くはない。いつ死んでもいい。

 ルカーシュは常々、そう思っていた。

 切羽詰まっているはずの現在の状況でも、その思いは頭の片隅に置いている。

 ルカーシュは男たちによって、固い床の上に突き飛ばされた。頭に被された麻袋越しに、男たちの声が聞こえてくる。

「族長には丁重に扱えと言われているが」
「無理だな。おれらには加減ってもんがわからねえ」
「まあ、そうだな」

 言葉通り、気遣いのない荒々しい手つきだった。目隠しに使っていた袋を頭から乱暴に引き抜かれた。腰にまで伸びた白銀の髪が波を打って落ちる。

 何度か瞬きをしていると、ルカーシュのぼんやりとした視界が次第にはっきりしてきた。

 部屋の半分は鉄格子で仕切られていて、扉の取っ手には錠前が下がっている。窓はなく、土壁の上部に小さな通気孔があるだけだった。

 台に毛布がかかっただけの粗末な寝床と、用を足すための蓋付きのツボがある。寝床が藁でないのは、まだマシかもしれない。

 ルカーシュがぼんやり眺めている間に、背後の扉に錠前がかかった。

 鉄格子の向こうにはふたりの男が下衆い笑いを続けていた。ルカーシュの顔を無遠慮に見てくる。

「しかし、綺麗な顔だな。大人しくしてくれるなら、遊んでやってもいいんだがな」
「やめろよ、こいつは化け物だぞ。触った途端、死んじまうかもしれん」
「残念だ。俺好みの綺麗な顔なのに。入れるだけ入れさせてくれねえかな」
「げっ、てめえの趣味なんか、知るか。行くぞ」
「じゃあな、王弟殿下さん」

 男たちは口々に勝手なことを言いながら、地下室を後にしていく。

 上の床を歩かれると、ぱらぱらと天井から砂が落ちてきた。振動があれば、崩れ落ちてくるかもしれないほどの脆い造りだった。

 ――アラバンド国の王弟であった私の最期の場所がここか。

 ルカーシュはひどく冷めた気持ちで、寝台に横たわった。ほこり臭くても気にしない。小さく咳をして、現実から意識を逸らすように目を瞑った。

 結局、王弟とは何だったのだろうかと、考える。

 国王の末弟と聞かされて城に連れてこられてから、まだ十年ほどしか経っていなかった。

 それでもルカーシュにとって、その十年は、長く険しい年月だった。

 腹違いの兄王と初めて会ったとき、自分のある能力のせいで罵声を浴びせられた。

 その後、城の地下牢に捕われることになった。

 体を壊しての病が先か、兄王の気分次第での処刑が先か。いつ死んでもおかしくなかった。

 暗闇の中に希望はなかった。

 もはや諦めに近く、地下牢で一日一日を過ごしていたときだった。

 牢屋の前に三人の人攫いが現れた。人攫いといっても、単純なごろつきではないのは、明らかだった。

 外套に身を包んでも、肥えた身体は隠せていない。袖口から金でできた腕輪がのぞく。ずいぶんと私腹を肥やして来たのだろう。

 もう一人の方は痩せ細っていた。深く被った頭巾からは、よほど下から覗かない限りは、顔色は見えなかった。

 最後の一人は長身で、逞しい腕を組んでいるのを見ると、用心棒のようなものかもしれない。

「もうこの国は終わりでしょう。国の再建にはあなたの力が必要です」

 腹の膨れた男の方がそう言った。

 ルカーシュはこの男を兄王に手酷く捨てられた貴族のひとりではないかと推測した。身内や側近ですら、兄王に逆らうとただでは済まないことは、噂で知っている。自分は逆らうまでもなく、切り捨てられた。

