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9【言葉使いと釣り】
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開けた空、眩むほどの青さを前に、ルカーシュは深呼吸した。
頬を撫でる風、甘い花の香り。枝に止まった鳥の声、風で揺れる葉音。
ルカーシュが目を瞑って、音に意識を集中させていると、シモンが「心地よさそうな顔しちゃって」と呆れたように言う。
意地悪な発言も、実は人を嫌っているのではなく、面白がっているのだとわかっている。からかわれても、嫌味には感じない。
ルカーシュも「そんな顔はしていない」と負けん気を出して、口元には笑みを浮かべた。
瞼を開けると、焼けたような残像の後に、はっきりとシモンの顔が浮かぶ。
ルカーシュにとって、目に入る、耳に届く、指に触れる、すべてが美しい。
しかしどれもが、シモンの笑顔に勝るものはなかった。
言葉を忘れて見惚れていると、「あんまり、見ないでくれます?」と非難の声が上がった。笑顔がしかめっ面に変わってしまうのが、残念に思えた。
――もっと見たかったな。
ルカーシュは、すまなかったなと堅苦しく謝ろうとして、開きかけた唇を結んだ。
兄王や父王を真似た言葉に、もはや何の意味もない。自分は王弟ではない。敵国に保護された捕虜といってもいい。それならば、言葉もシモンのように自由でありたいと思う。
常に対等に、誰かと接してみたかった。気の良い友達のように軽く言葉を交わしたい。
シモンは立っているのも飽きたようで、「向こうに行きますか?」と歩き出そうとした時、ルカーシュは手袋ごしにシモンの服を掴んだ。
強い決意とともに、顔を上げた。緊張で頬に熱が集まってきたが、ルカーシュはひるまないように指に力を込めた。
「ごめんね、シモン」
「えっ? えっ?」
戸惑ったように声を上げて、シモンは落ち着きなく目を彷徨わせた。ルカーシュは最近、自分と同じくらいの年代の青年が主人公の本を読んでいる。
親しい友達同士なら「ごめん」、もしくは「ね」をつけるらしいと学んだ。実践してみたのだが、シモンからの反応はなかった。ルカーシュは羞恥が一気にやってきて、俯いた。
「へ、変だったか? 私もシモンのような言葉を使いたかったのだが」
「変ではありません。変ではありませんけど、いきなりで驚いたというか」
「本当に変じゃなかった?」
心配で顔を近づけてまで確かめると、シモンは面食らったような顔をしてから、目を逸らした。
「変ではないです」
「よかった、上手くできるか不安だったから」
ルカーシュは緊張を解いて、笑った。目を細めたシモンと見つめ合う。頬が赤く染まっている。よほど、日差しが強いのだろう。
「釣り、しませんか?」
シモンがそう提案するまで、ふたりは見つめ合っていた。
◆
敷地にある池で釣りをしようと、シモンが足早に動き出した。いつから準備していたのか、釣り竿も餌も揃っている。ルカーシュが疑問に思ってたずねると、シモンは頬を赤らめた。
「昨日、村まで行って、道具を揃えていたんですよ」
「それは私と釣りをするためか?」
「他に何があるんです? ほら、これ持って」
池を囲む岩に座り込んだ。シモンはあぐらをかいて、竿を下ろした。餌もつけてもらい、釣り竿も振ってから持たされた。
「釣りとは、こうやってぼんやりしていていいのか?」
「そういうもんですよ」
シモンは魚が捕れなくても釣り糸を垂らすのが好きだという、意外な一面も覗かせた。釣り竿はまったく動かなかったが、隣同士で座って、たわいない話をした。
シモンの仕事の話は、ルカーシュにとっては何を聞いても新鮮だった。
アラバンドでの潜入話は、ルカーシュも息を呑んで聞いた。子供に聞かせるように抑揚がついている。
段々と盛り上がっていき、騎士団長は見事、脱獄に成功した。そのすべてがシモンのおかげで、騎士団長と無事帰還できたところで話は締められた。
ルカーシュが思わず釣り竿を置いて拍手をしたのは、シモンの話が手に取るように想像しやすくて、おもしろかったからだ。
「君の話はおもしろいな。とても話し慣れている気がする」
「さんざん、子供たちに話したんで」
「子供たち?」
「ああ、俺の家族です」
「え?」
ルカーシュはあまりの衝撃に、周りの音が聞こえなくなった。シモンは変化に気づくことなく、何でもないことのようにあっさり言った。
「俺は孤児院出身なんですよ」
ルカーシュは一度でも安堵した自分を恥じた。シモンに家族がいないことに安心したなんて、最低な気持ちだ。
それなのに、ルカーシュは自分の薄汚れた気持ちが嫌で仕方ない。シモンの顔や仕草を見ていられなくなって、釣り竿を握った。釣りに集中しようと思うが、とてもそんな気にはなれない。
「だから、たまに孤児院に行って、俺の話をするんです。皆、楽しそうに聞いてくれるから、俺のほうが面白くなって……お!」
シモンが急に立ち上がった。ルカーシュの持った釣り竿の先端が上下にしなっている。釣り糸が横に引っ張られていく。ルカーシュは震える足でどうにか踏ん張ると、隣にいる騎士にすがるような目を向けた。
「え、え、どうしよう!」
「そのまま、持ってて!」
シモンは自分の釣り竿をすぐに回収して岩場に置くと、ルカーシュの背後に回った。
逞しい腕がためらいなく、ルカーシュの腰に回った。背中に感じる騎士の硬い身体、耳元で感じる吐息。どくどくと心音が高鳴る。こんな熱は知らなかった。
「さ、触らないでくれ!」
ルカーシュは耐えられなくなって、シモンの腕を払った。その拍子に、岩場から足を滑らせた。釣り竿は池に引きずり込まれた。
池に落ちる。水飛沫が上がる音で、ルカーシュは衝撃に備えて、目を瞑った。
シモンは咄嗟にルカーシュの身体を抱えて、一緒に池に落ちた。池は腰のあたりまでの水かさだった。それでも、足の下にはゴツゴツした岩があり、これで頭を打ったら怪我をしていたはずだ。
そんな怪我よりも何よりも、頭を占めていたのは別のことだ。
ルカーシュはいま、シモンに強く抱き締められている。筋の張った鍛えられた腕が、腰に回っている。
服が水を含んで重くなったことも気付かないほど、頭が真っ白になっていた。
ルカーシュはずぶ濡れになったまま、呆然としていた。
「大丈夫ですか?」
身体が離された。髪からしたたり落ちてくる水滴を払いながら、シモンが顔を覗き込んでくる。
深緑の瞳がルカーシュを捉えた瞬間、あれほど冷えていた身体が発火し始めた。熱が目の前を通り抜けていく。心音が高鳴って、耳奥を支配していく。頭が熱い。
「お、おい!」
シモンの叫び声が遠くに聞こえる。
「ルカーシュ様! ルカーシュ!」
――初めて、ルカーシュと呼んでくれた。
力ない笑みが溢れたが、熱に浮かされた身体が限界を越えた。シモンの胸板に額をぶつけながら、逞しい腕の中で意識を失った。
頬を撫でる風、甘い花の香り。枝に止まった鳥の声、風で揺れる葉音。
ルカーシュが目を瞑って、音に意識を集中させていると、シモンが「心地よさそうな顔しちゃって」と呆れたように言う。
意地悪な発言も、実は人を嫌っているのではなく、面白がっているのだとわかっている。からかわれても、嫌味には感じない。
ルカーシュも「そんな顔はしていない」と負けん気を出して、口元には笑みを浮かべた。
瞼を開けると、焼けたような残像の後に、はっきりとシモンの顔が浮かぶ。
ルカーシュにとって、目に入る、耳に届く、指に触れる、すべてが美しい。
しかしどれもが、シモンの笑顔に勝るものはなかった。
言葉を忘れて見惚れていると、「あんまり、見ないでくれます?」と非難の声が上がった。笑顔がしかめっ面に変わってしまうのが、残念に思えた。
――もっと見たかったな。
ルカーシュは、すまなかったなと堅苦しく謝ろうとして、開きかけた唇を結んだ。
兄王や父王を真似た言葉に、もはや何の意味もない。自分は王弟ではない。敵国に保護された捕虜といってもいい。それならば、言葉もシモンのように自由でありたいと思う。
常に対等に、誰かと接してみたかった。気の良い友達のように軽く言葉を交わしたい。
シモンは立っているのも飽きたようで、「向こうに行きますか?」と歩き出そうとした時、ルカーシュは手袋ごしにシモンの服を掴んだ。
強い決意とともに、顔を上げた。緊張で頬に熱が集まってきたが、ルカーシュはひるまないように指に力を込めた。
「ごめんね、シモン」
「えっ? えっ?」
戸惑ったように声を上げて、シモンは落ち着きなく目を彷徨わせた。ルカーシュは最近、自分と同じくらいの年代の青年が主人公の本を読んでいる。
親しい友達同士なら「ごめん」、もしくは「ね」をつけるらしいと学んだ。実践してみたのだが、シモンからの反応はなかった。ルカーシュは羞恥が一気にやってきて、俯いた。
「へ、変だったか? 私もシモンのような言葉を使いたかったのだが」
「変ではありません。変ではありませんけど、いきなりで驚いたというか」
「本当に変じゃなかった?」