「王弟殿下。このままでは敵国の手により、あなたも処刑されます。あなたもこんなところで命を落としたくはないでしょう」

 気味の悪い猫撫で声を聞いて、本能でわかった。この男に従ってはならないと。この男に利用されるくらいなら、敵国によって殺されても構わないと思えた。

 鍵が開いても動き出さないルカーシュに業を煮やし、男は本性を表した。

「早く出てこい! 俺が助けてやると言っているんだ」

 その目と口元が醜く歪んだ。兄王と同じ種類の人間であると、すぐに悟った。

 ルカーシュは両手を前に出した。

 兄王が恐れた能力を使おうとしたが、痩せた男が背後に回っていた。

 黒い手袋が口を覆ってくる。必死の抵抗虚しく、薬をつけた布をかがされた。

 平衡感覚を失い、無様に倒れたところまでは覚えている。

 ルカーシュが再び意識を取り戻したときには、麻袋で視界が奪われていた。

 そして冒頭へと戻る。

 ――もはや、寝ているしかない。結局、私には何もできない。

 寝台の上で大人しくおのれの運命を待つより、他なかった。



 ルカーシュは騒々しさに重い瞼を上げた。

 上の階が激しく踏み鳴らされて、その度に砂が落ちてくる。地震でも起きたのかと思った。

 それならそれでいい。天井が崩れて下敷きになって死んでもいいと思った。

 ルカーシュは仰向けになって、腹の前で指を組んだ。

 昨晩から熱が出ていた。食事を頑なに拒んだせいで、寝台からも満足に起き上がれなくなっていた。

 母も最期はこうやって息を引き取ったのだ。

 幼い自分は傍らにいたが、何もできなかった。ただ魂が抜けていくように力を失う母の手を握ることしかできなかった。

 病が先か、天井が崩れるのが先か。

 どちらにせよ、死が待っている。

 すべてを諦めかけたとき、地下室に降りてくる人の姿があった。外套についた頭巾で顔ははっきりわからない。黒い外套を纏っていて、人攫いかと思った。しかしすぐにその考えは取り払った。

「大丈夫か! 今出してやる!」

 腹の底から出たような大声に、ルカーシュは驚いた。大声はいつもルカーシュを罵るものでしかないが、この声は違っていた。怒声ではない。

 鼓膜を通して、痺れるように身体が震えた。

 その男は、頭巾を首の後ろに下ろした。青白い顔をしたルカーシュとは違い、現れたのは日を浴びた褐色の肌だった。

 王族や貴族にはいない野性味のある顔立ちを、ルカーシュはまじまじと見つめた。色あせた金色の髪は短く、小麦の穂を思わせる。同じ色の眉毛は意志が強そうで、今は眉間が寄っている。

 凡庸な深緑の瞳なのに、吸い込まれそうになるのはなぜなのか、自分でもわからない。

 男は短剣の持ち手の部分で扉の錠前を壊すと、中に入ってきた。

 片膝を折って、ルカーシュの息を確かめる。手をかざして左右に振ると、瞳の動きを確認したようだった。

「意識はあるのか」

 ルカーシュは熱で浮かされた体を持ち上げようとするが、重くて動けない。吐き出す息が熱かった。

「動けないのか? 病か? それなら脈を……」

 男がルカーシュのむき出しの首に触れようと手を伸ばした。振り払おうと手を上げたつもりが、実際は指がぴくっと動いただけだ。

 ――駄目だ! 触ってはいけない!

 心の叫びは、声にはならなかった。肌に指が触れた瞬間、体から眩い光が放たれる。目を開けてはいられない。すぐさま、男のうめき声が聞こえてきた。

 ルカーシュは死ぬよりも恐ろしく、全身が震えていた。兄王はこの力を見て、後に侮蔑の目でルカーシュを見下ろした。そして、冷酷にも「牢獄に入れておけ」と命令したのだ。

 肩を抱いても震えは止まらない。死ぬよりも怖かった。また誰かを傷つけてしまった。しかも、自分を助けようとしてくれた人を。

 ふうっと男の長い息が聞こえた。

 化け物と呼ばれるのは慣れている。蔑むような瞳も。

 しかし、男は何も言わなかった。目を眇めただけで、真剣な顔を作る。

 男は怯んだ姿を見せずに、ルカーシュを毛布に包み込むと、その腕に抱えた。

「もう大丈夫だ」

 あやすように身体を撫でられて、ルカーシュは涙をこらえた。子供ではない。

 それなのに、涙が溢れて頬を伝った。

 水もろくに飲んでおらず、唇も乾いていたはずなのに涙が溢れてくる。

 光を放ったことで力を使い果たしたルカーシュは瞼が重くなるのを感じた。

 意識を失う直前まで、男に向かって「ごめんなさい」と、か細い声を繰り返していた。
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