心配で顔を近づけてまで確かめると、シモンは面食らったような顔をしてから、目を逸らした。
「変ではないです」
「よかった、上手くできるか不安だったから」
ルカーシュは緊張を解いて、笑った。目を細めたシモンと見つめ合う。頬が赤く染まっている。よほど、日差しが強いのだろう。
「釣り、しませんか?」
シモンがそう提案するまで、ふたりは見つめ合っていた。
◆
敷地にある池で釣りをしようと、シモンが足早に動き出した。いつから準備していたのか、釣り竿も餌も揃っている。ルカーシュが疑問に思ってたずねると、シモンは頬を赤らめた。
「昨日、村まで行って、道具を揃えていたんですよ」
「それは私と釣りをするためか?」
「他に何があるんです? ほら、これ持って」
池を囲む岩に座り込んだ。シモンはあぐらをかいて、竿を下ろした。餌もつけてもらい、釣り竿も振ってから持たされた。
「釣りとは、こうやってぼんやりしていていいのか?」
「そういうもんですよ」
シモンは魚が捕れなくても釣り糸を垂らすのが好きだという、意外な一面も覗かせた。釣り竿はまったく動かなかったが、隣同士で座って、たわいない話をした。
シモンの仕事の話は、ルカーシュにとっては何を聞いても新鮮だった。
アラバンドでの潜入話は、ルカーシュも息を呑んで聞いた。子供に聞かせるように抑揚がついている。
段々と盛り上がっていき、騎士団長は見事、脱獄に成功した。そのすべてがシモンのおかげで、騎士団長と無事帰還できたところで話は締められた。
ルカーシュが思わず釣り竿を置いて拍手をしたのは、シモンの話が手に取るように想像しやすくて、おもしろかったからだ。
「君の話はおもしろいな。とても話し慣れている気がする」
「さんざん、子供たちに話したんで」
「子供たち?」
「ああ、俺の家族です」
「え?」
ルカーシュはあまりの衝撃に、周りの音が聞こえなくなった。シモンは変化に気づくことなく、何でもないことのようにあっさり言った。
「俺は孤児院出身なんですよ」
ルカーシュは一度でも安堵した自分を恥じた。シモンに家族がいないことに安心したなんて、最低な気持ちだ。
それなのに、ルカーシュは自分の薄汚れた気持ちが嫌で仕方ない。シモンの顔や仕草を見ていられなくなって、釣り竿を握った。釣りに集中しようと思うが、とてもそんな気にはなれない。
「だから、たまに孤児院に行って、俺の話をするんです。皆、楽しそうに聞いてくれるから、俺のほうが面白くなって……お!」
シモンが急に立ち上がった。ルカーシュの持った釣り竿の先端が上下にしなっている。釣り糸が横に引っ張られていく。ルカーシュは震える足でどうにか踏ん張ると、隣にいる騎士にすがるような目を向けた。
「え、え、どうしよう!」
「そのまま、持ってて!」
シモンは自分の釣り竿をすぐに回収して岩場に置くと、ルカーシュの背後に回った。
逞しい腕がためらいなく、ルカーシュの腰に回った。背中に感じる騎士の硬い身体、耳元で感じる吐息。どくどくと心音が高鳴る。こんな熱は知らなかった。
「さ、触らないでくれ!」
ルカーシュは耐えられなくなって、シモンの腕を払った。その拍子に、岩場から足を滑らせた。釣り竿は池に引きずり込まれた。
池に落ちる。水飛沫が上がる音で、ルカーシュは衝撃に備えて、目を瞑った。
シモンは咄嗟にルカーシュの身体を抱えて、一緒に池に落ちた。池は腰のあたりまでの水かさだった。それでも、足の下にはゴツゴツした岩があり、これで頭を打ったら怪我をしていたはずだ。
そんな怪我よりも何よりも、頭を占めていたのは別のことだ。
ルカーシュはいま、シモンに強く抱き締められている。筋の張った鍛えられた腕が、腰に回っている。
服が水を含んで重くなったことも気付かないほど、頭が真っ白になっていた。
ルカーシュはずぶ濡れになったまま、呆然としていた。
「大丈夫ですか?」
身体が離された。髪からしたたり落ちてくる水滴を払いながら、シモンが顔を覗き込んでくる。
深緑の瞳がルカーシュを捉えた瞬間、あれほど冷えていた身体が発火し始めた。熱が目の前を通り抜けていく。心音が高鳴って、耳奥を支配していく。頭が熱い。
「お、おい!」
シモンの叫び声が遠くに聞こえる。
「ルカーシュ様! ルカーシュ!」
――初めて、ルカーシュと呼んでくれた。
力ない笑みが溢れたが、熱に浮かされた身体が限界を越えた。シモンの胸板に額をぶつけながら、逞しい腕の中で意識を失った。
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